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武田騎馬軍団(笑

1 :人間七七四年:2007/12/06(木) 00:55:39 ID:TmHjCAPv
サラブレットクラスの馬にまたがり、騎馬用兵で
敵陣に切り込み、三方が原では徳川軍を蹴散らしたものの
織田の鉄砲の前にあとかたもなく一網打尽にバタバタと倒されていった

↑とまさに神or聖人君主の如く、普通の漫画や小説、
はたまた史実の如く語られる武田信玄及び、武田騎馬軍団を
馬鹿にしつつ、ちゃんとした目線で正当な評価をくだしていきましょう

2 :人間七七四年:2007/12/06(木) 01:00:21 ID:TmHjCAPv
史実のように歴史をかじったパンピーの長篠と武田勝頼の認識

1万5千の兵を率いて父の跡を受け継いだ武田勝頼は再度上洛を
始めるが、長篠にて(長篠城の記述はいっさいない)鉄砲三千丁をもった
織田軍3万7千が立ちはだかり。武田軍は一気に攻め込むが
織田軍の三段撃ちの連射の前に次々と武田軍の将が戦死。
織田・徳川軍は無傷で、武田軍はほぼ全滅に近い状態で
武田勝頼は領国へと逃げ帰る。

3 :人間七七四年:2007/12/06(木) 06:11:35 ID:LIxfQxqv
ほうじょうちゅう(笑)

4 :人間七七四年:2007/12/06(木) 13:12:12 ID:GvbXFhQi
騎馬戦がメインの西洋の騎士でも、足が速いだけが取り得のサラブレット系大型馬に乗るのはよほどの貧乏騎士だけ。
重装備の鎧武者を乗せて全力疾走なんて!
敵陣にたどり着く前にへたをしたらダウンしそう。

5 :人間七七四年:2007/12/06(木) 14:04:58 ID:t7AAwf7K
今まで騎馬軍団の真否など考えもしなかった連中が
本一冊読んだぐらいで得意気に騎馬武者の存在否定始めるのだから面白いよなw

6 :人間七七四年:2007/12/06(木) 14:48:38 ID:Ylqj12xk
山梨に住んでるとわかるが山ばっかで平地少ないし土地も狭い
精強な軍馬を育てる牧場をつくるスペースがあったとは思えない

7 :人間七七四年:2007/12/06(木) 16:48:13 ID:bkDReBFn
              .__
              |風|
              |林|
              |火|    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              |山|    | ヤタ!武田騎馬軍団が上洛だ!!
      _∧ .∧(oノヘ| ̄     <
     (_・ |/(゚Д゚ )|\     | お前等お館様にひれ伏せ!クソ共が!
  <━━||\Ю ⊂)_|√ヽ     \___________
       (  ̄ ~∪ )^)ノ ;;;;⌒);;⌒)
       //\//  \ ≡≡ ;;;;⌒);;⌒)
      '~  ~'~    '~      (´⌒(´⌒;;
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;;



【御旗楯無】甲斐のひき逃げ軍団逮捕【御照覧あれ】

1 名前: 足軽名無しさん 72/04/12 01:30
遠江三方ヶ原で1571年12月、騎馬隊の突撃を止めようとした尾張の平手汎秀さんがひき逃げされ死亡した事件で、
織田家捜査一課は、強盗殺人容疑で騎馬隊を指揮していた甲斐の戦国大名、武田晴信容疑者を逮捕した。

平手さんは、織田家の陣地で友人と話をしていたところ、数千人の騎馬軍団が本陣を奇襲するのを目撃。
騎馬軍団を止めようとして前に立ちふさがったが、スピードを上げた騎馬にはねられた。

目撃情報が少なく捜査は難航。
織田家は平手さんが結婚資金としてためていた200貫を懸賞金に充て、情報提供を呼び掛けていた。


8 :人間七七四年:2007/12/06(木) 17:12:23 ID:bIPstjgh
>>6
牧というのは多くの場合山の斜面を利用して作るものだよ。

9 :人間七七四年:2007/12/06(木) 18:54:06 ID:Ylqj12xk
そりゃしらんかった

10 :人間七七四年:2007/12/12(水) 05:52:33 ID:Wv5odqDu
武田ホースレーシングクラブは戦国の暴走族
走りだしたら止まらない

11 :人間七七四年:2007/12/12(水) 07:35:32 ID:01U9p3w3
騎馬に乗って戦う武将は創作上姿。
馬を刺されたら落馬して大怪我するじゃん

12 :人間七七四年:2007/12/12(水) 14:48:06 ID:B1phr8Sz
そこで連環馬ですよ

13 :人間七七四年:2007/12/12(水) 19:32:21 ID:31KO6J3i
ポニーの騎馬軍団じゃ様にならないだろ?サラブレットだったってことにしといてやろうぜ

14 :人間七七四年:2007/12/12(水) 19:39:29 ID:Osy+2jmT
どうせなら北海道で岩引っ張ってるデカイ奴で頼む

15 :人間七七四年:2007/12/14(金) 08:10:40 ID:eUfXpHn8
どさん子馬に一票。
乱戦の時に小回りのきく小型の馬を選んだ騎士も多いが、パワー優先で超大型の馬を好んだ騎士も多い。

