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武田騎馬軍団(笑

1 :人間七七四年:2007/12/06(木) 00:55:39 ID:TmHjCAPv
サラブレットクラスの馬にまたがり、騎馬用兵で
敵陣に切り込み、三方が原では徳川軍を蹴散らしたものの
織田の鉄砲の前にあとかたもなく一網打尽にバタバタと倒されていった

↑とまさに神or聖人君主の如く、普通の漫画や小説、
はたまた史実の如く語られる武田信玄及び、武田騎馬軍団を
馬鹿にしつつ、ちゃんとした目線で正当な評価をくだしていきましょう

65 :人間七七四年:2008/01/01(火) 15:27:36 ID:J0ftUImn
あの〜 サラブレッドならあなたの言う通り、不可能なんでけど〜
普通のポニーなら、あなたイメージほどの速度が出来ないだけで、突撃自体は、可能なんですけど?
西洋の騎士なんて突撃メインみたいな、感じだけど、彼らがよく愛用したのも、ポニーで〜
可能なのは間違いないですけど。
ただ、日本では、弓とか槍とかで、相手の陣が乱れた時、相手が立て直せないうちに〜 て感じで使われたことが多いけど、無かったってのも言い過ぎだと思います。

あと、江戸時代の武士のことは忘れる方が良いです。むしろ、あなたの言うアルバイトで体裁を整えたってことは、江戸時代初期は、それが可能だったと考えた方が良いです。

ちなみに、あなたのイメージの突撃は、戦国時代が終わった後、銃の発達で、重い鎧を着ないようになってからの話しだと思います。敵陣まで鎧がカバーしてたのが、鎧が重くなりすぎて動けないので、スピードでカバーするようになったって感じかな〜
馬に求めるものが、力や耐久性・機敏さ、よりも、スピードが最優先になりそれまで相手にされなかった、サラブレッド系の馬が重んじられ、サラブレッド自体もこの時代に生まれたはずです。
従って、開国した後の馬の改良は、軽装用の速さ優先の馬に、なっただけなんですけど〜

66 :名無し三等兵:2008/01/01(火) 16:04:07 ID:FJx3gkKr
>>65
蹄に蹄鉄をつけている西洋のお馬さんといっしょにされてもねぇ。
拍車なんて便利な道具も日本には無かったし。
西洋の騎士も鉄砲を考慮した重装備を着けはじめると、どんどん重くなりw
当然、最初のような速度は出ませんわなw

だから、胸甲騎兵なんて兵種が出てくるわけでw

ご参考まで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5

67 :人間七七四年:2008/01/01(火) 22:15:23 ID:J0ftUImn
あの〜 蹄鉄は柔らかい地面でないと、重い荷物乗せて走るには、馬の脚にかかる衝撃が〜
今なら、ゴムを使った蹄鉄ってのがあるけど〜
当時なら日本の馬用の草鞋(ワラジ)が一番優秀なのですけど〜
人間に例えるなら、スパイク付きの靴はフィールド競技だけで〜
一般にはゴム底の靴の使うみたいなもの、だと思います。

68 :人間七七四年:2008/01/01(火) 23:03:31 ID:d5aaTc3P
>>FJx3gkKr
ふ〜

69 :人間七七四年:2008/01/01(火) 23:13:05 ID:N/xgV5S8
素人質問なんだが、
騎馬突撃が無かったってことは源義経の一ノ谷の突撃とかもやっぱ作り話の可能性が高いの?

あと信長の桶狭間の奇襲は基本は歩兵の突撃だったってこと?

70 :人間七七四年:2008/01/02(水) 05:27:51 ID:dk5HDti+
>>38
武田の遺臣で八王子千人組になった古老の話では
合戦で敵と接触する順序として
1 遠くからの印字打ちによる牽制
2 鉄砲組と弓組で敵の隊列を崩す
3 長柄組が前に出て相手の長柄組と叩き合い
4 長柄組を潰すと後ろから騎馬兵が突撃してくる
5 長柄の石突きを地面に埋めてスパイク状にして待ちかまえる
6 長柄に突き刺さって敵の騎馬が跳ねとばされる
7 長柄組が騎馬に踏み散らかされた場合はこちらも騎馬を出す
って感じの流れだったそうだから
甲陽軍艦の三方原についてのその記述は警戒して降りたというよりも
「10箇所での槍合わせ全部で
騎馬を出すまでもなく勝った俺たち強EEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!」
て感じなのかも。
武田家は槍奉行一人に騎馬15騎、足軽十人くらいの構成だから
馬出さずに勝ったってことは半分以下の兵力で勝ったって事だし。

71 :人間七七四年:2008/01/02(水) 15:27:13 ID:CT2iJi3K
あの馬では出来ない。出来るわけ無い。と良く言われる。
しかし
出来る。出来るのだ。
用途に合った馬を使用していたのだ。
↓移動用途の馬
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dd/Quarter_Horse%28REFON%29.jpg/794px-Quarter_Horse%28REFON%29.jpg
↓騎士が乗用した戦闘馬
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Percheron_3_stehend_rechts.jpg/758px-Percheron_3_stehend_rechts.jpg


72 :人間七七四年:2008/01/02(水) 16:33:49 ID:1utpROwi
江戸期に書かれた三方ヶ原の詳しい文献を色々調べてみると実際の騎馬兵の割合は0.5%ぐらいしかいなかったようだね。
ほとんどが徒歩。ただ軍団の移動速度が異常に速かったと書かれている。
速さを馬に例えたのがいつの間にか騎馬軍団として伝わってしまったようだ。

73 :人間七七四年:2008/01/03(木) 14:35:20 ID:/aanVzMj
>>64
>俺、これまでに「馬に機動力がないってことは馬に乗った伝令もいない」とか、
>「人は重装備をしても機動力が落ちない」って言ってる?

「騎馬武者に機動力はない」、とか
馬に乗っても徒歩で走るより「いくらか速い程度ってだけ」って主張と
騎馬武者一人の世話をする小者たちのコストについて書いたところを合わせてみると、
「何でほとんどメリット無いのに武士を馬に乗せる必要があったんだろう」という疑問が湧くのは自然だろうし、
日本馬はサラブレッドよりは遅くても人の足で走るよりはずっと速いことを知ってる人なら、
その速度差が「いくらか速い程度」まで縮まるってことは
馬に鎧武者が乗ると大幅に減速するけど人は甲冑を付けてもほとんど減速しないとでも考えるしかない。
つまり、言ってるか言ってないかで言えば「言ってる」んだよ。
もっと落ち着いて、自分の主張をそのまま演繹したらどういう帰結になるか考えてから書くほうがいい。

それから、すでに指摘してる人もいるけど戦国時代における騎馬での突撃ってのは
槍組の背後から飛び出すもので走る距離も非常に短い。
近代騎兵とは運用方法が全く違うんだから、
君がしつこく主張してる「戦国時代の騎馬武者は近代騎兵のような突撃はしないし出来ない」というのは
誰も言ってないことに対して噛みついてるようなもので、
その主張が認められたところで戦国時代の騎馬での突撃が否定されるわけじゃない。
「突撃」を勝手に「近代騎兵のような形の突撃」と脳内変換するのをまずやめてみたら
もう少し話が噛み合うと思う。

あと、機動力っていうのは絶対評価じゃなく敵の機動力との相対評価で見るべき物で、
相手よりどれくらい優る劣るかで「機動力がある」とか「ない」とかいう話になる。
たとえ重装備の鎧武者を乗せた馬の機動力が何も乗せない時の半分まで落ちたとしても、
同じく重装備で速度の落ちた徒歩の鎧武者より速い速度で機動出来るなら
「徒歩よりは機動力がある」んだ。
徒歩の人間が鎧を着たら減速するって事を認めてるんなら、
騎馬のほうが機動力があるということも認めないとおかしい。

他にもツッコミどころはたくさんあるけど、まずは一旦軍事板に帰って
駄スレじゃなく良スレを探して一年ROMって議論の仕方を覚えて、
それから日本史系の板をあちこち一年ROMって
室町頃から戦国後期にかけて生じた軍編成の変化について勉強して、
名前欄をちゃんと消してからもう一度おいで。


>>71

>>50を見るんだ。
重種は北海道開拓時代に連れてこられたもので
戦国期の日本にはまだいなかったはず。

74 :名無し三等兵:2008/01/03(木) 16:29:36 ID:qv2gWdto
>>73
見事なまでにこじつけた屁理屈だな。
それじゃ、謙虚で博識な貴方にいくつか質問させて頂こう。

<あなたのイメージの突撃は、戦国時代が終わった後、銃の発達で、
重い鎧を着ないようになってからの話しだと思います。
敵陣まで鎧がカバーしてたのが、鎧が重くなりすぎて動けないので、
スピードでカバーするようになったって感じかな〜

ほうほう、銃の発達って、具体的にはいつから? 具体的にはどういうこと?

発射速度は幕末に洋式銃が入ってくるまでは、せいぜい早合の導入程度。
日本にも雷管方式を開発した人間がいるそうだが、それも幕末近くになってから。
射程や威力については、無縁火薬などの高性能火薬が利用されたわけではないね。

基本的に銃砲の威力は弾丸重量と初速で決まるってことは理解できる?
あとは下手な鉄砲も数撃てば当たる式の投射弾薬量だね。

弾丸重量は江戸時代に入ってからも10匁玉程度までが標準品。
20匁とかの大きな鉄砲(大鉄砲というそうな)を普通の人間が、それも前線で、
1人で立ったまま操作できるかな? 無理だよね。
いかにノンライフル銃だからといって、この時代には比重の大きなタングステンのを
使ったAPDSとかAPDSFSなんてこの時代にはないわけですよw
大口径(口径=銃身内径を表す方ね)することもできんでしょ?
前戦で歩兵が自分1人で持って射撃してるんだから。

初速に関しても、長口径(口径=銃身の長さを表す方ね)化することができる
軽くて丈夫な金属素材が泰平の時代になってから登場しましたかな?
上述の通り、「発射して銃口を出るや否や、サボ(外装)が離れて空気抵抗が激減する」
便利なAPDSやAPDSFSはないんですよ。

戦国・江戸初期までの鉄砲を見ればわかるように、銃床を肩に当てて撃つ方式ではなく、
抱え筒のように腰に抱えて撃つわけでもなく、ほほに当てて撃ってる。
ましてや銃身にライフリングが切られて弾道が安定するようになったわけでもない。
銃弾にしても、鉛か鉄の玉。(目標によって使い分けてたみたい)

命中率に関しても、銃の命中率が抜本的に向上するのは銃身にライフリングが
施されてから。

あとは、軍勢における装備率或いは装備数の向上?
だったら、大坂に籠もった石山本願寺の連中はとてつもない数の鉄砲を持ってるよね。
紀州の雑賀とか根来の連中がついてるから。
朝鮮征伐〜関が原の合戦〜大阪冬の陣・夏の陣でも、日本での鉄砲の装備率はものすごい
レベルだよ。少なくとも欧州列強にひけをとらない。

戦国時代が終わった後って、具体的にはいつ?

