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天正10年の武田攻めを語るスレ

1 :人間七七四年:2007/10/12(金) 14:18:39 ID:zirZdG8N
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。

2 :人間七七四年:2007/10/12(金) 14:37:17 ID:cRAP0BJS
総大将の織田信忠が傑出していたからだろう
あの信長でさえ嬉しい大誤算だったからな

3 :名無し野電車区:2007/10/12(金) 17:35:18 ID:vgVIDTt9
信長が信濃に入る前に勝頼討死

4 :人間七七四年:2007/10/12(金) 17:48:13 ID:vgVIDTt9
新府築城を進言した穴山梅雪と岩殿籠城を進言した小山田信茂

5 :人間七七四年:2007/10/12(金) 17:58:37 ID:8EyFPD+j
武田を滅ぼしたのは信長でも家康でも滝川鉄砲隊でもなく

「織田信忠」という事でよろしいか?

6 :人間七七四年:2007/10/12(金) 18:01:44 ID:kVOvZ6A0
長篠の戦いやら徳川・北条との同時侵攻やらで実際詰め将棋の状態だったとしても
通常十数手かかって詰ますところを数手で詰ませたようなもんだからな 信忠が凄いことに変わりは無い 城攻めとか上手すぎ

7 :人間七七四年:2007/10/12(金) 18:03:58 ID:kmTDvqyW
仁科盛信、最高や!

8 :人間七七四年:2007/10/12(金) 18:14:30 ID:ajWNfy9c
高遠城で織田の大軍を阻止するのはムリすぎる。

9 :人間七七四年:2007/10/12(金) 18:19:33 ID:k2k+hDkQ
あの裏切り雪崩れ状態で信忠がすごいとかいわれてもな。

10 :人間七七四年:2007/10/12(金) 19:04:32 ID:21mWaDxU
>>8
高遠ほどの堅城が何で一日で落ちちゃったんだろう?

11 :人間七七四年:2007/10/12(金) 19:23:48 ID:kTkgHtb8
>>6
どう上手いか説明しろw
ただの力押しなのにw


12 :人間七七四年:2007/10/12(金) 19:26:42 ID:zhIzlAsn
何でこんなところに信忠厨がわいてるんだ?信忠の人生唯一の見せ場だからか?

13 :人間七七四年:2007/10/12(金) 20:05:54 ID:j5aFBG7A
高遠城に行ったことがあるがあれは天然の要塞だろ。
山に囲まれてるし十分山城として活用できるはずなのに何ですぐ落城したんだろ。

14 :人間七七四年:2007/10/12(金) 20:16:49 ID:zhIzlAsn
城っつーものはどんな要害でも孤立しては長く持たない。
小田原城や大阪城なんかはスペックとしては10年でも篭城できるほどのものがあっただろうけど
孤城と貸しては1年も持たなかった。

15 :名無し野電車区:2007/10/12(金) 21:23:34 ID:bOTqSANz
長篠でかつて武田軍団を支えた屈強な人材が戦死してしまい
武田討伐戦のときは未熟な若造しか残ってなかったんだろうな

16 :人間七七四年:2007/10/12(金) 21:51:28 ID:kVOvZ6A0
>>14
細川藤孝は500人で15000人に取り囲まれて2ヶ月ぐらい耐えていたが…

17 :人間七七四年:2007/10/12(金) 23:15:16 ID:O1h4fGAD
>>16
孤立してないから。

18 :人間七七四年:2007/10/12(金) 23:35:12 ID:k2k+hDkQ
つか橋を落として敵が攻められなくしたんじゃなかったか?うろ覚えだが。

19 :人間七七四年:2007/10/13(土) 07:55:15 ID:UEmwim7M
武田の支配の実態が露呈したわな。
恐怖で押さえこんでいただけってこと。
信忠の軍団は解放軍だったってことだ。

悪の巣窟である甲斐、これは信濃や駿河と
同じという分けにはいくまい。
武田の親類衆や旧臣を引きずり出して誅殺
するのは政治的に妥当な処置だろな。

20 :人間七七四年:2007/10/13(土) 10:45:04 ID:iQdvWXZL
アホ信玄が1生涯かけて、やっとこさ信濃統一したのに対し
信忠はたった一ヶ月たらずで、信濃のみか甲斐をも征服した
両者の隔絶した差は埋めがたいな

21 :人間七七四年:2007/10/13(土) 10:50:09 ID:JTBWhC4A
>>19
つかあの状況では大抵裏切りに走るだろ。
三方向から織田・徳川・北条に攻め込まれるという絶望的状況だし。
不利になれば裏切られるのは織田系列も同じ。

>>20
相手が疲弊してたのとパパに超優位な戦略状況つくってもらえて大軍与えてもらって
良かったね。

22 :人間七七四年:2007/10/13(土) 11:17:10 ID:rEtBobdE
つか高遠城跡に実際に行って見た事あって言ってるの?
高遠城下まで攻め寄せられたらもう終了だよあそこ。
籠城には不向きなので支城網を駆使して高遠に向かう街道筋で積極的迎撃するしかない道はないよ。
あそこは下伊那から東海地方への南進用の補給拠点だから。地盤が堅く城を加工するのに不向きだし高遠湖から離れすぎて海上補給も難しいからね。


23 :名無し野電車区:2007/10/13(土) 12:34:46 ID:2BVeALIX
高遠湖って最近作ったダム湖じゃなかった?

24 :人間七七四年:2007/10/13(土) 12:56:16 ID:2BVeALIX
信玄もまさか高遠城が防御用の城になるとは思ってなかったのだろう

25 :人間七七四年:2007/10/13(土) 13:05:37 ID:q1M+oOAV
尼子の月山富田城は孤立無縁で数年持ったがな。
本能寺があったとは言え、武田より、上杉はもうちょとマシだったような

26 :人間七七四年:2007/10/13(土) 13:38:26 ID:rEtBobdE
高遠城は上伊那郡を南北に貫く杖突街道の諏訪湖の背後に抜ける街道の入口を守る城なんでここを突破されると甲斐信濃連絡線が切られ信濃失陥確定の要地なのが悲しいところ。
諏訪に戻っても意味はないから仁科はあそこで死ぬしかなかったんだろうね。
高遠落城で事実上武田滅亡確定。

27 :人間七七四年:2007/10/14(日) 00:27:47 ID:R3Gdx1L+
>>20
保てなかったけどな。

28 :人間七七四年:2007/10/14(日) 08:51:17 ID:e8h9F+PX
木曽氏が武田に人質を預けたまま謀反したくらいだから相当な決意だったろう。人質を密かに奪回したって説もあるけど。
木曽氏は必死だろうが…織田信忠の能力とか関係ねーだろう。

29 :人間七七四年:2007/10/14(日) 10:02:23 ID:yXHuq6Lh
上杉憲政でも1551年の平井城落城から
利根・吾妻地方に逃げ込んで1557年の沼田城落城までもっている。
岩櫃城なら勝頼もある程度もったかもしれない。
真田が裏切らなければの話だけどね。

30 :人間七七四年:2007/10/14(日) 10:59:47 ID:AHWzIySa
>>28
当時は人質預けたまま謀反とかよくあること
滝川や河尻も全然やる気無くて、途中までは信忠の軍勢だけで戦ってたんだぞ

31 :人間七七四年:2007/10/14(日) 11:04:26 ID:yXHuq6Lh
北条高広も人質預けたまま謙信裏切ってたはず。

32 :人間七七四年:2007/10/14(日) 11:55:27 ID:X9THgHZ6
宿将らの尻叩いて速攻したために、武田の残存防御ラインはほとんど機能できなかったからな
高遠城戦でも、自身が陣頭に立って味方を鼓舞している
戦術的には森勢が屋根の上にあがって銃撃とかやってたりもするがw
信忠は少なくとも重臣連中相手にリーダーシップ取るぐらいの力はあったからな
信長のように化け物じみた戦術能力はないにしろ、水準はクリアしていただろう

33 :人間七七四年:2007/10/14(日) 12:15:21 ID:kmGZACyd
>>22
てか仁科盛信だけががんばってて
戦う当初から離反者続出だったわな

34 :人間七七四年:2007/10/14(日) 12:31:39 ID:EJzXwBi1
鳥居峠合戦での大敗がなければまだ持ちこたえられたかもしれんがね
大勢では、織田信忠軍だけでも手に余るのに徳川や北条まで進軍してきている
これに信長本隊が加わったら防御はほぼ不可能
どのみち詰みでしょ

35 :人間七七四年:2007/10/14(日) 14:42:34 ID:CdlnM86e
うむうむ

36 :人間七七四年:2007/10/14(日) 19:48:28 ID:e8h9F+PX
有楽斎は脱出してるのに討死した信忠は弟以下のアホ
信雄や信孝が大将でも武田は滅亡。武田はすでに詰み確定。

37 :人間七七四年:2007/10/14(日) 19:50:09 ID:AHWzIySa
>>36
信忠が奮戦したから逃げれたのにお前という奴は本当にアホ
相手が明智じゃなかったら逃げてたかもしれんがな

38 :人間七七四年:2007/10/14(日) 19:53:07 ID:LdQ/eKHh
まあ戦国大名である以上、能力があろうがなかろうが、死んだらそれまでだ。
実力も器量も「その程度」と判断されても、仕方が無い。

39 :人間七七四年:2007/10/14(日) 21:28:06 ID:Xy+gODIJ
まあ信長も家康も逃げる時は必死になって逃げたからな


40 :人間七七四年:2007/10/15(月) 12:50:18 ID:XJbzc3Tw
そのアホにやられた武田その他の立場もすこしは考えてやれw

41 :名無し野電車区:2007/10/15(月) 14:27:29 ID:YtMrmJU+
腹切ったのに評価が高い大名って信長くらいだよね

42 :人間七七四年:2007/10/15(月) 15:00:20 ID:B7Z52neQ
>>36
なんだ
結局、信長も最期は逃げてないじゃん
100%逃げられないって状況でもないし

43 :人間七七四年:2007/10/15(月) 15:03:26 ID:ENykeMCX
勝頼には逃げる先さえない
周辺は全て敵
唯一の味方は皮肉にも父の代の宿敵上杉家のみだが、これも織田軍に攻められて余裕無し
武田家が滅ぼされかけて再興した縁起のよい天目山を最後に選んだのは、もう他にすがるものが無くなった悲劇だろう

44 :人間七七四年:2007/10/15(月) 15:28:33 ID:TkMo/4j5
>>16
スレ違いだがあれはヤオ

45 :人間七七四年:2007/10/15(月) 15:33:51 ID:XDwaQUdK
真田を頼ったとしても、
真田が織田・徳川・北条から勝頼を守りきれるとは思えないしなあ・・・。
なんてったってあの昌幸だからな、いざとなったら織田に引き渡されそうだぜ。

悲劇とは勝頼のために有るような言葉だな

46 :人間七七四年:2007/10/15(月) 15:41:20 ID:nQAuZoxk
>>45
真田は勝頼を北条に逃がすのも視野にいれてた。
北条氏政の正室が信玄の娘だからね。

47 :人間七七四年:2007/10/15(月) 15:43:11 ID:pedS40VW
>>46
その北条が既に敵なんだけどもねぇ。
しかも真田はこの時点で既に織田と通じてるし。
勝頼のような爆弾を抱え込んだら、次に信長に潰してくださいとお願いしてるようなもの。

48 :人間七七四年:2007/10/15(月) 16:39:49 ID:mbz+q++1
助命嘆願くらいできるだろう。

49 :人間七七四年:2007/10/15(月) 16:43:19 ID:XDwaQUdK
そもそも甲相同盟破綻の直接の原因は、勝頼にあるからな・・・。
妹はともかく、北条が勝頼を保護する理由が全くない。
むしろ当時の情勢から考えれば、
織田政権での関東太守になるために、勝頼の首を自らの手柄にするだろうね。

>>43の言うとおり逃げ場は上杉しかない、しかしこの当時の上杉は風前の灯火。
真田が保護しようがすまいが、勝頼に逃げ場はない。

50 :人間七七四年:2007/10/15(月) 18:07:41 ID:gPSXc6lf
まあ攻め込まれる前に降伏すべき戦争だよな。大阪の陣の豊臣家と変わらん。