16 :人間七七四年:2007/12/14(金) 11:15:18 ID:MGdMFOd1
>>7はもっと評価されてもいい。

17 :人間七七四年:2007/12/14(金) 14:25:43 ID:dU83REl9


18 :人間七七四年:2007/12/14(金) 15:07:21 ID://0W6nGH
日本の在来馬は体高120センチくらいでポニーと大差ないが、似たような馬で
モンゴル騎馬軍団が世界制覇してるから、馬鹿にしたもんじゃないでしょ。

サラブレットと比較してるのがアホらしい。
サラブレットなんてガラスの脚すぎて、小石に躓いたくらいで腱を傷めるくらい
貧弱なんだが。 日本の在来馬はタフそうだぞ。

19 :人間七七四年:2007/12/14(金) 15:27:17 ID:gNdIOrD8
そもそも平原がほとんどない日本では騎馬隊を運用する場所がない。
しかも武田の騎馬率は平均の11%を下回る9%程度。
戦国最強の騎馬隊なんて幻想でしかない。

20 :人間七七四年:2007/12/14(金) 15:28:17 ID:20a9Xb4U
身長180くらいあると両足が地面に届くそうだが、計算が合わない。
相当幅広なのか?

21 :人間七七四年:2007/12/14(金) 15:41:29 ID://0W6nGH
>>19
ただ、武田領の甲斐・信濃は全国で4つしかない勅旨牧とかいう、毎年都に直々に
馬を送る生産地だったらしいから、全国でも有数の良馬の産地だったみたいだな。

山岳での輸送とか行軍にも対応できるような馬を、武田家がかなりの数保有していた
可能性はある。 まあ山岳地方ゆえに数は少なかったかもしらんけど。
北条とか保有数多いよな。 
>>20
モンゴル騎馬軍団の映画とか、たいてい兵の脚は地面につきそうになってるよ。
でもメチャメチャタフそう。 山岳だろうと河だろうと砂漠だろうと、余裕で超えて
いったらしいが、日本の馬もそういう方面での強さタフさがあったのかもしれん。
現代のイメージだとサラブレットみたいな馬で有機的な突撃を思い浮かべるけど
そういうのとは違うかもな。 そういうのは欧州系じゃね?
アレクサンドロス以降、騎兵の有機的活用とかいうイメージが沸く。


22 :人間七七四年:2007/12/14(金) 17:17:16 ID:EyjAiEuJ
騎馬軍団いてもおかしくないでしょ、足軽が主力になる前は
騎馬から弓でうつのが主力ナタ高い方だったし

23 :人間七七四年:2007/12/14(金) 23:24:04 ID:ncRciDVA
勅旨牧は甲斐(3ヶ所)・信濃(16ヶ所)・上野(9ヶ所)・武蔵(4ヶ所)の四カ国にある。(wikiより抜書き)
ただし、献上する匹数から甲斐は他と比べてひとつひとつの牧が大規模だったことがわかる。
これらの牧は基本的に山の斜面に作るものなので、それゆえにこれらの山岳地方に良牧がある。
大陸であっても満州族は山の斜面を利用するので、沿海州から直接の馬技術の影響を指摘する意見もある。
平野部はかえって沼沢地ばかりで馬は使いにくかっただろう。
信濃では滋野氏(真田はこの一族を称す)が望月牧によって成長、
甲斐では甲斐源氏の祖で武田信義の父、源清光が逸見牧を根拠とし、その子が逸見氏へ、
その分流が小笠原牧を握り小笠原氏へ、武蔵では秩父牧から秩父氏、阿久原牧から児玉党が出た。

24 :人間七七四年:2007/12/15(土) 00:36:56 ID:Mp367J5X
ごめんなさい。質問です。
特に信玄派でも信長派でもないんですけど信玄がなんで軍神なんていわれているのかさっぱり分かりません。

信玄はたかだか150万石くらいを弱い主従関係でようやく保ってたんでしょ?
最後に織田・徳川への宣戦布告は武田家を滅ぼす原因になったし。
三方が原合戦は三倍の軍勢で結局、家康を殺せなかったし。せめて戦闘員の本多忠勝の首くらい上げろよといいたいし。

やっぱ江戸時代の影響が大きく、過大評価されすぎな気がします。



25 :人間七七四年:2007/12/15(土) 03:24:02 ID:9zE6gvT9
自己解決してるじゃん

26 :人間七七四年:2007/12/15(土) 21:33:59 ID:VTaz4T1N
信玄を軍神なんて読んでるのは見たことがないんだが。
何か赤表紙の本なら闘神とか書いていたっけな。

27 :人間七七四年:2007/12/16(日) 13:58:00 ID:KN2XKdlR
いまどき騎馬軍団捏造説を信じてる馬鹿ってまだいたんだな

28 :人間七七四年:2007/12/16(日) 20:30:51 ID:CRENIEM5
そもそも平原がほとんどない日本では騎馬隊を運用する場所がない。
↑サラブレッドじゃ無理だね元々そういう環境に適した馬でないと。