75 :名無し三等兵:2008/01/03(木) 17:26:43 ID:qv2gWdto
続き

<一族郎党のうち馬に乗ったもの数十〜数百が最初に突撃して

貴方の書き方だと、(他にも騎馬武者はいるんだけど)「とりあえずそのうちの
数百が最初に突撃」って意味としか考えられるね。
数百をかなり控え目に300騎と仮定しよう。

天下泰平の江戸時代、5万石のお大名の軍役総数は1005名。(慶安軍役)
1万石以上のお大名は一軍一手=一備(ソナエ)を任されるので、自前で輜重兵や他の
管理要員(勘定役・医者・祐筆・大工・鐘太鼓等)と物見用の忍者か専属の足軽を
この他に抱えている。ここの部分はわざわざ指示しなくても、武士の嗜み。
自分で考えて、自分で手配するのが大名の甲斐性であり、義務でもあったわけだ。
そんな慶安軍役で要求されたのは1005名につき、わずか70騎。
そのうち、家老や物頭などの役職についている騎馬武者は指揮監督にあたるので、
基本的に己が突撃なんかする余裕がないはず。これが14騎。
従って、純然たる騎兵らしき騎馬の侍は56騎しかいない。
(名目上の)軍役に占める割合は5,6%にしかならない。
そして、実際の動員義務の人数から計算すると、この比率は更に低下する。

家法やら軍法で異なるとは言え、300騎の騎兵を揃えようとするとどれほどの
収入が必要になるなね? この軍役から逆算すると最低でも30万石は必要だ。
「慶安なんてノンキな時代の話していない!」と言うのなら、1・5倍してもいい。
一備が20万石になるよね。
こんな備えをいくつも抱えて出撃できる大大名って何人したの?

現地での略奪行為が得意な越後の上杉勢でも小荷駄の連中は絶対に不可欠。
おそらく軍勢の中に今で言う輜重兵にあたる小荷駄&護衛兵が3割は占めたはず。
多くの軍役資料では、馬上何人・槍何本・鉄砲何丁・旗何本と書かれており、単純に
「ああこの人数の何%が騎馬武者で何%が鉄砲だ」と思われるが、軍勢になった場合だと
そこまでの計算ができない。戦闘部隊だけで戦闘できれば誰も苦労なんかしない。
軍役資料で手明(テアキ)と書かれているのは、交代要員を示しており、これは輜重兵じゃない。
そこそこの武士は鎧を入れて運ぶ鎧櫃(ヨロイヒツ)持ちや衣装を入れて運ぶ挟み箱(ハサミバコ)持ち、
そして太閤秀吉で有名な草履取りなんていう奉公人を何人も抱えている。
こんな連中も入れて、何万人の軍勢になるわけだ。

76 :名無し三等兵:2008/01/03(木) 17:45:19 ID:qv2gWdto
続き

<一族郎党のうち馬に乗ったもの数十〜数百が最初に突撃して

貴方の書き方だと、(他にも騎馬武者はいるんだけど)「とりあえずそのうちの
数百が最初に突撃」って意味としか考えられないね。
数百をかなり控え目に300騎と仮定しよう。

天下泰平の江戸時代、5万石のお大名の軍役総数は1005名。(慶安軍役)
1万石以上のお大名は一軍一手=一備(ソナエ)を任されるので、自前で輜重兵や他の
管理要員(勘定役・医者・祐筆・大工・鐘太鼓等)と物見用の忍者か専属の足軽を
この他に抱えている。ここの部分はわざわざ指示しなくても、武士の嗜み。
自分で考えて、自分で手配するのが大名の甲斐性であり、義務でもあったわけだ。
そんな慶安軍役で要求されたのは1005名につき、わずか70騎。
そのうち、家老や物頭などの役職についている騎馬武者は指揮監督にあたるので、
基本的に己が突撃なんかする余裕がないはず。これが14騎。
従って、純然たる騎兵らしき騎馬の侍は56騎しかいない。
(名目上の)軍役に占める割合は5,6%にしかならない。
そして、実際の動員義務の人数から計算すると、この比率は更に低下する。

家法やら軍法で異なるとは言え、300騎の騎兵を揃えようとするとどれほどの
収入が必要になるなね? この軍役から逆算すると最低でも30万石は必要だ。
「慶安なんてノンキな時代の話していない!」と言うのなら、1・5倍してもいい。
一備が20万石になるよね。
こんな備えをいくつも抱えて出撃できる大大名って何人したの?

現地での略奪行為が得意な越後の上杉勢でも小荷駄の連中は絶対に不可欠。
おそらく軍勢の中に今で言う輜重兵にあたる小荷駄&護衛兵が3割は占めたはず。
多くの軍役資料では、馬上何人・槍何本・鉄砲何丁・旗何本と書かれており、単純に
「ああこの人数の何%が騎馬武者で何%が鉄砲だ」と思われるが、軍勢になった場合だと
そこまでの計算ができない。戦闘部隊だけで戦闘できれば誰も苦労なんかしない。
軍役資料で手明(テアキ)と書かれているのは、交代要員を示しており、これは輜重兵じゃない。
そこそこの武士は鎧を入れて運ぶ鎧櫃(ヨロイヒツ)持ちや衣装を入れて運ぶ挟み箱(ハサミバコ)持ち、
そして太閤秀吉で有名な草履取りなんていう奉公人を何人も抱えている。
こんな連中も入れて、何万人の軍勢になるわけだ。

そう言えば、「甲斐の武田家で数百騎の寄子を率いる侍大将は何人います?
という質問はスルーですか、そうですかw

77 :名無し三等兵:2008/01/03(木) 19:33:36 ID:qv2gWdto
<戦国時代における騎馬での突撃ってのは
<槍組の背後から飛び出すもので走る距離も非常に短い。

これが、総大将なり備の大将直属の槍足軽の組なのか、自分が連れてきた槍足軽なのかは
別にして、この連中の後から騎馬武者が飛び込むわけですな。
ふむふむ。
百歩譲って、そういう戦闘形態があったとしよう。
なかなか、そういう理想的な闘いが毎回毎回できるとは思えないんだけどさ。
当然、自分の家来たちも遅れじとばかりにこれに続く。
この間に騎馬武者がかなり歩兵連中よりも突出しているの?
違うよね。
すぐ後を慕うようにどころか、騎馬武者を取り囲むようにして集団が突撃して
くるんだよね!?
騎兵(主人)と歩兵(家来)が密着して戦うんだろ?
だからそれは何度も言ってるように「騎兵の突撃」じゃなくって、誰がどう見ても
(馬に乗った武者を中核とした)歩兵の突撃っていうのが実態。

戦(イクサ)、特に地上で行われる戦闘は、精神力や時の勢いってのが大切で、要塞戦とかでもない限り、
敗者の損害の大多数は退却時に発生する。
特に指揮官を失った部隊の士気は極めて低下し(それ以上の報復の念に燃えた場合は別)、更に
封建の世では、主人を亡くした兵の戦意低下は著しい。
それ故、古今東西の戦場で戦闘員の勇気や戦意が重視さる。
特にこの時代は敵の武将や勇士を討ち取った者が評価されたわけだろ?
馬に乗っていては首は取りにくい。当たり前だ、相手の首をかき切れない。
今川義元を討った織田方の服部・毛利両名は馬廻り=騎馬武者だな。
悪天候下の桶狭間(田楽狭間)の戦場であったとは言え、二人とも馬を降りて徒歩立ちで
義元に立ち向かい、首級をあげた。
狭い道を通っていたとは言え、脚で走るのよりも馬の方が早いんだから、敵大将の首を取りたい
2人が馬から下りるか? 馬から下りたのは見つからないようにだとでも?
これまで貴君が延べたような条件であれば、馬に乗ったままで突撃できたはずだよね。
数的優位を誇る大軍を相手にしている以上、電撃的な奇襲攻撃で敵将の首をあげる以外に
織田軍に勝利の目はない。

誰が考えても馬に乗ったままの騎馬武者と徒歩立ちになった武者間の1:1の
戦いでは明らかに徒歩立ちになった武者の方が有利。
馬に蹴飛ばさせるってのもありかもしれないが、無茶すると自分が落馬しちゃうw
槍を使うにせよ刀や太刀を使うにせよ、徒歩立ちになれば両手両足を自由に使える。
安定性もはるかにいいし、下から馬上を突き上げるのと、馬上から下を突き刺すのなら、
下から馬上を突き刺す方が力も入れ易い。落馬する心配がないんだから。腰も据わる。
だからこそ、多くの武者が敵陣前では馬を下りて徒歩立ちで敵陣に向かう。
狙うは敵の、それもできるだけ大将や勇士の首。
そんな武者の攻め込む姿を「騎兵(or騎馬武者)の突撃」とは言うまい。

馬に乗った武者は騎馬武者だが、馬から下りた武者を騎馬武者とは言わんw

ここまで言ってあげても理解できないようだったら、2chやめて日本語の
勉強をしなさい。


78 :人間七七四年:2008/01/03(木) 23:22:02 ID:lo5Vxcaq
あの〜 とりあえず、自分の分だけ〜答えると〜
国によって〜違っているですけど〜
フランスを例にすると〜フル装備が無くなったのがルイ14世の時代で〜
日本の鎧とほぼ同じクラスの〜胸甲騎兵はナポレオンがよく使っていたのが最後になったみたいなので〜
どちらも日本の戦国時代が終わった後なんですけど〜

あと、自分の分じゃないのですけど〜
重装備の騎馬兵はもともと近接戦闘が強いので〜
後ろに周りこまれない限り、馬に乗ってた方が強いです。
馬から下りると歩くこともたいへんなんで〜

79 :人間七七四年:2008/01/03(木) 23:25:25 ID:vU8ozhEo
あくまでタイマンなら、徒歩と騎馬どっちが強いかってのは状況に左右されると思うんだが。
少なくとも「明らかに徒歩が有利」とはならんだろ。

そもそも純粋な一対一の局面なんてないだろうから、まぁ考えるだけ無駄でもあるけど。


80 :名無し三等兵:2008/01/04(金) 01:18:40 ID:y8UVwbzg
>>79
ほうほう。
それでは、関が原でも、大阪冬の陣&夏の陣でも騎馬の突撃が
たくさんあったはずだよな? もちろん長篠の合戦でも。
それじゃどうしてその手の戦国の合戦図では、わざわざ名前を書き込んでる
立派な身なりの侍がたくさん徒歩で敵陣向かって走ってるんだ?
馬上の武者はほんの一握り。
絵描きさんにしても、別に大将とか武将とまでは言わないまでも、雑兵と
呼ばれるような連中のためにわざわざ注記の名前は書き込まないぜ。
勝った側の為に描いてるんだから、負けた側の下級武士の名前を描く?
まさか、その武者連はみんなお馬さんを失ったので徒歩立ちなのかね?
いかにリアルな写真ではないにせよ、あそこまで細かい絵を描いてるんだ。
敵側とは言え、名のある侍たちを描くんだったら、ついでに馬くらい描く。
即ち、あの武者たちはとっくに下馬して徒歩立ちで攻め込んでるんだよw

他にも第2次長州征伐の際、幕府軍の先鋒となった譜代名家連では、鎧兜に
身を固めた上士連中が突撃したり、突撃しようとしてさんざんな目にあった。
古式ゆかしい戦陣の作法を守ってね。
だが、そんな中に騎馬隊で突撃したが、打ち破られたという話は寡聞にして
見聞きしたことがない。
いかに天下泰平の世の中で満足に馬に乗れない武士が増えていたり、
貧乏でなかなか馬を飼うことができなかったりしても、仮にも誇り高き
三河以来の譜代名家とその家臣団。金は無くても誇りはあるw
やり繰りすれば50騎一備とまではいかなくても、20騎やそこら編成できる。
いや、むしろ編成して突撃していなければ格好がつかない。
殿様にお目見えできる上士とお目見え以下の下士、士分以下の足軽の間には
同じように刀2本差していても、純然たる身分の差は存在している。
そんな連中なら、なおさら徒歩で突撃するかね?