51 :名無し野電車区:2007/10/15(月) 18:49:17 ID:iWDJlW1E
逃亡先としての真田と小山田の違いはその上杉をバックにできるか
どうかだね。
岩櫃城は隣国の上杉をバックにできるが、岩殿は完全は織田・北条勢力の中で
完全に孤立してるからね。東隣りの上野原主ですら北条に武蔵まで追われて
滅びてるし。
しかし勝頼が越後に落ち延びたら歴史の皮肉だよなあ。

52 :人間七七四年:2007/10/15(月) 19:55:21 ID:gPSXc6lf
勝頼が越後に逃げても、上杉も程なく滅びただろうから共倒れだわな。

53 :人間七七四年:2007/10/15(月) 20:09:16 ID:LCSv9ObA
>>51
血だらけ・土だらけに汚れた甲冑を着た武者が1人、疲れきった表情で大広間の下座に座っていた。
やがて戸に年若い小姓が現れた
小姓「御屋形様のお出ましでござる」
その武者はひれ伏した。すると遠く足音が聞こえ、どんどん近くなる。衣が擦れあう音が聞こえたかと思うと声がした。
上杉景勝「義兄上殿、誠にご無事で何よりでござった。ささ、面をお上げくだされ」
武田勝頼「ありがたきお言葉、かたじけのう存ずる」
武者は、緊張した面持ちで頭をあげる。
勝頼「お恥ずかしい限りでござるが、謙信公以来の義を重んじられる上杉殿を頼って参上いたした。」
肩を落としていう勝頼。
景勝「武田殿は、わが兄弟。悪いようにはいたしませぬゆえ安心めされよ」
武田勝頼が礼を述べようとすると、勝頼の背後の廊下でドカドカ大きな音がした。複数の人間がこちらへ向かっているようだ。
何やら怒っているような足音である。
村上「ほ、ほう。武田家の当主がのう、どの面さげて越後へ身を寄せに参ったのやらハハハ」
倉賀野「まことに。武田に追われた我らからすれば、胸がすく思いじゃ」
惣社長尾「愉快愉快!!憎き武田が、われらと同じ立場になるとはのう」
三人「ハハハハハハハハ」
拳をつくるも言い返せず歯噛みする勝頼。景勝が憐れみの目で勝頼を見ながら言った
景勝「だまらっしゃい。武田殿はわが兄弟ぞ。武田殿を愚弄するは我を愚弄するも同じなり」
三人「はは〜〜〜」






54 :人間七七四年:2007/10/15(月) 20:42:00 ID:NKEypE/n
北条夫人の嘆願書が未だに涙をさそうよ
これほどの悲劇はないよ

55 :人間七七四年:2007/10/15(月) 21:24:40 ID:WQJnNMee
真田でも上杉でも良い、生き延びてさえいれば再起を図ることも出来たかもしれない…そう思うのは現代に生きてる人間の結果論なんだよな。

>>54
そこら辺含めた武田家の最期の様子はあまりに悲しいな。俺の中で勝頼は悲劇の戦国武将部門No.1だ。

56 :人間七七四年:2007/10/15(月) 21:48:27 ID:G8SPs/ND
君の生まれの不幸を呪うがいい、って感じだな。

57 :人間七七四年:2007/10/15(月) 21:53:58 ID:mbz+q++1
長篠の戦いの敗北で完全に詰み
その後いくら挽回活動してもな…木曽は相当な圧迫を受けていただろうよ。織田の木曽への神経が磨減るくらいの圧力を遠く離れた甲斐にいる勝頼は鈍感過ぎたな。
武田の死命を決する位置にいるにも関わらず。長篠後にはもう諏訪くらい与えて軍事力を増強させるくらいの厚遇でも与えなきゃ離反は避けようがないな。
金山も採掘量減ってるしな。

58 :人間七七四年:2007/10/16(火) 00:26:12 ID:KHCWavya
〜な。

59 :人間七七四年:2007/10/16(火) 07:16:18 ID:9K166k41
あの当時だと、上総の分家筋、真理谷に逃げ込むのも一つの手段だったかも。
そう考えれば、小山田頼ったのも選択肢としてはありえなくもない。

自称分家筋頼って蝦夷に逃げてたらどうなったか、それはそれで興味はあるが。

60 :人間七七四年:2007/10/16(火) 08:49:09 ID:dFQnI3i2
もう織田の一地方軍団=その地方を代表する大名の兵力
ぐらいに格差がついてたからな……
どの道終りは見えていたんだが
何しろ父親の信玄が、信長の足元見ての同盟破りから戦闘開始というこじれた関係だから
妥協して権利主張しつつ傘下におさまる、という手段もとりにくかっただろう
ってか信長は勿論、武田家臣団もそんなの納得せんだろうし

61 :人間七七四年:2007/10/16(火) 16:55:05 ID:PPE24f2M
>>57
木曽は信濃衆の中で武田に降伏するのが一番遅く、
裏切るのは一番早かったな。
信濃がまた戦場になるとはな。

62 :人間七七四年:2007/10/16(火) 17:00:37 ID:PPE24f2M
材木を木曽から調達して新府城つくったものの
木曽が裏切って新府を焼き払ったのだから皮肉なものだな

63 :人間七七四年:2007/10/16(火) 17:08:33 ID:TsGEQJNz
武田に恨みこそあれ忠誠心はゼロ


64 :人間七七四年:2007/10/16(火) 17:09:20 ID:odEJuNwm
対武田討伐は木曽・穴山と親族衆が離反だもん瓦解するよね。
対上杉討伐は新発田。これがまた本能寺の変のあとも景勝は討たれる寸前になったり、兼続も大敗したりしても長期に渡り頑強に抵抗するんだよな。
毛利は宇喜多…は家臣ではないね。

65 :人間七七四年:2007/10/16(火) 18:39:25 ID:yPWRqwGN
上杉・毛利は本能寺に救われた面が強いけどな。
無かったら滅亡か降伏かだろうなあ。

66 :人間七七四年:2007/10/16(火) 19:17:12 ID:exU9UYkD
>>64-65
改めて当時の織田家のバケモノっぷりを痛感するな…

67 :人間七七四年:2007/10/16(火) 19:32:23 ID:H5iE+ood
俺は別に痛感まではしないけどな。 
結果論からならなんとでも言える罠。

68 :人間七七四年:2007/10/16(火) 19:39:47 ID:9K166k41
>>66
それまで武田が攻撃されなかったのだって、わざわざ攻撃しなくても
ほとんど無害とみなされていたからだものな。
その間に本願寺を降して、畿内に余裕ができたから一気に武田を攻め滅ぼした。
本願寺の石山退去の時点で詰んでいたと言えるだろうよ。

69 :人間七七四年:2007/10/16(火) 21:36:13 ID:yPWRqwGN
>>67
毛利はまだ辛うじて余力はあるだろうが、
上杉は詰み。
御館の傷は未だ癒えず、越中はほぼ失陥、武田が滅んだことによって
信濃・上野からの侵攻にも備えねばならない中、佐竹・葦名らも滝川一益を通して織田に服属しつつある状況で、
何が出来るというのか。

70 :人間七七四年:2007/10/16(火) 21:38:38 ID:fcDXI7Cp
長篠以降の織田家の対武田軍事行動って岩村だけで、美濃を完全支配したら
以後はもう武田は徳川に一任状態だからな。

美濃尾張の支配者である信忠は謹慎くらったり、軍団は大和だ播磨だと西方
に転用されるか飛騨経由で北陸に派遣されたり。まったく相手にされていない。

71 :名無し野電車区:2007/10/17(水) 00:16:42 ID:tlNt3xu4
勝頼のほうも美濃はおろか三河には一度も入ってないんだよね<長篠後。
西進から東進に変わった。
長篠後に武田が城を新たに取ったことあるのかな?

72 :人間七七四年:2007/10/17(水) 07:54:20 ID:GE0OytDP
>>71
滅亡寸前に真田が沼田に進出したことで名目上、沼田を取ったといえるかも

73 :人間七七四年:2007/10/17(水) 08:30:39 ID:wAF8EG8G
>>42
信忠はともかく信長は100%逃げられなかったろう。

74 :人間七七四年:2007/10/17(水) 19:44:02 ID:MZltP/pa
>>54
北条夫人も滅亡確定の家によく嫁いだものだな。
しかも嫁いだ後に北条と敵対状態になったし。

75 :人間七七四年:2007/10/17(水) 19:49:46 ID:aXBgFT/Z
全くだ
同盟破棄となったのだから、実家へ帰せばよかったのに…
勝頼もむごい男だ

76 :人間七七四年:2007/10/17(水) 20:23:44 ID:MZltP/pa
ある意味、人質だったのかな。北条が攻めてこないための。

77 :人間七七四年:2007/10/17(水) 21:07:37 ID:2jARq528
>>71
伊豆や上野で、北条と戦っている。勝頼は北条相手に有利に戦っていて、上野金山城下や伊豆三島にも火を放っている。
勝頼の膳城素肌攻めとか有名。

78 :人間七七四年:2007/10/17(水) 21:19:53 ID:Ju3kE6BT
>>75
勝頼は相模に落ちるように言ったんじゃなかった?それを断って夫と最期を共にしたと。

まだ十九で・・・(つД`)

79 :人間七七四年:2007/10/17(水) 23:40:38 ID:Tr8TTZWn
4カ国の太守の正室が山奥で自害というのがダイナミックだよね

80 :人間七七四年:2007/10/18(木) 00:02:18 ID:sNZWjiEz
>>77 
よりによって父子二代続けて揃って2回も膝元を 
火の海にされたらそりゃさすがに三嶋の神様も怒る罠。 
親父は境内を荒らすだけでなく本殿まで焼いちまったし。 
三嶋は源氏再興社なんだからこれじゃどんなにかみさんが 
源氏の氏神でもある八幡様に加護をお願いしたって 
まず守っちゃくれないだろ。他スレの書き込みによると 
富士山からも警告らしきことを受けても勝頼は信長に 
降りれば国も民も安堵するのはわかってるが俺は 
死んでも信長には屈しないと神社で発言したらしいから 
もう富士山も呆れ果てていざという時でも他の神さんに 
仲介なんてしてくれなかったんだろうよ。 
 
そう考えれば滅亡時のあの見事な離反ぶりも惨めっぷりも 
納得できる罠。神罰だな神罰。 
 
と、オカルト解釈で書いてみるテスト。

81 :人間七七四年:2007/10/18(木) 00:22:30 ID:c+jmFhUD
>>54
柴辻があの嘆願書は後世の改作なんじゃないかって書いてたね
あまりにも表現が感情的だからって

82 :◆VqSh5C7CR6 :2007/10/18(木) 00:34:25 ID:JIpzBbvE
>>70
岩村に籠もる秋山を倒してから、織田は天目山まで完全に武田スルー路線だからな。
せいぜい噛ませ犬に徳川を置いておいたっていう程度だろうし。

天目山は裏切りはもちろんのこと、傑出していないとはいえ優秀であった信忠の器量も多少は影響しただろうな。


83 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/10/18(木) 01:07:02 ID:R0ApOSvi
岩村は砦の街であって実際の支配権は大したことないけどね。

84 :◆VqSh5C7CR6 :2007/10/18(木) 01:30:50 ID:JIpzBbvE
確か美濃でもかなり辺境だったよね?
信ヤボだと岐阜、岩村、桜洞くらいしか城がないから、始めて知った時は驚いた記憶がある。


85 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/10/18(木) 01:34:24 ID:R0ApOSvi
何せ地元だし。今でも旧岩村町は8000人いないし、オレがいたころからさほど変わってない。
人口=石高を力説する人には申し訳ないが。

86 :人間七七四年:2007/10/18(木) 03:13:40 ID:4haay+iI
まあ石高よりも安全保障上の問題なんだろうけどね。

87 :人間七七四年:2007/10/18(木) 08:31:50 ID:v8xqzh4M
信長と家康が書状で示し合わせて、高天神城を勝頼が見捨てた形にしたのが効いたのかな
実際には信長も家康も都合で後詰だせないことはままあったんだが(勝頼が高天神取ったときなんかまさにそれ。間にあわなかった)
このとき、武田方の篭城組からも「見込みないから援軍無用」という報告が入ったともいわれているんだけど

88 :人間七七四年:2007/10/18(木) 17:30:17 ID:O7pbKeL3
守将としての仁科盛信の手腕もそろそろ再検討されるかもな
一日で落城などそうあることではない

89 :人間七七四年:2007/10/18(木) 19:44:41 ID:rLiGsVbA
勝頼はいつごろ上洛を諦めたのだろうか

90 :人間七七四年:2007/10/18(木) 20:01:40 ID:VM7JZnZU
>>88
一日?
半日だよ。

二次くらいには信忠の見聞も終わったという記述があるし。

91 :人間七七四年:2007/10/18(木) 21:23:33 ID:VjDAQETk
高遠はどう見ても仁科の玉砕戦のようなものでしょ。
高遠城は上にもあるように城下までこられたらもうおしまい。
それで武田勢は明け方大手口から打って出て何時間も戦って多勢に無勢で
大部分が討ち取られた。残って城に入ったのを数でつぶしたわけで
仁科の手腕を問うのは違う気がする。仁科は勝てぬまでも最後に華々しく
戦ったんでしょ。

92 :人間七七四年:2007/10/18(木) 23:10:24 ID:if9/6yw5
>>91
城側から積極的に打って出ないと、1日で落城ってありえないからな・

93 :人間七七四年:2007/10/19(金) 00:34:52 ID:qixkaBeK
籠ったからといってどうにもならないし。
抑えの人数残して本体は甲斐に向かえばいいから
時間稼ぎにもならないしなぁ。

94 :◆VqSh5C7CR6 :2007/10/19(金) 00:35:37 ID:JtkbK2pw
でも仁科が打って出たのは最初だけで後は籠城してたんじゃなかった?



