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武田騎馬軍団(笑

1 :人間七七四年:2007/12/06(木) 00:55:39 ID:TmHjCAPv
サラブレットクラスの馬にまたがり、騎馬用兵で
敵陣に切り込み、三方が原では徳川軍を蹴散らしたものの
織田の鉄砲の前にあとかたもなく一網打尽にバタバタと倒されていった

↑とまさに神or聖人君主の如く、普通の漫画や小説、
はたまた史実の如く語られる武田信玄及び、武田騎馬軍団を
馬鹿にしつつ、ちゃんとした目線で正当な評価をくだしていきましょう

2 :人間七七四年:2007/12/06(木) 01:00:21 ID:TmHjCAPv
史実のように歴史をかじったパンピーの長篠と武田勝頼の認識

1万5千の兵を率いて父の跡を受け継いだ武田勝頼は再度上洛を
始めるが、長篠にて(長篠城の記述はいっさいない)鉄砲三千丁をもった
織田軍3万7千が立ちはだかり。武田軍は一気に攻め込むが
織田軍の三段撃ちの連射の前に次々と武田軍の将が戦死。
織田・徳川軍は無傷で、武田軍はほぼ全滅に近い状態で
武田勝頼は領国へと逃げ帰る。

3 :人間七七四年:2007/12/06(木) 06:11:35 ID:LIxfQxqv
ほうじょうちゅう(笑)

4 :人間七七四年:2007/12/06(木) 13:12:12 ID:GvbXFhQi
騎馬戦がメインの西洋の騎士でも、足が速いだけが取り得のサラブレット系大型馬に乗るのはよほどの貧乏騎士だけ。
重装備の鎧武者を乗せて全力疾走なんて!
敵陣にたどり着く前にへたをしたらダウンしそう。

5 :人間七七四年:2007/12/06(木) 14:04:58 ID:t7AAwf7K
今まで騎馬軍団の真否など考えもしなかった連中が
本一冊読んだぐらいで得意気に騎馬武者の存在否定始めるのだから面白いよなw

6 :人間七七四年:2007/12/06(木) 14:48:38 ID:Ylqj12xk
山梨に住んでるとわかるが山ばっかで平地少ないし土地も狭い
精強な軍馬を育てる牧場をつくるスペースがあったとは思えない

7 :人間七七四年:2007/12/06(木) 16:48:13 ID:bkDReBFn
              .__
              |風|
              |林|
              |火|    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              |山|    | ヤタ!武田騎馬軍団が上洛だ!!
      _∧ .∧(oノヘ| ̄     <
     (_・ |/(゚Д゚ )|\     | お前等お館様にひれ伏せ!クソ共が!
  <━━||\Ю ⊂)_|√ヽ     \___________
       (  ̄ ~∪ )^)ノ ;;;;⌒);;⌒)
       //\//  \ ≡≡ ;;;;⌒);;⌒)
      '~  ~'~    '~      (´⌒(´⌒;;
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;;



【御旗楯無】甲斐のひき逃げ軍団逮捕【御照覧あれ】

1 名前: 足軽名無しさん 72/04/12 01:30
遠江三方ヶ原で1571年12月、騎馬隊の突撃を止めようとした尾張の平手汎秀さんがひき逃げされ死亡した事件で、
織田家捜査一課は、強盗殺人容疑で騎馬隊を指揮していた甲斐の戦国大名、武田晴信容疑者を逮捕した。

平手さんは、織田家の陣地で友人と話をしていたところ、数千人の騎馬軍団が本陣を奇襲するのを目撃。
騎馬軍団を止めようとして前に立ちふさがったが、スピードを上げた騎馬にはねられた。

目撃情報が少なく捜査は難航。
織田家は平手さんが結婚資金としてためていた200貫を懸賞金に充て、情報提供を呼び掛けていた。


8 :人間七七四年:2007/12/06(木) 17:12:23 ID:bIPstjgh
>>6
牧というのは多くの場合山の斜面を利用して作るものだよ。

9 :人間七七四年:2007/12/06(木) 18:54:06 ID:Ylqj12xk
そりゃしらんかった

10 :人間七七四年:2007/12/12(水) 05:52:33 ID:Wv5odqDu
武田ホースレーシングクラブは戦国の暴走族
走りだしたら止まらない

11 :人間七七四年:2007/12/12(水) 07:35:32 ID:01U9p3w3
騎馬に乗って戦う武将は創作上姿。
馬を刺されたら落馬して大怪我するじゃん

12 :人間七七四年:2007/12/12(水) 14:48:06 ID:B1phr8Sz
そこで連環馬ですよ

13 :人間七七四年:2007/12/12(水) 19:32:21 ID:31KO6J3i
ポニーの騎馬軍団じゃ様にならないだろ?サラブレットだったってことにしといてやろうぜ

14 :人間七七四年:2007/12/12(水) 19:39:29 ID:Osy+2jmT
どうせなら北海道で岩引っ張ってるデカイ奴で頼む

15 :人間七七四年:2007/12/14(金) 08:10:40 ID:eUfXpHn8
どさん子馬に一票。
乱戦の時に小回りのきく小型の馬を選んだ騎士も多いが、パワー優先で超大型の馬を好んだ騎士も多い。

16 :人間七七四年:2007/12/14(金) 11:15:18 ID:MGdMFOd1
>>7はもっと評価されてもいい。

17 :人間七七四年:2007/12/14(金) 14:25:43 ID:dU83REl9


18 :人間七七四年:2007/12/14(金) 15:07:21 ID://0W6nGH
日本の在来馬は体高120センチくらいでポニーと大差ないが、似たような馬で
モンゴル騎馬軍団が世界制覇してるから、馬鹿にしたもんじゃないでしょ。

サラブレットと比較してるのがアホらしい。
サラブレットなんてガラスの脚すぎて、小石に躓いたくらいで腱を傷めるくらい
貧弱なんだが。 日本の在来馬はタフそうだぞ。

19 :人間七七四年:2007/12/14(金) 15:27:17 ID:gNdIOrD8
そもそも平原がほとんどない日本では騎馬隊を運用する場所がない。
しかも武田の騎馬率は平均の11%を下回る9%程度。
戦国最強の騎馬隊なんて幻想でしかない。

20 :人間七七四年:2007/12/14(金) 15:28:17 ID:20a9Xb4U
身長180くらいあると両足が地面に届くそうだが、計算が合わない。
相当幅広なのか?

21 :人間七七四年:2007/12/14(金) 15:41:29 ID://0W6nGH
>>19
ただ、武田領の甲斐・信濃は全国で4つしかない勅旨牧とかいう、毎年都に直々に
馬を送る生産地だったらしいから、全国でも有数の良馬の産地だったみたいだな。

山岳での輸送とか行軍にも対応できるような馬を、武田家がかなりの数保有していた
可能性はある。 まあ山岳地方ゆえに数は少なかったかもしらんけど。
北条とか保有数多いよな。 
>>20
モンゴル騎馬軍団の映画とか、たいてい兵の脚は地面につきそうになってるよ。
でもメチャメチャタフそう。 山岳だろうと河だろうと砂漠だろうと、余裕で超えて
いったらしいが、日本の馬もそういう方面での強さタフさがあったのかもしれん。
現代のイメージだとサラブレットみたいな馬で有機的な突撃を思い浮かべるけど
そういうのとは違うかもな。 そういうのは欧州系じゃね?
アレクサンドロス以降、騎兵の有機的活用とかいうイメージが沸く。


22 :人間七七四年:2007/12/14(金) 17:17:16 ID:EyjAiEuJ
騎馬軍団いてもおかしくないでしょ、足軽が主力になる前は
騎馬から弓でうつのが主力ナタ高い方だったし

23 :人間七七四年:2007/12/14(金) 23:24:04 ID:ncRciDVA
勅旨牧は甲斐(3ヶ所)・信濃(16ヶ所)・上野(9ヶ所)・武蔵(4ヶ所)の四カ国にある。(wikiより抜書き)
ただし、献上する匹数から甲斐は他と比べてひとつひとつの牧が大規模だったことがわかる。
これらの牧は基本的に山の斜面に作るものなので、それゆえにこれらの山岳地方に良牧がある。
大陸であっても満州族は山の斜面を利用するので、沿海州から直接の馬技術の影響を指摘する意見もある。
平野部はかえって沼沢地ばかりで馬は使いにくかっただろう。
信濃では滋野氏(真田はこの一族を称す)が望月牧によって成長、
甲斐では甲斐源氏の祖で武田信義の父、源清光が逸見牧を根拠とし、その子が逸見氏へ、
その分流が小笠原牧を握り小笠原氏へ、武蔵では秩父牧から秩父氏、阿久原牧から児玉党が出た。

24 :人間七七四年:2007/12/15(土) 00:36:56 ID:Mp367J5X
ごめんなさい。質問です。
特に信玄派でも信長派でもないんですけど信玄がなんで軍神なんていわれているのかさっぱり分かりません。

信玄はたかだか150万石くらいを弱い主従関係でようやく保ってたんでしょ?
最後に織田・徳川への宣戦布告は武田家を滅ぼす原因になったし。
三方が原合戦は三倍の軍勢で結局、家康を殺せなかったし。せめて戦闘員の本多忠勝の首くらい上げろよといいたいし。

やっぱ江戸時代の影響が大きく、過大評価されすぎな気がします。



25 :人間七七四年:2007/12/15(土) 03:24:02 ID:9zE6gvT9
自己解決してるじゃん

26 :人間七七四年:2007/12/15(土) 21:33:59 ID:VTaz4T1N
信玄を軍神なんて読んでるのは見たことがないんだが。
何か赤表紙の本なら闘神とか書いていたっけな。

27 :人間七七四年:2007/12/16(日) 13:58:00 ID:KN2XKdlR
いまどき騎馬軍団捏造説を信じてる馬鹿ってまだいたんだな

28 :人間七七四年:2007/12/16(日) 20:30:51 ID:CRENIEM5
そもそも平原がほとんどない日本では騎馬隊を運用する場所がない。
↑サラブレッドじゃ無理だね元々そういう環境に適した馬でないと。