召抱えられるときに武士は希望する禄高のことであまり露骨に数字を言うのは
はしたないとされ、百石欲しければ「槍持ちの1人も召し連れたくござる」と言う。、
同様に三百石欲しければ「乗り馬の1匹も飼いたく云々」、五百石なら「替え馬の
1匹も引き連れたく云々」などというのが作法。これは戦国時代から伝わる作法だ。
そんな先祖を持つ譜代名門藩の騎士たちが、長州では徒歩立ちですか、そうですか。
それこそ「(前衛の、役にも立たぬ卑しい足軽ども)どけどけ!」みたいな感じで
真っ先に騎兵集団が乗り込んだはずだ。
整地されていなくても、馬+騎馬武者は走れるんだよね?


あと、語尾延ばすのはやめろw
俺をバカにしてるつもりだろうが、逆にしか見えんよwwww


81 :人間七七四年:2008/01/04(金) 02:10:47 ID:531qnLIE
あの〜 夏の陣では伊達の片倉隊の鉄砲騎馬隊の突撃が真田に負けた話が伝わっているんですけど〜
描いていない理由は描いた人でないと解らないんですけど〜

鉄砲と騎馬の組み合わせは鉄砲の発達して有効性が高まっていくんだよね〜
騎兵隊って、やっぱり、片手にライフル銃を持ったイメージが〜

82 :名無し三等兵:2008/01/04(金) 02:21:53 ID:y8UVwbzg
カラコールができるほど、伊達の騎馬鉄砲隊は調練やってたの?
1発撃ったら、「はい、それまでよ〜」だと故植木等さんだぜ。


83 :人間七七四年:2008/01/04(金) 02:49:28 ID:531qnLIE
あの〜 たぶん、弓を射かけながら敵に襲いかかって、敵陣に入ったら太刀で戦うのが坂東武者の基本戦術だから〜
そっちの応用だと思います。
でも、結局負けたんですよね〜

84 :人間七七四年:2008/01/04(金) 02:55:07 ID:531qnLIE
あの〜 たぶん、弓を射ながら敵陣に突撃して敵陣に入ったら太刀で戦うのが坂東武者の基本戦術だから〜
そっちの方の応用だと思います。
でも、結局、負けたんだよね〜

85 :人間七七四年:2008/01/04(金) 03:08:32 ID:531qnLIE
ごめんなさい
書き損じたと思って二回書いてしまいました。

86 :名無し三等兵:2008/01/04(金) 08:47:05 ID:y8UVwbzg
日本語の不自由な方がお見えだな。
もしかすると日本語のお上手な在日(2世・3世)さんですか?
「(既に帰化している以上)ウリは日本人ニダ!」などと火病を起しつつ、
強引に言い張られるかも知れんが、なにとぞ穏やかに願いたいw

閑話休題
どうもこんがらがってきたので、私見を再度まとめてみる。
1.騎馬武者は騎兵ではない
騎兵は兵科(職種)。
騎馬武者は兵科(職種)ではなく、身分・身代・資格。
歩兵が馬や装甲車、歩兵戦闘車に乗っても歩兵であるのと同じで、
武者が馬に乗っただけの存在。
2.騎馬軍団や騎兵隊などというものは存在しない
騎兵が存在しない以上、騎馬軍団だの騎兵隊などの兵団や部隊は
存在し得ない。
3.騎馬武者のみの単独突撃というものは、ありえない
馬に乗れるだけの武者は通常、自分の家来を引き連れている。
武者が戦闘する際には、家来連が(全員ではないにせよ)随伴して
戦闘を行う。
従って、騎馬武者の戦闘と言うよりも、あくまでも馬に乗った
武者が徒歩の戦闘員を統率する形での戦闘となるのが常道。
もっとも、どこの世界にも外道はいるが、それを言い出すときりがない。
4.突撃と言えるほどの速度は出せない
近代軍馬との体格・騎馬武者の重量・随伴する徒歩の家来(の統率)という
要素が重なる以上、説明不要。 

以上

87 :人間七七四年:2008/01/04(金) 10:44:32 ID:531qnLIE
1.騎馬武者は騎兵ではない
騎兵は兵科(職種)。
騎馬武者は兵科(職種)ではなく、身分・身代・資格。

↑騎兵連隊が陸軍にできた時には身分制度は一応無くなってたは知ってますけど〜


2.騎馬軍団や騎兵隊などというものは存在しない
騎兵が存在しない以上、騎馬軍団だの騎兵隊などの兵団や部隊は
存在し得ない。

↑騎馬軍団も騎兵隊も正式な名称じゃないのですけど〜
それを言い出すと〜きりがないのですけど〜

3.騎馬武者のみの単独突撃というものは、ありえない
馬に乗れるだけの武者は通常、自分の家来を引き連れている。
武者が戦闘する際には、家来連が(全員ではないにせよ)随伴して
戦闘を行う。
従って、騎馬武者の戦闘と言うよりも、あくまでも馬に乗った
武者が徒歩の戦闘員を統率する形での戦闘となるのが常道。

↑室町時代に時代に入ってからそういうことが多い、そうだけど〜
鎌倉時代までは、随伴している家来は、ただの荷物持ち&雑用係りで戦闘には参加しなかったと思うんですけど〜
だから、戦国時代でも、まったく無かったとは思えないのですけど〜

4.突撃と言えるほどの速度は出せない
近代軍馬との体格・騎馬武者の重量・随伴する徒歩の家来(の統率)という
↑歩兵でも突撃と言う言葉が、使われているそうなので〜
速度はあまり関係ないので〜
騎馬隊にスピードのある突撃を求めるのは日本では明治時代に入った頃からだと思いますけど〜

88 :人間七七四年:2008/01/04(金) 11:59:11 ID:vnT4Zg0y
>>86
同意できるところは大いにあるんだけど、
4の近代軍馬と比べて劣るから突撃が出来ないって理屈だけはどうだろう。
「随伴員がいるからそれに歩調をあわせるために、『高速での』突撃が出来ない」ならわかるが、
馬の能力にも理由を求めるのは無理があるのでは。
俺は体重85キロあるけど、木曽馬は俺を乗せて普通にギャロップできてたし、
(あとでスタッフにめちゃくちゃ怒られました。マジすみませんでした)
俺の全力疾走(100m14秒くらい)とほぼ同等の速度は出てたが。
これでも徒歩に比べりゃすげぇ速度だろ。
体感なんで当てにならんといわれりゃそれまでだけど、
今現在の木曽馬でもこれだけできるなら、当時使役されていた馬でも当然出来るはず。

そもそも「近代騎兵と同等の速度」が出なきゃ突撃っていえないのか?

89 :人間七七四年:2008/01/04(金) 14:37:17 ID:ghE0CGHr
狙い撃ちされて簡単に討ち取られそうだなww

90 :名無し三等兵:2008/01/04(金) 15:23:01 ID:y8UVwbzg
>>87
やはり日本語がご理解できないようだなw 
私は帝國陸軍騎兵が騎馬武者だという話はしていない。
朝鮮民族のように枝葉末節にこだわる事大主義は大局を見失うよ。

とりあえず理解できそうにないので、教えてあげよう。
合戦絵巻や屏風で描かれている徒歩で戦場を駆け巡っている武者には
行軍中は騎馬に乗る身分の侍がたくさん含まれている。
もちろん、馬を失った者もいるだろうが、大半は馬を後方に下がらせて
徒歩立ちになって戦闘している。
戦国時代に来日していた宣教師は、「欧州の騎士は戦場では馬上で戦う、
日本では多くは下馬して戦う」という報告をしているほどだ。


91 :人間七七四年:2008/01/04(金) 16:33:25 ID:7M4xDj0Z
乗り入れ
乗り込み
乗り崩し
って
用兵法が残ってるのがそれなりに
騎馬が居た証拠だろうね。

92 :高島彩親衛隊@競馬板隊長 ◆AYAFMAbqdU :2008/01/04(金) 16:34:48 ID:OB6y03Dg
  /ヾ∧
彡| ・ \
彡| 丶._) 明日は金杯ですよ〜
 (  つ旦
 と__)__)

93 :人間七七四年:2008/01/04(金) 18:23:32 ID:dqc+18lq
>>90
そんなこと言ったら馬上から槍を突き立ててる騎馬武者の絵だっていっぱい描かれてるだろうに。
とりあえず馬の能力から否定するのは持論から削除した方がいい。
そうでないと他のみんなが同意可能な主張まで胡散臭く見える。

94 :人間七七四年:2008/01/04(金) 18:29:07 ID:531qnLIE
あの〜 馬に乗ることには技術がいるし、さらに、馬に乗ったまま戦うのはさらに技術がいるので〜
宣教師さんが、たまたま騎馬戦のできない人しか、見てないんじゃあないかと思うですけど〜

もともと騎馬武者は関東から東北が中心で、関西の方は歩兵がメインなんで〜
関西で乗馬ができる人自身少なかったみたいですけど〜
たぶん、関東は源氏を中心にして平安時代まで蝦夷との戦を続けていたので、騎馬武者発達したのだろう、と思んですけど〜
当然、鎌倉時代には、まともに戦えば天下六十四州の兵を集めてもかなわない、って言ったぐらい鎌倉の騎馬軍団は強かったみたいだけど〜
太平記の時代に対策が出来たみたい〜

太刀なんて馬上で戦う為の刀も残ってるし〜
>>91さんが、言うように馬上で戦うことがあったのは、間違いないんですけど〜

95 :人間七七四年:2008/01/04(金) 18:39:02 ID:aAoP4/cf
みんな忘れてると思うが、当時は馬も小柄だが人も小柄だ
よって体重も現代人ほどはない

96 :人間七七四年:2008/01/04(金) 18:43:08 ID:dqc+18lq
>>95
上の方でとっくに指摘されてるし
甲冑付けて乗っても充分走れる重量だろうという推量も出てるよ。

97 :人間七七四年:2008/01/04(金) 22:48:16 ID:YXkNy55g
>>77さんに、ほぼ同意します。
私も武田騎馬軍団など存在しなかったと思うし、騎馬隊のみの突撃など有り得なかったと思います。
先ず、鉄砲隊がドドーンと発砲、次に長柄の槍がオリャーと突撃、その次に騎馬隊がドラーと突撃なんて戦いが毎度あったんでしょうか?

