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【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】

1 :人間七七四年:2007/11/29(木) 15:51:37 ID:faOubxTc
信康自刃について最近は家康の意志であったと見る見方が強まってきたが、
どうもそれは信長人気の興隆と連動しているような気がしないでもない。
信康自刃についてはいろんなところで語られているようだが、
ここで集中的に考えてみよう。

2 :人間七七四年:2007/11/29(木) 16:21:57 ID:ur5xcPm1
>>1
重複ですよ。

信忠と信康ってどっちが優れてるの?
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1162022656/

3 :人間七七四年:2007/11/29(木) 18:20:04 ID:pShz+kQu
重複とは違うだろ
いいんじゃないの

4 :人間七七四年:2007/11/29(木) 18:36:59 ID:v9IZxEWY
あの時代に死んで家康の得になった武将の死は全部家康の陰謀でいいよ。

5 :人間七七四年:2007/12/01(土) 13:51:11 ID:tlqyiyu4
>>2
重複じゃねえだろ。
これはお家騒動の一種。

6 :人間七七四年:2007/12/02(日) 08:07:39 ID:DetMcsHd
>>1
それは貴方の思い込みでしょ。
ちゃんとした史料とか提示して証拠や論理で反論するならともかく、
そんな自分の思いで反論されてもねえ。

「人の事をバカだという奴はバカだ」という法則があるが
「この見方は感情論だという奴の見方は感情論だ」という法則もあるんだろうね。

7 :人間七七四年:2007/12/02(日) 11:04:50 ID:brsLD1SA
家康は75歳まで生きたから結果オーライだが、人間50年の世の中で信康が死んだら徳川家の世継はどうなるんだ?
秀康や秀忠は字もかけないガキだぞ

8 :たられば君:2007/12/02(日) 13:12:46 ID:QxD/ubsw
家康自身が字も書けないどころか父親の顔さえ覚えてないだろうし。
自分の権力固めに必死な時期だから、このころの家康は後継問題意識は低いと思うよ。

9 :人間七七四年:2007/12/02(日) 18:41:59 ID:03T9Dmhk
でも家康が信康をあの当時殺して得したことってなんだろうね。
信長から命じられて・・・という前提ならば、信長に睨まれて家を潰すわけには
いかないという理由がなりたつんだけど・・・・・・。

10 :人間七七四年:2007/12/02(日) 20:55:17 ID:fO5BW72w
>>9
武田における信虎と信玄、あるいは信玄と義信と同じだよ。

逆に織田家の側から見ると、あの時点で徳川に難癖つけて下手したら敵対させて
しまうかもしれない危険をおかす理由が成り立たない。

11 :人間七七四年:2007/12/14(金) 18:17:12 ID:iW9TgkcV
すでに指摘されてることだが、「信長の命令」説は
辻褄の合わない点や不自然な点があまりにも多い。
例えば五徳は信長に12ヶ条を訴えて、どうするつもり
だったのか?
まさか夫信康を折檻してくれということではあるまい。
殺してもらって、実家に帰るのが目的だったのか。
まさか。
通説の通りなら徳川家にとって五徳は憎んでも
あきたりない存在のはず。ところが信長の死後も
徳川家からは厚遇されている。こんなところからも通説の
怪しさが分かる。
信康自刃に至るまでの経緯をもっとも詳しく記している
「三河物語」は、家康の人質時代の苦労ぶりをかなり
誇張して記すなど、全てが真実とは言えないことは
すでに言われている。

12 :人間七七四年:2007/12/14(金) 23:28:50 ID:fFlf+/nQ
>>1
信長が一向一揆根切りなど各地で大虐殺を行ったことは
周知の通り。
今更殺した人間がたった2人減ったところで大勢に
影響はない。
信康事件については家康の意思だったのではないか
という説はきちんと裏付け史料も提示されている。
信長の命令で殺したとする徳川正史が信頼に足るものか
どうかを考えるべきだ。

13 :人間七七四年:2007/12/16(日) 11:10:49 ID:64g6Vo22
>>11
>五徳は信長に12ヶ条を訴えて、どうするつもりだったのか?

愚痴を聞いてもらうのに合理的な理由なんてあるかよ。
偉い親父につげ口するだけで精神衛生上すっきりする。

>信長の死後も徳川家からは厚遇されている。

家康は「恨みに報いるに恩をもってする」が信条だったよ。

>「三河物語」は、家康の人質時代の苦労ぶりをかなり誇張して記すなど、全てが真実とは言えない

人質時代は家康本人より家臣のほうが苦労しているし、
それに苦労したかどうかなんて主観的な問題だから捏造といえるほどのものではない。

>>12
>今更殺した人間がたった2人減ったところで大勢に
>影響はない。

今更殺した人間がたった2人増えたところで大勢に影響はない。

>信長の命令で殺したとする徳川正史が信頼に足るものか
>どうかを考えるべきだ。

家康の意思だったとする史料が信頼に足るものかも考えてね。

14 :人間七七四年:2007/12/16(日) 12:21:18 ID:1o0XQ3Vu
>>13
>家康の意思だったとする史料が信頼に足るものかも考えてね

まぁ、信長の意思だとするものよりは、一次史料なので信頼に足るものだわな。

15 :人間七七四年:2007/12/16(日) 15:26:12 ID:/95yv8QN
信長の命令もかなり怪しげと言うか信頼に足るものじゃないだろう
今のところ確認できるのは
「家康から信康の処分を申し出て、信長が許可した」と言うことだけ。

16 :人間七七四年:2007/12/16(日) 21:39:22 ID:vYFLHMIx
「三河物語」に限らず徳川正史には今川義元は
必ず悪役として登場している。
そのわけは世話になった今川氏を裏切ってその領土を
奪った家康を擁護・正当化するため。
家康が人質時代今川にいじめられたというのは
作り話に近いことは今や広く認められている。
信康事件もこれと同種の話と考えてよい。
神君家康が妻子殺しなどとは口が裂けても
言えまい。だから信長に責任を押し付けた。

17 :人間七七四年:2007/12/17(月) 01:41:46 ID:C3JgtkH+
許可したと言うより「そちらの好きなようにしなさい」と返した。が正しいかな。
命令だったとしたら、そんな一歩引いた非当事者のようなことは言わず
処刑をせかしたり積極的に支持するような言葉になると思うんだけど
文面から見ると、徳川のお家騒動の始末報告みたいな印象を受ける。

18 :人間七七四年:2007/12/17(月) 07:03:54 ID:0g99aLzS
>>17
文面というのは「当代記」の記載のことだね。
他スレにも書いたが、当代記の、家康が信康の処断を
信長に相談したことは、天正7年8月に家康が信長近習の
堀秀政に宛てた書状でも裏付けられる。

19 :人間七七四年:2007/12/17(月) 09:58:47 ID:DHCmqGFj
信康切腹が「信長の命令」説への疑問点
・信長は何故、家康に遺恨の残る命令を出したのか?
・嫡男の殺害を命じられた家康が何故助命嘆願をしないのか?
・当時衰えていた武田氏に内通するメリットはあったのか?
・信長は家康が反逆するとは考えなかったのか。妹婿の浅井長政
に裏切られた経験のある信長が、同じように家康が裏切ることを
予想し、その備えをした形跡がないのは何故か。
・当時信長は本願寺をはじめ、四方に敵を抱えていた。そんな
状況下で家康を敵に追いやるような真似をするだろうか。
・通説では家康と信康の間には何の問題もなかったことに
なっている。だが「松平家忠日記」からは、この父子の間が
険悪になっていたことが窺える。

20 :人間七七四年:2007/12/17(月) 13:04:30 ID:yFE4hSL4
信長の意志も入ってるとは思う。
信長としては浜松と岡崎を分断させて両方配下にしたかったんじゃないかな?
京都にいるから任官とかの権利は彼が握ってたわけだし。


21 :人間七七四年:2007/12/17(月) 17:37:42 ID:X9dbZPMB
「信長の命令」と簡単に言うが、命令などできたのかも
疑問。
織田・徳川は同盟とは言え、実は徳川の方が従属に近かったに
してもだ。
こういう事実がある。
京を追われた将軍義昭は、各地の大名に御内書を送って
信長討伐を煽っているが、その御内書が何と信長の同盟者である
家康にも届いている。
これは家康が外からは、信長から独立した大名と見られていること
を示している。
このことからも、信長命令説が当時の状況とかけはなれているとは
言えないだろうか。


22 :人間七七四年:2007/12/17(月) 18:40:49 ID:SQHhFola
>>18
その書状は信康を岡崎から退去させたという内容のものだろ?
どう見ても切腹の執行を遅延させていることの言い訳のようにしか見えなかったが。
大体、家康が好きなようにしてよいと言われたのなら、
居所を移したくらいで信長の意向を確かめる必要はなかろうに。

>>19
助命嘆願は無理。
なぜなら信長が一番欲しているのは信康の命だということを家康はよくわかっていたから。
それは即命令拒否と受け取られることになる。
他はもう自分に敵はいないという信長の奢りで大体説明がつく。
その奢りが本能寺の変を招いた。

23 :人間七七四年:2007/12/17(月) 19:02:01 ID:5pb3mPas
何で信長が信康の命が欲しいの?
論理的に説明してくれ。

24 :人間七七四年:2007/12/17(月) 21:38:54 ID:oaN8iSUZ
>>22
おいおい自分が返しているレスの内容くらいちゃんと読めよ。
>もう自分に敵はいないという信長の奢り
信康事件のとき、信長にはまだ本願寺、武田、毛利、上杉と敵だらけ。荒木
謀反を終結はみず、伊賀は健在。加賀一向一揆にも苦戦中。八月に光秀が
ようやく丹波攻略を成し遂げたくらい。
こんな状況で「自分に敵はいないという信長の奢り」?
これが事実ならたしかに信長はアタマがおかしい。しかし私はそうは思わ
ないので、あなたのアタマがおかしいと思う。

25 :人間七七四年:2007/12/18(火) 07:42:55 ID:Vip4wYtD
>>24
通説論者っていつもこうなのな。
「疑問」にもつまみ食い的にしか答えられず、
信長がなぜ信康を殺そうとしたのかも答はない。
なぜなら通説でもその動機があやふやだから
(武田氏に内通した謀反の疑い、不行状、あるいは
信忠より優れた信康を怖れた)。
論者自身どれが正しいのか分からないからひたすら
「信長が信康の命を欲しかった」としか言えない。
徳川正史が正しいと考える者の限界。

26 :人間七七四年:2007/12/18(火) 13:23:06 ID:AZoJ4MuG
むしろ>>24は非徳川正史論者じゃないか?

27 :人間七七四年:2007/12/18(火) 15:38:42 ID:w/FL89Ku
>>25>>22のこと。
誤解を与えてしまったな。

28 :人間七七四年:2007/12/18(火) 17:35:50 ID:gxDIq/OI
>>25
信康を怖れたというより、親馬鹿の信長が信忠のために面倒な係争の種を潰してやったということだろ
ま、表立った理由は武田内通または不行状だし、信長も自分にそう言い聞かせただろうが

29 :人間七七四年:2007/12/18(火) 18:41:40 ID:ZEbQz6hX
で、その根拠は?
徳川様の天下になってから出来たいわゆる「正史」か?
そんなものが当てになるか。
本当に「神君史観」はタチが悪いな。

30 :人間七七四年:2007/12/18(火) 21:53:30 ID:hlgcOO5O
信康の切腹について、平野明夫氏が細かく分析していたような気がする。

31 :人間七七四年:2007/12/18(火) 22:08:04 ID:L1ec7Zwo
徳川正史と言われるものが何の目的をもって編まれたか。
開設者の神君家康を顕彰し、幕府の支配を正当化するため。
その目的のためには事実を書く必要なんてないし、
家康や将軍家に都合の悪いことは隠蔽・改ざんするのが
当然。
信康の死については事件当時に「信長の命令」だったと
するものは一つもない。
こんな中で「当代記」と徳川正史のどちらが信頼できる
かは明白。

32 :三河西尾藩主松平和泉守乗全:2007/12/18(火) 22:43:54 ID:XbXYlm07
信康は、自らに流れる今川の血を意識するとき、清洲同盟などよりも、むしろその敵となる織田氏と対峙することを望む。それを家康も悟っていた。
信康自刃の数日前に、人払いした部屋で家康・信康は激論をしたそうだが、対織田政策の根本に関する意見対立ではあるまいか。


加えて、家康は、信康の残虐性をおそれていた。小侍従の口内を引き裂いたとか坊主を馬で引きずり殺したとか、かかるエピソードは、三河の棟梁とは機関足るべきなのに、なまな感情を剥き出しにしすぎたことを示している。
機関が、サイロウになった。ゆくすえ三河に幸福と平安をもたらす棟梁とは、思えなかったのであろう。


