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【頂上決戦】上杉謙信対毛利元就

1 :人間七七四年:2008/01/02(水) 11:03:57 ID:xt5pLVRO
武田厨を撃退した毛利元就だが、果たして軍神といわれた謙信公より上といえるのだろうか?
関東攻略、北九州攻略で戦略的に大敗を喫している両者だが、それ以外には
敗北は見受けられない。文字通り最強を決定するスレです。

2 :人間七七四年:2008/01/02(水) 11:09:34 ID:KE0+JYpA
互いに眼中に無しだと思う。
土俵が違う

3 :人間七七四年:2008/01/02(水) 11:39:33 ID:IjGDYoK1
くだらん

4 :人間七七四年:2008/01/02(水) 13:09:44 ID:CtrYnB71
なんだかんだ言って意識されまくられvs上杉謙信スレが乱立。
アンチの嫉妬を受けまくるあたり最強にふさわしいだろうな謙信は。
大内・尼子の庇護を受けて利益を追求する元就は関東で言えば上杉・北条を天秤にかけた由良兄弟や成田兄弟みたいなもん。
役者レベルが違う。
謙信は若き時に孤立した最前線で激しく戦い、その戦いぶりとカリスマ性から国人が惚れて自らの求心力で越後統一への道を進み北条・武田が北上を阻止。
最晩年は織田を排除し加賀を領有してしまうくらい。
元就が謙信と同じ寿命だったなら知名度もほとんどなかったはず。

5 :人間七七四年:2008/01/02(水) 13:16:03 ID:xt5pLVRO
当時は、謙信と元就どっちが尊敬されていたのかな?
カリスマ性では圧倒的に謙信だろうけど
いまでこれだけ熱烈なファンを生み出す謙信はすごい

6 :人間七七四年:2008/01/02(水) 13:21:45 ID:cxn6/HQP
米沢で洗脳教育してるから変なのが量産されてるんだよ

7 :人間七七四年:2008/01/02(水) 13:42:03 ID:zul6Pjwn
日本分断工作員がスレを立てている可能性もある。
3人で別のオタを装ってレスのやり取りをしているのを読んでいて
あまりにわざらしいのでゲンナリしてしまった

ここにもすでに来てるよ>5だ。似非謙信厨w




8 :人間七七四年:2008/01/02(水) 16:59:55 ID:pBexbgnq
しかし謙信の人気は異常だな

政宗、島津、で、次は毛利か

全部アンチの立てたスレとは言え

ここまで行くと天下統一も間近だな

9 :人間七七四年:2008/01/02(水) 17:38:03 ID:xt5pLVRO
まあ、謙信は織田信長に勝てる唯一の武将だからな
謙信があと10年生きてたら信長は危なかった
逆に元就があと10年生きてたら、秀吉に滅ぼされて今ほどの過大評価はなかっただろう

10 :人間七七四年:2008/01/02(水) 18:04:23 ID:pBexbgnq
うまい例えだな。まさにそうだな

謙信、信玄→長生きしてたら信長を滅ぼしていた

氏康、元就、長慶→長生きしてたら信長に滅ぼされてた

政宗→早く生まれてたら謙信や信長に滅ぼされてた



11 :人間七七四年:2008/01/02(水) 20:07:34 ID:W5ezLfSH
謙信=TBS
元就=フジテレビ

12 :人間七七四年:2008/01/02(水) 20:30:46 ID:B07dvo/5
謙信と信玄は長生きしてたら間違いなく信長に滅ぼされてた筆頭格だろw

13 :人間七七四年:2008/01/02(水) 21:44:54 ID:CtrYnB71
加賀能登から排除された織田厨必死w
両者が本願寺と共闘する限り信長の勝ちはない。


14 :人間七七四年:2008/01/02(水) 22:06:18 ID:7EPmM9vN
>>6
実は米沢での教育は、謙信より鷹山が主なんだよ。
比率は謙信1<鷹山9くらいだった。
小学校の頃には、鷹山の肖像画がデカデカと飾ってあったくらい。
謙信?誰それ?って感じだった。
5月のお祭りの時に謙信が現れるくらいで、誰も謙信の話なんかしなかったな。

あぁ、ついでにお掘に自転車と原チャリ投げ捨てていたの俺と友達。
錦鯉を盗んだのも俺達で〜す。
もう20年も前だから許してね。

15 :人間七七四年:2008/01/02(水) 23:20:24 ID:xt5pLVRO
対信長で負けがないのって謙信公だけだよな
さすがは軍神
あと10年生きていたら信長を確実に打てただろうな
うまくいけば安芸や出雲あたりまで平らげていたかも試練

16 :人間七七四年:2008/01/02(水) 23:45:10 ID:liJNAMSH
またこいつかw

17 :人間七七四年:2008/01/04(金) 12:00:25 ID:RUqjSGp4
まあどうでもいいけど後世の総合的な評価は謙信>>元就だな

18 :人間七七四年:2008/01/06(日) 19:55:32 ID:nOZmdwKn
有田中井手の戦いや厳島の戦いなど名勝負を含む226回の戦いで無敗の元就と
勝ったか負けたかわからないような合戦と実在したか不明の合戦が代表的な戦いの謙信を
どうやって比較するのかとw

19 :なななな梨:2008/01/06(日) 20:32:56 ID:LU/MCOwu
信長が滅ぼしたのはクソザコばっか
謙信にしろ信玄にしろ元就にしろ滅ぼすにわかなりの時間が必要だろ
信長包囲網は無限ループだと思うがな

20 :人間七七四年:2008/01/06(日) 21:21:26 ID:sqdwRTm/
謙信は能登が寝返って勝っただけじゃねーかw
間違いなく返り討ちで終わるだろ

21 :人間七七四年:2008/01/06(日) 21:39:41 ID:Znf0wSsj
謙信が後10年長生きした場合
信長に降伏し、秀吉の軍隊に組み込まれて備中高松あたりで毛利と決戦だな

22 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/06(日) 21:51:47 ID:bnEUtUvT
謙信のifは初めて見たな。

10年長生きしたら武田氏が滅ばない可能性があるから信長の西方侵略が早まるんじゃないの。

23 :なななな梨:2008/01/06(日) 22:11:11 ID:LU/MCOwu
モトチカ蹴散らして東と南から中国侵略…ひとたまりもないな

東は家康に任せていいのか[武田、上杉、北条の三点セットは荷が思いんじやぁ

24 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/06(日) 22:16:31 ID:bnEUtUvT
当時の徳川は遠州だけ防げばいいだけ。織田氏は美濃飛騨を守りきれる体制があるしさ。

25 :なななな梨:2008/01/06(日) 23:09:51 ID:LU/MCOwu
確かに
なんで信長あんなに家康信用したんだろ
信康の件はオイトイテ不思議

家臣重宝度でいえば唐笠連盤の元就が上だな
たいした家臣いたようにおもえんが

26 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/06(日) 23:15:36 ID:bnEUtUvT
個人能力よりも利害と力関係ね。
謙信が元気だったら上杉・武田・北条の三者が手を結ぶ状況が発生しないだろうからさ。

27 :人間七七四年:2008/01/07(月) 05:11:52 ID:SIUzgyMR
アホみたいに小競り合いを繰り返し、雑魚だらけの地方であの程度の領地しか得られなかった元就WW

28 :なななな梨:2008/01/07(月) 07:23:40 ID:x75a65be
いや、雑魚だった毛利を中国1にしたから偉いだろ
もちっと四国に領地のこせなかったのが残念だが あの時代にマジで天下統一したろうって思ってんの武田と織田ぐらいじゃね?

29 :人間七七四年:2008/01/07(月) 11:55:05 ID:ZUikQaze
長い寿命のおかげで
ライバルはみんな死に気がついたらたくさんの子供を養子に出して地域の長老顔役になってた元就。

30 :人間七七四年:2008/01/07(月) 14:08:34 ID:CWaMcurW
>>29
武田も負けてないぜ!
長野・北条・今川が死んでるし。
因みに養子送り込んでお家乗っ取りはどの家でも当たり前なんで…信玄もしてるし信長もやってる。
その中でも優秀な結果を残した吉川小早川がすごいってなってもいいと思うけど。
無論信雄・信孝にも信忠が長生きすればそういう立場になった可能性はなきにしもあらず。
長生きが武器なのは家康や早雲を見れば一目瞭然だろ…家康や早雲は歳が武器って解ってたような勘があるが。

>>28
大内も天下(上洛)目指したよ。挫折したけど…

>>27
中国地方が雑魚とか無知か世間の人気風にあてられた厨房だろ。
大内は一時期本気で上洛しようと考えてたし(尼子に阻まれるが)
陶は西国無双の侍大将、家乗っ取りを穏便に進めた腕は鮮やか。
尼子はまぁ当主がかわっる変わって雑魚扱いもしょうがないけど。大友は九州探題、宗鱗が狂ってないやる気ある時期を相手に九州に領土を残す。

関東の戦国時代の城は殆んど瓦などの近代装備が発掘されないが中国地方は装備面も最新。



31 :人間七七四年:2008/01/07(月) 15:42:17 ID:ZUikQaze
人生50年…

32 :人間七七四年:2008/01/07(月) 18:52:10 ID:nScoTCrH
下天のうちをくらぶれば

33 :人間七七四年:2008/01/07(月) 18:57:29 ID:8x3GykTZ
クソすれ

34 :なななな梨:2008/01/07(月) 19:16:54 ID:x75a65be
国力でみる謙信対元就

35 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:15:45 ID:BAo3uR8S
3000貫から大大名に上り詰めた英雄・元就とボンクラ謙信を比較したら可哀相だろ
後に天下取った毛利と、毛利に土下座して命ごいした上杉じゃ
家としても格が違いすぎる

36 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:19:56 ID:J8EJ+NxB
元就では織田軍には勝てなかったが謙信なら勝てたんじゃないかなっていうロマンがあるね江戸期からずっと。
信玄と氏康の大軍のチームプレイに一向宗まで敵に回して互角なんだからすごい。
逆に同じ時間軸に信玄と氏康と謙信が関東甲信越に生まれたのは双方に不運であった。

37 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:20:57 ID:oDxz6l51
>>35
当人死んでから300年近く後の事とか引き合いに出したって無意味だろ。
謙信だって出発点は酷いもんだし晩年の領土のでかさからいっても十分英雄だろ。

38 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:36:56 ID:J8EJ+NxB
尼子と大内の間で遊泳してただけだしな。その間に双方が潰しあい。
まるで守護の実権を奪い取る守護代、守護代の実権を奪い取る宿り木・寄生虫独立領主が毛利。
50歳過ぎてライバル死んでからの第二の人生が元就の本格的スタートだしな。

39 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:50:54 ID:oDxz6l51
尼子晴久や義久なんか勢力拡大してきた元就と戦いながら
「いつまで生きているんだあのジジイ!」と本気で思っただろうな。

40 :人間七七四年:2008/01/08(火) 20:03:01 ID:lw12CFvj
>>37
こいつはただのアホだから、こいつの他のレスも読んでみ

41 :人間七七四年:2008/01/08(火) 22:13:59 ID:lw12CFvj
人間七七四年:2008/01/08(火) 18:23:04 ID:BAo3uR8S
軍記物でもヨダレ垂らして美少年に飛びかかんばかりの描写になってるし
当時からガチホモのイメージが強かったんだろうな
446 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:18:01 ID:BAo3uR8S
長尾もとことん上杉の名を貶たな
35 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:15:45 ID:BAo3uR8S
3000貫から大大名に上り詰めた英雄・元就とボンクラ謙信を比較したら可哀相だろ
後に天下取った毛利と、毛利に土下座して命ごいした上杉じゃ
家としても格が違いすぎる




42 :人間七七四年:2008/01/09(水) 02:59:16 ID:kVpfGrBn
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1197645723/l50

家督を継いだら俺オワタ(^o^)/
1 :日本@名無史さん:2007/12/15(土) 00:22:03
絶対的劣勢不利な状況下で家督を継ぎ激烈な闘争に勝ち抜き見事に一国(東北は一定地域)を統一した最強勇将を選出したい。
東北代表 最上義光
父との抗争中に伊達輝宗に介入される。山形城のみでスタート

関東甲信越代表 上杉謙信
父は越後を破産させ兄は越後守護の操り人形で家督相続にも介入される。スタートは兄の命で中越へ派遣される。

中部東海代表 織田信長
父はある程度成功し経済的自立もすでに果たしていたし家督相続も問題なかった。

中国東部地方 宇喜多直家
祖父の自害。父はバカのフリ?チョイ悪のカリスマで復讐完了。

中国西部地方 毛利元就
父兄は酒害死亡。大内・尼子の抗争でどちらかに庇護してもらう作戦と養子作戦で安芸国衆の盟主として拡大。

四国代表 長曾我部元親
祖父は自害。父がある程度の成功を残し死去。

九州代表 龍造寺隆信
祖父・父は殺されたが曾祖父が復讐し願いは曾孫に託される。大内・大友・毛利と傘下を代えつつ養子作戦で耳川の戦いを機に自立。

除外
徳川家康→今川から岡崎城に代官が派遣され当主は人質。これはすでに松平氏は滅亡したも同然。



43 :人間七七四年:2008/01/09(水) 08:00:17 ID:7AuOaerY
>>36
なんで元就では勝てずに謙信なら勝てると思うのか理解に苦しむ訳だが?
元就と信長は一戦もまじえてないし
ひょっとして輝元が負けたから元就も無理って印象ついてるっての?
そもそも謙信の上洛って毛利の支援なしで達成できるのかっていう話で…


44 :人間七七四年:2008/01/09(水) 13:18:40 ID:9i+U2WXk
毛利や本願寺が困って頼りにしたんだろう。吉川の家臣がワザワザあなたが噂の謙信さまですかなんて会いに言ってるし。
じっさい元就がいても輝元とあまりかわらなかったと思うよ。
そして自慢の吉川・小早川はなんら手を打てずに姫路から進出した秀吉に苦戦しまくって押されてるし。
謙信は常に陣頭指揮ばっかだからね。大きく士気に関わってくる。8000で行動してるが毛利がいなくても本願寺がいればどうとでもなる。


45 :人間七七四年:2008/01/09(水) 14:41:56 ID:09UXrbef
>43
その時代、日本全国の大名達から謙信信玄は最強って恐れられてたっついうのに・・・


46 :人間七七四年:2008/01/09(水) 15:04:07 ID:9i+U2WXk
まっ意外と元就は呪術とか大好きだからな…
岩見の山吹城を攻める時に地元の呪術師にどう攻めるか吉凶を占わせたら
「山吹城には食料や飲料水はたくさんあるし女性が団結させてます」
とかウソを言われたのを真に受けて攻めずに安芸に帰ったりw
本城常光を吉川元春が暗殺しちまって石見が反乱した時に
尼子氏と祈祷合戦やってたら怖くなって、「ありゃあマジ怖い祈祷だったから効き目があるに違いない」とか発言するし。
出陣の吉日選びや陶を討った後に首を前に怨霊封じみたいなマネまでしてる。
呪術をマジでやってる時点で軍神謙信に勝てないわな。

47 :人間七七四年:2008/01/09(水) 18:39:16 ID:gqnoWXLa
そういえば毛利から謙信のところに使者がきたんだよね?
武名高い謙信はどのような人物って興味があったとか

48 :人間七七四年:2008/01/10(木) 17:50:44 ID:WdW9htYU
「天下を取るのは上杉、武田、北条の三傑の中の誰かが取ると思われていた。」

これ明治〜昭和初期の歴史の教科書に載ってるんだわ。

49 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/11(金) 00:09:35 ID:Wm9P7f6D
「天下を取るのは上杉、武田、北条の三傑の中の誰かが取ると思われていた。」

こう書いてあったら日本語としてその教科書はどうなんだろう。

50 :人間七七四年:2008/01/12(土) 14:53:05 ID:pmKNWBiz
馬鹿丸出しの文章だなw
米沢限定の教科書だろw

51 :人間七七四年:2008/01/12(土) 19:41:33 ID:ch6j/z7T
正確な比較なんてもちろんできないけど、
両者50万石以下、動員兵力1万前後までの規模の戦いなら上杉有利。
両者100石超、兵力2〜3万以上の規模の戦いなら毛利有利。
その他の要因として短期決戦で上杉有利。
長期戦になると毛利有利。
という感じがする。 

52 :人間七七四年:2008/01/12(土) 20:00:52 ID:mr9vV1cH
「謙信は信長が恐れた唯一の武将なんだ!」って言ってる人って
実際東京に勝てる要素がほとんど無くて嫉妬してる地方の人みたいで実に面白いです^^

53 :人間七七四年:2008/01/12(土) 20:55:05 ID:4n5cNqiL
>>51>>52
君達の思った事に根拠は無さそうだね。

54 :人間七七四年:2008/01/12(土) 21:02:29 ID:j2d8/DZp
伊達政宗公の前では両者ともカスだな
この過大評価二人の共通点は本能寺の変で救われたことだ
変が無ければ両家とも確実に滅びていた

55 :人間七七四年:2008/01/12(土) 21:06:55 ID:4n5cNqiL
秀吉の慈悲のおかげで上杉&佐竹&最上に伊達がフルボッコされる寸前で助けてもらったくせして何を世迷い言で両者死後の話を持ち出してるんだかw


56 :人間七七四年:2008/01/12(土) 21:50:31 ID:jbXLaKtL
おまけに二人とも本能寺より随分前に死んでるがなwww

57 :人間七七四年:2008/01/12(土) 23:05:55 ID:6+29grAC
秀吉も信玄と謙信は早くに死んでよかったなって言った逸話がなかったっけ?
生きてたら謙信に馬を曳かせて信玄に傘ささせたとかなんとか

58 :人間七七四年:2008/01/12(土) 23:12:25 ID:27rvGvZk
>>54
その通りだな。 秀吉も元就も謙信も24の頃は単なるガキだからな。
政宗は支配圏200万石を達成。 格が違いすぎるよな。


59 :人間七七四年:2008/01/12(土) 23:32:17 ID:4n5cNqiL
スレ違いなのに伊達マンセーするキモい信者ばかりの伊達厨。
敗戦ばっかりの政宗のどこがいいんだか…フルボッコされてる政宗最強捏造スレ行けよ。

60 :人間七七四年:2008/01/14(月) 13:36:47 ID:YF1ZIjfO
謙信や元就がすごかったんじゃなくて
新潟県民や広島県民が回りより喧嘩強かっただけだろ

61 :人間七七四年:2008/01/14(月) 13:45:03 ID:Q+2EsnRl
頭がよろしゅうないようですな

62 :人間七七四年:2008/01/14(月) 13:57:40 ID:Y8xNiAO1
それじゃなんで二人の代で
勢力が広まったのか説明がつかない

63 :斎藤越後目:2008/01/14(月) 17:31:35 ID:o3StFXBm
越後兵が強いのは有名だけど安芸兵が強いなんて聞いた事ないし

64 :人間七七四年:2008/01/15(火) 01:06:30 ID:IQ3oZ4Cz
毛利vs謙信より
毛利&謙信vs織田だった信長包囲網のが面白い
謙信が越前奪って、毛利が謀反した別所を助けて播磨を奪い、吉川も東進
摂津で荒木が謀反を起こして、以下続々と謀反の嵐
こうなるともう信長に勝ち目は無い

65 :人間七七四年:2008/01/15(火) 06:57:58 ID:PYlYig9S
現代だと関西人が一番つおいのか?

一般人でも、チンピラレベル ヤクザは普通。

政治家はエロじじい。

中学高校生は亀田もどき

大学生は漫才


66 :人間七七四年:2008/01/15(火) 08:56:15 ID:xBn2mVOc
>>謙信が越前奪って、毛利が謀反した別所を助けて播磨を奪い、

まずこれが無理そうだな

67 :人間七七四年:2008/01/15(火) 12:13:33 ID:xdlHlJDi
明治時代までは越後が一番人口が多かったらしい

68 :人間七七四年:2008/01/15(火) 21:21:04 ID:na6Ow3uw
関西剣道弱いよ

69 :人間七七四年:2008/01/16(水) 01:10:08 ID:WUExCWCx
手取川の後、越前半国が上杉に呼応するという文書が残ってるし
謙信が西上して越前一向宗&朝倉残党が蜂起した場合
柴田は一乗谷を守りきれない

70 :人間七七四年:2008/01/16(水) 04:59:09 ID:+1IIaLfd
Iー−−−
I   | 
I 毘 |
I   |
ーーーー

71 :人間七七四年:2008/01/16(水) 05:24:18 ID:Enqi9tOv
>>69
それは事実
織田厨は手取川の戦いの存在自体を認めたくないらしいが

実際、資料に手取川の戦いのあった直後に
越前という大国の半分が上杉方に靡いたという資料が残ってるんだよね

つまり意味もなく、理由もなく
越前ほどの大国が一方に傾くなんて猿が考えたって不自然

これは明らかに手取川で上杉、織田の間で何らかの争いが起き
その一方が圧倒的に完勝したと思わざる負えないという事実の現れなんだよね

つまり上杉大勝。謙信最強。
これを決定付ける戦だったと言える

72 :人間七七四年:2008/01/16(水) 05:32:53 ID:Enqi9tOv
俺が個人的に、規模、歴史的重要度、当事者双方の実力が共に高く戦国最高峰の戦だったと思えるのは

1.川中島の戦い(断トツ。ありえない。こんな最強同士の戦って世界中見ても他にないんじゃないの?)
2.手取川の戦い(格下とは言え、この時の信長は一番脂が乗り切って勢いあった。でも謙信の足元にも及ばない)
3.関ヶ原の戦い(ま、両者頑張ったんじゃない)
4.朝鮮出兵(戦国史上唯一の海外侵略。てか島津頑張ったよね。謙信がいたら天竺支配も夢じゃなかったのに)
5.大阪夏の陣(戦国最後の大戦だったよね。でも謙信がいたら100%豊臣方勝ってた)

73 :人間七七四年:2008/01/16(水) 13:57:05 ID:PQfDU5MK
お前の知識表面かじっただけの知ったかなのはわかったわ

74 :人間七七四年:2008/01/16(水) 14:45:06 ID:sc166L+w
手取川はあまりの大敗ぶりに信長公記にすら書かれなかった織田史上最悪の記念日。

75 :人間七七四年:2008/01/16(水) 16:26:01 ID:NP9ragX+
>71
まーた手取川かよ。
手取川合戦の根拠となってるのは謙信の書状と最近出てきた新史料の2点だが、
謙信の書状は問題点がある代物、新史料は現時点では何とも評価できない状況だっつーの。
それに越前が云々てどの資料だよ。
上杉に傾いたのはせいぜい能登・加賀だし、その2つにしたってもともと織田派・上杉派に
分裂状態の能登畠山家臣の上杉派が内部抗争に勝っただけだし、加賀は盛り返していた
一向一揆と上杉が結んだだけだろうが。
ホント、ろくに調べてないな。

>74
お前信長公記がどういう史料か知ってて言ってるのか。
一方的な織田マンセーじゃなく敗北もきちんと記されてるし、手取川のみ完全無視は不自然すぎる。
それに他の北陸を舞台にした軍記などにも記されていないのはどう説明するんだよ。


と全力で釣られてみますよ、と。

76 :人間七七四年:2008/01/16(水) 16:39:26 ID:SEdqc3Ek
さぁ きみきみ 日本一の織田ファンを自称するなら 一度はおいでおいで 天童に。

温泉に将棋に 織田神社もあtるよぉ〜っと 尺八ふいてももらえる所もあるよ〜っとっ

山形県 天童市 くぐれっ

77 :人間七七四年:2008/01/16(水) 18:04:05 ID:7CMHRaqo
>>75
越前云々は仁科文書だろ
上杉氏年表って真面目な本にも載ってる

信長公記は牛一が知れる範囲だから
各方面、全ての情報を牛一が網羅できる訳じゃない
特にこの頃は上月城まで毛利・小早川が落とすなど、戦線が広がり過ぎ
それだけでなく牛一の周辺も、松永〜荒木と謀反が連発、別所も離反して大揺れ
手取川前後から柴田勝家に関する記述が激減して
一体何をやっているのか分からない(織田にとって都合が悪い?)
反面いつまでもしつこく秀吉離脱の件を持ち出してくる

78 :人間七七四年:2008/01/16(水) 18:20:35 ID:7CMHRaqo
>>75
城内二つに分かれた所を利用して要衝を奪う
これは後北条も武田も織田もやってる事で結構オーソドックスな方法じゃないか?
指摘されても、だから?としか思えない

加賀は手取川以前から石山本願寺と加賀一向宗の諍いを謙信が取り持ったり
加賀の国人を擁護したり、根回しっぽい事をやってんだよね
手取川も河越夜戦や川中島、三増峠など著名な合戦らしく、正確な概要が分からない
ともあれ手取川以降、加賀衆として藤丸、坪坂、若林らが上杉に組み込まれた
彼らは越中戦線などでも奮戦してくれたと

79 :人間七七四年:2008/01/16(水) 18:44:27 ID:sc166L+w
朝倉や本願寺は結果的に織田に屈したから一時的な織田の敗走も記述されたが上杉軍は圧勝しちまったから黙殺した。


80 :人間七七四年:2008/01/16(水) 19:25:07 ID:NP9ragX+
>77
信長公記は天正三年以降はほぼ完璧な内容を記しているわけで、手取川合戦(天正五年)のみ触れられて
いないというのは不自然。
手取川合戦が上杉方が言うような大規模な合戦だったら、せめて「手取川あたりで合戦が
ありましたよ」程度でも触れられているのが自然だ。
まして北陸を舞台にした他の軍記にも一切記載がないわけで、こんな状況で上杉方の主張のみが
一方的に受け入れられるというのはおかしいだろう。
また織田家にとって都合の悪い話も記載されてるわけで、都合が悪いから書きませんでしたと
いうのも考えづらい。

>78
>城内二つに分かれた所を利用して要衝を奪う
>これは後北条も武田も織田もやってる事で結構オーソドックスな方法じゃないか?
>指摘されても、だから?としか思えない
別に利用して奪ってるわけじゃないぞ。
謙信が「織田派ぶっ殺してこっちに付けよ」と働きかけたわけじゃなく、畠山家家臣の上杉派が
織田派(と畠山氏の一族)を自主的にぶっ殺して主導権奪って上杉に組したんだから。
外交工作というより上杉に組した連中の自己保身という方が適当。

>ともあれ手取川以降、加賀衆として藤丸、坪坂、若林らが上杉に組み込まれた
>彼らは越中戦線などでも奮戦してくれたと
今現在言えることはこのくらいだろう。


81 :人間七七四年:2008/01/16(水) 20:14:20 ID:7CMHRaqo
>>80
>信長公記は天正三年以降はほぼ完璧な内容を記しているわけで
なぜ完璧だと言い切れるの
信長公記を調べた際、
織田北陸方面軍の動きを追おうとしたけど、書かれて無さ過ぎる
巻の十で湊川(手取川)を超えて在陣、十行も割かず加賀南部に砦を築いて記述終了
巻の十一では柴田は一切登場しない、それどころか「加賀」すら出てこない
加賀がやっと再登場するのは巻の十二、天正七年八月からで
天正五年十月から何と丸一年と十ヶ月も記録が見つからない
加賀と柴田が再登場する天正七年八月も、まだ手取川付近をウロウロしてるし
幾らなんでも湊川(手取川)を越えて在陣して以降、織田北陸方面軍の情報は怪し過ぎる
要するに信長公記は越前〜加賀の記録が途絶えてる時期が長過ぎる
そこに謙信の書状、北徴遺文、戦後における加賀国人の動向など他の情報も合わせて考えると
信長公記が完璧だとは全っ然思えないし、はっきり言って信じられない

>謙信が「織田派ぶっ殺してこっちに付けよ」と働きかけたわけじゃなく、
武家家伝_温井氏
一方、七尾城兵の徹底抗戦に手を焼いた謙信は内応者をさぐった。
これに遊佐続光が応じ、天正五年九月十五日、続光の手引きによって城内に入った上杉軍は
長続連・綱連父子をはじめとした長一族を討ち取った。

手元に有る本にも『九月十三日、遊佐から「内応承知」の書状が謙信にもたらされた』と書いてあるけど

82 :人間七七四年:2008/01/16(水) 22:45:35 ID:Bf6eXDHn
次はここか。

83 :人間七七四年:2008/01/16(水) 22:52:22 ID:sc166L+w
加賀どころか越前もヤバァイ状勢になってきたので
織田軍内の動揺と内応を恐れて北陸方面の徹底した情報統制をした為に牛は織田の惨敗を知らなかった。
京近くの事ではない事と夜間のしかも豪雨で通行が遮断されていた為に目撃者もおらず噂が広まらずうまく隠匿できた。

84 :人間七七四年:2008/01/16(水) 23:15:06 ID:B879fKTn
一方的に秀吉に押されまくった毛利と違い謙信は信長に滅亡を意識させた唯一の武将
当時の人は、信長に勝てるのは謙信しかいないとおもっていたはず

85 :人間七七四年:2008/01/17(木) 00:13:00 ID:+rIFG4Bu
>81
>なぜ完璧だと言い切れるの
信長公記は基本的に数多の事件を網羅してある史料だから。
仮に手取川が上杉の主張のような大規模なものだったら、少しでも触れられているのが自然。
現に牛一は柴田勢が富樫で放火しただの薙いだだのいう合戦においてどこでもありそうな
話は記している。
また手取川合戦は織田家は柴田軍18000に信長軍30000の計48000、上杉軍は20000程度で織田軍は
数千人の死傷者というのが一般的だが、こんな大規模で華々しい合戦だったら他の軍記が完全に
スルーするのは不自然すぎる。
また謙信以外にも書状の発給があるのが当然では?

>北徴遺文
この文書の内容は他の史料で裏打ちされてたりするの?
歴代古案の謙信の書状では裏打ちとしてどうなのさ。
謙信の書状もいろいろと問題点があるそうだが。

>戦後の加賀国人の動向
手取川合戦があったとされる以前から加賀は一向一揆が盛り返していて、それと謙信は
結んでいる。
家臣化されるものがいたとしても何も不自然なことはないが?

>これに遊佐続光が応じ、天正五年九月十五日、続光の手引きによって城内に入った上杉軍は
>長続連・綱連父子をはじめとした長一族を討ち取った。
>手元に有る本にも『九月十三日、遊佐から「内応承知」の書状が謙信にもたらされた』と書いて
>あるけど
これらはもしかして歴代古案収録の謙信書状の内容を元にした話じゃないか?


長々書いてきたが、自分としては手取川合戦なんてありませんといってるわけじゃない。
現在の状況ではなんとも言えないわけで、上杉が大勝しましたみたいに言うのは
変だろうと思う。

86 :人間七七四年:2008/01/17(木) 06:38:10 ID:fgXOTmrd
>>85
数多の事件を網羅といっても越前&加賀の2大国を二年弱も放置してるので
殆ど説得力ないよ
柴田勝家だって織田家筆頭の重臣なのに二年近くも放置
戦国時代は大抵どこの国でも、月単位で目まぐるしく様々な事件が起こっていた
しかし一切の情報が牛一の耳には入ってこない(?)
これは意図的な物なのか、情報が多岐に渡り過ぎて既にパンク状態だったのか
その理由が前者にしろ、後者にしろ、どうも牛一は北陸情報に強くない
一武将(羽柴)が無断で離脱するというのは、本来大事件の筈
だが、その理由を書こうともせず、ただ諸人が甚だ迷惑して信長が激怒した〜って程度
事件の真相めいた物(なぜ離脱したのか)だって普通なら噂レベルでも知らされるもんだと思う
その一方で、羽柴が畿内〜中国戦線へ回ると
北陸での離脱事件に絡んだ、秀吉本人の想いを丁寧に描写してしまう
案外牛一にとって天正五年八月〜天正七年八月あたりの北陸の二年間は
かなり情報源が限られていたのかもしれない

裏付けという作業は江戸期に編纂された二次史料「上杉御年譜」や軍記物「甲陽軍鑑」などを
一次史料=その時代に生きた人が書き残した史料、によって証明する行為なのでは?
だから(これもwikiで仕入れた情報だが)井上鋭夫は歴代古案、北徴遺文を元に「北越軍談」を否定
そして
>謙信以外にも書状の発給があるのが当然では?
まさにこれ、北徴遺文にある刑部卿法眼頼兼が堀才助に宛てた夜襲の感状をもって、
手取川合戦〜夜襲の成功を明らかにしている

>>『九月十三日、遊佐から「内応承知」の書状が謙信にもたらされた』
>歴代古案収録の謙信書状の内容を元にした話じゃないか?
これの何が問題なの
最近は一次史料を他の一次史料で裏付けしないと駄目って事になってるの?
歴史家による七尾城攻防戦の概要は大抵、遊佐が謙信に内応してるようだが

87 :人間七七四年:2008/01/17(木) 06:40:27 ID:fgXOTmrd
>>85
たまたま信長公記の不自然過ぎるスルーをもう一つ発見したんだが
実は『熊見川の戦い』という戦が天正六年六月二十五日に上月城近くの高倉山辺りで行われ、
撤退中の羽柴軍は毛利軍から激しい追撃を受け、大打撃を蒙った
その大敗振りは毛利軍の武将・玉木吉保が歌に詠むほど、酷い物だったらしい
しかし・・・この戦も何故か信長公記に見当たらない
手取川の柴田同様、秀吉はあっさり軍を退いたようになってる
ここでも都合の悪い敗戦は極力書かないで飛ばしてしまおうとする、牛一の姿勢が感じられる

好意的な解釈もしてみると、どちらの戦も信長の敗戦ではなく一方面軍の撤退戦ゆえに
取り扱う気が起きなかったのかもしれない
そもそも撤退戦は苦戦する物だろう、といった認識が定着していたなら尚更
(でも柴田の刈田狼藉なんて地味な働きはしっかり記載してるしなぁ・・・やっぱ怪しいなぁ)

もう一つ邪推すると、織田軍は手取川〜熊見川までにも手痛い敗戦を散々体験しており
千人が討たれる程度の撤退戦は特筆すべき事では無かったのかもしれない
それに信長の勢力も強大化して毛利、本願寺、離反組をほぼ同時に相手できるまでになった
(ここに上杉が参加すると七尾の後詰が遅れ方が尋常じゃない等、破綻が見受けられるが)
各方面軍が綺羅星の如く著名な武将を数多く抱えた事で、信長の側近く仕えていた牛一も
千人〜二千人足らずの戦死者に含まれるような、マイナー足軽大将までいちいち気に止めていられない
そういった意味での感覚が麻痺していた可能性も有る
麻痺といえば領民への虐殺も大規模になり、家畜を含めた死体の山が街道を埋め尽くし、
動く物が見当たらないほど、とにかく殺しまくる異常な殺戮劇も展開されるようになった
もはや余程の人物でもない限り、その死を顧みてもらえないような雰囲気が、この頃の織田軍には蔓延
手取川や熊見川は、その麻痺が今にも頂点に達し始めた頃、まさに行われた戦のようにも思う

88 :人間七七四年:2008/01/17(木) 10:47:10 ID:LsgOR42A
大打撃なら戦線が崩壊するだろ

89 :人間七七四年:2008/01/17(木) 19:39:18 ID:GJApIOby
源田実の343空みたいなもんか>謙信

90 :人間七七四年:2008/01/17(木) 20:15:50 ID:Djyb0Mh1
>>89
マクロスのバルキリーによるサーカスか?

91 :人間七七四年:2008/01/18(金) 22:06:23 ID:p+l6UNgn
毛利と上杉はよく似ているよね
両者とも一度は誰も止めることのできない勢いの織田軍を完膚なきまでに叩き潰している
しかしその後じりじり押し切られ滅亡寸前。本能寺に救われている

92 :人間七七四年:2008/01/18(金) 22:29:49 ID:gJV6PHiR
>>88
はじめから戦線の維持を諦めて大きく後退する時の戦だから
秀吉はその時に追撃を喰らった
織田本隊(信忠軍)が後方に居たから毛利も深追いせず
秀吉軍は壊滅を免れた
信長公記も長いから途中から方針を変えてたりね
なるべく負け戦は書かないようにしようと
書かないようにしろ!と誰か(信長か勝家)から言われてたりして

93 :人間七七四年:2008/01/18(金) 23:09:08 ID:E7OcqaJ+
また手取川か・・・・・
まぁそれしか自慢できる戦ないのにそれを捏造認定されたらオシマイだもんな

94 :人間七七四年:2008/01/18(金) 23:39:55 ID:1D7Rskfk
信長程度に自慢なんて恥ずかしくてできません。

信玄坊主ぐらいでないとものたりませんなぁ。

95 :人間七七四年:2008/01/20(日) 16:09:43 ID:JCTCWdGu
>>93
ほんとどうしようもないよ。
手取川の戦いなんて毛利にしてみれば熊見川の戦い程度だろ?
熊見川合戦なんて毛利厨でも知らない奴が多いって言うのに(笑)
信長公記に熊見川合戦が乗っていないって言っても当然の事で
信長公記は秀吉の命で創らされた文献だぜ?秀吉大敗なんて書けるかよ。
因みに熊見川合戦は「太閤記」に書かれてる。

それとさ、手取川の撤退と熊見川の撤退では意味合いが違うんだよ。
手取川の場合は飽く迄も畠山氏の援軍に行った訳で、畠山氏が滅亡したら
行く意味がない。上杉に織田の所領を侵された訳でも奪われた訳でもない。
しかし、熊見川の方は織田家が前年落とした上月城を奪われ目に見える形
で撤退と言う名の負けが解るんだよね。

しかしまぁ毛利厨ですら熊見川合戦なんて自慢しない。
毛利の合戦で自慢される合戦ってば大将首取っても自慢されない。
八浜合戦や多々良浜合戦なんて圧倒的に勝ってる筈なのに寧ろ負けとして
記憶されるからやるせないわ。両戦いとも戦後に敵の八浜城や立花城を落
とし大将首も上げてるんだが永続的に領地か出来なかったからな。

それに比べて上杉って何?まともに合戦で敵将を討ったのって、川中島で
武田信繁くらいなものだな。諸角虎定や初鹿野忠次も討ち死にしているよ
うだがどこまで本当かすら怪しい。だって諸角は生きていれば当時八十代
って言う老人。初鹿野も上田原で討たれた初鹿野左衛門尉を引っ張り出し
た可能性が在る。因みに同じく上田原で討たれた板垣信方や川中島後も生
存した小笠原長詮まで討たれた事に成ってる。山本勘助に至っては「あっ
そう…」と言うしかない。

96 :人間七七四年:2008/01/20(日) 17:03:52 ID:oQaGrD4H
>信長公記は秀吉の命で創らされた文献だぜ

   本当ですか

97 :人間七七四年:2008/01/20(日) 17:24:48 ID:cG7/Wudq
このスレの住人はこの程度の人たち

このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
戦国BASARAの毛利元就はオクラカワイイ 毛利の15う [ゲームキャラ]
があくがあくぶうるぶうる2006年度入社のすれ [リーマン]
テイオーの身体能力は日本史上最強だった! [競馬]←またこいつか!




98 :仙台藩百姓:2008/01/20(日) 21:17:39 ID:0AsynglX
両者の死後の状況を見ると元就に比べ謙信はお粗末極まりないと言わざるを得ないおね( ^ω^)
政治能力の差は歴然としてるお

99 :人間七七四年:2008/01/20(日) 21:20:16 ID:JCTCWdGu
>>96
すまんどうやらWikiに踊らされたようだ…。
Wikiの元ネタ?(秀吉の命)は「信長の棺」って言う小説が影響してる臭
い。秀吉が創らせたのは「天正記」の方であった。

ただ太田牛一が慶長12年(1607年)に「自身は信長公、秀吉公に使え今は
秀頼公の臣下である」と書いている。「秀吉の命」と言うのは間違いでは
あるが、当時の世情の中にあって豊臣方で在ったのは確かだろう。

100 :人間七七四年:2008/01/20(日) 21:53:11 ID:x3GMoDFK
熊見川って6万対2万の追撃戦だろ?
元就関係無いし勝って当然だわな。

101 :人間七七四年:2008/01/20(日) 22:22:53 ID:8T+B6aq0
>>95
秀吉が大苦戦した中国戦線【対毛利・吉川・小早川】
これって毛利厨が立てたんじゃないの?
そこの書き込みには
「秀吉のこの戦い(熊見川)の経験が、後の中国攻略に於いて毛利軍との直接的な戦闘を避ける事に繋がった」
ってwiki記事と、よく似た内容のレスが幾つか有る

>上田原で討たれた初鹿野左衛門尉
第四次川中島の戦い
武田軍 大将及び上級武士の戦死者
武田信繁・諸角昌清・初鹿野忠次・望月盛時・安間弘家・三枝守直・油川彦三郎・山本管助

初鹿野は謙信による小田原包囲の際、信玄が氏康へ送った援軍の将
望月盛時は信玄の甥
油川は甲斐の名門
三枝は甲斐源氏が発祥する遥か以前に、大和朝廷から甲斐に派遣された国守級の在庁官人の出身。
三枝守直は武田晴信に仕え、戦功により大抜擢を受けていた

>初鹿野は謙信による小田原包囲の際、信玄が氏康へ援軍として送った一軍の将
これが本当ならこの初鹿野忠次と初鹿根伝右衛門を混同しないのでは

102 :人間七七四年:2008/01/20(日) 22:30:05 ID:JCTCWdGu
あと毛利厨としては折角天下の義将謙信公と比べられてる訳だから、毛利の
義将ぶりも喧伝したいな。謙信が義将(ぶっちゃけそんなものは存在しない
と思っているが…)なら毛利も大概義将だぜ?

しかもその義将ぶりは凄まじい。よく尼子と大内を行ったり来たりと言われ
て居るが、実際は大内方に付いてからは元就は一度も大内方を裏切って居な
い。尼子の全盛期の時代尼子は九ヶ国守護を幕府から賜り、毛利全方位尼子
方の時も頑張った。大友全盛の時代、尼子との熾烈な戦いの中でも九州方面
からの要請に応え遠征し、特に後の上杉中興の祖になる上杉鷹山公の生家秋
月家は実質毛利家が再興したようなもの。他にも南条、河野、三村、山名、
宇喜多など毛利家無しには存在しないくらい援助した(三村家は勢い余って
潰しちゃったけど、裏切ったのは三村の方だし)。

それに比べ天下の義将謙信公が加担した勢力はどうだった?
謙信に利用されるだけ利用されことごとく悲惨な目に追いやられた。
しかも大恩人の上杉憲政は騙し討ちで景勝が討ち取る始末。上杉家は鬼畜!
義将の名乗りを毛利に返還しろ!!