双方、広々した平原で整列、これより何々対何々の戦いを始めます、先ず鉄砲隊からドドーンと締めは騎馬隊よーっとまるで運動会。
お互い殺し合いなんだから、武田騎馬軍団ていうものがそんなに強力なものであったなら、当然相手も対策は立てる筈。
武田が侵攻していった長野県を考えても山国だし騎馬軍団が戦いにくい峠道で待ち構えると思います。
山の上に陣地作って、鎧武者乗せて遅いのに上りでなお遅くなってる奴らを鉄砲と弓矢で狙い撃ち、峠道は騎馬武者の死骸で埋め尽くされる。
哀れ武田騎馬軍団、信濃侵攻半ばで壊滅、めでたし、めでたし^o^

峠道ばっかじゃねえだろ、あほーという突っ込みも有りそうだから、平原の場合はこの作戦でちゅ。
これは塹壕作っといて騎馬隊のバカドモが突撃してきたとしても、ゴラー(騎馬隊)塹壕の前でこ、これはっとうろうろする所を弓と鉄砲で狙い撃ち、まーたまーた騎馬武者の死骸で埋め尽くされ、哀れ武田騎馬軍団壊滅^^;

只一つだけ同意できないのは、騎馬武者対徒歩の武者の戦い。
俺は戦国時代の馬っていうのは見たことないから、今のJRAの500KG超す馬に騎馬武者が乗って、俺が3間半の長柄の槍を持って戦う場合を想定すると。
場所、東京競馬場の芝コース100M向こうから騎馬武者が駆けてくるとして、俺は槍も鎧も放り出してとっとと逃げる。

逃げない場合は、ドリャー(俺)槍突き出す、槍が長すぎて馬に掠る程度で次の瞬間蹴り殺されて、即死。
凄く勉強されてますね、色々教えて下さい。







98 :人間七七四年:2008/01/05(土) 00:15:03 ID:v4dPEgbz
>>90=名無し三等兵
コイツ馬鹿じゃん。もうほっとけよ

99 :人間七七四年:2008/01/05(土) 00:59:32 ID:TlPA3OKM
乗り入れ、乗り込み、乗り崩し
太刀もそうだけど、なんで太刀って刀が生まれるのか?
そしてこれも重要
「槍部隊が柄を地面に突き立てて敵を撃退した」ってのは
トテトテ歩いてきた歩兵に対して行ったのか?
なぜ地面に長やりを刺して構えないといけなかったんだ?
歩兵対策か?
弓兵対策か?
鉄砲対策か?
マエダケイジ=ニコラスの一騎掛けか?


100 :人間七七四年:2008/01/05(土) 09:58:36 ID:U5m0/p7v
100

101 :人間七七四年:2008/01/05(土) 20:26:53 ID:rz3A8SiT
>>97
三等兵自演乙
他の板なら沢山見てきたが、この板でここまで酷い奴も珍しいな

102 :人間七七四年:2008/01/05(土) 21:29:56 ID:cTPUiMo3
>>101
自演じゃなくて三等兵を狙った釣りだと思う。
三等兵の主張する騎馬武者&郎党の集団による戦闘に
真っ向から対立するような各兵科に分かれた戦闘を前提しながら同意してるし、
一番揉めてる騎馬武者による突撃の有用性については三等兵に反対してるし。
しかも突っ込まれやすいようにわざわざサラブレッドで想定してるし。

103 :人間七七四年:2008/01/06(日) 13:48:31 ID:ntLBgl3c
>>102
まぁ周囲から散々十字砲火食らってるから出てきたくても出て来れまいがね。

つか、あれだけ知識があるなら馬の能力に関しても、もう少し知っててよさそうなもんだが。
まさか鈴木の著書丸写ししてるわけでもあるまいしねぇ。

104 :人間七七四年:2008/01/07(月) 05:22:33 ID:Y46X4LLU
あの〜 ひょっとして鈴木さん本人かと思って、いろいろ聞いてみたくて、手加減してたんですけど〜
やりすぎたんみたい。

人柄からすると、思い込みが激しくて、せっかくの知識が、役にたっていないって感じ。
たとえば、長槍は個人戦では役に立たないので、主人が武器を用意して数を揃えて長槍隊という兵科を作っているのは、解るはずなのに、兵科ごとに独立してないと思い込みしてるし
馬上から弓が射る事が出来る技術ならば、カラコールは技術的には可能なのに〜
どうも日本の技術が全てヨーロッパ以下と思い込んでいるので、知っていることが、理解出来ないって感じかな?

105 :人間七七四年:2008/01/07(月) 05:38:09 ID:moC+kHxh
句読点が、多いのも、逆に、読みにくいもんだ、な

106 :人間七七四年:2008/01/07(月) 07:56:11 ID:tHfyT7jf
>>104
結論が先にあって、それに都合のいい情報だけを拾い集めてる感じがする。
そのせいで一面ではかなり詳しいのに別の方面では唖然とするほど何も知らないような
アンバランスさがある。
質問されると煽り出したり同意が得られないと誰彼無く噛みつくといった
精神的な未熟さとかとも考え合わせると、
知的好奇心旺盛な盛りで従来の説を覆す新説にハマりやすい高校生とか
そんな感じじゃなかろうか。

107 :名無し三等兵:2008/01/07(月) 21:48:51 ID:DdC+SlE9
(状況)
戦車を持たぬ我が歩兵部隊に向けて、敵の有力な戦車部隊が攻め込んできた・・・
独逸軍:敢えて敵戦車を通し、後続の敵兵站部隊を叩いて行動不能にする。
日本軍:火炎瓶やら地雷を用い、果敢に肉弾戦をいどむ。(実話)
韓国軍:連隊長以下、火病と恐慌を起し、近くの山に逃げ込む。(実話)
軍板の名誉にかけても敵前逃亡なんぞはせんよw

このスレの名前は何だ?
俺のPCでは武田騎馬軍団スレ(笑 って表示が出てるぜ
武田家に騎士ばかりを集めた、騎馬隊ってあったか?
もちろん、従卒のいない狭義の騎士限定で。
もしいるんだったら、その代表的な指揮官名を教えておくれ。
もしそんな話はしていないって言うんだったら、徒歩の侍やら、足軽やら
中間小者を従えた騎馬武者ってのは、あくまでも歩兵の指揮官なんだから
(身分上)乗馬している歩兵じゃん!?
旧陸軍では昭和に入っても歩兵でも連隊長や大隊長は乗馬本分と言って、原則として
馬に乗って(移動す)るものとされていたぜ。連隊付中少佐やら連隊副官も乗馬本分。
馬に乗った指揮官に統べられたら、中隊長以下が歩兵でも「騎兵連隊」になるのかね?

さて、「猿は木から落ちても猿」だが、「議員さんは選挙で落ちればただの人」。
騎兵は馬を用いて戦う兵科だが、馬から下りても騎兵は騎兵。
武者が騎馬に乗れば騎馬武者だが、馬から下りればただの武者だ。
本領安堵や新恩給付、そして武門の名誉と維持をかけて出陣する多くの武者たちが
狙うのは敵の首。それもできるだけ多く、何よりも名のある敵の武将や勇士の首を。
さまざまな合戦絵巻や屏風図をじっくり見ていればわかるが、あまりにも多くの立派な
身なりをした武者が戦場を徒歩で走り回っている。これは名実共に歩兵じゃないのか?
俺は鈴木氏の全てに賛成しているわけではないが、少なくともほとんどの武者が
下馬戦闘しているってことだけは事実だと思う。

乗り込みだの乗り切りだのってのを全部否定するわけじゃないが、多くは後世の
軍学者なんかの造語じゃないのか?
天下泰平の江戸初期、エネルギー持て余した直参や浪人者がうようよいたんじゃ、
体育界系の旗本奴なんぞを気取られるよりも文化系の軍学の方がいくらかでも
無難だからな。名無しさんみたいな口舌の徒でももっともらしいことは言えるし。

おっと、馬上での射撃が簡単だと言ってるやつもいるな。
俺も一応は国士なんだから、根拠も無く日本が欧州に劣るなんて言うものか!
馬上で弓を射るのも大変だが、鉄砲の再装填はもっと大変だぜ。
雷管式の騎兵銃じゃあるまいし、前装式のそれも火縄銃だぜ、馬上筒は。
雨が降らなくても、揺れる馬の上、しかも高速で走れば風も吹くだろう。
発射寸前まで蓋をしていても、火門から火蓋までの細かい火薬は大丈夫か?
とりあえず、初弾はどうにか撃てるかもしれん。
(最前線で射撃できなきゃ誤射が大量に発生するだろうね。)
しかし、そう簡単に次発装填ができるかね?
射撃同様、いかに銃身の短い馬上筒とは言え、揺れる馬の上で再装填。
まさか騎馬武者はエリートだから、口頭で教えるだけでできるとでも?
だったら、誰も苦労しないって。
足軽連中ならまだ調練もできるかもしれんが、馬上の騎士を集めて全体調練?
名のある武士が「オイチニ」と兵隊さんみたいにお稽古やってるの?
「歩幅は何尺、前後左右はどれだけ離れろ」とか師範は指導しなきゃいかんぜ。 
きれいに最前線で一列横隊に発砲して、それからきれいに左右のどちらかに
一列に展開して後部に下がらきならなきゃ安全確実に再装填できんだろ? 
周りには友軍が(それも他家の将兵ではなく)いるんだぜ。馬で跳ねちゃうぞ。
ところで、戦国時代、それも名のある武士全員に流派の統一できるのか?