しかも武田の騎馬率は平均の11%を下回る9%程度。
↑領主の資料だけから計算してない?
馬の多い地方なら個人で持っているし。坂東武者の家柄多い地方なら、そういう家はない方がおかしい。
武田は両方に該当する。

戦国最強の騎馬隊なんて幻想でしかない。
↑初めて同意する。
騎馬隊自体のイメージが違うみたいだが。
馬の方は奥州の方が上だったみたいだし、鎌倉武士伝統の騎馬戦術は、楠木正成以来最強ではなくなっている。
だいたい、格下の相手にあれだけ負けて最強は無理が有る。

29 :人間七七四年:2007/12/16(日) 23:21:23 ID:RnrSK93w
奥州の馬が良くても、扱う奥州人は微妙

30 :人間七七四年:2007/12/18(火) 04:06:34 ID:JWY2gF8T
>>24
武田軍に完膚なきまで倒された徳川家康が幕府を作ったから、
つまり恥を隠すためあえて誇張してマンセーした。
それはゆくゆく太平洋戦争等にも影響を
(ちなみに太平洋戦争において、武田=日本軍、織田=米軍で
ミッドウェー海戦=長篠とあてはめると意外にしっくりくる)


結局、いくさでモノを言うのは経済力、上杉謙信が軍神と誇張されてるけど
事実彼を支えたのは佐渡金山や越後の豊かな土地で。
織田なんてそれこそ、金が湯水のように湧き出てくる。
比較をすれば織田は2・3万の兵力の軍事行動が毎年できてな
おかつ貯金もできるのに対して、
武田は2・3万の軍事行動は2年に1回にしないと破綻する
それくらい経済力が違った。(長篠直前の勝頼はそれこそ
家臣の支持を高めるために必要以上に軍事行動をしていた。)

31 :人間七七四年:2007/12/18(火) 10:52:04 ID:dnK+Qi9p
野暮ながら突っ込みいれると、佐渡金山とかは謙信の時代じゃなくて、もっと後。
越後は土地が豊かだったというけれど、永禄年間に入るまでは財政破綻ぎりぎりだった。
それを立て直したのが謙信。どこからともなく湧き出る金を好き勝手に使っていたわけではない。
彼の遠征のほとんど全てが越後の交易路を保護するためだったと見ることも出来る。
北陸、北信、関東、すべてそう。他大名を占領するよりも彼らの領する地との紛争を廃し、
商人や交易品の往来を活発化させることの方が利益が大きかった。
信玄は敵地を略奪放火で破壊しつくして占領するばかり。周辺諸国に警戒され、
塩止めまでされる始末。そりゃ軍費も枯渇しますわな。

少し冗談交じりに言えば、上杉謙信は軍神ではなく商神としてあがめられるべきだと思う。
義理堅く信用第一、あらゆる手を講じて不況脱却、公益と私益の一体化を志向。
それでいて自分は禁欲的な生活w

32 :人間七七四年:2007/12/18(火) 13:17:00 ID:rL9WKQ18
>>30
>それはゆくゆく太平洋戦争等にも影響を

詳しく。何がどうなったらそういうことになるんだ?

33 :人間七七四年:2007/12/18(火) 18:17:58 ID:sipr3SpD
経済力だけで戦争に勝てたらいいよね
でもそれで滅んだ国も結構あるよな

34 :人間七七四年:2007/12/19(水) 01:04:00 ID:Yx1riaa0
>>33
少なくとも信長や謙信は経済力や内政の充実、流通の充実等の
上に成り立ってたからいくさができた。
だって武田信玄もいってるじゃん、”戦う前に勝利を決めろ。槍や弓を合わせるは
事後作業にすぎない”って。

腹が減ってはいくさはできずですよ。信長にしても侵略する場所は、
経済的に裕福、商業の流通の見込みのある場所ばっかりだし。
(長篠の戦いまで)武田をずっと無視してたのは、侵略しても何の益もない場所で。
朝倉・浅井・六角のいた越前・近江・若狭の方が多少のリスクを負っても
奪う価値がある場所とみてたわけだし。

35 :人間七七四年:2007/12/19(水) 01:14:00 ID:Yx1riaa0
>>32
今もだが、武田家の家訓や風林火山を崇めてる信者がいるけど。
人は堀〜に関してはよく考えたら甲斐の国が貧困だからみんな
協力してやりましょうといういわば中小企業の生き残りの結束みたいな
事を言ってるし。風林火山なんてあれは兵法の極意というよりも
正しい弱いものいじめやりかたみたいなもん。

で明治政府〜太平洋戦争の流れは、富国強兵=いわゆる
侵略しつづけることでしか生きていけない武田家
みたいなもんじゃん。(内政を充実させようと当時の
政治家達は過度の侵略路線を止めようとしてたみたいだが。)

36 :人間七七四年:2007/12/19(水) 09:41:44 ID:iJcfWvIq
信玄が言う戦う前に云々は基本的に謀略の事でしょ?
信長の場合は統一思考だから過疎地発展地関係なく攻めない選択肢は無い

板違いだけど、とりあえず明治以降の日本も勉強しようね

37 :人間七七四年:2007/12/24(月) 01:48:09 ID:gvW/e1U/
実際のところ騎馬隊の実態てのはどんな感じだったの?