103 :人間七七四年:2008/01/20(日) 23:24:18 ID:an3ksDVZ
敵の敵を支援して使えなくなったら三村みたいに滅ぼしたり秋月みたいに見捨てたりしただけじゃん。

104 :人間七七四年:2008/01/21(月) 00:39:42 ID:agZEZkPR
このスレを立てたのは最強厨か伊達厨である
>102などはまんまとトラップに引っかかっている
島津にも似たようなスレが立ったが、島津オタは冷静にスルーしていた

105 :人間七七四年:2008/01/21(月) 00:40:53 ID:UZxabAn6
敵の敵は味方 by元就

106 :人間七七四年:2008/01/21(月) 01:12:22 ID:vGH8YZi0
⊃尼子や大内残党

107 :人間七七四年:2008/01/21(月) 01:16:53 ID:Ky0TnfXg
上杉(長尾)家 佐渡金山
毛利    家 石見銀山

両家とも貴金属鉱山もってたからあそこまで頑張れたんでしょ

108 :人間七七四年:2008/01/21(月) 01:21:05 ID:p54I1P01
>>102
宇喜多、南条、河野、三村
ここらへんは尽く悲惨な目に有ってんじゃないか?
宇喜多と南条が潰されたのは吉川(毛利の軍奉行)の裏切りが原因みたいだし

景勝はなぁ・・・せめて村上と上条くらいは面倒見て欲しかった
まぁ、佐竹が残っただけ良いだろ

109 :人間七七四年:2008/01/22(火) 16:22:23 ID:HFr6PKwn
>>107
元就の場合は自領300石程度からスタートして100万石の尼子氏から石見銀山を勝ち取った訳だし
一緒くたにするのはどうよ
むしろスタート時から金山で得しまくったのは上杉と、武田

110 :人間七七四年:2008/01/24(木) 17:36:16 ID:LhFZffDn
長尾景虎は直轄領としての金山や銀山を持っていなかったんだが。
上杉謙信として死ぬときも領有していたかどうかは少し怪しい。

111 :人間七七四年:2008/01/24(木) 22:35:11 ID:UfTc1Lmr
謙信の場合は、直江津が大きいぜ。

112 :人間七七四年:2008/01/24(木) 22:51:30 ID:vtkcSdyn
元就は長生きしたらライバルみんな死んじゃっただけ。
50歳過ぎたあたりではもう周りはザコしかいなくなってたじゃん。
そんで年長者元就は地域の大御所みたいなもん。

113 :人間七七四年:2008/01/25(金) 00:50:04 ID:6Xg+CsRY
そういう面もあるだろうけど、
例えば厳島合戦はそれだけでは説明できないぜ。

114 :人間七七四年:2008/01/25(金) 05:02:02 ID:nbhiVNdy
>>112
謙信は信玄より長生きしてライバルが死にまくっただけ。
気付いたら北条も武田も若造の雑魚が当主で余力が出来てようやく北陸の大御所になったようなもん

それと健康管理も武器の一つなんだよ。
北条・毛利が残した家訓や家康の健康管理を見れば寿命が武器って理解できるだろ。
塩漬けの梅干を肴にし酒を飲んで健康を害して寿命を縮める行為はどうなのかねぇ?
北条早雲毛利元就も酒は害と見なして遠ざけてるけど。
早雲は仕事の前に軽く一杯飲むと仕事がはかどってよいと遺してるのかな確か。

115 :人間七七四年:2008/01/25(金) 05:10:10 ID:Ool6w4dN
>>114
塩分取りすぎが体に悪いとか医学的な事なんて昔の人は知らないんじゃねーの?
寒い越後だから酒は必須だろ!
つか人生50年時代なんだから謙信は平均寿命だから酒や塩が原因の短命とは言わない。
元就は人生を2回やってるようなもんだろ。人脈と財産を引き継いだまま少年〜青年期だけをすっ飛ばして人生やり直しすりゃあ教訓と経験で普通はうまくいくだろ。


116 :人間七七四年:2008/01/25(金) 07:54:16 ID:ikQ8y1ts
長生きは努力の賜物。特に元就の家系は早死にしたのが多かったんだから、尚更。
つーか「元就は長生きだからズルい」って理論はアホ。
「元就は頭がいいからズルい」っていうのと同じくらいアホ。

117 :人間七七四年:2008/01/25(金) 08:52:42 ID:mfdc/QD6
毛利と上杉は同盟国同士なんだから仲良くしとこうぜ

118 :人間七七四年:2008/01/25(金) 14:44:04 ID:PvpJVB+U
元就が評価されてる部分って寡兵での合戦の勝率と領土の膨張率だろ。
その二点なら直家のが上じゃね?

119 :人間七七四年:2008/01/25(金) 15:45:01 ID:nbhiVNdy
少なくとも酒毒は分かってるから飲まないのが一番いいでしょ。
結果元就は長生きしてチャンスを伺い勢力拡大した訳で。因みに53でようやく安芸一国をまとめるので謙信の一生分を生きてる。



120 :人間七七四年:2008/01/25(金) 17:07:48 ID:ikQ8y1ts
>>118
元就の場合、単純に「寡兵で大軍に勝つ」というだけでなく
敵勢力の総大将を戦術レベルにおいて死亡させ、戦略レベルでの大逆転を成し遂げたのが凄すぎると思われ
↑の代表格といえば、信長が義元を討ち取った桶狭間だけど
元就の場合は有田合戦で武田元繁、厳島合戦で陶晴賢と、二度までも成功させている。
戦国史上最高の用兵家の一人である事は疑いようがない。

領土拡張率も普通に元就のが上じゃね?
有田合戦当時の毛利家が三千石程度、しかも元就は当主でなく
全体の半分以上は有力家臣に占有されてたような状態。
いや、俺も直家好きだけどさ。どっちも謀略家なイメージばかり先行してるけど
実際は戦上手だよね。

121 :人間七七四年:2008/01/25(金) 17:41:01 ID:GHiR40kd
義元、武田元繁、陶晴賢
こいつらがそうとう無能なだけ。
戦場で討ち死にってどんだけアホだよ・・・油断してるにも程がありすぎ。
陶なんかは吉凶を占って攻める攻めないって言うのも吉日を選んでたらチャンスを逃したらしいしな。



122 :人間七七四年:2008/01/25(金) 19:04:01 ID:ikQ8y1ts
謙信の最大の戦果って川中島で武田家No2の武田信繁を討ち取った事じゃん。
「凄い勝ち方したのは負けた相手が無能だから」で片付けたらいかんよ。
「凄い勝ち方出来ない奴は無能」の方が、なんぼか正しい。
元繁は名目だけの守護から独力で20万石相当にまで勢力を伸ばした勇将だし
晴賢は大内家100万石を乗っ取り、対尼子氏においても戦功を立てた「西国無双」の名将。
どちらも無能とは程遠い人物。言うまでもなく、今川義元もね。

123 :人間七七四年:2008/01/25(金) 19:19:04 ID:nbhiVNdy
>>121
そのコピペ飽きたよ(´・ω・`)


124 :人間七七四年:2008/01/25(金) 20:48:32 ID:Ool6w4dN
そもそも元就よりも大内義興や大友宗麟の方が有能だと思うが…

125 :人間七七四年:2008/01/25(金) 22:51:08 ID:nbhiVNdy
>>124
そう思う根拠も書いてくれなきゃ説得力が著しくかけている

126 :人間七七四年:2008/01/25(金) 23:16:37 ID:2a0qtZhW
>>125
大内は別として、大友とは直接対決で負けたからな。

127 :人間七七四年:2008/01/25(金) 23:39:41 ID:ikQ8y1ts
大友に負けたって何の冗談よ?
本国における尼子残党の内乱で止む無く吉川小早川両軍が撤退しておきながら
それでも大友は九州の毛利領土を奪還出来ず
講和でも門司の毛利占有を認めざるを得なかったんだぜ。つまりは思い切り領土侵略されてんの。
それでも対尼子、対大内が完全勝利すぎるからって、大友に負けたとか酷すぎる。

128 :人間七七四年:2008/01/26(土) 00:26:55 ID:yiWg6/A8
大友の戦略的勝利だろ。
だって残党煽って撤退に追込んだんだろ。

129 :人間七七四年:2008/01/26(土) 01:09:03 ID:q689dZkV
勝ちな訳ない。両川が九州に滞在してた間は大友は連戦連敗で博多が陥落寸前。
尼子残党の蜂起は織田の援護だとか大友の策謀だとか諸説あるが
どちらにせよ両川撤退後も、毛利の侵攻スピードが止まっただけで大友は全く領土を奪い返せてない。
ちなみに立花道雪の大活躍は立花家の文書にしか記載されてない、謙信の手取川並に眉唾もんの代物。
どっちにしろ野戦で負かしたはずの両川は元気に本国帰って、そのまま尼子残党を鎮圧。
城は一切落とせてないってんじゃ話にならん。実際の戦果はゼロ。両川の撤退を「俺が追い払った!」って宣伝しただけ。

まぁ毛利相手にして領土奪われただけで滅ぼされなかったんだから御の字かな。
尼子大内に比べりゃ大友は外交やら策略やらで頑張って講和に持ち込んだんだから立派。
ってか元就にとっての大名同士の勝ち負けの話って謙信とはスケール違いすぎるんだよな。
もっと細かいレベルで比較しようぜ。

130 :人間七七四年:2008/01/26(土) 02:25:11 ID:BWg6+JuW
>>129
>もっと細かいレベルで比較しようぜ。

上杉ヲタの人たちは乱立しているスレに対応するのに手いっぱいです
ので、尼子、大友、大内ヲタと議論して欲しいです。


131 :人間七七四年:2008/01/26(土) 02:46:24 ID:NG3V/als
>>129
やっぱり大友の勝ちだろ。
ワザと負けて懐に誘導して
後方で工作して
目の前の敵を孤立させ撤退に追い込んだんだから

132 :人間七七四年:2008/01/26(土) 03:18:59 ID:oJ/pFp14
わざと負けて領土とられて相手が帰っていったら大友の勝ちとかどんだけ無茶苦茶な事をww

釣られたクマー

133 :人間七七四年:2008/01/26(土) 05:37:42 ID:8+fIj9Rc
謙信って潔癖症だから敵と同じレベルで勝とうとしないだけだな。
ようやく織田相手で謀略を選んだその初キッスにして手取川の敗走という成績。

謙信が目覚めるのがおくれたのが元就厨には幸いだったな。


134 :人間七七四年:2008/01/26(土) 07:51:25 ID:drMFJkHW
ひとつ言えそうな事
春日山に元就が生まれたら生き延びれなかっただろう
吉田郡山に謙信が生まれたら、これも生き残れなかっただろう

135 :人間七七四年:2008/01/26(土) 09:03:12 ID:EAD7UPPV
>>133
毛利、上杉の離間工作見え見え、島津スレからあのAA借りてこよう。

 ゚ 。 ,∧_∧ ゚。
 ゚ ・(゚´Д`゚ )。 糞工作員からみんな逃げてエエ!
    (つ   ⊃
     ヾ(⌒ノ
      ` J


136 :人間七七四年:2008/01/26(土) 12:25:39 ID:oJ/pFp14
>>135
今時こんな釣りに引っ掛かる奴はいないと思うよ(´・ω・`)


137 :人間七七四年:2008/01/26(土) 12:31:12 ID:yiWg6/A8
謙信が郡山城に生まれたら
尼子と大内の侵攻と真正面から激突して圧倒し、気がついたら兄より優秀なんで国人から国主に擁立され安芸を統一し、その間に上洛を数回行い近衛と意気投合して安芸にやってきてたろう。
越山と言う面倒くさい事もないので楽勝だ。

138 :人間七七四年:2008/01/26(土) 12:46:46 ID:oJ/pFp14
>>137
むしろ井上の専横にいじけて出奔

139 :人間七七四年:2008/01/26(土) 14:07:45 ID:jGEo6TGM
>>134
どちらも信用できないような国人領主が多い中、
当主としてそれらをどうにかまとめ、領土の拡大にも成功している。
どっちの場合も生き残れないなんて事はないと思うが。

140 :人間七七四年:2008/01/26(土) 14:29:45 ID:q689dZkV
謙信が有田合戦に勝てる訳ねー

141 :人間七七四年:2008/01/26(土) 14:37:48 ID:EAD7UPPV
 ゚ 。 ,∧_∧ ゚。
 ゚ ・(゚´Д`゚ )。 糞離間工作員からみんな逃げてエエ!
    (つ   ⊃
     ヾ(⌒ノ
      ` J


142 :人間七七四年:2008/01/26(土) 15:08:43 ID:yiWg6/A8
甲斐の虎ならいざ知らず
安芸の武田なんて楽勝www

143 :人間七七四年:2008/01/26(土) 17:42:53 ID:oJ/pFp14
>>142
もう少し歴史のお勉強しましょうね(*‘ω‘ *)

144 :人間七七四年:2008/01/26(土) 18:17:33 ID:WnPxmuhr
>>121
結果が全てだろ。
「〜に勝てたのは相手が無能だったから」「〜に負けてしまったのはまだ若くて経験不足だったから。経験豊富な壮年の〜に負けるのも当然だろ」
「〜があまり領土広げられなかったのは周りが強敵だらけだったから」
「〜が1代であんなに領土広げられたのは周りに雑魚しかいなかったからだろ」
「〜は長生きしたら天下取ってた」
全部言い訳。
こんな補正かけたら、いくらでも都合いいふうに歴史は捻じ曲げられてしまう。

145 :人間七七四年:2008/01/26(土) 18:27:36 ID:+zpxwj+s
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1182909668/17

146 :人間七七四年:2008/01/26(土) 21:24:36 ID:68hzSkfk
上杉みたいな口ばっかな奴は好かん

147 :人間七七四年:2008/01/27(日) 01:50:31 ID:hsCBxr8P
w元成だろまず口先で相手をおとしいれ忙殺。

148 :人間七七四年:2008/01/27(日) 02:00:39 ID:S59lCPS/
武田元繁て、偵察が過大報告だったり、流れ矢で討ち死にしたり、脇甘いなあ。。

そんな棚ぼた式に初陣伝説飾ると後々楽そう。

景虎の四面楚歌のそれと違って。

149 :人間七七四年:2008/01/27(日) 08:45:56 ID:y5dLALWp
つか謙信の武勇に惚れて武田元繁が養子にしてくれますので元就を瞬殺します。

150 :人間七七四年:2008/01/27(日) 17:13:37 ID:Ps4uRUW+
毛利と上杉は同盟国同士!
真の敵は現在大河の恩恵に与りながら「鬼石曼子」のおかげで大河モザイク野郎
にされてる島津一派と、時期大河の主役で信玄をスルーするような上杉方の裏切
りに怒り心頭の武田厨達だ!!

151 :人間七七四年:2008/01/27(日) 17:28:48 ID:RQSIUJ9R
上杉ファンは、宝在心に敬意を払って、
つまらぬ煽りあいに参加せぬこと

152 :人間七七四年:2008/01/28(月) 12:32:38 ID:3buqs0Gl
そうだ上杉、毛利の敵は信長だ。

史実にならって共同戦線をはるのじゃ。

中高生信長ゲームくされ脳ニワカを撲滅するのじゃ。

これに武田、北条、一向宗、そして将軍様もどうぞ。

伊達はまぜてあげない。あの血筋は信用できんw(最上w

153 :人間七七四年:2008/01/28(月) 18:02:12 ID:blqAFV6F
毛利元就も上杉謙信も好きなんで

元就は一流の政治家で二流の軍人
謙信は一流の軍人で二流の政治家

みたいに勘違いしてる奴には腹が立つ。史実から判断する限り
元就の内政手腕は特に目立ったものではなく(息子の隆元と隆景は凄い)
輝かしい武勲を数多く誇る生粋の軍人気質。
謙信は港を駆使して交易で多大な富を得た男で
一方で戦では目立った功績がない。利益に乏しい出兵を何度もできたのも、その経済手腕があってこそ。

なんか英雄としての実像よりも
ゲームや漫画でのキャラクター像を好きになってる人が多い気がするな。

あと毛利は上杉と組んでた時期より織田と組んでた時期のが長いんじゃね?
まぁ江戸期でも名門大名として残った勝ち組同士仲良くやろう、ってんなら分かるけどさ。

154 :人間七七四年:2008/01/28(月) 18:07:01 ID:blqAFV6F
あ、ごめん。上杉も織田と組んでた時期のが長いわ。
何だかんだいって「謙信=同盟裏切って敵対したりしない義将」ってイメージが頭にこびりついてたのかも。

なんにせよ、変な派閥意識なんか持たずに仲良くやりましょうや。

155 :人間七七四年:2008/01/28(月) 18:14:16 ID:9sdVP1th
>153
元就は内政は検地を旧大内領でやったくらいしか知らんなぁ・・・。
外交は結構やり手だと思うが。

156 :人間七七四年:2008/01/28(月) 19:09:21 ID:P1t6PCEn
>>153
毛利厨の私もその考え方は少し納得できる物がある。

謙信の凄さはやはり政治家としての凄さだよ。戦では目立った功績がないと言う
のは織田や毛利、島津、北条、武田など劇的な戦果と比べた場合の話しであり、
その機動力や遠征能力、攻城の上手さ等総合的に考えれば戦国トップクラスに成
ると思う。

現に戦争とは飽く迄も政治の延長線上のものであり、戦略に於いても謙信は素晴
らしい。川中島では決戦をしたが、謙信の基本的な姿勢は決戦より寧ろ囲碁のよ
うに軍事行動により相手を制すもので負けない戦術であったと思う。

又、財政面では座や流通経路の確保に素晴らしい面を見せた。謙信は2度上洛した
が、その時も数千人単位で上洛させている。これほどの大規模な上洛行為がで来
たのは、畠山、一色、山名、大内、六角、三好、織田、朝倉、武田(若狭)程度
で遠征となれば織田と大内くらいであろう。謙信はこの時、特産物の座の交渉な
どしており唯上洛した訳ではない。

157 :人間七七四年:2008/01/29(火) 13:55:55 ID:iU2klrY9
用兵の匠みさで敵将を圧倒するから籠城に追い込まれるんだろう、戦歴が攻城戦がほとんどってのは。

敵味方問わず犠牲を最小限に押さえるのは最上策。

158 :人間七七四年:2008/01/29(火) 15:05:42 ID:3O0hp3mo
なに?他を褒める事を知らない厨房が謙信公を大絶賛したのに、その攻撃的な
レスはなに?ここは上杉厨も元就様を賞賛するところだろ!許さん!!

言わせて頂ければ、古今東西関わらず野戦より遥かに攻城戦の方が被害が大き
いです。ただ、指揮官が前面に出ない攻城戦は指揮官の死亡率が低いって言う
だけ。更に言えば、謙信公の攻城戦は敵の殲滅より「交渉」によってもたらさ
れた勝利と言う名の撤退が多いように感じる。わたしも詳しく調べた訳では無
いので飽く迄もざっと見た印象ではあるが、陥落させても又同じ領主と同じ城
で戦争を繰り広げている。

他の覇道系の大名、織田、武田、毛利、島津、伊達などの攻城と一緒に述べら
れるのもではないと思う。

159 :人間七七四年:2008/01/29(火) 16:38:44 ID:BC5SUwh3
>用兵の匠みさで敵将を圧倒するから

まず「謙信は用兵が巧みだから」なんて根拠ゼロの仮定から妄想を始めるのが痛すぎ
「謙信には大した戦果がない」→「用兵が巧みじゃないから」となるのが自然
野戦(有田中井出・厳島)攻城戦(第二次月山富田城)篭城戦(吉田郡山)
全てにおいて輝かしい戦績を誇る元就と戦術能力を競うなんて無謀もいいとこ

上のレスでも書かれてるけど謙信の真髄とは経済力だよ
「謙信は戦で最強!」なんて抜かしてるのは史実の謙信が好きなんじゃなく
ゲームや漫画の「うえすぎ・けんしん」が好きな厨房
雪深い越後の地で特産品などを開発して莫大な富を築いた謙信の凄さを分かれ!と言いたい

ちなみに「元就と謙信が入れ替わって生まれたら」というIF妄想についてだが
二人とも不遇な生涯を送るとは思えないな
共に兄(兄の息子)からの権力移行も潤滑に行えてるし、色々問題多い家臣団をなんとかまとめていたという共通点もある
まず元就だが、越後に攻めてくる敵が武田信玄程度なら負けんだろうし(織田が来ると微妙
神保氏などを相手に領土拡大も問題なく行えるだろう
ただし、関東出兵などの遠征を支える経済力は養えなかったと思われる
よって、結局は北陸地方の過半を制する程度に落ち着くのではあるまいか

逆に謙信は有田合戦に勝つのは不可能だろう(というより勝てるのは元就と信長くらい)
しかし権威を重んじる謙信の性格を考えれば、安芸守護である武田元繁に臣従する道を選んだとしても
功臣として活躍するのではあるまいか。なんせ中国地方は畿内に次いで発展しており(現存する城の構造などで明らか
海に囲まれて交易が盛んな地方。越後以上に謙信の経済手腕を発揮できるだろう
大勢力の頂点に立てるか?と問われれば疑問が残るが
一豪族の毛利家を、格段に権威が上の有力家臣(武田なり大内なり)に成長させる事は可能だろう

ようするに「どっちも成功するけど、やはり本来の栄華に比べれば微妙になる」が俺の妄想

160 :人間七七四年:2008/01/29(火) 16:54:02 ID:BC5SUwh3
とりあえず元就と謙信が兄弟だったら
「酒の飲みすぎは身体に毒だぞ」って元就が謙信を嗜める手紙が残ってそう
そんで謙信が史実より長生きする

161 :人間七七四年:2008/01/29(火) 22:30:39 ID:QRnhv9al
その前に、謙信によって家督を奪われるイベントが待ってるけどなw

162 :人間七七四年:2008/01/29(火) 23:06:48 ID:iU2klrY9
有田では追い詰めたのに元繁が調子こいて流れ矢に当たっただけ。もうギリギリだし、鮮やかじゃない。

月山富田、吉田郡山。その攻城戦で謙信連勝。


厳島は陶がぽっと出。

163 :人間七七四年:2008/01/30(水) 02:06:14 ID:0JWqLC8y
と言うか謙信の連勝って何よ?
あれが他の大名なら敗戦撤退扱いばかりだぜ?
まともに城代置けて占領できた戦いを振り返ってから言った方が良いんじゃねえ?
結果的に謙信の時代に上杉家並びに勢力圏の領地を悉く取られて「勝った、勝った」
って根拠も無く言ってるだけじゃん。

164 :人間七七四年:2008/01/30(水) 02:13:03 ID:0JWqLC8y
丁度良いのが在ったわ。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/uesugi-n/sugi906.htm
これでも見てみろよ。まともに勝って占拠できた戦いなんて殆んど無いのが解るから。

165 :人間七七四年:2008/01/30(水) 10:33:23 ID:7Cx05DZl
つーか謙信厨って戦の強弱の話しかしないね
しかも謙信の戦については具体的に語らずに、信長とか元就とか他大名の戦にケチつけるだけ
ホントは史実の謙信なんかどーでもよくて
ゲームや漫画で戦最強扱いされてる謙信の虚像が好きなだけなんだろな
謙信の女性説でも仲間内で熱く語って、専用スレから出てこなきゃいいのに

166 :人間七七四年:2008/01/30(水) 10:39:31 ID:TRyvrqBU
謙信最強説は戦国〜江戸時代の方が多く語られてたのでは?
ゲームや漫画はその反映に過ぎないだろう

167 :人間七七四年:2008/01/30(水) 10:48:00 ID:7Cx05DZl
一緒じゃん。講談なんて現代におけるゲームや漫画と同列。娯楽・創作だから

ま、本当に上杉謙信好きな人には気分悪いレスしてスマソ
つーか俺も謙信好きだから腹立つんだけどね
真田幸村好きだ〜美形で格好良い〜とか言ってるの見ると変な感じじゃない
実際はヨボヨボの爺様で、死に際のバンザイアタック以外には活躍が皆無なんだぜって突っ込みたくなる
そして、そんな人間臭い最後に一花咲かせた戦争爺な真田信繁が好きなのに
ゲームや漫画しか知らずに美化されまくった真田幸村を史実と勘違いしてる奴がいたら…
このスレの謙信厨の言動を目にしていると、大体そんな感じの気分になる

168 :人間七七四年:2008/01/30(水) 11:11:41 ID:TRyvrqBU
謙信は癖のある人物だからいろんな見方があるのでしょう
>>163のような意見も元就・信玄・信長とかならいいかもしれんが
謙信は崩壊した権威の元で関東管領業務なんぞやっとるからなw

169 :人間七七四年:2008/01/30(水) 14:10:59 ID:xv1drMQC
164に載っている「生野山の合戦」は本当にあったのか、後北条研究家
こそ氏康無敗説を唱えている。

「謙信厨」という言葉はゲームヲタらしき人たちが来てから、あるアンチ
のグループが半年くらい前から言い出した。
以前のアンチは「上杉厨」と呼んでたものだが。

170 :人間七七四年:2008/01/30(水) 14:30:05 ID:0JWqLC8y
うむ、まあそうだな。
謙信最強伝説は戦国期〜江戸時代の歴史的背景も知らないと中々理解出来ないと
は思う。ただ謙信の生涯は実質40万石程度の地盤ではあったが、その活躍ぶりは
100万石クラスの大名と比較しても光っているのは確か。

また後継者問題は御座なりに成ったが、御陰で景勝・直江と言う優れた指導者を
排出した。超名門の上杉の家名を名門のまま後世に残せた偉業は他の名門大名の
家名が、悉く現代の記憶から消え去った現在を鑑みても異常な事である事が理解
できる。

しかし、戦国最強かと聞かれれば私はそれは無いと答えるしかない。やはり織田
が戦国最強であり、戦歴を見れば島津の戦歴の凄さや毛利の軍事力の凄さは他の
追随を許さない。特に個人では元就の戦歴や生涯は最強に相応しいものだと思っ
ている。

171 :人間七七四年:2008/01/30(水) 15:08:26 ID:Yailax2J
バカ毛利ヲタの話はあきた

172 :人間七七四年:2008/01/30(水) 15:59:18 ID:kpkmdqqG
>>170
最強厨は暇をもてあましているみたいだから、これでもスレ1から見ていろ。
          ↓
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1182909668/17

毛利と上杉は信長に対して同盟関係にあったことでもあり比較する意味なし。

173 :人間七七四年:2008/01/30(水) 18:29:37 ID:0JWqLC8y
なんだよ、この逃げは?禄に謙信の事も語れない癖に謙信厨語ってるんじゃねえぞ!

174 :人間七七四年:2008/01/30(水) 19:08:07 ID:c08j9R64

ID:0JWqLC8y=ストーカー男www



175 :人間七七四年:2008/01/30(水) 20:45:36 ID:65wBq11Q
>>1
関東出兵は確かに何の成果もないし戦略的に失敗だったと思うが、
北九州は失敗か?

176 :人間七七四年:2008/01/30(水) 22:37:44 ID:jhecDSji
北九州失敗だろ。
数々の戦術的勝利を村上水軍への諜略や幕府との外交で覆されたんだから。

177 :人間七七四年:2008/01/30(水) 23:21:09 ID:mKMTD+S7
吉凶日を選んだりクジで戦略決めたりする九州中国地方のシャーマニズム戦争は畿内・関東に比べて遅れているので島津・毛利は語る価値すらない。

178 :人間七七四年:2008/01/30(水) 23:29:49 ID:mKMTD+S7
平等に比較するなら双方の48歳までの領土実績で検討すべきだろ。


179 :人間七七四年:2008/01/31(木) 00:39:24 ID:05Q3eNOx
いや、平等に比較するならその生涯全体で評価すべきだよ。
長生きしたということは、それだけ永い期間に及んで成功してきた、
失敗をあまり犯さなかったということであり、その点はむしろ高く評価すべきだ。
中には若い頃は立派な人物だったのに、晩節を汚して評価を下げる者も少なくないのだから。

180 :人間七七四年:2008/01/31(木) 00:51:20 ID:bja1o2rT
 ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
             /": : : : : : : : \
           /-─-,,,_: : : : : : : : :\
          /     '''-,,,: : : : : : : :i
          /、      /: : : : : : : : i     ________
         r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i    /
         L_, ,   、 \: : : : : : : : :i   / ID:0JWqLC8y, ID:65wBq11Q
         /●) (●>   |: :__,=-、: / < ID:mKMTD+S7等は仲間だ。いつも同じことを

        l イ  '-     |:/ tbノノ    \ 書いている。飽きたよ。
        l ,`-=-'\     `l ι';/      \  
        ヽトェ-ェェ-:)     -r'          ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ヾ=-'     / /
     ____ヽ::::...   / ::::|
  / ̄ ::::::::::::::l `──''''   :::|


181 :人間七七四年:2008/01/31(木) 01:21:12 ID:nlhazKH3
簡単な話
武田元繁と・陶隆房・尼子義久
がアホなだけだろ。
毛利厨のイタイところはこいつらが自爆しただけなのを
元就の武略だと言い張るトコwww

182 :人間七七四年:2008/01/31(木) 01:34:43 ID:yRSkQ1E0
残念だけど格下すら倒せず、戦争では確かな記録としては信繁以外大将首を
取れなかった上杉と違って毛利は上記以外にも沢山の大将首を取っています
がなにか?^^

183 :人間七七四年:2008/01/31(木) 01:45:35 ID:c3uLPhFW
ID:nlhazKH3= ID:yRSkQ1E0
   . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
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      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄


184 :人間七七四年:2008/01/31(木) 01:57:00 ID:c3uLPhFW
ID:nlhazKH3= ID:yRSkQ1E0
   . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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185 :人間七七四年:2008/01/31(木) 02:16:49 ID:zp3Pxv3l
>>182
>各下さえ倒せず


それはないわw

186 :人間七七四年:2008/01/31(木) 02:44:41 ID:zp3Pxv3l
>>182

ひんと

しゅごだい

かんれい

187 :人間七七四年:2008/01/31(木) 02:47:24 ID:W/krIawc
>>169
北条研究家は領国経営などに熱中して、
個々の戦歴なんてあまり見てない奴が多いと思うが。

188 :人間七七四年:2008/01/31(木) 02:49:40 ID:0PQ1VZ3/
別にどっち派ってわけでもないが、その連続レスになんか>>185-186の焦りっぷりを感じる。

189 :人間七七四年:2008/01/31(木) 03:06:00 ID:zp3Pxv3l
ごめんね。
元就ファンに謙信タソ褒められたかっただけ ノシ

190 :人間七七四年:2008/01/31(木) 03:21:52 ID:nlhazKH3
>>178
元就の場合は小早川家に養子出したくらいの事しかしてねーもんな。
長生きしてたらみんなが勝手に衰退しただけ。

191 :人間七七四年:2008/01/31(木) 05:34:06 ID:+oYRp+of
>>181
その三人は大した実績もねーザコ。
武田信玄・北条氏康・一向衆・揚北衆・守護上杉派・上田長尾に比べたら楽勝だろ。

192 :人間七七四年:2008/01/31(木) 05:43:26 ID:+oYRp+of
50歳くらいになりガキが成長してきたので婚姻養子同盟をしてたら周りの怖い人達がみんな死んで気づいたら地域の長老になってて頼られてました。
そしたら大内も尼子も権力闘争で自壊をはじめて急速に衰退。
棚からボタモチの一生だっただけ。

193 :人間七七四年:2008/01/31(木) 07:10:43 ID:L2bIHn3v
大内は自壊だけど尼子は違う。
元就が和睦を一方的に破って石見に攻め込み壊滅状態に陥らせた。
おかげで尼子残党という負の遺産を輝元に受け継がせるはめに。

194 :人間七七四年:2008/01/31(木) 07:20:50 ID:b+JyY47K
>>192
同じ事ばっかり書いてないでたまには変化つけろカス

195 :人間七七四年:2008/01/31(木) 07:41:17 ID:17UA1jt/
上杉の家中って、元就の良い的になるかもなあ。
何とか正面からぶつかりたい謙信、飄々と切り崩す元就
戦以外のとこで決着つきそう

196 :人間七七四年:2008/01/31(木) 08:23:50 ID:eVXxcbjm
新宮党って正しく謙信配下の強盗集団っぽいな。

ちなみに、武田元繁は雑魚じゃねぇよ。ただ、ちょっと本人が頭が弱かったから、運悪く討ち取られただけ。運良く討ち取った毛利も、即座に切り返して射殺す采配を見ると運だけではないよね。(85%運だが)

197 :人間七七四年:2008/01/31(木) 11:18:26 ID:fn2+YnMl
本人同士は仲良くなりそうだ、なんとなく

198 :人間七七四年:2008/01/31(木) 13:05:50 ID:+oYRp+of
経久の孫だった尼子晴久が長生きしてたら銀山の奪い合いをひたすら繰り返し続け
毛利は疲弊しさらに寿命で元就が先に死ぬ→毛利滅亡だったのは間違ない。


199 :人間七七四年:2008/01/31(木) 13:21:34 ID:Z9s4Z+Om
>>198
尼子も毛利も宇喜多に喰われる。




200 :人間七七四年:2008/01/31(木) 13:30:08 ID:yRSkQ1E0
>>195
その発想自体違うって、謙信の基本戦略は決戦回避の調整型だよ。
元就は決戦重視の謀略型だからやり合ったら…
というかこれってば謙信VS信玄でもう大体やったて感じ^^

201 :人間七七四年:2008/01/31(木) 13:36:48 ID:b+JyY47K
晴久は評価しなおす必要はあるよ。ななかなかの人物だと俺は見てる。
浦上や毛利と戦いながら領土を何気に取ったり守ったり新宮党無くても全然上手くやってる。
しかも有力な親戚衆を抹殺したことにより跡目争いの芽をつんだ。
そういう意味では毛利の新宮党謀殺は過大な評価かな。そもそも本当に毛利の謀略かも定かじゃないけど。
斎藤義龍同様早死にさえなければね…。


202 :人間七七四年:2008/01/31(木) 14:14:21 ID:OuuyhO63

   . . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
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 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄



203 :人間七七四年:2008/01/31(木) 19:00:19 ID:nc/W6LNF
レス読んでると上杉厨の知識の無さに唖然とする
まあ上杉謙信なんてメジャー武将、知識がなくてもファンになれるからな
言っちゃ悪いが毛利元就なんて、ある自分で調べて知識がある奴じゃないとファンになれん

204 :人間七七四年:2008/01/31(木) 19:17:20 ID:nMajIE7n
>>200
それは謙信が出てくるとみんな逃げて城に篭るだけでは?w

205 :人間七七四年:2008/01/31(木) 19:56:14 ID:L2bIHn3v
元就ヲタも謙信ヲタも同類。戦が強いだけのメジャー武将厨。
毛利は長州に減封されるまで国人一揆に過ぎないし、謙信は信玄、氏康に良いように勢力圏を削られるような領国経営ど下手糞。
双方とも周辺大名にちょっかい出して包囲網作られるアホっぷり。

まあ、政宗厨よりはマシかもなww

206 :人間七七四年:2008/01/31(木) 20:03:50 ID:pcval7ro
謙信は確かに関東の領国経営は芳しくないかもしれないが、
越後に限ってはかなり評価出来る筈。

207 :人間七七四年:2008/01/31(木) 20:22:13 ID:L2bIHn3v
越後は謙信の代になる以前から栄えていたわけだが。
それに、北条(一回目)?大熊?本庄?
信長並に裏切られてんな。

208 :人間七七四年:2008/01/31(木) 22:33:10 ID:Ppv7QZOV
そら長尾為景が国人衆から総スカン喰らって隠居に追い込まれた後だしな
信玄でさえ板垣を制御出来ず、勝沼、飯富、穴山に裏切られた

209 :人間七七四年:2008/01/31(木) 22:47:56 ID:Ppv7QZOV
信玄の調略が上手く行ったのは立地条件によるもの
川中島でも二次と三次の間、大雪が信越国境を塞ぎ、謙信は四月半ばまで出兵できない
逆に信玄は一月〜四月まで攻城、調略し放題
これが決定的になった
謙信は関東方面も「北国第一の険」三國峠&「坂東太郎」利根川に塞がれてるから、さらに厄介

謙信が上田長尾を屈服させ、中越と上越を不完全ながら纏めた頃、
信玄は北信濃、氏康は上州北部に手をかけてる状態だし

元就と謙信を比較するにしても、
互いの立地条件や領土拡大の進捗次第で大きく変わってくる

210 :人間七七四年:2008/02/01(金) 09:28:17 ID:kKhyWIxh
新潟は素晴らしいスキー場だらけだ。
謙信がスキーを開発したら無敵。それで利根川も渡河できたら神。

211 :人間七七四年:2008/02/01(金) 15:51:15 ID:kKhyWIxh
とりあえず君達は上越国境の谷川岳や信越国境の妙高高原を視察しに行きなさい。上信越国立公園のキツさは異常。
そして草津温泉や水上温泉でゆっくりした後に利根川上流から群馬県を縦断しなさい。
厳しさがよく理解できるから!

212 :人間七七四年:2008/02/01(金) 16:23:55 ID:suPpzYW5
>>207
大熊は裏切りというより
派閥争いで追い出されたって感じだな。
実際謙信は土地争いについて、
大熊寄りの裁定を下してる。

本庄は家臣というより盟友に近い。
戦略で謙信を離れ武田についたようなもの。

213 :人間七七四年:2008/02/01(金) 16:35:34 ID:rJW/5Iy5
そういえば猛将と言われている柿崎景家も
政治の方が活躍してる気がする

214 :人間七七四年:2008/02/01(金) 17:08:26 ID:suPpzYW5
上杉は武勇の将が多いとか言われてるけど、
本当は政治手腕を持った家臣が多かったのかも。

215 :人間七七四年:2008/02/01(金) 17:40:58 ID:EDfGqmOb
謙信が元就の内応にひっかかる気配が全然ないんだが。。

216 :人間七七四年:2008/02/01(金) 18:14:24 ID:AMQ2jjJh
>>215
比較厨乙。佐竹スレからようこそ

217 :人間七七四年:2008/02/01(金) 18:51:03 ID:EDfGqmOb
織田オールスターズ到着のプレッシャーのなかで四色家の加賀守護諜略に成功している。

信玄逝去隠匿をたった二週間でスッパ抜いている。

218 :人間七七四年:2008/02/01(金) 18:53:21 ID:suPpzYW5
上杉の場合、
スッパ抜く→ノキザル抜くw

219 :人間七七四年:2008/02/01(金) 18:55:35 ID:EDfGqmOb
>>217

すまん能登守護のまちがひだた。

220 :人間七七四年:2008/02/01(金) 23:07:38 ID:DQ4UPEBX
毛利元就対上杉謙信の戦い・・・

ありえん。

221 :人間七七四年:2008/02/02(土) 00:24:11 ID:VuQNYjUV
ID:EDfGqmObは何でキョドっているんだ


222 :人間七七四年:2008/02/03(日) 02:00:51 ID:QY63nosC




















スレトメンナヤ

223 :人間七七四年:2008/02/03(日) 20:47:23 ID:/esu4aFe
むむむ

224 :人間七七四年:2008/02/03(日) 21:15:37 ID:jLO+elLC
当時の武将の間で憧れの的だったのが上杉謙信なんしょ

225 :人間七七四年:2008/02/03(日) 21:20:58 ID:GSEKGAuR
上杉三兄弟とか欲しかったな。

226 :人間七七四年:2008/02/03(日) 21:29:26 ID:wpSeG5Ic
元就だったら、謙信に子供がいないから子供を養子に
送り込んで乗っ取りそうな気がするな。

227 :人間七七四年:2008/02/03(日) 21:49:05 ID:bj5HtZUe
当時の評価が高かったのは元就っしょ
謙信の評価が飛躍的に高まったのは江戸期

228 :人間七七四年:2008/02/03(日) 22:02:29 ID:V7PPJehX
吉川元春の家臣がワザワザ謙信に会いに来てるくらいだからな

229 :人間七七四年:2008/02/04(月) 01:32:14 ID:+vnTgP7z
>>227
秀吉なんかも謙信のこと色々聞いてるしな。

230 :人間七七四年:2008/02/04(月) 01:37:08 ID:+vnTgP7z
朝倉宗滴合戦マニュアルにも謙信でてくるしな。

231 :人間七七四年:2008/02/04(月) 11:20:53 ID:vfKFISNU
毛利は上杉や武田に比べると家臣団がしょぼいよな
毛利で名のある家臣なんていない

232 :人間七七四年:2008/02/04(月) 12:16:52 ID:DYe1zwKC
230、231何かは隔離スレから出てきて欲しくないなあ。せっかく幾つも
用意してあるんだから。

233 :人間七七四年:2008/02/04(月) 12:29:17 ID:9eL9sDf7
吉川小早川にいいとこもっていかれすぎなダケなんだけどな
実際は有能な家臣がいっぱいいるけど大内残党なんかがいるからどうしても過小評価されてしまう。
そして子沢山、一族がぞろぞろいるんで一族がメインに戦いを展開するから中々家臣に注目がいかない。
どの方面でも必ず兄弟が総大将だし前線指揮とってるから家臣を評価するのも中々難しい。


234 :人間七七四年:2008/02/04(月) 12:47:16 ID:vfKFISNU
そんなに優秀な家臣がそろっているんだったら元就死後に一方的に秀吉に
攻められて滅亡寸前になんてならないでしょ。
優秀な家臣がいたらもう少し抵抗できたはず

235 :人間七七四年:2008/02/04(月) 13:18:25 ID:MdVstOpI
国人一揆の枠内だから織田軍に全力を挙げて決戦するってのができない。
北条も緩い集合体だから血縁者を戦場に派遣するのが精一杯で全軍をあげて決戦できないね。

236 :人間七七四年:2008/02/04(月) 13:19:26 ID:DYe1zwKC
>>234
それは上杉とて同じ、てかお前は隔離スレへ戻れ、面白くないから。

237 :人間七七四年:2008/02/04(月) 14:34:52 ID:vfKFISNU
毛利は織田との決戦を避けてたよね

238 :人間七七四年:2008/02/04(月) 14:49:11 ID:5ToWyoDi
永禄三年頃の長尾家の主な家臣
@長尾景信
A長尾政景
B山本寺定長
C直江景綱
D本庄実乃
E柿崎景家
F斎藤朝信
G安田景元
H北条高広
I宇佐美定満
J中条藤資
K安田長秀
L色部勝長
M本庄繁長
N新発田綱貞

永禄三年頃の毛利家の主な家臣
@吉川元春
A小早川隆景
B口羽通良
C福原貞俊
D宍戸隆家
E熊谷信直
F桂元澄
G市川経好
H平賀広相
I天野隆重
J杉原盛重
K乃美宗勝
L児玉就忠
M桂元忠
N国司元相

家臣はこの辺を参考にして下さい。




239 :人間七七四年:2008/02/04(月) 14:59:48 ID:MdVstOpI
上杉側が圧倒的に人材豊かで能力値が高いゆえに独立心も強そうだな〜統御するの大変そう…。
毛利側は寄らば大樹とか強い者に巻かれる的な家臣団だな〜まー毛利自体がそういう体質だからな。


240 :人間七七四年:2008/02/04(月) 15:12:05 ID:Gxlrk8dq
上杉四天王
直江景綱・柿崎景家・宇佐美定満・甘粕景持

毛利四人衆
吉川元春・小早川隆景・口羽通良・福原貞俊

どっちの方が強そう?

241 :人間七七四年:2008/02/04(月) 15:19:10 ID:5ToWyoDi
>>239
長尾家の場合は守護代が成り上がったケースだから独立心や反発感が大きいかな。
毛利家の場合は大内家と尼子家の抗争の中から自立したケースだから安定を望んだのかも。




242 :人間七七四年:2008/02/04(月) 15:31:22 ID:vfKFISNU
吉川元春は負けたことがあるんだよな
無配なんて大嘘
秀吉にビビッて鳥取城を見殺しにしてるしカスだな

243 :人間七七四年:2008/02/04(月) 15:36:37 ID:9eL9sDf7
何でいきなり元春無敗の話しにとんだのかわからんけど元春無敗なんて毛利厨でも思っとらんわw
秀長無敗って言ってるのと同レベル

鳥取城はむしろ前代の城主に問題があったろ…頼むからもう少しお勉強してから書き込んでくれ

244 :人間七七四年:2008/02/04(月) 15:39:38 ID:fh0AMsSA
>>240
(´・ω・`)そんなこと、知らんがな


245 :人間七七四年:2008/02/04(月) 15:56:07 ID:vfKFISNU
家臣見殺しは毛利のお家芸
経家や宗治が可哀想

246 :人間七七四年:2008/02/04(月) 16:24:19 ID:5ToWyoDi
>>245
それを言ったら魚津城の中条景泰ら13名も可哀想でしょう。
上杉好きの245(vfKFISNU)に無かったことにされてさぞかし無念でしょうね。

元就や謙信の話ではありませんが・・・。




247 :人間七七四年:2008/02/04(月) 16:39:26 ID:MdVstOpI
毛利はまだ反撃する余力があったのに見殺し
上杉は新発田の内乱もあり反撃余力どころの騒ぎじゃない。

248 :人間七七四年:2008/02/04(月) 16:48:03 ID:5ToWyoDi
>>247
その意見を尊重すると上杉の戦略はボロボロなのに戦い続ける愚者になるよ。




249 :人間七七四年:2008/02/04(月) 16:54:34 ID:Gxlrk8dq
>>248
謙信とは関係無い。
景勝対輝元スレでも立てて語れ。

250 :人間七七四年:2008/02/04(月) 17:00:34 ID:MdVstOpI
謙信以来の武遺から織田に降伏する事はハナから考えてない。
前線が玉砕したのも春日山も玉砕する意思を持ってたから。

251 :人間七七四年:2008/02/04(月) 17:08:34 ID:5ToWyoDi
>>249
おいおい、既に246で言っているがw
>>242>>245>>247に指摘しろよ。
しっかり読んでくれたまえ。頼むよ。




252 :人間七七四年:2008/02/04(月) 17:14:02 ID:mFa8semD

 佐竹スレから分断行工作員達が移ってきた。
 ID:MdVstOpIとID:vfKFISNUとID:5ToWyoDiは仲間である。

253 :人間七七四年:2008/02/04(月) 17:15:21 ID:crj0nEAQ
謙信よりも家康と元就の比較の方が面白い気がするな。
どっちも若い頃はより強大な勢力の狭間で生き残りをはかるしかなく、
人生50年な時代に還暦を間近にして勝負を仕掛けて、最期は覇者として
75歳まで生きてしまう。

亀の甲より年の功ってところか。

254 :人間七七四年:2008/02/04(月) 17:20:14 ID:5ToWyoDi
>>252
仲間じゃないよw
佐竹スレなんか行ってないし。
別に上杉も毛利もどーでもいい。




255 :人間七七四年:2008/02/04(月) 17:47:00 ID:tKIDTtCh
>>253
まあ確かに謙信と元就じゃタイプが違う

256 :人間七七四年:2008/02/04(月) 19:43:19 ID:Gxlrk8dq
>>251
その頃の「上杉の戦略」が謙信に関係無い
という意味だったんだが。

257 :人間七七四年:2008/02/04(月) 21:07:13 ID:5ToWyoDi
>>256
そういう意味になるように書いてくれるとありがたい。
レスの流れを読んでから書いてね。




258 :人間七七四年:2008/02/04(月) 21:14:40 ID:Gxlrk8dq
>>257
スレタイ読んでから書いてくれると有り難い。

259 :人間七七四年:2008/02/04(月) 21:24:28 ID:5ToWyoDi
>>258
だから、頼むからレスの流れをよく読んでくれよ。
これ以上の勘違いはイタイぞ。




260 :人間七七四年:2008/02/04(月) 21:27:22 ID:pjumHa3g
どっちももう黙ってろよw

261 :人間七七四年:2008/02/06(水) 17:13:29 ID:bFXa0mmS
元就ばっか正一位はずるい。
長州め。

謙信にもくれ。

262 :人間七七四年:2008/02/07(木) 03:11:28 ID:0OWZURfU
位の話を始めたら元就の勝ちで終わっちゃうんだが
講談のお陰で世間的な知名度は謙信の方が上なんだからいいじゃない。
むしろ俺としては横山御大に「毛利元就」を漫画化して欲しかった。
同じ山岡荘八の「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」繋がりでさ。

263 :人間七七四年:2008/02/07(木) 12:40:54 ID:OJ3kw1fy
>>262
同人誌作家とかで本人と見分けがつかないぐらい、
そっくりな横山絵の描ける人が何人かいるらしいから、
そういう人たちに金をつめば描いてくれんじゃないかw

264 :人間七七四年:2008/03/08(土) 11:17:25 ID:sbavAW4O
上杉攻めと毛利攻めは同時に行われていたけど
信長は毛利攻めの援軍へ向かった
上杉は柴田らに任せておけば十分って事だったんだろ

265 :人間七七四年:2008/03/09(日) 17:07:04 ID:Zdy9yEk7
景勝には一族いないし周辺敵だらけだししょうがないっちゃしょうがないわ

266 :人間七七四年:2008/03/09(日) 18:14:11 ID:ZdQgTE3V
上杉の末裔は一介の学者に過ぎない。

267 :人間七七四年:2008/03/10(月) 23:22:43 ID:vZvjuqP/
毛利の末裔はなにしてんの?
探偵だっけ?