しかも武田の騎馬率は平均の11%を下回る9%程度。
↑領主の資料だけから計算してない?
馬の多い地方なら個人で持っているし。坂東武者の家柄多い地方なら、そういう家はない方がおかしい。
武田は両方に該当する。

戦国最強の騎馬隊なんて幻想でしかない。
↑初めて同意する。
騎馬隊自体のイメージが違うみたいだが。
馬の方は奥州の方が上だったみたいだし、鎌倉武士伝統の騎馬戦術は、楠木正成以来最強ではなくなっている。
だいたい、格下の相手にあれだけ負けて最強は無理が有る。

29 :人間七七四年:2007/12/16(日) 23:21:23 ID:RnrSK93w
奥州の馬が良くても、扱う奥州人は微妙

30 :人間七七四年:2007/12/18(火) 04:06:34 ID:JWY2gF8T
>>24
武田軍に完膚なきまで倒された徳川家康が幕府を作ったから、
つまり恥を隠すためあえて誇張してマンセーした。
それはゆくゆく太平洋戦争等にも影響を
(ちなみに太平洋戦争において、武田=日本軍、織田=米軍で
ミッドウェー海戦=長篠とあてはめると意外にしっくりくる)


結局、いくさでモノを言うのは経済力、上杉謙信が軍神と誇張されてるけど
事実彼を支えたのは佐渡金山や越後の豊かな土地で。
織田なんてそれこそ、金が湯水のように湧き出てくる。
比較をすれば織田は2・3万の兵力の軍事行動が毎年できてな
おかつ貯金もできるのに対して、
武田は2・3万の軍事行動は2年に1回にしないと破綻する
それくらい経済力が違った。(長篠直前の勝頼はそれこそ
家臣の支持を高めるために必要以上に軍事行動をしていた。)

31 :人間七七四年:2007/12/18(火) 10:52:04 ID:dnK+Qi9p
野暮ながら突っ込みいれると、佐渡金山とかは謙信の時代じゃなくて、もっと後。
越後は土地が豊かだったというけれど、永禄年間に入るまでは財政破綻ぎりぎりだった。
それを立て直したのが謙信。どこからともなく湧き出る金を好き勝手に使っていたわけではない。
彼の遠征のほとんど全てが越後の交易路を保護するためだったと見ることも出来る。
北陸、北信、関東、すべてそう。他大名を占領するよりも彼らの領する地との紛争を廃し、
商人や交易品の往来を活発化させることの方が利益が大きかった。
信玄は敵地を略奪放火で破壊しつくして占領するばかり。周辺諸国に警戒され、
塩止めまでされる始末。そりゃ軍費も枯渇しますわな。

少し冗談交じりに言えば、上杉謙信は軍神ではなく商神としてあがめられるべきだと思う。
義理堅く信用第一、あらゆる手を講じて不況脱却、公益と私益の一体化を志向。
それでいて自分は禁欲的な生活w

32 :人間七七四年:2007/12/18(火) 13:17:00 ID:rL9WKQ18
>>30
>それはゆくゆく太平洋戦争等にも影響を

詳しく。何がどうなったらそういうことになるんだ?

33 :人間七七四年:2007/12/18(火) 18:17:58 ID:sipr3SpD
経済力だけで戦争に勝てたらいいよね
でもそれで滅んだ国も結構あるよな

34 :人間七七四年:2007/12/19(水) 01:04:00 ID:Yx1riaa0
>>33
少なくとも信長や謙信は経済力や内政の充実、流通の充実等の
上に成り立ってたからいくさができた。
だって武田信玄もいってるじゃん、”戦う前に勝利を決めろ。槍や弓を合わせるは
事後作業にすぎない”って。

腹が減ってはいくさはできずですよ。信長にしても侵略する場所は、
経済的に裕福、商業の流通の見込みのある場所ばっかりだし。
(長篠の戦いまで)武田をずっと無視してたのは、侵略しても何の益もない場所で。
朝倉・浅井・六角のいた越前・近江・若狭の方が多少のリスクを負っても
奪う価値がある場所とみてたわけだし。

35 :人間七七四年:2007/12/19(水) 01:14:00 ID:Yx1riaa0
>>32
今もだが、武田家の家訓や風林火山を崇めてる信者がいるけど。
人は堀〜に関してはよく考えたら甲斐の国が貧困だからみんな
協力してやりましょうといういわば中小企業の生き残りの結束みたいな
事を言ってるし。風林火山なんてあれは兵法の極意というよりも
正しい弱いものいじめやりかたみたいなもん。

で明治政府〜太平洋戦争の流れは、富国強兵=いわゆる
侵略しつづけることでしか生きていけない武田家
みたいなもんじゃん。(内政を充実させようと当時の
政治家達は過度の侵略路線を止めようとしてたみたいだが。)

36 :人間七七四年:2007/12/19(水) 09:41:44 ID:iJcfWvIq
信玄が言う戦う前に云々は基本的に謀略の事でしょ?
信長の場合は統一思考だから過疎地発展地関係なく攻めない選択肢は無い

板違いだけど、とりあえず明治以降の日本も勉強しようね

37 :人間七七四年:2007/12/24(月) 01:48:09 ID:gvW/e1U/
実際のところ騎馬隊の実態てのはどんな感じだったの?

38 :人間七七四年:2007/12/24(月) 16:41:26 ID:WLl41oFy
>>37
長篠の戦いでは騎馬で突撃したって織田は言うけど
実際は馬なんか並べて走れる場所じゃないから
武将や主立った者だけが馬にのって
他は馬に荷物乗せて徒歩で突撃したよ。
織田は強いけどいちいち大げさに言うのがよくないね。
あとついでに三方原でも騎馬突撃はやらなかったよ。
あそこは広かったけど徒歩で攻めた。
あの時は徳川方と全方面で槍合わせをしたんだよ。
槍合わせってのはクソ長い長柄槍でぶったたき合うんだから
馬上でやるわけねえだろ。
それから俺らは崖には落ちてねえよ嘘付くな。

と高坂弾正は言ってるな。
この言い振りだと普段は騎馬での突撃もやってたようにも聞こえる。
騎馬武者の最大の弱点が長柄槍による槍ぶすまだから
三方原の時は警戒して降りたのかも。

39 :名無し三等兵:2007/12/25(火) 13:50:25 ID:psyl6a8j
>>38
別に鈴木厨じゃないけど、当時、騎兵という兵科はいないだろ?
あくまでも、「それなり以上の身分のある武士」が馬に乗っているだけ。
彼らのほとんどが土地所有者(中には米や銭で支給されていた者も
いるかもしれんが)で、戦国大名との本領安堵やら新恩給付など
権益保証=【御恩】に対する代償行為=【奉公】の中のひとつの
軍役という契約に従い、自分の家の子・郎党を引き連れて出陣する。
まさか、そんな馬乗りだけを集めて部隊を編成したとでも?
引き連れてきた家の子・郎党はどうなる?(上杉謙信の場合は別だけどさw)
馬に乗ってくるってことは、馬の世話をする「馬の口取」(別当ともいう)の
中間身分の奉公人が必要になるし、槍を持ってくれば「槍持」中間が必要。
もう少し身分が上がる=軍役が重くなってくれば(主人用の)弓や鉄砲を持って
歩く中間が必要になってくるし、主人を補佐する徒歩の侍だってお供に必要だ。
もちろん、兵糧やその他の道具を運ぶ小荷駄の小者も欠かせない。

馬に乗れる身分の侍が後のいわゆる上士・中士で、幕藩体制下のお目見以上。
近代軍制における将校相当の身分。
馬に乗れない者は徒歩で、これがお目見え以下の下士官相当になるわけ。
(江戸幕府の小十人組なんかは別格だけど)
その下が士分未満の足軽(卒⇒後の兵隊さん)で、以下、中間⇒小者・・・
【馬に乗った武者】は現代の戦車ではなく、兵員輸送車に載った歩兵に近い。
少人数でも行える伝令や物見(偵察)任務のような使い方は別段問題ないが、
家の子郎党抜きで「騎兵の突撃」ってのはできんだろ?
(もっとも、小荷駄とかの連中は戦場では、後方に下がっていることが多いが)

40 :人間七七四年:2007/12/25(火) 23:44:43 ID:xNcrDrvL
その論法だと洋の東西を問わず
騎士、武士の騎馬での突撃は存在しなかったことになってしまう。
ランスによる突撃で有名な西洋の騎士も
社会的ポジションなり世話係や小者が必要だった事情は全く同じわけで。

「一騎駆け」という言葉があり、それを軍令で禁じた例もあるくらいだから
少なくとも単騎で馬で突撃する奴は結構いたと考えた方が自然じゃなかろうか。

41 :名無し三等兵:2007/12/26(水) 08:43:15 ID:ndPOdDdS
>>40
だから、日本では純粋な「騎兵の突撃」ってものがなかったって言ってる。
騎馬+武者の突撃は敢えて否定しないけど、騎兵じゃないでしょ?
馬+武者=騎兵⇒戦車ではなく、馬+武者=兵員輸送車+歩兵。
馬は衝撃力を武器にする戦車ではなく、鎧兜を着た武者を運ぶための道具。
或いは、高い場所から部下や一族郎党を指揮するための場所を提供したり、
指揮官やそれなりの階級であることを現すための道具。

日本では一騎掛けの連中にしても、あくまで首を取るのが主たる目当て。
恩賞も感状も武勇の誉れも基本は首を取っていくらだから。
それもなるべく敵方の武将や勇士の首であることが望ましい。
下馬しなきゃ首は取れないでしょ?
単騎とか、ごくごく身内だけで駆け出す奴はいただろうけどね。

もっとも、近代騎兵も下馬戦闘を実施することは否定しない。
あと「騎兵が下馬して戦闘する場合、半分の兵が相方の馬と自分の馬を曳いて、
後方に下がるだろ?」って突っ込みは無しの方向でw

42 :人間七七四年:2007/12/26(水) 16:00:14 ID:EXNPWF8F
自転車乗りながら槍振り回すのとどっちが難しいかな

43 :名無し三等兵:2007/12/26(水) 21:12:49 ID:ndPOdDdS
>>40
戦車50両で編制された戦車大隊の兵隊さんは機甲(=戦車)科。
大隊長さんは機甲兵少佐。
主たる任務は対戦車戦闘と機動突破&機動防御。

装甲兵員輸送車50両で編制された機械化歩兵大隊の兵隊さんは歩兵科。
大隊長さんは歩兵少佐。
主たる任務は装甲車から下車しての陣地・要地の確保(占領&防衛)。
あくまで装甲車はより早く・より安全に所要地域まで歩兵を運ぶのが仕事。

もちろん、支援部隊もひっくるめての機甲科やら歩兵科なんだけどさ。
そのあたりを考えると、日本に騎兵隊が登場するのは幕末に幕府陸軍が
オランダ式なりフランス式を取り入れてから。

騎馬武者50騎・・・それも石高で各々の従者は異なる・・・を従える侍大将は、
部下の連中はあくまで下車(下馬)戦闘を実施するわけなんだからさ。
どう考えても歩兵大隊長の歩兵少佐だろ?