95 :人間七七四年:2007/10/19(金) 01:05:49 ID:JNpkzVTs
>>94
信長公記見てみ。
「大手口へ切りて出で、数刻に渡って相戦い数多討ち取り、残党は城に逃げ入った」
という意味の記述があるから。一刻が約2時間だから数刻というと何時間も戦ってた
事になる。残党が逃げ入った後に城が程なく信忠勢に踏み込まれるし、
城で討ち取られた首が400余りでしかなかった事からも大半はこの出撃した数刻に
消耗したんでしょ。

96 :人間七七四年:2007/10/19(金) 10:50:10 ID:MDYLWF9T
どうせ勝てない、しかし降伏は甲斐源氏という名門だからできない
結論は華々しい最期と……

97 :人間七七四年:2007/10/19(金) 19:04:52 ID:zSBaJyTJ
高遠攻城軍は5万いたというのは本当なんだろうか
信忠軍団+滝川で尾張・美濃・北伊勢だけで5万にもなる?
でもこれって織田の上洛軍とほぼかぶる動員なんだよね

98 :人間七七四年:2007/10/19(金) 19:06:56 ID:gCeuCxvE
信忠軍団は尾張と美濃 本体が後ろにいたからせいぜい2万ぐらいだろ
まぁ信濃の連中も裏切ったし、それ以外も与力として加わってるから3万ぐらいはいたかもしれない

99 :人間七七四年:2007/10/19(金) 19:49:12 ID:FyAcWDYV
北条も攻めてるけどね

100 :人間七七四年:2007/10/19(金) 20:00:52 ID:9vug4CYm
北条、上杉、織田、徳川、合計1000万石に攻められて
たった100万石ぽっちの武田はなす術なし。
裏切りの嵐

101 :人間七七四年:2007/10/19(金) 20:07:29 ID:ZUsMVMP7
上杉は武田と共に受け側ですぜ。

102 :人間七七四年:2007/10/20(土) 00:11:26 ID:FNwmVUMA
武田攻めに動員された兵力は大阪の陣、関ヶ原、小田原攻めに次ぐだろう。
尾張、美濃、伊勢、近江、若狭、摂津、大和、丹波、丹後のほぼ総勢が
武田領に乱入したと思われる。

103 :人間七七四年:2007/10/20(土) 00:46:50 ID:prdprNLP
いや、乱入する前に終わっとる。

104 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/10/20(土) 00:51:47 ID:o2SitoBf
長篠の敗者が息子からオヤジに変わるだけじゃないの?
んで武田信玄の名は六角承禎とセットで語られるようになる。

105 :人間七七四年:2007/10/20(土) 01:53:43 ID:1UNWkHkk
>>104
どこの誤爆?

106 :人間七七四年:2007/10/20(土) 02:50:01 ID:xJdOpJWt
たぶん、信玄が10年長生きしていたらスレだと思う。

107 :人間七七四年:2007/10/20(土) 19:01:33 ID:Y5Bxe8G3
信忠軍が信濃を歩いているときに、勝頼が越中で「信長・信忠を討ち取った」
という噂を流させ、それを信じた一揆が富山城を占領したらしい

108 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/10/20(土) 20:21:39 ID:o2SitoBf
>>105-106
ごめん。

109 :人間七七四年:2007/10/20(土) 22:02:34 ID:4FTKE4xJ
巨城たる七尾城とか大坂城とかなら籠城策もいいが高遠城下まで大軍がきたらもうムリ。
物量と離反により親族扱いだった木曽の道案内があれば別に信忠の能力とか関係ない。
木曽は高遠城の備えも全部知ってるんだからオワタ。
関ヶ原前哨戦の西軍の大津城籠城の京極氏や細川幽斎の宮津城籠城・関ヶ原敗戦後の石田氏の佐和山城籠城並みにムリで完全に詰み。

110 :◆VqSh5C7CR6 :2007/10/20(土) 23:13:12 ID:KESV9DDc
>>95
情報サンクス。でも信長公記手元にないんだよな・・・
受験終わったら現代語訳版買おうかな。


111 :人間七七四年:2007/10/20(土) 23:48:10 ID:rBVUkSS0
勝頼じゃなくて毛利元就や吉川元春なら信長に勝てたのに

112 :人間七七四年:2007/10/20(土) 23:53:32 ID:dE3PCjJ/
毛利元就が生きてたとしても勝率は10%ぐらいだろ 経済力的に考えて

113 :人間七七四年:2007/10/20(土) 23:56:25 ID:pXZC2+KZ
おじいちゃんに無理させちゃダメ

114 :人間七七四年:2007/10/21(日) 00:12:13 ID:mJBbolZ9
そもそも元就ならあんな絶望的な政治状況にはしないわな。

115 :人間七七四年:2007/10/21(日) 05:38:42 ID:RNtUPH3s
>>110
暇人之間か信長公記(原文)でぐぐるのが吉

116 :人間七七四年:2007/10/21(日) 09:14:00 ID:EFBwXwp8
>>110
出来るだけ原文で読むのが吉

117 :人間七七四年:2007/10/21(日) 14:39:13 ID:fh+r7cRV
>>111
元就って信長と親交を持ってなかったっけ?道三とか宗滴とか信長って上の世代からは好意的に見られてるよね
信長自身もお爺ちゃん子ぽいw

118 :人間七七四年:2007/10/21(日) 15:26:40 ID:DbuBnDPz
>>117
そう。
毛利自体、元就が生きているうちは信長包囲網に参加していない。
しても境を接してないから意味がなかったという面も当然あるだろうが。

119 :人間七七四年:2007/10/21(日) 19:35:21 ID:EFBwXwp8
というか元就自体が信長包囲網に参加するどころじゃない状況だったような。
元就死んだ時、まだ尼子再興軍の最後の拠点である新山城が攻略されてないでしょ。
毛利と結んでいた三村に対して浦上・宇喜多は対抗してて、そっちとの抗争もまだ泥沼だった
わけだし。

120 :人間七七四年:2007/10/21(日) 21:13:17 ID:NN4tQK8r
そのためか1572年ごろ毛利は織田に播磨へ出兵して浦上宇喜多を牽制してくれと頼み
織田は毛利に東瀬戸内に出兵して三好を牽制してくれと頼むような状況。

121 :人間七七四年:2007/10/22(月) 08:13:04 ID:uz1ReNdy
他の大名の親交やへりくだった態度は外交とかリップサービスというのに
信長と元就のそれは>>117>>118みたいに言われるのが非常に不思議。というか気持ち悪い。

122 :人間七七四年:2007/10/22(月) 09:03:37 ID:BcbKv9wb
>>121
一部の信長厨は頭がお花畑だからな。

123 :人間七七四年:2007/10/22(月) 12:16:25 ID:1xmvvt1u
別に矛盾してるようには見えないが

124 :人間七七四年:2007/10/22(月) 17:11:42 ID:qZCVSuV8
宗滴のはリップサービスって感じがしないな、道三元就は当時信長と仲良くする必要があったけど
宗滴は信長とはほぼ無関係なんだし。
ただ本当に史実かって問題はあるだろうけど。

125 :人間七七四年:2007/10/22(月) 19:36:16 ID:DpSczkJq
だいたい宗滴が尾張半国時代の信長を知っていたんだろうか。
織田軍が一乗谷に乱入したときに改ざんされたのでは。

126 :人間七七四年:2007/10/22(月) 20:11:33 ID:eVy3rmxx
同じ斯波氏の家来って事で気になってたんじゃないの?

127 :人間七七四年:2007/10/22(月) 21:39:47 ID:uz1ReNdy
そんな戦国時代じゃほぼ意味の無いつながりで気にするもんかね。
朝倉氏が他ならぬ斯波氏から越前を奪ったのは宗滴の時代からずっと前だろうに。

128 :人間七七四年:2007/10/22(月) 21:45:01 ID:eVy3rmxx
多少は気にするでしょ
尾張の隣国の美濃土岐氏が亡命してくるくらいの縁は有る訳だし

129 :人間七七四年:2007/10/22(月) 21:49:24 ID:IQ7D9DaG
朝倉宗滴話記の著者は教景自身ではなく家臣の萩原宗俊で
織田方との争いで戦死するけど織田方が改竄って…
朝倉宗滴は弘治元年1555の9月8日に79歳で病没するけど
8月には敷地や菅生で一揆勢を破っていて耄碌してるとは考え辛い。
朝倉宗滴話記では小田原の伊勢氏隆盛を分析などあり
当時今川家の隆盛は三好家に迫る勢いでその動向は畿内周辺が警戒していて
信長との尾張での攻防は4年目になり宗滴が知っていても特に不思議じゃない。
3年後の件は桶狭間を指しているのか解釈は様々だろうけど。

130 :人間七七四年:2007/10/22(月) 22:02:14 ID:uz1ReNdy
>>129
>>当時今川家の隆盛は三好家に迫る勢いでその動向は畿内周辺が警戒していて

これ本当なん?今川上洛説が否定されてる根拠の一つが今川の出陣に対して畿内の
動揺が見られず、今川自身も特に畿内に工作を行ってない所じゃなかったっけ。
いくら隆盛といっても京都から遠い地方の大名の動向をそこまで気にするの?
教えてくれい。

131 :人間七七四年:2007/10/22(月) 22:33:31 ID:IQ7D9DaG
義元の上洛否定説は義元自身周辺大名に根回しをしていないのが根拠であって
簡単な確認方法は近くの本屋で歴群に伊勢に今川の隆盛を恐れる書状が記載されてるよ。
個人的にも義元の大動員での侵攻時は、尾張侵攻が遅々として進まず
信長打倒が主目的であわよくば南尾張併合辺りが妥当に感じる。

132 :人間七七四年:2007/10/22(月) 22:50:47 ID:6Dbpunka
ただ尾張の部分的割譲が目的の割には動員が大規模すぎる感あり。
織田家滅亡が目的だったんじゃないだろうか。

ところで桶狭間での信長と
天正10年の勝頼はどっちがヤバイのだろうか。

133 :人間七七四年:2007/10/22(月) 22:52:19 ID:uz1ReNdy
>>131
重ねて悪いが伊勢は尾張に近いからねえ。織田がやられりゃ次は攻められる可能性高い。
越前の朝倉を始めとする畿内周辺勢力が
今川を警戒していた根拠とするのはやや足りないんじゃ。
個人的にも〜以降の部分はほぼ同意。あれは信長打倒が主目的だろうと思う。

134 :人間七七四年:2007/10/22(月) 22:59:00 ID:eVy3rmxx
打倒なのかな?
服属もしくは、非主流派を信長の代わりに取り立てるくらいな気がする

135 :人間七七四年:2007/10/22(月) 23:03:13 ID:lXOy+a0Z
>>129
現代人の我々は信長のその後の躍進を知っているので、宗滴のエピも信長の才能を
見抜いていたという風に解釈されてますが、実際はどうだったかしれたもんじゃあ
ないと思いますよ。

悪意を持った解釈をすれば
「あんな独断専行で家臣に配慮しないヤツは長生きできんだろ。どんな無様な死に様を
さらすか拝んでみたいのう」
な興味だったのかもしれない。

136 :人間七七四年:2007/10/22(月) 23:05:36 ID:qZCVSuV8
文章の前後からそれはどうなんだろう?