108 :名無し三等兵:2008/01/07(月) 22:00:02 ID:DdC+SlE9
時代劇と中学高校の歴史の教科書しかみない人には何度でも教えて差し上げよう。
軍役に関する資料をしっかり読みなさい。

馬に乗れるだけの身分の武士が、従者も連れずに出陣するかね? 格好悪い。
その従者連中で輸送に従事する小荷駄の連中とか純然たる軍属の陣夫はともかく、
戦に欠かせぬ槍持ちや旗持ちが主人と離れてノソノソ歩けるか?
もちろん、徒歩侍の家臣だっているだろう。
馬で早く走れるご主人さまは、その連中みんな放置プレーかね?
たとえ短距離でも。

中間小者ならともかく、侍身分の連中だったら「冷淡な主だ」と白けるぜ。
いいかね? 
下克上あり、権謀術策ありの戦国時代であるが故に、表面上だけでも
小笠原流に代表される礼法が上級武家の間では要求された。
鎌倉以来の御恩と奉公の概念と武辺の意地無しで封建制は成立しない。
従者が必死になって戦うのには、やはり御恩という物欲や強制力もあれが、
主人との心理的なつながりがあるからだろ?
それを踏みにじるようなものだぜ。従者放置は。

中には、完全に単騎で突っ込んだ香具師もいるかもしれんが。
そういう例外を完全に排除し、完全に統制できるんだったら、苦労しないよ。

おっと、精神分析までやってくれてる親切な人もいるな。
そんな暇があったら、勉強しなさいw

109 :人間七七四年:2008/01/07(月) 22:47:14 ID:1SKABJUC
馬の能力云々に関してはスルーですか。
一番突っ込まれてるところなのに。

110 :人間七七四年:2008/01/07(月) 23:23:09 ID:tHfyT7jf
戦国後期の騎馬突撃が減った時代における
直属家臣団の拡大とか
国衆の兵も槍組や鉄砲組に組み込まれて再編成されてた事とかについて
どう考えてるのかも知りたい。
相手もこっちも源平〜室町の頃のように
騎馬武者&従者集団の単位で戦ってるんなら
騎馬武者は下馬する必要ないよね。

111 :人間七七四年:2008/01/08(火) 00:19:20 ID:0aK1Y10K
>>107
>軍板の名誉にかけても敵前逃亡なんぞはせんよw

軍板の名誉を思ってくれるのであれば、
まず軍板のデフォ名を使うのをやめて
適当なコテハンでも付けてくれないか。
近年、軍板から来た事をアピールしながら
他所の板で不作法な振舞ばかりして
軍板の評判を悪くする輩が多くて困る。
住民の平均年齢40歳と言われてた頃からすれば
今の軍板の平均レベルは実際に下がっているのも事実だけどな。

112 :人間七七四年:2008/01/08(火) 03:22:31 ID:K1ySitt4
数十m突出しただけで冷淡だって思うようなら
元から心のつながりなんてないんじゃないだろうか。
それで離れたままなら「何やってるんだ」位のことは思ってしかるべきだろうけど。

113 :人間七七四年:2008/01/08(火) 16:15:42 ID:NKoT+CKS
>>107
足軽連中ならまだ調練もできるかもしれんが、馬上の騎士を集めて全体調練?
名のある武士が「オイチニ」と兵隊さんみたいにお稽古やってるの?

農民からの徴兵だったのを国のお抱え兵士として雇った兵農分離ってのは
知ってるか?
そんで金掛けてお抱えした兵士は「オイチニ」と訓練しないで
何してたんだ?
その兵農分離が始まった頃から本格的な集団戦が始まったんだろうが。

114 :人間七七四年:2008/01/08(火) 21:22:02 ID:sIYn87Yp
あの〜頑張って下さい。自分と意見は違っても頑張る人は好きですから。

ええと、とりあえずまた自分のぶんから。
カラコールが行われた頃の鉄砲も点火の方法が後ほど変わったぐらいで最初うちはそれも同じで再装填する必要が〜
それで、撃ったら戻って再装填してまた撃ちに行く、その円運動がカタツムリの渦巻きに例えられて〜 カタツムリの意味のカラコールって名前が付いたハズなんですけど?
ちなみに、カラコールに使った小銃の有効射程距離は5〜10メートル位
馬上筒は30メートル位
だったと思うんですけど〜


あと、馬廻とか今で言う騎馬隊になる人は、確かに、身分の高い家の出の人が多いですけど、より高い身分の部下で〜
家に帰れば自分の家臣とかは連れてあなたの考えるようなことをすると思うけど〜
直臣のあいだは、まあ身分だけは高いけど扱いは、せいぜい身の回りの世話をする家臣が付き添った位でただの兵隊扱いじゃないかな? 
例えば、前田利家が家臣を持ったのは、馬廻から赤ほろ衆に出世したあとだった気がします。


あと、戦時に馬に乗って戦う身分の家柄の者を騎馬武者と言って、一般的に侍と呼んで、公式な文章では騎士と記載するんじゃないですか?
(まあ、実際突撃する時に下馬するかどうかは、ケースによるだろうけど)徒歩の侍と言うのは引っかかるんですけど〜
足軽などの徒歩の武士(徒士)と言う意味だと思うけど?
それで、足軽隊を率いていていても足軽大将クラスの人は侍クラスの身分の人がなるんで下馬しても身分は変わらないんですけど〜

ちなみに、中間とか小者とか人足とか(他にもあるけど)は、武器を持って戦わされることがあっても武士の身分じゃないよね?

115 :人間七七四年:2008/01/08(火) 21:49:51 ID:sIYn87Yp
ごめんなさい。
書いたつもりなんですけど〜 書き忘れたみたいで。
足軽も武士扱いされるのはずーっとあとで、戦国時代は武士の身分じゃなかったと思うんで念のため書いておきます。

116 :名無し三等兵:2008/01/08(火) 23:17:29 ID:1ZpU1ub3
>>114
武者が連れて行く家来について
例えば北条家の軍役を見ると、知行2〜30貫の侍たちが馬に乗ってる。
あそこには田=500文/反、畑=165文/反っていう換算方法があるだろ?
仮に知行地を田ばかりで、それもそこそこの水田と過大評価しても
1反でせいぜい1.5石程度の玄米しか生産できない。
南関東だから裏作はできるんだろうが、裏作にはあまり高い年貢はかけないそうだし、
当時の灌漑施設やら農耕技術(特に農具)なんかを考えると、1.5石で十分だろう。
すると30貫の知行地の総生産能力は玄米90石/年。
北条は年貢率が4割だというので実収入は36石。(作職や地頭職とかの計算は省く)
下人を使って耕作&出陣するんだろうけど、楽じゃないだろうな。
そんな知行30貫の土豪も槍持1名と旗持1名を従えて出陣しなきゃいけない。
(この連中は足軽未満の中間身分だろうな。)
北条家中では下人の装備にまでしっかり注文の入った着到状っていう召集令状が出るから。
馬に乗ってる武者には家来(奉公人)が必要だろ?
当然、敵陣間際まで槍持は槍持ってお供してるからw
もう少し身代が大きくなってくれば連れていく奉公人の数も増える。

近習時代の前田利家は馬に乗ってるくらいだから、少なくとも単騎で
出陣するような不恰好なことはできない。
信長の茶坊主斬って勘当され貧乏していた時期も槍持は抱えてたはずだ。
それ以前に前田家は2000貫以上の土豪だったわけだから、こっそり譜代の
家来たち何人かついていってると思うんだけどね。


117 :名無し三等兵:2008/01/08(火) 23:44:54 ID:1ZpU1ub3
上士・中士・下士・卒・それ以下の身分について

当然ながら主君の身代によって各家で身分の線引きは変わってくるんだけど、
(同じ殿様でも加賀百万石の前田侯と1万石すれすれのお大名じゃ比較にならん)
ごくごく身代も小さく人も少ない家だと上士と中士の区別がないってこともある。

大名と言われる家のレベルで、殿様から直接給料をもらってる家臣団には
@家老(説明不要だろ?)
A番頭(馬廻を統率する侍大将)
B物頭(大名に仕えている弓・槍・鉄砲などの足軽を統率する)
C徒歩頭(大名に仕えている徒歩の侍を統率する)・・・ここまでが上士
D馬廻(騎馬の武者だな)・・・これが中士
E徒歩(馬に乗る資格はないが、大名に仕えている侍身分)・・・ここが下士
F足軽(説明不要)・・・卒(そつ)と呼ばれる士分未満の身分
G中間・小者(もっとも、中間ってのは小者と足軽の間だから中間と呼ぶそうだ)
こういう序列がある。

1番大きな壁は中士と下士の間にある「主君にお目見えできるかどうか」の区別。
近・現代式に言えば、中士ってのは将校。下士ってのは文字通り下士官の身分。
中士が抜擢されて上士になることは比較的簡単だが、下士が中士になるのは
大名の身代がよほど大きくなるか、とてつもない手柄立てなきゃまず無理。(除く織田家)

*徒歩侍でも身代や家柄でお目見えできる者とそうではない者がいたので注意!
徳川幕府だと200石で騎馬身分でも諸組与力や徒歩目付組頭はお目見え以下。
逆に100石で馬に乗れなくても小十人組の番士は立派なお目見身分の中士だ。

次が下士と卒の間の壁だろうな。「士=さむらい」じゃないんだから。
卒には苗字を名乗らせない家もあったそうだ。(土佐の山内家が有名)
時代が下ってくると、雨の日でも傘や下駄は禁止。
上司どころか、上士や中士に外で会ったら土下座しなきゃいけないとか。
江戸幕府の町奉行所の同心は卒なので年季奉公扱い。毎年雇用契約を更新。
あと江戸幕府の代官所で勤務している手代と呼ばれる庶民から採用されて
侍の格好をした職員なんかもほとんどこの扱いだから2本差し禁止で
野差というちょっと短めの大刀のみを差すことが義務付けられている。
(格好悪いから、非公式に2本差してるけどね)
2本差すようになっても代官の部屋には脇差も外さなきゃ入れない。
足軽や中間・小者は武家奉公人ではあるが間違っても士分ではない。
(中には代々使えている者もいるんだけどね)
だから、足軽は幕末どころか明治まで「武士身分」じゃないと断言していい。
最初は士族と平民の間に「卒族」って身分があったんだから。
後に卒族は士族に編入されたんだけど、士族連中は新士族と呼んでたw

118 :人間七七四年:2008/01/09(水) 08:25:54 ID:ikMiYzoq
なるほど〜 昔読んだ本の記憶だと、中士 以上が侍で、下士 は侍になっていなかったものですから〜 (上士,中士,下士の表現は用いていなかったけど)それで、ずれてたんですね。
ところで〜 上げ足取るみたいで嫌なんですけど〜
あなたの分け方ですと、下士まで全部の士が、侍で〜 「士=さむらい」 に、なっているんですけど?