38 :人間七七四年:2007/12/24(月) 16:41:26 ID:WLl41oFy
>>37
長篠の戦いでは騎馬で突撃したって織田は言うけど
実際は馬なんか並べて走れる場所じゃないから
武将や主立った者だけが馬にのって
他は馬に荷物乗せて徒歩で突撃したよ。
織田は強いけどいちいち大げさに言うのがよくないね。
あとついでに三方原でも騎馬突撃はやらなかったよ。
あそこは広かったけど徒歩で攻めた。
あの時は徳川方と全方面で槍合わせをしたんだよ。
槍合わせってのはクソ長い長柄槍でぶったたき合うんだから
馬上でやるわけねえだろ。
それから俺らは崖には落ちてねえよ嘘付くな。

と高坂弾正は言ってるな。
この言い振りだと普段は騎馬での突撃もやってたようにも聞こえる。
騎馬武者の最大の弱点が長柄槍による槍ぶすまだから
三方原の時は警戒して降りたのかも。

39 :名無し三等兵:2007/12/25(火) 13:50:25 ID:psyl6a8j
>>38
別に鈴木厨じゃないけど、当時、騎兵という兵科はいないだろ?
あくまでも、「それなり以上の身分のある武士」が馬に乗っているだけ。
彼らのほとんどが土地所有者(中には米や銭で支給されていた者も
いるかもしれんが)で、戦国大名との本領安堵やら新恩給付など
権益保証=【御恩】に対する代償行為=【奉公】の中のひとつの
軍役という契約に従い、自分の家の子・郎党を引き連れて出陣する。
まさか、そんな馬乗りだけを集めて部隊を編成したとでも?
引き連れてきた家の子・郎党はどうなる?(上杉謙信の場合は別だけどさw)
馬に乗ってくるってことは、馬の世話をする「馬の口取」(別当ともいう)の
中間身分の奉公人が必要になるし、槍を持ってくれば「槍持」中間が必要。
もう少し身分が上がる=軍役が重くなってくれば(主人用の)弓や鉄砲を持って
歩く中間が必要になってくるし、主人を補佐する徒歩の侍だってお供に必要だ。
もちろん、兵糧やその他の道具を運ぶ小荷駄の小者も欠かせない。

馬に乗れる身分の侍が後のいわゆる上士・中士で、幕藩体制下のお目見以上。
近代軍制における将校相当の身分。
馬に乗れない者は徒歩で、これがお目見え以下の下士官相当になるわけ。
(江戸幕府の小十人組なんかは別格だけど)
その下が士分未満の足軽(卒⇒後の兵隊さん)で、以下、中間⇒小者・・・
【馬に乗った武者】は現代の戦車ではなく、兵員輸送車に載った歩兵に近い。
少人数でも行える伝令や物見(偵察)任務のような使い方は別段問題ないが、
家の子郎党抜きで「騎兵の突撃」ってのはできんだろ?
(もっとも、小荷駄とかの連中は戦場では、後方に下がっていることが多いが)

40 :人間七七四年:2007/12/25(火) 23:44:43 ID:xNcrDrvL
その論法だと洋の東西を問わず
騎士、武士の騎馬での突撃は存在しなかったことになってしまう。
ランスによる突撃で有名な西洋の騎士も
社会的ポジションなり世話係や小者が必要だった事情は全く同じわけで。

「一騎駆け」という言葉があり、それを軍令で禁じた例もあるくらいだから
少なくとも単騎で馬で突撃する奴は結構いたと考えた方が自然じゃなかろうか。

41 :名無し三等兵:2007/12/26(水) 08:43:15 ID:ndPOdDdS
>>40
だから、日本では純粋な「騎兵の突撃」ってものがなかったって言ってる。
騎馬+武者の突撃は敢えて否定しないけど、騎兵じゃないでしょ?
馬+武者=騎兵⇒戦車ではなく、馬+武者=兵員輸送車+歩兵。
馬は衝撃力を武器にする戦車ではなく、鎧兜を着た武者を運ぶための道具。
或いは、高い場所から部下や一族郎党を指揮するための場所を提供したり、
指揮官やそれなりの階級であることを現すための道具。

日本では一騎掛けの連中にしても、あくまで首を取るのが主たる目当て。
恩賞も感状も武勇の誉れも基本は首を取っていくらだから。
それもなるべく敵方の武将や勇士の首であることが望ましい。
下馬しなきゃ首は取れないでしょ?
単騎とか、ごくごく身内だけで駆け出す奴はいただろうけどね。

もっとも、近代騎兵も下馬戦闘を実施することは否定しない。
あと「騎兵が下馬して戦闘する場合、半分の兵が相方の馬と自分の馬を曳いて、
後方に下がるだろ?」って突っ込みは無しの方向でw