268 :人間七七四年:2008/03/11(火) 03:13:39 ID:ikBoySQd
つまらん

269 :人間七七四年:2008/03/11(火) 03:19:35 ID:dcy8dP3g
>>267
格闘家が一人居る。
元就の末裔って煽り文句で。元春の子孫らしいけど

270 :人間七七四年:2008/03/11(火) 15:14:01 ID:linsp1qm
格闘家w
頭悪そうだな

271 :人間七七四年:2008/03/11(火) 16:42:52 ID:9irhcgQF
>>270
毛利を叩きたいのかしらんがお前の発言が頭悪いのに気付けよw


272 :人間七七四年:2008/03/11(火) 17:16:43 ID:linsp1qm
支那の田舎大名なんて叩く気もおきねーよw

273 :人間七七四年:2008/03/11(火) 17:35:31 ID:fYLjf5ly
吉川元春の子孫といえば、有名なあの男

274 :人間七七四年:2008/03/11(火) 17:36:38 ID:kuwcTKK3
>>271
この人は、誰でもいいから叩きたいだけでしょ

つまらん

275 :人間七七四年:2008/03/11(火) 23:04:10 ID:linsp1qm
ラジオ体操に参加しないことに逆上し、知人に暴行した男が13日、逮捕された。
福岡県警行橋署に逮捕されたのは同県苅田町の会社員・毛利勝也容疑者(34)。
今月1日、近くに住む自営業・男性(35)宅に押しかけ「ラジオ体操に出ろ」などと言い男性を殴ったなどとして、傷害などの疑いが持たれている。

276 :人間七七四年:2008/03/11(火) 23:18:14 ID:linsp1qm
北海道の“早漏レイプ魔”大学生逮捕 教職目指す身で20件
今年2月、10代の女性を路上でレイプしようとしたとして、 北海道教育大岩見沢校3年、
毛利直行容疑者(20)=別の強制わいせつ事件 で起訴済み=が30日までに、婦女暴行未遂容疑で再逮捕された。
教職を目指す身ながら、約20件もの婦女暴行未遂や強制わいせつも 自供しており、“性職者”への道を歩んでしまったようだ。

277 :人間七七四年:2008/03/11(火) 23:26:29 ID:linsp1qm
13日、札幌市西区発寒15の2、無職、毛利正(62)
*発寒13の3、会社員、伊藤義康(31)
*手稲区星置3の7、同、山崎秀樹(50)
の3容疑者を児童買春禁止法違反(買春)容疑で逮捕したと発表。
3人は07年10?11月、札幌や石狩市などで、手稲区の少女(16)に現金を渡す約束をして、それぞれいかがわしい行為をした疑い。
毛利容疑者が少女と知り合いで、自分が買春した後に伊藤容疑者に紹介しており、同法違反(周旋)容疑でも逮捕された。
山崎容疑者も紹介を受けたとみて追及する。(札幌手稲署)

278 :人間七七四年:2008/03/11(火) 23:32:42 ID:linsp1qm
京都府警生安対策課と南署は26日、売春防止法違反の疑いで、
京都市伏見区竹田中内畑町、デリバリーヘルス「プチマダム」経営毛利純子容疑者(40)を逮捕した。
調べでは、毛利容疑者は他の女2人=同法違反容疑で同日逮捕=と共謀し昨年5月、
市内の女性(25)が売春で得た金を、女性と店側とで分配する契約をした疑い。
さらに今年2月には、この女性を南区内のホテルに派遣し客となる男性と会わせ、売春をあっせんした疑い。
昨年3月ごろ匿名の通報が南署にあり、捜査していた。

279 :人間七七四年:2008/03/12(水) 01:35:15 ID:mJPEf8yl
カムサハムニダ!

280 :人間七七四年:2008/03/12(水) 04:53:12 ID:bOylWANN
毛利キモい

281 :人間七七四年:2008/03/12(水) 11:31:56 ID:240NxG9r
頭おかしい方いますね。
可哀想に、現実ではゴミクズ以下なのにせめてネットでくらいは人を不愉快にさせない最低限のモラル程度は守ればいいのに。

282 :人間七七四年:2008/03/12(水) 15:41:36 ID:ue0QqM5o
とりあえずお前らは吉川晃司先生に謝れ

283 :人間七七四年:2008/03/13(木) 21:57:36 ID:6E1OoBJD
先生ごめんなさい

284 :人間七七四年:2008/03/14(金) 17:45:55 ID:v/MxyI6d
真偽の程はともかくとして
毛利元就の肖像画は普通(なんとなくだが一休宗純の肖像画に似てる気がする)
上杉謙信の肖像画は不細工だな(当時は下膨れは福の証だったんだろうが)

信長の子孫のはずの信成、元就の子孫のはずの晃司先生、どちらもイケメンの範疇
以前にトリビアで出てきた謙信の子孫は(ついでに信玄の子孫も)……微妙だな

285 :人間七七四年:2008/03/15(土) 19:01:05 ID:gNQYLTcC
元春の子孫に格闘家が居る。
なんかどっちかっつ〜とイケメンぽいから嫌い。もっと戦国武将みたいな厳つい顔希望だ

286 :人間七七四年:2008/03/16(日) 00:48:28 ID:alzis9Yx
家系について難癖つけだしたらキリないけど
まぁ、それでも信長とか元就とかの子孫が活躍してる人達ってのは凄いなぁ、と感心できる

287 :人間七七四年:2008/03/23(日) 07:01:12 ID:lFZsPg+i
ちょっと上げてみる

288 :人間七七四年:2008/03/24(月) 16:01:22 ID:q78pc42a
いくらなんでも
東大教授の植えすぎ博士は
いっかいの学者やないやろ

289 :人間七七四年:2008/03/24(月) 16:07:52 ID:q78pc42a
麻布上杉の末裔は
酒ハカセ

290 :人間七七四年:2008/03/24(月) 23:53:14 ID:oECXlZ7z
一介の学者でもDQN三流歌手やDQN三流格闘家より遥かに格上
あんな安っぽい音楽とか格闘技なんて名家の者がやるべきものではない
御里が知れると言うものですよね

291 :人間七七四年:2008/03/24(月) 23:59:57 ID:odxqeYQD
子孫の凄さなら信長≒元就>(越えられない壁)>謙信
つか謙信って直系の子孫おらんだろ?

292 :人間七七四年:2008/03/25(火) 06:31:04 ID:jvzTbumq
「酒の権威」と
「いろんなカクテル酒を飲ませて、相手を吐かせる名人」
を掛けてる=酒ハカセ

293 :人間七七四年:2008/03/25(火) 06:50:32 ID:jvzTbumq
「きぼう」や「はやぶさ」
に関わってる上杉博士

流石やまがた宇宙好きやねん
ビートきよし大先生
のギャグ「うちゅー」

294 :人間七七四年:2008/03/25(火) 12:41:25 ID:d/ZBMXGT
>>290
そんな事を5流以下のねらーが宣うわけですね。わかります

295 :人間七七四年:2008/03/25(火) 13:02:21 ID:jvzTbumq
かたや一方、元就公が水軍で攻め込んだ
北九州での
下積み時代の小松政夫先生のギャグ
舟歌「あらよっと」

296 :人間七七四年:2008/03/25(火) 13:05:50 ID:jvzTbumq
上杉の分家も音楽やっとるで(弦楽家)

297 :人間七七四年:2008/03/25(火) 13:46:33 ID:Y7Y9DmC7
え?毛利?尼子家臣山中鹿之介の子孫鴻池グループの方がはるかに優秀だがなw

298 :人間七七四年:2008/03/25(火) 21:15:26 ID:Zad0tmXx
勝てないからって現在にまで遡るとは惨めですね。もう少し現実をみたらどうですか?

299 :人間七七四年:2008/03/25(火) 21:55:24 ID:HyYIXk4s
久しぶりの自演か、平和だなここw

300 :人間七七四年:2008/03/25(火) 23:08:45 ID:zdeB+Dw1
俺、大谷吉継の子孫のFランあ法学生ですけどなにか?

301 :人間七七四年:2008/03/25(火) 23:37:20 ID:Zad0tmXx
日本語も出来ない在日乙

302 :人間七七四年:2008/03/26(水) 05:09:44 ID:K9Qs/nAY
アホう

303 :人間七七四年:2008/03/26(水) 11:55:22 ID:VLkQHpJj
上杉博士の優秀ぶりが際立つな。

304 :人間七七四年:2008/03/26(水) 17:42:28 ID:pU6bHACD
三人組のまるで駄目忍者学生の漫画
>尼子画伯

305 :人間七七四年:2008/03/30(日) 23:32:15 ID:Ten02jYu
釣りとかじゃなくて真面目な質問何だけど
なんで謙信って戦に関しては最強って言われるの?
無敗なら北条氏康だって吉川元春だって自分が戦った戦は無敗だったと思うんだけど
なんでなのかわかる人いる?

306 :人間七七四年:2008/03/31(月) 03:03:13 ID:hcdXiSNZ
>>305
信長のアンチテーゼとして。だと俺は思ってる。
ちょっと昔は信玄が幅を利かせてたんだが騎馬軍団とか無かったし意外とあれだよね、ということで。

307 :人間七七四年:2008/03/31(月) 09:42:34 ID:kqxhppld
>>305
野戦に関しての戦績はちょっと異常だぞ(城攻めはそうでもない)
あと戦績に加えて、越後軍の機動力とそれを可能にした兵站も驚異的
越後から「冬の」三国峠を越えて関東出兵
北信で武田軍と対峙していたと思えば関東に展開
相模小田原に北条を包囲したかと思えば北信で武田軍と対峙
下越で揚北衆と揉めていたかと思えば越中で坊主と戦闘 とか
もっとも1560〜80年あたりの毛利軍の機動力と兵站も異常なんだけど元就、
隆元、元春、隆景と4人が主軍を率いる事でそれを可能としていたからね
大名家としては毛利の方がバランスいいんだけど、1人で八面六臂の方が
印象としてはSUGEEE となる

308 :人間七七四年:2008/03/31(月) 17:12:06 ID:6ikZT5vG
>野戦に関しての戦績はちょっと異常

元就の野戦の戦績はちょっとどころじゃなく異常じゃん(有田中井出、折敷畑、厳島)
城攻めでの敗退を除いて野戦に限定すれば元就だって無敗だぜ。城攻めも元就と謙信じゃ比べもんにならんけど
謙信に、なんか凄い戦勝あんの?
川中島で武田(ほんのちょっと前に大軍で寡兵の豪族にボロ負けしたレベル)に判定勝ちしたくらいしか思い浮かばん
単純に戦の回数が多くて凄いってのも分かるが、それを可能にしたのは謙信の軍事力というよりは経済力な希ガス

信長のアンチテーゼは納得だね。元就は信長と仲良い部類だったし
家康のアンチテーゼで信玄が過大評価されてるのと相乗効果もある

309 :人間七七四年:2008/03/31(月) 18:04:23 ID:Nn22DHP1
>>305
当時の人たちが謙信最強だと認識してたからでしょ
それが口伝として伝わっただけで

310 :人間七七四年:2008/03/31(月) 21:00:05 ID:+qJua9R8
異常なのは、戦績とかの結果じゃなくて戦い方じゃないかな
惨敗しながらも大敢闘した旧日本軍みたいさに

311 :人間七七四年:2008/03/31(月) 22:18:38 ID:6ikZT5vG
当時の人間に最も評価が高かったのは元就の方だろ
陰徳太平記などは言わずもがな、悪名高き甲陽軍鑑ですら「当代随一の英傑とは毛利元就」と認めてる
要するに西方の毛利マンセーの立場でも東方の武田マンセーの立場でも「一番凄いのは元就」って認識
それに謙信の時代における関東全般は未開の土地と評しても良い
残ってる城の構造がショボい+鉄砲などの兵器に関する技術もショボい
ハッキリ言っちゃえば原始的な地方だった訳。北条などが頑張って発展させてたけど、まだまだ途上の段階
そこに交易で儲かってた越後から大軍で乗り込んできて、あの戦果じゃあ、とてもとても…
元就が活躍した西方とは戦のレベル(城の構造、焙烙火矢、投石器、鉄砲普及率)が違いすぎる

謙信の評価が高まったのは江戸期だよ
関東に文化の中心が移ったからこそ、太田道灌などを中心として
かつて関東で活躍した者達の評価が軒並み高まった
徳川史観で信玄がマンセーされ、オマケで
信玄と団栗の背比べやってた謙信も講談などで持ち上げられたって訳

312 :人間七七四年:2008/03/31(月) 22:43:52 ID:q9ikHn3k
>311
待て。太田道灌は当時から戦上手の忠臣として評価高かったろ
江戸時代にそれが更に底上げされたのは認めるが
上杉謙信の当時の評価はさっぱりってか
むしろけなしてるのが多いよーな
関東じゃ散々だし越前方面でも神保や一揆相手に苦戦してたってくらいしか分からんなぁ

313 :人間七七四年:2008/03/31(月) 23:25:48 ID:6ikZT5vG
>>太田道灌
そーだったね。そもそも周りに評価されて信望なきゃ、それを危険視されて暗殺されなかったって話か

当時の評価ねぇ…そーいや天正10年に「甲斐と越後の兵の強さは日本一」って書かれた記録あるみたいだけど
あれ持ち出す人って何で「だから信玄と謙信が日本一」とか言い出すんだろ
そん時の当主は勝頼と景勝なのに…もしや信玄と謙信の時代に書かれた記録だったら親父の信虎と為景が最強だって言いだしてたんだろうか
ま、好意的に受け取っても「三河兵は日本一」と同レベルか、普通に捉えりゃ
天正3年に勝頼が信長に長篠で大敗して、天正9年に景勝は柴田に越後侵攻戦で兵数で優ってたのに逆転負けして
あまりに不甲斐ない敵の弱さを皮肉ったか、↑も知らないような輩が天然で書いただけなのか…
武田も上杉も滅亡寸前なんだから文面通り「その土地の兵が一番強いらしいって噂で聞いたよ」だけの意味だよな

314 :人間七七四年:2008/04/01(火) 00:11:09 ID:jv9fs5EF
天正十年って高天神城が陥落した翌年。どう考えても皮肉
本気だとしても、戦場にいなかった寺の坊主が噂聞いたって書いといた話
まるっきり島津の「真田日本一の兵」と同じような状況だし
額面どおりに受け取る奴の知能程度も同じくらいだな

「楽天が一番強いチームだって皆が言ってる!」と日記に書いといたけど
実際は連敗記録更新中で最下位みたいなオチw

315 :人間七七四年:2008/04/01(火) 09:29:46 ID:xX/2pVfh
毛利元就が大内と共に尼子を攻めた時敗退したよね。命からがら逃げ延びたやつ

あれって元就はやめたほうがいいって言ったんだっけ?

316 :人間七七四年:2008/04/01(火) 14:44:09 ID:JBcpu1/z
少なくとも軍記物なんかじゃ義隆を止めた事になってんね
実情に関してだけど、とりあえずこの際の対尼子抗争に関しては元就と晴賢の指揮する軍は連戦連勝だった
そこに大内家の当主たる義隆が堂々と乗り込んできたんだけど
尼子晴久の謀略によって家臣が離反し、大敗を喫した
この時の「俺達は勝ってたのに殿が来たせいで負けた」との晴賢の感情が
後の謀反へと繋がった可能性は無視出来ない

あと渡辺通が元就をかばって死んだ話はマジで泣ける

317 :人間七七四年:2008/04/01(火) 15:04:25 ID:jv9fs5EF
寝返ったのは家臣っつーか元々は尼子方だった国人衆ね。まぁ広義では傘下に組み入れた家臣だけど
元就が止めたのは侵攻そのものよりも(吉田郡山城攻防戦から一貫して元就は尼子を撃破し続けてる)
そういった国人衆などを疑いもなく受け入れ、軽率に尼子領に深入りし過ぎたのを諌めた、といった方が正しいだろう

対元就・晴賢の吉田郡山城攻防戦で、一万程度の相手に三万近くで大敗した事ばかり注目されがちな尼子晴久だけど
上記のように大内の大軍を撃破した事を含め
元就と元春が別行動してた隙を狙い、毛利軍に大敗を喫させた忍原崩れ(指揮してた相手も有能な宍戸隆家
などを加味すれば、晴久の能力は過小評価され過ぎだな

318 :人間七七四年:2008/04/08(火) 02:54:50 ID:wtRUfx8l
上杉謙信だったら相手悪すぎだろ
毛利元就は織田信長と同等クラスの統率だぞ

319 :人間七七四年:2008/04/08(火) 07:31:35 ID:b+0mclMM
まぁ頂上決戦なら信長vs元就にすべきだよな
戦術レベルの比較なら稲生、桶狭間、天王寺。有田、吉田郡山、厳島など
正にそうそうたる戦歴同士の比較になる

謙信って信玄よりは大分マシだけど結局は実像がショボいからつまらない

320 :人間七七四年:2008/04/08(火) 09:04:15 ID:A291MLyv
信長が死んだ49歳頃と同じ歳の元就がショボカッタ事実を無視してついに信長と同等とか主張し始めた基地外ぶりワロタwww
尼子経久や晴久が死に大内も義興が死に義隆が謀反で死ぬと言う…言わば芦名盛氏が死んだ跡に後継者が早々と死にボロボロになって衰退した末期に必敗武将政宗に滅ぼされたのと同じで弱体化しまくった後に空中分解したので屠れただけ。
九州では毛利に協同して謀反した龍造寺を見殺しにするヘタレぶり。
とても最盛期の大友には勝てません。
四国本格侵攻した場合は宇和郡を中心に大友に負けるだろうし
残念ながら村上水軍は三好寄りになっちゃうだろうねw
たかが元就レベルじゃ九州や四国に本格侵攻した日にゃ大敗しちゃうよ。
長生きして長老的立場になって自然と国人達の盟主的存在になっただけだから。
だから各地の国人を大動員して決戦なんてできるほどの指導力もないよね。
だから九州侵攻は失敗だし四国にもちょっとちょっかい出した程度だし織田軍相手に決戦を避けて傍観するしかないんだよなw

321 :人間七七四年:2008/04/08(火) 09:22:09 ID:A291MLyv
最先端の技術…はぁ?尼子相手に呪術合戦してたり
陶が吉凶日を占い戦端を開いたりしてたから簡単に作戦の裏をかけて出し抜いただけじゃんかアホ。軽率かつ浅はかな武田に至っては猪武者の猪突猛進で案の定討ち死にだろ。
関東ではそんなアホでシャーマニズムな迷信で戦闘したり蛮勇を誇って自滅したりしませんがw
簡単な話、越後春日山に次男元就が生まれてれば当主になれなかっただろうし
兄貴が死亡して当主になれたとしても信玄・氏康に従ってビビり続け、
勝頼や氏政のご機嫌を伺い、信長が勝頼を滅ぼした後に本能寺で死亡した後に地域の長老として緩やかな旧武田領併合を狙いつつ氏政早く死ねと願いながら家康に全部取られるだけだな。

322 :人間七七四年:2008/04/08(火) 09:42:24 ID:wtRUfx8l
ようメガトン

323 :人間七七四年:2008/04/08(火) 10:42:53 ID:t5WrqJOY
武田ごときも滅ぼせなかった上杉と、生涯かけて中国ていどが精一杯だった毛利の戦いかー
面白そうだね

・・・・で?
何の頂上決めるの?

324 :人間七七四年:2008/04/08(火) 12:05:16 ID:wtRUfx8l
>>323
その言い方だと君がどれだけの業績を残せるかが気になりますね

325 :人間七七四年:2008/04/08(火) 12:35:24 ID:t5WrqJOY
>>324
うん!気にしててね

張り切っちゃうp(`∀´)q=3

326 :人間七七四年:2008/04/08(火) 12:55:32 ID:wtRUfx8l
>>325
うん、普通に頑張ってね
但し犯罪で名を残すなよ

327 :人間七七四年:2008/04/08(火) 12:56:57 ID:ntmqAobf
>>323
>何の頂上決めるの?
メガトンー仙台百姓亡き後の基地外オタの頂上を決める

328 :人間七七四年:2008/04/08(火) 13:08:24 ID:yGiZK0GZ
元就は尼子や大内に仕えてヘイコラしてたヘタレ武将だろ。
自力独力で切り開いたと言うより周囲が失点を積み重ね自爆するまでずぅーっと忍耐し続け、たまたま長生きしただけだわな。


329 :人間七七四年:2008/04/08(火) 13:26:22 ID:dk9OKR3Y
最期は部下に殺された信長や実の息子に裏切られた信玄より
元就の方がはるかに格上。

330 :人間七七四年:2008/04/08(火) 13:40:17 ID:A291MLyv
>>329
残念ながらそんだけ元就の地位がまわりから羨ましいなーと思われない魅力ない立場だったんだろう。長老として単なる中国地方の調停斡旋者みたいなもんだろ。
長男も心労で早死にしたし。


331 :人間七七四年:2008/04/08(火) 14:21:32 ID:E3/URB7J
毛利って北条と一緒だよね。
緩やかな連合政体。
前統治者の山内・扇谷・大内・尼子は国人達に大動員かけて
戦場に進出させ場合によっては決戦指向で国人の負担が大きい。
毛利や北条って逆に緩やかな連合だから国人などに大動員かけられないから決戦を忌避し、回避できない場合は兄弟親類縁者をやむを得ず出陣させるが傍観してるだけ。
北条のたびたびの小田原籠城もそう。
謙信や信玄や経久や義興なんかは国人を使役して決戦するって性癖で戦国大名たりえるけど
毛利や北条の場合は前代の支配よりも後退してしまってるんだよね。
まぁ北条は謙信や勝頼が死んで義重が奮闘してたが沼尻合戦後より支配体制がかなり強化されてきたけどな。
もし北条の支配力がさらに強化されてたら全軍を動員し
豊臣軍相手に徳川や島津軍のように一戦して勝利し、その後小田原籠城し外交戦で決着をつけて相模安堵くらいはできたかもな。
無論そんな指導力はなかっただろうな。

332 :人間七七四年:2008/04/08(火) 14:31:25 ID:/HVjwFyU
元就と家康は似ている。
謀略を得意とし、最強の武器は長寿と運。
強国を頼り、徐々に領土を増やしていった。
だがチキンな一面があり、押しに弱い。
故に三ヶ原では脱糞、九州で雪道に撤退された。

333 :人間七七四年:2008/04/08(火) 14:51:35 ID:wtRUfx8l
最近は雪道なる猛将の話題が多いな
他のスレにも居たぞそれ

334 :人間七七四年:2008/04/08(火) 18:25:10 ID:p+HsMTpo
九州の戦いは元就関与してないんじゃないの?息子が総大将でしょ?
武田だって国人集合体なんですが…無論上杉も。

335 :人間七七四年:2008/04/08(火) 18:51:02 ID:E3/URB7J
九州だって元就が指示してるんでしょ。
国人支配力の差って事。
一揆的な同列連合をまとめてるだけで大出血を強いる無理な動員を指示できないか
決戦も視野に入れた大遠征など大動員かけられる大名かって事

336 :人間七七四年:2008/04/08(火) 19:52:19 ID:A291MLyv
北条や毛利は、まぁオベッカ使いで下手に出て国人の機嫌をとって人気取りしてただけだろ。


337 :人間七七四年:2008/04/08(火) 20:45:32 ID:wtRUfx8l
何キャリア持ってるんですかメガトンさん

338 :人間七七四年:2008/04/08(火) 20:57:00 ID:p+HsMTpo
そもそも毛利は大友に負けてません。
大友を滅ぼすって目標は達してないけど結局大友は失地の完全回復ができてない。
小牧長久手の一戦で家康が勝ったから全体で家康の勝利っていうのに似てるかな。


おまけにこの頃の大友は家臣もフル面子揃って宗麟自身も人生で最も輝いていた時期でもある。
一応宗麟がそれなりに評価されてるのはこの時期があるからでしょ。

そもそも決戦って元就時代に決戦を挑むような相手が居ないし決戦よりも国内安定に力を入れる時期。
決戦を(信長・秀吉)輝元にそれを求めるなら酷な話。


それと関東の田舎戦と中国地方の戦の質は全く違うって知ってるか?
中国地方の城は当時最新の瓦など最新の武器が比較的普及されていた。
関東の城からはそういった武器や装備は全く発掘されないんだわ。

339 :人間七七四年:2008/04/08(火) 22:07:55 ID:wtRUfx8l
元就は鉄砲普及のかなり前に鉄砲使って難攻の城落としてるしな

340 :人間七七四年:2008/04/09(水) 00:30:20 ID:rwyH3a+g
>>338
>大友を滅ぼすって目標は達してないけど結局大友は失地の完全回復ができてない。

よく分からんが信玄も信長も無敗ってこと?

341 :人間七七四年:2008/04/09(水) 02:36:21 ID:dmmmPRn5
46 名前: 人間七七四年 Mail: 投稿日: 2007/03/28(水) 11:49:42 ID: lLXnJQe5
大友家の毛利家に対する華麗なる戦績(門司城編)

弘治三年四月(1557)義鎮の実弟大内義長が元就に討たれるも援軍出せず。
同年七月 筑前の秋月・筑紫などが毛利に呼応し離反した為、二万余りの討伐兵で此れを降す。
秋月文種の遺児種実(当時13歳)は家臣に守られ周防へと逃れ毛利の庇護下に入る。

永禄元年六月(1558)宗像が大友から離反し、豊前の長野らも毛利に服属する。元就は小早川を
中心とする二万の毛利軍を関門の要塞門司城の向け此れを占拠し、三千の兵を配置する。

永禄二年正月(1559)種実は元就より精兵三千と援助を受け大友の守る古処山城を攻め此れを
奪還し旧領を回復する。(永禄十年説あり年齢的に十年説を支持する)

同年六月(1559)豊・筑で反大友勢が蜂起する中、大友義鎮は将軍家へ願い出て三国守護を賜る。

同年九月(1559)義鎮は北九州から毛利氏の勢力の一掃を計り西大友と呼ばれる庶流、立花鑑載に
は宗像を攻略させ自身は大挙して門司城を攻め此れを奪還する。当時石見に出兵中であった元就は、
門司城の陥落を知ると急遽嫡子隆元と隆景を派遣し、石見山吹城の包囲をとき撤退を余儀なくされ
る。小早川水軍の提督乃美宗勝らが海上より上陸し、身に数箇所の傷を受ける激戦も敵首級数百の
大勝にて門司城の奪還に成功する。大友の軍勢はなおも城の付近に集結して奪回を計るも、毛利水
軍提督児玉就方、宗勝らに背後から補給路を急襲され撤退する。


342 :人間七七四年:2008/04/09(水) 02:36:39 ID:dmmmPRn5
47 名前: 人間七七四年 Mail: 投稿日: 2007/03/28(水) 11:50:43 ID: lLXnJQe5
同年十一月(1559)幕府へ運動し念願の九州探題並びに大内氏家督を手に入れ北九州での地位を確
立させる。

永禄三年一月(1560)大親町天皇即位。献納の功により左衛門督に任官される。

同年三月(1560)大鳥へ逃れていた宗像氏貞が千の兵を持って許斐城を奪回し、白山城に入城す。

同年十二月(1560)尼子晴久病没。嫡子義久家督を継ぐ。

永禄四年六月(1561)毛利方二百余りの兵が守る香春岳城を兵数万を持って攻撃し、一ヶ月に及ぶ
攻防戦ののち此れを陥落させる。

同年八月(1561)門司城奪回に向け大友軍の総攻撃始る。
義鎮は兵一万五千を小倉に進出させ門司城を地上から攻撃させるとともに、ポルトガル船(ナウ型
5〜600トン乗員300名片舷17〜18砲門)数隻より海上から砲弾させ命中した砲弾により門司城は鮮血
で染まった。元就は再び隆元・隆景に門司城の援護を命じ派遣した。
この度も隆元は防府にて本陣を置き、隆景が先陣となって門司城救援へ向かったが、対岸の下関から
見える浦一帯は雲霞の如き大友の大軍がひしめいていた。隆景は決死隊を募り見事八百の兵を落城寸
前であった門司城へ入城させる。隆景は更に児玉に命じて豊筑沿岸も襲撃させ大友軍の背後を攪乱さ
せるも、十月二日には大友軍も豊前沼に屯営していた毛利軍を襲撃し城地の奪還に乗り出し、村上・
児玉両水軍が更に背後から大友軍へ攻撃を仕掛け後方遮断にでるも、大友は堅陣を構え益々増強して
いった。

十月十日遂に大友軍は門司城へ向け総攻撃を開始した。門司城に入城していた隆景も城外に出て奮戦。
宗勝、就方らも大友軍の背後から上陸し壮絶な戦いが始った。宗勝は敵将伊美弾正と一騎討ちを演じ
負傷するも見事討ち取る。この戦いで大友軍は竹田津則康、吉弘統清、一万田源介、宗像重正、大庭
作介らの諸将が討ち死にした。十月二十六日 大友軍は大軍を持って最後の決戦に望むも、押し切れず
大里まで撤退する。十一月五日には夜陰に乗じ総撤退を開始するも、撤退を見抜いた隆景により先回
りされ、待ち伏せにより大打撃を被る。

永禄五年正月(1562)大友義鎮、将軍足利義輝に黄金五十両を送る。
同年三月(1562)大友方の志賀常陸介が、香春城の城督に任ぜられている。
同年五月(1562)大友義鎮は剃髪する。
同年八月(1562)松山城を毛利が奪還する。将軍家より仲裁が入るも元就拒否。
同年九月(1562)一日大友方が苅田表に夜討ちを企てたが撃退される。十三日にも同じく大友勢が松山
城を攻撃するが、これもまた撃退される。十九日にも懲りずに松山城を攻めるが撃退され、逆に番春城
を毛利に奪還される。
同年十月(1562)十三日大友氏は門司表の毛利軍を攻めるが、敗れて撤退する。

永禄六年正月(1563)二十七日戸次鑑連が松山城を攻撃したが天野隆重により撃退される。
永禄六年三月(1563)大友宗麟娘を隆元に差し出し和議が成立し大友完全勝利で幕を閉じる!!

343 :人間七七四年:2008/04/09(水) 05:14:27 ID:asJqA2Qf
>大友完全勝利で幕を閉じる!!

謙信玄厨なら、この皮肉なオチを理解せずに相変わらず毛利が負けたとか抜かしそうw
つか雪道(道雪の事なんだろうが)が毛利軍を撤退させたとか言ってるあたり
立花家の文書にしか記されてない多々良浜合戦の勝利とか信じてんの?
惨敗したはずの両川は、そのまますぐに本領にて尼子残党の鎮圧に成功し
圧勝したはずの立花は、その後も一つも城を取り返せなかったのに
連戦連勝だった毛利を九州から撤退させた最大の要因は、尼子残党を支援した信長の策略だしょ
大友が善戦+外交戦略優秀だったのは異存ないけどね
なんか宗麟の晩年のトチ狂いっぷりが長慶や信玄と似てて憎めなくて、九州勢で一番好きな大名家

344 :人間七七四年:2008/04/09(水) 06:41:55 ID:wlODw7q4
つまり戦略目標を達成した大友の完全勝利ですな。
局地的勝利を毛利は全く活かせなかった、と。

345 :人間七七四年:2008/04/09(水) 07:51:05 ID:6DyTu8Es
それにしても児玉就方と乃美宗勝って強いよな地味だけど

346 :人間七七四年:2008/04/09(水) 08:03:11 ID:g6y9QaTd
毛利の九州介入は無駄に時間と金と人を消耗しまくったあげくに大した益もなかった戦略的失敗だろ。
そんなんに介入せずにさっさと大友と同盟して背後を固めて東進した方が将来の信長との戦いの為にも良かった。
明らかに敗北だろ。

347 :人間七七四年:2008/04/09(水) 10:34:18 ID:asJqA2Qf
>戦略目標を達成した大友

大友の戦略目標って領土奪われてもいいから、とにかく講和する事?
毛利は侵略戦争に成功しても、相手が滅びなかったら負けなの?
あからさまに大友が領土奪われた(門司一帯)不利な条件での講和なのに、なんで大友の勝ちになるのか分からん
対尼子・大内で毛利が完全勝利収めたからって毛利に条件厳しすぎ
尼子残党に対処するのみならず、その背後に信長の支援があったんだから
毛利としちゃ大友の相手してる場合じゃなかった。だから奪い取った領土の大半を返してまで
(そんな弱みを抱えていても門司は譲らないほど毛利優勢の戦況だった)大友と講和して東の脅威に備えた
もっとも、信長が本格的な衝突を避けて尼子残党と手を切ったから
(これを後に秀吉が尼子残党には不義理な事したとか言ってるが、人気取りっぽいな。信長の判断が正しいだろう)
織田と毛利が本格的に争うのは元就死後の話になるんだけどね

>>345
強いね。地味っつーか毛利家は両川をはじめとして元就の一族が優秀すぎて
血縁以外は譜代の臣でも霞んじゃうとこがある
その辺、一族は後継の信忠くらいしか目立たなくて、その他家臣団がメッチャ優秀だった織田とはタイプ違う
上杉っつーか長尾も一族には長尾政景とか優秀なのいたんだけどね

348 :人間七七四年:2008/04/09(水) 10:59:58 ID:g0mSjnvM
九州から撤退した理由を
信長の戦略手腕と見るか宗麟の戦略手腕と見るかで意見別れそう
俺は宗麟が画策した仲裁工作は元就に跳ね退けられ
信長の尼子残党工作が成功したんだから信長の手柄と見るが

そういや上杉スキーな人って長尾政景についてはどう思ってるの?

349 :人間七七四年:2008/04/09(水) 14:20:32 ID:JGLepYOs
マジな話だと上杉謙信と毛利元就じゃ領土拡大率が違うよな
しかも毛利の場合は最初から大内、尼子という二大国に挟まれていたのだから
それに上杉謙信が戦国最強といわれるのも徳川が武田に負けたからだろ

350 :人間七七四年:2008/04/09(水) 15:33:48 ID:sPQ57weJ
今川と同盟し背後を固めた2大強国の
武田・北条が南方から信濃・上野を北上し
西は信長も手を焼いた戦国一やっかいな一向宗に祖父は殺されるし
越後国内は守護上杉や反抗的な揚北衆らと戦い府内長尾は破産状態で隠居に追い込まれる。葬式では小僧謙信も甲冑姿でのち出家。
おまけに兄は上杉の傀儡として擁立される。東では葦名が揚北衆を支援。
四面楚歌の中で最前線の中越に派遣される少年謙信。背後の柏崎は上杉系に握られている始末。
同族上田長尾も敵対勢力で府内長尾の地位を奪おうと虎視眈々。
こんな状況でもプライド高い越後衆は守護代長尾氏が北条や武田に
降服するようなら簡単に見限り、その弱さを突いて攻め滅ぼされるのは必定で尼子や大内に服属する元就のような選択肢は100%ない厳しさ。



351 :人間七七四年:2008/04/09(水) 16:55:07 ID:sPQ57weJ
陶晴賢/宮川房長/武田元繁
だいたいこいつらただの無能揃いだろ。

ちなみに折敷畑合戦はなかった
ttp://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-thebattleofoshikibata.htm


352 :人間七七四年:2008/04/09(水) 17:00:50 ID:dmmmPRn5
>>351
お前その文章タイトルしか読んでないだろ

353 :人間七七四年:2008/04/09(水) 17:08:05 ID:sPQ57weJ
一応読んでるよ。
折敷畑合戦みたいなもんじゃなくてショボイ戦いだったってこと。

354 :人間七七四年:2008/04/09(水) 18:21:20 ID:g6y9QaTd
大内と尼子が衰退し自爆したおかげ
謙信存命時は武田も北条も全盛期。
九州方面では大友の外交戦略的勝利だろ。もともと筑前や肥前の国人は背反激しい信頼におけない者達。
彼らをけしかけておきながら結局は見捨てたも同然で、その地域での毛利支持者はほぼいなくなった。


355 :人間七七四年:2008/04/09(水) 18:43:31 ID:g6y9QaTd
だいたい九州における旧大内領継承戦争は結局のところその大半は大友の手に帰したしな。大内一族を逆上陸させたり、将軍義輝との外交戦に成功し九州統治の大義名分まで得たし毛利敗北は間違ない。
実際、外交政戦略面で言えば元就は最後まで宗麟に負けっぱなし。
その為に元就の大河では九州戦線は完全に黙殺されているくらい黒歴史。
四国でも大した戦果をあげてない。

356 :人間七七四年:2008/04/09(水) 18:55:41 ID:4gA6Mwk1
所詮は北条と毛利はピンチになったら民を苦しめての籠城型だもんな。
春日山や躑躅館の民草は安全圏でいつも国外決戦志向の抜群の指揮能力でガチ対決…そしてお互い譲らず互角の方が力強い大将だわな。
まぁー武田も北条も失点らしい失点も無かったし後継もうまくいったから尼子や大内と違い切り崩すのは難しかったろうね。


357 :人間七七四年:2008/04/09(水) 19:22:22 ID:g6y9QaTd
元就は人の2倍も生きてその間に大内3代&尼子3代も入れ代わってるんだから家の治乱興亡の末路まで待ってただけ。
謙信や信玄、信長の死去時の年齢と同じ年齢までで比べたら元就はかなりショボイ。

358 :人間七七四年:2008/04/09(水) 20:24:54 ID:JGLepYOs
年齢で比べるとはあまりにもしょぼすぎる
そもそも上杉が倒せなかった武田や北条が凄いという解釈だからいけない
例えばもし上杉謙信が川中島で大勝してたとしたら武田信玄なんて
たいしたことないとか言われてるだろ?
それと同じ尼子や陶は敗れたからたいしたことないように言われるだけで
そんなの結果論でしかない

359 :人間七七四年:2008/04/09(水) 20:44:55 ID:HPTptnej
天下をとった家康は健康を気遣っていた。北条家も健康に気遣う家訓を遺している。
元就も無論酒は毒といい放ち酒を遠ざけた。
健康管理は名将への第一歩なんだわ。生きる知恵袋になれるしそれが領土拡大に繋がる。
まぁ謙信が早死にしたとは思わんがね。49歳だし。運が悪かったすね。
今で言われる脳卒中で死んだなら酒飲みが悪かったな。昔こうかいたら
冬国で避け飲むななんて酷
とか
塩分が体に毒とは解ってなかった
とか反論されたな


360 :人間七七四年:2008/04/09(水) 23:39:47 ID:g6y9QaTd
>>358
はぁ?そもそも元就を過大評価する為に武田や陶を無駄に持ち上げてんだろ。
彼らの経歴なんて信玄や氏康や一向衆の武略に比べたら大した事ないからw
彼らが政戦略で素晴らしい事をしたならぜひ教えてくれ。
>>359
唯一健康に気を使って長生きしたから信長や秀吉や家康は天下を手にできたのか?
違うだろ才能だろ。
長生きした事を利点にして論ずるのは天下人を愚弄する事だ。
信長は49歳で王手をかけたし秀吉や家康も元就の寿命よりも早く天下に王手をかけた。
しかし元就はセックルして小作りしながら彼らより長く生きていながら尼子や大内の衰退まで待ち続けて自然と中国の長老の位置に座っただけだろ。

361 :人間七七四年:2008/04/10(木) 00:00:16 ID:o16MOi3l
これは久々にメガトン様の降臨の予感w
今回のキーワードは長老ですwww

362 :人間七七四年:2008/04/10(木) 00:15:24 ID:uk/MDhwL
まぁ元就くらいの寿命あれば天下人になるくらいの資格はあるわけだわな。
でも彼らより長生きしたのに残念ながらたかが中国地方だけでさえ磐石な地位も築けなかったね。

363 :人間七七四年:2008/04/10(木) 00:30:33 ID:h3k3i4Tb
まぁ尼子にしろ大内にしろ当主になって間もない素人を追い込んで滅ぼしたような卑怯者だからね。
簡単な話、必敗将軍政宗が幼少の二本松畠山氏や三代続けて早世した葦名など経験不足の年少者で統率力ないために自壊衰退した者どもを経験豊富な年長者がハイエナのように滅亡させたようなもんだわな。

364 :人間七七四年:2008/04/10(木) 03:06:20 ID:pJi34EvL
マジレスすると上杉謙信は代替わりした氏政や勝頼すら滅ぼしてないわけだが?
好きな武将持ち上げるためにいちいち他の武将馬鹿にするのやめたほうがいい

365 :人間七七四年:2008/04/10(木) 05:12:52 ID:HR7HRVRe
寿命で比べるのはどうかと思う。

366 :人間七七四年:2008/04/10(木) 08:14:26 ID:o16MOi3l
謙信は
勝頼から領土奪ったの?
氏政から領土奪ったの?