44 :人間七七四年:2007/12/27(木) 05:45:04 ID:lA5cTHtE
>>41
騎馬武者による突撃があったことには同意してるのなら
別に>38と意見が対立してるわけではないなじゃない?
>38にはどこにも「武田には騎兵という独立した兵科があった」なんて
書いてないんだし。

45 :名無し三等兵:2007/12/27(木) 08:47:47 ID:t7eaualb
>>44
「突撃」の意味が微妙に違うんですよ。

38サン、40サンの騎馬武者の突撃は乗馬戦闘することもあるんだろうけど、
基本はあくまで「武者が少しでも早く敵陣に乗り込むため」の手段。
(極端な話、もし地面が整地されていれば、ローラースケートでも
MTBでも一向に構わないんですよ。普通に走るより早いんだからwww)
そして、その騎馬武者が引き連れてきた一族・郎党からなる集団が
がっちりと周りを固めた状態なんでしょ?
どうみても歩兵の突撃だわな。騎馬武者はその指揮官でもあるわけだから。

私が言ってる突撃は馬(+騎馬武者)の重量やら速度も含めた衝撃力による
(そして集団による)敵陣突破を主たる目的とする突撃。
どう考えたって、戦国時代のお馬さんが鎧甲に身を固め、重武装した武者を
馬に乗せたまま「高速で」走り、そして戦闘をも実施したとは思えない。
そこまで馬の体格も良くないんだもん。物理的に不可能でしょ?

1騎あるいは少数の騎馬武者による「突撃」とやらで敵陣に開けることの
できる穴なんてたかが知れてますよね? 

46 :名無し三等兵:2007/12/27(木) 08:54:10 ID:t7eaualb
45の補足

すいません、ちょっと意味不明な書き方しちゃったな。
「武者が少しでも早く敵陣に乗り込むため」の手段って言うのは、
【重たい鎧甲を着た重武装の武者が自分の足でテクテク歩くよりは、
馬に乗って馬に走ってもらった方が多少は早く敵陣に乗り込める】と
いう意味です。


47 :人間七七四年:2007/12/28(金) 00:06:13 ID:66tbGZPq
>そこまで馬の体格も良くないんだもん。物理的に不可能でしょ?

騎馬武者の運用については別として、
当時は人もそこまで体格良くないから
当時の馬と人との体格比は
サラブレッドと現代人の体格比程度だし、
日本馬は足が丈夫で重さにはサラブレッドよりずっと耐えられるから、
馬の体格から無理だと結論するのは無理があるよ。

48 :名無し三等兵:2007/12/28(金) 07:01:45 ID:mYvtCxwD
>>47
日本人も小さくて軽かったけど、鎧兜に身を固め、
少なくとも大小2本差してますぜ。
あと槍やら旗やらも・・・

49 :人間七七四年:2007/12/28(金) 18:31:37 ID:ufro1NqB
>そこまで馬の体格も良くないんだもん。物理的に不可能でしょ?

どさんこ馬ぐぐるのだ
大きいものはラオウの馬クラスだ

50 :人間七七四年:2007/12/29(土) 04:06:09 ID:cfLmDRqN
>>48
フル装備でおおよそ20キロだから体重50キロと見ても合計70キロ程度。
当時の馬の背には荷駄が150キロまでは普通に積めたから
総重量70キロ弱の騎馬武者一人くらいなら乗せても
何も持たない人が全速力で走るくらいには充分走れるんじゃなかろうか。
母衣や旗指物は風をはらむので走ると軽くなるというから
ひょっとしてかなり速かったかもしれない。

>>49
どさんこ馬みたいな重種は戦国時代にはまだ日本にはいなかったはず。
日本馬はみんな肩高150センチくらいまで。
ばんえい競馬に出てる1トンもあるような巨大などさんこ馬は
ペルシュロンとかとの混血。
元々は西洋で重装備の騎士を乗せてた種だと言われてたりする。
どうでもいいけど重種は馬刺しにするとサラブレッドより美味しいらしい。

51 :人間七七四年:2007/12/29(土) 11:21:46 ID:lXzXiI1e
あの〜 サラブレッドって、背がひょろ長い、もやしみたいな、馬で、…
サラブレッドよりも、体格というか、ちからの弱い馬は、ポニーでも、よっぽど、小さな奴でないと、いないんですけど。
なんか…、根本的に、勘違いしてませんか?

52 :名無し三等兵:2007/12/29(土) 11:36:04 ID:+tpd+OO4
>>50
すごく重い荷物担いで歩くのと、
かなり重い武者載せて走るのとは
ちょっと違うような気が。

ちなみにサラブレッドのお肉は硬くなっちゃって
食べても美味しくないそうですねw

ああ、美味しい馬刺し食べたい・・・orz
今済んでるところはド田舎で美味い店が近くにないんでつ。

53 :人間七七四年:2007/12/29(土) 12:24:32 ID:0BLA7m5r
勝てないサラブレッドは普通に食用にまわされてる訳だが・・・

54 :人間七七四年:2007/12/29(土) 21:20:36 ID:cfLmDRqN
>>51
いわゆる日本馬は全て分類上は「ポニー」に入るんだ。
肩高148センチ以下は分類上は全て分類上はポニーだから
たとえばモンゴル軍が乗ってた馬たちもみんなポニーになる。
もちろん牧場で子どもを乗せてるような小さくて可愛いシェトランドポニーより
ずっと大きいけど。
シェトランドポニーは肩高90センチくらいしかなくて
頭を真っ直ぐ上げても成人男子より低い位だからね。

>>52
流鏑馬なんかにサラブレッド借り出して駆け足させる場合の
上に乗る人の重量限界(甲冑込み)は大体80キロくらいまでだから
サラブレッドよりは重量に強い日本馬なら
当時の平均的な体格の人間に完全武装させても
充分駆け足は出来るんじゃないかな。
>50での試算通りに騎馬武者一人70キロと推定すれば
駆け足は可能だと思う。

そもそも甲冑を付けた人は馬に乗れないと言い出したら
源平時代の騎馬武者の存在まで否定することになるけど
それは行きすぎだし。

55 :名無し三等兵:2007/12/29(土) 22:54:14 ID:+tpd+OO4
>>54
そりゃ、武者が鎧兜&両刀を手挟んでも馬には乗れるでしょう。
私もそれは否定していませんよ。
ただ、お馬さんが整地されていない戦場を高速で機動できたとは思えず・・・
騎兵が歩兵に優越するのは、「機動力」と「(人馬一体となった重量による)衝撃力」。
どう考えてもその当時の騎馬武者に機動力があったとは思えません。
ごくごく短距離ならともかくw
衝撃力にしても、一騎や数騎の騎馬武者&一族・郎党ではなく、集団になって
はじめて発生するわけで。

当時のお馬さんには、蹄鉄をつけていないので、蹄を保護するために藁で編んだ
沓(クツ)を履かせていました。
軍役でお馬さんをたくさん連れてこなきゃいけない高級武士には「沓箱持ち」という
お馬さんの沓をたくさん入れた箱を持つ係の中間だか小者が必要でした。
そんな足元で重い武者を高速で機動させていたとはとてもとても。

それにもし、「騎馬武者」だけが単騎突出してしまったら、徒歩の家来たちは?
指揮官というか、ご主人さまが1番肝心な場面でいなくなっちゃうわけですよ!?
戦場には原則出てこない輜重兵やら殿様のお世話係の連中はともかく、その他の
純粋な戦闘員たちはあとからノコノコ突撃ですか?
そうなると、人間の全力疾走に近い速度でしか機動できないでしょ?

56 :54:2007/12/30(日) 00:25:48 ID:dq0vAh32
ごめんなさい。
>>51の書き込みを読み間違えて、とんちんかんなレスつけた。
ぼんやりしてて
「サラブレッドより体格の貧弱な馬はポニーしかいない」
って読んじゃった。
「ポニーの中でもとくに小柄な奴しかいない」だったのね。
こちらの意見はそちらと完全に一致していて、争う余地はありません。
早とちりで反論するみたいなレスをつけてすみません。

57 :人間七七四年:2007/12/31(月) 00:55:15 ID:lHgISf0m
>>55
一族郎党のうち馬に乗ったもの数十〜数百が最初に突撃して
相手の陣立てを崩したところへ歩兵が突っ込めばいいだけじゃない。
相手との距離が10メートルくらいまで接近してから駆け足になれば
歩兵だってそんなに遅れることはないわけで。

っていうか馬に機動力がないってことは
馬に乗った伝令役も存在しなかったっていう主張?