119 :名無し三等兵:2008/01/09(水) 13:03:55 ID:SjaVTXDC
ああ、徒歩侍のところね。
さむらい=侍=士という意味で、士分未満の卒族と分類するため。
武家奉公人の中には「侍」と呼ばれる徒歩・若党身分の階層もいたから、
混同しちゃう可能性もあるな。うん。
特に家によっては若党は苗字を名乗れないところもあったし。
でも、足軽や中間・小者とは別階級。

とりあえず、他意はない。 


120 :人間七七四年:2008/01/10(木) 13:05:42 ID:J5I6kdx4
ありがとうございます
さすがに詳しいですね。
お目見えの例外を見ると小十人組は将軍の直属の歩兵みたいなものだから、お目見え出来る。むしろ出来ないと都合上悪い。
与力とかは、現場のえらいさんみたいなもので、現場の人間でないと勤まらないから特別待遇しているけど、本当はそんな身分じゃないからお目見え出来ないって感じみたいだね。
なんか〜 明治になって武士の仲間入りした足軽が、ちゃんとした武士たちに武士扱いされてないみたいに、江戸時代の徒歩の武士たちも、武士としては別扱いされている感じ〜

ところで〜
前田利家のことなんですけど〜 あなたと同じように、お供の人が、ついてたと思ってます。槍持ちとか、下馬戦闘の間馬を捕まえていたり、倒した敵将の首を確保していたり、陣中で予備の武器や荷物を見張っていたり、二人ぐらいは必要と思ってます。
でも、戦闘には参加しないことが前提の中間や小者で、戦闘中はいざという時ほったらかしだったと思います。

121 :名無し三等兵:2008/01/13(日) 04:40:20 ID:BdQ9SBCh
>>120
前田利家について
1.前田家の次男坊ながら出仕していた頃
仮にも実家は2450貫(後世でいうと約7300石)の大身の家。
早い話が有産階級(その頃、そんな単語はないけど)のお坊ちゃん。
侍身分の人間を数人連れて外出・出陣しないと格好がつかない。
それどころか、少なくとも家が(彼以前からも)数代は続いている
土豪層なので、騎乗身分の家来がついてくる可能性も極めて高い。

2.信長の勘気に触れ、浪人していた頃
ここは微妙。
但し実家の家来たちのうち、侍身分の者たちが数人が
非公式についていって(出陣して)いる可能性も。

3.勘気が解け、新規に知行300貫で召抱えられたとき
後世で言えば約900石の堂々たる身分。
数人〜10人くらいの侍を自前で召抱えて勤務。
もちろん、実家にいた侍を自分の家来として譲り受け、
直接雇用している可能性も大いにあり

4.信長が兄を廃嫡し、実家を継がせたとき
説明不要。


122 :人間七七四年:2008/01/17(木) 06:43:06 ID:ubuzlkD5
>>121
あの〜 売る時の値段と、買う時の値段は違うし、米の値段も違って来るので、貫→石なら 一貫≒一石ぐらいで考えた方がいいと思います。
1.前田家の次男坊ながら出仕していた頃
仮にも実家は2450貫(後世でいうと約7300石)の大身の家。
早い話が有産階級(その頃、そんな単語はないけど)のお坊ちゃん。
侍身分の人間を数人連れて外出・出陣しないと格好がつかない。
それどころか、少なくとも家が(彼以前からも)数代は続いている
土豪層なので、騎乗身分の家来がついてくる可能性も極めて高い。
↑信長公に連れられて、一緒に外出、出陣した方が格好いいからだいじょうぶ。

2.信長の勘気に触れ、浪人していた頃
ここは微妙。
但し実家の家来たちのうち、侍身分の者たちが数人が
非公式についていって(出陣して)いる可能性も。
↑この時期かなり苦労したみたいなこと言ってるので、下手をすると信長の勘気に触れたんで〜実家から勘当されてたかも。
その場合〜母衣衆時代に召しかかえた家臣がついてきてくれたかが微妙だね。

3,4は、同意見です。
ところで、前田利家って次男だった?
それに〜 記憶にある前田慶次との関係に無理が〜?

123 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 01:02:27 ID:5brU3zRw
>>122
1.前田利家は次男坊について。
実は利久っていう兄貴がいた。
でも利家が信長の命令で前田家を家督相続した際、兄貴廃嫡。
前田慶次は利久の子供。(利久の奥さんの連れ子説もある)

2.お供について
それなりの身分の武家はそれなりの家来を連れて、出陣するのは
もちろんだが、登城や外出時にもそれなりの家来を連れて歩く。
例えば花見に行くときでさえも馬に乗り、槍を立てて出かける。

3.貫高・石高換算方法
貫高を石高に換算するのには、後北条家を参考にしてみた。
比較的支配制度が整っていた北条家では貫高制をとっていたが、
その際に知行は田1反=500文 畑1反=165文と換算。

で、江戸初期は田1反(=300歩 1歩=6尺3寸四方)籾3石、
玄米にして1石5斗取れるのが上田で検地・課税時の標準。
もちろん全てが水田でしかも上田であるはずがないが、陸稲や雑穀、
野菜も米に換算してこんなものになった。
(江戸幕府は関東が本拠地なので北条方式が比較的無理なく使える)
厳密に言い出すと戦国時代よりは農機具の改良やら灌漑施設もいいし、
戦国時代は度量衡も全国で統一されていなかったけど。
但し、秀吉の全国検地は、従来の1反=360歩 1歩=6尺四方と
比べると面積が1割近く狭くなってるので概ね相殺可能と判断。
そこで知行1貫≒田2反≒標準生産高米換算で3石と想定。
従って知行2450貫に3石をかけてやると約7300石。
秀吉以前の名主職・作職・地頭職とそれ以降の地頭(領主)と農民の
取り分の相違をどう考えているかなどということを言い出すと、
ややこしくなるのでそのあたりでとどめておいた。

124 :人間七七四年:2008/01/23(水) 09:08:08 ID:rppx6CRS
>>123
1. 利久が跡を継いで、その後、隠居して慶次に跡を継がせようとした時に信長が介入して利家に跡を継がせたはずで〜
利家には、他にも兄がいたみたいなんですけど〜


2.あの〜 例えば、六条の合戦の時、信長が十騎で駆けつけている、お供はなし、謙信にも似た話しが残っているし、権威にこだわって形でそれを現した徳川時代と、合理的なものが生き延びた戦国時代と違うので、とりあえず、徳川時代のことは忘れた方が〜
信長の方は2日で駆けつけている理由にもなっているので、間違いないと思います。
つまり、騎馬隊のお供はいざという時ほったらかしだったってこと。


3.石→貫 なら、ほぼ同じだね!
石→貫 と、貫→石 の違い、商人の仕入れの値段と売値の違いと言う方がわかりやすいかなぁ?
商売してないと思いつかないだろうけど、二倍以上になるってこと。
相場が場所や時代で大きく変わるので、余りこだわらない方がいいみたい〜

125 :仙台藩百姓:2008/01/23(水) 10:21:25 ID:hWT+dais
現地に兵力があるから司令部だけ移動しただけの話しだお>六条の戦い
いわば現地に別の御供がいるから置いて来たと言うわけだお
それに信長は従者(荷物持ち)を連れていたお
まあ、大名なら勝手出来るけど臣下はそうはいかないお
普段ならいざしらず合戦の際は兵役で供廻りの人数は決まっているのだから破れば軍律違反であり
歩兵は遅いから置いて来ちゃいましたでは済まないお
だから合戦に間に合わない事があったりする

126 :人間七七四年:2008/01/24(木) 12:11:58 ID:eJb8oqN4
>>125:
仙台藩百姓さん 名無し三等兵への返事だから気にしないで〜
必ず、騎馬武者クラスの身分には歩兵(?)のお供が有ると思っているんで〜 十騎だけで、お供が無いってはっきり書いてある例を出しただけだから〜
ちなみに〜 荷物持ちもいないよ!
馬に乗せたんだ。
信長自身が、公平に同じ重さになっているかチェックしているよ!


>>まあ、大名なら勝手出来るけど臣下はそうはいかないお
普段ならいざしらず合戦の際は兵役で供廻りの人数は決まっているのだから破れば軍律違反であり
歩兵は遅いから置いて来ちゃいましたでは済まないお
だから合戦に間に合わない事があったりする

↑だから、信長みたいに有力な土豪や重役の息子集めて、馬廻なんか言う大名直属の騎馬隊を作ったのが出てきたのかな?
急場に少数でも、兵士を送ったら、なんとかなる場合もあるもんね。

127 :名無し三等兵:2008/01/28(月) 14:46:02 ID:i/rS6jHz
>>124
>>126
<兄が
兄と言っても妾腹の庶兄では?
戸籍制度もなかったことなので、断言はできないけど

<急場に少数でも兵士だけ
馬で騎馬武者だけ送っても、刀以外は槍も弓も矢も持っていけないよ。
どれもこれも中間のお供が運んでくれているわけだから。
権威どうこうじゃなくって、純粋に武器や装備を運ぶ人間がいなければ
戦いようがないんだけど。
いくらなんでも、馬乗身分は槍くらい自分の槍を持っていかなきゃw
弓矢にしても雑兵じゃあるまいし、使い勝手もあるだろう?
「信長の近習なら自分の弓矢と槍くらい持って走れって?」
それ無理。
片手に槍を持って、もう片手に弓持ったまま馬で走れるかな?

<貫・石
個人での商売はやってないけど、商社の営業職10年以上やってるw
企画部にも所属していたから、帳簿もひととおり理解できる。
知行の貫を石に換算するために、1番わかりやすい後北条の制度で
説明したんだけど理解できない?
田1反から上がってくる租税額が500文なら、田2反から上がってくる
租税は=1000文=1貫。ここまでなら別に問題ないだろ?
後北条家では畑の場合、(野菜の)収穫を米の価値に換算して165文/反。
で、1反の田からどれぐらいの生産が見込まれるかを推測すると、直近で
1番確実な数字が太閤検地の標準になっている上田=1石5斗/反。
つまり、知行1貫=水田2反だと米に換算して3石。ここまでOK?
従って、標準生産額3石/反=年貢1000文=1貫の計算。
もちろん、水田の品位や毎年の豊凶作によってかなり異なるんだけどね。
豊作時でも1反で米1石の生産できない品位の低い田もあるから。
でも、細かいことを言い出すと概算でも支配地=生産高の解散ができない。
ここからいくらの年貢を確保できるかは、【地頭の前田家】と前田家から
知行を受けてる【被官】と【名主】(「なぬし」ではなく、「みょうしゅ」=田畑の所有者)
と【作人】(生産者)と【作人の被官】(作人の家で実際に耕作にあたる奉公人)の間で
決めてくれればいい。そこまで私は関知しないし、できないしw
各権利が重複していることもしばしばあるが、けっこう中間搾取も多いね。

もっとも、後北条家は(当時としては)かなりきっちり管理してたけど、
織田家がそこまで正確に家臣団の知行を管理できていたかどうかは不明。
2450貫って数字も自己申告だろうし、田畑で何をどれだけ生産し、
どれだけの租税を取り立てるかはそれぞれの都合もあるしw

128 :名無し三等兵:2008/01/28(月) 20:56:07 ID:i/rS6jHz
<支配地=生産高の解散ができない

支配地=生産高の計算ができない

129 :名無し三等兵:2008/01/28(月) 21:13:23 ID:i/rS6jHz
まさか126さんって、「加賀100万石は全部前田の殿様の取り分(直轄領)」とか、
「20石取りの武士の年間収入は米20石」だとかいう手合いじゃないよね?