367 :人間七七四年:2008/04/10(木) 09:22:35 ID:dAEz0Xy/
>>361
そうかなあ、メガトンさんは司法試験に合格して
戦国板へはもう来ないと思ったが。メガトンさんだとしても
まだ本気を出してない。

368 :人間七七四年:2008/04/10(木) 10:04:21 ID:Gopkjegw
>>366
元就の強欲と違って領土侵略野心なぞありませんがなにか
義のために戦いますがなにか

369 :人間七七四年:2008/04/10(木) 10:29:13 ID:uk/MDhwL
カリスマある大内義興や尼子経久が大動員をかけて国人達を使役して出血を強いていた(関東で言えば山内上杉や扇谷上杉)
だが名主から求心力がない孫の代くらいになると長きに渡る遠征などで疲弊しきった国人達も同じように従ってはいられない→もう親方さまには従ってられん!大内や尼子の自壊瓦解の始まり。
国人に対して長生きした長老が人気取りして関心を買う→大動員かけて決戦したり国人から搾取しない。緩やかな国人連合で会議の議長が長老格元就(国人にとって毛利の支援が貰えるが自分達はそれほど奉仕しなくてよい都合が良い存在で無害だから選ばれた人選)。
山内上杉と扇谷上杉と長尾景春や長尾能景親子や古河公方が武蔵野で長期に渡り争い続けて人心が離れ自壊していった背後から漁夫の利を得て拡大した北条早雲と元就は似ている。


370 :人間七七四年:2008/04/10(木) 10:55:34 ID:h3k3i4Tb
謙信の場合は三國峠の険や関東太郎と呼ばれた暴れ大河利根川があったからね。
さらに一向宗のウザさは信長も怒ってたからな。
尼子経久や大内義興あたり大動員かけての決戦志向が強いから信玄や謙信のような英雄型武将だね。
元就や氏康はピンチになったら忍耐籠城型
そしてひたすら相手の失策や自壊を待つ。
たしかに北条早雲もやたら長生きしてるね。
毛利や北条は国人の合議での意志統一が難しくて大出血も嫌がる。だから国人大動員かけての決戦できない。
せめて敵前まで無理やり引きずってきても備中高松城のように傍観して事態の変化待ち。
謙信や信玄や義興や経久は合議したとしても当主の意向を汲み国人から一目おかれ指導的立場を確立させていったので遠征も可能になった戦国大名だった。
もしかしたら当初は早雲や元就を長老として祭り上げていた国人達も死んでいき孫達はいつのまにか家臣化されていったって感じの長生き長期政権だったんだろうね。
まー意見調整し国人に気を使いまくる議長みたいな地位だから毛利や北条当主の座を狙うやつもいなかっただろうしね。
こんな感じなのかもね。

371 :人間七七四年:2008/04/10(木) 11:22:47 ID:HR7HRVRe
元就の最初の基盤を考慮して物を言えよ?

372 :人間七七四年:2008/04/10(木) 12:01:34 ID:3znoe3eH
元就よりも謙信の最初の基盤の方がよっぽどきついな。
なんせ父の失政で経済崩壊し守護上杉の傀儡として兄よりもさらに幼い謙信を擁立して意のままに操ろうと策してたからな。
謙信の発給文書自体がのちに守護からも同意の文書がでると思います。とか最終認可権が存在してるくらい。

373 :人間七七四年:2008/04/10(木) 12:24:30 ID:3znoe3eH
山中の奥地に標高約360とも390mとも言われる郡山城の山頂部から放射状に延びる尾根とその支尾根という巨大城はさぞ籠城に向いていただろうな。
惣構えの小田原城とは違う意味でかなり堅牢な山城の根拠地をもつていただろう。
なんせ月山富山城からして197m程度で難攻不落だからな。
七尾城も力攻めで落ちず堅牢とうたわれたが300m。
天下人信長の威信をかけた安土城が198m。ちなみに春日山城180m。


374 :人間七七四年:2008/04/10(木) 12:41:18 ID:o16MOi3l
>>368
>>368
>>368
>>368
>>368


375 :人間七七四年:2008/04/10(木) 12:46:00 ID:uk/MDhwL
尾張一国をあげて攻めても10年近く落ちずに信長が苦戦しまくって調略中心にしてやっと落城した斉藤氏の稲葉山城が330b。
尾張美濃や南近江や山城などを押えて信長が全力での攻城でもなかなか落ちなかった浅井氏の小谷城が390b。
いざとなれば籠城で何とでもなったのが郡山城で元就は絶対的安全が保証されていた根拠地に籠ってた。
尼子に包囲されてても実際はかなり余裕だったろう。

376 :人間七七四年:2008/04/10(木) 12:48:09 ID:Q7ElfB9O
謙信と元就って実話かどうかは別として
どっちも有名な諺っぽいの残してるね。
「敵に塩を送る」「三本の矢」

北条早雲(伊勢宗瑞)って最近では
実はそんなに長生きしてなかった
って説が有力だったと思うけど…

377 :人間七七四年:2008/04/10(木) 12:52:48 ID:HR7HRVRe
>>372
あんまり詳しくありませんが
元就も次男という身から始まり兄の死後弟の相合氏との抗争もあったり
井上氏の専横があったりと結構キツイ部分があったと思うのですが・・・。

>>373
城もあまり詳しくありませんが
郡山城を持ってたとしても大内氏、尼子氏との国力差があり
難攻不落の城を持ってようがそれを実用的に使える程の国力があったとは思えないし
単純な国力の差で言うと元就の方が武が悪いと個人的には思います。
それでもやはり謙信のが不利なんですかね? ><

言葉足らずで知識不足ですみません><

378 :人間七七四年:2008/04/10(木) 12:59:25 ID:3znoe3eH
ここのサイトにも堅城として吉田郡山城がでてくるな。
信玄が敗れた砥石城もランキングされてるな。いかにキツイ戦いかがわかる。
ttp://utsu02.fc2web.com/tozanranking1.html

379 :人間七七四年:2008/04/10(木) 13:06:50 ID:l9H0mxU6
>>368
ほう、氏政に代替わりしてから出兵したのはなんのためだったんだい?

380 :人間七七四年:2008/04/10(木) 13:14:55 ID:uk/MDhwL
井上の経済的利益を狙い元就が暗殺したんだろ。
元就の悪事を正当化するために汚名を井上に着せただけだわあれ。
長男死んだら次男が継ぐのが当たり前だし代々執権職をつとめる志道家が元就を支持してんだから家督に関しては尼子に弟が支援されてようが元就の地位はまったく微動だにしない。
弟も元就に殺され悪く書かれている可能性が高い。

381 :人間七七四年:2008/04/10(木) 13:18:02 ID:HR7HRVRe
>>380
ソースおねがいします。 ><

382 :人間七七四年:2008/04/10(木) 13:25:04 ID:uk/MDhwL
>>379
前々からずっと北関東諸将が助けて〜って嘆願してたから。
憲政を補佐しつつ南下した謙信は野心ある長野氏の山内上杉領横領地区(利根川以東)を取り上げて関東管領として長野氏を許し騎下に従えた以外は一寸の土地も奪ってない。
また管領に忠勤した由良氏に対しては恩賞として伊勢崎地域や館林領を与えたが自らは一寸の土地も横領してない。


383 :人間七七四年:2008/04/10(木) 13:26:46 ID:l9H0mxU6
>>382
じゃあ越中出陣はなんのため?
しかも結局謙信は関東からほぼ追い出されちゃったよね

384 :人間七七四年:2008/04/10(木) 13:36:01 ID:uk/MDhwL
追い出されたのではなく
佐竹らがアホだから見限って将軍救援の為に上洛への道に路線変更したから。
越中に関しては父の代から越中半国守護代だったし、一向衆とも和睦して将軍を助ける為の道を切り開いただけ。
案の定、佐竹らはまたまた救援依頼してきたから人が良い謙信は助けに行くつもりだったらしいがな。

385 :人間七七四年:2008/04/10(木) 13:37:22 ID:HR7HRVRe
後付設定みたいですね ><

386 :人間七七四年:2008/04/10(木) 13:47:08 ID:uk/MDhwL
将軍を救う大義の為に祖父の敵たる一向衆と和睦するあたりさすがと言うところ。

387 :人間七七四年:2008/04/10(木) 14:07:16 ID:3znoe3eH
三國峠の険や関東太郎と呼ばれた暴れ大河利根川を平気で越えて
敵地に乗り込んでくる謙信はマジで怖いな。
みんな籠城する気持ちがわかる。武蔵野で一戦して大敗でもしようものなら利根川が退路を断つ形になりひとりたりとも三国峠を越えられないだろうに。

388 :人間七七四年:2008/04/10(木) 14:22:49 ID:l9H0mxU6
>>384
佐竹がアホだからではなく謙信がアホだから見限られたんだろ?

389 :人間七七四年:2008/04/10(木) 14:23:14 ID:o16MOi3l
やばいのが一匹潜り混んでるな

390 :人間七七四年:2008/04/10(木) 14:28:30 ID:dAEz0Xy/
やばいのが一匹と関係ないのが一匹

391 :人間七七四年:2008/04/10(木) 14:31:11 ID:3znoe3eH
>>377
尼子来襲時で郡山城は8000人くらいが籠城してるから充分な戦力といえる。
井上元兼は元就の当主就任を支えて経済的に援助した人物で、同じ国人衆として対等な立場にいただけで元就に危害を加えるような人物ではなかった。
元就は井上の経済力と当主擁立に恩がある井上が邪魔に思えたために謀殺した。
基本的には毛利は大内か尼子の傘下に入り仕える事で保護されてきたので大して苦難な道を進んではいない。そして有利な条件の方に鞍替えすればよい程度でむしろおいしい位置にいたといえる。
まー元就は関東で言えば由良氏や成田氏みたいなもん。


392 :人間七七四年:2008/04/10(木) 14:35:02 ID:3znoe3eH
>>388
佐竹が先の見えないアホだから結城氏を通して宇都宮と一緒に再び謙信の越山を要請したんだろ。
謙信と協力を続けてたら関宿城も落ちず小山も危機に陥り宇都宮氏が本拠を移転せざるおえないハメにはならなかった。
佐竹は先々まで考えて戦略を立てられなかったアホだろ。


393 :人間七七四年:2008/04/10(木) 15:08:33 ID:lRlCBS/x
初陣から「項羽の再来」と謳われた武田元繁の大軍が相手
(コイツは名目だけの守護で兵を持たぬ状態からスタートし
 大内と手を結ぶ政略や自ら兵を率いての戦術で、毛利と吉川ら小豪族を除く安芸の大半を制圧してみせた傑物。
 そもそもコイツが凄くなきゃ、勝った元就が三百貫程度から一気に十倍近い三千貫にまで出世しない)
厳島は言わずと知れた「西国無双」の陶晴賢の大軍が相手
(百万石の大名を乗っ取った男が凄くないのなら、もはや何も言う事は無し。
 軍事能力に関しても対尼子という大大名相手に連勝を重ねた実績がある)

これらが楽な条件下なら、一国の大名として豪族やら一向衆やらに苦戦しまくって
しかも対等近い国持大名は、ついぞとして一つも滅ぼせないまま(神保を政略で滅ぼしたのが一番凄い)
だった謙信の生涯ってのは苦闘の連続ですな。楽な条件なのに能力低かったから苦しかっただけだけど。
逆に元就は厳しい条件なのに能力高かったから、あんまり苦闘しなかっただけ。

結局、上杉謙信と毛利元就を戦果や領土拡張などの実績で比べたら明確な差がありすぎるから
(元就の方が凄いけど)それは長生きしたから、敵が弱かったから、卑怯だったから
(謙信の方がヘボいけど)それは早死したから、敵が強かったから、馬鹿だったから
という言い訳理論に終始してしまい、見苦しい事この上ない
元就がやったのと同じくらい凄い事を、謙信もやってると実績を示せばいいのに
出てくるのは川中島(w)だの手取川(w)だのばっか

そもそもこのスレじゃ戦術や領土拡張においては元就のが凄いってのは前提で
謙信の素顔である優秀な領土経営者という側面にスポットを当て
軍事的な英雄と政治的な英雄という対比で、両雄の功績を比較する向きもあったのに
謙信玄厨は、無理やり謙信の苦手な分野である軍事にばかりスポットを当てるんだから辟易する

394 :人間七七四年:2008/04/10(木) 15:18:13 ID:HR7HRVRe
あまり詳しくありませんが
陶晴賢の反乱も見事なものですよね。
反発を最小限に抑えるての反乱は中々難しいものだと思います。
元就に負けた陶を無能扱いしてる人がたまにいますが
一概には言えないと個人的には思います。

395 :人間七七四年:2008/04/10(木) 15:18:45 ID:Qr45Qjax
>>393
「項羽の再来」とか「西国無双」とかいかにも創作っぽいんだけど当時から呼ばれてたことは確かなの?

396 :人間七七四年:2008/04/10(木) 15:30:58 ID:KqqV4+q3
甲斐の虎だの越後の龍だのよりゃマシだろ
つか謙信スキーに言わせりゃ長尾景虎こと上杉謙信は越後の虎で
龍なんて呼ぶの武田厨だけだと思うが

>実績を示せばいいのに
生涯で一度も自分より兵力が上だった相手に勝てず
兵力が下の相手にはちょくちょく負けてる謙信に戦の実績なんてある訳ない
あるのは講談などで培った虚像だけ
終いにゃ戦上手の政治下手なんて実像とは正反対のイメージ押し付けられてんだから哀れだな
押し付けてんのは武田厨の延長だろうけど
義将とか失笑もんだわ
謙信は何とも魅力的な人間臭い野心家だっつーの
毛利元就となら家督争奪や家臣粛正で面白い比較になるのにな

397 :人間七七四年:2008/04/10(木) 15:46:06 ID:lRlCBS/x
謙信を「義将」とか言い出す時点で無知+本当の意味で上杉謙信が好きとは言えないようなところあるな
小説などでそう扱われるからしゃあないと思うけど
どうも語り口からして、よく見かける武田好きで北条嫌いの方と論調が同じで
謙信を持ち上げてるのはオマケのようにも思えちゃうけどね
いわば「毛利厨は負かした相手を持ち上げて、武田厨は勝てなかった相手を持ち上げる」ってとこ?
信玄が勝った相手の今川氏真や、謙信が勝った相手の神保一族も持ち上げてくれればいのに

>395
晴賢の通り名の由来は「兵を進退させる侍大将として陶隆房は西国無双」って意味の書状が
まだ主君の義隆と仲良かった頃に、他の大名から送られていたよーな(この辺うろ覚え)
対立する前の大内義隆と陶晴賢って、美男子だった晴賢を義隆が「寵愛」したって話もあるから
外交相手の大名お気に入りの武将を褒めて機嫌を取るって意味もあったんだろうけどね
ま、晴賢の場合は尼子攻略で実績残してるから問題ないんだけど
興味深いのは大内を乗っ取った政略家としての器量ではなく、戦術家としての力量を「西国無双」と評されている所だろう

元繁の通り名の由来は知らないんで、ごめん

398 :人間七七四年:2008/04/10(木) 15:50:18 ID:HR7HRVRe
今川氏真は和歌、蹴鞠、剣術と多彩な特技を持つ人。
時勢が良ければ名君だったと思います。

399 :人間七七四年:2008/04/10(木) 16:10:41 ID:Gopkjegw
>>389
オマエのことか? w

400 :人間七七四年:2008/04/10(木) 16:24:22 ID:KqqV4+q3
よっしゃ>400ゲト
ついでに連レス

氏真は徳川相手に粘ってるし
当時既に五倍近い国力差あった武田も単独では五年以上かけても滅ぼせず
徳川と共同でようやく倒した相手
親父の代では終始ヘイコラしてたくせに
駿河一国に落ちぶれるや否や裏切った信玄が最低すぎるだけで
氏真は無能とは呼びがたい人物

>兵力が下の相手にはちょくちょく負けてる謙信
この辺「謙信は城攻め下手だけど野戦は負けてない」なんてアホな理論の奴がいるんで補足しとくが
謙信は常に大軍で少数と戦ってたんだから
少数の相手が城に篭るのは当たり前
兵力少なくてもいいから、とにかく出てきて大軍の俺に負けてくれ、と言い出すほど謙信も馬鹿じゃない
それに所詮は何度も大軍で少数の相手に城攻め失敗してる程度の男だから
わざわざ城を出なくても放っておけば城落とせずに負けて帰っていくのが謙信
謙信はライバルの信玄同様に、政略及び、大兵力をもって少兵力に当たるという意味での戦略には優れていたが、戦術はイマイチの男だった

401 :人間七七四年:2008/04/10(木) 16:29:55 ID:uk/MDhwL
武田元繁は大内に攻められて服属したのちに大内の上洛軍に参加。
厳島神主家の後継者争いが激しくなってきたが上洛中の大内は帰れないので手駒の元繁を鎮圧に向かわせる。
尼子経久に煽られて大内から独立を目指すが猪突猛進の低脳なんで陣頭指揮をとってあっけなく死亡する低レベル武将。
陶晴賢は美男だったので大内義隆の寵童としてヒイキされていた。
その為に大軍を任されて疲弊しきっていた尼子軍を排除して郡山城を救っただけ。
出雲遠征では低脳ぶりを発揮し尼子と同じミスをして疲弊させたあげくに吉川らに裏切られて大敗。
結果、口先で勇ましい事を言うだけの無能がバレて寵を失い相良武任が重用される。
内藤とともに相良を暗殺しようとしてバレて完全に落ち目になる。
相良が義隆に讒言し追い詰められた長門守護代内藤興盛と周防守護代陶は自暴自棄の謀反。
アホな惨殺事件を指示し宗像騒動を起し国人から総スカンを喰らう。
その結果、義隆の姉の正室である吉見氏が叛旗を翻すと石見に出兵→留守の間に元就が火事場泥棒。
厳島合戦でも相変わらず吉凶日を占い奪える時に奪わず、奪うのが不可能になってから攻撃するバカぶりを発揮し続け自害。
冷酷かつ直情で独断専横で家臣の進言を聞かず自爆した男。
ちなみに項羽と称されたのは大内義弘が項羽のように討ち死にしてやると言ったため。

402 :人間七七四年:2008/04/10(木) 16:42:21 ID:3znoe3eH
基本的に越後勢8000のみ引き連れて越山してるから
北条や武田の動員可能兵力よりも全然少ない。
だが北条も決戦を避け続け、騎下に組した諸将を救援しようとしない。
城攻めは例えば、小谷城や稲葉山城もそうだがそう安々と陥落しない。城攻めが下手という言い方がよくわからん。
無理な城攻めで大出血を強いて8000の兵力が減少する事を恐れてるからに過ぎない。また性格から調略を好まないために切り崩しをやらない事も一因。
包囲してて落城はしてなくても佐野氏は降服してきたりしてるので目的を達してたりしてるし。


403 :人間七七四年:2008/04/10(木) 16:43:18 ID:Qr45Qjax
>>397
なるほど。由来としては十分だなぁ。

404 :人間七七四年:2008/04/10(木) 16:48:33 ID:lRlCBS/x
>ちなみに項羽と称されたのは大内義弘が項羽のように討ち死にしてやると言ったため。

まーある程度の意味は掴めるんだけど、その前の偏りすぎた主張(上杉謙信は最低の武将、とかのコピペと同レベルじゃん)
と誤字が相まって伝わりにくいな。添削させてもらうなら
「ちなみに武田元繁が項羽と称されたのは大内義広(これも誤字じゃないか心配)が、元繁を項羽のように討死させてやると言った為についた通り名」
という意味でOK?
つーかもしかして軍記物でちょくちょく見かける
「項羽と謳われた程の武勇を誇った元繁だが、皮肉にも項羽と同じように討死した」
という表現を都合の良いように歪曲しただけ?

405 :人間七七四年:2008/04/10(木) 16:54:46 ID:uk/MDhwL
いや武田元繁が項羽と称されたなんて話は聞いた事ない。
項羽と讃えられた戦いっぷりとして名を遺したのは大内義弘くらいしかいないからとりあえず書いておいただけ。


406 :人間七七四年:2008/04/10(木) 17:06:38 ID:lRlCBS/x
なんだ、元繁の通り名の由来に関しての言及じゃなかった訳か
すると「項羽の由来に関しては、大内義広についてなら知ってる。元繁については知らん」と主張したかったんかな
誤解してすまんね

407 :人間七七四年:2008/04/10(木) 17:07:09 ID:KqqV4+q3
>402
ツッコミ所多すぎだが、とりあえず
>性格から調略を好まない
謙信の好敵手だった神保や畠山が涙目ですな

408 :人間七七四年:2008/04/10(木) 17:12:46 ID:3znoe3eH
長門守護代と周防守護代が謀反すれば普通は成功して当たり前。
つかその後の体たらくは無能すぎ。
陶らが無能なのは16ヶ月も長対陣しつづけ吉川興経の裏切りにまったく気がつかず弛緩してたことでも明らか。
そもそも中国地域(大内・尼子・毛利)はいまだに寄親・寄子制で国人衆の懐柔を繰り返していたから謙信らのような決戦指向の軍は持ててないよ。

409 :人間七七四年:2008/04/10(木) 17:31:10 ID:3znoe3eH
信玄も小田原侵攻時には北条側の城をいろいろと襲いまくってるがあんまり無理な強襲はせずに落城させたりしてないもんな。

410 :人間七七四年:2008/04/10(木) 17:50:17 ID:uk/MDhwL
>>46
中国地方なんて迷信と呪術の世界からまだ抜けきれてないからなぁ。

日本海貿易で京へ青芋を輸出したり塩田でもかなりの利益を出すなど経済政策と戦乱のない安定した春日山城下から直江津にかけて商人を呼び繁栄させた経済力に立脚した遠征により攻撃型越後防衛政策…やはり謙信の方が万能だな。


411 :人間七七四年:2008/04/10(木) 18:22:46 ID:Jf+APSdh
謙信を過剰に持ち上げるのはアンチ謙信
元就を過剰に貶るのは謙信厨

謙信を過剰におとしめるのは謙信玄厨
元就を過剰に持ち上げるのは史実厨

412 :人間七七四年:2008/04/10(木) 18:49:51 ID:o16MOi3l
上杉厨はおまじないだとか長生きしてその程度とかしかいえんのか

そもそも上杉の決戦主義ってなんなんだ?


413 :人間七七四年:2008/04/10(木) 19:20:38 ID:Gopkjegw
大友風情に互角の戦いする元就
謙信以前に義久義弘兄弟にも勝てないよ

414 :人間七七四年:2008/04/10(木) 19:27:04 ID:HR7HRVRe
>>410
自分を毘沙門天の化身だと思ってた人もいるんですよ。

>>413
あのときの大友氏は最盛期ですよ。
戦術面においては毛利氏が押してたんですがね。
まあ、外交面で負けてどっこいどっこいになってしまったんですがね。
それでも退却した後に毛利の両川はそのまま尼子残党の討伐をしてますがね。
その後の大友氏は毛利氏の介入により勢力を弱めてそのまま竜造寺、島津等に吸収されると。

415 :人間七七四年:2008/04/10(木) 19:37:35 ID:Jf+APSdh
>>413
謙信>>>>>義久義弘
は至極当然の共通認識だと思ってるんですか?これが謙信厨なのか…感服しました。

416 :人間七七四年:2008/04/10(木) 19:50:45 ID:h3k3i4Tb
毛利厨はやたら元就を過大評価するからなぁ。
正直、武田や陶は単なる武勇バカで自滅だろ。むりやり持ち上げて、そいつらを倒したからすごいって論調はかなり痛い。

417 :人間七七四年:2008/04/10(木) 19:51:39 ID:lRlCBS/x
だから謙信玄厨は他の武将を貶めて、同時代の謙信玄と同じように周りに嫌われてばっかじゃなくて
もっと謙信や信玄のライバルで、滅ぼした相手の中では一番凄い奴らだった
今川氏真や神保・畠山らの豪族を、もっと注目してやれよ、と
↑の凄いところ語って見せろよ。そうすりゃそれを滅ぼした信玄や謙信は凄かったんだ〜、って分かるじゃん

毛利厨の皆さんは、しっかり
安芸を制圧寸前だった武田元繁は凄いとか
百万石乗っ取り成功させた陶晴賢は凄いとか、元就が滅ぼした相手の凄さを語ってるじゃん?
これって丸っきり、今川義元は凄いと素直に認める織田厨と、不当に義元を貶める武田厨の構図とそっくりだよ?
まさか謙信や信玄は、↑みたいに凄い相手は滅ぼせなかったんです〜
滅亡寸前の一国のみ保持してる大名や豪族くらいが精一杯なの〜
なんて言わないよね?

418 :人間七七四年:2008/04/10(木) 19:56:45 ID:HR7HRVRe
>>416
何度も言うのもアレですが
安芸武田がただの武勇馬鹿でしてら安芸の豪族を纏める事は無理でしたよ。
陶晴賢が馬鹿だったら大内乗っ取りは多分無理だったと思いますよ。

419 :人間七七四年:2008/04/10(木) 19:59:34 ID:uk/MDhwL
>>417
項羽の再来ってどこに記されてるんだよ?早く答えろよ。
安芸統一寸前とは笑わせる。んなわけねーじゃんw
周防守護代と長門守護代の2人が協力すれば楽勝だろ…まー単に追い詰められた末の無計画な暴挙だったがな。


420 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:05:32 ID:HR7HRVRe
>>419
貴方も>>380のソースを出してください ><
元就が井上氏に汚名を着せた等々。

421 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:08:04 ID:lRlCBS/x
だから元繁の由来は知らないってのに。一度質問されてそう答えて
なおかつ今度は「安芸を制圧寸前だった」とあえて項羽云々の異名を外して書いたのに…

謙信や信玄自身に実績がないもんだから
(本当は氏真や豪族連中相手にして頑張ってるから充分凄いのに、それじゃ脳内謙信玄とは違いすぎて不服らしい
他の英雄達にケチつけるだけで、褒める事が出来ないんだね
氏真や豪族達が可哀想じゃん。ちゃんと褒めてあげようよ

422 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:11:01 ID:h3k3i4Tb
なんだょーやっぱりムリヤリ武田を持ち上げるためにウソついただけか。
項羽と元繁じゃ比較にもならねぇ。

423 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:15:26 ID:uk/MDhwL
大内の上洛にムリヤリ連れて行かれて安芸の国人はみんな留守同然だったから尼子の支援で火事場泥棒できただけだからw

424 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:27:22 ID:Jf+APSdh
メガトンちゃんが何キャリアか使って荒らし始めるとスレが伸びますね(・∀・)

425 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:28:34 ID:HR7HRVRe
>>422
異名はともかく安芸武田氏は十分評価できますが?

>>423
上杉謙信って人は隙を突く事も出来ないほど無能なんですか?
留守同然の所を攻めない奴なんていないでしょ?

426 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:36:19 ID:lRlCBS/x
>423
火事場泥棒できたから凄いって理論にはならんの?
俺は火事場泥棒で、苦戦しまくったけど何とか今川氏真を滅ぼした武田信玄は凄いと思ってるよ
元繁の場合は自分で留守を狙って火をつけたんだから、行動力では尚更凄いね
信玄は完全に火の手が回ってから、モタモタ盗品集めて徳川さんに手伝ってもらってたくらいだし
何でもケチつけてるだけじゃあつまらんよ。元繁も信玄も、武田同士凄いんだぜ

>422
「元繁には項羽という異名があった」という趣旨のレスをして
それに「異名がついた由来知ってる?」「いや別に知らんよ」と答えたらウソになるんかい
異名の由来なんて知ってるっつーか明確に史料として残ってる方が少数派だろ
俺には誰かが形容詞を用いて人物を語る度に
「そう呼ばれるようになった由来のソースを示せ。ソースがなきゃウソつき」なんてアホな事を書く度胸ない

ほんじゃま、多すぎてツッコミに困る謙信玄厨の主張の中から一つだけ選んで
>>391の井上が同格の国人だとかの珍説に対するソース求めてみようか
(何で有田合戦で井上元兼じゃなく若輩者で初陣の元就が主力を任されて総指揮取ってんだ
 主格の毛利家の一族と、家臣格の井上一族という関係だったからだろ。という反論の根拠付きで)

にしても、相変わらず謙信や信玄が滅ぼした好敵手についても言及してあげないなんて可哀想

427 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:41:34 ID:lRlCBS/x
>上杉謙信って人は隙を突く事も出来ないほど無能なんですか?

そんな訳ないじゃない。謙信は神保の内紛を利用して越中を掌握した政略の実績があるし
畠山の城攻めた時も、疫病が流行ってたお陰で城を落とせた
これは謙信が卑怯だからでも運が良かったからでもなく有能だったという証拠
なのに謙信玄厨は実像から目をつむって謙信が正義だと主張し
他の大名の凄さにケチをつけてみせるのが精一杯

428 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:00:50 ID:uk/MDhwL
へぇ〜別に謙信厨じゃねーんだけどな。
大内を裏切り卑怯にも他人がみんな遠くに出かけてる隙に火事場泥棒するのと内紛を利用したりする事はまた別物だけどな。
なら聞くが武田元繁は安芸統一寸前って主張するなら安芸の国人達をどのくらい騎下に組み込む事に成功したのかね?誰が武田に帰順してきたの?
毛利や吉川が戻ってきたら簡単に有田城を奪い取られて奪回すらできなかったよね?


429 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:08:34 ID:uk/MDhwL
そもそも井上ら国人達との緩やかな対等同盟の代表者が毛利であり主従関係じゃねーだろ。
対等同盟でなおかつ経済力に裏付けされた井上の軍事力が脅威だったし、井上は元就当主擁立に力を尽くして経済的に支えた恩があったから意見に対して尊重せざるおえない。
元就には次第に邪魔な存在になっていったろうね。

430 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:11:35 ID:Jf+APSdh
また馬鹿がレスりはじめましたね^^
比較スレになってないって気付いてるんかな?まぁいいけどボロ負けした武田VSスレと似たような流れだね。

謙信については何も言わないところがまたw

431 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:14:23 ID:o16MOi3l
>>429
邪魔なら殺すだろ…常識的に考えて…
それが自分の権力に対等する力があるなら尚更。井上が完全に柔順って訳でもないし
井上を殺ることで完全に権力握れるんだからな。


432 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:15:46 ID:HR7HRVRe
>>429
自分は先ほどから同じ事を聞いてますが
毛利元就が井上氏に汚名を着せたというのは貴方の主観ですか?
もしソースがあるならお願いします ><

433 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:19:11 ID:l9H0mxU6
毛利元就より実績ある武将は
織田信長、豊臣秀吉くらいだろ
家康は信長、秀吉の統一に乗っかって政権とっただけだしな
普通に信長>秀吉>家康≧元就>北条氏康≧上杉謙信=武田信玄くらいだろ

434 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:21:51 ID:lRlCBS/x
先生いつまで経っても氏真君や豪族君達を無視して仲間外れにするような子は嫌いだな

>>433
大内義興と三好長慶を家康と元就の間に入れて欲しいんだぜ

435 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:25:25 ID:HR7HRVRe
>>434
私が思うに 大内、三好、毛利と
この三名に不等号をつけるのは難しいかなと。
実績も甲乙付けがたいですし。

436 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:25:26 ID:h3k3i4Tb
なぜ信玄が火事場泥棒なんだ?
義元死亡から信玄の駿河侵攻開始まで9年近くも経ってるのに桶狭間の火事場とでも?
氏真は北条との婚姻関係で侮れない勢力だったが遊興に耽るようになり、三浦義政に政務を任せきりになり重臣が離反するようになり人心が今川から離れたから好機到来と感じたから信玄が侵攻しただけ。

437 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:27:33 ID:l9H0mxU6
三好長慶も細川政権をうまく取った優秀な武将だな
ただ大内義興は元の領土もそれなりに大きかったわけだから
家康と元就より下という印象だけど
やっぱ事実上の天下人ってこともあるし判断が難しい

438 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:28:52 ID:l9H0mxU6
>>436
誰がそんなこといったんだ?

439 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:37:22 ID:h3k3i4Tb
まー元就は運がいいだけだよな。
毛利は敗走してて本来なら下手くそな用兵が原因で武田元繁に殺されていたからね。
たまたまアホな元繁が勝ちに乗じて調子コイて猪突猛進して、自ら流れ矢に当たりにいっちゃって自殺同然の犬死にしたからね。
所詮中国地方の戦いなんて双方ダメダメでこんな感じで低レベルなんだわ。


440 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:38:01 ID:lRlCBS/x
俺々、俺だよ。だから(ry

>信玄は完全に火の手が回ってから
>遊興に耽るようになり、三浦義政に政務を任せきりになり重臣が離反するようになり人心が今川から離れたから

この辺が俺にとっては同義。信玄は桶狭間で火がついた今川家に
完全に火の手が回ってから同盟裏切って(後継者の義信死なせてまで)攻め入った、ってとこ
つか普通に徳川と今川争ってたし、武田は徳川との共同作業で今川滅ぼしたんだし

大内義興と三好長慶については、元の地盤を考えたら長慶の方が上じゃないかな、とは思う
ま、やはり天下人だからね。元就はそれらの下になっちゃうと思うよ

441 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:39:18 ID:HR7HRVRe
>>439
人格攻撃に走るのは流石にどうかと思います。

442 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:40:31 ID:HR7HRVRe
>>439
言い忘れましたが
何を基準に中国地方のレベルが低いと?
その辺もきっちり説明お願いしますね。

443 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:42:52 ID:l9H0mxU6
>>440
大内は天下人になったとはいえ
一定の期間であって結局大内氏にとって有益だったかどうかといわれると
疑問が残るところだし毛利は上洛する気すらなさそうだからね


444 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:43:59 ID:lRlCBS/x
関東地方のレベルが低い証明なら簡単なんだけどなー
城の構造、焙烙技術、投石技術、鉄砲普及率。全て西方が上
ソースソース言い出す前に、全国の城跡を尋ねたり博物館を訪ねるくらいの事はしましょうね?
戦のレベルが低い=全てのレベルが低い、じゃないけど
まぁ戦術レベルでの比較なら西方のが明らかに上

445 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:50:28 ID:uk/MDhwL
そういう技術なんて伝播してきただけで地勢的な問題で別に生まれた地がたまたま早く伝わったに過ぎず当人達が開発したわけでもない。
占い呪術を盲信してたりアホな猪突猛進してたり
いまだ寄親寄子制だから低レベルなんだろ。


446 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:52:09 ID:l9H0mxU6
その通りですが中国がしょぼいとかいってた人がいたんで

447 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:54:22 ID:HR7HRVRe
>>445
自分を毘沙門天の化身と思ってた人もいるらしい。
思い込みって怖いですね ><

448 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:58:11 ID:uk/MDhwL
>>447
統率と士気を考えたら悪い事じゃないだろ。
別に占いに頼って吉凶を占いチャンスを潰すバカや大将自ら矢に当たるバカバカしさとは質が違う。

449 :人間七七四年:2008/04/10(木) 21:58:21 ID:lRlCBS/x
>446
そーだね、多分、自分が毘沙門天の化身だとか
示威行為でなく本気で妄信して家臣に呆れられてる人望ない大名や
家臣の日記で「俺は妖怪を退治した!」とか書いて武勇談にしちゃう田舎の大名がいる
関東、もとい関東を侵略しようとして失敗した上杉さんとか武田さんとかは
技術が伝達するのが遅い田舎にいて、田舎者同士で技術レベルの低い戦を繰り返して
ついでに国人や家臣に謀反起こされまくりな先進的な制度だったんじゃないかなー
先生そろそろ飽きてきたなー

450 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:00:17 ID:HR7HRVRe
>>448
元就の初陣は諸説ありますが
誘い込んだ所を弓で狙い撃ちするのは戦術の一つじゃ?

451 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:02:25 ID:uk/MDhwL
>>449
何言ってんだ北九州の旧大内領継承戦争でたかが大友風情に政戦略で毛利は大敗したくせにw
島津>大友>毛利だろw

452 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:04:10 ID:O+lQU0Hc
土地によってやり方違っていいと思うよ
特産物も違うしさ
群雄割拠が戦国時代の魅力だよね?

453 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:05:31 ID:l9H0mxU6
>>451
本当だよな
武田や北条風情に関東から追い出されかけるなんて情けなさ過ぎるな
北条>武田>上杉だろw

454 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:07:50 ID:HR7HRVRe
>>451
正確には双方痛み分け。
毛利は大友の政略で撤退したとは言え大友にも多大なダメージを与えてる。
さらに毛利は撤退してすぐに尼子残党を攻める程の余力があった。
島津が大友に勝てたのは毛利との後だからだろ・・・。

455 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:09:23 ID:uk/MDhwL
>>450
誘いこんだんじゃなくてたまたま「流れ矢」に当たっただけ。
取り巻きに守られる大将に都合よく矢が当たるわけでもないので別に狙ったんじゃないし、
そもそも大将が最前線に出るなんて有り得ないから毛利側がそれを狙って計画し(出てこない可能性が高いので失敗リスクがかなりある)戦術を考えたとしたらかなり無理がある。
出てこなかった場合を想定したら自殺行為になってしまう。

456 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:10:00 ID:lRlCBS/x
>448
吉日を選ぶのも兵の指揮に作用しますが何か
つーか占いや運勢の類を信じて行動するのなんて現代でも残ってる風習だし
神がどうとか妖怪だとか本気で言ってる地方の田舎に
宗教関係で難癖つけられちゃあ、毛利さんとこもいい迷惑だろ

そして「相手を猪突猛進させる程の少数で粘る戦術」ではなく
「猪突猛進して少数に負ける」という「勝った」元就ではなく「負けた」元就の敵中心に考える詭弁
そりゃ元就の敵は「元就に比べれば」無能だよ。だから元就が勝った
んで、謙信の敵は「謙信と比べれば」有能だったから謙信は勝てなかったんだよね
勝った元就が凄いのを語るのは簡単だけど
勝てなかった謙信が凄いの証明するのって大変だよね。無理やりにでも相手が凄かった事にしなきゃ!
さぁ氏真…は良く考えたら武田で、謙信は一人も国持大名滅ぼしてないので
神保や畠山の凄さを大いに語ってみせる番だ!


457 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:10:59 ID:HR7HRVRe
>>455
成功したのには変わり無いじゃないか。
それに元就の初陣は諸説あると。
ガチのぶつかり合いかもしれないしな。

458 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:15:27 ID:uk/MDhwL
痛みわけじゃないな。明らかに北九州の大内領の大半が大友のものになった。
毛利のおかげで島津が大友に勝てた?冗談でしょワロタw
そもそも謙信は関東に対しては助っ人的な立ち位置で長野氏の山内上杉領の横領地を取り返した以外は、関東で一寸の土地も得ていないし謙信自体も欲望や土地の為に戦争を起したわけでないと言っている。


459 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:25:30 ID:o16MOi3l
毘沙門天で士気があがるなら占いで士気が上がるのもまた事実。
逆に占い合戦なんか当人(大将や司令官)が信じてなくても兵員の士気に影響が出ればそれで十分。
この時代にそれをわかれってのは中々難しい話し。


大友はそりゃ大内領は喰らいやすいわ。毛利は尼子や大内とまで戦ってるんだからなぁ
しかも足場を固めない電撃戦やって土台揺るがされたんだからそりゃ退くわ


460 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:25:35 ID:uk/MDhwL
妖怪の話は知らんから誰が言ったのか教えて欲しい。
吉凶日を選んで好機を逃したり、相手が吉凶日を選んで攻めてくるのを知ってて答がわかってるので、
ゆっくり休んだり裏をかかれたりとバカバカしい戦いばかりで確かに兵の士気が下がりまくるだろうね。
>>428の件にも解答くださいな。

461 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:29:28 ID:HR7HRVRe
>>458
元就が指揮をしてない合戦だったとはいえ
北九州争奪戦においては毛利家の連戦連勝だったわけで
大友に対しての離反工作も成功してる
コレだけで大友に対してはかなりの大打撃でしょう。
それにコレ以降大友は衰退するわけですよ。

462 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:32:23 ID:uk/MDhwL
大友の方が喰らいやすい?
下関あたりから九州へは大した距離ではないぞ。
そんな事を言い訳で言うなら手が震えて字が書けないほどの寒さの上信越の山脈を越えて越山して坂東太郎と呼ばれた程の荒ばれ大河の利根川を渡河した謙信はもっと不利だろう。

463 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:33:49 ID:HR7HRVRe
>>462
海を跨いで攻める事を簡単と申すか

464 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:36:32 ID:uk/MDhwL
>>461
戦術面の勝利も政戦略で敗北し北九州旧大内領の大半が大友領になったんだから毛利の敗北だよ。
大友が衰退を開始したのを明確に言うとしたら宗麟が家督を譲り二元政治をはじめて指揮命令系統が混乱したのと、
キリスト教に傾倒し過ぎて宗教を巡る対立からだ。
まったくもって毛利のせいではない。

465 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:36:53 ID:lRlCBS/x
>妖怪の話は知らんから

「甲陽軍鑑」も読んでないのか
真偽の程はともかくとして、謙信玄厨にとっては一等史料扱いされてるぜコレ
城巡りとかと違って時間もお金もあんまり掛からないし、読んでみたらどう?
つか今までソース全然出してないのに一方的に続けて要求するのはどうよ
解答も求めるばかりで、こちらからの肝心な質問には答えてくれない
(ま、そちらもそう思ってるのだろうけど)

つか対大友は厳島以降なんだから大内領なんて言い出すのは詭弁だろ
大友領となっていた北九州を侵略されて、毛利に領土を差し出した上で和睦した、が正しい
謙信が侵略戦争やって(義将とか言ってる人には信じられないかも知れないけど関東出兵だって侵略行為なのよ)
領土を得る事が出来た例の方が少ない、ってか前述の通りに謙信は大大名は勿論、国持大名は一人も滅ぼせてない
なのに「大大名の大友を滅ぼせずに領土を得ただけ」の毛利が負け扱いされるなんて心外ですわ
じゃあ謙信って豪族相手に勝ってただけで、まともな大名相手には全敗じゃん

466 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:38:47 ID:HR7HRVRe
領土は取りませんが略奪はします。
それが上杉です。

467 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:39:39 ID:uk/MDhwL
大海ではなく、あまり荒れない瀬戸内海だろ。
しかも下関海峡は大した距離じゃないし邪魔で迂回しなきゃいけないような場所もない。
里見氏が東京湾を通過して鎌倉を襲うのとは訳が違う。

468 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:46:19 ID:uk/MDhwL
謙信は関東管領として関東の名族を滅ぼすつもりはまるでない。
小田氏の助命嘆願を受け入れたり佐野氏の降伏にも人質を取る事で許している。
甲陽軍鑑は持ってるが忘れてる。あとで読むからどこら辺に書かれてたか教えてくれ。
城を見ろとか言ってるようだが君はいったいどこの城を見たって言うんだい?

469 :人間七七四年:2008/04/10(木) 22:56:44 ID:lRlCBS/x
甲陽軍鑑は(軍艦と変換しなかったのに好印象。コピペしたのかも知れんけど)
所持しておらず、図書館で飛び飛びで読んだので無理。つか持ってるなら全部読め
どこの城見たのとかあんまりプライベートなの話すのは気が引けるが
まぁ普通に小田原城とかマイナー(?)で長篠城とかがお気に入り
特に長篠は城の名残みたいな建造物ってのは殆どなかったんだけど
当時の名残を残す険しい斜面ってか崖が正に天然の要塞って感じが良かった。博物館に火縄銃関係潤ってたし
あと朝倉スキーって理由で一乗谷で義景公の墓を拝んできた。復元城下街とか面白かった

つか相変わらずそちらのソース提示はゼロで求めてばかりなのね。議論する甲斐がない

470 :人間七七四年:2008/04/10(木) 23:03:52 ID:o16MOi3l
関東の城跡からは瓦が出土しない。瓦がまともにない。
一方の中国地方はあって当たり前。関東と近畿・中国との差は結構あるよ。

471 :人間七七四年:2008/04/10(木) 23:08:48 ID:uk/MDhwL
長篠城は行った事ないな。
一乗谷城は行きたいな。
あそこ行くの大変だったでしょ?電車不通になってるエリアはバスだし。
んー城巡りしてる人間とはあまり言い合いしたくないなー。
私もまずは有名どころから城巡りしてるしな。50以上は見たかな。


472 :人間七七四年:2008/04/10(木) 23:16:23 ID:KqqV4+q3
長篠も一乗谷も充分メジャーなのに行ってないと
つか普通に火車鬼退治の件くらい知らね?
甲陽軍鑑持ってると主張するのは何よりだが
今まで散々毛利方を貶めてきた占いやら何やらのソースいい加減出しとけよ
ソース出すの面倒くさいって分かって相手に要求してんだろ?