42 :人間七七四年:2007/12/26(水) 16:00:14 ID:EXNPWF8F
自転車乗りながら槍振り回すのとどっちが難しいかな

43 :名無し三等兵:2007/12/26(水) 21:12:49 ID:ndPOdDdS
>>40
戦車50両で編制された戦車大隊の兵隊さんは機甲(=戦車)科。
大隊長さんは機甲兵少佐。
主たる任務は対戦車戦闘と機動突破&機動防御。

装甲兵員輸送車50両で編制された機械化歩兵大隊の兵隊さんは歩兵科。
大隊長さんは歩兵少佐。
主たる任務は装甲車から下車しての陣地・要地の確保(占領&防衛)。
あくまで装甲車はより早く・より安全に所要地域まで歩兵を運ぶのが仕事。

もちろん、支援部隊もひっくるめての機甲科やら歩兵科なんだけどさ。
そのあたりを考えると、日本に騎兵隊が登場するのは幕末に幕府陸軍が
オランダ式なりフランス式を取り入れてから。

騎馬武者50騎・・・それも石高で各々の従者は異なる・・・を従える侍大将は、
部下の連中はあくまで下車(下馬)戦闘を実施するわけなんだからさ。
どう考えても歩兵大隊長の歩兵少佐だろ?

44 :人間七七四年:2007/12/27(木) 05:45:04 ID:lA5cTHtE
>>41
騎馬武者による突撃があったことには同意してるのなら
別に>38と意見が対立してるわけではないなじゃない?
>38にはどこにも「武田には騎兵という独立した兵科があった」なんて
書いてないんだし。

45 :名無し三等兵:2007/12/27(木) 08:47:47 ID:t7eaualb
>>44
「突撃」の意味が微妙に違うんですよ。

38サン、40サンの騎馬武者の突撃は乗馬戦闘することもあるんだろうけど、
基本はあくまで「武者が少しでも早く敵陣に乗り込むため」の手段。
(極端な話、もし地面が整地されていれば、ローラースケートでも
MTBでも一向に構わないんですよ。普通に走るより早いんだからwww)
そして、その騎馬武者が引き連れてきた一族・郎党からなる集団が
がっちりと周りを固めた状態なんでしょ?
どうみても歩兵の突撃だわな。騎馬武者はその指揮官でもあるわけだから。

私が言ってる突撃は馬(+騎馬武者)の重量やら速度も含めた衝撃力による
(そして集団による)敵陣突破を主たる目的とする突撃。
どう考えたって、戦国時代のお馬さんが鎧甲に身を固め、重武装した武者を
馬に乗せたまま「高速で」走り、そして戦闘をも実施したとは思えない。
そこまで馬の体格も良くないんだもん。物理的に不可能でしょ?

1騎あるいは少数の騎馬武者による「突撃」とやらで敵陣に開けることの
できる穴なんてたかが知れてますよね? 

46 :名無し三等兵:2007/12/27(木) 08:54:10 ID:t7eaualb
45の補足

すいません、ちょっと意味不明な書き方しちゃったな。
「武者が少しでも早く敵陣に乗り込むため」の手段って言うのは、
【重たい鎧甲を着た重武装の武者が自分の足でテクテク歩くよりは、
馬に乗って馬に走ってもらった方が多少は早く敵陣に乗り込める】と
いう意味です。


47 :人間七七四年:2007/12/28(金) 00:06:13 ID:66tbGZPq
>そこまで馬の体格も良くないんだもん。物理的に不可能でしょ?

騎馬武者の運用については別として、
当時は人もそこまで体格良くないから
当時の馬と人との体格比は
サラブレッドと現代人の体格比程度だし、
日本馬は足が丈夫で重さにはサラブレッドよりずっと耐えられるから、
馬の体格から無理だと結論するのは無理があるよ。

48 :名無し三等兵:2007/12/28(金) 07:01:45 ID:mYvtCxwD
>>47
日本人も小さくて軽かったけど、鎧兜に身を固め、
少なくとも大小2本差してますぜ。
あと槍やら旗やらも・・・

49 :人間七七四年:2007/12/28(金) 18:31:37 ID:ufro1NqB
>そこまで馬の体格も良くないんだもん。物理的に不可能でしょ?

どさんこ馬ぐぐるのだ
大きいものはラオウの馬クラスだ

50 :人間七七四年:2007/12/29(土) 04:06:09 ID:cfLmDRqN
>>48
フル装備でおおよそ20キロだから体重50キロと見ても合計70キロ程度。
当時の馬の背には荷駄が150キロまでは普通に積めたから
総重量70キロ弱の騎馬武者一人くらいなら乗せても
何も持たない人が全速力で走るくらいには充分走れるんじゃなかろうか。
母衣や旗指物は風をはらむので走ると軽くなるというから
ひょっとしてかなり速かったかもしれない。

>>49
どさんこ馬みたいな重種は戦国時代にはまだ日本にはいなかったはず。
日本馬はみんな肩高150センチくらいまで。
ばんえい競馬に出てる1トンもあるような巨大などさんこ馬は
ペルシュロンとかとの混血。
元々は西洋で重装備の騎士を乗せてた種だと言われてたりする。
どうでもいいけど重種は馬刺しにするとサラブレッドより美味しいらしい。

51 :人間七七四年:2007/12/29(土) 11:21:46 ID:lXzXiI1e
あの〜 サラブレッドって、背がひょろ長い、もやしみたいな、馬で、…
サラブレッドよりも、体格というか、ちからの弱い馬は、ポニーでも、よっぽど、小さな奴でないと、いないんですけど。
なんか…、根本的に、勘違いしてませんか?