137 :人間七七四年:2007/10/22(月) 23:09:13 ID:/pGo02Eb
>>132
そりゃ勝頼
桶狭間当時でたとえるなら、今川の侵入に呼応して斉藤も攻め込んでくるような状況。

138 :人間七七四年:2007/10/22(月) 23:15:19 ID:uz1ReNdy
ついでに伊勢の連中も攻めてくるようなもんだね。
しかも国力疲弊。

139 :人間七七四年:2007/10/22(月) 23:54:46 ID:IQ7D9DaG
>>133
今川上洛に対してかと思ったら畿内を重視してなのね。
桶狭間を自分なりに調べた時にこれらに関しても
幾つかあったと思うけど明確な資料名がわからないや。ゴメンね。

>>135
朝倉宗滴話記で桶狭間を指しているのかという疑問には賛同できても
戦国板で最近、織田関連の資料を歪曲して過小評価や批判する意見が目立つし
余り調べもせず悪意ある解釈は容認できないし好ましくないと思うよ。

140 :人間七七四年:2007/10/23(火) 02:02:33 ID:H0rZtkPT
>>139
何言ってんだw
信長過大評価されすぎだっつーのw


141 :人間七七四年:2007/10/23(火) 02:09:42 ID:VgTutwJ+
信長は10年前のブームの時やたら持ち上げられ過ぎた評価が、最近ようやく修正され始めたって感じだな。

142 :人間七七四年:2007/10/23(火) 08:37:20 ID:lHT7w5nx
勝頼の再評価も一部の話
信長の持ち上げ・叩き落としも一部の話
むしろ信玄神格化批判がやたら少ないのが問題
軍鑑が勝頼とその側近のせいにしている失政なんざ、大抵が信玄以来のものだぜ

143 :人間七七四年:2007/10/23(火) 09:05:29 ID:VgTutwJ+
>>142
信玄が生きていた時問題になったものでない以上、それは運用する勝頼たちの問題だわな。

144 :人間七七四年:2007/10/23(火) 13:21:40 ID:gSz0AmKk
>>143
それはさあ、バブル時代に散々やらかして発つ鳥跡を濁しまくったまま退職。
後任の時期にバブルが弾けて、でも後任に責任を追及するようなもんじゃね?

145 :人間七七四年:2007/10/23(火) 13:31:55 ID:TmON2Sxk
>>143
お前は何を言っているんだ?

146 :人間七七四年:2007/10/23(火) 14:50:50 ID:sVHpncrf
勝頼は長篠がある限り低評価は免れないだろう

147 :仙台藩百姓:2007/10/23(火) 16:04:18 ID:UJCO8AO+
北条と敵対したのも得策とは言い難いおね( ^ω^)

148 :人間七七四年:2007/10/23(火) 16:22:23 ID:VgTutwJ+
>>144
んだからさあ、破綻するにしても『破綻の仕方』ってのがあるわけで。
穏便なソフトランディングも十二分に可能でしょ?
なのにこれ以上ないハードランディングですっ飛んでしまった訳で。
それは「経営方針」を間違えた勝頼たちの責任だよ。

149 :人間七七四年:2007/10/23(火) 18:12:32 ID:28iWWw+B
長篠ほど家老が一度に死んだ戦は珍しいからなあ

150 :人間七七四年:2007/10/23(火) 18:21:05 ID:HwrqFwzI
結論・信玄も勝頼も親子そろって無能だった

151 :人間七七四年:2007/10/23(火) 18:33:02 ID:J5CpA8tE
無能で百万石越える大大名になるって……。

152 :人間七七四年:2007/10/23(火) 18:45:08 ID:XHjQkQEo
>>102
飛騨飛騨

>>149
信玄の砥石攻めでも結構重臣死んだけどね。

153 :人間七七四年:2007/10/23(火) 19:00:06 ID:J5CpA8tE
砥石ってそんなに死んだっけ?武将は横田備中のほか3人くらいじゃ。
上田原でも4人くらいじゃ?しかもこの時は村上方も武将が3人ほど死んでるし。
長篠は一戦で武将が10数人も死んでるしなあ。

154 :人間七七四年:2007/10/23(火) 21:34:44 ID:bo++sy86
>>149
つ村上義清
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161169429/335

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/10/21(日) 00:07:49 ID:QM3D0lCB
確かに二十四将の戦死率高いなあ

「討死又は敵軍による刑死」 16名(内刑死3名)
上田原(48年)
 甘利虎泰・板垣信方
砥石崩れ(50年)
 横田高松
第四次川中島(61年)
 武田信繁・山本勘助
長篠(75年)
 三枝守友・真田信綱・土屋昌次・内藤昌豊・馬場信春・原昌胤・山県昌景
岩村城(75年)
 秋山信友
甲州崩れ(82年 武田滅亡時)
 一条信龍・小山田信茂・武田信廉

「病死」 6名
小幡虎盛・小幡昌盛・高坂昌信・真田幸隆・多田満頼・原虎胤

「その他」 2名
義信謀反の疑惑により自害
 飯富虎昌
織田へ内応後、本能寺の変にて畿内の土民に襲われ死亡
 穴山信君




155 :人間七七四年:2007/10/23(火) 22:21:55 ID:J5CpA8tE
>>154
いや、それを見ても>>149の言葉が間違ってるとは思えないんだけど。
その表ですら長篠が一番多く死んでるって書いてあるじゃん。
しかも川中島の山本勘助ってなにさ。

156 :人間七七四年:2007/10/23(火) 23:28:02 ID:ngx/IJgg
代替りなんてどこの大名だって苦労してる。
うまくいった家自体ほとんどない。
信玄叩くのはお門違い。




157 :人間七七四年:2007/10/23(火) 23:58:16 ID:cn9HcWHb
確かに代替わりが火種になる事が多いが、
だからといって上手く言った家自体ほとんど無いとは言い過ぎだぜ。

父親がある程度まで嫡男を後見できれば割とスムーズに行われる。
この原則が破られるとき、内乱の危機。
例えば嫡男が嫡子を生まず亡くなったときや、父親が嫡男を廃して別のモノを取り立てようとしたときなど。
伊達は、まあ趣味で親子争っているようにしか見えないけどな。

158 :人間七七四年:2007/10/24(水) 00:15:12 ID:QWhFdUJZ
とはいえ織田自体、本能寺で信忠が生きてたって承継は難しかっただろうね。
下克上の時代なんだからそれが当たり前。
戦国時代でなくとも現代ですら事業承継は難しい。
実力がないとリーダーは務まらない。


159 :人間七七四年:2007/10/24(水) 00:26:07 ID:MaA18SIv
>>148
じゃぁどうすれば良かったの?

160 :人間七七四年:2007/10/24(水) 00:40:39 ID:eNQraLT2
>>158
ちょっと論点ずれてるぜ。
代替わりのいざこざと、後継者としての能力が不足していざこざがおこる、というのは別問題。

継承自体は、信長の嫡男という事実と、武田攻めの総大将という実績があるから、
本能寺の時点では何の問題もない。

161 :人間七七四年:2007/10/24(水) 00:55:15 ID:PyFIAXyM
織田家自体はとっくに継承しとる

162 :人間七七四年:2007/10/24(水) 01:00:03 ID:mb+ZkL+k
>>161
このイビツ状態の方が
かえって危ない状態でしょ

163 :人間七七四年:2007/10/24(水) 01:11:12 ID:dc5q3zZt
>>158
信忠は織田家の家督を天正四年(1576年)に継承してるし、領土は尾張・美濃で
家中最大の領土+甲信の武将も与力で家中最大勢力で本能寺がなければ更に勢力は拡大するはず。
次男・三男は他家の養子に出されてるから家督継承の権利を主張できない。
戦国時代の実力とは国力がかなりの割合を占める中で家中最大勢力の信忠がリーダーが務まらないとかないない。
信雄・信孝辺りが各方面の司令官のいずれかとつるんで家督争いを起こそうにも、
柴田・明智・羽柴・滝川(信忠の与力でもあるから離反は無いはず)らの所領はそれぞれ50万石前後にしかすぎず、
それぞれの与力大名が全て信忠から離反する可能性も低く成功の見込みが低い家督争いは起きない可能性大。




164 :人間七七四年:2007/10/24(水) 01:20:08 ID:dc5q3zZt
>>162
どこが危ない状態なんだ?詳しく解説してくれ。

信長存命中は相続争いなんてまず起きないだろうし、
信長死後も>>163でも書いたが家中最大勢力の信忠(近江安土城も継承)に逆らえる奴なんているか?
各方面の総大将が一致団結して他の継承者を擁立すれば可能性は無くはないが、
信忠には武田家討伐など各地を転戦した功績はあっても家督相続を否定される様な落ち度は無いんだぞ。
大義名分も無く家督相続を主張する奴はいないだろうし、それを擁立する奴もいないはずだ。

165 :人間七七四年:2007/10/24(水) 07:47:42 ID:VWIrmVUi
>>164

そういう形や大義名分の問題じゃないでしょ。
例えば明智を討つのが信忠でなく羽柴であればそれだけで織田家の権力は落ちる。
順調に家督継いでも次第に実力のある家臣に傀儡化されるなんてよくある話だよ。
羽柴が信長の子に何したか考えればすぐ分かる話。

166 :人間七七四年:2007/10/24(水) 08:55:34 ID:jezWwWUV
だがなあ。
義信は駿河侵攻に反対して謀反起こそうとしたって言われてるが、
あの時期に武田が駿河侵攻しないのは、それはそれで後のこと考えると問題だったと思われ。
先に喧嘩を売ったのは今川が塩留めしたこと。
そのせいで越後の高い塩を買わなければいけなくなった武田は経済的打撃を受けた。
しかも北条駿河侵攻の構えを見せていたから、今攻めないと北条に東と南から囲まれることになった。
あれは、駿河侵攻以外の選択肢がない状況だったのに、反対する奴は冷遇されて当然。
義信が家督継承してれば、長篠もなかっただろ?

167 :人間七七四年:2007/10/24(水) 09:04:32 ID:dc5q3zZt
>>165
それから明智を討つのがryって本能寺で信忠だけが助かるパターンの場合?
もしそうなら論功行賞で秀吉の織田家家中での勢力は拡大するだろうけど、
=織田家の権力低下なんて起きる筈がない。
信忠の勢力だけでも尾張・美濃・甲信・近江(信長領相続によるもの)
秀吉の加増は史実通り30万石程あって配下の与力大名がそのまま秀吉についたとしても信忠の勢力には劣る。

さらに史実で秀吉に味方した池田等の諸武将が信忠を見限って秀吉を支持するとは考えられないし、
柴田・丹羽・滝川とその与力大名も信忠を支持するだろう。

家中の大半からの支持、あるいは家中で突出した実力が必要なわけだけど、
秀吉が織田家家中で突出した勢力になれる訳がない。
それでどの様にして織田家の権力が落ちるんだ?

>>順調に家督継いでも次第に実力のある家臣に傀儡化されるなんてよくある話
信忠自身が一番実力を持つのにどの家臣に傀儡にされるというんだ?
暗愚な武将なら可能性はあるだろうけど、信忠は傀儡にされる心配が無いくらいの能力はあったんじゃないか?

>>羽柴が信長の子に何したか考えればすぐ分かる話。
全然分からないから解説してくれ。
秀吉が織田家を傀儡にできたのは根回しで織田家武将の支持を多く得て、
反目する信雄・信孝両人に織田家領土の大半を振り分けて織田本家の実力を削ぎ落とす事に成功したからだろ?
織田家当主の信忠が存命すれば誰が織田家の領土を他家に養子に出た弟達に振り分けて織田家の実力を削ぐなんて荒業ができるんだ?