473 :人間七七四年:2008/04/10(木) 23:26:01 ID:lRlCBS/x
長篠は電車で駅から歩き。最初はショボくてビックリするかも知れない
(ホント、崖にポツンとちっちゃ博物館あるだけなの。当時の規模も、そんなもんだったって絵図があった
一乗谷は車だったから別に大変って訳でもない。つかある程度歩くのも楽しみ
あそこ行きゃ、義景公は名君だ、と思うまでは行かずとも、ある程度認識は変わると思う
たまたま俺が行った日がそうだったのかも知れないけど
地元の人が(係とかじゃなく)未だに無償で花供えてるって話聞いて感動した
逆に小田原城は…動物園の存在がなぁ、いや動物に罪ないけどさ。基本的に平野の城より山城がオススメ
どこだったか名前は失念したか(長篠と同じ日に訪ねたから、愛知近辺。浜松城は平地で駐車場あったし違う
山一個丸々歩かなきゃいけないとこもあって、真夏なんできつかったな
博物館もくそもない、日曜のせいか無人の城跡(普段は近くの寺が管理してるって立て札あった)
だったけど、櫓とか丸太での囲いとか感動した

この手の話はプライベートな馴れ合いにしかならないんで、この辺で止めとく
嬉しくて、ついつい連レス失礼

474 :人間七七四年:2008/04/10(木) 23:34:04 ID:l9H0mxU6
>>473
別にそういうレスもいいんじゃない?w
どうせ過疎ってるんだし

475 :人間七七四年:2008/04/11(金) 00:09:47 ID:ihAtbTdB
>>473
一乗谷は友人も行きたがってるんだよな。レス読んでるとやっぱり行くしかないなと改めて思った。
長篠も良さそうだね。
山城なら備中松山城や竹田城は皆さんが激賞するだけにやはり良かった。
ちなみに安土城は夕方に登ると良い。総見寺跡から西の湖を眺めると夕日が湖に写り込み非常に綺麗で神秘的だ。
信長もこの風景を見たかと思うと感ずるものがある。
また津山城や弘前城も素晴らしいので遺構が見えづらくなるが桜を愛でるゆとりがあるならぜひ。
個人的には機会があれば岩村城と郡山城には行きたいと思ってる。

476 :人間七七四年:2008/04/11(金) 08:49:02 ID:QCaITxpx
メガトン先生によると謙信はろくに家督を相続させてももらえないような状況から
越後を手にした英傑だったんだから、信玄もそんな奴はほっといて美濃や上野方面に
進出すればよかったんだよ。それをできなかったあたりが信玄の情報収集能力か
戦略眼の不足をよくあらわしてるね。


あるいは自分より9歳も年下の若造に負けるとは思ってなかったのかもしれないがw

477 :人間七七四年:2008/04/11(金) 10:35:14 ID:oLXNI3N8
武田氏は甲州金山、
上杉氏は佐渡金山、
今川氏は駿府金山、
北条氏は伊豆金山、
毛利氏は石見銀山、
織田氏は堺の町からの徴税によって経済力を持った。
ゆえに戦国時代は経済力による勢力争いであった。
というようなことを中井貴一主演の大河ドラマ武田信玄で言ってたんですけど、
武将の能力ってどれ程必要だったんでしょうか?
同じ佐渡金山があってもそれまでの上杉氏は弱く謙信になったら強くなったのでしょうか?
尼子氏から奪ったのは銀山なのに強く慣れたのは毛利元就の能力の高さでしょうか?

478 :人間七七四年:2008/04/11(金) 10:56:09 ID:wJIdz/Tj
毛利は都に近い、博多が近い、南蛮貿易が出来ると良いとこばかり
おまけに周囲は信長と対決するまでは比較的緩い均衡地帯。


479 :人間七七四年:2008/04/11(金) 11:30:09 ID:z+2ZkoW6
>>478
またメガトンさんですか?w
毛利は〜っていうけど元就の初期って都に近くて博多が近くて楽な情勢だったん?三百貫って随分大きな領土なんですね。

もしかして軌道に乗せる能力って無視ですか?

480 :人間七七四年:2008/04/11(金) 11:31:38 ID:NRrdDw2Q
初期の元就は海すらない山の中なワケで・・・。
自転車で回れるぐらいの範囲なんだっけ?

481 :人間七七四年:2008/04/11(金) 11:47:20 ID:gSZ+qIdn
甲陽軍鑑はデタラメだからなー。
山本勘助が大活躍するし、北条の武州松山城攻略も甘利騎下の活躍のおかげで速攻で陥落したので武田の功績みたいに記すしな。
そうそう松山城落城を聞いて怒った謙信が信玄と氏康に予告状を送ってから翌朝に利根川に船橋を作って渡り、
船橋を壊して背後を絶ってから氏康や信玄の陣地前を通過し北条の山の根要害を攻めて3000人殺し、
また同じ道を通って帰りその案内をしなかった厩橋城主の長尾謙忠とその兵2000人を殺戮したとかムチャクチャなデタラメ書いてるもんな。
合計5000人も殺すかよ…つか江戸初期の人間のお前が数えたんか?と言いたいな。
まぁ武田旧臣ども謙信を基地外みたいに捏造を言い過ぎてワロタw



482 :人間七七四年:2008/04/11(金) 11:54:09 ID:NRrdDw2Q
厳島においての死傷者はどうなんだろ。
第三者の書状によると死傷者8000人だと書いてあるらしいが・・・。

483 :人間七七四年:2008/04/11(金) 12:27:23 ID:G+WlITAB
>>480

元就はんは非常に堅固な難攻不落の永久要塞をもってました>>373>>375>>378
現在の江の川なども往時には河川流通に利用され税収もかなりあったでしょう。
なんせ三次から福山への河川ルートははなはだしく遠いが
江の川を利用して三次〜広島へのルートは短く、その分、国人達の間を通過する数が少ない。
現在でも安芸高田市役所が置かれる盆地もあり余所者の往来もチェックできる。当時としては決して不便な場所ではないだろう。

484 :人間七七四年:2008/04/11(金) 12:45:12 ID:ihAtbTdB
稲葉山城は堅固で
道三と義龍の時代は難攻不落だった。
龍興は行状が悪く、ついには竹中半兵衛や美濃三人衆の安藤守就らによって乗っ取られる事件が発生し衰運してしまい人心が離れてしまった。
斉藤家もまた隆盛は三代続かず孫の代で滅亡した。
尼子経久や大内義興といった偉大な祖父の威光という遺徳も孫まで届かないもんだ。
いや祖父への恨みを孫が引き受けされられ精算を迫られたと言うべきか。
治乱興亡とはかくも哀しき。
大坂夏の陣により戦国の終焉を迎えた事は幕藩体制下でとりあえずは生き長らえる保証をもらった主家なら上杉でも毛利でも皆がホッとした事だろう。


485 :人間七七四年:2008/04/11(金) 12:49:29 ID:NRrdDw2Q
>>484
大内氏は義隆の時代が最盛期。
尼子氏は孫の晴久の時代が最盛期。

486 :人間七七四年:2008/04/11(金) 13:01:28 ID:ihAtbTdB
>>485
ん。そうだね。
隆盛が開始されたのが祖父と言う意味。
なかなか代がわりを三代続けて尚且つ安泰足らしめるのは難しいって言いたかっただけ。
義隆は43歳の時に謀反で殺され、晴久は46歳で急死。
こういう死に方されると後に残された子は大変なもんだ。

487 :人間七七四年:2008/04/11(金) 13:10:32 ID:G+WlITAB
現在のような医療技術がないし
迷信や間違った健康法や、暖房器具がない厳冬の地域の酒。
戦国時代の寿命なんて天命でしかないからね。
当人の能力とか関係ない寿命。だけどこれは家督相続して家を安泰たらしめるには非常に重要だよね。
例えば現在の医療水準であれば信玄や謙信も長生きしてるだろうし豊臣秀長や秀吉も長生きしてしまうかもしれない。
生後間もない乳児に死亡率だって変わると嫡男も別人かも。
家康の当時の薬草などの健康法がどこまで間違いないものかは知らんけど
寿命が長かった当主は有利なのは間違いないね。
そういう意味では信長親子のように謀反で死ぬのは愚かとしか言いようがない。

488 :人間七七四年:2008/04/11(金) 13:13:17 ID:NRrdDw2Q
>>487
酒を飲まない事が長生きに繋がると気付いた元就は凄いなと思う。

489 :人間七七四年:2008/04/11(金) 13:31:38 ID:z+2ZkoW6
代々酒飲みの一族だったから元就も下戸だったわけではないような気がするけど、やはり兄が酒にやられたのが余程ショックだったんだろうか

490 :人間七七四年:2008/04/11(金) 13:36:04 ID:NRrdDw2Q
まあ、寿命がどうとか言ってたら限が無いわけで
寿命を持ち出すのは止めたほうがいいと思う。

491 :人間七七四年:2008/04/11(金) 13:48:55 ID:G+WlITAB
祖父の毛利豊元も33歳で死亡だし酒毒かもな。
父の毛利弘元は酒毒だね。

そういや豊元の祖父の毛利光房って応永の安芸国人一揆の幕府公認のリーダー格だったらしいね。毛利は国人のリーダー的な存在だったんだね。九州の大内と戦ってる最中に陣没したらしいけど。

492 :人間七七四年:2008/04/11(金) 15:34:16 ID:hd18wZYr
ま、元就についてあんまり知らない人は
元就以前の毛利家のこと「小さな大名家」くらいに認識してる感じだしね
基本的に国人連合の代表格に過ぎない立場の大名なんていくらでもあるけど
(つか信長みたいに絶対的な権力体制に移行出来たのが少数派。武田信虎辺りは失敗して追放されてる
毛利の場合は元の領土が小さいもんだから、なおさら権力が弱かったんだろう

「寿命が長かったら有利」って「頭が良かったら有利」「身体が健康だったら有利」と同じだぜ
元就の場合は一族との対比で、禁酒という自らの行動によって健康を獲得したのが窺えるから
健康を保って長生きしたのも実力の内
そもそも「寿命が長い」なんてゲームのパラメータみたいに予め定まった数字のように認識してる奴がおかしいだけで
元就は自身の努力によって、長い間死なずに生き続けた。自ら寿命を引き伸ばした訳
晩年は大大名になってたから、将軍から名医を派遣されて更に長生きしたなんて話もあるな
義輝も元就も好きなんで、お気に入りのエピソードだ

493 :人間七七四年:2008/04/11(金) 15:51:51 ID:gSZ+qIdn
代々みんな死ぬほど酒好きなのに元就だけ飲まないのは単に酒が呑めなかっただけかも知れんし、その辺はわからん。
ただ周囲の強敵が死に経験少ない若き当主が就任するのは勢力拡張の絶好のチャンスなのは間違いない。
なんせ新体制になると当主との婚姻関係や後見人や悪い遊びを教える寵臣、補佐役や重臣や新たに取り立てられた者など新旧の対立や新たな立場に不満を持つ者が増え不安定化する隙が狙える。
酒飲む武将なんてたくさんいたし信長みたいに酒飲まないのに謀反で死亡なんてのもある。
寿命なんて所詮は運。

494 :人間七七四年:2008/04/11(金) 15:57:42 ID:hd18wZYr
おいおい、元就さん思い切り酒の毒について隆元さんに訓戒しとるがな
酒を呑めない体質のお陰で健康を保てるってんなら、それも一つの才能だよ
逆に酒大好きな体質で早死にしちゃったんなら
そりゃあ運が悪いんじゃなくて本人が生まれもって資質の内の一つ
「頭が良い」「頭が悪い」の差と同じように
「健康な体質である」「不健康な体質である」というのは才能の差ってもんだろう

寿命が運、「長生き出来る人間」に生まれてくるのが運だというなら
「頭が良い人間」「体力のある人間」に生まれてくるのも運だわな

495 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:10:31 ID:G+WlITAB
>>494
能力の寿命はまったく違うだろ・・・何が言いたいのかさっぱりわからん。寿命を評価する方法なんてあるのか?


496 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:13:11 ID:z+2ZkoW6
社会に出てからの意外に重要な要素(意外っつーかそもそも普通に重要なわけだが)に健康である事があるね

だから頑健な体質だった元春を家に残そうとしたりしたのかね?結局隆元が継いだけど

497 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:13:14 ID:NRrdDw2Q
長生きしたからずるい、長生きしたからそれだけ活躍できた
ってのは間違いだな。

498 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:16:23 ID:hd18wZYr
>495
あぁ、ごめんね。もうちょい分かりやすく書くよ

要するに酒の毒に気づいて長生きした元就さんは頭が良い
酒の毒に気づかず長生き出来なかった人たちより凄かった、って事
元就さんが長生きしたのは運というよりも、自分自身の努力による物なのが確認できるのよ
寿命なんて本人の心がけ、努力によって長生き可能なんだから
君ももっと健康に気を使う努力をした方が良いよ。「寿命は運」だなんて信じちゃダメ

499 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:24:45 ID:ihAtbTdB
まぁ事実、みんなが死ぬまでしぶとく生きた元就が棚からボタモチだわな。
なんせ壮年期に活躍らしい活躍もしてないし。
優れた人物は袋に入れても突破るはりのよう鋭く頭角を現すもの。
個人的には元就よりも48歳?三村家親や51歳?で死んだ宇喜多直家の方が優秀だと思う。

500 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:25:06 ID:NRrdDw2Q
酒の害に気付けたか、気付けなかったかの差だな。

501 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:27:16 ID:NRrdDw2Q
>>498
寿命の次は棚ボタですか

502 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:27:18 ID:z+2ZkoW6
その見解は論理的ではありません。よって却下します。

by スポック

503 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:28:03 ID:NRrdDw2Q
>>501
安価ミス
>>499だな

504 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:33:08 ID:hd18wZYr
まー相変わらず
(元就は凄いけど)「それは敵が弱かったから」「長生きしたから」
という言い訳理論ばかりで、目新しい角度じゃないから
なんか全然「おっ、一理あるなぁ」と思えないね
一時期、内政面で比較したら元就は息子は優秀だけど当人よりは謙信の方が優れているのでは?
って流れで「軍事は元就」「政治は謙信」という流れになった時は「なるほど」と思ったもんだが

505 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:33:20 ID:G+WlITAB
元就って吉川家乗っ取りが成功した52才くらいまではうだつが上がらなかったからねぇ。1550年くらいから人格がまるで違うようで別人に入れ替わったみたいw
斉藤道三や北条早雲も年齢上から親子二代説やらいろいろあるし
元就も当時としては異常に長生きだしあるいは・・・とか思っちゃうね。

506 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:42:18 ID:hd18wZYr
初陣の時点で、有田合戦みたいな逆転勝利を演じ
(結局、50年近く長生きした謙信も信玄も、元就の初陣に匹敵するような戦果を残していない)
50歳までに三百貫の地盤から安芸一国を掌握するまでに成長したのを
「うだつが上がらない」と評するかね普通

そういえば北条早雲(実は若い頃から活躍してたのが明らかになってきた人)
こと伊勢新九郎盛時の最初の地盤が、元就とほぼ同じ三百貫と判明した時には
何やら不思議な感慨に襲われたなぁ
時期的に考えれば、西の経久と東の早雲という対比だけど
世代を超えた元就と早雲という東西の英雄にも、こんな共通点があったんだね

507 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:43:15 ID:NRrdDw2Q
>>504
強さというは基本的には国力ですな
例外があるとすればそれは、有能の指揮官って事ぐらいかな?

>>505
吉川氏、小早川氏を乗っ取る以前にも十分活躍してますよ。

>斉藤道三や北条早雲も年齢上から親子二代説やらいろいろあるし
>元就も当時としては異常に長生きだしあるいは・・・とか思っちゃうね。
元就には親子二代説なんてありませんよ?
子供は多いけど。

508 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:43:26 ID:K10k+hiu
うだつが上がらないって
1550年ぐらいまでで一豪族から安芸で最大勢力の豪族になったんだから
1550年以前もとんでもないと思うが

509 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:55:01 ID:G+WlITAB
謙信は若年で中越の最前線に行かされてる。
後方の柏崎は守護上杉、南方は守護代の地位を狙う上田長尾
東方は葦名に支援されてる揚北衆と孤立無援の死地。
ここで謙信は実力を発揮し中条氏などは若き謙信の活躍に惚れこんで謙信を長尾家の当主にと望むようになっていった。
若き日からカリスマを発揮してましたが何か?

510 :人間七七四年:2008/04/11(金) 16:57:55 ID:0aP+u7IH
実績で考えたら間違いなく
毛利の方が凄いな
知名度は上杉の方が高いだろうけど

511 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:00:34 ID:ihAtbTdB
そもそも元就の祖父も安芸の国人の指導をしてたって言うし、もともと毛利は他の国人から頼られていた存在だったよな。


512 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:00:49 ID:hd18wZYr
>>509
別に謙信にカリスマがなかったなんて一連の流れで誰も書いてないでしょ。被害妄想
つか若くしてカリスマになったって意味なら有田合戦に勝利した元就だって同じ
まー違いは明確な戦果残してないとこだけど、散々既出のように
謙信の本領とは戦術能力ではなく政治力だから問題なし
兄貴を追いやって家督争奪しただけで政治的な実績としては充分
(家督争奪に関する善悪論争はお腹一杯なんで遠慮しとく。弟が兄の家督を奪ったという事実関係だけの意味で)

513 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:05:03 ID:G+WlITAB
>>506
>>401

514 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:09:59 ID:NRrdDw2Q
>>513
人格攻撃しまくりの評はどうかと思う。

515 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:11:02 ID:hd18wZYr
>401
>513
そうだね
元就が「多大な兵力差を覆して」「敵総大将を討死させる」なんて
謙信や信玄が生涯で一度も味わえなかったような大勝利の実績を残したのには
「敵が弱くて」「運が良かった」っていう言い訳が提出されてたんだよね
忘れてないから安心して
謙信や信玄に実績がない事実と同じように、覚えておくから

>512
そだね。そもそも頼られた存在でなきゃ
有田合戦で吉川やら井上やらを従えて初陣の元就が主力を任されて指揮できない
ただ、元就は次男だったし、父が元就に残してくれた三百貫の領地も井上に専横されてた
だから元就20歳頃における毛利本家の実力=元就が最初から受け継いでいた地盤
ではない、という事は留意して欲しい
謙信と同じように、元就も最初から順風満帆な条件でスタートしていた訳じゃない

この辺の共通点
・本来は兄筋の当主の座を弟が相続した
・酒好きで有名な謙信と、禁酒を努めた元就
は面白いんだよね、この両雄

516 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:14:13 ID:G+WlITAB
家督を奪ったんじゃない。
兄は病弱で越後衆から頼りなく感じられて支持を失っていった。
その最大の原因は守護上杉定実の養子問題から始まった争いに介入すらできず調停できなかったから。
また守護上杉定実としても若輩の謙信の方が操りやすかったので家督問題で干渉され擁立された。
ただ定実に命じられて中越に派遣された若き謙信の戦いぶりで熱烈な信奉者が多くいたので守護家の思惑とは違う方向にいった。

517 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:17:33 ID:G+WlITAB
武田元繁を高く評価する意味がわからない。
マジでぜんぜんわからない。元繁の凄さをもっと具体的に説明してくれ。

518 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:21:57 ID:G+WlITAB
>>588
>>499

519 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:24:24 ID:hd18wZYr
>516
要するに奪ったんじゃなく奪わされたと
別に「家督争奪」という表現が間違ってる訳じゃないんでしょ
なんか「今川氏真は支持を失ってたし北条が狙ってたから裏切って攻め滅ぼしても悪じゃない」
っていう信玄さんとこの理論と似てますねソレ

>517
そうだね
謙信や信玄が「多大な兵力差を覆して」「敵総大将を討死させる」
勝ち戦をしてる実績を示してくれれば、二人の軍事能力を高く評価する意味も分かるのに
どうして具体的に謙信の軍事能力の凄さを語らずに、元就の凄さにケチをつけるだけなのかな?
俺は信玄が無能だなんて思わないけど、川中島のちょっと前に信玄って少数の豪族相手にボロ負けしてたよね?
武田元繁って連戦連勝で(勝てる条件を作ったのは名将の条件です)
信玄みたいに後世に残るような酷い大敗北を喫する前に元就と戦う羽目になったんだよね?

おっと、ついでにアンカーミス発見
>515の元就の地盤に関するレスは>511宛て
連レス及びケアレスミス失礼。自粛

520 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:28:15 ID:0aP+u7IH
>>517
では上杉謙信の凄さについてじっくり教えてもらうか

521 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:29:57 ID:NRrdDw2Q
武田元繁に関しては資料が少ないために書く事が少ないが
一時期とは言え安芸最大の勢力を築いてる
コレだけで評価できると思うんだがどうだろ?

522 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:31:12 ID:K10k+hiu
>>509
謙信が栃尾に入った時期は
この時期の芦名は天文の大乱に巻き込まれて動けないような状況
揚北衆は中条以外の大半は養子反対で晴景・景虎派
上田長尾氏が景虎と対立しだしたのは、晴景と景虎が争いだしてからじゃ
中越には景信らもいたし、

別に孤立無援でも死地でもないと思うが・・・
前線ではあるけど。

523 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:33:43 ID:ihAtbTdB
武田元繁は単なる夜盗だろ。
みんな大内の上洛軍で留守してたところで暴れ周ってただけ。
尼子の調略に乗せられた末に毛利と吉川が戻ってきたら軽く有田城を攻め取られる始末。
これで尼子経久に愛想尽かされて見捨てられたあげくに猪突猛進して運悪く流れ矢にあたり死亡。
まったくもって愚将の見本。

524 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:38:02 ID:G+WlITAB
>>522
双方とも仲がよくない。隙あらばと牽制しあってる。
葦名は金上氏などが揚北衆を煽動したり援助したり後援してる。

525 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:41:24 ID:ihAtbTdB
中条以外は養子反対だが別に晴景や景虎派でもない。守護上杉派内同士の争いで府内長尾は蚊帳の外。
上田長尾は事あるごとに対立してきた潜在的な敵。
天文の乱と上杉派内の戦いは連動している。

526 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:45:05 ID:z+2ZkoW6
前スレの武田信玄VSのスレでも言ってたんだが、なんで互いに認めるという姿勢が無いのかな?

客観的に見て毛利元就が凄いと支持してる人達は、上杉厨の人達が『毛利元就のこういうところは流石だね、対する上杉謙信もこんな業績や逸話もあるんですよ』という風にきちん話せばととりあってくれそうじゃないですか?
それなのに何故くだらない煽り合いしかしないんだろう?

相互に価値ある議論や話し合いをする気はありませんか。上杉厨は

527 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:47:14 ID:0aP+u7IH
>>526
マジレスするとこのスレがネタスレだからじゃないの?
どう見ても上杉厨は荒らし目的でやってるでしょ

528 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:51:50 ID:G+WlITAB
中条は伊達に支援されて本庄や鮎川は出羽の大宝寺へ逃げてるしな。
そうそう上田長尾と揚北衆は上条氏について父の為景を引退に追い込んでるね。

529 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:52:47 ID:K10k+hiu
>>524
>葦名は金上氏などが揚北衆を煽動したり援助したり後援してる。
この時期に関してはそんな史料無かったと思うが?

>>525
晴景が養子反対の揚北衆を支持して、養子派の守護中条らと対立したから起きた内乱じゃ
ちゃんと状況を把握している?

上田長尾が潜在的な敵というのは同意だが。

530 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:56:29 ID:G+WlITAB
>>526
過去レスでさんざん謙信の悪口言ってる件は完全スルーですか?
不利になるとすぐそういう事をいうから毛利厨は自己中すぎる。

531 :人間七七四年:2008/04/11(金) 17:58:41 ID:K10k+hiu
>>528
時代と情勢が異なるんだが・・・
わざとやってるのか?
時代と情勢無視と言うより別々の時代からわざと謙信に不利になるような
情報を部分的に抽出して知らない人間が勘違いするかのように。

そういう言い方するんじゃ毛利の方がよっぽど凄いことになりそうだが

532 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:02:09 ID:z+2ZkoW6
>>530
悪口ってwwwもうアボカド
呆れてものも言えません。

533 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:02:10 ID:CdNFeAWl
どっちも厨厨いってりゃ議論なぞできんわな

534 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:02:50 ID:G+WlITAB
いや、上田長尾が潜在的な敵という理由で例を挙げただけで他意はない。
あとアンカーは俺宛じゃないが・・・晴景はアナウンスしたけど、結局、どちら側にもつかなかったと思うが・・・その無能さが越後衆から失望されたんでない?

535 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:03:54 ID:NRrdDw2Q
>>523
隙を突くのが夜盗なら、大半の大名は夜盗になってしまう。
尼子の調略に乗せられたかどうかはわからないが、利害関係があったのは確かですな
尼子氏の女を妻としてますしね。
その後毛利に負けてからの尼子氏と安芸武田氏の関係はどうなったかはちょっとわからない。

>>530
悪口の言い合いは多少あったと思いますが
上の方では子孫を罵ってみたり
毛利と付く人の名前を挙げてみたりと結構酷い荒らしもいますよ。
まあ、その辺はお互い様という事で。

536 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:05:07 ID:0aP+u7IH
>>533
真剣に両方の実績を並べてみて元就の方が凄いといったところで
相手が弱いとかの一点張りなんだから話になるわけないでしょ
謙信が滅ぼせなかった武田や北条は大内や尼子と比べてはるかに凄いといってるん
だから

537 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:08:44 ID:K10k+hiu
>>534
晴景はどちらにもつかなかったってことは無いと思うが
一応景虎を派遣してるんだし。
ただ本当に病弱だったのかはわからないが、この時期動いたような記録は残していないかな。

538 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:09:31 ID:G+WlITAB
>>536
それはあなたの主観だろう。それなのに自己正当化をし始めるのか?

539 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:12:35 ID:0aP+u7IH
>>538
書き方が悪かった
元就と謙信どちらが凄いかは意見が分かれるところだろう
それはいいとして
謙信を上だという奴の理由が相手がしょぼいというまったく根拠の無い
方法で毛利を貶し始めるから話にならないといっているだけだ

540 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:16:55 ID:G+WlITAB
そもそも戦国大名の大半の壮年期以前の記録は眉唾もの。
謙信もそうだが細かいことはわからない。
元就の有田中井手の戦も非常に疑わしい。そもそも取り巻きが固めてるであろう武田元繁に流れ矢があたるだろうか。
なかなか戦国史でも当主が流れ矢って・・・そうとうなレアケース過ぎる。
もし事実なら相当のアホだろ。

541 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:18:52 ID:0aP+u7IH
相手がアホだとしてもその合戦内容は触れないことにしよう
それでもあの国人から西国一の大大名になったことは紛れもない事実だろ?

542 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:20:31 ID:K10k+hiu
>>477
佐渡金山は景勝時代
上杉はアオソと津料が主な収入源じゃ

尼子は十分強かったと思うが
尼子が銀山持っていた頃は、石見は大内と取ったり取られたり
また肝心の銀山も本城常光らの所有で直接支配ではない

毛利は石見を取った後、銀山を所有していた本城常光らを粛清して銀山を支配したから
尼子より効率良く銀山使えたのだと思う、
まあその粛清見て石見出雲で毛利に従っていた勢力が離反するという結果も招いたけど。


543 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:22:50 ID:X+PU3aTV
壮年期以前にも以降にも戦果を残した記録がある元就に比べると
壮年期以前にも以降にも戦果を残した記録がない謙信のアホっぷりが際立ちますな

544 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:26:46 ID:NRrdDw2Q
>>541
それ言った後だと多分 元就の相手は弱かったとか、元就は火事場泥棒 という答えがよく帰ってくる

545 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:31:42 ID:X+PU3aTV
そもそも毛利元就と上杉謙信の比較で
武田元繁なんて持ち出すのがナンセンス、というよりは卑怯
だって謙信には有田合戦みたいな凄い実績ないんだもん
実績ない側が実績ある側に、どんな難癖つけても負け犬の遠吠え

だから大人しく尼子・大内と神保・畠山を比較しようぜ
それが両者の実力の差

546 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:32:26 ID:0aP+u7IH
>>544
それを俺はさっきから言ってるんだけど
どうも話が通じないんだよね

547 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:52:42 ID:NRrdDw2Q
>>543
謙信も壮年期以前に十分活躍してますよ。

548 :人間七七四年:2008/04/11(金) 18:56:14 ID:G+WlITAB
>>546
大内義興や尼子経久が弱いなんて
誰も言ってない。
孫の代まできてすっかり衰退しきって末期になった両者を老人元就の老練さで滅ぼしただけと言ってるだけ。
長生きは得だよね。

549 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:01:56 ID:0aP+u7IH
>>548
その割に信玄と氏康が死んだあと結局滅ぼせなかったよね


550 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:03:48 ID:G+WlITAB
>>493のような事を子、孫で相続ごとに行ない内紛や謀反で大内や尼子は自壊していくまでひたすら待ち続けて、たまたま本人が長寿だった元就は運がいい。
小早川当主だって目が見えないとか願ってもそんなラッキーな話はないよな。陶や内藤は追い詰められたあげくに逆切れして無計画に謀反しちゃうし。
中国地方なら宇喜多直家や三村家親の方が元就よりも才覚あったし偉大。


551 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:05:14 ID:0aP+u7IH
とやっぱりこういう流れになるわけですよね

552 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:06:01 ID:NRrdDw2Q
>>548
別に衰退してもないし末期でもないですよ。
大内氏は陶晴賢の謀反により当主の義隆が死亡。
コレは衰退じゃありませんよ。
元就が大内氏を攻める決心をしたのは当時同盟関係にあった大内氏の当主が死亡したからですよ。
まずは攻めるために日ごろ外交工作をしてた天皇家を使って大義名分を得る。
普通に戦えば陶氏に滅ぼされる状態を持ち前の謀略でそれを覆したんですよ。

尼子氏は孫の晴久の代が最盛期。(それでも経久の方が恐ろしいと思いますが)
その最盛期の尼子を滅ぼすのは難しいと思うのですがどうでしょう?


553 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:06:34 ID:X+PU3aTV
負け犬の言い訳理論を充分に加味してやった上で…

長生きして尼子や大内を滅ぼした元就の方が
長生き出来ずに神保や畠山を滅ぼした謙信より凄い
って結論でスレ終了ですな

554 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:14:13 ID:G+WlITAB
まぁ正確にいうと尼子経久の曾孫か尼子義久は。
なんもわからん無能だから尼子を6年で崩壊させたもんな。
でも謀反されて死んだ大内義隆や義興の孫の大内義尊よりはがんばったけどな。アホ当主が死んだ後に擁立された大内義長も6年しか持たなかったもんな。


555 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:18:35 ID:K10k+hiu
つかなー毛利が大内尼子が代替わりするまで勢力広げられなかったというなら
相手が勝手に弱くなっていっただけってのも少しは言えるかもしれないけど
元就の場合は家督継いでからずっと領土広げているわけだしなー

それ以前に大内尼子が衰退期にというよりは、
毛利が強くなった結果相対的にってのが正しいだろうし

556 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:21:48 ID:ihAtbTdB
まー大勢力や大軍が敗退したり滅亡するのは大勢力側が何らかの失策や失態を繰り返す場合がほとんど。
そういう意味では狙って起こせないだけに喰う側はラッキーだと言える。
大内や尼子は自爆したと言える。
信玄→勝頼や氏康→氏政への後継時は内紛や権力闘争といった面でさして何の問題もおきず見事な引き継ぎができたのはかなり凄い。
まったく他家に乗ぜる隙を見せないあたり政治力も抜群の安定性を誇ってる。


557 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:30:10 ID:G+WlITAB
>>555
いや毛利はかなりおいしい位置にいた。
尼子か大内のうちで条件の良い方を選んでその庇護を受けていただけ。
また吉田郡山城は標高も高く難攻不落の要害でありいざとなったら篭ればなんとでもなる。
武田や北条の北上に、いまだバラバラの越後を纏めてガチ勝負してるのとはわけが違う。
また越中情勢は椎名や神保に一向宗が複雑に絡み合い
謙信の祖父は相模国で守護代三浦氏を捕縛した勇武の男だが般若野の戦いで討ち死にするほど手ごわい地域。
戦地の砺波市などはもう石川県も近く越中の者どもは侮れない。


558 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:38:07 ID:gSZ+qIdn
安芸国人達は一揆で協力したりするけど越中は一向宗とか簡単にいかないからなー。加賀や越前でも猛威を振るってたし。
こいつらが椎名や神保の後援したりする時があるから厄介なんだよな。
しかも神保や椎名も自立性が高くプライド高いからいくら負けてもすぐ反旗を翻して服属しねーんだよな。
安芸国人なんて寄親寄子制の服属癖がついてるから楽なもんだよ。

559 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:38:20 ID:NRrdDw2Q
>>557
おいしい位置にはいなかったでしょう。

>尼子か大内のうちで条件の良い方を選んでその庇護を受けていただけ。
条件の良い方を選ぶのは当たり前の事であって、態々悪い方を選ぶ人はいないでしょ?
大内氏の方に行けたのは武田氏との戦いの勝利したからですよ。
アレで負けてれば滅亡もしくは大内氏に攻め滅ぼされていましたよ。

>また吉田郡山城は標高も高く難攻不落の要害でありいざとなったら篭ればなんとでもなる。
吉田郡山城がいくら堅城でも数で攻められば落ちる城ですよ?落ちた試しはありませんが。

>武田や北条の北上に、いまだバラバラの越後を纏めてガチ勝負してるのとはわけが違う。
武田や北条は国力が同等だったからガチで勝負ができただけですよ。
毛利の場合は国力からしてガチで勝負するのが無理なんですよ。
まさかあの状態で勝負をしろとでも?それはいくら武田でも上杉でも無理だと思いますよ?

560 :人間七七四年:2008/04/11(金) 19:58:13 ID:ihAtbTdB
尼子に使い棄てにされた武田元繁は猪突猛進して矢に当たるアホだし負けないだろ。
標高250m級の要害城は内応でもない限りほとんど落ちない。
国力が同等?なんの冗談ですか?
謙信が傀儡として当主になった頃の越後はまったく統一されてないですが何か?
しかも信玄は甲斐と信濃の大半を領有し、氏康は伊豆・相模・武蔵・上野・原氏を通じて千葉氏を支配し下総の大半も領有下してましたが。

561 :人間七七四年:2008/04/11(金) 20:12:27 ID:NRrdDw2Q
>>560
矢に当たるのがアホかどうなのかはわかりませんが
武田氏をここで圧倒しておかねば大内氏との同盟は結べませんし
いくら堅城といえども初期の頃の毛利氏は精々500人?集めるのがやっとだと思いますよ?
500人で篭って100万石の大名の攻撃に持ちこたえる事は難しいと思いますよ?
例え持ち応えたとしても次が来ますよ。

>国力が同等?なんの冗談ですか?
すみません><
武田氏と北条氏が対峙してた頃は国力は同じくらいだと思っていました。

562 :人間七七四年:2008/04/11(金) 20:42:13 ID:0aP+u7IH
お前ら落ち着いて
謙信と元就の功績をまとめてみないか?

563 :人間七七四年:2008/04/11(金) 20:49:45 ID:z+2ZkoW6
双方真っ赤な顔と血走った目を治してから書き込むこと
2ちゃんといえど落ち着け

564 :人間七七四年:2008/04/11(金) 20:53:50 ID:NRrdDw2Q
まあ、自分も謙信の功績に関してはそこまで把握してませんので
誰かが纏めてくれたら非常に助かります。

565 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:03:05 ID:ihAtbTdB
把握してねーくせにVSスレに書き込むなタコ!
批判する資格すらない。

566 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:06:53 ID:z+2ZkoW6
>>565
まぁたバァカがw

いい歳してなにやってるのか知りませんが、歳相応の心のゆとりを持って頂きたい。あなたにはまた別の資格が無いようですな

567 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:10:24 ID:NRrdDw2Q
>>565
私より詳しいようですから、謙信の功績に関しては任せました ><

568 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:12:04 ID:gSZ+qIdn
所詮毛利厨は井の中の蛙
何も知らずに語ってんだわな。


569 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:15:51 ID:z+2ZkoW6
>>568
つ鏡

上杉謙信の功績をきちんと出してくださらないと口だけ弁慶ですよ。

570 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:19:11 ID:ihAtbTdB
めんどくさい。他人に依存するな自分で調べろ
教えて君がネットで一番嫌われる。
めんどくさい事をわざとやらせる嫌がらせだろアホが。

571 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:19:53 ID:NRrdDw2Q
罵りあいをするつもりは無いんですけどね・・・。

572 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:20:29 ID:gSZ+qIdn
毛利厨は無知なら一年は書き込みせずにROMってろ。

573 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:22:30 ID:NRrdDw2Q
>>570
「自分で調べろ」っと言うのは悪魔の証明ですよ。
上杉側が上杉謙信の資料等を出さないと意味がありませんよ。
まあ、貴方が上杉側なのかは私は知りませんがね。

574 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:23:55 ID:0aP+u7IH
じゃあ上杉厨の方はよろしくお願いします
あと武田信玄とのスレで書かれてたものを引用してくると
・国人から中国最大の大名まで押し上げた
・周防、長門、安芸、石見、出雲半国、備後、伯耆半国、備中、筑前の一部、豊前の一部
伊予の一部等だいたい180万石くらい?
・広大な領土にした反面尼子、大内の残党にあとあと苦しむことになってしまった
・厳島などでかなりの知力があることがわかる
・織田信長とは友好関係を保とうとしていた(中国だけで満足していて
お家安泰を第一に考えていたところが人によってはマイナスポイントかも)
こんなレスがあった

575 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:46:50 ID:z+2ZkoW6
圧倒的に毛利側の方が賢いですね。
かくいう私は武田厨なわけですが

576 :人間七七四年:2008/04/11(金) 21:58:34 ID:hd18wZYr
>>ID:gSZ+qIdn
そんなの品格の問題でしょ
たとえば>>493にて貴方
>代々みんな死ぬほど酒好きなのに元就だけ飲まないのは単に酒が呑めなかっただけかも知れんし、その辺はわからん。
なんて発言してるじゃない
でも元就が隆元や輝元らに酒の毒について訓戒している書状が残ってる
これ、そこそこ有名な事だし、元就の名前がスレタイについてるんだから知っておいて欲しいんだよね
謙信が酒好きだってのと同じくらい、一般常識的な情報だから
つまり「元就だけ飲まないのは単に〜」なんて体質的な理由は証拠ゼロの妄想で「酒の毒を自覚して長生きした」って事だよ
本当は俺としちゃあ「寿命なんて運」発言に対しての方が
「いやいや、健康に気をつけて寿命延ばす努力しようぜ」と大いに説き伏せたいとこだけど
つまり、相手のミスに対して軽く窘める程度で済ますか、口汚く罵って人格攻撃まで始めちゃうか、という違い

つか貴方の場合
>謙信が傀儡として当主になった頃の越後
と、わざと時間軸が違う状況を持ち出して、常に謙信に不利なように書くのも疑問
「本格的に対立したのはいつなのか」の定義は人それぞれとはいえ
第一次川中島は、当主となってから五年後の話だから、五年後まで「当主となった頃の越後」括りは無理がある
長尾政景の反乱を鎮圧して上田長尾家に対する支配力を強化させたりしてるから
明らかに当主となった五年前よりマシな状況。つか謙信は有能だから五年経って同じ状況な訳ない
俺は動員兵力を比較すれば(遠征して川中島で武田と互角近い兵力、小田原包囲)
基本的に武田、北条と上杉の間に確たる国力差は(第一次川中島の段階から)なかったと判断する
無論、越後を発展させて国力を上昇させた謙信の内政手腕は見事
(まぁ武田と北条も内政で国力上昇させてんだろうけど、一応ね

577 :人間七七四年:2008/04/11(金) 22:29:00 ID:0aP+u7IH
>>576
なんという正論なんだ
このスレで久々にいいレスを見たよ

578 :人間七七四年:2008/04/11(金) 22:52:16 ID:hd18wZYr
いや、俺より先に同じ趣旨のレスしてる人が
>>531にもいるから、褒められるべきはその人だと思うよ
つか↑でも指摘されてるのに「年代及び事実関係を意図的に歪曲させて相手に誤解させる」論法を変えてないんだね
むしろ何度も遠征している側の上杉の動員兵力と、防衛する側の武田・北条との動員兵力差を考慮すれば
経済力では上杉が二者よりも優位で、総合的な国力は上杉が一等凄かったんだと俺は思う
なのに臆面もなく「謙信が家督相続した頃の越後は〜」なんて全く違う条件で、対立した頃の武田、北条と比べてんだから…
>武田氏と北条氏が対峙してた頃は国力は同じくらいだと思っていました
ってのも、見当違いなレスに対する皮肉じゃなかったの?
まぁ誤字で「家督相続の頃じゃなくて、武田や北条と対峙してた頃の上杉の国力は〜」って意味だと思うけど
どっちにせよ騙されちゃいかんよ

579 :人間七七四年:2008/04/11(金) 23:01:18 ID:xv/hOz75
大勢力の間にいるのがおいしい位置なら
なんで成田や由良や真田や須田や佐野やらが100万石級の大名になっていないんだってことに

580 :人間七七四年:2008/04/11(金) 23:02:24 ID:NRrdDw2Q
>>579
毛利の周りが弱かったってレスが後ろにつきそう ><

581 :人間七七四年:2008/04/11(金) 23:02:33 ID:X+PU3aTV
だから尼子・大内と神保・畠山を比べりゃいいんだって
そうすりゃ元就と謙信の実績が比較出来るじゃん
武田だとか北条だとか言い出して話を誤魔化す奴の相手すんなよ

582 :人間七七四年:2008/04/11(金) 23:13:15 ID:xv/hOz75
>>574
だいたいだが
周防17長門13安芸19備後19備中18
石見11出雲19*1/2で10
伯耆10*1/2で5
で計112万石

それに伊予34筑前33豊前14のそれぞれ一部とすると
180万石くらいとするにはかなり水増しというか、支配範囲をかなり過大に見ていると思う

>・織田信長とは友好関係を保とうとしていた(中国だけで満足していて
)お家安泰を第一に考えていたところが人によってはマイナスポイントかも)
これはその人というのが単に元亀時代の中国畿内情勢把握していないだけじゃ?

583 :人間七七四年:2008/04/12(土) 00:18:40 ID:tDg/MfQg
毛利の場合は石見銀山と瀬戸内海があって
上杉には直江津があるしやっぱお互い経済力はかなり高いね

584 :人間七七四年:2008/04/12(土) 00:43:43 ID:TEQLDAF/
>>583
瀬戸内海が近くにあったとは言え初期の状態では山の中ですね。
石見銀山を手中に収めたのはだいぶ後の話です。

585 :人間七七四年:2008/04/12(土) 00:49:58 ID:tDg/MfQg
誰も初期の話をしてるわけじゃないんだけど?

586 :人間七七四年:2008/04/12(土) 01:10:12 ID:TEQLDAF/
>>585
あぁ、後期の話かぁ。
早とちりしてしまったなぁ。

587 :人間七七四年:2008/04/12(土) 01:10:42 ID:tDg/MfQg
分かりづらくてすまん

588 :人間七七四年:2008/04/12(土) 01:10:58 ID:CvRR6L1R
別に不自然な流れじゃないよ
最盛期には港関係を手に入れてたんだけど、初期の状態では山の中だったってレスじゃん

589 :人間七七四年:2008/04/12(土) 01:19:30 ID:CvRR6L1R
おっと、第三者として仲介しようと思ったら
>586-587で、とっくにすれ違いを解消してる両者の礼儀正しさに俺涙目

ま、どちらも港の交易+金山銀山の経済力が主体だろうから
単純な石高で比較するのは難しいね
元就の地盤の三百貫(つっても井上に専横されてたが)は有名だけど
これも石高じゃない訳だし

590 :人間七七四年:2008/04/12(土) 08:34:49 ID:Jhrdce6/
あのぉ、謙信は金山主体の経済ってのが腹立つんですけど
キミは越後の青苧を知らないの?
謙信は青苧の栽培流通の整備に尽力して越後を莫大な経済大国にしたんですが
優秀な青苧を輸出することで、全国の衣料も革新的に向上させたんですけど

591 :人間七七四年:2008/04/12(土) 10:23:34 ID:KzR9D2WV
それは「港の交易」の範疇だろ常考
もっとよく考えてから腹立ててくれないと相手が迷惑する

592 :人間七七四年:2008/04/12(土) 10:56:50 ID:CvRR6L1R
ん、アンカーもないし>590は>589の俺に対するレスだよね?
スレの流れ見ても、>583以降一貫して港を意識して経済力の話してるんで不思議
「特産品の輸出」と「港の交易」を別物と考える人なのかなぁ
ちなみに交易=互いに物品の交換や売買をすること
「優秀な青芋を輸出すること」は交易の一種だよ

そもそも「謙信は金山主体の経済ってのが腹立つ」というのが良く分からない
「金山主体の経済」と半分以下の意味で日本語を受け取って腹を立てているようなので
もしかして「港の交易+金山銀山の経済力が主体だろうから」という文章の意味が分からない?

