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武田騎馬軍団(笑

123 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 01:02:27 ID:5brU3zRw
>>122
1.前田利家は次男坊について。
実は利久っていう兄貴がいた。
でも利家が信長の命令で前田家を家督相続した際、兄貴廃嫡。
前田慶次は利久の子供。(利久の奥さんの連れ子説もある)

2.お供について
それなりの身分の武家はそれなりの家来を連れて、出陣するのは
もちろんだが、登城や外出時にもそれなりの家来を連れて歩く。
例えば花見に行くときでさえも馬に乗り、槍を立てて出かける。

3.貫高・石高換算方法
貫高を石高に換算するのには、後北条家を参考にしてみた。
比較的支配制度が整っていた北条家では貫高制をとっていたが、
その際に知行は田1反=500文 畑1反=165文と換算。

で、江戸初期は田1反(=300歩 1歩=6尺3寸四方)籾3石、
玄米にして1石5斗取れるのが上田で検地・課税時の標準。
もちろん全てが水田でしかも上田であるはずがないが、陸稲や雑穀、
野菜も米に換算してこんなものになった。
(江戸幕府は関東が本拠地なので北条方式が比較的無理なく使える)
厳密に言い出すと戦国時代よりは農機具の改良やら灌漑施設もいいし、
戦国時代は度量衡も全国で統一されていなかったけど。
但し、秀吉の全国検地は、従来の1反=360歩 1歩=6尺四方と
比べると面積が1割近く狭くなってるので概ね相殺可能と判断。
そこで知行1貫≒田2反≒標準生産高米換算で3石と想定。
従って知行2450貫に3石をかけてやると約7300石。
秀吉以前の名主職・作職・地頭職とそれ以降の地頭(領主)と農民の
取り分の相違をどう考えているかなどということを言い出すと、
ややこしくなるのでそのあたりでとどめておいた。

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