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武田騎馬軍団(笑

64 :名無し三等兵:2008/01/01(火) 08:09:41 ID:FJx3gkKr
>>62
俺、これまでに「馬に機動力がないってことは馬に乗った伝令もいない」とか、
「人は重装備をしても機動力が落ちない」って言ってる?

いい?
重装備の武者が走るよりも、馬に乗る方がいくらかでも早い。
普通の人が普通に考えれば、当たり前のことながら疲労度は少ない。
(馬に慣れてなくて、却って疲れたとかいうのはなしの方向で)
その分、しっかり働ける!

しかし、近代騎兵に要求されたように「突撃速度」を重武装の武者を乗せた
当時の馬が発揮するのは不可能って言ってるだけ。
重い荷物(騎馬武者)を乗せても長距離歩けるということと、そんな状態でも
軽やかに高速で走ることができるというのは別の次元。 you see?

いまはサラブレッドにペラペラの軽い鎧や竹光に銀紙貼った刀差した武者モドキを
乗せて、撮影用にちょこちょこっと走ってるだけ。
当時の日本で本物の武者を乗せた当時の馬が凹凸も障害もあり、敵兵もおり、矢玉の
飛んでくる当時の戦場で、騎馬武者が騎兵集団で突撃できるような状況じゃなかった。
そう言ってるだけ。

物理の法則じゃないけど、突撃ってのには、重量と速度が必要←ここ重要!
重量ってのには、頭数も十分勘案するように。
1人とか1騎で突っ込んでくるだけならば、大勢で包囲してなぶり殺し。
本田忠勝とか、井伊直政とかの超人は別だろうけどw

そして、馬に乗れる=それなりの身分という武士にとって1番大切な体面や
誇りということもよくよく考えるように。 使番にはこの要素「も」あるわけで。
但し、実際の戦場では、指揮官以外の武者は下馬して戦闘に突入するのが基本。
だから、徳川将軍の鷹狩では、書院番とか小姓組(共に役高300俵を頂いている)
家来からは殿様と呼ばれている立派な直参旗本の番士が、狩場では徒歩になって
勢子の役を勤めているわけですよ。あれは半分軍事演習だから。
そういうことで、戦場では馬の口取という奉公人が後方で追撃や退却で馬が
必要になったときに、備えて待機してくれている。

あと、この時代、百石以上の知行をもらっておきながら、槍持ちも召抱えずに
自分で槍を持って戦場に行くような「みっともない」侍はまずいない。
絶対にいないとか言うと、またぞろ「槍持ちが死んだり逃げたりしたらどうなる?」
とか言われかねないもんなぁ。

時代考証な適当な時代劇・・・予算のせいもあるんだけどね・・・では、享保以降
役高3000石の高級官僚である町奉行が立派な行列も組まず簡素な供だけで登城。
規定に反することなので、処罰されちゃうよ。
だから、江戸時代中期以降には1日とか半日だけのレンタル侍がいて、少しでも
経費を圧縮したい大名は口入屋を通じて、登城用とかに使っていた。
おっと、お大名も町奉行もお城の中に入ると供連れ減らさなきゃいけないけどね。
そのくせ、悪徳代官の屋敷に正義の味方が乗り込んだときに、その悪代官が
「曲者じゃ、出会え!」と叫ぶととんでもない数の侍が出てきたりする(笑)
それも用心棒の浪人なんかじゃなくって、そこの家の家士。
夜は代官所に勤務している(幕府に雇われた)侍・・・手付・手代・・・は宿直の人を
別にすれば官舎や自宅に戻ってるからね。

戦国時代どころか、明治のはじめでもサラブレッドみたいな立派な馬はほとんど
いなかったし(欧州から連れてきたのとか、それを育てていたのは別にしてね)。
だから(武者に比べれば軽い騎兵を乗せるにせよ)日本陸軍は馬の品種改良に取り組んだ。

斥候任務で潜入するときだとか、臨戦態勢に突入した時点であれば別だけど。
おっと、江戸中期以降に生活が苦しくなった下級武士が家来を召し連れずに
単身で歩くようになったのは別にしてね。


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