593 :人間七七四年:2008/04/12(土) 11:16:48 ID:n9o76ZAD
遅レスだけど>>343とか>>347とかが言ってる
毛利の九州撤退は信長が尼子を支援したから、っていうのは何?
尼子再興軍には3回あって1568年からの毛利の九州戦の時(第一回)は別に信長関与してないだろ。
当時の信長は京都に乗り込むかどうかの時期。毛利の事なんか関与しちゃいない。
関係だって良好だったし。この時の尼子再興軍は元就死後の1571年まで抵抗したけど
及ばず破れ、山中も捕虜になった。(その後脱走してまた動きだすけど。)
信長が尼子再興軍に関与するのは1572年からの第2回尼子再興軍からだろ。
この時は元就死んでるから関係ない。さらにいっとくと元就が九州から撤退したのは
大友が支援した大内再興軍が周防に乱入したから。これは紛れもなく大友の手柄。
他の大名の手柄まで奪って信長の手柄とかなんなんだ。

594 :人間七七四年:2008/04/12(土) 11:17:49 ID:Jhrdce6/
>>592
こるゃまたヒネくれた解釈だな 金山銀山の経済力 <= これツッコミどころ満載なんだが

595 :人間七七四年:2008/04/12(土) 11:53:32 ID:CvRR6L1R
>594
いや、君が「港の交易」に全く触れずに金山だけ取り上げた理由は分からない
「こるゃ」が誤字だろうな、ってのは分かる

あぁ、もしかして越後・佐渡の金山は謙信時代には利用されてなかったって主張したい訳?
そんなもん、手取川なんかと同じで人によって見解は異なるけど
アホな人は「本格的になったのが謙信の死後で」「佐渡全域を支配したのは景勝時代だから」「謙信は金山の恩恵を受けてない」
なんてトンデモ理論を口にするよね
上田長尾(反乱起こして鎮圧された謙信支配下の国人)を通しての越後の金山掌握を無視したりだとか
(そもそも謙信直轄でないだけで最初から家臣格の同族が保有してる金山を無視するってどうよ)
本格的に開発されきった時期で、直轄領で、産出国の全域を支配してなければ、金山収入が入ってこない理論?
上杉謙信を妄信してるファンサイトの記事でも真に受けたの君?
あーいうの、信玄が生涯で二敗しかしてない、とかと同じで出鱈目だから信じない方がいいよ

というか、それ以上の問題は君が一連の港に関する話題を無視して
「越後の青苧を知らないの?」なんて言い出した事にあると思うよ
港の交易が経済力の主体だと語ってる相手に対して
「知らないの?」「優秀な青苧を輸出することで〜」なんて書いてるのは恥ずかしすぎる
特産品の生産輸出が「港の交易」に該当しないと勘違いしてなけりゃ、こんな事書けないよ

596 :人間七七四年:2008/04/12(土) 12:09:35 ID:UJf4wkFo
>>576
隆元らが大内に人質でいた時に酒を大酒を飲むことを覚えたから普通に酒を諫めただけだろ。
別に元就が体質上飲めなかったのかもしれんしわからんだろそんなこと。

長尾政景の反乱を鎮圧して上田長尾家に対する支配力を強化させたり

越後守護上杉定実の家督干渉によって40歳の兄を思うままに操れないこともあり謙信が19歳(1548年)で擁立されてから
2年後の1450年のこの上田長尾の乱では後継に異を唱え簒奪しようとした上田長尾氏を鎮圧してはいない。
越後守護死去により政権が崩壊してしまい府内長尾の力では上田長尾を倒すことができず
謙信の姉との婚姻で和睦をしただけでこれがのちに謙信政権の足かせになり死後の後継者問題で一気に爆発した。
ちなみにその頃には関東管領上杉憲政が北条に侵攻され救援依頼をしてきたので
即刻出陣して北条と上野国で戦い平井城へ憲政を送り返している(上田長尾に姉をくれてまで和睦しようとした原因)
さらにこの上田長尾との和睦の翌年(1451年)には北条の再度の上野攻略で関東管領上杉憲政は春日山城下に住むことに。
と同時に村上義清が逃げてきたので川中島出兵し武田との本格的対立。


上条(守護上杉系で関東管領を輩出した事もある上杉定実の実家)・上田長尾・揚北衆・葦名・出羽砂越らにより
父の為景が敗北し隠居し兄の晴景が越後守護にすげ替えられ擁立される(青芋の貿易ルートは戦乱で崩壊し府内長尾経済は崩壊)
これが府内長尾が孤立してる基本構造でのちに謙信が出家すると言って行方不明(1556年)になった事があるのは
越後国主としての判決を否定されるなど家臣同士が呉越同舟でむちゃくちゃ仲が悪かったのも一因。

さらに伊達から養子問題で伊達・葦名・中条VS本庄・鮎川の揚北衆の紛争。かれらは晴景の家臣ではなく守護上杉の政争から大乱。
ここでの晴景は守護代としてあまりにも無力無策で越後衆から完全に見放される。
この頃、兄の代わりに孤立無援の中越に派遣され謙信が初陣して活躍し
その活躍ぶりに反晴景だった中条藤資はホレ込み伊達権力を利用して守護権力復活を諦め謙信擁立を考える(1543年〜)
ナメられまくった府内長尾では晴景に対して黒田秀忠らが反乱し守護上杉から謙信に討伐を命じられる(1546年)
天文の乱で1542年〜1548年で伊達晴宗が勝利したために養子派遣の話はなかったことに。
1548年の家督相続後に謙信が発給した文には「のちに守護からもおって認可の沙汰がでると思われます」と認可権は守護に握られたまま。



597 :人間七七四年:2008/04/12(土) 12:13:03 ID:KzR9D2WV
とりあえず

史実だけでなく日本語にも不自由してる>>590をイジメないであげて下さい!

598 :人間七七四年:2008/04/12(土) 12:18:22 ID:KzR9D2WV
>しれんしわからんだろ

つまり元就は酒の害を自覚してた証拠はあって
体質云々は証拠ない単なる妄想だったんですね
分かります

599 :人間七七四年:2008/04/12(土) 12:23:20 ID:UJf4wkFo
ちなみに謙信時代は米よりも塩生産人口が多く塩も協力な輸出品だった。
んで簡単な話、越後の場合は北条と武田が侵攻してくる寸前までを安芸に置き換えると

越後守護上杉=安芸守護武田元繁
北条=大内
武田=尼子

そんで謙信は武田元繁に擁立されて意のままに操られていたが
その勇武とカリスマで次第に混乱分裂した安芸の救世主だと
思われるようになり安芸の国人達の支持を実力を見せつける事で獲得していく。
そして仲たがいしてる安芸国人を調停しつつ
尼子と大内の侵攻に対して安芸の平和を守る為に安芸の外での決戦をする道を選び戦乱に荒らされない安芸に商人を呼び経済復興に成功した。
尼子には勝頼が大内には氏政と何の家臣間の権力闘争や内紛もなく平和裏に後継も成功し隙を見せつけず
超大軍の天下人信長・秀吉の登場までは安定政権だった。

600 :人間七七四年:2008/04/12(土) 12:43:21 ID:UJf4wkFo
元就よりも48歳三村家親や51歳宇喜多直家で死んだ彼らの方が優秀
賛成です。なぜ毛利厨がこの指摘を徹底的に無視し続けるのかと思うと笑っちゃいますね。
しかも謙信について何も知らないと言ってて、知らないけど謙信より元就が優秀という論旨なんだからキチガイ過ぎるw
そんなこんなで元就よりすごいと思われる人々
東北代表 最上義光
父との抗争中に伊達輝宗に介入される。山形城のみでスタート
関東甲信越代表 上杉謙信
父は越後を破産させ兄は越後守護の操り人形で家督相続にも介入される。スタートは兄の命で中越へ派遣される。
中国東部地方 宇喜多直家
祖父の自害。父はバカのフリ?チョイ悪のカリスマで復讐完了。
四国代表 長曾我部元親
祖父は自害。父がある程度の成功を残し死去。
九州代表 龍造寺隆信
祖父・父は殺されたが曾祖父が復讐し願いは曾孫に託される。大内・大友・毛利と傘下を代えつつ養子作戦で耳川の戦いを機に自立。



601 :人間七七四年:2008/04/12(土) 12:58:38 ID:UJf4wkFo
また越後の国人はやたら敵愾心と独立心が旺盛で共同での一揆や国人の間での調停も起こらず仲たがいばかり。
揚北衆に至ってはほぼ独立王国の感すらある。
現代でも下越・中越・上越は生活習俗も言語も違い文化圏としてもバラバラと言われており、北陸・中部・関東・東北のどちらに所属するかも不明な分裂地方。
中国地方の寄親寄子制度下での謙信ならもっと速やかに中国を席捲できたでしょう。

602 :人間七七四年:2008/04/12(土) 12:59:40 ID:KzR9D2WV
>>600
なんだ、そのコピペ最強スレとかに貼って
「何この酷い上杉厨」って住人に総叩きに遭ってた奴じゃん
どこでも同じように荒らして、嫌われて、相手にされなくなる運命なんだね
哀れ

603 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:03:39 ID:UJf4wkFo
>>602
はっ?なんの話?意味わからない。
どこに総叩きに遭ってた奴じゃん←こんな状況にされてる?
それどこにあんの?リンク貼ってくれ。読んでみるから。

604 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:06:41 ID:UJf4wkFo
591:人間七七四年 04/12(土) 10:23 KzR9D2WV [sage]
それは「港の交易」の範疇だろ常考
もっとよく考えてから腹立ててくれないと相手が迷惑する
597:人間七七四年 04/12(土) 12:13 KzR9D2WV [sage]
とりあえず
史実だけでなく日本語にも不自由してる>>590をイジメないであげて下さい!
598:人間七七四年 04/12(土) 12:18 KzR9D2WV [sage]
>しれんしわからんだろ
つまり元就は酒の害を自覚してた証拠はあって
体質云々は証拠ない単なる妄想だったんですね
分かります
602:人間七七四年 04/12(土) 12:59 KzR9D2WV [sage]
>>600
なんだ、そのコピペ最強スレとかに貼って
「何この酷い上杉厨」って住人に総叩きに遭ってた奴じゃん
どこでも同じように荒らして、嫌われて、相手にされなくなる運命なんだね
哀れ

なんだ・・・ただのバカ低脳毛利厨かw

605 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:25:19 ID:UJf4wkFo
>>599
それと付け加えるならば信長も大苦戦した一向宗勢力が
加賀を策源地に越前と越中で暴れまわってます。
謙信の祖父は神奈川県平塚市あたりまで遠征し相模守護代を打ち破り捕らえ河越で扇谷上杉を降服に追い込んだ(扇谷弱体化で北条早雲はその領土を掠める機会に恵まれた)
ほどの武略に富んだ男ですが越中西部で越中守護代神保が一向宗とともに祖父を討ち死に追い込んでます。

また寒すぎて手の震えが止まらず文が書けず困ったために謙信がハンコを作った甲信越国境の厳冬の三国峠を越え、
坂東太郎と呼ばれ何度となく流筋も変えた暴れ大河の利根川という天嶮も謙信の敵でした。

606 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:45:34 ID:4KpXdhzc
>>600
なんか龍造寺って傘下を変えつつ養子送り込み作戦で元就と似てるんだよな。
北九州自体が中国地方と同じ寄親寄子制度が根付いてたから版図拡大の速さは理由がつくし死後の崩壊の速さもまさにこれ。
そんで大友が宗麟が息子の義統との二元政治で指揮系統がバラバラになり家臣団の権力闘争に宗教問題で自壊し龍造寺が寄親になり瞬く間に版図を拡大。
天正11年には肥後で島津を圧倒した事もあって油断しちゃったんだが経歴は見事。
長曾我部も一条氏や怨敵本山氏の傘下で力を養い養子戦略だよな。
そういう意味ではセックル大好き小作りマシーンより謙信や最上義光や宇喜多直家や三村家親の方がより実力に根差しているだけに凄い気がするな。


607 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:46:01 ID:TEQLDAF/
普通に論議できない人がいるようで・・・。
人格攻撃とかしない方が良いと思うよ。

608 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:48:15 ID:IU1W1aqK
養子戦略ほど費用対効果比のいいやり方も他に無いんじゃないかと

609 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:52:16 ID:gwpCCUSn
子供作りも重要だしな
それと謙信の跡目を決めてなかったのは大きなマイナスだと思う
あれのせいで結局上野も越中もほとんど失ったわけだし

610 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:55:03 ID:1MWf3uhl
>>608
たしかにねー
謙信も養子戦略いろいろしているしな

611 :人間七七四年:2008/04/12(土) 13:55:49 ID:TEQLDAF/
毛利元就の事をただ 長生きして成功しただけ とか 火事場泥棒 とか 運だけ
って決め付けてる人がいるような気がするんだ。
うん、気のせいであってほしいな。うん。

612 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:01:45 ID:4KpXdhzc
まー元就よりも謙信や義光や直家の方が優秀って結果で終りだろこのスレ。
三村家親は突然の暗殺がなければと思うと惜しいな。


613 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:02:57 ID:gwpCCUSn
たらればができるならいいよな


614 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:07:40 ID:TEQLDAF/
>>612
何を根拠に元就より謙信の方が上か教えてください。
お願いします。><
最上義光と宇喜多直家の評価は他所でしてくだされ。

615 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:07:51 ID:1MWf3uhl
でも直家は普通に優秀だとは思う
元就と同レベル以下の境遇から備前一国+αまでいったのだから

ただ時代を考えるとあれ以上長生きしていても、
秀家の3ヶ国と似たような結果に終わりそう、下手した警戒されて領土を低く抑えられるかも

616 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:10:23 ID:UJf4wkFo
607:人間七七四年 04/12(土) 13:46 TEQLDAF/ [sage]
普通に論議できない人がいるようで・・・。
人格攻撃とかしない方が良いと思うよ。

これは私に対しての人格攻撃ですかw
つか謙信のことがわからないから教えてって言ってる毛利厨のために>>596で少し詳しく書いたつもりなのに、その答えがこれかよ・・・毛利厨ってキチガイだな。
続きの経歴書いてたが止めたわアホくさ。

617 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:13:11 ID:TEQLDAF/
>>616
普通に議論が出来ないって自覚してたんですか? ><
ある意味凄いですね。

618 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:13:38 ID:gwpCCUSn
>>616
言われるような心当たりでもあるのかい?

619 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:18:50 ID:1MWf3uhl
つか596とかは上>>531>>576で言われてる通りなのでは?
毛利なんてもっと孤立無援の死地にいたことになりそう。

そのような理論で他の大名も説明するなら、みんな苦境に陥っていたことになる、
まあ多くの大名が多少の差はあれどみんなそれなりに苦しい状況抱えていたんだろうとは思うが。

620 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:25:43 ID:LutN05Vc
所詮は毛利厨なんてそのレベルだわ。
しょーもないケチつけるだけのレスだけの>>607>>611>>614>>617>>609>>613>>618は毛利厨房の自演だろ。

>>619の指摘に対して>>596さんがめんどくさい事をわざわざ詳しく書いたら毛利厨が内容に触れずに普通に議論できないと人格攻撃してきたんだろ。

621 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:27:33 ID:gwpCCUSn
これ>>604
何ですか?

622 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:31:51 ID:4KpXdhzc
なんせ毛利側は謙信の事はまるで知らないけど元就の方が凄いって論法だから狂ってる。
謙信の家督相続前後の経歴を詳しく書いたら今度は人格攻撃だからアホ過ぎて手に負えない。
>>615>>619
あなたは直家を評価したのでまともな人だと思いたいが。
なんせ毛利厨は直家の評価を完全黙殺スルーしてる厨ばかりだから。

623 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:34:07 ID:UJf4wkFo
>>621
>>602の侮辱を受けて過去の君の発言に良識あるか調べたまで。

624 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:35:32 ID:UJf4wkFo
>>621
そうそう>>603の回答をもらってないが?

625 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:36:56 ID:TEQLDAF/
>>622
このスレは上杉謙信と毛利元就を比べるスレですよ。
別に黙殺するつもりはありませんが、
毛利元就と宇喜多直家または、三村家親を比べるのであれば
そういうスレを立ててから比べてください><

626 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:38:38 ID:UJf4wkFo
毛利厨のTEQLDAF/とgwpCCUSn が不利なのでこの際、
論議をブチ壊そうとしてるのはわかった。


627 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:39:43 ID:TEQLDAF/
>>600
のやつは ★戦国最強武将決定戦★【最強】 10陣目 ってスレに同じのがありますね。

628 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:42:29 ID:4KpXdhzc
>>625
中国地方や関東甲信越地域の大名を持ち出して対象比較するのが悪い事なのか?
またわけ分からない独自ルールを持ち出すわけか…毛利厨には付き合いきれないわ。

629 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:46:04 ID:UJf4wkFo
>>627
どこに総叩きに遭ってた奴じゃん←こんな状況にされてる?
それどこにあんの?リンク貼ってくれ。読んでみるから。

その該当レスに対しては>>231のレスしかついてないが?これこそまさしく悪意の誘導してんだろうが。

630 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:51:07 ID:IU1W1aqK
上杉厨がどんなまともなことを言っても
メガ豚が思い浮かんでどうせ詭弁だろと思ってしまう俺がいる…

631 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:52:38 ID:LutN05Vc
毛利厨房が不利になると議論をぶち壊そうとしたり独自ルールを強制したり自己中で意味不明過ぎて精神的に不安定そうなんだが大丈夫か?

632 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:53:56 ID:TEQLDAF/
>>628
比較対象として出すのなら構いませんが

>まー元就よりも謙信や義光や直家の方が優秀って結果で終りだろこのスレ。
直家、義光と元就を比べたいなら他所でやってくださいと言っただけですよ。

>>629
総叩きにあってるかどうかはわかりませんが
>>600と同じのがそのスレにありますよと教えただけです ><


633 :人間七七四年:2008/04/12(土) 14:59:38 ID:4KpXdhzc
>>632
言い訳すんな

634 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:00:46 ID:TEQLDAF/
>>633
比較対象にすら出すななんて私は一言も言ってませんよ?

635 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:01:26 ID:Uy6U6g4V
同じ事を繰り返す知障がいるけどなんでスルーされてるかはわかるよな。上杉厨

636 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:04:34 ID:UJf4wkFo
>>635
毛利厨が自己中だから。

637 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:06:42 ID:Uy6U6g4V
それにしても自演が多いな
まともな人が来ない休日の昼間に一気に畳み掛けても無駄だぜ。なにやってんの?ニート

638 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:06:50 ID:4KpXdhzc
>>634
へ理屈言うな。
例外として比較対象はいいですとも書かれてないくせに完全な後付けのへ理屈だ。

639 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:11:59 ID:LutN05Vc
>>637
毛利厨の自演の可能性はすでに指摘されてる。
今朝から交易について毛利厨は屁理屈を持ち出し始めて12時過ぎの上杉方の書き込みに対しては反論できず内容にまったく触れず毛利厨の議論ぶち壊しの自演が開始された。

640 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:14:44 ID:TEQLDAF/
>>638
確かに前のを振り返って見て見れば >>614の自分の発言は説明不足な部分がありました
それはあやまります。
なので改めて言います。
ここは元就と謙信を比べる所ですよ。
直家、義光と元就を比べるなら他所でやれば言いと思います。

641 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:25:48 ID:LutN05Vc
どうしても三村や宇喜多を正しく評価したくないようだな。
所詮はこれが毛利厨の限界だよ。
政戦略で大友に大敗したのに勝ったと主張するし>>574の指摘のように油断してるとすぐ捏造するし指摘されても黙殺スルーしてくる。
そのくせ港の交易とかくだらんところではやたら屁理屈で粘着してくる。

642 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:27:48 ID:LutN05Vc
訂正
>>574の指摘>>582

643 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:30:18 ID:TEQLDAF/
>>641
いや、だからさあ
ここは元就と謙信を比べる所なんだよ?
元就と謙信を比べる上で、周りの勢力を比較対象にするのは別に構いませんよ?
でも、元就と謙信を比べる上でいきなり三村や直家の方が、元就より上って言うのもどうかと思いませんか?

644 :人間七七四年:2008/04/12(土) 15:41:24 ID:UJf4wkFo
>>643
死去年齢で比較したら元就の同年齢時に比べてはるかに彼らの方が飛躍している。
>>642
それなら謙信死去時の石高
金銀の産出や青芋の生産や塩などの日本海交易での運上金などを石高に換算すれば300万以上にはなるかもしれんが、
越後・佐渡・越中・能登はいいとして、加賀は四分の三の支配?
しかし柴田軍団は単独では謙信死後2年たっても加賀に乱入して放火するぐらいしかできなかった(信長公記)と言うし。
越前は柴田勢の越前への撤退につけこんで一時乱入しただけ、信濃や上野、西下野、南出羽は
合算してもたいした石高にはならないので180〜200万石ってところだろう。


645 :人間七七四年:2008/04/12(土) 16:01:45 ID:UJf4wkFo
越後39
越中38
能登21
加賀35-5=30
佐渡1
上野49-34=15
信濃+出羽+飛騨+下野=6
かなり小さく見積もって150万石ってところか。


646 :人間七七四年:2008/04/12(土) 16:11:25 ID:4KpXdhzc
>>642
元就はどう見積もっても120万石はいかないね。
元就は75歳まで生きたんだっけ?まぁ実質50歳スタートみたいなもんだから後半生25年でよく拡大したと思うが…

謙信は織田軍を北陸から排除しての49歳での死去だな。

647 :人間七七四年:2008/04/12(土) 16:14:43 ID:wSBm6K9o
レスの数ばかりは無駄に多い ID:LutN05Vc とID:TEQLDAF/は

内容のあることを書けないただの煽り厨ww

648 :人間七七四年:2008/04/12(土) 16:15:55 ID:LutN05Vc
>>646
寄親寄子制度だから有力者が死んじまえば次の有力者にお鉢が回ってくるから
いったん勢いづいたらドミノ倒しのように国人が帰順してきてアホみたいに拡大するのが西国の特徴。


649 :人間七七四年:2008/04/12(土) 16:19:15 ID:wSBm6K9o
おっともう一人いたID:4KpXdhzc、いつもの3人衆か

650 :人間七七四年:2008/04/12(土) 16:34:58 ID:UJf4wkFo
加賀35-5=30
上野49-34=15
信濃+出羽+飛騨+下野=6

あまりに小さく見積もりすぎて削りすぎかな???
さすがに上野は削りすぎかも・・・
加賀も削らなくても良いのかも知れんね。
+10の160万石でもぜんぜんおかしくないような気がする・・・

651 :人間七七四年:2008/04/12(土) 17:31:09 ID:0W2SPwLv
宇喜多や三村がいくら若い頃勢力範囲を広げたからといっても、最終的に勢力範囲は元就以下、この時点でまず負け
そしてこの三村家親は元就の支援の元勢力範囲を広げたが暗殺でおじゃん、宇喜多直家は浦上を追放したのはいいが毛利、織田に囲まれなかなか勢力を広げられず死去
寿命云々は運も実力の内、家康も最初は苦労したが、長生きして天下を取れた、これと同じ
死ぬのが早かったは言い訳にすぎない
よって三村や宇喜多が元就以上だと言う事はないだろ、謙信は知らん

652 :人間七七四年:2008/04/12(土) 18:47:34 ID:UJf4wkFo
>>651

ずいぶんと元就に都合がいいルールだな。
これだから毛利厨は狂ってる。

653 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:00:58 ID:Uy6U6g4V
>>647
そいつら自e(ry

654 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:08:42 ID:8g5pZA6Z
>>651のように最終的な勢力範囲や運も実力の内のような決め方をするなら、
晩年の最盛期は謙信も元就も大差なく戦国屈指の大勢力を築いてるし、
両者とも後世では日本史の教科書に太字で載る程評価されている。
(教科書に載れないような戦国武将が大多数な中、運がいいのかもしれない)
つまりどっちも日本を代表する偉人だよ。戦歴や寿命なんか関係ない。
個人的には、この二人は争わせるより手を組ませてみたい気がする。

655 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:14:36 ID:4KpXdhzc
>>651
家康はちゃんと薬草薬マニアになってちゃんと健康管理し、長生きしただけあって天下取れたけどな。
元就はただの偶然で長生きして中国地方で覇者になっただけだろ。
家康と同列みたいな論じ方は失礼だ。
だいたい三村も宇喜多も元就よりも年数短くして地域の覇権を確立してる。
元就は50歳くらいでもいまだに安芸一国の統一すら出来てないじゃないか。
元就みたいに年数の無駄な経過をひたすら待たずに知略武略と英断で切り開いた実力面で考えたら彼らは元就より上なのは明白だろうが。


656 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:15:04 ID:aKoVTnUh
寿命は武器とは言わないが家訓を継ぐこと体調管理をしっかりする事は個人の能力の一つだ。

謙信も健康管理をしてれば長生きした可能性もある。まぁ49だから長生きではあるけどね


657 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:17:13 ID:Uqesj/Lg
まあ部分的に三村や宇喜多や最上を評価するなら
元就と同等かそれ以上の領土拡大率を誇るとは思うが・・・

658 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:40:14 ID:4KpXdhzc
健康管理健康管理と喚いてるがちゃんと管理したと思われるのは自分で薬を調合してた家康くらいだろ。
酒だって通常に嗜む分には酒毒と言われるほど寿命を縮めるわけじゃねーよ!何を誇張してんだ。
健康管理してないから49歳で謙信が死んだ→能力がないのか?50歳前後で死ぬとは当時としては普通だ。
元就の父とかが酒毒で死んだからって健康管理が重要とか言ってるようだが度を越した飲み方で暴飲しただけだろ。
そんな事言ったら京風の薄味を好んだから畿内の大名は健康管理していたとか信長は酒を飲まなかったのは健康管理の為とかと変わらないだろ。

659 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:41:19 ID:Uqesj/Lg
最上義光は家督相続後の中野との争いが創作と言われるようになったから
自身よりある程度強大な伊達や上杉の介入を受けながらも
山形城主という元就よりはかなりましとはいえ、それでもかなりの小勢力からスタート
家督相続の1570年から20年ほどで石高を数倍の24万石に
関ヶ原後は57万石

宇喜多直家はゼロから考えるなら拡大率は無限
1543年の乙子城城主から考えるなら元就とほぼ同程度の状態から
40年弱ほどで備前一国+α、拡大率は数十倍
自身より強大な三村浦上更には毛利と争いながらの拡大

三村家親はいつ元服かはわからないけど、
庄氏には及ばないものの川上郡の国吉城・成羽城などを本拠し備中でも有力な豪族
元就とほぼ同程度の状態から産まれてから50年ほどで備中+αと拡大率は数十倍
自身よりはるかに強大な尼子氏と争いながらの拡大

元就は1523年の家督相続から30年ほどで安芸備後の大半だから
それまでの期間考えても元就の方があるいは上じゃないか?

年齢で考えると、元就は次男であったため家督相続が27歳だから
他のものの50歳と比較すると活動期間が短くなるので、
年齢だけでの比較は詭弁というか、わざと元就に誤った印象を与えるような情報操作になりそ
でも元就50歳時の1547年は吉川氏に養子送りこんだ直後になるから
毛利は安芸の最大勢力で上の宇喜多最上三村そう劣るほどでもないけど

もっとも義光の家督相続も24歳だが

660 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:43:15 ID:0W2SPwLv
>>655
大器晩成って言葉があってな、別に若い頃から活躍しなくてもその人物が後年に活躍した人物なら歴史上いくらでもいる、北条早雲や斉の文公がいい例だ
要するに年齢は関係ない、如何に結果を残すだけ、一瞬輝いてもそれ以上の結果を残せなければ上とは言えない
それと比べると雄藩の基礎を築いた人物より、所詮二三代限りの人物の方が上という方がよっぽど失礼じゃないのか?

661 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:49:05 ID:4KpXdhzc
>>660
でた基地外毛利厨ww
雄藩の基礎を築いたから凄いwww
議論に敗北したあげくに、
ついに元就とかまったく関係ない250年以上先の未来を持ち出してマンセーを開始したなwww
しかも2000年以上前の文公まで持ち出すしwww
最近の研究で早雲の年齢ももっと若かったと言われてるしな。
毛利厨はどうしようもないな…

662 :人間七七四年:2008/04/12(土) 19:56:32 ID:4KpXdhzc
>>659
そもそも最初の義光からして認識がおかしい。
父の最上義守(最上の支流出身)は幼少時に強大な伊達にムリヤリ擁立させられ従属させられていた(伊達軍が山形城まで乗り込んで来た)。
義光は父と抗争中に伊達輝宗の介入すらあった。
山形城は平城で小さいものだったし周囲は敵だらけで孤立無縁。
とても難攻不落の吉田郡山城とは違います。
なぜ元就よりマシなのか?それこそ誘導だろ。

663 :人間七七四年:2008/04/12(土) 20:35:32 ID:Uy6U6g4V
上杉好きさんはどうやら物事を極端にしか考えられないよですな。
同時並行して概要を理解しつつお話することが不可能なのならやめればいいのに。

664 :人間七七四年:2008/04/12(土) 21:00:07 ID:Uqesj/Lg
介入うんぬん言うなら宇喜多や毛利のほうがよほどひどいと思うが
周囲は敵だらけも同様だし

義光の方がましと考えるのは国力比だな
家督継いだ段階じゃ最上は数万石(山形盆地の一部なら5〜6万石くらい?)
それに対し伊達は30万石ほど(岩城や留守や石川など含めれば跳ね上がるが)

宇喜多は初期所領はどこまで少ないかわからないが
家督継いだ段階じゃ浦上は備前一国なら22万石
それに美作播磨備中含めれば更に増える
毛利に従属した時期には備前の過半を制していたが毛利はすでに100万石超の大名
織田や豊臣に従属した時期は更に差がある

毛利は元就が家督継いだ段階じゃ数万石、それに対し大内尼子は100万石近い大大名
三村にしても従属したり敵対した尼子や毛利は100万石近い大大名

このように並べて考えると上に挙げた武将の中では義光がましとなるのは自然の結論だと思うが

また難攻不落と言うのもどうかと、
そもそも城の強弱が戦術的にならともかく政略戦略有利不利に繋がるのであれば
甲斐の小山田氏や砥石城の海野氏などが勢力広げてもいいんじゃ

665 :人間七七四年:2008/04/12(土) 21:36:50 ID:Uqesj/Lg
訂正
1523年の段階じゃ大内尼子ともに100万石も無いな

大内は周防長門豊前筑前に石見の一部安芸の一部
尼子は出雲に石見の一部安芸の一部、伯耆の過半(大永の五月崩れの前年であるため)

大内は100万石に近いが
尼子はせいぜい50万石くらい?

こう考えると大内義隆尼子晴久はともにかなりの勢力拡大をしていると思う。

666 :人間七七四年:2008/04/12(土) 22:39:10 ID:Uqesj/Lg
>>644
>金銀の産出や青芋の生産や塩などの日本海交易での運上金などを
>石高に換算すれば300万以上にはなるかもしれんが、
そういったもの含めれば他のすべての大名も同様に数倍の石高になるんじゃ

>>645
582は自分だが、それぐらい上杉の支配範囲を広く見積もるのなら
>>582の方も美作や肥前などを加えるため180万石ぐらいまで上昇してしまうと思う

667 :人間七七四年:2008/04/13(日) 03:19:15 ID:DNhCwXOY
金銀経営も力に入れないと佐竹の強さが説明できない

668 :人間七七四年:2008/04/13(日) 10:09:00 ID:Ug/ERPzC
そもそも大勢力の傘下に入り保護されてきてるので楽なもんだった元就。
功があれば恩賞ももらえるし安芸での指導的立場も保障される美味しい立場と言える。
もともと大内側だが尼子の大挙進入時にビビって大内裏切り尼子へ服属→元就の家督問題で尼子に介入されやむなく大内方へ逃走→
尼子の攻撃は難攻不落の吉田郡山城へ籠もったので危機感はなし(尼子来襲時で郡山城は8000人くらいが籠城してるから充分な戦力といえる)
参考>>373>>378

1516年〜1523年まで元就は叔父として幸松丸(9歳死去)を後見してるので7年は加算すべき(武田元繁との戦いも元就指導であり違うとは言わせない)

最上義光について
伊達が30万石って・・・毛利厨は伊達厨と同類じゃねーかワロタw
まぁ輝宗は北は仙台市あたりまでは確実に伊達領で80万石以上はあったな。
岩城・留守・石川・国分などを伊達圏に組み込み山形居館(当時は3〜5万石が妥当)に乗り込み幼児の最上義守を擁立し黒川氏を威圧服属させ輝宗期の伊達は
関東方面から奥羽に敵が来たら一致団結して戦おうとの手紙も岩城氏に出しているほど。
さらに義光は伊達からの自立を狙うために伊達派の父と対立した際に輝宗は山形居館の真下の上山城主と共同で出兵し介入してる。
そういった争いの中で己が手で当主の座を父から奪い取った。

宇喜多直家は祖父・能家が島村盛実の暗殺され父が城を放棄して逃げてからの話で完全にゼロスタートだろ。
放浪の末に浦上宗景に仕えて政敵排除の策謀で実力でのし上がってきてる。毛利厨が直家をほとんど評価しない書き込みばかりで驚く。
その宇喜多直家を何度となく打ち破ってる三村家親は備前美作で激突し、ついに直家がどうにも困って鉄砲で暗殺せざるおえなかった猛者。

美作や肥前などを加えるため180万石ぐらいまで上昇してしまうと思う←なに言ってんの冗談でしょw
>>645はかなり削ってる謙信死去時石高だぞ。元就死去時はせいぜい甘くつけても130万石には到達しない。



669 :人間七七四年:2008/04/13(日) 10:20:50 ID:+bmt/6R0
途中で0にまで落ちぶれながら山陰最大の勢力を築いた尼子経久もお忘れなく。

670 :人間七七四年:2008/04/13(日) 11:00:05 ID:lpMXWLCF
難攻不落の天下の名城吉田郡山城ってのが複数の上杉厨の脳内に存在するらしい。
不思議な事に複数の厨での共通認識みたい。はて、そういえば文体もにて(ry

671 :人間七七四年:2008/04/13(日) 11:11:54 ID:5SAhL3Iq
>>670
くだらんな。明らかに難攻不落級の城だろ。
月山富田城が難攻不落だと毛利厨はよく言うが標高197mでひ弱な吉田郡山城が360mじゃ主客転倒もいいところw
要するに尼子は凄いが毛利は貧弱な小城で頑張ったと捏造してるだけ。
実際は吉田郡山城>>>月山富田城っていう明白な事実なんだよ毛利厨さんw

672 :人間七七四年:2008/04/13(日) 11:20:32 ID:lpMXWLCF
失敬だな君、私は武田厨だよボケ

673 :人間七七四年:2008/04/13(日) 11:35:38 ID:ueKLjEkr
都合悪くなると武田厨騙るなよ。

674 :人間七七四年:2008/04/13(日) 11:44:13 ID:lpMXWLCF
何の都合が悪いんだ?
妙な因縁つけやがってwww

675 :人間七七四年:2008/04/13(日) 11:56:12 ID:Ug/ERPzC
1551年の大寧寺の変で大内義隆を陶が謀殺!これは元就にとって最高に運がよい歴史的出来事で元就54歳くらいか。
謀反して後ろめたい陶は味方を増やしたくて伝統的に安芸の国人盟主だった元就に東方を自由にして良いと任してくだされた。
(大内からのお墨付きで安芸一国安堵と言える・・・破格の厚遇!さらに棚からボタ餅でもう最高!)
1555年に石見国の吉見氏の討伐に向かった陶を裏切り元就が留守を狙い火事場泥棒開始(元就はビビっていたが隆元が説得)→1557年に大内家滅亡。58歳
備後で大内方の杉原理興の死去(1557年)に家督継承した杉原盛重が元就の兄の娘をもらって
1562年から毛利の戦評定にでてるので毛利騎下となったと思われる→ここらで備前の領国化もひと段落で元就65歳くらいか。

まさに寄親寄子制度の賜物で75歳死去まで国人が大挙服属→織田軍の前に緩やかな連合体の国人衆は烏合の衆で決戦回避を続ける脆弱な連合政体が露呈。

やはり48歳三村家親や51歳宇喜多直家死去の二人の方が凄いな。

676 :人間七七四年:2008/04/13(日) 12:19:59 ID:aU/Y0xbV
大内が自爆自滅し毛利に併合されてから
わずか3年弱で尼子晴久死んじゃうもんなー。
尼子義久はまだ20歳で何もわからず毛利と和睦路線を進めるし、父晴久が奪い取った石見銀山の重要性も理解できずに
毛利との和睦条件に石見国への不干渉を約束し石見の尼子方を見捨てちゃうし、元就は銀山収入をバネにそんな和睦なんて裏切って侵略してくるし。
なんか義久って可哀想…その後も尼子再興には一切手を貸さずに大人しくしてんだよね。。
石見銀山防衛に全力を挙げてたら晴久の粛清による中央集権化が軌道に乗ってきて毛利に勝てたかも知れないのに。

677 :人間七七四年:2008/04/13(日) 12:28:08 ID:Ug/ERPzC
いかん>>675で訂正
×ここらで備前の領国化
〇ここらで備後の領国化

678 :人間七七四年:2008/04/13(日) 13:16:59 ID:gH0rgs7+
岡山三大偉人

都井睦夫
津山三十人殺しの主人公
元祖ニート大王

宇喜多直家
謀略と毒で次々に敵を消す
最低の犠牲で最高の利益を得た将軍

菅源太郎
名家の跡取り息子にして偉大なる首領にしてニートの領導者
名前だけでケチの岡山県民から六万票も引き出した偉人

679 :人間七七四年:2008/04/13(日) 13:21:15 ID:0oyGb9SY
>>661
まったく関係なくはないだろ、基礎を築いて結果的に日本史に影響を与えたんだから、その三者はあまり影響を与えてるとは思えんし
もっとも、戦国限定にしても三者よりは勢力範囲と影響力は高い
それと文公はあくまで大器晩成の例として持ち出しただけだよ、そんな事も分からないの?
北条早雲が若い事は知らなかった、でもこれは別人をあげれば解決する話し

680 :人間七七四年:2008/04/13(日) 13:47:47 ID:Ug/ERPzC
>>679
役に立たない屁理屈で食ってかかるな。しょーもない。

門司城攻防戦
宗麟との同盟軍の尼子軍が後方で侵攻開始し
宗麟が政戦略外交を駆使して毛利を屈服させ香春岳城・松山城・門司城を大友に返却し和議させる。
この際に宗麟は自分から将軍に大金をつんで和議斡旋を頼んでおきながら元就が困って和議を受託しようとしたら
条件を次々に出してなかなか和議を結ばないという卓越した外交交渉をしてのけたので元就の一方的譲歩になった。

1566年尼子滅亡

多々良浜の戦い1569年
宗麟の謀略として大内輝弘の逆上陸が開始され
後方では隠岐国から上陸した尼子残党が出雲一国をほぼ奪回寸前になり
毛利軍は多大な犠牲と苦戦の末に落とした立花山城を大友に返却し撤退。

1571年に元就死去。
1574年山名氏から援助を受け尼子軍が因幡国より出雲侵攻。

1577年織田軍に参加した尼子残党が播磨上月城を攻略
信長が尼子の後ろ盾になるのは元就死去後でありここで頻繁に織田を出すのはおかしい。

681 :人間七七四年:2008/04/13(日) 14:12:18 ID:0oyGb9SY
要するに三村宇喜多が上だとの主張は、劉邦より項羽の方が上だというような邪気眼
それ以上の結果を残せない奴が何ほざいても負け犬の遠吠えにしか聞こえない、謙信は知らん

682 :人間七七四年:2008/04/13(日) 14:42:18 ID:5SAhL3Iq
楚の懐王から自立後は双方がガチで戦い合い天下を2分し覇権を争った劉邦と項羽を例えに出す意味がわからない決着がつくまで両方とも死ななかったろう。
まったく違う…理解しがたい。
人生50年下天のうちにくらべれば…同じ与えられた時間内で不利な状況を胆力と勇武と知略で自力で切り開いた者と
周囲の事態が劇的に好転するまでいたずらに時を過ごし陶の謀反という非常事態から地域の長老として周りから推戴されるまで無為に過ごしてきたかを比較してんだろ。
かなり平等な客観的数値比較として成立してるだろうが。


683 :人間七七四年:2008/04/13(日) 15:07:27 ID:TjBSU7xZ
元就公は「金持ち喧嘩せず」を地で行っただけよ
ソレが関東蛙には理解できんけのう 往生しよるわ

684 :人間七七四年:2008/04/13(日) 15:33:53 ID:0oyGb9SY
>>682
いくら優れた人物でも、相手より結果として劣ったり負けたら言い訳にしか聞こえないとの例として出したんだが
だいたい勇武と知略とやらで結局元就以上の結果は出せなかったじゃん、そういう言葉は本当に勇武と知略を発揮し結果を残した秀吉クラスにならんと負け犬の遠吠え
それに鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、勝てない敵と戦うより勝てる状態まで待つのはむしろ的確な判断だ
それに平等って・・・結果として勇武と知略を尽くした宇喜多三村が元就に勢力で劣ってるのに、それを上だというのが何処が客観的で平等なんだ?

685 :人間七七四年:2008/04/13(日) 15:58:07 ID:aU/Y0xbV
なんだかな〜元就も家康も75歳で死んでるわけよ。
元就の寿命ってのは天下人クラスなわけさ。
でもさ、ラッキーで中国地方の覇者クラスじゃん。
しかも中国地方って寄親寄子だからいったん頭一つ飛び出ると簡単に拡大できるわけよ。


686 :人間七七四年:2008/04/13(日) 15:59:48 ID:+bmt/6R0
それでも頭一つどころが相当飛び出ていたはずの陶が滅んじゃった件について。

687 :人間七七四年:2008/04/13(日) 16:24:15 ID:0oyGb9SY
天下人なんてのはうじゃうじゃ居る訳じゃないから、せいぜい覇者止まりは妥当
だいたい三村や宇喜多が元就より優れてたら、経久や元就のマネが出来る筈だろ、中国地方は寄親寄子制とやらで拡大しやすいんだろ
それが出来ないという事は、所詮その程度だったという事だろ

688 :人間七七四年:2008/04/13(日) 16:38:17 ID:+bmt/6R0
寄親寄子制度だから、いったん頭一つ飛び出ると簡単に拡大できるということは
言い換えればいったんどこかの勢力の拡大を許せば(あるいは生まれた時点ですでに差を付けられてたら)
もう逆転は難しいってことだよな?

武田大内陶尼子と頭1つも2つも飛び出てた勢力を逆転して滅ぼした元就はやっぱりすごいってことでFA?