58 :名無し三等兵:2007/12/31(月) 02:08:05 ID:AumjJDuz
>>57
<一族郎党のうち馬に乗ったもの数十〜数百が最初に突撃

1.近代騎兵じゃあるまいし、そんなたくさんの騎馬武者いませんよ。
天領&旗本領で800万石+大都市保有・貨幣鋳造権を握った最強最大の大名
徳川将軍家の主力決戦部隊である大番組は平番士50騎です。
泰平の世の中になってからずいぶん拡大しましたがそれでも12組のみです。
現代風に言えば、親衛騎兵大隊あたりの小姓組・書院番組(各平番士50騎)も
本丸と西の丸組をあわせても、各々10組しかありません。
(他に騎馬に乗る身分の小普請組の面々もいると言えばいるんですけどね)
それぐらい当時の騎兵は上士や中士ばかりですから、金(=知行)がかかるんです。
甲斐の武田家で数百騎の寄子を率いる侍大将は何人います?
泰平の慶安時代、5万石の大名の軍役は騎馬武者は70騎。しかし、このうち家老だとか、
番頭・組頭などの役についている面々を除くと、純然たる騎兵は50騎ほどです。

2.武田の主従はみんなドライ?
騎馬武者は敵前10mまで歩兵の家来たちが近寄るまで放置して突撃?
武士である以上、いかに功名をあげたいとは言え、(武田家の)主従の
結びつきってそんなに希薄? 主従は進退を共にするんでしょ?

3.長篠の合戦の絵を見たことあります?
かなり立派な身なりの武田軍の武者が徒歩で織田・徳川軍に向かっています。
どう見ても下士である徒歩侍が着けるような安い鎧兜には見えません。
兜を被っている武者がたくさんいますよね。
ええ、そうです。彼らは下馬した(騎馬)武者です。
まさか、その武者の馬が全て鉄砲に撃たれてしまってるんですか?
それとも馬は描くのが面倒なので省略?

<馬に乗った伝令役も存在しなかったっていう主張?
どこの家中にも使番という伝令将校が当時いました。
でも、短距離を全力疾走するのと中・長距離を駆けるのとは全く違います。
人間でも陸上選手が100mを10秒で走れるからって、800Mを80秒で走れます?
42195mを4220秒≒70分≒1時間10分で走れる選手なんかいませんよw
馬は人間よりも走ることは得意でしょうが、それでも伝令として走る場合と、
ごくごく短距離の突撃で走るのとでは条件が違います。
しかも、武者を乗せている=負荷がかかっているんですよ。

近代騎兵や現代の将校と、当時の騎馬武者は根本的に違うんです。

59 :名無し三等兵:2007/12/31(月) 02:47:07 ID:AumjJDuz
続き
近代騎兵も現代の将校も戦車兵も国庫からの俸給で生活するサラリーマンです。
徴兵がメインの兵隊さんたちはごく安いお給料ですけど、衣食住は国家丸抱えです。
もちろん、馬も武器も装備も国家からの貸与品です。(将校の軍服は自前)
自前で戦車とその消耗品を用意できる将校なんかまずいませんよねw

ところが、戦国の騎馬武者は本質的にサラリーマンじゃなくって、規模の
大きい小さいはありますが、いまで言う「自営業のオーナー社長」です。
平素は主に自分の農地経営を行います。(大身だと家来が代行してくれます)
主家のいろいろな役目を担当していることもありますが。

御恩と奉公というのは、あくまでも契約です。
江戸時代までの武家は熱い心と冷めた頭脳を持っていました。
主人の大名が気に入らないとか、バカだあるとか、給料に不満があれば
簡単に主人を変えちゃいます。
戦国の世ではしっかりした大将でなければ自分も滅ぼされますから。
「お前の所領を安堵する」とか、「新しく領地や給料を与える」という主君からの
経済的な給付に対して、「忠誠を誓い、命がけで働きます」という義務が奉公です。
その義務の中に【軍役】というものがあり、各々の身代に合わせた軍事力を提供し、
従軍・戦闘義務を果たさなければいけません。
もちろん、その軍事力は家来の給料も武器も馬も(原則として食料も)全額自腹です。
だから、しっかり働けばそれに応じた報酬がでます。
戦争請負業と言ってもいいかもしれませんね。

そんな彼らは家来(従属している農民兵もいるでしょうね)を連れて出陣します。
この家来たちにとっての主人は戦国大名ではなく騎馬武者です。
分国法や陣法には従わねばいけませんが、彼らに命令を下す権限を持っているのは
ご主人さまであるオーナー社長のみです。
本社の社長なんかの命令に従う義務も義理もありません。

60 :人間七七四年:2007/12/31(月) 07:40:29 ID:lHgISf0m
>どこの家中にも使番という伝令将校が当時いました。
>でも、短距離を全力疾走するのと中・長距離を駆けるのとは全く違います。
>人間でも陸上選手が100mを10秒で走れるからって、800Mを80秒で走れます?
>42195mを4220秒≒70分≒1時間10分で走れる選手なんかいませんよw
>馬は人間よりも走ることは得意でしょうが、それでも伝令として走る場合と、
>ごくごく短距離の突撃で走るのとでは条件が違います。
>しかも、武者を乗せている=負荷がかかっているんですよ。

今ひとつ言いたいことがはっきりしないけど
つまり負荷のかかった状態で長距離を走らなくては行けない使い番は
実際には存在しなかったって事か

61 :名無し三等兵:2007/12/31(月) 12:30:59 ID:AumjJDuz
>>60
突撃と呼べるほどの(全)速力で毎度毎度使番の馬が走ってるわけじゃ
ないってこと言ってるんですけどねw
例えば、馬の時速が(普通の人間だけだと)X`/時間だと仮定すれば、
当然、重装備の使番を乗せると(X-Y)`/時間に落ちちゃっている。
それでも、使番が徒歩で走るよりはいくらかは早いだろうってだけw

姿を隠してコッソリ潜入するとかならともかく、使番を拝命するほどの
身分がある武者に、「お前、徒歩で走って行け!」とは言えませんから。
第一、疲れるし。

62 :人間七七四年:2008/01/01(火) 00:29:09 ID:00t0g2Z2
>当然、重装備の使番を乗せると(X-Y)`/時間に落ちちゃっている。
>それでも、使番が徒歩で走るよりはいくらかは早いだろうってだけw

つまり人は重装備になっても機動力は落ちないのか
だったら馬使う意味全然ないな
なんで平安時代から戦国初期までずっと
メインが騎馬武者ばっかりだったんだろう

63 :名無し三等兵:2008/01/01(火) 07:56:22 ID:FJx3gkKr
>>62
俺、これまでに「馬に機動力がないってことは馬に乗った伝令もいない」とか、
「人は重装備をしても機動力が落ちない」って言ってる?

いい?
重装備の武者が走るよりも、馬に乗る方がいくらかでも早い。
普通の人が普通に考えれば、当たり前のことながら疲労度は少ない。
(馬に慣れてなくて、却って疲れたとかいうのはなしの方向で)
その分、しっかり働ける!

しかし、近代騎兵に要求されたように「突撃速度」を重武装の武者を乗せた
当時の馬が発揮するのは不可能って言ってるだけ。
重い荷物(騎馬武者)を乗せても長距離歩けるということと、そんな状態でも
軽やかに高速で走ることができるというのは別の次元。 you see?

サラブレッドにペラペラの軽い鎧や竹光に銀紙貼った刀差した武者モドキ乗せて、
撮影用にちょこちょこっと走るのと、当時の日本で本物の武者を乗せた当時の馬が
凹凸も障害もあり、敵兵もおり、矢玉の飛んでくる当時の戦場で、騎馬武者だけで
突撃できるような状況じゃなかった。

物理の法則じゃないけど、突撃ってのには、重量と速度が必要←ここ重要!
重量ってのには、頭数も十分勘案するように。
1人とか1騎で突っ込んでくるだけならば、大勢で包囲してなぶり殺し。
本田忠勝とか、井伊直政とかの超人は別だろうけどw

そして、馬に乗れる=それなりの身分という武士にとって1番大切な体面や
誇りということもよくよく考えるように。
但し、実際の戦場では、高級指揮官以外は下馬して戦闘に突入するのが基本。
だから、馬の口取という奉公人が後方で追撃や退却で馬が必要になったときに、
備えて待機してくれている。

あと、この時代、百石以上の知行をもらっておきながら、槍持ちも召抱えずに
自分で槍を持って戦場に行くようなみっともない侍はまずいない。
絶対にいないとか言うと、またぞろ「槍持ちが死んだり逃げたりしたらどうなる?」
とか言われかねないもんなぁ。

時代考証な適当な時代劇・・・予算のせいもあるんだけどね・・・では、享保以降
役高3000石の高級官僚である町奉行が立派な行列も組まず簡素な供だけで登城。
規定に反することなので、処罰されちゃうよ。
だから、江戸時代中期以降には1日とか半日だけのレンタル侍がいて、少しでも
経費を圧縮したい大名は口入屋を通じて、登城用とかに使っていた。
おっと、お大名も町奉行もお城の中に入ると供連れ減らさなきゃいけないけどね。
そのくせ、悪徳代官の屋敷に正義の味方が乗り込んだときに、その悪代官が
「曲者じゃ、出会え!」と叫ぶととんでもない数の侍が出てきたりする(笑)
それも用心棒の浪人なんかじゃなくって、そこの家の家士。
夜は代官所に勤務している(幕府に雇われた)侍・・・手付・手代・・・は宿直の人を
別にすれば官舎や自宅に戻ってるからね。

戦国時代どころか、明治のはじめでもサラブレッドみたいな立派な馬はほとんど
いなかったし(欧州から連れてきたのとか、それを育てていたのは別にしてね)。
だから日本陸軍は必死で馬の品種改良に取り組んだ。
ついでに、少なくとも騎馬に乗れる身分のおサムライさんが、槍持ちも連れずに
自分で槍を持って行軍していることはありえない。
斥候任務で潜入するときだとか、臨戦態勢に突入した時点であれば別だけど。
おっと、江戸中期以降に生活が苦しくなった下級武士が家来を召し連れずに
単身で歩くようになったのは別にしてね。
先に言っておこうw

64 :名無し三等兵:2008/01/01(火) 08:09:41 ID:FJx3gkKr
>>62
俺、これまでに「馬に機動力がないってことは馬に乗った伝令もいない」とか、
「人は重装備をしても機動力が落ちない」って言ってる?