168 :人間七七四年:2007/10/24(水) 09:28:11 ID:Wr+cWvWk
>>166
いや、喧嘩はじめは義元死後に信玄が早速今川家中に調略かけはじめたこと
これに娘婿謀殺が重なった。信玄から背信した報いが塩止め

169 :人間七七四年:2007/10/24(水) 10:32:49 ID:l3uebDGH
>>168
その調略って遠州騒乱への介入の事?
あれって江戸時代の浜松御在城記が元じゃなかった?当てにならんのでは?
今川と仲が険悪になり始めたのは、武田と織田が美濃国境で偶発的に
衝突した結果、双方がそれぞれ西上野と美濃を目的としていた事から戦いを避け
和睦・同盟に至ったことじゃないのか?
その後も信玄が三河攻略とか持ちかけてる事から
信玄にしてみれば背信という感じは薄かったのではと思うが。

170 :人間七七四年:2007/10/24(水) 10:54:49 ID:VoyTTCJa
>>169
信玄が氏真に一緒に三河攻撃しよう、と誘った時
氏真からの返書で武田の背信の数々を書き連ねて断わっているよ
中には今川家家宝の伊勢物語を酔ったふりして盗んで返さないというのもあるw

171 :人間七七四年:2007/10/24(水) 11:06:49 ID:l3uebDGH
>>170
甲陽軍鑑は江戸時代資料だしな。
伊勢物語のお話なんていつそんな事があったのか
さっぱりわからんし。脚色も入ってるんじゃないのか?
軍鑑の中でさえ織田との縁談は主要な問題とされてたはずでは。

172 :人間七七四年:2007/10/24(水) 11:57:18 ID:mBIAYZTF
武田に不利なことは全て脚色って
脳内信玄ならいらんよw

173 :人間七七四年:2007/10/24(水) 12:18:44 ID:l3uebDGH
いや、だからさ。甲陽軍鑑の脚色を認めないというなら信玄が川中島で謙信に勝ちまくったり
村上に砥石でも上田原でも勝ったりしてるのも正しい事になるだろ。
実際伊勢物語の話がいつあったかなんてわからんし。
織田の縁談が問題になってることは俺否定してないだろ。

174 :人間七七四年:2007/10/24(水) 12:21:58 ID:JFDgoFKI
日本語でおk

175 :人間七七四年:2007/10/24(水) 12:31:27 ID:l3uebDGH
>>174
いや、日本語だってば。
甲陽軍鑑は結構脚色もある資料だ。
完全に従うなら武田は砥石でも上田原でも村上に大勝利した事になる。
謙信が八幡原に向かって山を降りて決戦する前に「今まで武田と10数回にわたって
戦ってきたけど全て自分が負けてきたように思う。今度こそ勝利したい。」と
述べたりしてる事にもなる。さらに平賀源心を海野口城で討ち取ってる事にもなる。
これらの事は現在史学では皆否定されていることだ。

176 :人間七七四年:2007/10/24(水) 12:45:51 ID:X71doUGX
やっぱ織田との婚姻と義信の幽閉が原因じゃないの?
1566年には駿河との国境を固めろって指示が出ているし
ソースは勝頼書状

177 :人間七七四年:2007/10/24(水) 12:59:35 ID:oCkWLZWc
武田=北朝鮮
北条=シナ
徳川=南朝鮮
織田=アメリカ
明智=日本

178 :人間七七四年:2007/10/24(水) 14:44:36 ID:oNa8aKp+
氏真と信玄の三河共同出兵が実現していたら日本の歴史は大きく
変わっていただろうね。武田が天下取ったかは知らんけど
徳川幕府はなかっただろう。

179 :人間七七四年:2007/10/24(水) 19:35:36 ID:795iI8WQ
信玄の負の遺産というのも大局的な話であって
長篠は勝頼の戦術ミスだろうな。
桶狭間の今川みたいに大魚を狙って結果的にやられたのでもなく
長篠という小城を攻めるのに後ろ巻きされて大負けしたのだから
どうしても戦術の不味さを感じる。
まだ上洛しようとして美濃ででも大敗していたほうが後世の評価は
上だったでしょうね。

180 :人間七七四年:2007/10/24(水) 19:49:07 ID:mb+ZkL+k
信玄の負の遺産っていうか
川中島の後遺症でしょ
事実上、第4四次でダメージで上洛は挫折してる
あとは国の疲弊を取り返すための戦

181 :人間七七四年:2007/10/24(水) 21:54:02 ID:7tWHmlWT
勝頼の代になると、信玄時代の多正面の陽動
作戦が影を潜めてアプローチが単純になる。
主力の位置が捕らえどころ無く、一方で敵状
は専門の情報機関で確実に捕らえ、各軍団
を有能な使番で連携行動させるのが武田の
作戦上の優位点だったはず。

182 :人間七七四年:2007/10/24(水) 23:52:00 ID:8BAzXo3l
>>179
負の遺産が大局的だったからこそ問題なんじゃ

>>180
その数ヶ月後には上野に出兵してるしなー

>>181
そんな優位点なんてあったか?具体的にどの戦で

183 :◆VqSh5C7CR6 :2007/10/25(木) 00:25:16 ID:dUvKrDlT
かなり亀だが・・・

>>115>>116
重ね重ね情報サンクス、早速検索してみる。


184 :人間七七四年:2007/10/25(木) 01:33:23 ID:sEt5ohrc
>>167
なんか戦国時代理解してないみたいだね。
何万石持っていようと、信長のように畏怖・尊敬される存在でなければ
次第に実力のある家臣が権力増やすってこと言ってるんでしょ。
本能寺前後の織田家が江戸時代のように楽な時代って言うなら話は別だが。

185 :人間七七四年:2007/10/25(木) 01:56:29 ID:mVYSJ6Ww
乗っ取られた可能性もあるだろうが
乗っ取られなかった可能性だって十分にある
一方的に戦国時代を理解してないなんて酷い言い草だね


186 :人間七七四年:2007/10/25(木) 02:06:26 ID:PBuecnkC
江戸時代でさえ
将軍はお飾りで実権は他にあったわけだからな
乗っ取りは十分あり得るね

信忠がしっぽり信長のポストに収まるとは到底思えない

187 :人間七七四年:2007/10/25(木) 02:30:51 ID:5PyZ8xJb
>>184
お前こそ戦国時代を理解してないんじゃないのか?
戦国時代だからこそ畏怖される要素の大半が当主の実力=当主の軍事力なんだろ。
実力ある当主である限り多少家臣が権力増そうが傀儡かされないと思うんだがね。

>>186
>信忠がしっぽり信長のポストに収まるとは到底思えない
なんで思えないんだ?理由は何だ?

経験も無い嫡子がいきなり家督を継承した場合ならまだしも、
信長存命中に既に家督を相続して武将としての経験も順調に積みつつある信忠の場合、
織田家を乗っ取られる、傀儡にされる心配なんて無い可能性のほうが遥かに高いと思うんだがな。

188 :人間七七四年:2007/10/25(木) 02:40:11 ID:CLOCpMyO
>>187
この場合はお前に同意する

189 :人間七七四年:2007/10/25(木) 03:44:40 ID:qkOCYHZ/
だね秀吉の出る目は無いだろうな

190 :人間七七四年 :2007/10/25(木) 04:05:49 ID:GqKcNiER
>>189
信長の敵である光秀を秀吉が討てば、秀吉の発言力は高まるだろう。
そして秀吉は柴田勝家と激しく対立するだろうけど、信忠がどう対処するかは気になる。

191 :人間七七四年:2007/10/25(木) 04:14:10 ID:vpgV2uK0
そんな揉め事起こした時点で領地召し上げだろ>秀吉

192 :人間七七四年:2007/10/25(木) 04:19:26 ID:qkOCYHZ/
召し上げまではいかないにしても不利にはなるだろうな
毛利が潰れたら即隠居とかなりそう

193 :人間七七四年:2007/10/25(木) 04:21:59 ID:qkOCYHZ/
あと光秀を討ったというのも秀吉になるか怪しいな

194 :人間七七四年:2007/10/25(木) 04:28:43 ID:5PyZ8xJb
>>190
仮に本能寺が起き信忠のみが生き残って秀吉が光秀を討伐して領土加増と織田家内での立場が多少強くなっても、
織田家中枢で政権運営に携わるのは信忠側近の美濃衆ほか滝川・河尻・森等の与力武将たちの可能性が高いだろうな。
勿論織田家がどの様な政権運営方法を用いるかによるだろうけどね。

秀吉と勝家が激しく対立したらこれ幸いと原因があるほう、あるいは両者の領土を没収して
自身の立場、織田家を更に強化するんじゃないかな。
まあ対立といってもどのような中身の対立かによって対処もいろいろと違ってくるだろうけどね。

195 :人間七七四年:2007/10/25(木) 04:40:41 ID:5PyZ8xJb
>>193
信忠が脱出後本領の岐阜かあるいは安土城に向かえば、混乱した中で軍備を整えるのに手間取り、
その間に中国から帰還した秀吉が光秀と戦うという史実どおりの展開になる可能性が高いと思う。

信忠が信孝・丹羽らの四国方面軍のいる大坂に向かえば秀吉との合流も可能となり、
光秀討伐の総大将として仇討ちの面目躍如となるだろうね。
ただし予想外の謀反で誰が敵か味方か判別しにくい状況で、
光秀と結託してる可能性もある信孝の陣地に身一つで逃げ込む可能性は少ない気がする。

やはり脱出できた場合は本領の岐阜に向かう可能性大かな?

196 :人間七七四年:2007/10/25(木) 04:51:18 ID:o3V2SFN9
>>182
とりあえず西上作戦や西上野侵攻作戦、北条との戦いでは主力の他に
主力軍と複数の支隊による多方面での作戦をやっているな。
勝頼になるとなんかこういうのがなくなるなあ、とは俺は>>181ではないが思う。

197 :人間七七四年:2007/10/25(木) 08:51:55 ID:RUUldrtC
武田が対織田徳川に集中できる戦力が減少してたからな
ある程度纏まった数ならともかく、少数を分散しても半端に終わるだけ
原因は重臣間の路線対立だろう
西進で干されていた重臣が、再び北進や東進を画策したとか
直接的な原因は外交の変化だろうが

198 :人間七七四年:2007/10/25(木) 09:55:09 ID:0KYIBzpS
>>187
信長が畏怖・尊敬されてたのはその性格や個人的な能力でしょう?
あなたは会社の社長・学校の先生という地位にいるだけでその人を畏怖・尊敬するんですか?
現実社会でも上の人間に能力・カリスマ性がなければ下の人間は勝手なことをし始める。
天下統一した豊臣ですら家臣に乗っ取られてるんだから、本能寺前後の織田ぐらいだと、
家臣が権力争いしてどうなるか分からんよ。

199 :人間七七四年:2007/10/25(木) 09:58:24 ID:dFrBWzPt
>>198
組織の中の地位って、「権限を持っている」って事だよ?
権限がなけりゃいくら能力持ってても何も出来ないんだよ?

わかる?

200 :人間七七四年:2007/10/25(木) 10:31:57 ID:vpgV2uK0
下の人間に権力や基盤が在れば勝手な事も出来ますが
残念ながら織田の家臣団にそのような力は御座いません

201 :人間七七四年:2007/10/25(木) 10:34:34 ID:c8//osRT
武田と織田では組織が違う

202 :人間七七四年:2007/10/25(木) 11:02:19 ID:m7QM/JNG
会社で下克上はできんが戦国は可能

203 :人間七七四年:2007/10/25(木) 13:55:08 ID:HT5/N5HT
>>195
まず、信長や信忠は西国遠征のために京に入ったことに注目。さまざまな理由で
自身がまず少数の共だけで先発して京に入ったが、その後は軍事遠征が予定されて
いた。つまり近江や美濃の国許ではすでに動員が始まっており変が無ければおっつけ
京に軍勢が向かっていた。そんな状況で軍備に手間取り?