家康のオトナの酒井左衛門尉、榊原式部大輔、大久保加賀守らはむろん、家康じしんもそう観念したであろう。
あるいは、家康と信康には年齢差があまりなくから、親子というよりも、競争相手になりつつある信康を恐れて、家康が殺害を命じたか?
酒井忠次が安土に上ったのは、信康処分につき、信長に承諾を得るため。信康の妻は信長の娘だから、我が子といえども、舅の承諾を得ずに始末をつけることは、はばかられた
ともあれ、信康自刃の年、家康が生涯でもっとも愛したお愛が長丸(徳川秀忠)を産んだことも、無縁ではなかろう

33 :名無し三等兵:2007/12/19(水) 02:58:16 ID:ccynRdYy
どこにでもあるお家騒動で、当主&側近vs次期当主&側近の抗争。

尾張統一後の信長の場合、幸か不幸か当主のキャラが立ち過ぎて、
倅たちとその側近連中にはそういう動きができなかっただけ。

34 :人間七七四年:2007/12/19(水) 07:54:37 ID:M+cqJFs6
文武両道に優れ将来有望な信康を危険視した信長の命名で自害させられたんだろ。
信長が死んだら凡将の信忠が織田家を継ぐから焦ったんだろな。

35 :人間七七四年:2007/12/19(水) 08:10:23 ID:M+cqJFs6
信忠の凡将っぷり
岩村城の戦いのおり届かない距離から弓・鉄砲を乱射。信忠本陣跡を矢尽くし山と呼ぶ。
信長が信忠の評判を信忠家来に聞いた際に家来は何でも欲しい物をくれる器用な殿様と答えると信長は呆れ戦国乱世では生きていけないと危惧。
本能寺の変では信長の予感は見事に的中。
逃げれるにも関わらず二条御所に籠城し光秀に討たれる。
まったく武将としての能力はナシ。
信雄とかわらん程度。

36 :人間七七四年:2007/12/19(水) 10:08:42 ID:xzL8m8+B
>>35
信忠が独力で武田氏を滅ぼしたことや、
信長が42歳の若さで家督を譲ったことはスルーか?
信忠が無能ならいくら長男でもその若さで譲るはずがない。
>>34
だからその根拠は?
編纂目的が明白な「徳川正史」以外にはないだろ?

37 :人間七七四年:2007/12/19(水) 11:27:16 ID:UgqxDI0W
>>35
知らないようなので教えておく。
武田攻めが終わった天正10年3月、信長は信忠に
「天下の儀もご与奪なさるべき旨」を伝えている。
信忠が天下人の後継者であることを宣言したのである。
これでも信忠が無能だと・・・ただの無知だろう。
もう一つ。本能寺の変の時明智は逃亡防止の手立てを
していなかったので信忠は安土まで逃れられたはず、
とするのは「当代記」。
だがその「当代記」は信長が信康を殺せなどと言ったのでは
なく「家康存分次第」と言ったとしている。
同じ史料の内都合のいい部分だけつまみ食いするなよ。

38 :人間七七四年:2007/12/19(水) 12:55:19 ID:vl0cGN3F
そもそも信康は実績なんて無いみたいなもんでしょ。
若死にしたから文武両道・将来有望とか後付けしてるだけのこと。
他の追随を許さない大勢力を誇る信長が三河・遠江2カ国程度の武将の跡継ぎを危険視するわけがない。


39 :人間七七四年:2007/12/19(水) 15:39:46 ID:Alk7jZM4
「徳川正史」という書物はない。
あるのは「三河物語」とか「徳川実紀」とか。
しかも「徳川実紀附録」は諸本を集めたもの。
それらは書いた人も違えば意図するところも違う。
信長の命令が捏造ならいろんなバージョンやら、
記述に食い違いが出てきて当然だが信長の命令は不動の大前提。

捏造なら誰が最初に考えついたんだ?
どうやって記述を統一させたんだ?
捏造だというならまずこの点を明らかにすべき。
それをせずひたすら「徳川正史」とやらで煽り、
「当代記」一本で正面突破しようとするのは気違い沙汰でしかない。
信長厨らしいといえばいえるが。

「徳川正史」「神君史観」「徳川御用史観」などというのは
誰かが捏造したと思わせるためのレトリックにすぎない。

40 :人間七七四年:2007/12/19(水) 17:14:05 ID:xtKw5eye
信康が2代目将軍だったら幕府はより良い政治を行っていたのかが気になる

41 :人間七七四年:2007/12/19(水) 19:31:54 ID:qdwhPFlb
>>39
多くの一次資料から読み取れる結果にケチ付けるなよw

42 :人間七七四年:2007/12/19(水) 21:02:19 ID:BTf3eFuz
>>39
その「信長の命令」が当時の史料にはまったく見られないシロモノなわけだが。
なのに、江戸時代になってから「信長の命令」が突然でてきた。なんで?この
ほうが不思議だ。なんの根拠があって江戸時代の資料では「信長の命令」説を
とったんだ?

43 :人間七七四年:2007/12/19(水) 21:42:23 ID:vl0cGN3F
>>42
きっと霊媒師に霊界から信長を呼び寄せさせていろいろインタビューしたんだよ。

44 :人間七七四年:2007/12/20(木) 07:11:37 ID:ODAtCVmZ
>>39
「信長の命令」でないと最初に言ったのは研究者なわけだが。
それも信長厨なのか?
そういうレッテル張りは止めろ。

45 :人間七七四年:2007/12/20(木) 07:22:45 ID:zCkE2718
>>39
信康事件は信長の命令によるものという徳川家支配による時代の流れに逆行して実は家康の命令によるものなんて書けないだろうな。
しかも家康が命令したという明確な史料もないのに家康の命令とか書くなんて尚更できるわけがないでしょ。
家康の命令だと書物で書く→お前証拠でもあるのか?→いえないです。→証拠も無しに神君の名を貶めるとはこの不届き者めがry
て流れになるのが明白なのに書ける奴がいるとでも思うのか?

46 :人間七七四年:2007/12/20(木) 08:56:25 ID:hRDRfShV
今頃>>39は羞恥心のあまり切腹してるなw

47 :人間七七四年:2007/12/20(木) 12:34:45 ID:fzryymEo
誰が信長の命令で信康切腹という筋書きを作ったか。
各種正史に書かせたのは幕府の御用学者だろう。
>>39よ、これで満足か?

>>45
この頃はまだ家康の意思で信康母子殺害という
記録とか伝えとかはあっただろう。
だがそれは正史に反するということで学者らが抹殺した。

48 :人間七七四年:2007/12/20(木) 14:19:24 ID:UH2y09oR
単にどこの家にでもあった親族間の権力闘争じゃないの?
まあ裏で武田辺りが支援してた(事実か噂の流布かは?だけど)可能性はあるけど
信康に対しては旧今川系家臣も好意的だろうし

49 :人間七七四年:2007/12/20(木) 14:28:42 ID:rwm///E8
>>40
秀忠の何が悪かった?

50 :人間七七四年:2007/12/20(木) 21:21:56 ID:wCINk1p8
通説の信長の要求で信康殺害ではなく、家康の意思という説が
出た時点で、「三河物語」「松平記」などが語る筋書きは
何者かによる捏造だということになるはずだが、>>39は今更
何噛み付いてるやら。
そしてその何者かとは幕府の関係者であろう。
彼らが「信長の命令」ということでいろいろな書に書かせれば、
それに反対することは幕府への反逆になる。
そんなことが出来るわけなかろう。
言うまでもないが何故そんなことをしたかと言えば東照大権現家康が
妻子殺しだと認めることなど絶対出来ないから。江戸時代、家康への
批判はいっさい許されなかった。
まあ>>39は関ヶ原で東軍が勝つべくして勝ったとか信じてる
徳川御用達史観なのだろう。

51 :人間七七四年:2007/12/20(木) 23:25:29 ID:3X/o9ZaF
徳川家康の事績や経歴にはウソが多い。本人がついたウソもある
だろうが、徳川様の天下になってから、御用学者などがデタラメ
なことを言っている場合も少なくないようだ。
何しろ家康は「東照神君」だの、「東照大権現」だのと崇められる
存在だったのだ。
これはある本から引用したものだが、まったくその通りだと思う。
信康事件にせよ、人質時代に今川からさんざんいじめられた話に
せよ、その「御用学者がデタラメなことを言っている」典型例で
あろう。

52 :人間七七四年:2007/12/21(金) 02:36:27 ID:i5hR8Fwb
神君家康が嫡男殺しはマズイからね。全部、信長の責任にすりゃ都合いいからね。資料が書かれた頃には当事者なんか死んでるし世は徳川時代で信長の責任にされても小大名に落ちぶれた織田家には反論なんか出来ないだろうしね

53 :人間七七四年:2007/12/21(金) 09:06:03 ID:4+YL/JvT
その無理やり殺されたと主張する
大事な嫡男様の人格まで貶めてる節があるからなぁ
侍女の口裂き、領民嬲り殺し、色狂いなど何処まで実話か分からない。
こういうのは人を貶める時に何度も使われてきた暴君逸話の典型だから。
信長に無理やり殺されたとするなら如何に優秀で好青年だったか書くだろうにw
徳川にとって信康は邪魔な存在で幾ら貶めてもOKだったのと
家康が殺したとバレても、そんな奴じゃ殺されても仕方ないと思わせるために
2重の保険をかけた結果、こんな逸話並べられたんだろう。
不義密通、傲慢、嫁いびり、嫉妬狂いとされた妻の築山も同じく。
五徳が優遇されたのは口封じ料じゃないか?
まさか後世で自分が夫と姑を陥れた悪女と言われるなんて思わなかっただろう。
信康の助命願いしたことすら知られてなかったりするし。

54 :人間七七四年:2007/12/21(金) 13:22:16 ID:PLemRZ6R
酒井忠次の逸話で
信長へ信康行状の釈明に行ったが満足な話が出来ず切腹の沙汰が下り信康を救う事が出来なかったために
後年忠次が軍功を重ねても家康からはあまり評価されず、また関東移封の際に他の四天王に比べ家督を継いだ息子の家次が3万石しか宛がわれなかった事を家康に談判すると
「お前でも息子がかわいいか?」と家康が吐いたとかってのがあるけど
あれも江戸期に出てきた話なのかな?

信長だけじゃなく重臣の忠次の責任にまでした上手い話だよね
もしかしたら忠次は信康派だったから単に冷遇されただけ?

55 :人間七七四年:2007/12/21(金) 15:12:27 ID:aN15PD71
全部御用学者の創作にしてしまえば恐いものなし

56 :人間七七四年:2007/12/21(金) 16:38:41 ID:ME3aTykw
>>54
息子を殺されてずっと根に持てたはず家康が信康の墓をずっと放置してたな。

57 :人間七七四年:2007/12/21(金) 18:26:07 ID:4ygeL3zY
忠次は家康小飼じゃなく若いときにはむしろライバルくらいなもんだからな。
四天王のうち忠次冷遇は当然とも言える。

58 :人間七七四年:2007/12/21(金) 18:43:08 ID:+gASFaWL
みんな詳しいねw
その伝で言うと、家康が関が原で「ああ、秀忠でなくて信康がいれば..」て言ったというのも
後からの作り話なのかな。

ていうか、この話の出典はそもそも何なのか。

59 :人間七七四年:2007/12/21(金) 20:35:39 ID:5RgtziTf
>>53
御用学者は、妻子殺しという家康の罪を信長の命令のせいということで
軽減することに成功した。
だがあくまで軽減であり、家康が2人の殺害を決断したという事実は
消えない。
そこで信康は暴虐、築山殿はとんでもない嫉妬深い女とし、
2人は殺されても仕方のない人間としたわけだ。
実に巧妙だ。

60 :人間七七四年:2007/12/21(金) 21:54:20 ID:oaD6a3yL
信康が家康に気に入られなかったから切り捨てたんだとして、
その理由としては経営・戦略方針の相違・対立や筑山含む旧今川派の影響排除ってところでおk?

61 :人間七七四年:2007/12/21(金) 22:13:41 ID:9kpJ6iEH
根拠はないが、信康を担ぐ岡崎派が家康の統制に従わなく
なったため、その解体を計ったという見方もあるだろう。
そのためには核となる信康を処分するしかなかった。
あるいは岡崎派は浜松派との対立の末、クーデターを
目論んだとも考えられる。
いずれにしても家康はやみくもに正妻と嫡男を片づけた
わけではなく、そうせざるを得ない事情はあったのだろう。

62 :人間七七四年:2007/12/21(金) 22:17:22 ID:4ygeL3zY
父子の対立はしょっちゅうな時代だもんな。
しかし信康を殺害の決定者は誰かというのはどうでもいい話に思われる。

63 :人間七七四年:2007/12/22(土) 02:46:11 ID:5vAJN53x
んー…こう見ると徳川って本当情報操作がうまいよなぁ
260年の間にどれだけの真実が闇に葬られたんだろうかw
時代は変わるが、忠臣蔵も幕府が真実を揉み消したんだよね…。

64 :人間七七四年:2007/12/22(土) 09:22:03 ID:VH/gsdQ5
陰謀論を信じるバカ(笑)

65 :人間七七四年:2007/12/22(土) 09:38:48 ID:VH/gsdQ5
幕府の陰謀だと主張したいなら
いろんな通説で反駮されてるいまさらな信長命令説にたいする疑問だすより
まっさきに幕府陰謀の立論しなきゃだめだろ
信長命令捏造→幕府陰謀だなんでおもってるバカは中学からやりなおせ

66 :人間七七四年:2007/12/22(土) 11:44:56 ID:zQQoIYbW
↑何の疑問もなく人の話を信じちゃう恥ずかしい人

67 :人間七七四年:2007/12/22(土) 11:52:51 ID:GGYaNQen
>>64-65
一次資料を読み取る限り、通説が怪しいと指摘してるだけだが。


68 :たられば君:2007/12/22(土) 12:00:12 ID:/lZoEtqD
信康処分に一次史料なんかあったっけ?