52 :名無し三等兵:2007/12/29(土) 11:36:04 ID:+tpd+OO4
>>50
すごく重い荷物担いで歩くのと、
かなり重い武者載せて走るのとは
ちょっと違うような気が。

ちなみにサラブレッドのお肉は硬くなっちゃって
食べても美味しくないそうですねw

ああ、美味しい馬刺し食べたい・・・orz
今済んでるところはド田舎で美味い店が近くにないんでつ。

53 :人間七七四年:2007/12/29(土) 12:24:32 ID:0BLA7m5r
勝てないサラブレッドは普通に食用にまわされてる訳だが・・・

54 :人間七七四年:2007/12/29(土) 21:20:36 ID:cfLmDRqN
>>51
いわゆる日本馬は全て分類上は「ポニー」に入るんだ。
肩高148センチ以下は分類上は全て分類上はポニーだから
たとえばモンゴル軍が乗ってた馬たちもみんなポニーになる。
もちろん牧場で子どもを乗せてるような小さくて可愛いシェトランドポニーより
ずっと大きいけど。
シェトランドポニーは肩高90センチくらいしかなくて
頭を真っ直ぐ上げても成人男子より低い位だからね。

>>52
流鏑馬なんかにサラブレッド借り出して駆け足させる場合の
上に乗る人の重量限界(甲冑込み)は大体80キロくらいまでだから
サラブレッドよりは重量に強い日本馬なら
当時の平均的な体格の人間に完全武装させても
充分駆け足は出来るんじゃないかな。
>50での試算通りに騎馬武者一人70キロと推定すれば
駆け足は可能だと思う。

そもそも甲冑を付けた人は馬に乗れないと言い出したら
源平時代の騎馬武者の存在まで否定することになるけど
それは行きすぎだし。

55 :名無し三等兵:2007/12/29(土) 22:54:14 ID:+tpd+OO4
>>54
そりゃ、武者が鎧兜&両刀を手挟んでも馬には乗れるでしょう。
私もそれは否定していませんよ。
ただ、お馬さんが整地されていない戦場を高速で機動できたとは思えず・・・
騎兵が歩兵に優越するのは、「機動力」と「(人馬一体となった重量による)衝撃力」。
どう考えてもその当時の騎馬武者に機動力があったとは思えません。
ごくごく短距離ならともかくw
衝撃力にしても、一騎や数騎の騎馬武者&一族・郎党ではなく、集団になって
はじめて発生するわけで。

当時のお馬さんには、蹄鉄をつけていないので、蹄を保護するために藁で編んだ
沓(クツ)を履かせていました。
軍役でお馬さんをたくさん連れてこなきゃいけない高級武士には「沓箱持ち」という
お馬さんの沓をたくさん入れた箱を持つ係の中間だか小者が必要でした。
そんな足元で重い武者を高速で機動させていたとはとてもとても。

それにもし、「騎馬武者」だけが単騎突出してしまったら、徒歩の家来たちは?
指揮官というか、ご主人さまが1番肝心な場面でいなくなっちゃうわけですよ!?
戦場には原則出てこない輜重兵やら殿様のお世話係の連中はともかく、その他の
純粋な戦闘員たちはあとからノコノコ突撃ですか?
そうなると、人間の全力疾走に近い速度でしか機動できないでしょ?

56 :54:2007/12/30(日) 00:25:48 ID:dq0vAh32
ごめんなさい。
>>51の書き込みを読み間違えて、とんちんかんなレスつけた。
ぼんやりしてて
「サラブレッドより体格の貧弱な馬はポニーしかいない」
って読んじゃった。
「ポニーの中でもとくに小柄な奴しかいない」だったのね。
こちらの意見はそちらと完全に一致していて、争う余地はありません。
早とちりで反論するみたいなレスをつけてすみません。

57 :人間七七四年:2007/12/31(月) 00:55:15 ID:lHgISf0m
>>55
一族郎党のうち馬に乗ったもの数十〜数百が最初に突撃して
相手の陣立てを崩したところへ歩兵が突っ込めばいいだけじゃない。
相手との距離が10メートルくらいまで接近してから駆け足になれば
歩兵だってそんなに遅れることはないわけで。

っていうか馬に機動力がないってことは
馬に乗った伝令役も存在しなかったっていう主張?