領主・地頭が支配している土地の収穫は、原則、話し合って配分。(収奪とも言うw)
領主1人で全部奪ってしまっちゃうと、百姓は食えないよね。
収奪しすぎて疲弊させちゃうと、飢え死にしたり、逃散したり、一揆起したりする。
いつの時代でも、誰でも、食わなきゃ働けないし、第一やってられないからね。
翌年の種籾だっている。

とうぜん、家来たちにも領地を分け与えてあげるか米なり銭なりでお給料を
支払ってあげなきゃ、家来たちも食べていけない。

130 :名無し三等兵:2008/01/28(月) 21:19:49 ID:i/rS6jHz
だから玄米(現米と書くこともある)とか切米で20石ってのと、
知行20石ってのも根本的に違う。
玄米・切米ってのは、現物支給で米(玄米だけど)がもらえる。

知行20石ってのは20石の米が取れる・・・と見なされる・・・土地or
土地の支配権が与えられる。
その土地で米を作っていない、作れない場合には米以外の雑穀や野菜、
その他の農産物の価値を米に換算している。
129同様、20石全部取り上げちゃうわけにはいかないよね。


131 :人間七七四年:2008/01/31(木) 12:47:50 ID:5+zJn1V+
すいません
説明不足で話しが食い違っていたみたい
あの〜 例えば、900石知行地から2/3を税として収入を得たとして600石
それを売ったとして300貫(まあ〜その間に経費がいるのだけども〜)になったとして900石→300貫(税率,換金率は違うけど仮に計算し易いように)
つまり〜 300貫の知行地は300貫の収入が有る知行地(税率や換金率はそれぞれ違っている)として、それに見合った軍役を定めたのが貫高制
この場合 3石→1貫
戦国時代、統一の規格がなかったので〜 銀貨に換算したんだよね。(信長が升の大きさを決めるのに始まって太閤検地で終わった統一規格が出来て、石高制に変わっだけど)

さて〜前田利家の場合、本来騎馬武者クラスの知行は300貫の収入が得られる知行地が与えられる筈だけど〜信長は知行地を与えないでお金で払ったんだよね(織田家の家臣なら既に知行地を持つ者がいるけども〜そのせいで土地が足らなかったかも〜)
信長だけでなく西国など商業からの収入が多い大名にもそんなのが居るそうです。(極端な例なら○○水軍とか、水利権から収入が有る奴らは、家臣に与えられる土地が無いもん)
それで家臣は、知行地に帰らないでいつも城(城下町)に居る事になったんだよね〜
家臣を常備兵にするためかな?
いわゆる〜 兵農分離政策のひとつ聞いたことない?

ところで〜 300貫分の知行地をもらうのと、300貫もらうのと〜 一見同じに見えるけど違うんだよね〜
例えば、半分を自分と家臣の食費に、残りをその他の生活資金とした場合に、900石のなら600石の半分、300石
一人、1年1石として、300人を養えるけど、300貫なら商人の売り値段が倍だとすると、150貫で150石の米を買うことになり、150人しか養えない。(貫高制から石高制に変わった理由の一つ、動員兵数が石高ベースだと検討し易い)

だから7300石→2450貫の 石→貫(の逆算)ならいいけど、300貫→900石の 貫→石 には、ならないってこと。
港など商業収入(貫)を石高に直す時にも考えないとね!
上手く説明出来たかな〜

前田利家について
利家は四男坊だって、間の二人はどうなっんだろ?


騎馬武者のお供について
騎馬隊に普段の戦でお供が付いたのは、同意。
でも、お供無しの実例が有るのも事実。

しかし、槍や弓は、本当にどうしたんだろ?
まさか、両手に持って?
そういえば、前田慶次は松風(だっけ、慶次の馬の名前)に、たずなを付けてなかった、みたいなエピソードがあったような気がする。

132 :人間七七四年:2008/01/31(木) 23:11:23 ID:B7hERW8g
昔読んだ本に「インディアンは野生のムスタングを捕まえてハミも鞍もつけずに
乗りまわしてた!」なんて事が書いてあったょ
実際に見たことないので本当のところはわからないけどね
松風に手綱無しは出来なくはナイと思うけど・・・
普通に手綱つけてたのでは?


133 :人間七七四年:2008/01/31(木) 23:28:38 ID:aASnjg8Q
馬術やってるけど質問ある?

134 :人間七七四年:2008/02/01(金) 01:05:00 ID:DcYHz8hg
>>133
ベトナムでは120a以下130.140・150a以上と分けて競馬を
しているみたいなのですがそれぞれのレコードタイムを教えてください!
ググてもなかなかでてこないので(カテ違いかもしれませんがごめん><)

135 :人間七七四年:2008/02/01(金) 03:01:52 ID:KRimDavL
>>134 競馬は小倉競馬でバイトしたことくらいしか経験無いから分からんぜよ・・・

もっとこう、馬乗ってても槍ふれる?系の疑問になら多少答えられるけど。。すまそ

136 :人間七七四年:2008/02/01(金) 03:25:54 ID:s0dXZ7cV
メンタルヘルス板の「アスペルガー障害は世間で最も嫌われる障害」スレから
コピッてみる。うまく出来るかな?

214 :優しい名無しさん:2008/01/07(月) 13:44:15 ID:7/4IWvQJ
アスペは小難しい言葉の羅列で論破しようとするんだけど・・・余りにもしつこ過ぎて反論するのが面倒だし無駄に感じるから相手にしない。
それを「俺が言い負かしてやった!!」的なしてやったりオーラ醸し出すからお手上げです。
何をどう説明しても埒が明かないから周囲は距離置くのに「孤高な自分を周囲は理解できない」とプラス思考。
健常者なら他人の意見に耳を傾けたり過去の失敗を教訓に学習していくけどアスペは間違っているのは周囲だと決め付けているからなぁ。
普通なら同じパターンの失敗を繰り返していれば自分の過ちに気づくのにね。
本当に間違ってんのは自分だと気づいたらマトリックスの世界のように混乱しそうだね。


137 :人間七七四年:2008/02/01(金) 07:59:38 ID:LU48AFvh
>>135
西洋の馬術は、手綱がメインで、日本の馬術は、馬上から弓を射る必要から足がメインで馬に命令をするって、聞いたんだけど、その辺詳しく分かりますか?
ちなみに、あなたはどっち系の馬術ですか?

138 :人間七七四年:2008/02/01(金) 08:33:21 ID:KRimDavL
>>137 日本馬術を夢みていたんですけどブリティッシュ馬術でふ。だから日本馬術
に精通しているという訳ではないけど。

流鏑馬とか見たら分かると思うけど、両手放さなきゃいけないから、かなり足使ってる
みたいですね、扶助って言うんですけど。でもブリティッシュも基本は足です。

手綱使いまくるのはアメリカン乗馬ってやつで、まあカウボーイのそれですな。

139 :名無し三等兵:2008/02/03(日) 10:00:50 ID:qiqUBB+v
当時は乳幼児の死亡率も高いし、養子で家を出るのもごくごく普通・・・
あと庶子だとどうしても相続順位が低くなる。
信長も庶兄を押しのけて相続している。
まあ、そのあたりでよくお家騒動ってのも発生する訳だがw

利家の新規300貫や前田本家の2450貫を銭(or金銀)で支給していたってことにすると、
織田家の軍役はもっときつくなるよ。換金率による目減り分が減るわけなんだから。
そもそも良質貨幣の絶対量が不足していたので、太閤さんの時代でも貫高制ではなく
石高制になってるってことをよく理解してもらわないとね。
ちなみに後北条では知行7貫〜10貫につき1人の割で軍役を勤めてる。
上杉や武田もよく似たレベル。
すると利家は新規にもらった300貫だけでも、30人から40人を引率する義務が発生。
2450貫だと、250人から300人の家之子・郎党を動員する義務が発生する。
完全に銭なり銀でもらってたら、もっときつくなるよね?

もっとも、金銀も品位が素人にはわからないから金屋銀屋という商人によって、
銭に替えてもらったり、刻印打って品位保証表示をしてもらってたわけだが。
その中でもっとも有名なのが京都の後藤家。

140 :人間七七四年:2008/02/04(月) 05:43:00 ID:GDMEV4ee
そう、だからこそもともと知行地を持っている前田の本家は 三石≒一貫 で良いけど、知行地を持っていない300貫は、一石≒一貫 ぐらいで見る方がいいと言いたかったワケです。実際動員出来る兵に差ができるから。
あ〜 やっと通じた〜

141 :名無し三等兵:2008/02/05(火) 23:20:19 ID:rzRNrqfC
>>140
その論理はおかしいよ。
知行地持ちの侍だと1貫=土地の生産高米3石に換算されてしまうのに、
現金支給1貫=知行1石相当だとすると現金支給の方がはるかに有利。
3石の生産高と言っても、実際には荒れ地やいろいろな控除が行われ、
知行1貫≒水田2反(1反=500文)から2石の収奪は不可能。
中世の農村には地頭職・名主職・作職などという複雑な利権があり、
太閤さんの時代になってよくやく、地頭と耕作責任者の百姓が収穫を
2:1で分配するすっきりした税制になったわけで。
それまではいかに戦国大名や地頭が頑張っても、そこまでの徹底した
収奪はできなかった。
毎年超豊作なら別だが、そうなると米の買い取り価格も下がるよね?
いかに耕作している下人や百姓をただ同然で動員することができるとしても、
その連中が田畑に出れなくなると知行地の生産能力が落ちちゃう。

逆に銭で300貫もらえれば、田畑の管理も不要で、豊作凶作に関わらず、
一定の収入が得られて、家之子・郎党を扶養することができるんだから
はるかに恵まれてしまう。
そういう恵まれた状況に置かれた侍に対して、「ああ、君は実物の知行地を
持ってないから、銭300貫=知行300石相当の負担でいいよ〜」と言ってくれる
140さんみたいな気のいいお大名に仕えることができた侍はさぞかし財産を
溜め込むことができただろうね。
もっとも、手柄を立てて更なる加増を狙う侍なら、知行300石相当の軍役よりも
はるかに多い家之子・郎党を養い、せっせと働くだろうけど。

貴君が、米を売ることで得られた現金で、同量の米を買うことは不可能と
言っているのと矛盾しないかね?