69 :人間七七四年:2007/12/22(土) 12:32:18 ID:9txBjGu0
どうせ捏造するならなぜ病死とかにしないんだろ?
そのほうが当たり障りがないだろう
他人の命令で徳川家の嫡男を殺されたなんて徳川家にとって不名誉この上ない話

70 :人間七七四年:2007/12/22(土) 13:11:55 ID:LVsftG6M
何故病死とかにしないのか、はさておき、
自分の意志で人を殺すのより他人に強要されて殺す方が
罪が軽くなるくらいは分かるだろ?
不名誉云々と言うならそんなこと正史には書かないだろう。
それが書いてあるということは不名誉などとは思ってなかった
ということさ。
むしろ天下を取るまでの神君はこんな苦労(?)をしたという
話の一つにした。

71 :人間七七四年:2007/12/22(土) 14:32:16 ID:DNhaZHPv
記録を病死にしたら、築山はなぜ死んだのか、朝日のためには寺を建てたのに築山の墓は…ってなりそうだが…


72 :人間七七四年:2007/12/22(土) 15:39:00 ID:9txBjGu0
築山は失意の死でOK

73 :人間七七四年:2007/12/22(土) 16:19:38 ID:NC4Q4CvZ
家康の逸話には「そうしようと思ったけど、しなかった」的な話が多い。

「本能寺の変を知って切腹しようと思ったけど、しなかった」
「真田の本陣突撃を知って切腹しようと思ったけど、しなかった」

切腹の覚悟を口に出すのは史実でもなんでもない。ただの与太話じゃん。

74 :人間七七四年:2007/12/22(土) 21:18:14 ID:anKz8U7F
>>64
陰謀と言うが、いわゆる徳川正史が捏造をしてるということが
先にあるわけではない。
信長の命令で信康切腹という通説に対し、不自然な点が多く
指摘され、さらに「安土日記」「当代記」などから家康自身の
意思だったのではないかと言われるようになった。
そうすると「三河物語」「松平記」などが語ってる筋書きが
家康美化、擁護のための作り話になるということになる、
ってだけの話。
っていうか、陰謀論とは大袈裟すぎ。
家康が自分で殺した信康を信長の命令で殺したことにした、
これを陰謀なんて言うか?


75 :人間七七四年:2007/12/23(日) 10:56:14 ID:boBkCcOZ
徳川家公認の歴史には嘘があることはすでに研究者も
言ってるが、この事件の場合歴史偽造が出来るのは
徳川の方だけということを考えなければならない。
何しろ徳川は戦国の最終的な勝者であり、その後250年日本を支配した。
端的に言えば歴史偽造など思いのまま。
これに異を唱えるとしたらそれは幕府への反逆であり、
出来るはずがない。
対し織田は信長がああいう死に方をしたため出来たことは
せいぜい先祖の偽称くらい。
繰り返しになるが当時の史料、あるいは織田方から出たものには
「信長の命令」などまったく見られない。むろん「公記」にもない。

76 :人間七七四年:2007/12/23(日) 13:17:57 ID:saYOcHKv
権力握ったから歴史偽造するだろうというのはこれまた極端な見解だな。

家康が信長側近の堀秀政に宛てた手紙を見ると当代紀の記述が怪しくなる。
「好きなようにしろ」と言われたはずなのに信長の顔色を伺っているばかりで
全然好きなようにさせてもらっている様子がない。

77 :人間七七四年:2007/12/23(日) 13:50:41 ID:hejkYowb
>>76
研究者の谷口克広はその書状で「当代記」の記述が
裏付けられるとその著書で書いている。
おれは谷口氏の方を信じる。
第一書状の中身は「信康が不覚悟のため、岡崎を追い出した」
とあって信長の顔色をうかがってるようには読めない。
そう見えるとしたら信康が信長の婿で家康一人の判断で処断は
はばかられたためそう見えるだけだろう。

78 :人間七七四年:2007/12/23(日) 17:38:59 ID:saYOcHKv
谷口氏の論はかなり恣意的だと気づけよ。
忠次に申し上げさせたとあるからこれは信康処分の相談に違いないという極め付け。
信長の裁量許可をもらったのであればこの書状の存在は変ではないかという疑問は見事にスルー。
結局、こういう研究者は自分の論に合うようにしか史料を読まない。
ちなみに典厩五郎氏はこの書状の存在を知ってしばらく落胆していたそうだ。
まだ自分に正直というもの。

家康の意思で信康を処置しようとしたのであれば、信康に時間を与える意味がわからない。
普通に読めば信康の覚悟ができるまで少し待ってくれという嘆願の手紙にしか見えない。

79 :人間七七四年:2007/12/23(日) 19:51:39 ID:+wOmCNyD
>>78
典厩五郎著「家康、封印された過去」は読んだのか?
氏はこの書状が本に掲載される時、家康が信長に
信康の助命嘆願をしたとその著者がしていたが、
実際読んでみたらそれは「想像力が過ぎる」と
思ったとある。
むしろこの書状は酒井忠次をもって申し上げ候、
から始まっている。
通説では酒井を通じて信長の意向を家康に伝えたと
なっていて、家康から信康について信長に申し上げたなどと
いうことはないはず。
この書状から読み取れることは通説に反しているということ。

80 :人間七七四年:2007/12/23(日) 20:13:19 ID:+wOmCNyD
連投だが、>>78は意図的かは知らないが事実誤認が
多いぞ。
典厩氏は>>79の本の中でもその書状の内容を知った上で、
信康を殺したのは家康の意思だったとしている。
そしてその書状だが、以下に引用する。
「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処、
種々御懇ろ之儀、其の段御取り成し故に候。忝き意存に候。
よって三郎不覚悟に付いて、去る4日岡崎を追い出し申し候。
(後略)」
忠次から信康について申し上げたことがちゃんと読み取れる
ではないか。
谷口氏を誹謗しているが、どこの誰かも分からないあんたより、
著書を何冊も出している氏の方が信じられる。
言ってることも目茶苦茶だしな。

81 :人間七七四年:2007/12/27(木) 10:42:17 ID:XTUATt9p
嫡男と正妻を死に追いやられても同盟も破棄せず、
本能寺の直前には僅かな伴連れで安土入りする。
この辺りが典厩氏も「信長主犯説が不思議でしょうが
なかった」と思った理由ではないか。
信長に逆らえば徳川家が滅びるからとかよく言われるが、
事実は逆ではないだろうか。
この頃の信長はまだ四方に敵を抱えてる状態。
こんな時家康が離反したらどうなるか。信長の天下取りなど
夢に終わることは明らかだ。
家康が信長を必要としていたのではなく、信長が家康を
必要としていたのだ。

82 :人間七七四年:2007/12/27(木) 10:58:26 ID:PmbCETY2
>>81
それはそれで、家康をマンセーするための恣意的な解釈だと思うがね。
せいぜいいって、どちらもお互いを必要としていたってところだろう。

だからって信康殺しの主犯が信長だったなんて思わないが。

83 :人間七七四年:2007/12/27(木) 15:10:17 ID:omJVGLiS
>>82
家康をマンセーするつもりなんかない。
むしろ家康は忍従に忍従を重ねた末に天下を取ったことに
なってる。
人質時代の苦労や信長の命令で嫡男を殺されたことはその
材料。
だが信康事件当時の家康には忍従する必要なんかなかった
んじゃないかってこと。

84 :人間七七四年:2007/12/27(木) 19:18:55 ID:PmbCETY2
ごもっとも。たしかに当時の家康には、信長をきって武田と結ぶという選択肢もありえた。
少なくとも信長の理不尽な要求に唯々諾々と屈するほど弱い立場でもなかった。

これまでの通説を疑問視するに十分な状況だな。

85 :人間七七四年:2007/12/27(木) 19:58:59 ID:DiKTKkGV
>>81>>83>>84
信康事件の1579年当時の情勢
北陸方面・・・謙信死後攻守が逆転して柴田勝家の軍団が順調に北陸を攻略中
甲信方面・・・武田家は御舘の乱勃発以後、北条との同盟が手切れとなりどうにか自勢力の維持に努めている状態。
畿内方面・・・1578年に有岡城の荒木村重が離反するが、離反早々に旗下の中川・高山両将が織田に降伏。
        第2次木津川口の戦いで織田方が勝利し毛利の支援を失ってしまったので、信康事件の頃には有岡城は風前の灯状態。
        石山本願寺も毛利の海戦での敗戦による支援の喪失によって戦力が大幅にダウンした状態。
        丹波方面も明智光秀によって79年に攻略。
        播磨方面では別所長治が一応織田に反抗しているが羽柴秀吉による兵糧攻めで干殺し状態。

信康事件の時、確かに織田家は四方に敵を抱えてる状態だが=織田家苦境の状態ではないでしょ。
志賀の陣や信長包囲網の時の四方に敵を抱えていたのは苦境だったと言えるが、それと1579年時の四方に敵を抱えている状態を同じ意味で考えたら駄目でしょ。
1579年の織田家は守勢ではなく順調に四方の敵を切り崩している段階で、軍備にも余裕がある状態。
1579年に徳川が離反したら確かに厄介であるが徳川離反が織田家の窮地に繋がることは決して無いよ。
飛ぶ鳥落とす勢いの織田との同盟を破棄して、落ち目の武田と手を結ぶ選択肢なんて普通に考えられない。
この時期辺りから徳川は織田家に対して臣従のような力関係になり始めてるでしょ。

最後に一応断っておくが俺は信康自刃は信長の命令説は信じていないです。



86 :人間七七四年:2008/01/04(金) 17:14:06 ID:wur7YlPY
最近の研究では桶狭間後、徳川氏(当時は松平)と今川氏の
抗争がすぐと言っていいほど始まっていて、これまでの通説の
今川氏真に弔い合戦を勧めたが応じないので織田と同盟したと
いうのは誤りであると分かってきている。
これも、当時今川の元にあった築山殿と信康を家康がさして
大事に思ってなかった証拠になる。
それこそ殺されてもいいやという感じ。
2人を正妻、長男として大事に思ってるなら今川を
裏切らないはず。

87 :人間七七四年:2008/01/07(月) 01:11:04 ID:rfOXYmj1
>>86 そうだよな 信長死後も墓も放ったらかしだし

88 :人間七七四年:2008/01/15(火) 21:42:06 ID:Zre9JMJe
信康に関する逸話
介錯を務めることになった家臣の服部正成が悲しみのあまり斬る事ができず
ほかの人が介錯を行った
関が原で秀忠の軍が真田の妨害に遭って到着が遅れている時に
「こんな時にせがれがいてくれたら」と家康がつぶやき
家臣が「秀忠様のことですか?」と聞くと
家康が「そのせがれではない、信康のことだ」と言った
信康って実際どんな人物だったんだろう?

89 :人間七七四年:2008/01/16(水) 01:48:54 ID:ORBUNIU1
>>88
人物的には申し分なくて人望もあったという説はある
だから家康の浜松派と信康の岡崎派に分かれてしまっていて、
それに危機感を感じた家康が・・・というふうに
信康にしても岡崎に立て篭もって反抗もできただろうけど、
やはりそこは家を考えて泣く泣く自刃したという考えもね
それで家康もそこまでしちゃったんだから>>87というのもあるんだろうし
このときはもう秀康とぎりぎりで秀忠も生まれてたから後を託したのかも

諸説あるこの事件には、五徳が信康を助命してもらうように父信長に頼んだとか、
信長も気遣って様子を聞いたんだか呼び出したんだかって話もあるほど
よく知られる話とは正反対
つーか信長に悪役をおっかぶせたのは、
神君家康を悪人的にさせなかった幕府の捏造って説はもう散々ガイスツ
捏造の一連で、後になって「信康が生きていれば・・・」なんてのもそうだよね
これに関しては仮に本心で思ってたとしても
後の祭りで口には出せなかったんじゃないかなあ
なんせ自分が追い込んじゃったんだから

ぶっちゃけ徳川の暗黒部分だから真説なんて出てこないんじゃない?
真説を隠すための捏造でもあるわけだし
憶測のネタになるものは出て来てもね

ちなみに、当時服部半蔵は二俣にはいなかったっていう資料もあったみたい
他で武将として守備についてたか忍者やってたかはそこまで知らない


90 :人間七七四年:2008/01/16(水) 02:09:42 ID:N9v19+ee
これまでは@信長命令説が通説とされてきたが

A家康意思説の可能性も浮上してきた。

こんな風に把握しとけばおk?