58 :名無し三等兵:2007/12/31(月) 02:08:05 ID:AumjJDuz
>>57
<一族郎党のうち馬に乗ったもの数十〜数百が最初に突撃

1.近代騎兵じゃあるまいし、そんなたくさんの騎馬武者いませんよ。
天領&旗本領で800万石+大都市保有・貨幣鋳造権を握った最強最大の大名
徳川将軍家の主力決戦部隊である大番組は平番士50騎です。
泰平の世の中になってからずいぶん拡大しましたがそれでも12組のみです。
現代風に言えば、親衛騎兵大隊あたりの小姓組・書院番組(各平番士50騎)も
本丸と西の丸組をあわせても、各々10組しかありません。
(他に騎馬に乗る身分の小普請組の面々もいると言えばいるんですけどね)
それぐらい当時の騎兵は上士や中士ばかりですから、金(=知行)がかかるんです。
甲斐の武田家で数百騎の寄子を率いる侍大将は何人います?
泰平の慶安時代、5万石の大名の軍役は騎馬武者は70騎。しかし、このうち家老だとか、
番頭・組頭などの役についている面々を除くと、純然たる騎兵は50騎ほどです。

2.武田の主従はみんなドライ?
騎馬武者は敵前10mまで歩兵の家来たちが近寄るまで放置して突撃?
武士である以上、いかに功名をあげたいとは言え、(武田家の)主従の
結びつきってそんなに希薄? 主従は進退を共にするんでしょ?

3.長篠の合戦の絵を見たことあります?
かなり立派な身なりの武田軍の武者が徒歩で織田・徳川軍に向かっています。
どう見ても下士である徒歩侍が着けるような安い鎧兜には見えません。
兜を被っている武者がたくさんいますよね。
ええ、そうです。彼らは下馬した(騎馬)武者です。
まさか、その武者の馬が全て鉄砲に撃たれてしまってるんですか?
それとも馬は描くのが面倒なので省略?

<馬に乗った伝令役も存在しなかったっていう主張?
どこの家中にも使番という伝令将校が当時いました。
でも、短距離を全力疾走するのと中・長距離を駆けるのとは全く違います。
人間でも陸上選手が100mを10秒で走れるからって、800Mを80秒で走れます?
42195mを4220秒≒70分≒1時間10分で走れる選手なんかいませんよw
馬は人間よりも走ることは得意でしょうが、それでも伝令として走る場合と、
ごくごく短距離の突撃で走るのとでは条件が違います。
しかも、武者を乗せている=負荷がかかっているんですよ。

近代騎兵や現代の将校と、当時の騎馬武者は根本的に違うんです。

59 :名無し三等兵:2007/12/31(月) 02:47:07 ID:AumjJDuz
続き
近代騎兵も現代の将校も戦車兵も国庫からの俸給で生活するサラリーマンです。
徴兵がメインの兵隊さんたちはごく安いお給料ですけど、衣食住は国家丸抱えです。
もちろん、馬も武器も装備も国家からの貸与品です。(将校の軍服は自前)
自前で戦車とその消耗品を用意できる将校なんかまずいませんよねw

ところが、戦国の騎馬武者は本質的にサラリーマンじゃなくって、規模の
大きい小さいはありますが、いまで言う「自営業のオーナー社長」です。
平素は主に自分の農地経営を行います。(大身だと家来が代行してくれます)
主家のいろいろな役目を担当していることもありますが。

御恩と奉公というのは、あくまでも契約です。
江戸時代までの武家は熱い心と冷めた頭脳を持っていました。
主人の大名が気に入らないとか、バカだあるとか、給料に不満があれば
簡単に主人を変えちゃいます。
戦国の世ではしっかりした大将でなければ自分も滅ぼされますから。
「お前の所領を安堵する」とか、「新しく領地や給料を与える」という主君からの
経済的な給付に対して、「忠誠を誓い、命がけで働きます」という義務が奉公です。
その義務の中に【軍役】というものがあり、各々の身代に合わせた軍事力を提供し、
従軍・戦闘義務を果たさなければいけません。
もちろん、その軍事力は家来の給料も武器も馬も(原則として食料も)全額自腹です。
だから、しっかり働けばそれに応じた報酬がでます。
戦争請負業と言ってもいいかもしれませんね。

そんな彼らは家来(従属している農民兵もいるでしょうね)を連れて出陣します。
この家来たちにとっての主人は戦国大名ではなく騎馬武者です。
分国法や陣法には従わねばいけませんが、彼らに命令を下す権限を持っているのは
ご主人さまであるオーナー社長のみです。
本社の社長なんかの命令に従う義務も義理もありません。

60 :人間七七四年:2007/12/31(月) 07:40:29 ID:lHgISf0m
>どこの家中にも使番という伝令将校が当時いました。
>でも、短距離を全力疾走するのと中・長距離を駆けるのとは全く違います。
>人間でも陸上選手が100mを10秒で走れるからって、800Mを80秒で走れます?
>42195mを4220秒≒70分≒1時間10分で走れる選手なんかいませんよw
>馬は人間よりも走ることは得意でしょうが、それでも伝令として走る場合と、
>ごくごく短距離の突撃で走るのとでは条件が違います。
>しかも、武者を乗せている=負荷がかかっているんですよ。