いい?
重装備の武者が走るよりも、馬に乗る方がいくらかでも早い。
普通の人が普通に考えれば、当たり前のことながら疲労度は少ない。
(馬に慣れてなくて、却って疲れたとかいうのはなしの方向で)
その分、しっかり働ける!

しかし、近代騎兵に要求されたように「突撃速度」を重武装の武者を乗せた
当時の馬が発揮するのは不可能って言ってるだけ。
重い荷物(騎馬武者)を乗せても長距離歩けるということと、そんな状態でも
軽やかに高速で走ることができるというのは別の次元。 you see?

いまはサラブレッドにペラペラの軽い鎧や竹光に銀紙貼った刀差した武者モドキを
乗せて、撮影用にちょこちょこっと走ってるだけ。
当時の日本で本物の武者を乗せた当時の馬が凹凸も障害もあり、敵兵もおり、矢玉の
飛んでくる当時の戦場で、騎馬武者が騎兵集団で突撃できるような状況じゃなかった。
そう言ってるだけ。

物理の法則じゃないけど、突撃ってのには、重量と速度が必要←ここ重要!
重量ってのには、頭数も十分勘案するように。
1人とか1騎で突っ込んでくるだけならば、大勢で包囲してなぶり殺し。
本田忠勝とか、井伊直政とかの超人は別だろうけどw

そして、馬に乗れる=それなりの身分という武士にとって1番大切な体面や
誇りということもよくよく考えるように。 使番にはこの要素「も」あるわけで。
但し、実際の戦場では、指揮官以外の武者は下馬して戦闘に突入するのが基本。
だから、徳川将軍の鷹狩では、書院番とか小姓組(共に役高300俵を頂いている)
家来からは殿様と呼ばれている立派な直参旗本の番士が、狩場では徒歩になって
勢子の役を勤めているわけですよ。あれは半分軍事演習だから。
そういうことで、戦場では馬の口取という奉公人が後方で追撃や退却で馬が
必要になったときに、備えて待機してくれている。

あと、この時代、百石以上の知行をもらっておきながら、槍持ちも召抱えずに
自分で槍を持って戦場に行くような「みっともない」侍はまずいない。
絶対にいないとか言うと、またぞろ「槍持ちが死んだり逃げたりしたらどうなる?」
とか言われかねないもんなぁ。

時代考証な適当な時代劇・・・予算のせいもあるんだけどね・・・では、享保以降
役高3000石の高級官僚である町奉行が立派な行列も組まず簡素な供だけで登城。
規定に反することなので、処罰されちゃうよ。
だから、江戸時代中期以降には1日とか半日だけのレンタル侍がいて、少しでも
経費を圧縮したい大名は口入屋を通じて、登城用とかに使っていた。
おっと、お大名も町奉行もお城の中に入ると供連れ減らさなきゃいけないけどね。
そのくせ、悪徳代官の屋敷に正義の味方が乗り込んだときに、その悪代官が
「曲者じゃ、出会え!」と叫ぶととんでもない数の侍が出てきたりする(笑)
それも用心棒の浪人なんかじゃなくって、そこの家の家士。
夜は代官所に勤務している(幕府に雇われた)侍・・・手付・手代・・・は宿直の人を
別にすれば官舎や自宅に戻ってるからね。

戦国時代どころか、明治のはじめでもサラブレッドみたいな立派な馬はほとんど
いなかったし(欧州から連れてきたのとか、それを育てていたのは別にしてね)。
だから(武者に比べれば軽い騎兵を乗せるにせよ)日本陸軍は馬の品種改良に取り組んだ。

斥候任務で潜入するときだとか、臨戦態勢に突入した時点であれば別だけど。
おっと、江戸中期以降に生活が苦しくなった下級武士が家来を召し連れずに
単身で歩くようになったのは別にしてね。


65 :人間七七四年:2008/01/01(火) 15:27:36 ID:J0ftUImn
あの〜 サラブレッドならあなたの言う通り、不可能なんでけど〜
普通のポニーなら、あなたイメージほどの速度が出来ないだけで、突撃自体は、可能なんですけど?
西洋の騎士なんて突撃メインみたいな、感じだけど、彼らがよく愛用したのも、ポニーで〜
可能なのは間違いないですけど。
ただ、日本では、弓とか槍とかで、相手の陣が乱れた時、相手が立て直せないうちに〜 て感じで使われたことが多いけど、無かったってのも言い過ぎだと思います。

あと、江戸時代の武士のことは忘れる方が良いです。むしろ、あなたの言うアルバイトで体裁を整えたってことは、江戸時代初期は、それが可能だったと考えた方が良いです。

ちなみに、あなたのイメージの突撃は、戦国時代が終わった後、銃の発達で、重い鎧を着ないようになってからの話しだと思います。敵陣まで鎧がカバーしてたのが、鎧が重くなりすぎて動けないので、スピードでカバーするようになったって感じかな〜
馬に求めるものが、力や耐久性・機敏さ、よりも、スピードが最優先になりそれまで相手にされなかった、サラブレッド系の馬が重んじられ、サラブレッド自体もこの時代に生まれたはずです。
従って、開国した後の馬の改良は、軽装用の速さ優先の馬に、なっただけなんですけど〜

66 :名無し三等兵:2008/01/01(火) 16:04:07 ID:FJx3gkKr
>>65
蹄に蹄鉄をつけている西洋のお馬さんといっしょにされてもねぇ。
拍車なんて便利な道具も日本には無かったし。
西洋の騎士も鉄砲を考慮した重装備を着けはじめると、どんどん重くなりw
当然、最初のような速度は出ませんわなw

だから、胸甲騎兵なんて兵種が出てくるわけでw

ご参考まで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5

67 :人間七七四年:2008/01/01(火) 22:15:23 ID:J0ftUImn
あの〜 蹄鉄は柔らかい地面でないと、重い荷物乗せて走るには、馬の脚にかかる衝撃が〜
今なら、ゴムを使った蹄鉄ってのがあるけど〜
当時なら日本の馬用の草鞋(ワラジ)が一番優秀なのですけど〜
人間に例えるなら、スパイク付きの靴はフィールド競技だけで〜
一般にはゴム底の靴の使うみたいなもの、だと思います。

68 :人間七七四年:2008/01/01(火) 23:03:31 ID:d5aaTc3P
>>FJx3gkKr
ふ〜

69 :人間七七四年:2008/01/01(火) 23:13:05 ID:N/xgV5S8
素人質問なんだが、
騎馬突撃が無かったってことは源義経の一ノ谷の突撃とかもやっぱ作り話の可能性が高いの?

あと信長の桶狭間の奇襲は基本は歩兵の突撃だったってこと?

70 :人間七七四年:2008/01/02(水) 05:27:51 ID:dk5HDti+
>>38
武田の遺臣で八王子千人組になった古老の話では
合戦で敵と接触する順序として
1 遠くからの印字打ちによる牽制
2 鉄砲組と弓組で敵の隊列を崩す
3 長柄組が前に出て相手の長柄組と叩き合い
4 長柄組を潰すと後ろから騎馬兵が突撃してくる
5 長柄の石突きを地面に埋めてスパイク状にして待ちかまえる
6 長柄に突き刺さって敵の騎馬が跳ねとばされる
7 長柄組が騎馬に踏み散らかされた場合はこちらも騎馬を出す
って感じの流れだったそうだから
甲陽軍艦の三方原についてのその記述は警戒して降りたというよりも
「10箇所での槍合わせ全部で
騎馬を出すまでもなく勝った俺たち強EEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!」
て感じなのかも。
武田家は槍奉行一人に騎馬15騎、足軽十人くらいの構成だから
馬出さずに勝ったってことは半分以下の兵力で勝ったって事だし。

71 :人間七七四年:2008/01/02(水) 15:27:13 ID:CT2iJi3K
あの馬では出来ない。出来るわけ無い。と良く言われる。
しかし
出来る。出来るのだ。
用途に合った馬を使用していたのだ。
↓移動用途の馬
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dd/Quarter_Horse%28REFON%29.jpg/794px-Quarter_Horse%28REFON%29.jpg
↓騎士が乗用した戦闘馬
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Percheron_3_stehend_rechts.jpg/758px-Percheron_3_stehend_rechts.jpg


72 :人間七七四年:2008/01/02(水) 16:33:49 ID:1utpROwi
江戸期に書かれた三方ヶ原の詳しい文献を色々調べてみると実際の騎馬兵の割合は0.5%ぐらいしかいなかったようだね。
ほとんどが徒歩。ただ軍団の移動速度が異常に速かったと書かれている。
速さを馬に例えたのがいつの間にか騎馬軍団として伝わってしまったようだ。

73 :人間七七四年:2008/01/03(木) 14:35:20 ID:/aanVzMj
>>64
>俺、これまでに「馬に機動力がないってことは馬に乗った伝令もいない」とか、
>「人は重装備をしても機動力が落ちない」って言ってる?