もうひとつ、信長が死んでも信忠が生存していれば、畿内の諸将は明智にびびる必要
もなければ誰の命令をきいてよいのか迷う必要もない。全員一致して信忠に従う。
大返しで秀吉が戻ってきても、信忠の統制に組み入れられるだけ。もし秀吉が信忠の
統制に服しようしなければ、光秀との関係を疑われて配下の与力武将から見捨てられる
だけ。

204 :人間七七四年:2007/10/25(木) 15:51:33 ID:5PyZ8xJb
>>198
君は戦国時代の畏怖・尊敬と現代の畏怖・尊敬の意味をごっちゃにして考えてるようだが、
戦国時代の大名に対する畏怖・尊敬(?)というのは大名の軍事力に対するものが大きな要素なんだよ。
それに従う武将たちにとって重要なことは他家を凌ぐ軍事力>>>個人的な能力
忠誠心も大名個人の人柄・能力に対するもの以上に自分たちを守ってくれる軍事力に対しての忠誠心の方が圧倒的に高いんだよ。

豊臣家が秀吉に乗っ取られた要因は秀頼が幼年という事もあるけど、
豊臣家の直轄領200万石に対して徳川家255万石と主家よりも従属大名の方が所領が大きいという
本来ならあってはならない構図だということが大きな要因だよ(他にも大大名が数多く存在)
仮に家康の所領が50万石程度だとしたら、家康に能力・カリスマ性があっても家康に組する大名は史実よりも激減して
徳川の天下なんて絶対にありえなかった。
多くの大名が家康を支持したのは家康の背景にある255万石が大きな要因。

>>203
そういや西国遠征のための動員した兵の事をを失念してた。
混乱した兵をまとめるのに多少の日数がかかるだろうけど、秀吉軍が畿内に来るまでには軍を纏め上げられるだろうね。

205 :人間七七四年:2007/10/25(木) 17:27:03 ID:qzF1IHYp
岐阜まで逃げなくても信孝の四国遠征軍を使えばいい>信忠
織田の鉢植え的軍団統制はこんな時こそ役立つもんだ
つか近江あたりで信忠健在、対光秀軍を岐阜から収集でもいい
とかく、信忠健在の声明がでた後で秀吉が動くことがあれば職務放棄になる


武田のタの字もでてこないな

206 :人間七七四年:2007/10/25(木) 18:21:20 ID:DSMfzwx4
>>195
それらもあるけど
信忠が生きている状態では例え山崎の合戦が起きて主力が秀吉だったとしても
史実みたいに秀吉が殊更自分の功績を主張できるわけではなく
総大将の信孝の功績が主となりかねないってこと

207 :人間七七四年:2007/10/25(木) 18:23:25 ID:q2gdV+MI
じゃあ、武田が降伏を選んだとしてどのタイミングまでなら、受け入れられたか?でも考えないか?
高天神陥落の時点でほぼ詰んでいたはず。
それでも抵抗を続けたからこそとどめの侵攻になったと言えると思われ。

名門武田家としては降伏できなかったのか、降伏したくても受け入れそうになかったのかは不明だが。
それに降伏したとしても良くて甲斐以外は没収だとは思うがw

208 :人間七七四年:2007/10/25(木) 20:03:32 ID:HT5/N5HT
デッドラインは天正八年の本願寺大坂退去だな。
これ以降はもう信長に武田相手に少しでも妥協する理由は無くなる。
ちなみにこの年は一月に秀吉が三木城を開城させて播磨征服完了。さらに
十一月には柴田が加賀平定完了。

209 :名無し野電車区:2007/10/25(木) 20:25:34 ID:nMxF9KSw
本願寺退去はもちろんだが播磨、加賀、能登の平定は武田には痛かったね。
それまで信忠軍団+明智etcが播磨行ったり加賀に滝川、丹羽送ったり
してたのが、もう送る必要なくなった。
播磨・加賀・能登を得て羽柴・柴田は単独で毛利・上杉と戦える動員力に
なり、畿内+濃尾という織田領でも最も石高があり動員力がある地域の
大兵力が武田しか敵がいない状態になった。

210 :人間七七四年:2007/10/25(木) 21:56:30 ID:qx+BO+Uz
>>207
織田が存在認めた大名はいたか?

いたとしてそれは大名か?

211 :人間七七四年:2007/10/25(木) 21:59:09 ID:5PyZ8xJb
>>205
明智と結託してる可能性もあるのだから、身一つで信孝の陣に駆け込むのは武将としてあるまじき行為なんじゃないかな?
信頼できる自身の直轄軍で身の安全を確保するのが最優先事項だと思う。

>>206
確かに史実みたいに功績は実質秀吉が独占みたいな状況にはならないだろうね。
ただ信孝は他家の養子に出て家督相続権が無いとは言えこの手柄で天狗になって
増長したり、最悪家督相続問題を引き起こす可能性がなくはないから、
信忠が弔い合戦に参加できなかった場合はいかに合戦での功績自体を小さくするかを考える必要があるかもしれないね。

212 :名無し野電車区:2007/10/25(木) 22:08:59 ID:MH6wVYFA
>>210
・裏切らなかった場合の浅井氏
・上洛戦で領内通行を認めていた場合の六角氏

その後、信長との大名としての関係がどうなっていたか興味ある

213 :人間七七四年:2007/10/25(木) 22:12:59 ID:vpgV2uK0
あの時点で結託してる可能性が出てくるのは信澄のみだろ
信孝が明智と結託って全然メリットがない
っていうか、明智における斉藤利三らなどの子飼いの将や動員できる自力の軍事力がない
仮に信孝・信澄謀反でも丹羽・蜂屋はついていかない。この時点で機能停止。
さらにここに信忠が転がり込んできたら、信孝・信澄についてる連中は雪崩を打って信忠に味方する

214 :人間七七四年:2007/10/25(木) 22:20:13 ID:qx+BO+Uz
>>213
信忠の与力って有名どこでだれ?

215 :人間七七四年:2007/10/25(木) 22:35:05 ID:q2gdV+MI
>>210
三好宗家と河内畠山は認めていたような。
双方共に自滅したが。

一応認めていた大名としては徳川はある。
あれも対等とは言いがたいが。

216 :人間七七四年:2007/10/25(木) 22:40:22 ID:mVYSJ6Ww
筒井とか宇喜田もそうじゃね

217 :人間七七四年:2007/10/25(木) 22:55:43 ID:RH+gp+bd
宇喜多はどうだろうね
信長に断りも無く臣従を認めた秀吉が怒られたって言われてるし、
信長は生かそうとは思ってなかったかもしれない

218 :人間七七四年:2007/10/25(木) 23:20:41 ID:hog89Y8W
>>216

筒井は大名に取り立てられたというか、再興して貰ったって感じだが

219 :人間七七四年:2007/10/25(木) 23:47:52 ID:5PyZ8xJb
>>213
謀反を起こすなんて思いもしなかった大恩ある明智が裏切ったんだから、
あの状況で明智と結託してる可能性は信澄のみだと軽率な判断なんてできないのでは?
明智が裏切ったのだからたとえ丹羽であっても迂闊に信頼すべきではないと思う。
信長亡き今織田家を背負っていくのは信忠なんだから、誰が敵か味方か判断するのは
自分の信頼できる軍で身の安全を確保した後にすべき事だと思うんだが。

>>214
滝川一益・森長可・河尻秀隆あたり

220 :人間七七四年:2007/10/26(金) 00:14:25 ID:dHvnHY53
河尻、団、森あたりは与力というより旗下なんじゃないか?

滝川、斉藤あたりは与力って感じろう

221 :人間七七四年:2007/10/26(金) 01:56:52 ID:+acmFNjX
>>210
織田との同盟を守る大名も少ないからなー
浅井武田上杉毛利長宗我部なんかは同盟結んでいたけど織田を裏切ったからなー
毛利は微妙だけど

>>211
側室の子だし信孝には無理だろ、馬揃えでも意外と下位だったし、
この時点じゃ所領は神戸家の伊勢数郡
光秀の旧領から丹波一国貰えたとしてもそれでようやく信雄と対等ぐらいだし。

そもそも史実じゃ信長信忠の遺領を勝手にわけたから、秀吉も信孝も大勢力になったけど
信忠が生きているんじゃ分け前はせいぜい丹波と志賀と上下山城程度しかないし。

222 :人間七七四年:2007/10/26(金) 01:57:36 ID:9637/DGo
>>214
滝川一益 河尻秀隆 稲葉貞通 森長可 団平八
毛利秀頼 斉藤新五 長谷川秀一 菅屋長頼 丹羽勘介
塚本大膳 簗田父子 水野監物 猪子父子 苗木久兵衛 梶原........

あと、木曾義昌なんかは新参だけど、信忠の元で重臣待遇だろうなぁ

223 :人間七七四年:2007/10/26(金) 02:36:07 ID:iUHfDbDh
>>222
長谷川秀一や菅家長頼は信長近習。稲葉も信長直轄だろう。

224 :人間七七四年:2007/10/26(金) 02:44:49 ID:r0NzpsbJ
>222 
勝長が抜けているのと微妙に馬廻りと奉行が混じってね? 
信忠にはまだそんなに与力がいたとは思えないんだが…。 
滝川や河尻は与力というよりおもりみたいなもんだし。

225 :人間七七四年:2007/10/26(金) 05:42:28 ID:nA6KPVbx
そもそも与力って、当主直属の軍団の補助及び監視役だろ。
当主本人の監視役って要らないだろ。
信忠の与力と言われても出てこなくて当然な希ガス。

226 :人間七七四年:2007/10/26(金) 19:45:56 ID:aSLJqT6Q
それにしても朝倉景鏡と小山田信茂はやったことは同じなのに
どうして織田の処遇は違ったんだろう

227 :人間七七四年:2007/10/26(金) 23:03:57 ID:E8xARFhi
>>226
朝倉の時は畿内に敵多数、北近江に浅井を残していたためさっさと戻る必要あり
下手して加賀の一揆とかと組まれて反抗されたらやっかい
小山田の時は北条徳川同盟していて、単純に戦力的にも余裕があるから
潰して直轄領増やす方がいい
ってことじゃ

228 :人間七七四年:2007/10/26(金) 23:06:52 ID:iUHfDbDh
>>226
事前交渉の有無。景鏡の場合は事前に降服とそれに伴う領地や身分の安堵など
が取り決められていた。というか、義景の首もその交換条件に入っていたとも
考えられる。また浅井は健在、さらに畿内では若江の三好や大和の松永、さらに
長島などや北伊勢の一揆蜂起など、周辺状況が越前に長く関わっていられない
というのも大きい。当時の信長の環境では、多少妥協しても安定を優先させねば
ならない立場だった。

小山田の場合は、まずこの手の事前交渉の形跡がまったく見られない。また
天正十年の信長には、元亀の頃のような掣肘される外部環境がほぼない。

229 :人間七七四年:2007/10/26(金) 23:21:06 ID:nA6KPVbx
小山田が裏切ったこと自体史実か疑う見方もあるからな。
実際には裏切ってなくて織田軍に追いつかれて逃げ込むのが不可能になっただけと言う説もある。
となれば、単に小山田は武田残党として取り潰されただけの可能性も。

230 :人間七七四年:2007/10/26(金) 23:52:35 ID:v3NUf+PQ
井沢元彦の小説にあった
「小山田は笹子峠に柵を設け、勝頼一行が近づくと鉄砲を撃ってきた。
このまま進めば長篠の二の舞になる」
という一節は俺が読んだ内外の小説の中でも最高にセンスがない
一文だったな・・・

231 :人間七七四年:2007/10/27(土) 04:32:08 ID:N0f4emp4
これは酷いw
信長で言えば、本能寺だぜwww

232 :人間七七四年:2007/10/27(土) 11:01:33 ID:q/FsVGRo
>>225
織田家の当主は信忠だが実質の支配者は信長であって、
滝川や河尻らも信長の命によって信忠付けになったんだから実質与力と言ってもいいと思う。
信忠を監視というか監督する役目も担っていたはずだしね。

233 :人間七七四年:2007/10/27(土) 15:48:56 ID:fBJc2Z1H
滝川は遊撃軍だし最終的には軍団長的存在になってるから与力ってのは相応しくないような

234 :人間七七四年:2007/10/27(土) 21:20:45 ID:4hMn8ZRf
滝川と河尻は与力というよりおもむろ目付けだろうな。
そして明確にわかっている与力というと勝長ぐらいだろ。

235 :人間七七四年:2007/10/27(土) 21:57:05 ID:Rk/oR27G
滝川は違うだろ

236 :人間七七四年:2007/10/29(月) 23:05:55 ID:RzEZe5Dd
真田についていっても裏切られたかも
自分が普請した新府城をいきなり燃やされて怒り心頭だろうしね

237 :人間七七四年:2007/10/30(火) 00:37:45 ID:Hb1OEESi
昌幸のその後の外交方針を見る限り、
いざとなれば勝頼を使い捨てると思う。

238 :人間七七四年:2007/10/30(火) 11:24:06 ID:lyQzpMvM
小山田は勝頼を入城させたかったんだが家臣から
「勝頼入れたらおまいをコロす」と脅されて仕方なく断ったんだよ

239 :人間七七四年:2007/10/30(火) 12:08:53 ID:Gx0PGtDo
小山田と真田を天秤にかけたら
真田の方が新参だし
信虎時代に恨みはあるからね

240 :人間七七四年:2007/10/30(火) 20:21:55 ID:SAoq8Y8+
しかし城の位置から考えると、どう考えても岩櫃城を選ぶな。
この先、上杉や北条を頼らずにはどうにもならないわけだし。

241 :人間七七四年:2007/10/30(火) 21:50:20 ID:V0NfnADt
あの時点で逃げ切れたとしても、じきに追っ手が来るだろう、再興も夢のまた夢だろうからな。
本能寺がおきるなんて普通思わないわけで。
どこに逃げたとしても破滅を避けられたとは思えん。

242 :人間七七四年:2007/10/30(火) 22:23:01 ID:rGbc87tn
勝頼というか武田が生き延びてた場合、
本能寺そのものが起きない可能性が出てくるからなあ

243 :人間七七四年:2007/10/30(火) 22:28:52 ID:SAoq8Y8+
とはいえ、仮に選んでいたとしても辿り継ぐのが難しかっただろうけど、岩櫃城まで逃れていれば、位置的に上野の深い場所。
上杉や北条が黙って織田領になるのを見ていられる場所ではなく、両者との衝突は避けられない。
衝突を避けるにも、それなりに交渉の時間が必要だっただろうし、
少なくとも、一連の武田崩れの流れで滅亡まで至るのは、一応避けられたように思う。
史実でも、織田の甲信の統治は上手く行っていたとは言いがたいし、希望は多少なり見えたんじゃないかなぁ。
北条に従属という形にしても、娘婿として、北条の大義名分として、甲斐一国の統治くらいは戻れたかもしれない。

244 :人間七七四年:2007/10/30(火) 22:32:57 ID:v3FSyl6a
>>243
当時の上杉に上野信濃に出兵する余力があると?
史実の北条は上野がまるまる織田領となることを受け入れていますが?