91 :人間七七四年:2008/01/16(水) 03:14:10 ID:Iuo5OVjY
>>88
酒井忠次に「へえお前でも息子はかわいいんだw」って嫌味言ってるな

92 :人間七七四年:2008/01/16(水) 09:54:30 ID:9DADfwqk
>>90
むしろ、信長命令説の根拠がほとんど否定された、と。

93 :人間七七四年:2008/01/16(水) 10:49:51 ID:fVkGWDba
某社から出た信長の事典にあった年表に
「松平信康の切腹を命ず」などとあったのには
呆れた。
信長側の史料のどこにそんなことが書いてあると
いうのか。そそっかしい人は「公記」辺りにそう
書いてあるなどと誤解しかねない。
そんなことは徳川方、しかも徳川の天下になってから
出たものにしか書いてないのに。
繰り返しになるが「信長命令」説は当時の状況から考えて
不自然な点、辻褄の合わない点が余りにも多い。

94 :人間七七四年:2008/01/16(水) 20:08:26 ID:ORBUNIU1
>>91の件についても逸話っていうことはなかったっけな

>>93
出たばかりの新しい本にも真実でない話が出てることはよくあるよね
たぶん面白いからわざとってことと、著者の無知によるものだと思われ
せめて併記してほしい


95 :人間七七四年:2008/01/16(水) 20:39:30 ID:ppSHdXwM
酒井家次だけ三万石って時点で相当家康の怒りを買ってる事がわかる

96 :人間七七四年:2008/01/16(水) 21:07:05 ID:xDlodqVo
>>95
通説論者のようだが、酒井の息子の石高が少なかったから
と言って、必ずしも信康の件に結びつくものではあるまい。
別の理由があったとも考えられる。
しかも忠次は信康についてまったく弁解しなかったのに
その後冷遇されてないのだが?
通説では信康を死に追いやった張本人なのだが。

97 :人間七七四年:2008/01/16(水) 21:23:34 ID:ppSHdXwM
関東入封後に酒井家当主が三万石にされたという事実を冷遇と認めないなら
なんともいいようがないな
まあそんな奴はほとんどいないだろうけど

98 :人間七七四年:2008/01/16(水) 21:29:08 ID:xDlodqVo
>そんな奴はほとんどいないだろうけど
このスレでは「信長命令」説は少数派。
もう一度全部読んでみるんだね。


99 :人間七七四年:2008/01/16(水) 21:36:44 ID:ppSHdXwM
このスレで多数なら世間の通説になるのか
ずいぶんお手軽ですな
三万石は冷遇ですよ
厚遇じゃありません
嫌味も言われてるしな

100 :人間七七四年:2008/01/17(木) 09:51:45 ID:gGI/475I
どうして通説派ってこうお粗末なんだ?
信康のことで冷遇されるのなら忠次本人のはずだろうに。
なぜ息子なんだ?
忠次は信康の死の後も徳川家臣団のトップの地位にとどまり
3年後の信濃制圧の時にはその最高責任者にされている。
>嫌味も言われてるしな
それが史実であるという証拠は?
新説ではそれも含めて御用学者の捏造だと考えてるのだが。

101 :人間七七四年:2008/01/17(木) 10:06:07 ID:gGI/475I
もう一つ教えておくが、新説は別にこのスレだけで
言われてるわけじゃない。
言い出したのは研究者。最近は賛同者も増えている。
もう少し勉強しようね。

102 :人間七七四年:2008/01/17(木) 19:57:39 ID:R8jpArh7
何かしくじったから石高減らされただけじゃないの?


103 :人間七七四年:2008/01/17(木) 20:00:07 ID:0fEfClfQ
忠次は普通に処して、忠次が老いて隠居してかわいい息子が家を継いだ時に
一気に冷遇したほうが精神的ダメージでかいだろうが
狸親父の心理戦法を甘く見るな

104 :人間七七四年:2008/01/17(木) 20:02:54 ID:0fEfClfQ
家康は「なんでうちの息子にこんなひどいことを」って
忠次に言わせる機会を狙ってウズウズしてたんだよw

105 :人間七七四年:2008/01/17(木) 20:54:37 ID:A6dqGLJX
そもそも息子・家次自身の功績が少ないから、3万石は妥当。
功績に比して禄が少ないのは、本多正信も同じ。
後に、酒井家は出羽鶴岡に封じられたのだから、功績に相応しくなったと言える。

106 :人間七七四年:2008/01/17(木) 21:03:22 ID:R8jpArh7
四天王(当時は言われてなかったよね)全員が石高低すぎるから
家康の腹の中なんて分からないよ

忠次の愚痴ネタって「信康がいれば」とか「真田は親か子か」と同じ系統の逸話っぽいね

本多正信は自分から石高増加は固辞してたらしいけど
増えたら必ず妬まれるからとのこと・・・これも真偽分からんけど

107 :人間七七四年:2008/01/17(木) 21:40:11 ID:zHilRDfu
家次は3万石という知行に腐らず奮起して加増を勝ち得たんだから
悪くない人事だったと思うぜ。

108 :人間七七四年:2008/01/17(木) 21:49:34 ID:RxjjLdWL
領国の拡大により三河時代の三備(家康旗本・酒井忠次組下・石川数正組下)が
相対的地位を低下させていたのは事実だしね。

新参家臣が増えたことで旗本先手の本多、榊原、井伊が軍団長に昇格。
多くの新参家臣がその組下ないしは家康旗本に配置(大番組)されることに。
それを考えると酒井忠次父子の処遇は家中での彼らの地位を如実に表していたと思う。

109 :人間七七四年:2008/01/17(木) 22:26:47 ID:+9EHMoIb
>>103>>104
だからそれは「信長命令」説が正しかった場合の話だろうが。
まずそれが正しいことを証明しろよ。
つーか「お前でも息子が可愛いか」と事実家康が言ったのなら
議論の必要なく「信長命令」説が正しいことになる。
このスレの存在意義にかかわる問題だ。
それが分からずに家康が確かにそう言ったことを前提にしている
馬鹿がいるようだが。

110 :人間七七四年:2008/01/17(木) 22:46:20 ID:R8jpArh7
シナリオの書き方を換えれば家康命令説だって逆恨みに持っていけるよ

・信長が徳川家のゴタゴタを気にして徳川家の人間を呼び出す
・家康の代わりに家臣筆頭の忠次が代理で行く
・事情を聞いたがはっきり言わない(言えない)
・信長、内政不干渉と仲裁を諦める
・そして家康は当初の考えのまま信康に切腹を申しつけ

「あのとき無理にでも仲裁されていれば、
信長の顔を立てて信康切腹は命じなかったかもしれない
忠次がそのように説明していれば・・・」

わ忠そ
る次.う
い  だ

という、家康の逆恨みシナリオ
家康も巷間言われてた忍耐・待ちだけ人間じゃないというのも知られてるから
とはいえ実話逸話不明だからなんとでも書けることだからね、信康切腹事件は

ところで、信康は実は死んでないという
一番偽に近い説はここでは完全にあぼん?(・∀・)


111 :人間七七四年:2008/01/17(木) 22:59:57 ID:yYqrPcWX
>信康は実は死んでないという一番偽に近い説
kwsk

112 :人間七七四年:2008/01/17(木) 23:03:02 ID:cRUGWOCX
家康影武者説との関わりはないの?

113 :人間七七四年:2008/01/17(木) 23:10:49 ID:R8jpArh7
>>111
いやいや
単に生きてくれればなあという人たちによる妄想みたいなものww

>>112
若いときの子供→年齢が上がると風貌が似てくる、というのだっけ


114 :人間七七四年:2008/01/17(木) 23:30:56 ID:D5L+67WF
ここらで「当代記」を引用しておこう。このスレでは初めてのはず。
「(天正7年)8月5日、岡崎三郎信康主家康公一男牢人せしめ給ふ。
これ信長の婿たるといへども、父家康公の命を常に違背し、信長公をも
軽んじたてまつられ、被官以下に情けなく行われ、非道の間かくのごとし。
この旨を去月、酒井左衛門尉(忠次)をもって信長に内証を得らる所、
左様に父・臣下に見限られぬる上は、是非に及ばず。家康存分次第の由
返答あり」
ここで大切なのは信長が「信康を殺せ」などと言わず、「家康の思う通り
にせよ」と答えていることである。
ちなみに「当代記」は、研究者の間でもかなり信頼度の高い史料と
されている。

115 :人間七七四年:2008/01/18(金) 03:49:45 ID:CY2QJ+UF
>>109
いやいやそれは命令否定派の仕事だろw

116 :人間七七四年:2008/01/18(金) 07:26:55 ID:FhoZjU5r
>>115
すぐ上に書いてあるのも見えないのか?
通説派は史料の提示すら出来ないのだな。
「お前も息子が可愛いか?」も何に書いてあった
のか言えないし。

117 :人間七七四年:2008/01/18(金) 09:51:57 ID:7u7N8BMV
>>115
どちらの説が正しいか決定打はない。
だが通説に対し疑問点や辻褄の合わない点が指摘されている。
通説が正しいと主張するならそれらに答えるのが先ではないか。
新説派は>>114にもあるように史料も示している。
答えるどころか事実がどうかも疑わしい「お前も息子が可愛いか?」
を持ち出すなど話にならない。新説ではその台詞や「あやつではないわ
信康よ」も創作と考えてるのだからな。

118 :人間七七四年:2008/01/18(金) 16:48:32 ID:+RyUiUBo
「信長公記」の一つである「安土日記」。
それに信康に「逆心の雑説」があったとあり、これも
通説を疑わせる材料の一つになっている。
現在「信長公記」の現代語訳がいくつか刊行されているが、
別の底本を使用したため、この記載がないのが残念。

119 :人間七七四年:2008/01/20(日) 16:11:51 ID:OBSTfK4K
「安土日記」「当代記」そして天正7年8月に家康が堀秀政に
送った書状に共通するのは、家康の方から信長に信康について
相談したこと、つまり通説とは逆であるということだ。
これだけでももはや「信長命令」説は成立しないと見て
いいのではないか。

120 :人間七七四年:2008/01/23(水) 21:59:07 ID:Mg/dCi+8
徳川信康が江戸幕府第2代将軍だったら
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201093020/

121 :人間七七四年:2008/01/24(木) 00:50:28 ID:kxTleH0X
それは分からなさ過ぎる

122 :人間七七四年:2008/01/25(金) 10:57:58 ID:RlPSNOaA
話題転換か。

123 :人間七七四年:2008/01/31(木) 13:03:11 ID:wD3sjtSk
もう、小倉女は権力者の肉便器でその程度の女だったってことでいいじゃんW

124 :人間七七四年:2008/02/02(土) 14:47:01 ID:6gmz3Kmo
この事件に限らず、織田・徳川関係は徳川の世で
歪められた点が多いようだ。
姉川で徳川勢敢闘は捏造に近いと以前から指摘されてるが、
攻守同盟と思われてる織田・徳川同盟はそうではなく
単なる領土確定であったともいう。
また、京を追放された将軍義昭を家康は招こうとする動きも
あったという。
いずれにしても、これまでの家康の歴史は松平・徳川中心史観
というべきもので成り立っており、再検討の余地が大きい。

125 :人間七七四年:2008/02/02(土) 15:40:54 ID:YLSs5rDC
各大名家でリアルタイムで書かれて残ってる資料なら徳川寄りじゃ無くない?
後で書かれたら他の家も幕府から圧力が掛かってたかもしれんが

126 :人間七七四年:2008/02/02(土) 16:12:15 ID:j3zzAaLM
>>124
> 攻守同盟と思われてる織田・徳川同盟はそうではなく
攻守同盟じゃなくてもそれに近いものだったと思うよ。
だから信長の上洛に家康が加わってたし、姉川も参戦してた。
義昭の命令という見方もあるが、それなら三方ヶ原に織田は援軍を出さなかったし、
高天神の落城に賠償金を払わなかった。

127 :人間七七四年:2008/02/08(金) 06:57:41 ID:a1fMFxxC
今更ながら>>1
信長人気の興隆と言うが、最近はむしろ信長の業績とされるものに
疑問が呈されてると思うのだが。
桶狭間は奇襲ではない、長篠で3段撃ちはしていない、
鉄船は造っていない、楽市楽座の創始者ではないなど。