「騎馬武者に機動力はない」、とか
馬に乗っても徒歩で走るより「いくらか速い程度ってだけ」って主張と
騎馬武者一人の世話をする小者たちのコストについて書いたところを合わせてみると、
「何でほとんどメリット無いのに武士を馬に乗せる必要があったんだろう」という疑問が湧くのは自然だろうし、
日本馬はサラブレッドよりは遅くても人の足で走るよりはずっと速いことを知ってる人なら、
その速度差が「いくらか速い程度」まで縮まるってことは
馬に鎧武者が乗ると大幅に減速するけど人は甲冑を付けてもほとんど減速しないとでも考えるしかない。
つまり、言ってるか言ってないかで言えば「言ってる」んだよ。
もっと落ち着いて、自分の主張をそのまま演繹したらどういう帰結になるか考えてから書くほうがいい。

それから、すでに指摘してる人もいるけど戦国時代における騎馬での突撃ってのは
槍組の背後から飛び出すもので走る距離も非常に短い。
近代騎兵とは運用方法が全く違うんだから、
君がしつこく主張してる「戦国時代の騎馬武者は近代騎兵のような突撃はしないし出来ない」というのは
誰も言ってないことに対して噛みついてるようなもので、
その主張が認められたところで戦国時代の騎馬での突撃が否定されるわけじゃない。
「突撃」を勝手に「近代騎兵のような形の突撃」と脳内変換するのをまずやめてみたら
もう少し話が噛み合うと思う。

あと、機動力っていうのは絶対評価じゃなく敵の機動力との相対評価で見るべき物で、
相手よりどれくらい優る劣るかで「機動力がある」とか「ない」とかいう話になる。
たとえ重装備の鎧武者を乗せた馬の機動力が何も乗せない時の半分まで落ちたとしても、
同じく重装備で速度の落ちた徒歩の鎧武者より速い速度で機動出来るなら
「徒歩よりは機動力がある」んだ。
徒歩の人間が鎧を着たら減速するって事を認めてるんなら、
騎馬のほうが機動力があるということも認めないとおかしい。

他にもツッコミどころはたくさんあるけど、まずは一旦軍事板に帰って
駄スレじゃなく良スレを探して一年ROMって議論の仕方を覚えて、
それから日本史系の板をあちこち一年ROMって
室町頃から戦国後期にかけて生じた軍編成の変化について勉強して、
名前欄をちゃんと消してからもう一度おいで。


>>71

>>50を見るんだ。
重種は北海道開拓時代に連れてこられたもので
戦国期の日本にはまだいなかったはず。

74 :名無し三等兵:2008/01/03(木) 16:29:36 ID:qv2gWdto
>>73
見事なまでにこじつけた屁理屈だな。
それじゃ、謙虚で博識な貴方にいくつか質問させて頂こう。

<あなたのイメージの突撃は、戦国時代が終わった後、銃の発達で、
重い鎧を着ないようになってからの話しだと思います。
敵陣まで鎧がカバーしてたのが、鎧が重くなりすぎて動けないので、
スピードでカバーするようになったって感じかな〜

ほうほう、銃の発達って、具体的にはいつから? 具体的にはどういうこと?

発射速度は幕末に洋式銃が入ってくるまでは、せいぜい早合の導入程度。
日本にも雷管方式を開発した人間がいるそうだが、それも幕末近くになってから。
射程や威力については、無縁火薬などの高性能火薬が利用されたわけではないね。

基本的に銃砲の威力は弾丸重量と初速で決まるってことは理解できる?
あとは下手な鉄砲も数撃てば当たる式の投射弾薬量だね。

弾丸重量は江戸時代に入ってからも10匁玉程度までが標準品。
20匁とかの大きな鉄砲(大鉄砲というそうな)を普通の人間が、それも前線で、
1人で立ったまま操作できるかな? 無理だよね。
いかにノンライフル銃だからといって、この時代には比重の大きなタングステンのを
使ったAPDSとかAPDSFSなんてこの時代にはないわけですよw
大口径(口径=銃身内径を表す方ね)することもできんでしょ?
前戦で歩兵が自分1人で持って射撃してるんだから。

初速に関しても、長口径(口径=銃身の長さを表す方ね)化することができる
軽くて丈夫な金属素材が泰平の時代になってから登場しましたかな?
上述の通り、「発射して銃口を出るや否や、サボ(外装)が離れて空気抵抗が激減する」
便利なAPDSやAPDSFSはないんですよ。

戦国・江戸初期までの鉄砲を見ればわかるように、銃床を肩に当てて撃つ方式ではなく、
抱え筒のように腰に抱えて撃つわけでもなく、ほほに当てて撃ってる。
ましてや銃身にライフリングが切られて弾道が安定するようになったわけでもない。
銃弾にしても、鉛か鉄の玉。(目標によって使い分けてたみたい)

命中率に関しても、銃の命中率が抜本的に向上するのは銃身にライフリングが
施されてから。

あとは、軍勢における装備率或いは装備数の向上?
だったら、大坂に籠もった石山本願寺の連中はとてつもない数の鉄砲を持ってるよね。
紀州の雑賀とか根来の連中がついてるから。
朝鮮征伐〜関が原の合戦〜大阪冬の陣・夏の陣でも、日本での鉄砲の装備率はものすごい
レベルだよ。少なくとも欧州列強にひけをとらない。

戦国時代が終わった後って、具体的にはいつ?

75 :名無し三等兵:2008/01/03(木) 17:26:43 ID:qv2gWdto
続き

<一族郎党のうち馬に乗ったもの数十〜数百が最初に突撃して

貴方の書き方だと、(他にも騎馬武者はいるんだけど)「とりあえずそのうちの
数百が最初に突撃」って意味としか考えられるね。
数百をかなり控え目に300騎と仮定しよう。

天下泰平の江戸時代、5万石のお大名の軍役総数は1005名。(慶安軍役)
1万石以上のお大名は一軍一手=一備(ソナエ)を任されるので、自前で輜重兵や他の
管理要員(勘定役・医者・祐筆・大工・鐘太鼓等)と物見用の忍者か専属の足軽を
この他に抱えている。ここの部分はわざわざ指示しなくても、武士の嗜み。
自分で考えて、自分で手配するのが大名の甲斐性であり、義務でもあったわけだ。
そんな慶安軍役で要求されたのは1005名につき、わずか70騎。
そのうち、家老や物頭などの役職についている騎馬武者は指揮監督にあたるので、
基本的に己が突撃なんかする余裕がないはず。これが14騎。
従って、純然たる騎兵らしき騎馬の侍は56騎しかいない。
(名目上の)軍役に占める割合は5,6%にしかならない。
そして、実際の動員義務の人数から計算すると、この比率は更に低下する。

家法やら軍法で異なるとは言え、300騎の騎兵を揃えようとするとどれほどの
収入が必要になるなね? この軍役から逆算すると最低でも30万石は必要だ。
「慶安なんてノンキな時代の話していない!」と言うのなら、1・5倍してもいい。
一備が20万石になるよね。
こんな備えをいくつも抱えて出撃できる大大名って何人したの?

現地での略奪行為が得意な越後の上杉勢でも小荷駄の連中は絶対に不可欠。
おそらく軍勢の中に今で言う輜重兵にあたる小荷駄&護衛兵が3割は占めたはず。
多くの軍役資料では、馬上何人・槍何本・鉄砲何丁・旗何本と書かれており、単純に
「ああこの人数の何%が騎馬武者で何%が鉄砲だ」と思われるが、軍勢になった場合だと
そこまでの計算ができない。戦闘部隊だけで戦闘できれば誰も苦労なんかしない。
軍役資料で手明(テアキ)と書かれているのは、交代要員を示しており、これは輜重兵じゃない。
そこそこの武士は鎧を入れて運ぶ鎧櫃(ヨロイヒツ)持ちや衣装を入れて運ぶ挟み箱(ハサミバコ)持ち、
そして太閤秀吉で有名な草履取りなんていう奉公人を何人も抱えている。
こんな連中も入れて、何万人の軍勢になるわけだ。

76 :名無し三等兵:2008/01/03(木) 17:45:19 ID:qv2gWdto
続き

<一族郎党のうち馬に乗ったもの数十〜数百が最初に突撃して

貴方の書き方だと、(他にも騎馬武者はいるんだけど)「とりあえずそのうちの
数百が最初に突撃」って意味としか考えられないね。
数百をかなり控え目に300騎と仮定しよう。

天下泰平の江戸時代、5万石のお大名の軍役総数は1005名。(慶安軍役)
1万石以上のお大名は一軍一手=一備(ソナエ)を任されるので、自前で輜重兵や他の
管理要員(勘定役・医者・祐筆・大工・鐘太鼓等)と物見用の忍者か専属の足軽を
この他に抱えている。ここの部分はわざわざ指示しなくても、武士の嗜み。
自分で考えて、自分で手配するのが大名の甲斐性であり、義務でもあったわけだ。
そんな慶安軍役で要求されたのは1005名につき、わずか70騎。
そのうち、家老や物頭などの役職についている騎馬武者は指揮監督にあたるので、
基本的に己が突撃なんかする余裕がないはず。これが14騎。
従って、純然たる騎兵らしき騎馬の侍は56騎しかいない。
(名目上の)軍役に占める割合は5,6%にしかならない。
そして、実際の動員義務の人数から計算すると、この比率は更に低下する。

家法やら軍法で異なるとは言え、300騎の騎兵を揃えようとするとどれほどの
収入が必要になるなね? この軍役から逆算すると最低でも30万石は必要だ。
「慶安なんてノンキな時代の話していない!」と言うのなら、1・5倍してもいい。
一備が20万石になるよね。
こんな備えをいくつも抱えて出撃できる大大名って何人したの?