>織田の甲信の統治は上手く行っていたとは言いがたいし
何を根拠に?まさか本能寺のあとに一揆が勃発したことのみでか?

>北条に従属という形にしても、娘婿として、北条の大義名分として、甲斐一国の統治くらいは戻れたかもしれない
これは、北条が織田と敵対するということが前提になりますが、ありえると?

245 :人間七七四年:2007/10/30(火) 22:53:57 ID:AQAzZzab
>史実の北条は上野がまるまる織田領となることを受け入れていますが?
kwsk

246 :人間七七四年:2007/10/30(火) 23:26:32 ID:J43QOYdw
詳しくも何も厩橋に滝川が入って由良や真田なんかが与力になってると思うが

247 :人間七七四年:2007/10/30(火) 23:47:31 ID:SAoq8Y8+
その後、本能寺の変が生じた時点で、大軍を率いて上野に侵攻してるし、
書状等で受け入れてるとの背景もないのに
「北条は上野がまるまる織田領となることを受け入れている」なんて書くのはおかしいだろう?
少なくとも、情勢が動けば、上野を主張にする意思は、史実的に明確にあったわけで、
織田の旧武田領統治に変化があれば、上野に手を伸ばしていてもおかしくはない。


248 :人間七七四年:2007/10/30(火) 23:55:24 ID:vbLXL09X
北条が織田の上野統治を受け入れたなんて聞いたことがないぞ
ソース寄越せよ

249 :人間七七四年:2007/10/31(水) 00:05:09 ID:ajZvxGxr
一益が与えられたのは、あくまで西上野だし
徳川との甲信上の分配取り決め時、名胡桃城の一件からしても、北条の上野への意識は強そう

250 :人間七七四年:2007/10/31(水) 00:31:22 ID:au3XkdoR
>>247
それは本能寺という大混乱が前提。信長が健在の時点で上野や旧武田領に手を出す
ことは織田を敵にまわすこと。それこそ史実の名胡桃のごとく、一時に利益で大損
するだけになるかと。

ちなみに厩橋の滝川の元に出仕したなかには、上野どころか西下野、北武蔵の豪族も
含まれている。

251 :名無し野電車区:2007/10/31(水) 13:43:42 ID:bROkoEhw
勝頼も甲斐を捨てるという選択肢はなかったんじゃない?
上野に行ったら甲斐武田じゃなくなるよ

252 :人間七七四年:2007/10/31(水) 14:23:55 ID:eFbpoLEH
河内畠山って何度も河内を捨てて、紀伊に逃亡してるけどな。
筑前少弐家だって末期は肥前の小豪族として滅亡した。
一時的に避難と割り切って考えるんでないかな。
もともと上野の主だった上杉憲政だって越後に逃げたんだし。
純粋に遠すぎていかなかっただけでねぇの?

253 :人間七七四年:2007/10/31(水) 18:27:28 ID:A2VrHniM
勝頼は小山田の岩殿城で最後に華々しく戦って城を枕に死ぬ気だったんじゃないかな?
甲信は織田家の大軍に蹂躙され、北条・徳川とも敵対。
同盟国の上杉も織田家に押されまくって援軍の見込みはゼロ。
他国に落ち延びてもそこにもやがて織田家が迫ってくる可能性大。
武田家当主としては他国に落ち延びて生き恥をさらすよりも名門らしい最後を迎えたかったんだと思う。
そして武田家最期の地を他国である岩櫃城よりも甲斐にある岩殿城を選択した可能性が高いと思う。
信勝を他国に落ち延びさせるつもりだったかどうかは分からんけどね。

254 :人間七七四年:2007/10/31(水) 19:13:35 ID:sHCFZpiP
>>253
同意。

信勝は勝頼が奥州に落ちるように諭されたって話を聞いたことあるんだが…事実だったとして奥州に落ち延びるアテなんてあったのかな?

255 :人間七七四年:2007/10/31(水) 19:31:22 ID:eFbpoLEH
>>254
蠣崎武田とか?

256 :人間七七四年:2007/10/31(水) 19:36:16 ID:TSJcjmsV
武田は古い名家らしく、日本中に親類縁者がいるからなあ。織田勢力圏の外ならかくまってくれる所は
結構あったんじゃなかろうか?

257 :人間七七四年:2007/10/31(水) 19:46:08 ID:A2VrHniM
>>254
関東は北条が織田家と盟約を結んでおり再起を図るのが難しい。
上杉もお先真っ暗で落ち延びても先が短そうだし、盟約を結んだとはいえつい最近まで仲が悪かった家に落ち延びるのは
この上ない屈辱だろうから亡命先としてはどうかなと思う。
結局消去法で奥州に落ちるように言ったんじゃないかな?
まあ奥州の武将も信長と誼を通じてる武将が結構いたらしいけどね。

258 :人間七七四年:2007/10/31(水) 20:17:26 ID:MR/1bWNi
>>255
南部でええやん

259 :人間七七四年:2007/10/31(水) 22:11:19 ID:sHCFZpiP
確かにあの頃で織田の手の届かないとこって言ったら奥州か…でもどのみち天目山を脱出しおおせたとしても無事落ち延びるのは厳しそうだな。

そういやこないだ宮城の松島行ってきたんだが、観欄亭(?)ってとこに信玄からの書状があったんだよね。武田家とあの辺の勢力(伊達家あたり?)となんか繋がりがあったのかな?

260 :人間七七四年:2007/10/31(水) 22:22:04 ID:bFZhhsc/
佐竹は同族じゃないっけ?
佐竹頼ろうとかしなかったのかな
まぁあの時点での佐竹を頼ってもやばそうな気はするが

261 :人間七七四年:2007/11/01(木) 00:16:32 ID:c2ZhBayy
佐竹も織田(滝川一益)と誼を結んでいるからね。
というか北条・反北条ふくめて、関東で滝川一益と誼を結ばなかった大名はいないような…。
ちなみに、奥州の大名も滝川と連絡をとりつつあるしなあ。

本能寺がなければ、敵国・上杉を討伐して東国は終わり。

262 :人間七七四年:2007/11/01(木) 00:40:15 ID:9sejgLFZ
まあ実際には秀吉政権がそうだったように、帰順を申し入れてきた勢力全てを
そのまま残すことは出来ないだろうから、一度や二度は問題が起こされて生贄
大名が何人か潰されることになるだろうけど。でもそれは安定期にはいってから
だろうし、東国の敵はホント上杉だけだろうな。東北でも最上・伊達・葦名・南部
などは信長と誼通じてたというし。

263 :人間七七四年:2007/11/01(木) 00:41:50 ID:mgXFBUJc
南部は誼を通じようとしたら本能寺でビックリだから一番大丈夫w

264 :人間七七四年:2007/11/01(木) 00:52:40 ID:d6wQki/I
>>262
安東も忘れないでorz

265 :人間七七四年:2007/11/01(木) 07:52:36 ID:LK11Qwo/
>>262
大宝寺も鷹を送っていたぞ。

266 :人間七七四年:2007/11/01(木) 23:14:48 ID:7a9hPCZc
>259 
その書状の時期や内容にもよるけど快川の愛弟子で 
恵林寺にいた僧の一人が伊達家に招かれて召しかかえ僧となり 
後に政宗の指南僧の一人にもなっているからその絡みとかじゃ 
ないのかなと。武田攻め後に彼を頼って伊達領に逃げ込んだり 
伊達家も匿ってたらしい。あと本当か嘘がわからないけど 
真田信繁の子供を伊達が(正式には家臣だけど)匿ってても 
幕府が強く出なかった?背景にはこの時の恩があるからと 
武田遺臣が口添えをしたからという話もあるらしい。 
あと政宗と長安が懇意だったのも関与しているとかいないとか。 
 
案外と伊達を頼れば命だけは助かったかもね。 
それか灯台下暗しで一か八で富士氏か南北朝時に大宮に 
落ちて土着した諏訪の一派を頼ってればまた違ったかも。 
浅間大社社領にでも匿ってもらえたら信長や家康といえど 
むやみに立ち入れない領域だからね、助かったと思うよ。 
そこで神官でもやってれば細々とつつましく暮らすぐらいは 
できただろう。諏訪の血を引いてるんだから富士信忠も 
疎かにはしなかっただろうしさ。

267 :人間七七四年:2007/11/02(金) 00:01:44 ID:1umZVbl8
>>266
逃げ込んだ六角氏を探して恵林寺を焼き討ちしたり、やはり追跡がらみで使者を
斬った高野山に対して高野聖斬ったり討伐を計画したりした信長が、はたして
見逃すかどうか?

268 :人間七七四年:2007/11/02(金) 00:05:18 ID:neXVNUmt
>浅間大社社領にでも匿ってもらえたら信長や家康といえど 
>むやみに立ち入れない領域
比叡を焼き、恵林寺を焼き、高野聖も一向宗徒も皆殺しの信長にとって、
浅間大社を踏み潰すくらい訳なかったとむしろ思うが。
甲州か信濃の山脈に潜むのが一番安全じゃないだろうか?