128 :人間七七四年:2008/02/08(金) 19:17:01 ID:1ezoK12I
>鉄船は造っていない
これマジ?
他のは承知してるけど


129 :人間七七四年:2008/02/09(土) 19:47:46 ID:NkMCKH2+
「信康は家康の種ではない」説というのがあったな
義元?氏真?との不義懐妊の築山を押し付けられた家康は事あれば信康を処分したがっていた、とか

130 :人間七七四年:2008/02/09(土) 20:01:36 ID:Wrf0rDNm
信康は言うまでもなく今川の血を引いている。
その今川を裏切った上領土まで奪った家康に
いい感情は持たなかったとも思える。
同じように家康は家康で、裏切った旧主家の血を引いた
信康をよく思っていなかったのではないか。
信長命令説では信康を死なせたことが「家康生涯の痛恨事」
などと言われるが、そうまで信康を大事にしてたとは
思えない。
この父子の感情が事件を呼んだとも思える。


131 :人間七七四年:2008/02/09(土) 21:03:19 ID:eMnvlTuH
岡崎に信康を分けたのは良かったが
築山殿まで一緒にしたのはまずかったな

132 :人間七七四年:2008/02/09(土) 21:20:00 ID:sYo9f5J0
一般に築山殿は最期まで家康の正室だったとされているが、
異論も出ている。
家康の母お大が実家水野家が織田方に鞍替えしたのが
原因で離縁されたように、築山殿も家康が今川氏を
裏切った時点で離縁されたという見解だ。
だから彼女は家康が岡崎城主だった間は入城できなかった。
岡崎城が信康に譲られると、彼女は城主の母ということで
入城した。
こう考えると築山殿が家康の正室でありながら、家康と共に
浜松へ行かなかったのが理解できる。

133 :人間七七四年:2008/02/09(土) 21:31:37 ID:NkMCKH2+
幕府の御用学者が秀忠を妾の子のまま放置してたのも謎だな
後付けでどんな捏造も出来ただろうに
まあスレ違いだわなw

134 :人間七七四年:2008/02/09(土) 23:06:19 ID:kqMzBHe6
秀忠の母お愛(西郷局)は若死にしたが
秀忠が将軍になると将軍生母ということで従一位を
追贈されている。
よって捏造の必要などまったくなかった。

135 :人間七七四年:2008/02/10(日) 00:28:26 ID:ECH8vv6K
放置されてたのは秀康じゃないの?

136 :人間七七四年:2008/02/10(日) 13:11:33 ID:Jn9T5+fW
>>134
話がずれてるね。
>>133が言いたいのはやろうと思えばお愛の方を正室扱いとか
秀忠を正室腹とかに捏造できたのに何でしなかったのかってことじゃないの?

137 :人間七七四年:2008/02/10(日) 14:44:31 ID:yozd4Svt
妹の亀姫と家康の仲は、どうだったんだろう

138 :人間七七四年:2008/02/11(月) 20:02:57 ID:BdJfObta
>>136
それに対して捏造する必要なんてなかったと言っているのでは?

139 :人間七七四年:2008/02/12(火) 01:00:38 ID:2S5s/EHd
築山殿が生きてる頃は氏真は家康に従っていて
諏訪原城あたりで今川旧臣を率いていたんだよな

140 :人間七七四年:2008/02/16(土) 11:07:18 ID:fx6I/KA8
「当代記」を「三河物語」より上位に上げる人が多いけど、「三河物語」だって徳川家の事を
かなり率直な物言いで書いてあるからその点も考慮すべきかと

後、信康付の重臣がその後、粛清されていないのも可笑しいと、自分は感じる。
植村家次は出奔してるけど、後に復帰しているし

仮に原因が内紛だとしても、派閥争いではなく、あくまで家康、信康との個人的な
諍いが原因とは感じている

で、大した事がない話を忠次が信長にばらしてしまい、話が大きくなって止む無く
切腹を命じたのではないかと

141 :人間七七四年:2008/02/16(土) 11:32:49 ID:sOiXS62H
「三河物語」は松平・徳川中心史観の嚆矢であると
研究者の間でも言われている。
三河物語に改ざんがあることは一例を挙げれば
家康の父広忠を病死としていることでも証明される。
これは松平家の当主が2代続けて横死した事実を
粉塗するためと思われる。
神君礼賛、家康に対する批判が許されない時代に
家康が妻子殺しなどと正直には書けまい。
>粛清されていない
三河一向一揆に荷担した家臣も帰参を許してる位だから
不思議はない。

142 :人間七七四年:2008/02/16(土) 11:49:21 ID:fx6I/KA8
>>141
大坂夏の陣での旗奉行のやり取り見てもそんなに気を使ってるようには見えない
家康と彦左衛門が言い争う場面なんて、杖をドンドン叩いて語気強く言い募るという
具合にそこまで礼讃しているとは思えん

後、家忠日記の当時の部分みても特に浜松と岡崎、家康と信康の間に深刻な
軋轢があったとは思えん。8月3日に家康が部隊を率いて岡崎に来るまで特に
問題は感じられない。6月3日にも家康は信康に会いに来ている。

143 :人間七七四年:2008/02/16(土) 12:02:16 ID:fx6I/KA8
因みに酒井が安土に出かけたのは1月4日

144 :人間七七四年:2008/02/16(土) 15:02:47 ID:jqV9qTTG
>>142
そうした例をいくら挙げても、新説派は三河物語が全部
出鱈目と言ってるわけではないのだから、信長命令説が
正しいという証明にはならない。
また、「家忠日記」の天正6年の記事に、家康が岡崎衆に
「岡崎在郷無用」という命令を出しているのがある。
これは信康と岡崎衆の関係を断ち切ろうとしたものでは
ないか?父子の相克が窺われる。

145 :人間七七四年:2008/02/16(土) 16:14:53 ID:fx6I/KA8
>>144
まあね。ただ当代記も直接、記録を始めたのは1600年からでそれ以後は編纂と考えられるし、
場所も伊賀や安濃津というと伝聞としてもあまり信頼できない(当時の伊勢は信長領だし)
ttp://izuna.ed.shizuoka.ac.jp/papers/tanakakoyama2000.pdf

信頼性は三河物語と大して変わらん、いや三河出身という感じを考慮すると俺は後者を無下に
はできん


146 :人間七七四年:2008/02/16(土) 16:20:18 ID:/fG9pZKr
出身だからこそ岡崎譜代岡崎衆の不祥事を隠そうとしたという見方もできるなあ

147 :人間七七四年:2008/02/16(土) 16:57:59 ID:fx6I/KA8
>>144
「家忠日記」の記事には
九月二十二日に
「亥刻ニ吉田左衛門より家康各国衆岡崎在郷之議無用之申〜」とあり
翌日に鵜殿八郎三郎、松平太郎左衛門の三人と石川・平岩と会って
その後も在郷のお礼とかある
ttp://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013381&VOL_NUM=00001&KOMA=34&ITYPE=0
単純に行くなという話ではないかと


148 :人間七七四年:2008/02/16(土) 17:33:04 ID:fx6I/KA8
>>147
後、俺には「無用」ではなく「参用」に見える

149 :人間七七四年:2008/02/16(土) 17:52:47 ID:aMCRwjxX
三河物語と当代記とでは編纂目的が違うだろう。
前者は徳川中心史観による史実の改変が見られることは
すでに明らかにされている。
後者は研究者の間でも「かなり信頼度が高い」と
されている。
それでも前者の方を信じるとすればそれは学問ではなく
信仰の世界だな。
それから「安土日記」の記載は知ってるか?

150 :人間七七四年:2008/02/16(土) 17:57:43 ID:aMCRwjxX
>>147
9月5日条には
「家康より鵜殿善六御使。岡崎在郷無用の由、仰せ越され候」
とある。
こっちの説明もしてくれないか?

151 :人間七七四年:2008/02/16(土) 18:10:48 ID:fx6I/KA8
>>149
「三河物語」でその間違いが指摘されているのは、主に忠教の生前に関連することが主で
それ以後は兵力の水増しや行為に対する好意的解釈はあるけど、事実をひん曲げると
いったことは無い様に思うのだが

152 :人間七七四年:2008/02/16(土) 18:49:48 ID:fx6I/KA8
>>150
やっぱ「無用」かなぁ
でも松平家忠、鵜殿八郎三郎、松平太郎左衛門は東三河衆として
酒井忠次の寄旗下だからその辺の整理なんじゃないのかね

153 :人間七七四年:2008/02/16(土) 19:09:42 ID:fx6I/KA8
>>152
後、牧之原城普請なんかで負担が増えたから、これまで浜松・岡崎双方に出仕していたのを
浜松だけでよいとして、妻子を実家に帰すというのは負担の軽減ですし
家忠日記からは自分は事態の切迫は感じないのだが

154 :人間七七四年:2008/02/16(土) 19:35:55 ID:A7CrOAol
>>151
あんたがどう認識しようと専門の研究者が
三河物語は「松平・徳川中心史観による事実の改変が見られる」
と指摘してるんだよ。
学者や研究者の言うことが全て正しいわけではもちろんないが、
素人はそういうものに耳を傾けるべき。
なお、信康の死が信長の命令ではないとするのも谷口克広氏を
中心とする研究者。
素人がその間違いを指摘しようというならよほどの根拠が必要。
「三河物語」の評価については平野明夫著
「徳川権力の形成と発展」(岩田書院)という本に詳しいから
一読を勧める。

155 :人間七七四年:2008/02/16(土) 19:40:44 ID:A7CrOAol
連投だが、
>無いように思うのだが
って、思うのは自由だが、それが正しければ
このスレは終了。議論の余地はなし。
それが分かってる?

156 :人間七七四年:2008/02/16(土) 20:39:27 ID:x9Uyewyr
通説で言うところの信康切腹に至るまでの経緯も
疑問・矛盾だらけ。
たとえば三河物語では夫婦仲が悪くなったことや
信康の不行状で死が命じられたとするが、
どんな不行状があったかは書かない。
不行状どころか「これほどの殿はまた出がたし」だからな。
そもそも嫡男を殺したいのなら、信長は徳川家そのものを
滅ぼすのではないか?

157 :人間七七四年:2008/02/16(土) 20:40:03 ID:fx6I/KA8
うーん、実は個人的には家康命令説もそれなりに色はあるとは思っています。
ただ、当代記の信用性が実は三河物語位だからそこは慎重にという事。
なんせあれ、大坂冬の陣の講和条件で二の丸埋めなくて良いという大間違い
やってますし

後、岡崎派と浜松派の争いは、家康命令の適当な理由付けでしかないでしょう。
実際、こういうことがあったという推論は根拠がないですし。
あくまで家康が信康を殺したのだとするならば、それはあくまで個人間の、しかも
傍から見れば実に些細な理由からだと、自分は考えます。

158 :人間七七四年:2008/02/16(土) 20:59:54 ID:x9Uyewyr
新説派の根拠は当代記ばかりではないよ。
「安土日記」には、信康が逆心を抱いたので家康が
信長にそのことを申し上げ、信康を国端へ追い出した
とある。
また、天正7年8月に家康が信長の側近堀秀政に送った
書状には、三郎(信康)不覚悟につき岡崎を追い出した
とある。
これらに共通するのは信康の処分について家康から信長に
伝えたということで、通説とは正反対であるということだ。
通説では信長が酒井を通じて意向を家康に伝えたことに
なっていて、家康が自ら何かしたということはないはず。

159 :人間七七四年:2008/02/16(土) 21:11:51 ID:fx6I/KA8
>>158
ああ、それならそれでもいいんですよ。
有力説として通説と比例されると思います。

私が気に食わないのはとにかく原因とさせる岡崎・浜松の
派閥争い説ですので。

160 :人間七七四年:2008/02/17(日) 00:06:00 ID:KS1CFgRe
むしろ、当の時代の一次・二次史料では家康の命令となっているのに、どうして
通説の方が有力視されてきたのか。

161 :人間七七四年:2008/02/17(日) 00:20:03 ID:5ZV0RaaT
神君が妻子殺しじゃマズイだろう

162 :人間七七四年:2008/02/17(日) 07:50:29 ID:KrYt7NgP
>>160
三河物語は何のかんのと言われても、いまだに重要な史料とされてますので

163 :人間七七四年:2008/02/17(日) 10:09:33 ID:Iljk3yFg
>>160
それは江戸時代、幕府の御用学者によって
「信康切腹は信長の命令」説が流布され
人々に刷り込まれたのが現在まで
続いてるってことだよ。
何しろ同時代史料は皆無、ほかにそうした
通説に反する史料も見付けられなかったのだし。
「当代記」の記述が注目されたのはごく近年。

164 :人間七七四年:2008/02/17(日) 10:39:38 ID:KrYt7NgP
>>163
個人的には「三河物語」の成立過程からして、後世の意図的な流布は考えにくいかと
むしろ家康が対内的にそういう話を流したという方が在り得ると思うのですが