689 :人間七七四年:2008/04/13(日) 17:02:35 ID:DNhCwXOY
なんか毛利の話題ばっかりだなぁ
比較対象の上杉はどうしたのよ

690 :人間七七四年:2008/04/13(日) 17:22:19 ID:aU/Y0xbV
毛利厨がくだらないケチをつけ屁理屈だらけで論議が成立しない件w

691 :人間七七四年:2008/04/13(日) 19:10:20 ID:lpMXWLCF
>>690みたいなのが現れ始めると知識の深い人達は離れて行く。

芝を生やさないとレス出来ない低脳とかは三戦にでも篭っていて欲しいな。

692 :人間七七四年:2008/04/13(日) 19:20:24 ID:Ug/ERPzC
宇喜多直家は勇武で鳴る三村家親を暗殺し翌年1566年7月には息子三村元親を明善寺合戦で破り
備前西部・美作から三村氏を追い払い備中深くまで侵入し
1568年には撫川城(備中南東)・猿掛城(備中南西)・斎田城(美作・備後国境沿い)と宇喜多の前に次々落城し、
最後の仕上げとして直家の調略で備中の名族庄氏が裏切り備中中枢の松山城の居城を奪われ三村氏は崩壊。
三浦氏(美作西部の有力者)も三村氏より美作西部の要衝高田城を奪還。

1569年元就が対大友戦で長府へ(翌年正月に輝元をおいて元就は吉田へ帰る)
大友との多々良浜の戦いが開始され大友に支援された大内軍が後方の周防国へ上陸し
破竹の進撃を開始しついに山口攻撃を開始し無視できない状況に。さらに尼子残党が隠岐より上陸し出雲一国をほぼ制圧してしまう。
毛利は大損害を出しながら何とか確保した立花城さえ大友に譲渡し九州完全撤退を決意し交渉に入る。
毛利軍が備中猿掛城を落城させるも備中斎田城で宇喜多勢に大敗。毛利方香川春継が尼子・三浦氏より高田城奪取。

1570年2月尼子残党の月山富田城攻略失敗。尼子と宇喜多直家は手を結ぶこととし、
尼子勝久・山中幸盛らは備中より美作へ1000の援軍を派遣し三浦氏を支援し10月には毛利軍を破り高田城は落城。
尼子勢は備中を次々に降し幸山城(倉敷北方)・松山城などの諸氏は尼子に降り毛利方の城攻めを開始しほぼ毛利は備中失陥。
同年に宇喜多配下の花房職秀は荒神山城を築城し美作支配の拠点とする(宇喜多が美作をほぼ制圧完了)
9月に元就重症の急報あり尼子残党を元春に任せ、輝元と隆景は大友の動きを警戒しながら元就のもとへ急行。

1571年6/14元就死去。
8月に新山城で山中幸盛を元春が捕縛するも逃げられる(尼子勢力が減退し始める)
毛利が備中中部で反撃を開始し松山城落城させるも備中幸山城が備中北部を制圧していた尼子に攻められ降服。

1572年毛利の支援で三村元親が佐井田城を奪取し松山城に居城を移す(備中の軍事バランスが毛利方へ)
宇喜多と毛利はこの後も一進一退の抗争を繰り返す。

1574年対織田で宇喜多・毛利は同盟し毛利の背反に激怒した三村氏は織田へ。
1575年毛利が松山城や猿掛城を落城させ三村氏を滅亡させ備中平定に成功。
1576年毛利氏が美作高田城奪取。
1577年宇喜多によって浦上は滅亡へ。

693 :人間七七四年:2008/04/13(日) 19:22:57 ID:Ug/ERPzC
周防16
長門13
石見11
出雲18(尼子残党が暴れていたが詳細不明につき削らない事にする)
備後18
安芸19
備中17-10=7(尼子残党とそれを支援する宇喜多同盟軍がかなり攻勢に出ており三村滅亡寸前だが元就死去後には挽回し始めている)
隠岐4(尼子残党の拠点になったりしてるので元就時代に領有してたか不明だが+する)
美作と備前(元就死去時はほぼ宇喜多支配下)

毛利元就死去時の石高は106万石
九州(大友の四国侵攻による宇和郡領有による伊予での河野氏支援も含む)と中国東部での無意味な二面作戦という愚策で
東部・西部ともに劣勢に追い込まれるが死去寸前に愚かさを悟り九州から完全撤兵(健康への不安からか?)
謙信が関東を放置し上洛戦で北陸に戦力集中したのと違い元就は戦略変更が遅すぎて宇喜多や大友の支援で尼子残党が巨大化してしまった。
元就死後に中国東部のみに敵を絞り込み反攻しある程度の成功を収めてるところを見ると老害が出始めていたかも。

694 :人間七七四年:2008/04/13(日) 19:44:31 ID:5SAhL3Iq
>>691
よく言うよ。
毛利厨は何も知らない無知でただただ厨二病元就マンセーしてるだけだろw
謙信の事もよく知らないって言ってたが元就の事もほとんど知らないだろ厨房クンw
>>692
元就は完全に大友宗麟と宇喜多直家に翻弄されまくってるアホだな。やっぱり無能の陶が大内義隆を謀殺という素晴らしいラッキーな出来事のおかげで運が良かっただけだな。さらに石見放棄とかする尼子義久もアホだったしな。

695 :人間七七四年:2008/04/13(日) 20:14:29 ID:lpMXWLCF
>>694
その理屈はおかしい

696 :人間七七四年:2008/04/13(日) 21:33:07 ID:ZEHwi8ba
>>654
同調。
謙信の神出鬼没と元就の権謀術数を組み合わせたらどうなるか見てみたいな。
関ヶ原時の当主がこの二人だったら家康が勝てる気がしない。
会津にいると思ってた謙信がいつの間にか家康の背後にいたり、
東軍だと思ってた諸大名が元就の謀略によっていつの間にか寝返ってたりw

697 :人間七七四年:2008/04/13(日) 23:34:05 ID:9vd05k47
>>ID:Ug/ERPzC
ソースは何?

698 :人間七七四年:2008/04/14(月) 00:23:51 ID:Wm1GuagR
素朴な質問して良いかな?
吉田郡山城ってそんな凄い難攻不落の城なのか?

699 :人間七七四年:2008/04/14(月) 01:50:28 ID:ELRzEGB4
>>693
伯耆(10万石)因幡(8万石)情勢

1564年 西伯耆の要衝たる尾高城は毛利方の杉原盛重が派遣される。

1568年 毛利氏の九州出陣で伯耆の領主たちが九州に赴いた隙を狙って
    尼子勝久・山中幸盛らによる尼子再興戦が開始され伯耆各地を奪回し始める。

1569年 山中幸盛らの尼子残党に尾高城を奪われる(陰徳太平記)

1571年 毛利と同盟して因幡を乗っ取った武田高信が但馬侵入するも山名氏の塩冶高清に大敗。
    西伯耆の浄満原で杉原盛重が尼子氏残党(信長の支援で但馬因幡の山名氏を復興させた)と戦う(陰徳太平記)

1572年 因幡国人の大半が山中幸盛側になびき武田高信の大敗で鳥取城陥落し因幡が完全に山名領国化。

    西伯耆と分断された東伯耆の国人の南条宗元は毛利と同盟しているが
    孤立無援の中でかなり苦戦してると思われる(毛利に援軍派遣の余裕はない)

※陰徳太平記は毛利氏によって編纂されているので毛利贔屓になっている。
よっておそらく杉原盛重は浄満原で負けていると思われる。

元就死後に元春のがんばりで対尼子の出雲情勢が好転してくる状況で、なおかつ美作国方面はほぼ宇喜多の手に落ちている。
よって伯耆以東は尼子の勢力圏化が進み連絡線も断たれ孤立した各国人が独自の防衛政策で必死に守っており
毛利の軍事プレゼンスも期待できない以上は影響力が皆無に等しく毛利領と見なすのはかなり無理がある。
しかも出雲・隠岐もかなり尼子に蹂躙されているが>>693ではまったく石高を削っていない状況なのでさすがに伯耆分は追加不能。
厳密に計算したら元就死去時の石高は、ほぼ100万石くらいまで落ちる気がする・・・がそんな事したら毛利厨が過小評価だと騒ぎ出しそうだし遠慮しとこう。
>>645>>650
微妙なところなんで謙信の場合はあいだをとって155万石とするか・・・160万石でもおかしくなさそうだがそんな事したら毛利厨がヒイキとか騒ぎ・・・w

700 :人間七七四年:2008/04/14(月) 02:00:46 ID:ELRzEGB4
>>698

>>668>>671

701 :人間七七四年:2008/04/14(月) 02:15:47 ID:GRWcbA1V
実質的には1570年の半ばから元就は急速に体力が低下してるだろうから指揮に関わってないんだろうな。
しかし尼子再興軍ウゼェーー!
山中鹿介の偉大さがわかった気がする…
尼子残党に翻弄される元就って世間で言われるほど智将じゃないね。
出雲や伯耆や備中の旧領での尼子って潜在能力かなり高かったのね…尼子義久のアホが。


702 :人間七七四年:2008/04/14(月) 02:20:37 ID:Wm1GuagR
上げてみる

703 :人間七七四年:2008/04/14(月) 02:27:57 ID:A+ZpQ9Wq
うーん本人の生きてる間の功績はもちろんあるだろうが後継者をはっきり決めて
なかった点で謙信は戦国大名としてどうかと思うが。
その点毛利はきつちり決めてたし。まー血が繋がってるないの違いはあるがそれでも
やはりこの理由で毛利の勝ちだと

704 :人間七七四年:2008/04/14(月) 02:33:29 ID:ELRzEGB4
ちなみに羽柴秀吉の中国遠征軍(てきとうに概算)
播磨35万石
但馬11万石
因幡8万石
伯耆10万石のうち東部3郡羽柴方の南条6万石
宇喜多備前22万石+美作18万石
合計100万石

あーもう石高で同等に追いついちゃってるよ・・・
これじゃ毛利軍はどうあがいても100%かなわないわ。


705 :人間七七四年:2008/04/14(月) 02:39:27 ID:GRWcbA1V
>>703
もうムリヤリ元就を勝たせようと必死w
これだから毛利厨は…
死後を持ち出したら信長親子よりも元就がすごい事になりますねw
あー秀吉も死後の事をもっと考えておくべきでしたねw
いやいや家康も幕末まで考えて長州という雄藩を予測し関ヶ原で毛利を改易しておけば良かったですねw
はいはいさすが老害の元就だね。
はいはいさすが基地外の毛利厨だね。

706 :人間七七四年:2008/04/14(月) 02:50:56 ID:ELRzEGB4
>>704
そういや近江長浜からつれて来てる兵や信長からも与力つけてもらってるし
淡路6万石
長宗我部に侵攻され滅亡寸前の三好讃岐領もあるんだよな。

707 :人間七七四年:2008/04/14(月) 03:05:12 ID:G6oB8pAF
>これだから毛利厨は
これメガトン先生の口癖ね。あの自演野郎どこいったw

708 :人間七七四年:2008/04/14(月) 03:09:55 ID:Qv78kjze
75歳まで生きてたらアホでも跡継ぎ決めるだろうが…しかも前年から病が重症で寝たきりだったんから。
元就自身も輝元が15歳の頃に歳を取り過ぎて疲れたから隠居して家督を譲るって言ったが輝元が
「お父さんの時は長く後見してくれたのに何で僕の時は(涙)」と言い出して元就が考えなおしてるのに。
例え後継者指名してなくても隆景も元春も毛利家の後継者として育ってきてる輝元を擁立するだろ。
輝元も死後の手紙で「もはや亡くなる覚悟はできてました」って落ち着いた文を書いてるし。
ほんと毛利厨は何にも知らないで元就をマンセーしててなんとか謙信を引きずり落とそうと中傷してるだけなんだよな。

709 :人間七七四年:2008/04/14(月) 04:56:31 ID:D8GO4pUj
信玄が後継者選びの不備で滅亡原因を作った事は死ぬほど(死んでるが)叩かれてんだから、後継者選びをうまく進めるのは当然評価してもいいだろ。
それに元就は三子の教訓条等で後継者を明確にしてきたから輝元でもスムーズに移行し、当時としては珍しく家族間の繋がりが強固な体制になった(こう見ると北条家に似てる)。
その点謙信の後継者選びは細川政元(この二人は何処かしら奇人みたいな共通点がある)みたいに突然の死を迎えて家が割れる事を想定してなかったのが謙信の爪の甘い所。
信長みたいに明確な後継者まで死ねばどうしようもないが、そんなのは特殊な例。
しかしそれを持って毛利の総合的勝利はどうだろ(そもそも接点がないし)。

710 :人間七七四年:2008/04/14(月) 05:03:06 ID:QwZbRMln
人生50年の時代に49歳までいったら後継者をちゃんとそろえとかなきゃ
まずいってことはちょっと考えりゃ分かりそうなもんだが。

ましていつ戦死してもおかしくない戦国時代ならなおさら。

711 :人間七七四年:2008/04/14(月) 05:33:14 ID:Wm1GuagR
>>710
中立的に見ればそうなるわな。

712 :人間七七四年:2008/04/14(月) 06:47:04 ID:D8GO4pUj
>>373
その吉田郡山城の今の形状は元就家督を継いですぐ拡張したからね
旧本城でも標高290メートルで十分堅固だがそれをさらに強化したのは元就

713 :人間七七四年:2008/04/14(月) 06:54:01 ID:D8GO4pUj
謙信も春日山城は大改修はしてるから。
居城で勝負するならどちらが上だろうか?

714 :人間七七四年:2008/04/14(月) 06:59:29 ID:D8GO4pUj
あとだいたいだが、どちらが何に優れてるかを比較してみた。
石高
謙信→元就
謙信の方が上、しかし当時の越後にそれほど石高があったかどうかは考慮すべきか。
経済
謙信→元就
石見銀山を押さえた毛利も評価すべきだが、経済力を抜群に強めた謙信の方が上だろ。
初期状態
謙信=元就
どちらも本来なら継ぐ予定はないが、持ち前の運と実力で当主に。
戦略
謙信→元就
元就も中間はかなりよかったが晩年は失敗、謙信は関東でこそ失敗したが北陸地方での戦略はうまくいった、しかし謙信はその後の織田に対抗出来たかは疑問だが謙信の勝ちとする。
戦術
謙信←元就
元就は少数でもよく戦い、有田中井手の戦い、青山取場の戦い、厳島の戦い等の戦歴がある、謙信は川中島や七尾城での戦い等があり甲乙付け難いが、肝心の有名合戦でいくらか勝利した元就の方の勝ちとする。
知略
謙信←元就
謙信も北陸計略はなかなかだが元就の反間の計、養子送り切腹作戦等はエグく効果的、これに対抗出来るのは宇喜多や真田くらいか
後継者選び。
謙信←元就
上記の通り
とりあえずこんな感じで比較してみた。

715 :人間七七四年:2008/04/14(月) 07:36:27 ID:QwZbRMln
>714
なんかもう元就vs信玄スレも念頭におくと
謙信>信玄って感じだな。こんなことを書くとスレが荒れるんだろうが…

716 :人間七七四年:2008/04/14(月) 08:35:07 ID:VKvNQ+kU
>>714
後継者選びなんか謙信は完全に失策だろ。知略も元就が上だと思うけど

717 :人間七七四年:2008/04/14(月) 10:01:01 ID:GRWcbA1V
毛利厨の愚かさ
すぐ後継者問題を持ち出すくせに信長を例外にする。
親子を同じ京に居合わせ警備も手薄にしてる時点で過失があり万が一の後継継承に油断があったではないのか。
これも立派な後継への思慮だろう。
暗殺された後継者の毛利隆元(急死説もあるが死んだ理由が不明だ)が死んだのも警備の配慮に不備があり手薄だからではなかったか?
それに後継問題に関しては謙信の突然の死を利用して上田長尾氏の景勝がクーデターを起した可能性があるから謙信が悪いとは言い切れない。
なんせ勝者の景勝側の主張ではちゃんと謙信が死ぬ寸前に後継を景勝にすると言っているとしている。
また当初は北条と武田と旧関東管領山内上杉憲政に支援された景虎が他家を利用してのクーデター阻止に動いたかも知れないし(結局、北条自ら動かず勝頼を動かそうとしたので不信感が募った勝頼が景勝側にいく)
そうそう越後守護上杉氏の上条氏を継いだ能登畠山氏の養子もいた。
本来の謙信の構想では上野国と関東管領職を景虎にして北条と協力させ
景勝に越後国と自信の官職を渡し上田長尾を納得させ能登を上条に渡し畠山の名家を再興させる平和プランがあったとされるしな。
なんにしても勝者の景勝側視点からの記録しかない以上は後継問題を持ち出し比較するのは不可能。

718 :人間七七四年:2008/04/14(月) 10:24:16 ID:QwZbRMln
>>717
>すぐ後継者問題を持ち出すくせに信長を例外にする。
>親子を同じ京に居合わせ警備も手薄にしてる時点で過失があり万が一の後継継承に油断があったではないのか。
>これも立派な後継への思慮だろう。
そうだね、信長にしては脇が甘かったね。「所詮は信長もその程度」でもすんでしまう話だし,なんにせよ信長はスレ違いな訳ですが。

>暗殺された後継者の毛利隆元(急死説もあるが死んだ理由が不明だ)が死んだのも警備の配慮に不備があり手薄だからではなかったか?
死因不明ならみんな暗殺されたことになるんですか。当時の医学を買い過ぎだろ。
たとえ暗殺だったとしても当時の隆元は40半ば、まして毛利家の当主,自信の警護は自信でおこなうべき立場だろ。
なんで元就がそんなことまでいちいち細かく口出しして指導しなきゃならんのだ?


>それに後継問題に関しては謙信の突然の死を利用して上田長尾氏の景勝がクーデターを起した可能性があるから謙信が悪いとは言い切れない。
>なんせ勝者の景勝側の主張ではちゃんと謙信が死ぬ寸前に後継を景勝にすると言っているとしている。
周囲に徹底してない遺言にいったいなんの意味があるんだか。


>また当初は北条と武田と旧関東管領山内上杉憲政に支援された景虎が他家を利用してのクーデター阻止に動いたかも知れないし(結局、北条自ら動かず勝頼を動かそうとしたので不信感が募った勝頼が景勝側にいく)
>そうそう越後守護上杉氏の上条氏を継いだ能登畠山氏の養子もいた。 
>本来の謙信の構想では上野国と関東管領職を景虎にして北条と協力させ
>景勝に越後国と自信の官職を渡し上田長尾を納得させ能登を上条に渡し畠山の名家を再興させる平和プランがあったとされるしな。
>なんにしても勝者の景勝側視点からの記録しかない以上は後継問題を持ち出し比較するのは不可能。
謙信の夢の戦略プランを語ってくれてありがとう。で,それが後継者問題となにか関係ある訳?

719 :人間七七四年:2008/04/14(月) 10:33:02 ID:GRWcbA1V
当主になる以前の若き謙信は中越地方での戦闘を通して自らの勇武とカリスマを見せつけ越後国人の人心を掴んでおりかなり激しく戦っていた。
ただ残念ながら越後国主就任以前の記録は概要だけで個々の戦闘などはほとんど残っていない。
また尼子や大内が滅亡してしまい中国地方の記録のほとんどは勝者毛利の主張がそのまま通っている。
元就の知謀があまりにも講談じみていて鵜呑みにできない。
まわりを取り巻きに守られている武田元繁なんて自分から矢に当たりに言ってるようなもんだ。たまたま流れ矢が当たらなければ元就の作戦は崩壊していたがこんな不備ある作戦はおかしい。
アホ陶に関しての記録では
厳島の戦いの無為な大空費で有名な宮尾城の話などもある。
まだ手薄で簡単に落城させられる宮尾城を前に陶は吉凶を占いさせた。
すると軍監者が朝夕城中から立ち上ぼる炊飯の煙の気をみて勝敗を考えたが落ちる気はしない。また明日、明後日は大凶であり来月の大吉日に攻めた方がよい。
それに対して弘中隆兼が「おっしゃる事はもっともだがそんな日を選ぶより実際に闘う意思の方が戦いの結果では優先されるのでは?味方にとって悪日なら敵にも悪日だし目に見えない天の意思や陰陽より目の前の明らかな勝敗を選ぶべき」
陶は待たずに被害を数千人も出すわけにはいかない。数字待つのに害はなかろうと言ってチャンスを失う愚将。
有名な百万一心の吉田郡山城の大改築は尼子氏の攻撃を受けた経験を生かして大改築されたものだ。
それ以前は父祖代々の改築の積み重ねとそれほど大幅に変わらないはずだ。

720 :人間七七四年:2008/04/14(月) 10:41:01 ID:Qv78kjze
無駄無駄
毛利厨は何も知らない素人が屁理屈言ってるだけだから
毛利厨が詳しい話をした事が今まであったか?
まるでないどころか謙信の事をほとんど知らないと白状するし元就の事も実際にはほとんど知らないで講談話レベルの話しか出してこない厨二病マンセーだから。
おおかた大河やノブヤボくらいの知識で語ってるのがレス読んでてわかるから痛過ぎるよ。ほんと毛利厨は戦国板一の恥さらし。

721 :人間七七四年:2008/04/14(月) 10:52:01 ID:QwZbRMln
まあ実際に専門外だからほとんどしらないんだけど、それでも>717とか突っ込みどころ
の多い議論をやってくれるんで。


日本の史学科のレベル低いって思いたくもないので,GRWcbA1Vに>718の突っ込みに対するディフェンスを頼むわ

722 :人間七七四年:2008/04/14(月) 11:08:48 ID:GRWcbA1V
信玄に関しては信長と敵対すると言う結果を勝頼に遺して死んだのがまずかった。
しかも信玄自身の体調があまりよくない状況である以上は織田と敵対せず養生してれば。
ただ真の後継者は勝頼の子で後見者勝頼は諏訪家の後継者。諏訪地方失陥がそのまま甲府の人心の瓦解になっちまった。
まぁ後継者達の生き方はまた別な人格と人生だから論議不要。
ただ謙信や信玄の最後のチャンスにかけて織田軍にケンカ売るってのは連戦錬磨の戦国大名の名に恥じない意気込みが感じられる。
豊臣政権下の大名がいかにも小粒で気宇が小さく感じる。
元就は信長と戦うなと言ったようだが…尼子再興軍はすでに信長が後援を開始し始めているし。
まぁ謙信や信玄の死による総決算までを考えたら国境では彼らの遺徳と武遺を恐れた織田の行動が鈍く小康状態で保っており大成功で終わってる。
元就は九州戦線を終結させたが尼子残党軍と宇喜多が暴れ周っており先行き不安を覚えながらの死だったろう。


723 :人間七七四年:2008/04/14(月) 11:15:00 ID:GRWcbA1V
>>721
自分はほとんど意見を開陳せずにケチだけつける輩とは論議が成り立たない。
こういうタイプは揚げ足やへ理屈が多いし枝葉末節な話になったり言い換えや言葉の定義の一字一句まで執拗なタイプが多いのでめんどくさい。
まず何か自分の主張を滔々と語れ。それからだ。

724 :人間七七四年:2008/04/14(月) 11:21:56 ID:QwZbRMln
>>722
>織田軍にケンカ売るってのは連戦錬磨の戦国大名の名に恥じない意気込みが感じられる
その辺が徳川幕府関係なく今でも人気のある理由かもしれんね。
でも当時の価値観で言ったら自分の夢の為に御家を滅ぼした(滅ぼしかけた)愚か者 にしかなりそうにない気がするが。

>>723
揚げ足やへ理屈が多いし枝葉末節な話になったり言い換えや言葉の定義の言い争いになっちゃたときは
止めてくれよ。実際なっちゃうかもしれないからw
ちなみに俺の主張は元就の方がすごい!ではなくて「>717の議論から謙信>元就というには無理がある」な。

だいたい修士論文のディフェンスもそんなもんだよ。教授の方も学生のテーマにそんなに詳しい訳じゃないから
彼らを納得させらんなきゃ終わり。



725 :人間七七四年:2008/04/14(月) 11:51:49 ID:9+RJoohE
石高: 謙信=元就

経済: 謙信>元就

初期状態: 謙信>元就(謙信の方が酷い状態でスタートしたという意味)

戦略: 謙信=元就

戦術: 謙信>元就

知略: 謙信<元就

後継者選び: 謙信=元就

客観的に判断すれば、こうなった


726 :人間七七四年:2008/04/14(月) 15:09:30 ID:G6oB8pAF
ん?

727 :人間七七四年:2008/04/14(月) 15:27:17 ID:ELRzEGB4
>>709
元就は三子の教訓条等で後継者
←そもそも史実じゃないのに・・・
細川政元みたいに突然の死
←養子に殺されたのに謙信と一緒って・・・

>>712
元就家督を継いですぐ拡張
>>719の指摘のとおり大改築は尼子の包囲以後だろ。
標高290メートル
←郡山城は390M級なんだが・・・

>>719
尼子や大内が滅亡してしまい中国地方の記録のほとんどは勝者毛利
←そのとおり!いい加減に諸葛亮孔明ばりの知略とか講談じみた元就神格化はやめにしようよマジに・・・戦国板最大の恥部。
東西両戦線で大失敗して泥沼にはまったまま亡くなってるのでとても謀将とは言いづらい。
謙信は北陸を征して成功して終了してるのとは段違い。
アホ陶に関しての記録
←そう大内は伝統と慣習で脳が腐ったアホ揃い。例えば大内義隆は陶の謀反を事前に察知していたが
何の手を打ったかと言えば陶晴房という敵を調伏すべく37日の間ずっと加持祈祷で護摩を焚いていたら殺された。

宮尾城を前に陶は吉凶を占いさせた
←当時の中国地方では凶日は双方休戦との暗黙の習俗があったとも言われているので
元就は敵側が防備を解いてゆっくりしてる隙をついて卑怯なマネをしてたっぽい。

>>720
毛利側は明らかにモノを知らな過ぎるね。希薄などうでもいい点を部分的にピックアップして無理やり
全体を論じ始めてロクに根拠を出さず、なんとか元就が凄いと持ち上げようとしてるに過ぎない。
自分達は無知なので何も語らず、ケチをつけるのだけは一人前だけどな。
まぁ中国地方のスレの賢い良心は幻の尼子スレだけだわな。毛利厨はレベル低い。


728 :人間七七四年:2008/04/14(月) 15:27:20 ID:oXIfuEN6
>>725
全然客観的じゃない
まず後継者選びこれ元就>>謙信
後継者選びだけではなくしっかり子作りもしてたわけだし
戦術も元就の方が上
戦績見てどう考えても謙信が勝った戦など元就と比べて少ない

729 :人間七七四年:2008/04/14(月) 15:51:21 ID:c4Q1ZVov
どう考えても初期状態は元就の方が悪いだろ

730 :人間七七四年:2008/04/14(月) 16:07:27 ID:GRWcbA1V
どう考えても毛利厨が必死でワロタwww
もうあきらめろw

731 :人間七七四年:2008/04/14(月) 16:14:16 ID:Wm1GuagR
後継者に関してはやっぱ元就でしょ。
その辺は上杉側も認めないと。
毛利側も上杉側の領土経営等はちゃんと認めてるんだがら。
ただ屁理屈だのなんだので聞く耳持たないって態度はどうかと思うよ。

ほかの事に関してはまだ議論しなくちゃいけないのかもしれないが。

732 :人間七七四年:2008/04/14(月) 16:16:01 ID:Qv78kjze
まぁなんだ
そもそも当人達に関わりない後継者なんて項目をムリヤリ設置してるだけで毛利厨が少しでも元就有利にしようと持ち出した独自ルールだからな。
今までVSスレ数あれどそんな項目を設置してたためしはない。
そのくせ長寿って言う年齢による膨張率を提示したら絶対に認めない糞ルール奉行ぶりの毛利厨は伊達厨以下の講談厨でどうしようもない。

733 :人間七七四年:2008/04/14(月) 16:19:41 ID:Wm1GuagR
毛利側のせいにするのもどうかと・・・。
最初の方から見ても結構お互い様の部分があると思う。

734 :人間七七四年:2008/04/14(月) 16:47:38 ID:D8GO4pUj
>>727
三本の矢なら史実じゃないが三子教訓条の文書は存在するぞ、これは偽物なの?
ttp://www.google.com/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww5d.biglobe.ne.jp%2F%7Edynasty%2Fsengoku%2Ftegami%2Fm405.htm%3F_gwt_pg%3D0&hl=ja&mrestrict=xhtmlchtml&inlang=ja&client=ms-kddi-jp&q=%E4%B8%89%E5%AD%90%E6%95%99%E8%A8%93%E6%9D%A1&channel=main

735 :人間七七四年:2008/04/14(月) 17:23:47 ID:ELRzEGB4
>>734
「矢」じゃねーだろ。矢の話は講談話。

謙信の後継問題は同情に値する。そもそもこの問題は根深い。

※1 越後の国人はやたら敵愾心と独立心が旺盛で共同での一揆や国人の間での調停も起こらず仲たがいばかりで 揚北衆に至ってはほぼ独立王国の感すらある。
現代でも下越・中越・上越は生活習俗も言語も違い文化圏としてもバラバラと言われており、北陸・中部・関東・東北のどちらに所属するかも不明な分裂地方。

※2 上条(守護上杉系で関東管領を輩出した事もある上杉定実の実家)・上田長尾・揚北衆・葦名・出羽砂越らにより
父の為景が敗北し隠居し兄の晴景が越後守護にすげ替えられ擁立される。これが府内長尾が孤立してる基本構造。
少年謙信が越後守護の養子問題で中越で孤軍奮闘しカリスマを発揮し豪族の中にはその勇武を越後の救世主と期待する熱烈な者達が増えた。
中条氏などは伊達権力で守護権力復活を図っていたが謙信支持に変わってる。
謙信が兄にかわり守護に擁立され無理やり家督相続して少し経ってから擁立した政権の主宰者たる後見人の守護が死んだ(1550年2月)→政権瓦解の足音
(これにより大事な時期に守護のかわりに幕府の権威にすがるべく謙信が将軍に会いに越後を留守にして上洛しなければならなくなったのも痛い→実現できたのは1553年にやっと)
すると早速に上田長尾氏が謙信の家督相続に異議を唱えて地位を奪おう反旗を翻した(1550年12月)
あくまで守護権力下の下では守護の顔を立てる意味でガマンしてたし※2府内長尾も上田長尾も同格に扱われていたが、
明日から上位権力者じゃない府内長尾の指示を受けるのはまっぴら御免ってヤツ。
しかもその争乱のころに北条の上野国北上やら武田の信濃北上が同時に襲いバラバラ状況の越後の危機で上田長尾には武力で圧倒できそうにない。
(1552年正月にはついに関東管領が越後に逃げてきた・1553年には村上義清が信濃から逃げてきた)
※1さらに越後国人達は離合集散と私利私欲ムキだしのバラバラで争乱が長引けば父のような失敗もありえる
(守護上杉の養子争いの紛争みたいな真似は避けたい)
そこで上田長尾に謙信は姉を与えて妥協せざるおえなかった。そのため上田長尾は独自に発給文書や感状を出せる同格指揮権者。
そしてその上田長尾出身が景勝なわけで、この政権基盤のバランスには謙信も苦労して配慮していた。このあたりが子作りしなかった一因かもしれない。

かなり危うい薄氷の上の政権運営してたが、1556年またまた家臣団が仲たがいし謙信権力の否定をし始めたので出家すると言って春日山から逃亡したこともある。
ちなみに本格的に北条・武田と抗争中の1559年の2度目の上洛で相伴衆に就任したことでだいぶ政権参加領主(柿崎・斉藤・北条など)が増えてきた。
これにより越後統一も視野に入り1560年にやっと小田原遠征が可能になった。

736 :人間七七四年:2008/04/14(月) 17:24:25 ID:9+RJoohE
えーと、今までの議論の流れを整理して評価しますと

石高: 謙信=元就
(この部分はお互い説明が少ないので無理な判定せず)

経済: 謙信>>元就
(国内統治や港湾整備など両者は比較にならないくらい差が出てるということでおk?)

初期状態: 謙信>元就
(謙信の方が酷い状態でスタートしたという意味)

戦略: 謙信>元就
(無計画な領土拡大で東西に敵を作り泥沼化させた元就は戦略性が欠けていた?)

戦術: 謙信>>元就
(元就は敵が自滅して弱ったから何とか勝てたって感じでおk?陶に勝ったのも元就というより村上?)

知略: 謙信<元就
(これは元就だと思います。これで上杉とか言い出したら、ただの贔屓判定になりますので厳粛に)

後継者選び: 謙信=元就
(両者、特に遜色ないといった感じのようですね)


不公平の出ないように両者の意見を汲み、客観的に評価したらこうなりました。


737 :人間七七四年:2008/04/14(月) 17:26:29 ID:oXIfuEN6
上杉側に話が通じないのが多いのってやっぱ
負けを認めてるからだよな?

738 :人間七七四年:2008/04/14(月) 17:49:47 ID:Wm1GuagR
>>736
露骨に不当な評価をするからまた荒れるわけで・・・。
それともただ煽りたいだけなのやら。

739 :人間七七四年:2008/04/14(月) 17:51:31 ID:ELRzEGB4
>>736
>>699のレスに異論がでていない。そうすると石高で謙信が圧勝なんだが。

後継者の概念は毛利側が持ち出してきた自己中独自ルールなのでそれを入れるなら年齢による膨張成長率も入れないと不公平だ。
おなじ中国地方の48歳三村家親や51歳宇喜多直家死去の二人が参考になるだろう。ちなみに謙信は49歳・元就75歳・秀吉61歳・家康75歳

また元就が知略面として謙信より優れてる面に言及してるレスが毛利側から一言の説明もないので要説明求む。
>>46>>719>>727このへんのレス読めばわかるけど明らかに呪術とか占いとかやっててアホだよ尼子とか大内とか陶とかさ。

740 :人間七七四年:2008/04/14(月) 17:59:04 ID:Wm1GuagR
>>739
だからお互い様だって。
後継者関係は家そのものに関わる事だ。
その後継者関係が不当だと言うなら占いや呪術を持ち出してきた上杉側もどうなんだ?
大体占いや呪術をやってたのは中国地方だけじゃない。
その辺りを印象操作するのもどうかと思うぞ。
ソレを言うなら謙信だって自分を毘沙門天の化身に例えたのもオカシイって事になるぞ。


741 :人間七七四年:2008/04/14(月) 18:08:58 ID:9+RJoohE
なるほど。毛利領と言われてる地域でも、実質支配できてない部分が多くあり
計算に入れるのは不当だということですね?
確かに一概に領土だと言っても、それは(記録を残すことができた)勝者の言い分であって
国内の力関係や、また敵に蹂躙されてる地域は明確に領土とするのは不自然な気もしますね

ただ石高とは、東西の国の特性も大きく影響してくるので(一般に東高西低)これも考慮に入れるべきかも知れません
それと>>699を読んで感じたのは
石高というより、毛利の戦略性や戦術性の方が問題じゃ?
ということだったんですが、その変はどうでしょう?





742 :人間七七四年:2008/04/14(月) 18:09:54 ID:GRWcbA1V
府内長尾は恨まれてたから、いつ裏切られるかわからん少年時代の孤立無縁の中越に派遣され戦ってた時もすごいが
謙信家督相続時は経済破綻してたし、発給文書も「守護からも認可の手紙がおって沙汰すると思われます」って内容で最終認可権を持つ守護の操り人形だしいつ殺されてもおかしくなかった。
安芸守護武田元繁の管理下に謙信がいたようなもん。
また父の為景の葬儀には府内長尾の衰退のチャンスとばかりいつ襲撃が来るかわからんから鎧兜姿で幼い謙信も葬儀に出たんだよな。
さらにその後は出家させられちゃうし。
占い呪術は島津や大友にも見られ西日本ではやたら多かった。
畿内以東はあまり例を見ないだろ。
毘沙門天ってのは味方の士気を高める程度の話で上杉も武田も神社で祈る程度の習慣。
西国のようにシャーマニズム的で平安時代の陰陽師みたいな恨みのぶつけ合いや戦況を無視したり、有利な状況で戦機を逃したりする非合理的で後進的なものではない。

743 :人間七七四年:2008/04/14(月) 18:19:56 ID:9+RJoohE
>>742
謙信の武将としてのスタート時の酷さは有名ですよね
秀吉や道三のように無一文からスタートするのも大変
直家や家康のように自家滅亡で他家の家来としてスタートするのも大変

でも、謙信の場合は力も蓄積してない状態で
いきなり命を狙われ続けるスタートなんですよね。しかも実の兄からも

これは考えようによっては一番、酷かも知れない
秀吉が何も持たない0だとすると、
謙信は身近な存在から命を狙われる−からのスタートということです

さて、元就はどういった過酷な状況からスタートだったんでしょうか?

744 :人間七七四年:2008/04/14(月) 18:22:44 ID:Qv78kjze
>>699
隠岐は毛利領から石高削るべきだな
隠岐は現在こそ島根県だから近いように感じが実際は出雲と伯耆の境目の北海上にある。
また山中鹿之助が拠点を置いていたのは新山城といい松江市の北だ。とするとさらに背後にある隠岐はまだ安全圏だろうし新山城の位置から万が一には隠岐に脱出するルート保全もあったと思われる。

745 :人間七七四年:2008/04/14(月) 18:41:00 ID:ELRzEGB4
>>741
地方によって石高そんなに違わないんでない?
まぁ四国はたしかに93万石しかないもんね。
出羽31万石だけ。

でも中国地方は290万石だし
九州地方は264万石よりもあるよ。
陸奥でさえ167万石しかないんだから。
謙信の北陸地方だけがヒイキされてはいないよ。
畿内は飛びぬけて高いけど毛利も上杉も該当してないしね。

それに石高が少ないって事はそれだけ村落が少ないから支配力が
簡単にあがるからどんどん領域を膨張しやすくなるメリットもある。
石高による数値的客観評価を排除してしまっては意味がないのでは?

746 :人間七七四年:2008/04/14(月) 18:50:21 ID:9+RJoohE
なるほど。村落が少ない=敵や、領国支配の苦労も少ない。
これは支配する側から見れば楽ではありますね
そうなると石高数値だけで評価するのが公平かも知れません。




747 :人間七七四年:2008/04/14(月) 18:51:21 ID:GRWcbA1V
中国地方の国がただ単に細分化されてるだけ。
東国の国割りは手抜きされて大雑把な事を東高西低と言われてもな…
実際、越後3ヵ国にや越中2ヵ国に分国してもおかしくない領域だから。
そのくせ能登と加賀の国分けは畿内から近いからかなぜか細かいw
だいたい吉備国を以前わざわざ備前・備中・備後の3ヵ国に分けただけだから。
だから別に東高西低だから毛利が不利とかはないだろう。

748 :人間七七四年:2008/04/14(月) 18:57:34 ID:ELRzEGB4
>>744
それは私も思った。
でも毛利側だけは甘くつけておかないと毛利厨が不公正だって騒ぐだろうから
文句言われる隙を作らないようにするにはちょっと甘めも仕方がないんじゃないかな。



749 :人間七七四年:2008/04/14(月) 19:04:30 ID:G6oB8pAF
だめだこいつ…
早くなんとかしないと

750 :人間七七四年:2008/04/14(月) 19:10:13 ID:D8GO4pUj
>>727
急死も暗殺も似たような物だろ、どちらも突然死
郡山城の旧本丸の標高が290メートル、尼子侵攻以前に元就が拡張してなければ290メートルで当ってるはずだが
>>732
後継者をはっきり決めるのは戦国大名として当然の評価だろ、現に無責任な選び方した信玄は叩かれ要因の一つ何だから
>>738
誰が「矢」を史実と言った?
文章読め
>>739
知略の点では養子乗っ取り、月山富田城の調略、江良房栄殺しと等々
それに呪術といえば謙信は信玄を呪殺しようとしたのは有名な話しだが?

751 :人間七七四年:2008/04/14(月) 19:11:22 ID:D8GO4pUj
>>738>>735の間違い

752 :人間七七四年:2008/04/14(月) 19:16:32 ID:Qv78kjze
中越では少年謙信も自ら剣を振るって戦わないといけないくらいの激戦ばかりだったらしいからね。
少年謙信も「これでちょっとは府内長尾家も再興できたかなと思うとうれしい」って言ってるんだよな。
このあたりの激戦下の少年謙信の姿を見て敵側の豪族達も心を寄せ味方になっていったって言うしね。
越後は関東の騒乱に長い事巻き込まれ一向宗の脅威もあったから越後を救う指導力ある救世主が求められたんだろうね。
出家して私利私欲のない謙信だから公平に欲深い国人を治められたと思うな。
川筋が変わったあとの土地の所有権を巡り争いがあった時に身びいきせずに平等に判決出したら中越時代から謙信と一緒にいた身内の本庄が判決を無視。
これには謙信も怒って、いつもケンカばかりで愛想が尽きたからあとは勝手にやれやと春日山から出家すると言って出ていっちゃったからな。
越後をまとめられるのは謙信だけだから謙信いなきゃまた越後はバラバラに瓦解して戦乱の日々になっちゃうから必死に国人豪族が謙信さま帰ってきてくださいだもんな。

753 :人間七七四年:2008/04/14(月) 19:54:56 ID:7IczYmsm
城山の高さを標高で語っても意味ないので、比高もつけとく
郡山城(拡張前) 標高402m 比高約200m
郡山城(拡張後) 標高290m 比高約90m
富田城 標高184m 比高約150m
春日山城 標高182m 比高約170m



754 :人間七七四年:2008/04/14(月) 20:08:55 ID:VKvNQ+kU
上杉が後継者を決めなかったのは最低な失策だろ…どう考えても

毛利は産みすぎだなw


755 :人間七七四年:2008/04/14(月) 20:15:40 ID:GRWcbA1V
>>753
比高は任意に選んだ2点の間を測る
例えば最寄り駅と城郭や山の峰の1地点。
それは各自の城でどことどこを選んだ時の高さなのか?

756 :人間七七四年:2008/04/14(月) 21:26:57 ID:GRWcbA1V
実際は後継者をふつうに決めてたと思うぞ。
上田長尾氏の事実上の乗っ取りだろう。関東管領山内上杉憲政まで死んだから勝者の記録しか残ってない。

757 :人間七七四年:2008/04/14(月) 22:09:26 ID:Qv78kjze
謙信って外交も柔軟なんだよな。織田と同盟しただけでなく越甲同盟やったり、破綻後も双方は直接対峙はしなくなったし、越相同盟では北条から大幅譲歩を引き出して数城を返却させたりとしたたか。
それでさ、大会戦ってのは勝っても被害が大きいから普通は避けるんだよね。
第4次川中島も濃霧の中で偶然の遭遇戦が拡大しただけ。
まー結局、信玄の弟とか討ち死にさせたが。ただこの戦いの翌年は被害の副作用か動きが鈍いんだよね。
手取川は単なる撤退する軍の追撃戦(追撃を受けない退却ができて初めて良将で謙信や佐竹義重はこのへん職人芸)
だから決戦やる将は人的被害もあるから良将ではないって事。三方が原の家康みたいに決戦しようとするのはダメダメ。
城を強攻策で力攻めするのも被害が大きく愚将なんだよな。信玄も謙信も城の力攻めは好まないんだよな。
また大勝ってのは必ず相手に重大な過失がないとおきない。また大軍だから決戦しようとする典型的な無能タイプ。
今川義元や陶晴房なんかまさにそれ。


758 :人間七七四年:2008/04/14(月) 22:15:25 ID:hmRFuCSI
この二人で優劣を競っていがみあうのは、
アンチ謙信とアンチ毛利を喜ばせるだけの愚策

削除依頼しなさい>>1

759 :人間七七四年:2008/04/15(火) 00:51:15 ID:9QnYLvgh
自分は資料とか見ずにただ小説のみ読む一般人ですが。
前レスに健康管理の件のってて質問なんだけど
ほとんどの謙信の小説にはものすごい大酒のみで毎日飲んでた。それが原因で
脳卒中て書いてるけどあれは嘘なの?

760 :人間七七四年:2008/04/15(火) 01:21:16 ID:3EgX0dMJ
それが一番信憑性の高い説。
謙信愛用の春日杯と馬上杯が残っており、
中風を患っていたらしい形跡がある。
近衛の手紙でも酒飲みだと書かれている。
辞世でまで自分の人生を酒に例えている。
アル中である事は間違いなかろう。

761 :人間七七四年:2008/04/15(火) 01:52:05 ID:BDT5L5W0
やっぱ上田長尾を納得させるために生涯子供つくらなかったのか、後継者は景勝と内証して。
してみると安寧を願っての自己犠牲なのに後継者無策とかガチポモ説とか下衆の極みだ。
アル中(T_T)

762 :人間七七四年:2008/04/15(火) 03:10:54 ID:QOBAf4Vi
>>750
信玄を呪殺しようとしたってのは有名なのか?
有名なら読んでみたいが…それ始めて聞いたが出典って何に載ってんの?上杉文書?
あと新潟の寒さで酒を飲むなってのは厳しかろう。
ただ家臣達とワイワイと豪快にやる大酒飲みと言うよりは
独りで梅干し食べながらチョビチョビやるのが好きだったそうだからアル中かどうかと言えば違うだろう。
死因は穀物の採れない冬期の越後で食べる為に塩を使った保存食など越後食文化に起因する塩分過剰摂取からくる脳卒中だろうね。
なんせ越後では塩生産が輸出の主力製品のひとつだから腐るほどあるからねぇ。北条や今川から甲斐や信濃への塩止め参加要求にも商人や民の生活が困るだろうからと参加しなかったしね。
体の不調は本人が僧みたいなもんなんで普段はあまり食事は取らなかったそうだから栄養失調からきてるかも知れん…
出陣が近くなるとたくさん食べたそうで家臣達はそれを見て「あぁ出陣が近いな」とか気がついたらしい。
そういや吉川の使者が武勇で評判高い謙信に会いにきた事もあるから当時としては全国区の評判になるほどの武勇だったんだろうね謙信。

763 :人間七七四年:2008/04/15(火) 04:13:37 ID:G1+hNjdb
願文のやつじゃないの?