今ひとつ言いたいことがはっきりしないけど
つまり負荷のかかった状態で長距離を走らなくては行けない使い番は
実際には存在しなかったって事か

61 :名無し三等兵:2007/12/31(月) 12:30:59 ID:AumjJDuz
>>60
突撃と呼べるほどの(全)速力で毎度毎度使番の馬が走ってるわけじゃ
ないってこと言ってるんですけどねw
例えば、馬の時速が(普通の人間だけだと)X`/時間だと仮定すれば、
当然、重装備の使番を乗せると(X-Y)`/時間に落ちちゃっている。
それでも、使番が徒歩で走るよりはいくらかは早いだろうってだけw

姿を隠してコッソリ潜入するとかならともかく、使番を拝命するほどの
身分がある武者に、「お前、徒歩で走って行け!」とは言えませんから。
第一、疲れるし。

62 :人間七七四年:2008/01/01(火) 00:29:09 ID:00t0g2Z2
>当然、重装備の使番を乗せると(X-Y)`/時間に落ちちゃっている。
>それでも、使番が徒歩で走るよりはいくらかは早いだろうってだけw

つまり人は重装備になっても機動力は落ちないのか
だったら馬使う意味全然ないな
なんで平安時代から戦国初期までずっと
メインが騎馬武者ばっかりだったんだろう

63 :名無し三等兵:2008/01/01(火) 07:56:22 ID:FJx3gkKr
>>62
俺、これまでに「馬に機動力がないってことは馬に乗った伝令もいない」とか、
「人は重装備をしても機動力が落ちない」って言ってる?

いい?
重装備の武者が走るよりも、馬に乗る方がいくらかでも早い。
普通の人が普通に考えれば、当たり前のことながら疲労度は少ない。
(馬に慣れてなくて、却って疲れたとかいうのはなしの方向で)
その分、しっかり働ける!

しかし、近代騎兵に要求されたように「突撃速度」を重武装の武者を乗せた
当時の馬が発揮するのは不可能って言ってるだけ。
重い荷物(騎馬武者)を乗せても長距離歩けるということと、そんな状態でも
軽やかに高速で走ることができるというのは別の次元。 you see?

サラブレッドにペラペラの軽い鎧や竹光に銀紙貼った刀差した武者モドキ乗せて、
撮影用にちょこちょこっと走るのと、当時の日本で本物の武者を乗せた当時の馬が
凹凸も障害もあり、敵兵もおり、矢玉の飛んでくる当時の戦場で、騎馬武者だけで
突撃できるような状況じゃなかった。

物理の法則じゃないけど、突撃ってのには、重量と速度が必要←ここ重要!
重量ってのには、頭数も十分勘案するように。
1人とか1騎で突っ込んでくるだけならば、大勢で包囲してなぶり殺し。
本田忠勝とか、井伊直政とかの超人は別だろうけどw

そして、馬に乗れる=それなりの身分という武士にとって1番大切な体面や
誇りということもよくよく考えるように。
但し、実際の戦場では、高級指揮官以外は下馬して戦闘に突入するのが基本。
だから、馬の口取という奉公人が後方で追撃や退却で馬が必要になったときに、
備えて待機してくれている。

あと、この時代、百石以上の知行をもらっておきながら、槍持ちも召抱えずに
自分で槍を持って戦場に行くようなみっともない侍はまずいない。
絶対にいないとか言うと、またぞろ「槍持ちが死んだり逃げたりしたらどうなる?」
とか言われかねないもんなぁ。

時代考証な適当な時代劇・・・予算のせいもあるんだけどね・・・では、享保以降
役高3000石の高級官僚である町奉行が立派な行列も組まず簡素な供だけで登城。
規定に反することなので、処罰されちゃうよ。
だから、江戸時代中期以降には1日とか半日だけのレンタル侍がいて、少しでも
経費を圧縮したい大名は口入屋を通じて、登城用とかに使っていた。
おっと、お大名も町奉行もお城の中に入ると供連れ減らさなきゃいけないけどね。
そのくせ、悪徳代官の屋敷に正義の味方が乗り込んだときに、その悪代官が
「曲者じゃ、出会え!」と叫ぶととんでもない数の侍が出てきたりする(笑)
それも用心棒の浪人なんかじゃなくって、そこの家の家士。
夜は代官所に勤務している(幕府に雇われた)侍・・・手付・手代・・・は宿直の人を
別にすれば官舎や自宅に戻ってるからね。

戦国時代どころか、明治のはじめでもサラブレッドみたいな立派な馬はほとんど
いなかったし(欧州から連れてきたのとか、それを育てていたのは別にしてね)。
だから日本陸軍は必死で馬の品種改良に取り組んだ。
ついでに、少なくとも騎馬に乗れる身分のおサムライさんが、槍持ちも連れずに
自分で槍を持って行軍していることはありえない。
斥候任務で潜入するときだとか、臨戦態勢に突入した時点であれば別だけど。
おっと、江戸中期以降に生活が苦しくなった下級武士が家来を召し連れずに
単身で歩くようになったのは別にしてね。
先に言っておこうw

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