よく御用学者の捏造とはいいますが、私はどうもそれ「便利な言い訳」に感じてしまうんですよ

165 :人間七七四年:2008/02/17(日) 22:44:26 ID:opMdVrqQ
むしろ「三河物語」が書かれた時点ですでに
信長命令説が普及しており、大久保もそう
信じて書いた、ということではないか。
なお「三河物語」を始め徳川氏創業記には
今川義元は必ず家康主従に苦労をかけた悪役と
して登場している。
これが嘘に近く、家康は実はつらい人質生活など
送っていなかったというのが最新の研究成果。
同書は決して荒唐無稽の書物ではないが、このように
主に家康を美化するための改ざんがあることに
注意すべき。

166 :人間七七四年:2008/02/17(日) 22:52:16 ID:2XCKQL81
>>165
今川家臣のどれぐらいかは竹千代をバカにしてたかもしれんけど
当主の義元自身はかなり期待をしてたようだからね
雪斎に説得されたのかもね、竹千代は使える人材だと


167 :人間七七四年:2008/02/17(日) 23:06:26 ID:KSOkNBU9
西三河一円に大きな所領と影響力を松平氏が有してたが故でしょう。


168 :人間七七四年:2008/02/17(日) 23:47:36 ID:5ZV0RaaT
>>166
重用し始めたのは雪斎死後だから、
義元自ら家康の才能を確認して納得したんだろう。
実際大高城での働きを聞いて喜んでたし。
もちろん、今川家臣の中で家康をいじめたヤツがいたらしい。

169 :人間七七四年:2008/02/18(月) 06:45:34 ID:L14zyOSk
>>165
あの時、忠教生まれてませんし。で、信康の時は既に元服してます。

170 :人間七七四年:2008/02/18(月) 09:36:00 ID:s/LuacGp
>>169
その時生きていたからと言って、正しいことを書いている
保証にはならない。
大久保が信康の直臣でもなければ真実を知る立場でもあるまい。
直臣だったっけ?
どうしても「三河物語」の信憑性を主張したいらしいが、
松平・徳川の専門研究者が「同書は松平・徳川中心史観で事実を
歪めている」と言ってるのだよ。
お前さんは専門研究者より上なのかい?

171 :人間七七四年:2008/02/18(月) 09:48:05 ID:s/LuacGp
仮に大久保が信康の死についての真実を知っていたとしても
神君が妻子殺しとは正直には書けまい。
そういうことも考慮しないでただ「三河物語」は正しい!と
叫ばれてもねえ。
そういうのは学問ではなく信仰の世界。

172 :人間七七四年:2008/02/18(月) 10:42:02 ID:3/AvQsON
>>169
大久保彦左衛門が生まれる前のことは誤りがあると
認めてるようだが、その誤りは家康や徳川家を美化する
ための意図的な改ざん。
だとすれば彦左衛門が生まれてからのことも全て事実では
なく、同じ目的による潤色・改ざんがあると考えるのが
自然。
大久保が生まれる前のことは誤りがあっても生まれた後の
ことは全て真実とは単純すぎ。
それから>>155をもう一度読むように。


173 :人間七七四年:2008/02/18(月) 12:38:44 ID:EQXiEJkC
人質であるがゆえに家康主従が苦労したのは本当だ。
義元に難題を与えられて家臣が家康に無理だから断れと進言したが、
家康は断れるわけなかろう、ここは自分に任せてくれと言うしかなかった。
無理難題を与えられても家康にそれをやってのける能力があったので
苦労していないように見えるだけ。
義元が家康に理不尽な虐待を加える理由はもちろん無い。

174 :人間七七四年:2008/02/18(月) 19:40:36 ID:u919jZC1
人質ってものを誤解してないか?
人質とはそのまま質、つまり預かりもの。当然、粗末には扱えない。もちろん
丁重にもてなすほどでもないが、だからって人質を虐待だの苛めるだのは通常
やらない。何故なら、人質を粗末に扱うことは人の上に立つものとしての器量
の問題だけでなく社会における礼儀の問題でもあり「預けた人質を粗末に扱われた
からもう従わない、離反する」というのは正統な行為と認められた。

175 :人間七七四年:2008/02/18(月) 19:58:32 ID:L14zyOSk
>>170
>>172
旗奉行の件を書いているので単純に「同書は松平・徳川中心史観で事実を歪めている」
とはいえんと思うのだが
その点その識者はどういってるのですか?

176 :人間七七四年:2008/02/18(月) 20:19:01 ID:MwLvgjI3
>>154の本を自分で読んでみな。
専門研究者の言うことにも耳を貸さずに自分流の解釈を
垂れ流すのはどうかと思うがね。
一点だけ書いておくがこの本(論文集だが)は
信長命令説は「家族の処断は家父長の権限」であるから
成り立たないとしている。
従ってあんたが信奉する「三河物語」のその部分は嘘という
結論になる。


177 :人間七七四年:2008/02/18(月) 20:34:35 ID:MwLvgjI3
最初に「三河物語」は家康・徳川家を美化するための事実の
改変があると言っているのではない。
他の史料などと突き合わせてみて、この信康事件に見られるように
事実とは異なる点がある、だから松平・徳川中心史観だと言っている。
それに対して>>175のようなのは単に自分が「三河物語」を信じたい
という願望に過ぎない。
だから学問ではなく信仰の世界だと言ってるのだよ。

178 :人間七七四年:2008/02/18(月) 21:39:07 ID:L14zyOSk
勘違いされてるので言いますが、別に三河物語を一切、疑問なしに信じてませんよ
三河物語の記事が可笑しくても、そこにはいくばくかの事実も含まれており、
その点を考慮せずに唯、否定するのはどうかと思ってるのですが
基本的に話というのは一から十まで嘘ばっかりということはないのですし


179 :人間七七四年:2008/02/18(月) 21:49:07 ID:1V3icPnH
だから誰が三河物語は全部出鱈目だと言った?
そのレス挙げてみな。

180 :人間七七四年:2008/02/18(月) 21:59:45 ID:1V3icPnH
もう一点。
ここは「三河物語」の信憑性を論議するスレではない。
信康が誰のために死に追いやられたかを考えるスレだ。
で、もしそれが家康で正しいとすれば「三河物語」のその
部分の記述が嘘になるというだけの話。
同書全体がどうとかは関係ない話だ。
お前さんがこうまで「三河物語」がどうこう言うなら
新スレでも建ててそっちでやれ。

181 :人間七七四年:2008/02/18(月) 22:00:32 ID:L14zyOSk
>>179
俺も三河物語は総て正しいとは言ってないよ

182 :人間七七四年:2008/02/18(月) 22:04:58 ID:L14zyOSk
>>180
信康切腹に関する「三河物語」の記事総てが間違いとは言えんのじゃない?
が俺の説
その間違えてるには主因が家康・信康の間にあるとも考えている。
但し、だからといって徳姫と信康の仲とか、信長がこの件に一枚噛んでいる事も
間違えているとするのはどうかという話

183 :人間七七四年:2008/02/18(月) 22:21:07 ID:1V3icPnH
では聞くが「安土日記」の信康が謀反を企てたという記事は?
家康が自ら信康を岡崎から追い出したと書状に書いているのは?
いずれも「三河物語」とは矛盾してるが。
同書には信康が謀反を企てたなど一言も書いてないはず。

184 :人間七七四年:2008/02/18(月) 22:32:30 ID:L14zyOSk
>>183
だからさ、主因を家康・信康の不仲とするも、それを切腹まで持ってった副因に織田家は
介在しているのではないかという話
もしそうならば、主副転換することで「三河物語」の話へと容易に転換する

185 :人間七七四年:2008/02/18(月) 23:11:01 ID:u919jZC1
>>178
三河物語の全てが間違いではなく、真実も含まれているだろうというのはそうだろう。
しかし三河物語の築山事件のくだりについては、他の史料、しかも当の時代の一次
史料にまで三河物語の記述を否定することが記載されている。
これで「三河物語の他の部分には真実もあるだろうから、三河物語の築山事件の記述
だってまるっきり否定はできないよ」と言われても妄言としかいいようが。

186 :人間七七四年:2008/02/18(月) 23:14:30 ID:u919jZC1
>>184
>切腹まで持ってった副因に織田家は介在しているのではないかという話
それを史料なりなんなりでまず証明してください。信長が家康に切腹を求めたとか
そういった記述のある史料を。もちろん三河物語以外でね。それなしに主張するの
なら、それは根拠のないあなたの妄想です。


187 :人間七七四年:2008/02/19(火) 01:38:58 ID:4jSrI5wL
三河物語の端書きに、「俺は年寄りだから記憶間違いとかあるお」って書いてあったようなw

188 :人間七七四年:2008/02/19(火) 09:15:19 ID:nh2ORXZC
実は信玄の真似をしたかっただけ。
根っからの信玄ヲタだったからな糞漏らしは

189 :人間七七四年:2008/02/19(火) 10:09:59 ID:g5xc3ABi
正室の子で今川とつながりのある長男を始末して側室の子に継がせるのもそうなのか。
よほどトラウマになってたのか家康。

190 :人間七七四年:2008/02/19(火) 18:10:30 ID:/BXHgq3h
俺ってつくづく暇人だなあ・・・

ていう人が、家康・信康の関連年表でも作ってくれないかなあ
xxxx年 信康が××する (△△△△より)
xxxx年 家康が信康に◎◎する (◆◆◆◆より)
xxxx年 信長が家康に●●する (□□□より)
みたいな
もうそういうサイトはすでに有るものなのかな
最後は信康自刃じゃなくて、逸話も込みでみて
「xxxx年 信康が生きていたらと家康愚痴る」で〆


191 :人間七七四年:2008/02/19(火) 22:02:21 ID:XhxvDMib
真実も含まれてるからこれも否定できない・・・って、
偽書武功夜話を擁護してるヤシの言い分と同じだな。
武功ももちろん頭からシッポまで事実無根のことを
書き並べたわけではあるまいから、真実である部分があって
当然だが、だからと言って偽書という評価が覆るわけではない。
「三河物語」も同じ。もちろん真実である部分もあるが、
家康の神格化、将軍家美化のために事実を歪めた部分がある
ことは明らか。

192 :人間七七四年:2008/02/19(火) 22:24:27 ID:XhxvDMib
「武功夜話」を引き合いに出したが、本来「三河物語」と
同列に語るべきでないことは分かってるので念のため。
もちろん「三河物語」が偽書であるなどと言うのではない。

193 :人間七七四年:2008/02/23(土) 13:07:33 ID:WRQz5gCD
話の腰を折ってすまんが、大久保忠教の兄弟には信康付きが居たはず。
そいつは信康の切腹後、兄の忠世とは生涯反目し続けてたよな。
(家康が一族だから協力しろっつってもケンカばっかりするんで結局別の組になってる)

信長に信康の行状を否定しなかった酒井が有名だけどけど、この時一緒に行った
大久保忠世の事に触れられてないのは、なんでだ?
「三河物語」は読んだことないけど、忠世が行ったことは体面を憚って削られてるのか?

ある意味、当事者でもある大久保家が信康自刃について、他と違う情報を持っている
可能性がないわけでもないと思うが、そういう考えを持つのは俺が素人だからなのかな。

194 :人間七七四年:2008/02/23(土) 16:04:16 ID:CO4DOz8w
忠佐だすな

195 :人間七七四年:2008/02/23(土) 19:58:41 ID:WRQz5gCD
忠佐より下。つか、忠佐と忠世は仲悪くないだろ。
大久保兄弟の中でも下から二番めだか三番めだかのヤツだよ、信康付きだったのは。



196 :人間七七四年:2008/02/23(土) 20:38:31 ID:4icy2nLZ
「真実を知る立場にいた」と、
「それをありのまま史書に記す」は全然別のこと。
大久保彦左衛門が真実を知っていても、
幕府の方針(?)として「信康は信長のために切腹させられた」
とあれば、それに反することが書けるはずがない。


197 :人間七七四年:2008/02/23(土) 22:04:02 ID:Y/PbDxCJ
この中から選べ

忠世、忠佐、忠包、忠寄、忠核、忠為、忠長、忠教、忠元

198 :人間七七四年:2008/02/23(土) 22:09:52 ID:RLsxaJS1
>>196
………三河物語の成立その他をご存知ですか?