現地での略奪行為が得意な越後の上杉勢でも小荷駄の連中は絶対に不可欠。
おそらく軍勢の中に今で言う輜重兵にあたる小荷駄&護衛兵が3割は占めたはず。
多くの軍役資料では、馬上何人・槍何本・鉄砲何丁・旗何本と書かれており、単純に
「ああこの人数の何%が騎馬武者で何%が鉄砲だ」と思われるが、軍勢になった場合だと
そこまでの計算ができない。戦闘部隊だけで戦闘できれば誰も苦労なんかしない。
軍役資料で手明(テアキ)と書かれているのは、交代要員を示しており、これは輜重兵じゃない。
そこそこの武士は鎧を入れて運ぶ鎧櫃(ヨロイヒツ)持ちや衣装を入れて運ぶ挟み箱(ハサミバコ)持ち、
そして太閤秀吉で有名な草履取りなんていう奉公人を何人も抱えている。
こんな連中も入れて、何万人の軍勢になるわけだ。

そう言えば、「甲斐の武田家で数百騎の寄子を率いる侍大将は何人います?
という質問はスルーですか、そうですかw

77 :名無し三等兵:2008/01/03(木) 19:33:36 ID:qv2gWdto
<戦国時代における騎馬での突撃ってのは
<槍組の背後から飛び出すもので走る距離も非常に短い。

これが、総大将なり備の大将直属の槍足軽の組なのか、自分が連れてきた槍足軽なのかは
別にして、この連中の後から騎馬武者が飛び込むわけですな。
ふむふむ。
百歩譲って、そういう戦闘形態があったとしよう。
なかなか、そういう理想的な闘いが毎回毎回できるとは思えないんだけどさ。
当然、自分の家来たちも遅れじとばかりにこれに続く。
この間に騎馬武者がかなり歩兵連中よりも突出しているの?
違うよね。
すぐ後を慕うようにどころか、騎馬武者を取り囲むようにして集団が突撃して
くるんだよね!?
騎兵(主人)と歩兵(家来)が密着して戦うんだろ?
だからそれは何度も言ってるように「騎兵の突撃」じゃなくって、誰がどう見ても
(馬に乗った武者を中核とした)歩兵の突撃っていうのが実態。

戦(イクサ)、特に地上で行われる戦闘は、精神力や時の勢いってのが大切で、要塞戦とかでもない限り、
敗者の損害の大多数は退却時に発生する。
特に指揮官を失った部隊の士気は極めて低下し(それ以上の報復の念に燃えた場合は別)、更に
封建の世では、主人を亡くした兵の戦意低下は著しい。
それ故、古今東西の戦場で戦闘員の勇気や戦意が重視さる。
特にこの時代は敵の武将や勇士を討ち取った者が評価されたわけだろ?
馬に乗っていては首は取りにくい。当たり前だ、相手の首をかき切れない。
今川義元を討った織田方の服部・毛利両名は馬廻り=騎馬武者だな。
悪天候下の桶狭間(田楽狭間)の戦場であったとは言え、二人とも馬を降りて徒歩立ちで
義元に立ち向かい、首級をあげた。
狭い道を通っていたとは言え、脚で走るのよりも馬の方が早いんだから、敵大将の首を取りたい
2人が馬から下りるか? 馬から下りたのは見つからないようにだとでも?
これまで貴君が延べたような条件であれば、馬に乗ったままで突撃できたはずだよね。
数的優位を誇る大軍を相手にしている以上、電撃的な奇襲攻撃で敵将の首をあげる以外に
織田軍に勝利の目はない。

誰が考えても馬に乗ったままの騎馬武者と徒歩立ちになった武者間の1:1の
戦いでは明らかに徒歩立ちになった武者の方が有利。
馬に蹴飛ばさせるってのもありかもしれないが、無茶すると自分が落馬しちゃうw
槍を使うにせよ刀や太刀を使うにせよ、徒歩立ちになれば両手両足を自由に使える。
安定性もはるかにいいし、下から馬上を突き上げるのと、馬上から下を突き刺すのなら、
下から馬上を突き刺す方が力も入れ易い。落馬する心配がないんだから。腰も据わる。
だからこそ、多くの武者が敵陣前では馬を下りて徒歩立ちで敵陣に向かう。
狙うは敵の、それもできるだけ大将や勇士の首。
そんな武者の攻め込む姿を「騎兵(or騎馬武者)の突撃」とは言うまい。

馬に乗った武者は騎馬武者だが、馬から下りた武者を騎馬武者とは言わんw

ここまで言ってあげても理解できないようだったら、2chやめて日本語の
勉強をしなさい。


78 :人間七七四年:2008/01/03(木) 23:22:02 ID:lo5Vxcaq
あの〜 とりあえず、自分の分だけ〜答えると〜
国によって〜違っているですけど〜
フランスを例にすると〜フル装備が無くなったのがルイ14世の時代で〜
日本の鎧とほぼ同じクラスの〜胸甲騎兵はナポレオンがよく使っていたのが最後になったみたいなので〜
どちらも日本の戦国時代が終わった後なんですけど〜

あと、自分の分じゃないのですけど〜
重装備の騎馬兵はもともと近接戦闘が強いので〜
後ろに周りこまれない限り、馬に乗ってた方が強いです。
馬から下りると歩くこともたいへんなんで〜

79 :人間七七四年:2008/01/03(木) 23:25:25 ID:vU8ozhEo
あくまでタイマンなら、徒歩と騎馬どっちが強いかってのは状況に左右されると思うんだが。
少なくとも「明らかに徒歩が有利」とはならんだろ。

そもそも純粋な一対一の局面なんてないだろうから、まぁ考えるだけ無駄でもあるけど。


80 :名無し三等兵:2008/01/04(金) 01:18:40 ID:y8UVwbzg
>>79
ほうほう。
それでは、関が原でも、大阪冬の陣&夏の陣でも騎馬の突撃が
たくさんあったはずだよな? もちろん長篠の合戦でも。
それじゃどうしてその手の戦国の合戦図では、わざわざ名前を書き込んでる
立派な身なりの侍がたくさん徒歩で敵陣向かって走ってるんだ?
馬上の武者はほんの一握り。
絵描きさんにしても、別に大将とか武将とまでは言わないまでも、雑兵と
呼ばれるような連中のためにわざわざ注記の名前は書き込まないぜ。
勝った側の為に描いてるんだから、負けた側の下級武士の名前を描く?
まさか、その武者連はみんなお馬さんを失ったので徒歩立ちなのかね?
いかにリアルな写真ではないにせよ、あそこまで細かい絵を描いてるんだ。
敵側とは言え、名のある侍たちを描くんだったら、ついでに馬くらい描く。
即ち、あの武者たちはとっくに下馬して徒歩立ちで攻め込んでるんだよw

他にも第2次長州征伐の際、幕府軍の先鋒となった譜代名家連では、鎧兜に
身を固めた上士連中が突撃したり、突撃しようとしてさんざんな目にあった。
古式ゆかしい戦陣の作法を守ってね。
だが、そんな中に騎馬隊で突撃したが、打ち破られたという話は寡聞にして
見聞きしたことがない。
いかに天下泰平の世の中で満足に馬に乗れない武士が増えていたり、
貧乏でなかなか馬を飼うことができなかったりしても、仮にも誇り高き
三河以来の譜代名家とその家臣団。金は無くても誇りはあるw
やり繰りすれば50騎一備とまではいかなくても、20騎やそこら編成できる。
いや、むしろ編成して突撃していなければ格好がつかない。
殿様にお目見えできる上士とお目見え以下の下士、士分以下の足軽の間には
同じように刀2本差していても、純然たる身分の差は存在している。
そんな連中なら、なおさら徒歩で突撃するかね?

召抱えられるときに武士は希望する禄高のことであまり露骨に数字を言うのは
はしたないとされ、百石欲しければ「槍持ちの1人も召し連れたくござる」と言う。、
同様に三百石欲しければ「乗り馬の1匹も飼いたく云々」、五百石なら「替え馬の
1匹も引き連れたく云々」などというのが作法。これは戦国時代から伝わる作法だ。
そんな先祖を持つ譜代名門藩の騎士たちが、長州では徒歩立ちですか、そうですか。
それこそ「(前衛の、役にも立たぬ卑しい足軽ども)どけどけ!」みたいな感じで
真っ先に騎兵集団が乗り込んだはずだ。
整地されていなくても、馬+騎馬武者は走れるんだよね?


あと、語尾延ばすのはやめろw
俺をバカにしてるつもりだろうが、逆にしか見えんよwwww


81 :人間七七四年:2008/01/04(金) 02:10:47 ID:531qnLIE
あの〜 夏の陣では伊達の片倉隊の鉄砲騎馬隊の突撃が真田に負けた話が伝わっているんですけど〜
描いていない理由は描いた人でないと解らないんですけど〜

鉄砲と騎馬の組み合わせは鉄砲の発達して有効性が高まっていくんだよね〜
騎兵隊って、やっぱり、片手にライフル銃を持ったイメージが〜

82 :名無し三等兵:2008/01/04(金) 02:21:53 ID:y8UVwbzg
カラコールができるほど、伊達の騎馬鉄砲隊は調練やってたの?
1発撃ったら、「はい、それまでよ〜」だと故植木等さんだぜ。


83 :人間七七四年:2008/01/04(金) 02:49:28 ID:531qnLIE
あの〜 たぶん、弓を射かけながら敵に襲いかかって、敵陣に入ったら太刀で戦うのが坂東武者の基本戦術だから〜
そっちの応用だと思います。
でも、結局負けたんですよね〜

84 :人間七七四年:2008/01/04(金) 02:55:07 ID:531qnLIE
あの〜 たぶん、弓を射ながら敵陣に突撃して敵陣に入ったら太刀で戦うのが坂東武者の基本戦術だから〜
そっちの方の応用だと思います。
でも、結局、負けたんだよね〜

85 :人間七七四年:2008/01/04(金) 03:08:32 ID:531qnLIE
ごめんなさい
書き損じたと思って二回書いてしまいました。

86 :名無し三等兵:2008/01/04(金) 08:47:05 ID:y8UVwbzg
日本語の不自由な方がお見えだな。
もしかすると日本語のお上手な在日(2世・3世)さんですか?
「(既に帰化している以上)ウリは日本人ニダ!」などと火病を起しつつ、
強引に言い張られるかも知れんが、なにとぞ穏やかに願いたいw