142 :人間七七四年:2008/02/07(木) 06:23:22 ID:+Wy4T8ek
あの〜 話しの前提条件が、逆だから〜
(相場や税率の関係で 5石→一貫 なんて所もあるだろう〜し。)
つまり〜 一貫の収入が得られる知行地が石高で約三石としてのお話です。
貫高制は、収入に見合った軍役をお金に換算して義務づけるから〜
同じ300貫なら、軍役も同じなので〜 ごまかしもきく知行地からの収入の方が〜 飢饉にでもならない限り有利になると思います。
今より昔の方が生活にしめる食費の割合もたかそうだし〜
ただ、得した分、自分の知行地を管理しないといけないんだけど〜


前田慶次の馬について
昔、読んだ話しで余り覚えてないんだけど〜
どっかの大名が、松風(たぶん馬の名前はこれで合ってると思う)を譲って欲しいと言った時、慶次が家中に乗りこなせる侍がいないからと言い断ったんだ。
それで試したところ、やっぱり乗りこなせない。
家中の者の言い分によると手綱が付いて無いから…とのこと。
そこで慶次は、手綱無しで乗り回して見せつけた・・という話。

少し解説すれば、馬に対しての命令は手綱でするのが中心で、一部の流派のみが、(戦闘時に両手をつかえるようにするため、)声や足など本来、補助的な方法のみで、馬を乗りこなす方法を知っていたってこと。
訓練次第で手綱無しでも、馬は命令に従うことを知っていたと言った方が正確かも〜
乗りこなせると言っても、普段は〜と言うか、普通は手綱を付けて有るんだけど〜
慶次の場合、歌舞いて付けなかったのか?
案外、浪人暮らしで、お金が足らなかったのかもね!

143 :人間七七四年:2008/03/05(水) 12:10:22 ID:tAKM1fQg
漫画では、松風と約束したので手綱を付けていないそうだ。

144 :名無し三等兵:2008/03/05(水) 15:17:51 ID:llimaSZ0
>>143
ソースが漫画ですかw

145 :人間七七四年:2008/03/05(水) 17:03:26 ID:MqC5jy6M
>>137
日本馬術も足が中心だよ。日本に古くからある倭鐙や倭鞍といった
日本独自の馬具や乗り方スタイルの特性上どうしても足を使わざる
負えないから。
例えば、西洋乗馬は内股スタイルで馬を挟む形だけど日本馬術は
極端に言うとガニマタスタイルかつ少し腰を浮かす形だから
足全体に力を入れないとすぐ落馬する。
そして、車のペダルみたく鐙の踏み方で止まる加速するという操作を
行うから足全体を使う羽目になるよ。
でも、慣れてしまうと日本馬術や和式馬具の方がかなり楽だよ。

146 :人間七七四年:2008/03/07(金) 00:50:38 ID:KlJEx/hu
>>144
というより
漫画の作者が考えた手綱のついてない理由だね

>>143
読んだのはだいぶ昔だが、「花の慶次」では、慶次が右と思ったら右、左と思ったら左に曲がる現実には有り得ないテレパシー能力があるとんでもない馬だった。

「だがそれがいい!」





p,s 花の慶次を読んでいる人しか理解出来ないので、読んでない人は最後の一行を無視して下さい。

147 :人間七七四年:2008/03/09(日) 02:22:28 ID:Uxo+Fbho
馬術は日本も西洋も下半身や体幹の筋力が重要なのはどこも一緒だと思うけどな
特に落馬しないように股関節の内転筋とか腰周りの筋力かな
体幹(腹筋群、背筋群)の筋力も重要なのも馬術に無知な者にも容易に想像がつく
まあ実際の細かい足の使い方などには違いがあるのか知らないけれど
西洋の乗馬は足をあまり使わないようなイメージのレスは違和感を感じるな

>>146
きっと松風はサイコミュを搭載してて、慶次はニュータイプだったんだよ

148 :人間七七四年:2008/03/10(月) 21:14:52 ID:kvpNmd+7
>>148 
というか…知らない人は本当に知らないもんだぞ。 
操作は全て手綱ないさ鞭で鐙はただの足置きと思ってたり手綱さえしっかり持っていれば 
落馬しないと思ってたりする人だって普通にいるよ。 
だから手綱の引っ張りすぎで馬が後退して落馬パターンも実際にある。 
多分レス内で使っている言葉からしてあなたはそれなりの鞍数なんだろうけど 
乗馬クラブに通うぐらいの人とそうでない人を同じ線上で 
見てしまうのはいかがと思う。

149 :人間七七四年:2008/03/10(月) 21:33:17 ID:kvpNmd+7
って自己レスしてた…orz 
>>148>>147の間違いです 
 
>>146 
へぇ〜和式を(も?)やってるんだ。 
ところで和鞍って何で便器みたいな形で重いのだ? 
馬の負担考えたらもう少し軽くてもいいような気もするんだが…。

150 :人間七七四年:2008/03/11(火) 14:57:19 ID:pQQei/WN
>>1
ゆとり乙

武田の騎馬って主に輸送や移動で活躍してた訳でモンゴルとか西洋の騎馬軍団とは違う。
騎馬隊の割合も北条より低い。

151 :人間七七四年:2008/03/12(水) 03:30:29 ID:VVrTliDm
漫画とは言え花の慶次は松風と慶次みたいに約束で手綱をつけないなどと漫画らしい描写をする一方で
合戦中に鐙をなくした武将が自分と互角に戦った事を賞賛するというような場面もあったりして
描写のメリハリが上手かったな。

152 :人間七七四年:2008/03/13(木) 06:58:45 ID:6nWP+fEn
>>150
>武田の騎馬って主に輸送や移動で活躍してた訳でモンゴルとか西洋の騎馬軍団とは違う。

主に輸送や移動で活躍してのはモンゴルとか西洋の騎馬軍団も同じ、むしろ移動の距離の関係で向こうの方が上。


>騎馬隊の割合も北条より低い。

義務付けられた最低の騎馬率が多いだけ、実際の騎馬率は、はっきりしない。
馬の数は甲斐,信濃の方が多いとされている。

153 :人間七七四年:2008/03/13(木) 19:15:52 ID:UlbCqTsY
>>152
>義務付けられた最低の騎馬率が多いだけ、実際の騎馬率は、はっきりしない。
>馬の数は甲斐,信濃の方が多いとされている。

史料を提示せよ

154 :人間七七四年:2008/03/14(金) 05:37:39 ID:iY5hXgPk
北条はなど軍役の資料は残っているが、実際の戦場に手柄を立てたければそれ以上連れて行くし。
逆にそちらの方が資料を提示してもらいたい。
頼まれなくても勝手に推参する奴も居るし実際の数は誰にも分からないはず。
本来、歩兵の奴が馬を連れているはずがないと言うなら山内の話なんか大河ドラマにもなったが?信長公記にも載っていたはず。

馬の数については前の方にも書いた人がいるが…
延喜式辺りから読んでいったらいい。

155 :人間七七四年:2008/03/14(金) 06:52:46 ID:ShQvZ+Z/
何百頭の馬の群れが凄い勢いで突っ込んで来たのに巻き込まれたと考えてみ?
死ぬべ。普通に。

騎兵隊を止めるための長槍歩兵部隊が整然と行動しなければ止めるのは不可能だべ。
鉄砲はとりあえずナシね。

そういう感じで騎馬軍団てのを編成して運用してたのかねえ・・・

156 :人間七七四年:2008/03/14(金) 07:41:34 ID:1IFzdq4/
>>155
当時の日本の馬はポニーをちょっと大きくした程度。

157 :人間七七四年:2008/03/14(金) 07:42:12 ID:YeQtDie1
>>154
武田にも軍役の史料は残っている。それで両者の比較がされている。
武田の武装に関しては、北条・上杉より歩弓と歩鉄砲を重視している点がある。これらについては馬上への転換は考えられない。
武田の歩槍については持槍(2間半)と長柄槍(3間)の長さが定められてる。槍は北条より長い。
歩兵でも甲・具足などを着していた点において、他家と違う武田家の強みがあるのかも。

延喜式に牧の名は載るが、正確な馬の数までは解らない。
馬の質ならまずは陸奥、それから常陸と下野、次いで信濃と出羽。その次のグループに相模や甲斐など。
低評価は畿内、次いで佐渡、壱岐と対馬。
平安初期の延喜式で解るのはこれら。
延喜式以降に設定されたので小野牧の記載は無いが、武蔵国小野牧は規模が大きい。

158 :人間七七四年:2008/03/14(金) 07:54:14 ID:YeQtDie1
ああ、それから150のレスは俺じゃない。
武田も馬上に長けた戦国武士だろう。

159 :人間七七四年:2008/03/14(金) 09:41:16 ID:/i8xVQv9
>>156
ポニーより軽くて遅いアメフト兄貴のタックルでも大変なことになるが?

160 :人間七七四年:2008/03/14(金) 11:26:05 ID:EWxM/1Ew
武田屋敷跡から出土した、馬の骨みたけど、サラブレッドよりは小さいが、驚いたのは、その骨格の太さ。スピードはないが、馬力がある、重戦車みたいな。人が乗り、10人くらいで向かってきたら、相当怖いよ。車や戦車もなない、あの時代の人にとっては大きくて怖いよ

161 :人間七七四年:2008/03/14(金) 12:00:50 ID:oZLnybrh
歩兵隊同士の戦闘ならば、陣形を整えて戦うことは非常に重要だ。
無秩序にバラバラに動いては人数相応の戦闘力は発揮できない。
そこで互いの陣形を乱そうと虚実の駆け引きがあるわけだが。

弓隊をうまく使うとか、騎馬隊を突っ込ませて陣形を乱すとか。
色々とやるのは当然の戦法だな。
武田が騎馬で有名なのは、騎兵隊の運用が上手かったからと考えるのが普通では無いのかね。

小柄な在来種の馬の群れなら何百頭と暴走してるのに巻き込まれても平気だと豪語する人は、
是非、実際に馬の群れに立ち向かってみて頂きたいw

162 :人間七七四年:2008/03/14(金) 12:46:13 ID:0Y7JYnC9
『騎馬で有名な事』自体が当時の評価として存在していたかどうか
疑わしい。甲信は馬の山地ではあったけれど。

163 :人間七七四年:2008/03/14(金) 12:53:54 ID:iY5hXgPk
>>157
弓隊→騎射隊 鉄砲隊→騎馬鉄砲隊 なんて言うのは冗談として
俺も実は、両者の軍役や甲斐信濃の山岳を主戦場にする武田に対し関東平野を主戦場にする北条の方が騎馬率は高いだろうと思っている
又、戦略レベルの移動の速さから馬を荷物運びに使った可能性も認めている
だが、>>150のレスは認める気はしない

164 :人間七七四年:2008/03/14(金) 13:04:18 ID:tLllHQF7
逆に山が多いから大量の馬も必要だったんじゃなかろか
まあ関東は野良馬いるくらいなので間違いなく多いだろうけど

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