199 :人間七七四年:2008/02/23(土) 23:39:43 ID:zcRSIRl9
>>196
旗本大久保彦左衛門忠教が著した松平・徳川創業史である。
元和8年には草稿本が完成していたと見られている。ただし
現存する自筆本が最終的に成立するのは寛永3年である。
松平氏の発祥から徳川家康が天下をとって東照権現として
祀られるまでを、編年的に叙述し、そのなかで大久保一族の
忠勤ぶりを力説する。巷間流布した最初の松平・徳川創業史で、
以後に作成される松平・徳川創業史の原型となった。そこでは、
すでに松平・徳川中心史観による事実の改変がみられる。
(平野明夫著「徳川権力の形成と発展」より)
これに付け加えることがあったら教えてくれ。
要するに「三河物語」は大久保が自主的に書いたのだから
幕府の意向など入っていないと言いたいのか?
それとあんた、>>185>>186で回答を求められるのと
違うんかい?そうならまずそれに回答するように。

200 :人間七七四年:2008/02/24(日) 00:02:27 ID:lgJn+Qww
アンカーミス
>>198
× >>196

201 :人間七七四年:2008/02/24(日) 00:27:03 ID:lgJn+Qww
このところ「三河物語」の成立がどうとか言って
反対意見を封じようとしてるヤシって同一人物か?
こいつの特徴は自分は人からの質問には(都合悪いからか)
答えないところにある。
自分の意見は書くが人からの質問は受けつけないというなら
こういう場所には向いてない。
もう書くなよ。

202 :人間七七四年:2008/02/24(日) 02:11:58 ID:ChzoWycK
>>199-201
一応こたえておきますが、別人です。勝手に決め付けないでください。

203 :人間七七四年:2008/02/24(日) 08:34:53 ID:z67MPTPF
>>202
で、>>199に対する感想・反論は?
それを書かないから「人からの質問は受けつけない」と
言われるんだろう。

204 :人間七七四年:2008/02/24(日) 20:21:49 ID:sWJ9QKaz
>>201
「三河物語」については俺

>それを史料なりなんなりでまず証明してください。信長が家康に切腹を求めたとか
>そういった記述のある史料を。もちろん三河物語以外でね。それなしに主張するの
>なら、それは根拠のないあなたの妄想です。

「家忠日記」の天正七年八月四日の項に
「御親子被仰様候て、信長大濱江御退候」
                康
という具合に「信長」を「信康」に訂正している。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/02/syoho0002-iwazawa.pdf

205 :人間七七四年:2008/02/24(日) 21:55:54 ID:ENVDWpsI
>>199
>松平・徳川中心史観による事実の改変

もしかして人質時代に苦労したという話?
苦労したかどうかなんて感じ方の問題だから改変というほどのものでもない
この程度が改変なら、改変してない歴史書なんてないだろうな

206 :人間七七四年:2008/02/24(日) 22:16:36 ID:rLAqRvyB
>>205
信康事件が信長の命令でないとしたらこれも
その「事実の改変」の一つになる。
一つ聞きたいが江戸時代には神君礼賛のため
歴史の書き換え・捏造が多く行われた。
これは研究者の間ではもう常識と言っていいが
お前さんはこれも否定するの?


207 :人間七七四年:2008/02/24(日) 22:28:40 ID:rLAqRvyB
もう1点。
「松平・徳川中心史観」を指摘してるのは研究者。
あんたがそんなものはなく、「三河物語」をはじめとする
徳川創業史が全て事実だと主張するならまずその根拠を
示すのが先。
専門研究者の言うことを否定しようというのだからさぞかし
ご立派な見解をお持ちなのだろうな。

208 :人間七七四年:2008/02/24(日) 22:42:55 ID:rLAqRvyB
>>204
残念だが、全然証明になってない。
信長を信康に訂正したのがどうだと言うのだ。
信長が家康に信康の切腹を求めたなんて
まったく書いてないではないか。

209 :人間七七四年:2008/02/24(日) 23:10:40 ID:rLAqRvyB
>>205
これ以上連投はスマンが、そんな発言をする前に関連書籍くらい
読めよ。
「三河松平一族」という本には、三河物語が家康の父広忠を病死と
していることが書いてある。正しくは家臣に殺された。

210 :195:2008/02/25(月) 16:47:26 ID:cMO1XLco
>>197
忠為か忠長のどっちか。
「寛永譜」あたりに載ってたと思う。>忠世と反目


つーかさ、「三河物語」って史書なのか?
当時の人間が書いた一次資料としては重要だと思うけど、“物語”とタイトルに付いてるんだから、
史料として読むのはお門違いのような気がするんだが。

あとさ、松平・徳川中心史観なんてのに凝り固まって資料を読んでたら、素人は歴史を楽しむ
余地ないぜ?
解釈なんてのは見方によっていくらでも変わるんだし、信頼できる人間が常に正しいことしか
言わないとは限らないからな。

211 :人間七七四年:2008/02/25(月) 17:59:54 ID:cz0PR+fc
ただ言えることの1つには
歴史の中には作家ですら避けたくなるような嘘みたいな展開も結構あるということ
その時に生きてた人間が居ない今、何が正しくて何が間違ってるかは、
100%は確定できないよね

212 :人間七七四年:2008/02/26(火) 21:49:51 ID:Taj6UFUE
言うまでもないが「信長命令」説は徳川方の一方的な主張。
織田方から出たものにはまったく記されていない。
それを記している徳川方の文献は何のために
編纂されたかが明瞭。
しかも徳川は戦国の最終的な勝者。
ここまで揃えばどちらを採るべきか明らかであろう。

213 :人間七七四年:2008/02/28(木) 18:51:28 ID:KjtfXLKH
そいや、>>209の言ってる本の筆者の別本だが「徳川権力の構想と発展」という本の中で、
織田との同盟がどういう物だったかの考証があって、その中で信康・築山の事件について
触れてるから、興味があるなら一読するといい。

裏付けというか、何を底本にして展開した論かきちっと書く人だから、参考文献集としても
使えるぞ。 高いがなw

214 :人間七七四年:2008/02/29(金) 22:02:13 ID:m6xsDt6Q
その著者も、信康事件は家康の意思という説だが、
松平・徳川研究者として、「三河物語」の成立過程も
当然よく知っているはず。
なのに「三河物語」の成立過程から見て大久保による
改ざんは考えられないとかってどういうことか。
一介のネラーより研究者の方が詳しいはずだが。
自分の方が詳しいと言わんばかりのヤシって何者だ?

215 :人間七七四年:2008/03/07(金) 20:43:27 ID:uS+Z1s+g
大久保忠教の逸話にこんな話しがある。
彼が若衆と談笑してた時に
若衆が「こういう時、あの源義経はこういう立派な立ち振る舞いをしたと史書に欠いてありますな」と
言ったところ、
大久保忠教は大笑してこう答えた。
「馬鹿者、史書なんて信じておるのか? ああいうのは人物や家を賞賛するために書かれたものだ」と

こういう考え方の大久保が
大久保家の人間に大久保家の誇りや徳川家の忠誠を説くために書かれた
三河物語にはたいした資料的価値はないだろう。

なんていうか教育書か思想所みたいなもんだろう。史実なんて二の次。

216 :人間七七四年:2008/03/07(金) 20:45:37 ID:uS+Z1s+g
>>214
「大久保による改ざん」って考え方そのものがそもそも違う。

三河物語はあくまで「子孫に誇りや忠誠を説くために書かれた書」であり、
歴史書とは違う。

217 :人間七七四年:2008/03/07(金) 23:46:57 ID:71vMhDPK
その辺は三河物語に限らず、古今東西の歴史書ほぼすべてがそうでしょう。

218 :人間七七四年:2008/03/08(土) 00:39:04 ID:Zp1gR2B+
三河物語は物語だからな

219 :人間七七四年:2008/03/08(土) 10:21:02 ID:5+yb/Iug
安土日記や当代記の記述も、所詮は風聞(噂話)

220 :人間七七四年:2008/03/08(土) 13:49:25 ID:GZ/tWY40
んじゃ三河物語も風聞だなあ。大久保忠教ごとき軽輩が、どうやったら信長と酒井忠次の
安土での会談の内容を知りえたんだか。

221 :人間七七四年:2008/03/08(土) 15:29:33 ID:QpdbT6Bs
>>220
少なくとも同僚・味方陣営ではあるので取材はできる可能性がある。
同じ伝聞資料でも、本人もしくはその場で聞いていた人から取材(というか雑談)できるのと、単なる風の噂では同列とは言え
ないと思う。

222 :人間七七四年:2008/03/08(土) 21:03:25 ID:7g0Yv/ze
だからと言って本当のことを書いているとはなるまい。
政治的目的を持った「三河物語」などはなおさら。
比して「当代記」などは政治的史書ではない。

223 :人間七七四年:2008/03/08(土) 22:40:49 ID:LhwOAmmw
>>222
当代記や安土物語の内容が織田方の見解と言え、
三河物語が徳川方の見解なのだろう
どちらかが絶対正しいと考えるのは問題かと

224 :人間七七四年:2008/03/09(日) 00:19:20 ID:NKwaXPDo
>>223
アメリカ独立戦争もイギリスとアメリカでは見解が一致しないだろうが、どちらを正しいとも決められないだろう。
決めた時点で、決めた人はどっちかに肩入れしていることになる。

225 :人間七七四年:2008/03/09(日) 01:18:15 ID:1QQNV277
記録の上では、な>見解の不一致

しかしこの信康切腹事件に関しては、信長が積極的に関与して命令を下したのか、
家康の方から言ってきて信長は許可を出しただけなのか、二つに一つでしかない。

226 :人間七七四年:2008/03/09(日) 03:05:25 ID:GlVNyA3r
信長は意外となんにもしなかったんじゃないかね
正しくは、できなかった
家臣じゃなくて、他家だから

227 :人間七七四年:2008/03/09(日) 03:55:12 ID:1QQNV277
>>226
それが正解だと思う。織田に対する反逆でも企んだのでもない限り、信長がわざわざ
他家の嫡子の生命を要求する理由がない。

228 :人間七七四年:2008/03/09(日) 11:20:59 ID:04CmnTAu
となると問題は家康と信康の仲違いの原因
従来の浜松派・岡崎派の主導権争いに巻き込まれたという説は
識者が言うほどの重臣の処分がないことから怪しい

あくまで、親子間の相克と信康・徳姫との夫婦の不和が重なり家康は
おろか信長の取り成しまで上手くいかなかった事に、家康が信長の
不興を買うことを恐れ、過剰反応とも言うべき追放に追い込んだという
昼メロ的展開はある

だから、本当はこのまま逐電させたかったんだろうけど、通説どおり
部下が馬鹿正直に監視していたから、切腹に至った可能性はある

築山殿はこれは完全についでかな?信康が死んだら、彼女はもう
なにもないし

229 :人間七七四年:2008/03/09(日) 12:12:17 ID:QRQNbaOX
>>227
つーか家臣ですら余程の事でも無い限り嫡男に死ねなんていうのはヤバイわな。
当時の家の概念からすれば、本人に対して切腹を命じるより重い刑と言っても過言じゃない。


230 :人間七七四年:2008/03/09(日) 12:35:45 ID:6ww03dXj
そもそも相手の嫡男が自分のより優秀で将来が怖い、というなら相手の家をつぶせばいいだけだろう。
嫡男だけ殺す理由はないし、そもそもその嫡男は自分の婿だから、子が生まれれば自分の孫。
嫡男が怖いならその嫡男を飛ばして自分の孫に継がせればいいだけの話。
何も子供が生まれる前に殺す必要はない。
信長の命令説は常識からあんまりにも外れるから信憑性が薄い。

231 :人間七七四年:2008/03/09(日) 12:43:01 ID:04CmnTAu
信長命令説が否定された現状で考察すべきは、では何故家康が信康を殺さなければならなかったのかと
言う点なのでは?
経過が解明されていても原因が不明というのが、信長命令否定説が主論足りえない大きな理由ですから

232 :人間七七四年:2008/03/09(日) 12:44:55 ID:GlVNyA3r
>>228
>重臣の処分がない
三河一揆で自分に反抗した一揆側家臣を許してたこともあるから
そういう点については寛大かもよ

>>229
確かにそれもあるね
信長が家督に口を出したことはあるけどあくまでもそれは家臣に対してだったし

信長としては、頼むから三河で内紛が起こらないでくれよ〜と思ってたんでは・・・

233 :人間七七四年:2008/03/09(日) 12:55:35 ID:GlVNyA3r
親子喧嘩に関しては・・・
事実は小説より奇なことは本当に多いし
原因も意外と「くっだらねー・・・」ってこともある

信長原因説が「信長を悪者にしとけば云々」とあるように
実は信康は言われてるほどの器でなくて家康は悩んでいて
いろいろ悪行があってそれで切腹させたけど、
良かった事にしとけばかっこがつく、みたいな、
他にもなにやらいろいろと考えられるかもしれんよ
でも、築山殿までも同時に、ていう点はよほどのことが考えられるから
推測するにはここがかなりのポイントになると思われる
信康だけが問題ならいくらなんでも築山殿までは、だからね
これがあるから陰謀説が有力とされてきたのも理解できる

234 :人間七七四年:2008/03/09(日) 13:18:48 ID:04CmnTAu
>>232
三河一揆は一揆側に付いた重臣である酒井忠尚や石川康正(数正の親父)なんかは
追放されているから、一概に許しているとはいえない
この辺の家康の裁量を見ても、信康事件は家臣の処分が低すぎる傾向がある