つかこの時代その手の迷信というかげんかつぎというか、
その手のものは各大名みんなやってることじゃねーの
別に謙信に限ったことじゃないだろ。

764 :人間七七四年:2008/04/15(火) 04:37:03 ID:QOBAf4Vi
あと郡山城だが現在の百名城公式では標高390mだな。
よく西国最大級の山城と呼称されてるよな。
毛利時親築城で当初は山の南東隅だけが城域だったらしいが空堀や堀切りしてれば充分だし、まー山域が巨大だわ。
なんせ1kmにわたって峰々の尾根筋が続くのと近くを川が2筋に分流してるので典型的な後ろ堅固な山城&要害だろうから南北朝期の山深い場所にある堅固な高山という特色を色濃く残してる充分な防御力だな。
戦国期になると民衆支配の面から平地に孤立してある低い山に築城するが郡山城は行政よりは防御特化だな。
それに木々が生い茂る深い山自体がかなり広域のようだから8000が詰めるのにも申し分ない。
改築後の本丸は山頂にあり上下二つに別れ、北端が一段高い物見台があったらしい。
また三の丸には石垣が現存。改築後だろうが曲輪270以上ってスゲェなオイ!…この数なら改築前でもだいぶあったろうから難攻不落に相応しい。
天正17年広島城築城を着工開始しのち広島へ去る。


765 :人間七七四年:2008/04/15(火) 04:48:53 ID:QOBAf4Vi
>>763
あぁ願文なら別にシャーマニズム的だったり陰陽師的なものじゃないよね。当時はみんなやってるし。
神仏を敬うだけの話で単に神さまに気合い入れてお願いする程度。
簡単な話、現代人がお宮参りで願い事するレベルだね。
そんなの別に呪詛じゃないよね。
非科学的・非合理的な占いとかの結果で戦略戦術レベルに影響がでるような話でもないし。

766 :人間七七四年:2008/04/15(火) 05:20:08 ID:/ld9KOZh
願文と呪い殺すってのは全くニュアンスが違うよね
有名とか言うから何が有名なのか疑問に思ってたんだけど
結局ID:D8GO4pUjが何も知らないのに適当なことを言っただけなんだね
そんだけ追い詰められてるってことかな?
毛利擁護の人は

767 :人間七七四年:2008/04/15(火) 08:09:01 ID:bBAZ/viU
本当に景勝が後継者だと決まってたら、
謙信の公言があってもいいんじゃない?
景虎に対する厚遇も家中を混乱させるだけだし。
景勝が慌てる様に春日山を占拠する必要ある?

通説では脳卒中が死因になってるけど、
腹痛って書かれた当時のいくつかの書状は無視?
それとも脳卒中って腹痛も伴ったりするの?
新暦で4月下旬だから上越はそんなに寒くないし。

768 :人間七七四年:2008/04/15(火) 08:13:19 ID:017DBTqt
陶は圧倒して勝つという必要があったわけだが

769 :人間七七四年:2008/04/15(火) 10:14:22 ID:QOBAf4Vi
上越寒いですよGWまでスキーできる地域と隣接してますから。
なんといっても妙高高原から峰々とつながってる延長戦にある春日山城に住んでたっぽいし。
直江津近くの平城の御館は憲政が住んでたからね。
死因については脳溢血の発作で倒れたのが数日前で3/13に亡くなったとされる。
脳卒中の症状が現れてたみたいだから現時点でこれを否定するのは難しいだろう。
謙信は子どもと遊ぶのが大好きで3人の養子をかなり厚遇してた。
ただ姉の子で10歳で養子になって謙信から直接に教育を受けた景勝(府内長尾と上田長尾の血が入ってる)を世継ぎにしようとしてただろう。
なんせ1575年に上杉景勝の名に改めさせて後奈良天皇から賜った官職の弾正少弼をくれたし、なおかつ御中城様と呼ばれ一門筆頭になってる。
また上杉政権中枢の人々がみんな景勝支持してる。
上条政繁(養子の1人で能登畠山の血を引き越後守護上杉を継いだ)
村上国清(信濃村上義清の子で謙信がかなり信用してた)
直江信綱・斉藤朝信・河田長親など


770 :人間七七四年:2008/04/15(火) 10:19:38 ID:LkDM7Oqv
個人的には陶のあれも史実なのって気するが・・・
将軍義教選考の時や島津なんかも意見が割れたりした時は籤で決めたりしているが
当時はこれが民主的な方法だったのかね〜

>>767
脳卒中に腹痛は無いな

一応景勝派によるクーデターから謙信の暗殺説まであるけど、
死因は結局よくわかってないな

771 :人間七七四年:2008/04/15(火) 10:21:14 ID:+D6wcUS7
>755
城山だと基本大手口だと思っているので、
郡山は南麓、富田は西麓、春日山は東麓、
国土地理院の1/25000の等高線で割り出している。
大手口が間違っていたらすまん

郡山城の拡張前と後が逆だ、すまそ


772 :人間七七四年:2008/04/15(火) 10:57:03 ID:/ld9KOZh
>>767
>通説では脳卒中が死因になってるけど、腹痛って書かれた当時のいくつかの書状は無視?

脳卒中ってのは現代でも三大死因のひとつになってるけど
腰痛で死んだって人なんか聞いたことないw
そんなこと考えれば分かると思うけど


773 :人間七七四年:2008/04/15(火) 11:26:19 ID:AtElnHQe
>>770
つかさ、大友とか島津って占いやくじ引きで戦闘日や進軍経路や先陣・殿を決めて軍事行動してるだろw
呪術的判断で出陣してる時点でもうダメダメだろw
しかも天正13年10/11には秀吉が大友支援にまわった事もあり春にクジで進入路を肥後から豊後へと決めてたのに
一年以内にまたクジの引き直しをやりやがってフザけんな!とか上井覚兼が怒ってるしw
謙信は呪術とかクジとか占いやってねーし。
信玄は神に対しても無礼な要求してるくらいだからなw
うまくいかなかったら領地削るぞ!みたいなw
神社などに願掛けや奉納程度の文化的習慣や呪術を利用してうまく兵の士気を高めさせる統率って言うのと
九州のクジで決める非合理的なシャーマニズムな神託の盲信という古代から変わらない慣習とはまるで違う。
それに症状として腹痛がでても別に腹痛が死因ではないだろう。
脳卒中で定説である以上は覆せる根拠ないんじゃ話しにならないよ。

>>769
越相同盟で氏康に関東管領の地位を認めさせてるんだよね。これは立場上で北条は関東管領指揮下に入った事と同義。
その際に人質として景虎がきて謙信が養子に迎える(1570年4月末)ついでに10月に家康とも同盟。
この時期の景勝はすでに謙信とは別働隊を率いて行動するだけの立場を築いてる。
沼田城代のち魚津城代と常に最前線を守り越中最高責任者として織田の攻勢を凌いでいた河田長親は
謙信が近江から取り立てた最も信頼できる奉行だから重要だね。この人が病死してから一気に越中が織田の手に落ちたからね。

1575年の軍役帳では家格として1位景勝、2位山浦国清(信濃の村上が上杉の名族を継いでいる)、
3位上杉景信(古志長尾)、4位上条政繁であり景勝は上杉家上層部の大半の支持を得ている。
古志長尾は謙信の母の実家で景信が上杉に名を改めた際に河田長親が古志長尾の家督を継承している。
これは古志長尾と上田長尾の対立を緩和させるための謙信の配慮。
このことからも古志と上田の和解を謙信は望んでいたし、周囲は景勝を後継者とみていたのは間違いない。
謙信生存時に力を弱めさせられていた古志が上田の家督継承に不満をもって北条の後ろ盾を期待し謀反したに過ぎない。




774 :人間七七四年:2008/04/15(火) 11:50:04 ID:0LztCpvx
塩分取り過ぎで脳卒中を前に血行がかなり悪くなってて腰痛に悩まされたんでないかい?
いづれにしてもあなたが言うように腰痛で死んだ話は聞かないから三大死因のひとつ脳卒中で死んだんだろ。
一歩譲って腹痛と言うなら悪性ガンで脳にも転移し腫瘍があったが当時の人はわからず脳卒中のように感じたんじゃないか?
元就の謀略ってのは講談みたいで信じられない。偽書状の話はウソくさいし、新宮党の話は完全にウソとか。
>>771
国土地理院の資料に戦国当時の拡張前や後の地形が計測できるの?

775 :人間七七四年:2008/04/15(火) 12:32:12 ID:5PLlKItM
関東甲信越の武将だけが妙に無神論近代主義者ぽかった
って方が個人的には信じられん。なんか理由でもあるの?

776 :人間七七四年:2008/04/15(火) 13:19:19 ID:AtElnHQe
元就居城吉田郡山城
//watchizux.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344027&l=1324235
北緯34度40分27秒、東経132度42分35秒
北緯34.674073度、東経132.709653度
郡山南東の一支尾根が1523年の元就相続時までの城域でその後に拡張。
(相続で尼子の干渉があり離反準備を開始し改築開始し1525年大内側へ離反)
この間に兄嫁の高橋氏を1529年に滅亡させ北を固め宍戸氏に娘を出し婚姻し北東を固め、
武田氏と険悪な熊谷氏が頼ってきた事で(1533年)南を固めてる→1540年に晴久に攻撃される→戦訓を元にさらに増強築城

謙信居城春日山城
//watchizux.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370911&l=1381313
北緯37度9分11秒、東経138度13分13秒
北緯37.152948度、東経138.220153度

尼子居城月山富田城
//watchizux.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352139&l=1331108
北緯35度21分39秒、東経133度11分8秒
北緯35.360922度、東経133.1855度


777 :人間七七四年:2008/04/15(火) 13:35:14 ID:AtElnHQe
郡山城に関しては弟を擁立しようとした尼子からの反発心から離反を考えている時点でかなり増強が行なわれたと見るべきでは?
尼子の包囲以後に石垣などの近代化が行なわれたと思われる。

大内領を背後にする武田元繁・熊谷に対して大内騎下の毛利・吉川・高橋(幸松丸の母の実家)らが武田領の包囲体勢をしいている。
普通に有利だと思うんだが。熊谷も武田も意味不明に前線に出てきて流れ矢に当たってるところをみると武田側が最初から
劣勢で陣頭指揮をとらざるおえない状況なのでは?兵力面の彼我戦力がウソくさい。
そもそも城攻めに失敗し疲労してる状況で囲みを解いて毛利方へ向かっている。
尼子に煽られたものの武田は利用されただけで見捨てられていて
尼子の援軍が無いと知り浮き足立った国人衆は大内側へ戻る者もいて士気がさがっていたのでは?

厳島合戦など他の戦いもまるで横で見ていたように詳述されていて講談話を読んでいるようで元就戦記はかなりウソっぽい。
尼子や大内側資料はほとんどないに等しい為に、他家資料からの照らし合わせも不可能で信憑性が疑われる。
事実、時代がくだって秀吉との接点がありだいぶ記録が残ってくる宇喜多や大友戦では精彩を欠いていて智謀の将の印象はない。

養子戦略で乗っ取りは竜造寺や長宗我部・伊達といった各地方政権もみんなやってることで
他家評価にそれらが挙げられる事はほとんど無い以上は特別評価の必要性はない。

778 :人間七七四年:2008/04/15(火) 13:43:27 ID:QOBAf4Vi
元就相続から17年も経ってから尼子の郡山城攻撃があったのか…43歳か。だいぶ準備期間はあったろうな。
毛利系の話って過剰に毛利の不利さばかりを演出するから誤認しちゃうだよね。
実際、講談レベルでだいぶ怪しい。
資料が勝者毛利視点のものばかりで研究自体がほとんど進んでないんだろうね。

779 :人間七七四年:2008/04/15(火) 13:46:31 ID:38QHDj0W
>>777
伊達の場合それが成功とも言いづらいけどね
養子戦略は評価する必要は無いと思うけど
養子戦略で領土を拡大に成功したところは評価するべきだね

780 :人間七七四年:2008/04/15(火) 14:40:42 ID:AtElnHQe
>>779

守護上杉家への養子戦略でヘタを打ち天文の乱が起きたものの大筋としては完全に成功だっただろ。
この政策がなければ仙台方面まで伊達領とすることは難しかったろうし輝宗期の安定性はこれらの土台の上にある。
政宗が親戚筋を追い詰めて全部ぶち壊したがw

781 :人間七七四年:2008/04/15(火) 15:49:43 ID:0LztCpvx
普通さ、謀略とかってエグいから記録として残らないんだよね。
そういう悪辣な手法が広まると占領された側の心情が悪化に統治に苦労するし。
だから竹中半兵衛とか黒田如水とかが実際になにやってたかわからんし。
今川や徳川や織田や神社仏閣の僧や公家などの日記などで合戦についても桶狭間からしてよくわかってないし議論百出の感ある。
なのに厳島なんてやたら詳細なんだよな。
元就なんてもう戦況の推移とか講談話のように詳しい。
甲陽軍鑑なんて他家資料との照らし合わせで間違いだらけなのがわかってるが毛利側資料って
結局は江戸時代に吉川広家が関ヶ原での自分擁護の資料を残した→岩国藩の家老の香川氏が自分の先祖を脚色をまじえて擁護して編纂した物
毛利吉川小早川家文書がメインでしょ。
このあたりは疑わしいし、謀略についてもそもそも偽手紙が成功するなんて元就以外で聞いた事すらないんだが…三国志演義ではみた事あるがw


782 :人間七七四年:2008/04/15(火) 15:51:20 ID:017DBTqt
予め期待する結果を脳裏に焼き付けて話をする者に、議論はおろか人の話すら聞ける者は居ない。

そういった者達と言葉を交わす必要は無い。

783 :人間七七四年:2008/04/15(火) 16:00:39 ID:QOBAf4Vi
伊達も自分らがすごい不利みたいに書いてくるんだが
毛利も似てるよな。

織田や徳川や武田や上杉ってかなり研究されてきたから講談色が消えちゃっててあんまり面白くないけど。

784 :人間七七四年:2008/04/15(火) 16:02:18 ID:/ld9KOZh
>>781
納得。
全部手前味噌な感じで信憑性がない武勇伝ばかりなんだろうね
確かに講談と変わらない

785 :人間七七四年:2008/04/15(火) 16:37:44 ID:AtElnHQe
大内と尼子の自爆待ちで
気付いたら当時の平均年齢50歳でみんな死んでて
自分が地域の長老になってたので
死んで他に誰もいないのでやむをえずみんなに推戴され
(元就視点ではもともと安芸の国人一揆の盟主の家柄だし当たり前じゃボケ国人どもめ!)
吉川も小早川も普通に跡継ぎいないから次男か三男くれない→いいよ別に!
大内義隆が陶の謀反を知り調伏の護摩焚いてたらマジに陶が殺しにきた→陶が山田事件起こす→石見国人謀反→討伐中に元就火事場泥棒→
厳島でなにやら占いや気をみたりする陶がここ数日は大凶だから休戦日だな!→大凶?関係ねーよと元就襲撃→卑怯なり元就ぃ!
→石見銀山ゲット!ってあれ晴久突然死→20歳義久は毛利をビビリ石見を毛利にプレゼントするから和睦しよ♪→石見の国人見捨てられる→
うっひゃひゃ銀を出雲国人にばらまけ和睦なんて関係ねーし侵略じゃ!

786 :人間七七四年:2008/04/15(火) 16:49:37 ID:5PLlKItM
>>785
>吉川も小早川も普通に跡継ぎいないから次男か三男くれない→いいよ別に!


787 :人間七七四年:2008/04/15(火) 16:50:05 ID:/ld9KOZh

面白おかしく書いて毛利厨を煽ってるように見えるが
実際、史実通りに要約すれば、この通りだから驚きですw

元就って過大評価の代表みたいな武将だったんだな

788 :人間七七四年:2008/04/15(火) 16:55:46 ID:bBAZ/viU
謙信の死因として脳卒中(中気)が記録される一次史料は無い筈。
確かに当時の医療は宛にならないかもしれないけど、
一応、腹痛(虫気)と書かれた書状が残されてる訳だし。
脳卒中でも、脳梗塞なんかは季節に関係なく起こるし、
上越は大雪が降るからといって、越後では最も温暖な地方。
気温差で誘発されたってのを理由に脳卒中はどうかなと思う。
だからと言って脳卒中じゃないとは言い切れないけど。

謙信の景勝への特別扱いは、上田長尾の延長みたいなものかも?
景勝隊の編制って上田衆がほとんどだよね?
後継者としない代わりに弾正少弼を与えたともとれるんじゃない?
山内上杉の後継者は後を継ぐまで無官位で、
三郎と名乗るのが風習ってのも聞いた事ある気がする。
景虎に軍役がないのは、謙信直属で後々その直属部隊を継承するからとも。
本当に景勝を後継者にするつもりならさっさと公に話すべき。
景勝についた家臣達が多いのは、景虎は余所者という感じが拭えなかったからかな。

流れぶった切ってたらごめん。
死後に家中が分裂してるって事は、謙信がどれだけ大きな存在か解るけど、
逆に、生前に兄弟の結束を強めさせ、家中分裂がなかった元就も凄いと思う。

789 :人間七七四年:2008/04/15(火) 17:02:33 ID:yVZ6BFPz
>>785
元就が国人のリーダー格になれたのは、1541年に尼子晴久を撃退し、その年のうちに安芸守護家の武田を滅ぼしたことが大きい
ただの年長だけではないよ
吉川の場合、吉川興経と吉川経世を対立させた元就の策略が大きい


790 :人間七七四年:2008/04/15(火) 17:05:38 ID:5PLlKItM
毛利は吉川家を謀略で乗っ取りました!なんてそもそも悪評にしかならんよな
なんで江戸時代にそこまでしなきゃならないんだ。

791 :人間七七四年:2008/04/15(火) 17:49:25 ID:017DBTqt
平日の昼間に議論してる方々の言う事は、まっこと説得力があり申す!

792 :人間七七四年:2008/04/15(火) 18:45:32 ID:017DBTqt
正平五年(1351)五月、武田氏信は武田氏指揮下の軍勢を率いて、まず山県郡千代田の南朝方寺原城や与谷城、猿喰山城などを攻落させた。
翌年四月、今度は高田郡内に進撃上根ね祢村城を二日で攻略。五月末には毛利元春の郡山城を攻落し六月には坂城を落とした。こうして安芸国内のほとんどを平定し銀山城に凱旋した。

793 :人間七七四年:2008/04/15(火) 19:27:59 ID:AtElnHQe
上洛中の正義の味方の大内様を裏切ってヤクザ尼子に騙された超小物の低脳武田が火事場泥棒
→小物に尼子の支援なし→正義の大内・毛利・吉川(嫁の実家)・高橋(兄嫁実家)が孤立した武田をフルボッコ
→ヤクザの尼子オヤジに脅され毛利が舎弟になり大内を裏切る
→27歳・幸松丸がうまく死んで弟一派惨殺し元就家督継承(弟の背後にヤクザの影・・・ここから大内と尼子の両属のような曖昧な態度開始)
→32歳・兄の妻の実家高橋氏を不意に騙まし討ちで惨殺(人質の長女捨て駒)
→宍戸に娘を嫁がせる・武田に攻められた熊谷が味方になる
→40歳・ビビってたゴッドファザー経久が孫に家督を譲り引退と聞き正義の大内様に長男を人質に差し出し明確にヤクザ尼子を裏切る
→家督相続にヤクザ尼子が介入されてから怨み続け17年間かけて改築した郡山城は難攻不落の大要塞
→43歳・毛利の背信に怒り孫の晴久が長遠征してきたが案の定大苦戦し疲弊→陶軍が来たので撤退→安芸守護武田完全孤立→大内様と挟撃し武田滅亡
→45歳・正義の大内様の出雲遠征に付き合わされたあげくヤクザの本拠地でボロ負けして死にそうになる。
→47〜50歳で吉川・小早川が後継いないから養子ちょうだい→イイヨ♪→当主の吉川興経自己中で家臣困り果てて追放
→53歳・吉川興経一族を惨殺しさらに経済利権を狙い井上元兼一族を惨殺(元就の当主擁立や経済面でバックアップしてくれたのに)
→54歳・クスリやってる陶が謀反し悪の同盟者元就に安芸・備後は好きにやっていいよ♪→正義の大内派の平賀氏を討ち元就ついに安芸統一に成功!!
気がついたら元就自身がヤクザになっていた。

794 :人間七七四年:2008/04/15(火) 19:59:23 ID:QOBAf4Vi
>>792
なぜ南北朝時代のを??

元就の壮年期はセックル大好きでひたすらガキを作りまくって成長後には親戚作りをやってたんだろう。
外交的にはことなかれ主義で主に大内の庇護と援助をうけていた。
家督問題介入で怒ってたが尼子にも良い顔をしたりと卑屈だが八方美人をしてた。
大内としても安芸守護武田の支配に対して昔から反抗していた国人一揆の議長役をしていた毛利を通して安芸支配を固めていた。
尼子も武田がダメなら安芸支配のポイントは毛利だとして吉川氏経由で支援して優遇していた。
要するに大内と尼子の勢力圏の緩衝地帯に毛利がいたってわけ。
だから双方の傘下に両属し厚遇された毛利はけっこう美味しい地位にいたし力を蓄える事ができた。
またセックル好きのおかげでガキに恵まれ自身も地域の長老になるとかなり有利になった。
毛利は典型的な他力本願タイプで寄生虫・宿り木・小判鮫をして主家が衰退するのを待って地位を簒奪したと言える。
毛利家は代々の安芸国人一揆の議長役という地位が非常に有効になったんだろう。

795 :人間七七四年:2008/04/15(火) 20:10:50 ID:017DBTqt
誤爆

796 :人間七七四年:2008/04/15(火) 20:26:43 ID:HLnU6cs8
もの凄いようわかったがなw

保存しとけやだれか。

797 :796:2008/04/15(火) 20:35:23 ID:HLnU6cs8
>>793への賛辞だったが、>>794もなかなか鋭いなw

798 :人間七七四年:2008/04/15(火) 20:38:26 ID:jBb3POSG
赤間が関、美保、厳島、鞆、直江津の海運の利と石見の銀、出雲の鉄、越後のあおそ
当時の山陰山陽や越後の国力を米による石高だけで推定する事自体が無意味だろ

799 :人間七七四年:2008/04/15(火) 22:17:48 ID:HLnU6cs8
つうか当時の稲作の技術や単位面積当たりの収穫量、その他冬季の作付け
等を無視して面積や額面の石高を計算しても意味無いし。
中国地方は低い山地の合間に盆地がもの凄く沢山あり、隠し田も非常に多か
ったと言われてるよ。

800 :人間七七四年:2008/04/15(火) 22:19:19 ID:017DBTqt
そんなことより安芸武田氏の話をしませんか?

801 :人間七七四年:2008/04/15(火) 22:29:22 ID:017DBTqt
ここは戦国板なのに、後期の話しかやってないですなほとんど…

802 :人間七七四年:2008/04/16(水) 01:31:21 ID:5btKuGi2
>>799
全国での太閤検地で度量衡からすべて統一してる石高なんだから
客観的に測れるだろ。江戸幕藩体制の基礎となる石高制を否定すんのか?
宇都宮家の改易を見ても隠し田なんて大きくやってたら潰されるだけ(浅野次男の養子を入れてたら助かったかも知れんが)

803 :人間七七四年:2008/04/16(水) 01:41:12 ID:bs4b/Dlg
>>793
そして広島はヤクザの本家に成長したわけだな!カバチたれんな!


804 :人間七七四年:2008/04/16(水) 01:52:40 ID:5btKuGi2
まっ簡単な話、長男を大内の人質に出してたから
尼子に吉田郡山城を攻められても尼子に降伏できなかったんだよ。
なんせ高橋を滅亡させた時に長女を犠牲にして、
今度は長男を犠牲にする信用できない元就になっちゃうからね。
兄嫁の実家の高橋滅亡時から周囲の人々は毛利との婚姻に気をつけろ!と警戒してたろうし宍戸なんかも娘を毛利からもらっても不安だったろうね。
周囲との人間関係の崩壊寸前だったから。

805 :周防守護代桶川兼家様付大刀持:2008/04/16(水) 09:02:21 ID:ZrvXLJNR
要するに、毛利元就が安芸武田氏を滅ぼし大内尼子をうち破った実績というものを覆しうる反論を提示する事は出来ない事が確定している時点で毛利元就の方が優勢。

たとえ敵が弱体化していようが、安芸武田氏はかつては武門を誇り安芸平定までやった家だし、大内尼子はいわずもがなの大大名だったわけだ。これらを滅ぼす事則ち非常に世間の評価が高くなるのは当然。
強い弱小大名と激戦を繰り広げるよりも弱体化したかつての守護大大名を滅ぼす方がいいわけよ。

謙信ファンの方々はやはり一戦のインパクト主義なのかしらないが、まぁ煽ってばかり居ないで謙信の実績を毛利ファンの方々に提示してみてはいかがかな?

806 :人間七七四年:2008/04/16(水) 11:53:19 ID:D/E0Tmss
これが地域の長老の実力だ!

厳島の合戦において
大内軍:2-30,000人←34歳の謀反人に馳せ参じた奴らの数
毛利軍:4-5,000人←長老なのにたったこの程度wwwwww

807 :人間七七四年:2008/04/16(水) 11:56:40 ID:bs4b/Dlg
>>805
周囲の敵
元就とは関係なく勝手に自爆自壊した大名達→武田元繁・大内義隆・尼子義久
寿命
50歳まで安芸一国すら統一してない。元就の寿命は天下人家康級なのに…謙信は49歳で死去だがだいたい50年あれば自力で困難を排除し宇喜多直家や三村など再三レスされてますが実績あげてます。
最終石高でも謙信圧勝
年齢膨張率では
一番の働きどころの壮年期に大内や尼子の庇護下でビクビクして生きてきた元就と初っ端からカリスマを発揮して瞬く間に越後統一し武田・北条・一向衆とガチ勝負を開始。
内政では
安芸は戦乱で民衆は困惑の50年だが越後は謙信が統一するや繁栄を謳歌し商人を呼び未曾有の経済発展。
元就は北九州と中国東部でボロボロに敗退し続けて死ぬが謙信は西部で圧勝(織田領を切り取った大名は謙信のみ)して死去。
外交では
越相同盟時に北条氏康から一方的譲歩に成功し数城返却と地位上で氏康を下におく事に成功したが、
元就は大友宗麟と和睦するのに北九州の持ち城をすべて譲渡した。


808 :人間七七四年:2008/04/16(水) 12:00:56 ID:bs4b/Dlg
>>806
元就の合戦の彼我戦力はウソくさい。
武田戦では大内の残存兵力や高橋家の戦力は完全に黙殺されているし
厳島では安芸だけでなく備後などの一部からも動員できるのになぜそれだけの兵力しかないのか?

809 :人間七七四年:2008/04/16(水) 12:02:45 ID:D/E0Tmss
いくら地域の長老でも明らかに負けそうな戦いについてくバカはそんなに
多くはないってことだろ。

810 :人間七七四年:2008/04/16(水) 12:24:46 ID:bs4b/Dlg
陶が九州で不祥事を起こした事を機会と捉え燻っていた不満が爆発→石見で謀反が開始され鎮圧しに行ってるあいだに
背後で毛利が火事場泥棒して勢力圏を一気に拡大させたんだから毛利有利とみる国人達も多かったろう。
なんせ石見と安芸が敵になり陶が守護代をしていた周防まで危機になってんだから陶の立場はかなり厳しくなっていた。
長門守護代内藤氏は毛利と婚姻してるどころか陶のやり方を巡って内紛して厳島には参加せず。
実質的には周防の兵力で石見で苦戦疲弊してから厳島へ行軍だ。
明らかに毛利有利なのは間違ない。

811 :人間七七四年:2008/04/16(水) 13:06:55 ID:haSX4doo
なんというか
史実に照らし合わせて論理的に推察すると
毛利は圧倒的不利な状況を覆したわけではないんだね

神懸った作戦で、さも軍神みたく吼えてる人をよく目にするけど
こういった指摘をされると一斉に沈黙決めちゃうあたり
毛利元就の活躍って講談ベースと思わざる終えない


812 :人間七七四年:2008/04/16(水) 13:07:29 ID:UnJI96Zy
春だな〜w

813 :人間七七四年:2008/04/16(水) 13:18:14 ID:5btKuGi2
大内家臣団は末期状況で仲が悪すぎる。さらに飛び抜けて陶はとにかく人望がないしアホ。
北九州の大内軍を任されていた筑前の守護代杉興連が謀反に怒り支持を得られず
陶は主殺しで疑心暗鬼になってて残虐になってるから宗像騒動(山田事件)を引きおこし惨殺。
豊前守護代杉重矩が陶晴房のやり方に協力してたのにもともと仲が悪いからって謀殺しちまうからな。
これで陶は北九州からの兵力をアテにできなくなっちまう。
石見国守護代問田隆盛は見事に石見の鎮定に完全失敗するし
知将の安芸守護代弘中隆包の状況説明や忠言も聞かないし江良房栄殺害命じる始末。
結局は陶が討ち死にした後に息子の杉重輔の反乱がおきて陶長房や問田隆盛が殺され
鎮圧しにきた内藤隆世(長門守護代内藤興盛の孫で興盛の五男隆春が毛利隆元を支持しており対立)らと激戦して
栄華を誇った山口を完全に炎上させちまい大内義長の調停も失敗。
隆春は長門守護代の地位を約束してもらい毛利を引き入れちまう。
これにより毛利は労なくして簡単に周防長門の両国を手にすることができた。

これが大内のドロドロの末期の人材と政情だよ。まさに自爆自壊していった名家だよ。
国人衆たちも陶の謀反で陶派と大内派に分裂したみたいだからだいぶ離れていったと思うよ。
しかも陶の強権恐怖政治だから国人達の離散も早かったはず。だから早期に瓦解した。
元就は何もやってない棚からボタ餅だと言われても仕方が無い。強いて言えば内藤家との婚姻関係やっててラッキーだったね。

814 :人間七七四年:2008/04/16(水) 13:24:53 ID:bs4b/Dlg
ちょっと>>807を訂正
「元就は北九州と中国東部で」の頭の部分に「戦略では」が抜けてました。
ちなみに謀略や戦術ってのは講談話ばかりで実際にはわからないので書きません。
元就の話は鵜呑みにはできないので…カンスケが大活躍する甲陽軍鑑みたいなレベルでしょw

815 :人間七七四年:2008/04/16(水) 13:29:48 ID:ZrvXLJNR
なんだ、文盲だらけのスレか。無価値

816 :人間七七四年:2008/04/16(水) 13:34:12 ID:D/E0Tmss
>813
なんだか謙信に攻められたときの畠山家臣団と同じぐらいひどい状況ですね。

それにくらべたら大友は(ry

817 :人間七七四年:2008/04/16(水) 16:36:03 ID:5btKuGi2
第7代 畠山義総
一向一揆を鎮圧し畠山家当主の権力強化による守護大名から戦国大名へと脱皮にも成功した。
義総は積極的な国作りを行ない居城を七尾の城山に移して五大山城と称される名城・七尾城を建設した。
この七尾城は後にあの上杉謙信の猛攻を受けても1年以上耐え切ったことを見てもわかるように天下でも屈指の堅城として讃えられた。
また義総は優れた文化人でもあり戦乱を逃れて下向してきた公家や連歌師などの文化人を積極的に保護し、
さらには商人や手工業者にも手厚い保護を与えて、義総治世の七尾城下町は、小京都とまで呼ばれるほどに発展したという。
天下第一の堅城との呼び名も納得の七尾城→//watchizux.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370031&l=1365902

第8代 畠山義続(信玄の肖像画で有名w)/畠山七人衆
遊佐続光・温井総貞・長続連・遊佐宗円・平総知・三宅総広・伊丹総堅
遊佐続光が先代からの寵臣で専横していた温井総貞と畠山氏の主導権をめぐって争い大槻一宮合戦で敗れて加賀に逃亡
1555年に義続・義綱父子らが温井総貞を暗殺した。この暗殺事件をきっかけに温井氏と温井氏と親しい三宅氏が
加賀一向一揆を味方につけ大規模な反乱を起こし一時は外浦を占領された(弘治の内乱)。
しかし、この内乱も永禄3年(1560年)頃までには義綱方が鎮圧。この内乱の過程で義綱方は士気が高まり、大名専制支配を確立した。
遊佐続光が帰参して再び重臣となった。畠山氏が上杉謙信に攻められた神保長職に仲介を頼まれ争いを調停し合意させるなど、外交活動が活発化

長続連、遊佐続光などの重臣が永禄9年(1566年)にクーデターを起こして義続・義綱父子らを追放した(永禄九年の政変)。
義綱らは縁戚関係にあった六角氏の領地である近江坂本に亡命。能登奪回を目指し六角氏の支援と上杉謙信や神保長職らの連携により、
永禄11年(1568年)に能登に侵攻したが義慶政権(遊佐と長が加賀一向宗と武田の支援を得た)に敗退した(義綱の弟・畠山義春は上杉謙信の養子となる)


818 :人間七七四年:2008/04/16(水) 16:36:56 ID:5btKuGi2
第10代畠山義慶政権(三条氏繋がりの婚姻コンビ武田・本願寺政権)で一新された年寄衆は
長綱連(続連の子)遊佐盛光(続光の子)温井景隆(遊佐続光と仲が良く帰参した総貞の孫)平堯知、三宅長盛、長光連ら。
天正2年(1574年)に義慶が死去すると(遊佐続光と温井景隆による畠山義慶暗殺説と義慶・義隆同一人物説があり不明)
長親子はそのまま義慶の弟の第11代の義隆に仕え、父と共に能登畠山家の筆頭重臣として活躍する。
(長続連は信玄死去後に織田信長の勢力が能登にまで伸びてくるとこれに近づいて親密な関係を作り、
同じ畠山家中の対抗勢力である遊佐氏・温井氏などに差をつけ家中で随一の勢力を誇る重臣となった)
その義隆も天正4年(1576年)に死去すると、長親子はその跡を継いだ畠山春王丸の後見人となる。春王丸は幼少だったため能登畠山氏の実権を完全に掌握し主導した。
同年冬から畠山義春の求めに応じて逆臣討伐のため越後の上杉謙信による侵攻を受けたが、
長親子は上杉謙信に通じた遊佐続光らを中枢から遠ざけ長続連主導のもと七尾城に立て籠もって一度は撃退する(七尾城の戦い)
越後で冬を越している間に長親子は能登の諸城の奪回に成功。
しかし1577年謙信の再侵攻を受け窮地に陥ると弟の長連龍を使者として織田信長に援軍を要請する。
(謙信が祖父の仇である本願寺との外交で和睦し、日本海貿易の為の唯一の外交ルートのある温井氏を利用し本願寺派の遊佐氏を切り崩しにかかる)
援軍が到着する前の9月15日、謙信と通じた遊佐続光や温井景隆らの裏切りによって七尾城は落城した。

河内守護畠山氏と共に能登へやってきて能登守護代だった名門遊佐氏は成り上がりの温井総貞が気に喰わず出奔したあげく謀反して失敗してる→遊佐氏失脚
畠山義綱に温井総貞が殺された後にやっと遊佐氏は復帰できた→温井失脚
温井景隆は一向衆の元に逃亡していたが義綱が追放された後に長氏が帰参を斡旋してくれたので復帰できた→当主畠山失脚
鎌倉時代より能登に地盤を固めていた国人の長氏はまったく失脚してないし遊佐氏を許した当主義網を追放し温井氏の帰参まで斡旋した。
つまり能登を実効支配してる織田派の長氏が実権を握ってるんだよ。

819 :人間七七四年:2008/04/16(水) 16:45:35 ID:5btKuGi2
この時期の信長は謙信が上洛して将軍に謁見しようとしている洛中洛外図(国宝)を謙信に寄贈して歓心を買っていて
謙信の上洛の危機に北近江を奪われるのを想定した信長は急ぎ安土城の築城を急がせてた。
まっ実際、七尾城が包囲を受けて織田に支援を求めても信長ビビって救援せず→冬になって謙信撤退。
翌春からまた包囲→七尾城が織田に救援要求するも信長ビビって救援せず。
いよいよ落城寸前でついに長続連が一族皆殺しされる決意をして息子一人を七尾から脱出させ長連竜が信長に直談判してやむを得ず織田軍出陣。
しかし七尾陥落まじかなのに進軍速度は遅く明らかに「謙信恐い…早く七尾落城しろ」と思ってたような士気の低さに秀吉はヤベェと感じ取り離脱。
手取川を渡った頃に七尾落城!の報を聞き「ラッキー軍神と闘う前に撤退する名分ができた♪ゆっくり進軍してきて良かったぜ。」
大軍が進軍方向をいきなり変更するのは難儀だけど今回はいつでも逃走する準備ができてるから早く危険地帯から逃げようぜ。
大雨で道はぬかるみ河川は氾濫してっから今日は謙信来ないからゆっくり帰ろうや♪
戦機を知る謙信は急追命令「大雨で信長自慢の鉄砲隊が使えないでやんのwww」
そして柴田軍は偉い人から渡河していき残された兵達は手取川でおぼれましたとさ。
結局、謙信の武威を恐れる織田の緩慢な進軍に七尾城方は見捨てられたと判断し失脚した長氏を切るという方向につながった。
七尾落城は謙信と闘う事にビビった信長が見捨てたからこそ後ろ盾を失った長氏が七尾城内での支持を失った事にある。
また謙信が仇敵本願寺と和睦しての一向宗派の七尾重臣の調略も非常にうまくいった。
これにより最大の要害城を落城させた謙信は織田勢力圏を突き崩し能登だけでなく加賀も制圧し将軍救援の上洛への道が大きく切り開かれた。



820 :人間七七四年:2008/04/16(水) 17:41:44 ID:bs4b/Dlg
なるほど次々に国人達を失脚させていき弱体化させた者どもを従えさせて
ついには畠山氏を傀儡にして長氏による支配体制が完成していたわけか。
実質的には信玄&本願寺・織田を後ろ盾に長氏は戦国大名化への脱皮に成功してたんだな。
加賀に隣接した能登はもともと一向衆の侵攻すら排除してきた強国だもんな。
能登侵攻に失敗し一向衆は越中へ進路を変えて神保や椎名を争わせ、時には一方に協力し勢力を浸透させていったんだよな。
越前朝倉も困ってて謙信へ支援の依頼してるし。
謙信も越中では一向衆さえいなくなれば神保や椎名も安定して越中分国守護にして河内守護畠山氏の元で安定すると思って協力してんだよな。
謙信の父が越中半国守護だった義理があるから。
1565年に義輝が暗殺された時は謙信に河内守護畠山家臣から上洛要請もらってるし。
謙信も義昭の上洛要請から関東介入をやめて上洛へと政策を変えたけどね。

821 :人間七七四年:2008/04/16(水) 18:11:57 ID:5btKuGi2
>>818
ちょっと訂正
謙信が七尾城から一時撤退した理由は冬を越すためでなく
北条軍が上野国へ侵攻してきたからでした(長氏と北条の連合?)
上野へ急行した謙信は速攻で北条軍を撃破して七尾に戻ってきたそうです。
関東を急ぎ決着をつけて戻った事。これは重要でこの間に長氏の能登での反撃奪回戦は激しいものでしたので)
>>820
謙信が北陸へ本格的に向くキッカケは信長が長篠で勝頼を破った勢いで義昭が追放され備後鞆から泣きの支援要請がきて激怒してからですね(勝頼の哀願で長篠敗戦の5ヵ月後に越甲同盟締結)

能登の仕置きは能登守護代家を再興して遊佐盛光に謙信の養子だった上条政繁(畠山義春)を補佐させ能登に配置しておいて畠山義隆の妻子を保護して子は謙信が養子にしてる。


822 :人間七七四年:2008/04/16(水) 18:47:06 ID:JHXXARoq
まぁなんだ、毛利厨は講談程度の知識しかなくレベルが低いってこった。
そんで謙信の圧勝でこのスレは終了だな。

823 :人間七七四年:2008/04/16(水) 19:35:29 ID:ZrvXLJNR
痛い煽りだな。
毛利への知識を深く持ってる方も居るだろう。ただそういう人は陰徳太平記の元就ではなく史実の毛利元就が好きな人だろう。
そうなると安芸武田氏すらよく知らん方々には話に入れない話題になるよ。

まぁ、個人的に毛利元就は知将よりも優れた指揮官という結論が出ることを希望してやまないわけだが

824 :人間七七四年:2008/04/16(水) 20:07:13 ID:haSX4doo
そう思うのなら
何か具体的に史実ベースの元就の戦の功績を語ればいいのに

>>822の文面は確かに煽りが入ってるかも知れないけど
それまでに上で散々、根拠となる知識を開陳した上で
毛利擁護派の意見を待ってるんだから
煽りとか何とか言う前に、自分たちも好きな武将のために弁護してあげれば?
知識がなくて何も言い返せないんなら、それは文句いう権利もないよ

「毛利厨は講談程度の知識しかなくレベルが低いってこった」

こう言われても仕方ないんじゃない?
そもそも、こんなスレを勝手に乱立させてるのも
毛利厨かどうか知らないけどアンチ上杉厨に間違いないんだからさ。
上杉擁護派の人たちは本当に迷惑してると思うよ

825 :人間七七四年:2008/04/16(水) 20:35:24 ID:ZrvXLJNR
私は毛利元就が大好きでたまらない人じゃないんで、そんな事言われても困るんですが

しかし、上で安芸武田はゴミクズだの陶はカスだのと言うのにはまったくもって反感を抱いてるわけです。まぁべつにいいんですがね

一つ言っておくと、私も毛利元就のファンの方の議論参加を待ち望んでいます。あと、ちゃんとした上杉ファンの方の参加も切望しています。
今はまったくの待ち状態です。

826 :人間七七四年:2008/04/16(水) 20:40:28 ID:9zxkOUHR
>>824
面倒
話が通じる人間相手ならともかく、そうでないようなの相手にしても時間の無駄
何言っても相手はただ同じ主張を繰り返すだけなんだし

827 :人間七七四年:2008/04/16(水) 20:52:25 ID:RH4Y6Qdg
>>824
頭の弱い方ですか?
何言っても聞く耳持たず妄想を根拠に否定するような基地外が居るうちは話す気になれん。
そもそも、上杉の功績をあげてくれと誰か言ってたがスルーしてるじゃねぇか。
相手についてしか語らず、そちらの話はしない時点で上杉厨騙った荒らしとしか思えん。

828 :人間七七四年:2008/04/16(水) 20:54:09 ID:bs4b/Dlg
ん?
>>823>>825>>826は同一人物?
毛利厨の自演!?


829 :人間七七四年:2008/04/16(水) 20:54:46 ID:Yr1Dgts4
どうでも良い事言うが
武田対毛利の時もこういう流れになってたよね。
まあ、あそこは持ち直した?のかな。

830 :人間七七四年:2008/04/16(水) 20:57:11 ID:Yr1Dgts4
>>828
根拠も無しに自演と決め付けるのもどうかと思うぞ。

831 :人間七七四年:2008/04/16(水) 21:03:41 ID:ZrvXLJNR
>>828
あたまおかしい人に反応するのもアレですが…
チョンかお前www

832 :人間七七四年:2008/04/16(水) 21:12:28 ID:bs4b/Dlg
チョンとか差別用語を出すのもどうかと思いますがね。
朝鮮とまったく関わりないのに頭がおかしいんですか?

833 :人間七七四年:2008/04/16(水) 21:15:57 ID:Yr1Dgts4
まあ、片方が自演と決め付けたり、片方がチョンと言って見たり、片方が頭おかしいと言って見たりと
正直言ってお互い様だと思う。

834 :人間七七四年:2008/04/16(水) 21:31:52 ID:RH4Y6Qdg
>>831
お前そんな事言ったら朝鮮の人=あたまおかしいみたいじゃねぇか。訂正しろ
くだらん事で芝を生やすな。

>>832
bs4b/Dlgさんよ決め付け屋のあんたが言えた台詞ではないな
都合良い事ばかり言うなよ。

>>833
お前は何様だって?
だが概ね同意

835 :人間七七四年:2008/04/16(水) 21:39:08 ID:Yr1Dgts4
>>834
嫌な気分にさせたのなら謝るわ。
すまんな。

このスレを見るに後半から流れが完全に荒らしの方向に向かってるわな。

836 :人間七七四年:2008/04/16(水) 22:05:06 ID:JHXXARoq
まぁなんだ、毛利厨は単なる荒らしだな。
いきなり低レベルレスが続いててビックリだ。
陶はさ、大友から養子もらうために北九州の大内権益をすべて譲渡して大内の威信を地の底まで急激に低下させた無能無策な男だな。
いかに追い詰められて苦し紛れに謀反しただけで未来へのビジョンすら持ってないかがわかる。

837 :人間七七四年:2008/04/16(水) 22:11:13 ID:Yr1Dgts4
>>836
どうみてもお互い様です。
本当にありがとうございました。

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