閑話休題
どうもこんがらがってきたので、私見を再度まとめてみる。
1.騎馬武者は騎兵ではない
騎兵は兵科(職種)。
騎馬武者は兵科(職種)ではなく、身分・身代・資格。
歩兵が馬や装甲車、歩兵戦闘車に乗っても歩兵であるのと同じで、
武者が馬に乗っただけの存在。
2.騎馬軍団や騎兵隊などというものは存在しない
騎兵が存在しない以上、騎馬軍団だの騎兵隊などの兵団や部隊は
存在し得ない。
3.騎馬武者のみの単独突撃というものは、ありえない
馬に乗れるだけの武者は通常、自分の家来を引き連れている。
武者が戦闘する際には、家来連が(全員ではないにせよ)随伴して
戦闘を行う。
従って、騎馬武者の戦闘と言うよりも、あくまでも馬に乗った
武者が徒歩の戦闘員を統率する形での戦闘となるのが常道。
もっとも、どこの世界にも外道はいるが、それを言い出すときりがない。
4.突撃と言えるほどの速度は出せない
近代軍馬との体格・騎馬武者の重量・随伴する徒歩の家来(の統率)という
要素が重なる以上、説明不要。 

以上

87 :人間七七四年:2008/01/04(金) 10:44:32 ID:531qnLIE
1.騎馬武者は騎兵ではない
騎兵は兵科(職種)。
騎馬武者は兵科(職種)ではなく、身分・身代・資格。

↑騎兵連隊が陸軍にできた時には身分制度は一応無くなってたは知ってますけど〜


2.騎馬軍団や騎兵隊などというものは存在しない
騎兵が存在しない以上、騎馬軍団だの騎兵隊などの兵団や部隊は
存在し得ない。

↑騎馬軍団も騎兵隊も正式な名称じゃないのですけど〜
それを言い出すと〜きりがないのですけど〜

3.騎馬武者のみの単独突撃というものは、ありえない
馬に乗れるだけの武者は通常、自分の家来を引き連れている。
武者が戦闘する際には、家来連が(全員ではないにせよ)随伴して
戦闘を行う。
従って、騎馬武者の戦闘と言うよりも、あくまでも馬に乗った
武者が徒歩の戦闘員を統率する形での戦闘となるのが常道。

↑室町時代に時代に入ってからそういうことが多い、そうだけど〜
鎌倉時代までは、随伴している家来は、ただの荷物持ち&雑用係りで戦闘には参加しなかったと思うんですけど〜
だから、戦国時代でも、まったく無かったとは思えないのですけど〜

4.突撃と言えるほどの速度は出せない
近代軍馬との体格・騎馬武者の重量・随伴する徒歩の家来(の統率)という
↑歩兵でも突撃と言う言葉が、使われているそうなので〜
速度はあまり関係ないので〜
騎馬隊にスピードのある突撃を求めるのは日本では明治時代に入った頃からだと思いますけど〜

88 :人間七七四年:2008/01/04(金) 11:59:11 ID:vnT4Zg0y
>>86
同意できるところは大いにあるんだけど、
4の近代軍馬と比べて劣るから突撃が出来ないって理屈だけはどうだろう。
「随伴員がいるからそれに歩調をあわせるために、『高速での』突撃が出来ない」ならわかるが、
馬の能力にも理由を求めるのは無理があるのでは。
俺は体重85キロあるけど、木曽馬は俺を乗せて普通にギャロップできてたし、
(あとでスタッフにめちゃくちゃ怒られました。マジすみませんでした)
俺の全力疾走(100m14秒くらい)とほぼ同等の速度は出てたが。
これでも徒歩に比べりゃすげぇ速度だろ。
体感なんで当てにならんといわれりゃそれまでだけど、
今現在の木曽馬でもこれだけできるなら、当時使役されていた馬でも当然出来るはず。

そもそも「近代騎兵と同等の速度」が出なきゃ突撃っていえないのか?

89 :人間七七四年:2008/01/04(金) 14:37:17 ID:ghE0CGHr
狙い撃ちされて簡単に討ち取られそうだなww

90 :名無し三等兵:2008/01/04(金) 15:23:01 ID:y8UVwbzg
>>87
やはり日本語がご理解できないようだなw 
私は帝國陸軍騎兵が騎馬武者だという話はしていない。
朝鮮民族のように枝葉末節にこだわる事大主義は大局を見失うよ。

とりあえず理解できそうにないので、教えてあげよう。
合戦絵巻や屏風で描かれている徒歩で戦場を駆け巡っている武者には
行軍中は騎馬に乗る身分の侍がたくさん含まれている。
もちろん、馬を失った者もいるだろうが、大半は馬を後方に下がらせて
徒歩立ちになって戦闘している。
戦国時代に来日していた宣教師は、「欧州の騎士は戦場では馬上で戦う、
日本では多くは下馬して戦う」という報告をしているほどだ。


91 :人間七七四年:2008/01/04(金) 16:33:25 ID:7M4xDj0Z
乗り入れ
乗り込み
乗り崩し
って
用兵法が残ってるのがそれなりに
騎馬が居た証拠だろうね。

92 :高島彩親衛隊@競馬板隊長 ◆AYAFMAbqdU :2008/01/04(金) 16:34:48 ID:OB6y03Dg
  /ヾ∧
彡| ・ \
彡| 丶._) 明日は金杯ですよ〜
 (  つ旦
 と__)__)

93 :人間七七四年:2008/01/04(金) 18:23:32 ID:dqc+18lq
>>90
そんなこと言ったら馬上から槍を突き立ててる騎馬武者の絵だっていっぱい描かれてるだろうに。
とりあえず馬の能力から否定するのは持論から削除した方がいい。
そうでないと他のみんなが同意可能な主張まで胡散臭く見える。

94 :人間七七四年:2008/01/04(金) 18:29:07 ID:531qnLIE
あの〜 馬に乗ることには技術がいるし、さらに、馬に乗ったまま戦うのはさらに技術がいるので〜
宣教師さんが、たまたま騎馬戦のできない人しか、見てないんじゃあないかと思うですけど〜

もともと騎馬武者は関東から東北が中心で、関西の方は歩兵がメインなんで〜
関西で乗馬ができる人自身少なかったみたいですけど〜
たぶん、関東は源氏を中心にして平安時代まで蝦夷との戦を続けていたので、騎馬武者発達したのだろう、と思んですけど〜
当然、鎌倉時代には、まともに戦えば天下六十四州の兵を集めてもかなわない、って言ったぐらい鎌倉の騎馬軍団は強かったみたいだけど〜
太平記の時代に対策が出来たみたい〜

太刀なんて馬上で戦う為の刀も残ってるし〜
>>91さんが、言うように馬上で戦うことがあったのは、間違いないんですけど〜

95 :人間七七四年:2008/01/04(金) 18:39:02 ID:aAoP4/cf
みんな忘れてると思うが、当時は馬も小柄だが人も小柄だ
よって体重も現代人ほどはない

96 :人間七七四年:2008/01/04(金) 18:43:08 ID:dqc+18lq
>>95
上の方でとっくに指摘されてるし
甲冑付けて乗っても充分走れる重量だろうという推量も出てるよ。

97 :人間七七四年:2008/01/04(金) 22:48:16 ID:YXkNy55g
>>77さんに、ほぼ同意します。
私も武田騎馬軍団など存在しなかったと思うし、騎馬隊のみの突撃など有り得なかったと思います。
先ず、鉄砲隊がドドーンと発砲、次に長柄の槍がオリャーと突撃、その次に騎馬隊がドラーと突撃なんて戦いが毎度あったんでしょうか?

双方、広々した平原で整列、これより何々対何々の戦いを始めます、先ず鉄砲隊からドドーンと締めは騎馬隊よーっとまるで運動会。
お互い殺し合いなんだから、武田騎馬軍団ていうものがそんなに強力なものであったなら、当然相手も対策は立てる筈。
武田が侵攻していった長野県を考えても山国だし騎馬軍団が戦いにくい峠道で待ち構えると思います。
山の上に陣地作って、鎧武者乗せて遅いのに上りでなお遅くなってる奴らを鉄砲と弓矢で狙い撃ち、峠道は騎馬武者の死骸で埋め尽くされる。
哀れ武田騎馬軍団、信濃侵攻半ばで壊滅、めでたし、めでたし^o^

峠道ばっかじゃねえだろ、あほーという突っ込みも有りそうだから、平原の場合はこの作戦でちゅ。
これは塹壕作っといて騎馬隊のバカドモが突撃してきたとしても、ゴラー(騎馬隊)塹壕の前でこ、これはっとうろうろする所を弓と鉄砲で狙い撃ち、まーたまーた騎馬武者の死骸で埋め尽くされ、哀れ武田騎馬軍団壊滅^^;

只一つだけ同意できないのは、騎馬武者対徒歩の武者の戦い。
俺は戦国時代の馬っていうのは見たことないから、今のJRAの500KG超す馬に騎馬武者が乗って、俺が3間半の長柄の槍を持って戦う場合を想定すると。
場所、東京競馬場の芝コース100M向こうから騎馬武者が駆けてくるとして、俺は槍も鎧も放り出してとっとと逃げる。

逃げない場合は、ドリャー(俺)槍突き出す、槍が長すぎて馬に掠る程度で次の瞬間蹴り殺されて、即死。
凄く勉強されてますね、色々教えて下さい。







98 :人間七七四年:2008/01/05(土) 00:15:03 ID:v4dPEgbz
>>90=名無し三等兵
コイツ馬鹿じゃん。もうほっとけよ

99 :人間七七四年:2008/01/05(土) 00:59:32 ID:TlPA3OKM
乗り入れ、乗り込み、乗り崩し
太刀もそうだけど、なんで太刀って刀が生まれるのか?
そしてこれも重要
「槍部隊が柄を地面に突き立てて敵を撃退した」ってのは
トテトテ歩いてきた歩兵に対して行ったのか?
なぜ地面に長やりを刺して構えないといけなかったんだ?
歩兵対策か?
弓兵対策か?
鉄砲対策か?
マエダケイジ=ニコラスの一騎掛けか?


100 :人間七七四年:2008/01/05(土) 09:58:36 ID:U5m0/p7v
100

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