235 :人間七七四年:2008/03/09(日) 15:24:33 ID:1QQNV277
>>232
信長だって信勝謀反のときは関係者処分なしですませたが、後には粛清などかましまくってる。
ある時に許されたからって、またやっても許されるってもんでもないでしょう。

>頼むから三河で内紛が起こらないでくれよ〜と思ってたんでは・・・
これはその通りでしょう。当時東の脅威である武田は完全に徳川任せで、美濃尾張の信忠の軍
ですら畿内や西国に回されている。
この状況で徳川が内紛で弱体化すれば信忠軍団を西に回す余裕もなくなるし、最悪徳川が敵に
回ればどうなることか。

>>233
そうですね信康だけの問題なら、築山殿までが「処刑」される理由としては弱い。
武田や伊達など親子相克は他に例があるが、息子が反したからその生母が処刑されたなんて話は
知らないなあ。やるとしたって精々離婚するくらいでしょう。実際に嫡男が謀反を起した武田家
では、義信は処分されたが三条殿は特にお咎めなし。正室としての立場もそのままだった。


236 :人間七七四年:2008/03/09(日) 17:13:07 ID:TVzqPP3u
通説だと武田との内通だがこれは先ずなかろう
他の通説として彼女の讒言が信康と家康・徳姫の不和に繋がった説があり、
その点から責任を取らされた可能性はある

他にも当時の築山殿は既に家康正妻の立場ではなく、信康の母という立場で
しかなく、その為に殺害もさして問題なく行われたという考えもできる

237 :人間七七四年:2008/03/09(日) 19:36:29 ID:6l92VJjA
事件当時築山殿はすでに家康正室の立場ではなかったとする
説もある。
正室であれば家康と共に浜松へ行ってしかるべきだが、
岡崎に留まったのはその立場が信康生母としてのものだった
とすれば理解できる。
単に夫婦仲が悪かったとかでは説明できない。

238 :人間七七四年:2008/03/09(日) 20:13:20 ID:TVzqPP3u
後、不和の原因が信康の性格にあるとしたら守役の平岩親吉に何らかの責任
が生じるのが当然なのだが、切腹後に多少の謹慎があったが、その後は重用
されているし、関東入国後は秀康の後見役や義直の付家老、おまけに早世し
たが養子に家康の子を貰う重用ぶり

信康の性格は問題なかったということになるだろう

239 :人間七七四年:2008/03/09(日) 21:23:08 ID:uuXol7G/
>>231
原因が不明なのは史料がないためで、それは「信長命令説」を
正史とする幕府によって記録が抹殺されたためと考えられる。
よって推測するしかないわけだが、だからと言って、つまり
原因が不明なら「信長命令説」が正しいかのような言い方は
どうか。
そこらの事情はすべて徳川方に有利になっていることを
忘れてはならない。

240 :人間七七四年:2008/03/09(日) 21:29:50 ID:TVzqPP3u
>>239
正しいとは言わんが、問題なのは間違いない

241 :人間七七四年:2008/03/10(月) 00:40:43 ID:PuMFz6zw
上で書き忘れたが
>>235
女だったら剃髪して尼僧にして寺に放り込んで終わりと思うから
殺害は尋常じゃなかったと勘繰りたくなっちゃうのはしかたないね
信長が叔母さんを磔、とか、秀吉が秀次一族を、というのとはちょっと意味が違う気がするし

>>236-237
しかし、長男は長男として跡継ぎは考えておいても
その母親だけ離縁というのもなんかちぐはぐな気がしないでもないけど
名目正室としてはそのままで、事実上は離縁状態みたいなら分かる
秀吉のところもそんな感じだったんじゃなかった?


242 :人間七七四年:2008/03/10(月) 04:29:58 ID:tMvwuaN+
>>241
信長の叔母は明確に裏切っているわけだからこれはある意味当然。秀次の妻子は
謀反人の一族ということで処刑されたわけだが、信康事件に当てはめるとすると、
処刑されるのは五徳とその間の娘となってしまう。秀次の妻子に関しては避難の
声もあったそうだから、なんともいえないが。

>母親だけ離縁というのもなんかちぐはぐな気がしないでもないけど
家康の母は実家が裏切ったことから離縁されたが、息子竹千代は嫡男としてその
まま松平家に残った。少なくとも前例はある。これが松平家の特殊な処分なのか、
この時代の普通だったのかは不明ですが。
可能性としては、築山殿は離縁されたが帰る家がなかったので、信康が引き取って
岡崎に家を与えた、というところか。

243 :人間七七四年:2008/03/10(月) 06:48:25 ID:qJIQe274
築山殿が家康の妻としてみなされていなかったのは「家忠日記」で「信康母君」
でも見ることができる

信康事件で築山殿に責任があった可能性はある
問題はどのような責任があったかということであろう

244 :人間七七四年:2008/03/10(月) 21:43:56 ID:4k1F/hdb
>>242
あのとき今川方の勢力はどれぐらいだったのか
ちょっとすぐには分からないが
それと当時は松平は完全に今川配下で、
それこそ離縁しないと広忠も冷や汗ものだったと思う
これと比較すると徳川と織田との関係はまだゆるかったはずで、
それでもなお築山殿が殺害されたということは・・・
>>243
そこなんだよね
むしろこうなったら信康よりも築山殿殺害の方が興味深くなってきたwww

れが縦に4つ並ぶとかっこ悪いな・・・

245 :人間七七四年:2008/03/10(月) 22:06:53 ID:qJIQe274
築山殿が殺された理由といて考えられるのは
・信康を切腹しなければならなかった要因のひとつが彼女にあったから
・信康が死ねば彼女に頼るものは一切なくなるので、慈悲の殺害
・家康が邪魔な正室を処分するのにちょうど良い機会だったから
こんなとこか

246 :人間七七四年:2008/03/11(火) 21:50:26 ID:umAJLJvp
>>245
・家康が邪魔な正室を処分するのにちょうど良い機会だったから

これっぽいね。
どう見ても家康が築山殿を愛してたようには思えない。
煙たがってた感じはするが。

247 :人間七七四年:2008/03/11(火) 22:07:10 ID:oKlt/jCu
>>246
離縁すればいいだけでは?

248 :人間七七四年:2008/03/11(火) 23:29:18 ID:KVnLwfSF
「必要がない」と「邪魔、目障り」の間ははてしなく遠い。

当時の家康に、今川の血筋が必要とは思えない。しかしただそれだけなら離縁すればいい。
積極的に「殺さなければならない」理由ってのがほんと謎なんだよな。

249 :人間七七四年:2008/03/12(水) 10:41:56 ID:tnv/5N18
>>248
> 積極的に「殺さなければならない」理由ってのがほんと謎なんだよな。

家康の方が年下だったと聞くので、「あなた、小さいし早いわよ」程度のことだったりw

250 :人間七七四年:2008/03/12(水) 11:02:30 ID:ulJSlR5j
復讐を恐れたんじゃないのか?
年上だし、それにかつての主君の娘だし、
家康は築山とのに恐怖心はあったと思うよ。
女ながらある程度の人脈があったのかも。

ちなみにある小説では石川数正が信康母子を殺された恨みから
豊臣に寝返るいうラストだったし。

251 :人間七七四年:2008/03/12(水) 19:55:22 ID:YB0BPNUn
小説だったら、「築山殿が過去に義元と通じていて、信康はその種だった」というのがあったな。
だから家康は築山殿も信康も殺さなければならなかった、と。

小説としては、さまざまな状況証拠への説得力もあって、上手いネタだなと思ったよ。
(例えば、この理由だと問題なのは妻と息子の二人だけで政治的な事情はないので、信康付の
岡崎衆への処罰は軽かった、とか)
仮にこれが真実だったとしても、史料で確認されることはないだろうなw

252 :人間七七四年:2008/03/12(水) 22:02:46 ID:+0bEhTLy
新説を唱えた論者の言う岡崎派と浜松派の争いが要因という説は正直、怪しい
やっぱ昼メロだとはおもうのだが、その点家康は「全う」な家族付き合いができない
男だった可能性はある。
両親とは早くから引き離され、親父は生き別れ、母も元服してからやっとの再会。
兄弟もいない彼が普通の生活を送ることはできなかったであろう。

その点が子と妻との不仲を生じたことは容易に考えられる。

253 :人間七七四年:2008/03/15(土) 23:29:08 ID:iWiPITWB
松平健が家康を演じたドラマを今日TVでやってたけど、また信長が命令したことにしてたねw

254 :人間七七四年:2008/03/15(土) 23:49:58 ID:+0+U4d0u
信康の器量にビビった信長がいちゃもんつけてたなWW

255 :◆VqSh5C7CR6 :2008/03/16(日) 02:55:51 ID:GoIg8SgH
信忠がアホ扱いで出てないだけマシじゃないかw


256 :人間七七四年:2008/03/16(日) 08:13:18 ID:PPEsX+iJ
>>255
だな。にしても歴代の信忠が出た大河ドラマで酷かったのは秀吉に出てた信忠だな。今で言うKY気味で気が弱くて泣き虫みたいな設定だったWW一番マシだった信忠はだいぶ前の正月12時間大河ドラマ織田信長の時の信忠だな。

257 :人間七七四年:2008/03/16(日) 11:42:11 ID:knU1su98
信長が毅然と命令したわけではないが、
信長の存在が重圧になった家康が
思い余って信康を切腹させたという推測を考えてみた。

単なる空想だが、
いろいろな矛盾も解消できて悪くない説かも。

258 :人間七七四年:2008/03/16(日) 11:59:41 ID:HQTEHPB7
考えられない

259 :人間七七四年:2008/03/16(日) 12:16:41 ID:GNBi/0cx
>>257

>>228

260 :人間七七四年:2008/03/20(木) 18:39:04 ID:MlWaCMMf
>>258
何で考えられないのか理由を書けよ

261 :人間七七四年:2008/04/10(木) 17:56:18 ID:YHHmt8qT
浜松城のボランティアガイドの解説
信長が命令で信康を殺したことになってるらしい
まずいだろ・・・年寄りだから以前からある説しか知らないのが原因だと思われ
異説も同時に言ってるのかなあ

262 :人間七七四年:2008/04/10(木) 20:27:46 ID:BOhqj6O3
観光地なんて大抵そんなもんだよ。
気にしても意味無い。

263 :人間七七四年:2008/04/11(金) 12:56:22 ID:v7eua4yU
 戦国時代に大名の後継者が小幼児というのは大きなリスク
信康の死で徳川家は秀康、秀忠の成人までそのリスクを持つことに
特に家康は祖父と父の急死からそれをよく知っているはず
織田家も秀信が大人だったら

264 :人間七七四年:2008/04/13(日) 12:54:33 ID:mtEqVJbQ
>>251
>小説だったら、「築山殿が過去に義元と通じていて、信康はその種だった」というのがあったな。
>>だから家康は築山殿も信康も殺さなければならなかった、と。

参考になるかはちょっと疑わしいけど
フィクションにおける信康殺害真相の事例を少しばかり(うろ覚えもあるけど)。

山風説
「実は信康は武田忍者の計略で両親を嫌うようになったのです。
それで家康はやむなく信康を自刃させたのでした」

宇月原説
「実は家康は信康と築山殿を通じ、わざと武田に負けて三河を
見逃してもらう代わりに尾張への通路を拓く事を密かに謀っていたのです。
しかし信長にバレてしょうがなく母子共々松平家の為殺害したのでした」

この両者の解釈ではどちらが信憑性があるんでしょうか?

265 :人間七七四年:2008/04/13(日) 16:12:07 ID:p8OelxpH
現在、大好評の岡崎派、浜松派の派閥争い説も所詮は典厩五郎という作家の説に過ぎない。
しかも大賀弥三郎の事件と信康事件を安易に一直線上にしている。

266 :人間七七四年:2008/04/13(日) 21:39:30 ID:bM1TsnQ3
>>264
どっちも怪しい説だけど、宇月原説なんて絶対にありえんでしょ。
・三方ヶ原の戦いには織田の援軍も参戦しており、その戦で八百長試合をするのは危険すぎる
・下手すりゃ自身(家康)が討ち死にする危険性も高いのにわざと負け戦をするなんて危険すぎる
 →密約無視して負け戦を演じようとする徳川相手に武田が本気を出して家康の首を狙ってくる可能性も高い。
・協定破棄しまくりな武田との密約は危険すぎる。下手すりゃ密約なんて空手形の危険性大

パッと考えただけでもこれだけ思いつくくらいなんだから宇月原説なんて電波すぎるよ。


267 :人間七七四年:2008/04/15(火) 22:50:18 ID:7GM/aKSJ
1562年に人質交換で助け出されてから1570年まで岡崎に入ることを許されなかった
ほど嫌われていた築山殿。次男の秀康を嫌い3歳になるまで合おうともしない。

268 :人間七七四年:2008/04/16(水) 23:47:17 ID:+o+jXwUX
次男は何か関係あったっけ

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