269 :人間七七四年:2007/11/02(金) 00:29:21 ID:XQpgN0Yo
>>266
家康はねちっこい反面、案外寛容な面もあるからな。
嫡男は仕方ないにしても石田三成の子もその血を残すことを許されているし。
しかしそれは家康のケースであって、信長には当てはめられない。

信長は寛容な反面、敵対者にはとにかく容赦がないからな・・・。

270 :人間七七四年:2007/11/02(金) 00:31:51 ID:/VOrDX3P
信長は史実を調べていると、さすがにこの性格の人間についていくのは勘弁、という気分になるな。

271 :人間七七四年:2007/11/02(金) 01:51:50 ID:alYUMiJY
信長は敵対者にはまだ甘い面もあるけど裏切り者は絶対許さないって感じだな

272 :人間七七四年:2007/11/02(金) 01:56:51 ID:iIw092rJ
そうかぁ?
松永久秀とかヌルいやん。

273 :人間七七四年:2007/11/02(金) 02:03:29 ID:/VOrDX3P
>>272
まだ利用できると判断した間はぬるいんだろ。

274 :人間七七四年:2007/11/02(金) 03:36:39 ID:/KQf0n0p
>>270
どこの世界の史実なのかを知りたい

275 :人間七七四年:2007/11/02(金) 13:39:09 ID:SQJLEJTg
信玄から美人の娘がいたら側室にしてくれるから安心
最悪でも未亡人を部下に与えるぐらいだから

276 :人間七七四年:2007/11/04(日) 12:48:04 ID:gAYsrJDY
↑日本語でおk

277 :人間七七四年:2007/11/10(土) 03:43:45 ID:Fb8rSUio
つか一回信長側が和平持ち込んできたんだろ
それを利用しないでまともに蹴ってるバカの末路がこれ

278 :人間七七四年:2007/11/10(土) 15:55:16 ID:ZLNAs9Ip
結んでいたところで、周りが片付いたらどうなってたか謎だけどな。
自分も同盟しておくべきだったとは思うが。

279 :人間七七四年:2007/11/10(土) 16:05:08 ID:x5lCmCv0
あの状態で和平になっても、信長の事だから武田家存続の条件として自分の息子の誰かを
養子にさせて継がせる、って形にし、実質のっとっただろうね。

280 :人間七七四年:2007/11/10(土) 17:09:07 ID:Danzlkz/
北畠で実例あるものな。

281 :人間七七四年:2007/11/10(土) 19:12:23 ID:o3q8WN22
結局、信長は天下統一をしたら
家臣団を一層する予定だったんでしょ
代わりに無能でもなんでも親族を据えて織田氏の独占を目論んだ
手始めに林 佐久間がやられて秀吉とかかなり危機感あったでしょ

282 :人間七七四年:2007/11/10(土) 19:28:57 ID:D+fcaC22
>>281
君はタイムスリップとかして直接信長本人からそのような予定を聞いたのかい?
それとも根拠がある推論なら根拠を頼む。
林・佐久間追放だけでは根拠としては弱すぎると思うのだが。

283 :人間七七四年:2007/11/10(土) 19:46:44 ID:rzwuAG73
でもちょっと人員整理が早すぎた感があったね
もう天下を取った気になって驕っていたのかもしれないが、
明智が裏切った要因の一つになったのは間違いないと思う


284 :人間七七四年:2007/11/10(土) 19:48:32 ID:x5lCmCv0
>>282
いやあ、普通に考えて馬鹿でかい領土持ってる軍司令官どもをそのままにしておくなんて危険な事、信長が
するとでも思ってるの?お役目終了次第兵力を引っぺがして追放、良くて10万石程度の大名、ってなるに
決まってるだろ。
信忠付きの連中はまだしも、信長付きの柴田、明智、羽柴あたりは、信長自身が責任を持ってその勢力を
解体再編成すると考える方が自然。

285 :人間七七四年:2007/11/10(土) 19:49:41 ID:yWRsTAd/
間違いないとか簡単に使うなよ、根拠出せ

286 :人間七七四年:2007/11/10(土) 19:56:11 ID:o3q8WN22
>>283
明智の処遇も手始めのひとつでしょ

287 :人間七七四年:2007/11/10(土) 20:04:31 ID:Danzlkz/
>>286
丹波召し上げだものな。
新たな領土を獲得したらではなく、先に古い領土を召し上げて、切り取ってこいだものな。

288 :人間七七四年:2007/11/10(土) 20:05:43 ID:D+fcaC22
>>284
軍団長の与力は天下統一までの一時的なもの。
天下統一後は軍団は解体ってのは可能性高いだろうし納得できるけど、
功績ある軍団長級の武将の領土を大幅に減封する理由が分からないんだが?

柴田、明智らの直轄地は最大の柴田の領土が越前一国程度で、豊臣政権みたいに百万石級の
政権の脅威になりかねない程の領土を持った武将がいないんだけどね。

289 :人間七七四年:2007/11/10(土) 20:11:46 ID:z2w8gvf/
つか丹波召し上げって創作だろ?

290 :人間七七四年:2007/11/10(土) 20:20:21 ID:x5lCmCv0
>>288
そこはあくまで推測だし、信長の人物像をどう取るかによるから当然意見が分かれるところだけれども、
個人的には信長は、最終的には軍団長クラスを全員追放したと思うよ。一度軍団の「指揮権」を持った人間は
それにより軍の運用ノウハウと人脈も持つわけだ。兵力という権力を取り上げても「権威」をそのままにしていては、
一端事有ればその将の元に旧配下の者たちが集合するのは日を見るより明か。「織田家」に対していくらでも
脅威になりうるわけですよ。そして信長という人間は、そう言う懸念をちゃんと理解する人間だったと考える訳ですな。

291 :人間七七四年:2007/11/10(土) 20:24:13 ID:x5lCmCv0
光秀に関しては、領土仕置き云々より、四国政策の転換が本能寺の理由だ、ってのが今の主流だね。
織田家の政策中枢から完全に弾かれた、ただの一武将に降格された、って事で反乱に及んだ。
まあその方がリアリティがありますわな。

292 :人間七七四年:2007/11/10(土) 20:41:53 ID:J8AzQN8o
軍団の解体はあるだろうが、軍団長の粛清まではイコールにはならんだろうな。
実際織田家の軍団システムは、解体も再編成もし易い構造になっている。

293 :人間七七四年:2007/11/10(土) 21:27:12 ID:j0w3wfN9
長い事成果を上げなかったから発憤の意味を込めて&強敵毛利相手だからってので
毛利戦線行けって事じゃないのかと好意的に解釈してるが<明智
単に明智がネガキャン入って叛乱起こしただけってのも納得は行くがそろそろスレ違いな気がしてならんな

294 :人間七七四年:2007/11/10(土) 22:42:41 ID:DgSPSw82
丹波召し上げやHTNの人質の母を見殺しにした等の怨恨説って江戸時代の講談物が
出典だったっけ?そもそも大功ある家臣をどんどん追放してたら離反されまくるだろう。
別に親族をとりわけ優遇してるような組織じゃないし。
普通に僻地で50万石ぐらいもらえたんじゃないかな。

295 :人間七七四年:2007/11/11(日) 00:41:12 ID:S/7c1q8Y
秀吉は養子という手を打っていた。

296 :人間七七四年:2007/11/11(日) 01:07:23 ID:QT/VJrIF
>>295
つまり信長からの圧力で秀勝に羽柴家の家督を強制的に譲らされた後、秀吉や秀長たちは信長の命で
誅殺されるわけだな。北畠や神戸のように。

297 :人間七七四年:2007/11/11(日) 02:15:15 ID:aWcRloXK
当然です

298 :人間七七四年:2007/11/11(日) 02:29:50 ID:qT1Ai+Jd
>>296
ぶっちゃけそれ以前に子種が無くて子供ができんので強制的に譲らされる可能性は低そうな気はしますな<秀吉

299 :人間七七四年:2007/11/11(日) 10:34:53 ID:hUHHWJYz
>>293
光秀は、石山本願寺と勅命講和を結ぶことに尽力して信長から賞される(1580年)
天正の馬揃えで奉行を務めて大成功(1581年)

別に成果を上げてないというのは言いすぎ


300 :人間七七四年:2007/11/11(日) 15:23:40 ID:4hDJD4Ev
あっちこっち手伝い援軍を出したり派兵したりする片手間に丹波平定もしたしな。
秀吉や勝家みたいに地方に従事しきりという訳ではないからね。

301 :人間七七四年:2007/11/11(日) 22:53:51 ID:39GrVZfG
お−い、どうでもいいけど全然武田家滅亡スレになってないぞ!
最後もこんな扱いうけて、なんかますます勝頼かわいそう。

302 :人間七七四年:2007/11/11(日) 22:59:25 ID:QT/VJrIF
このときの戦があまりにもスムーズに行ってしまった事が、本能寺につながってしまうわけで。
その意味では勝頼の無念が信長信忠に祟ったと考えられなくもない。

303 :人間七七四年:2007/11/12(月) 02:12:01 ID:DOO301vT
思えば、朝倉の最後も武田と似てるな
一門筆頭に裏切られるとこなんかも

304 :人間七七四年:2007/11/12(月) 02:19:22 ID:B5qHELNh
>>303
名門の最後ってそう言うこと多いな。大内とか。

305 :人間七七四年:2007/11/12(月) 07:15:18 ID:n9i1BgyR
>>304
大内はだいぶ違わないか?
朝倉・武田は勝ち目ないところで、信頼している相手に裏切られた。
大内は単に部下に謀反を起こされて滅亡。
大内の謀反はどっちかというと本能寺に近い気がする。

武田に近いのは、むしろ、能登畠山じゃないか?

306 :名無し野電車区:2007/11/12(月) 11:32:35 ID:AG0jxzya
武田の場合、4カ国を領していたから朝倉以上に滅び方がダイナミック
だった印象がある

307 :人間七七四年:2007/11/13(火) 12:01:58 ID:bHAZM3sr
北条夫人のように大名の正室が山中で自害した例ってある?

308 :人間七七四年:2007/11/13(火) 12:39:28 ID:ZMQVe2vr
>>307
ほとんどが雑兵に襲われ
ヤラレて捨てられるだけでしょ
エロ小説で落城する時に
母が娘にヤラレる時、拒むと苦しいから
楽しめってアドバイスするのあったなw

309 :人間七七四年:2007/11/13(火) 13:24:30 ID:dW+1Za90
まあ、落城となったら古今東西を問わずってとこだな
現代風に言うなら、都市陥落がそれに近いかも分からんけど
ベルリン陥落でソ連兵に犯されなかったのは、ババアのみだからな
但し南京陥落は例外中の例外
それが全く違う方向にどんどん話しが持って行かれて
悲劇としか言いようがないね

310 :織田信持:2007/11/13(火) 14:01:23 ID:UZMBQ5gi
ここで異説。
信忠はかつての婚約者である信玄の愛娘である松姫を手に入れたかった。
お互いに面識はなかったが、手紙のやりとりはずいぶんと交わしていたからぼんやりとだがその姿は脳内にあった。
お互いの父親の都合で破談になってしまったが、この時代なら珍しくもない。
そう自分に言い聞かしても信忠はあきらめきれなかった…
『父上だって力で手に入れたんだ。単純に考えれば俺だって…!』
いずれくるであろう武田攻略のために、かなりまえからシュミレーションしていたのではないだろうか?
だれにも文句を言わせないほど圧勝をすれば、父親だって文句も言わない。
すべては頭を押さえ込みつづけた信長への反逆、そして松姫への想い。
信忠の人生の見せ場は武田攻略に偏るのは、信忠が全神経をこれに向けたから。

311 :人間七七四年:2007/11/13(火) 14:58:43 ID:ZJbpLPv0
>>310
信忠の怒涛の進撃の裏に、甄氏を略奪した曹丕じゃないが親父よりも先に松姫の身柄を
確保しようという打算が働いてたとしたら面白いわな。

312 :人間七七四年:2007/11/13(火) 15:12:06 ID:IJR4E6JM
確かに南京陥落は例外中の例外と言えるほどレイプが多かったよな

313 :人間七七四年:2007/11/13(火) 15:24:58 ID:dW+1Za90
>>312
お前、チャンコロの反日政策の一環のスパイとして送りこまれた、キチガイのドブスの書いた
真っ赤なウソの本をそのまま信じてる馬鹿だろ?
きっと武功夜話も全部真実と信じてるんだろうね

314 :人間七七四年:2007/11/13(火) 15:33:07 ID:IJR4E6JM
テレビで顔隠した元日本兵が「慰安所は金がかかるが通りすがりの中国女は
タダなので自分含めてたくさん襲ってました」と言ってましたが何かw

315 :人間七七四年:2007/11/13(火) 15:41:16 ID:lezFwNmz
>>314
そいつの証言が全部本当とは限らんだろうが
ゆとり乙

316 :人間七七四年:2007/11/13(火) 16:23:04 ID:0+T/KCSI
>>315
だが>>313の主張の根拠となっているものも本当とは限らないだろうがw
どこの戦場でもヤル奴はやってただろうし、
南京が例外だったとはとても主張できないぜ。

特に旧軍は上の方ですら山下大将のような名将も居る一方、
ムターのような唾棄すべき輩も居るんだし、
とてもヤらなかったと言い切れんな。俺には。
>>312は愚か者だが、それに付き合うことは無いだろ。常考。

↓以下、何も無かったように武田攻めについて↓

317 :人間七七四年:2007/11/13(火) 16:35:17 ID:Wp6EnImP
>>314
当時9歳の少年兵のあれか
朝日ももう少し時代考証して、脚本作ればいいのに

318 :人間七七四年:2007/11/13(火) 16:39:16 ID:/w7MM/5l
>>314
その手のスレ池、カス

319 :人間七七四年:2007/11/13(火) 17:44:10 ID:qC2WGWml
武田の話に戻すと、ぶっちゃけ4カ国の太守の正室があわや雑兵の手に
かかりそうになったのは前代未聞じゃないのか
ついて来た女どもが切腹したのは当然レイプの危機が迫ったからだろう

320 :人間七七四年:2007/11/13(火) 18:21:50 ID:0+T/KCSI
>>319
そもそも4カ国の太守ってのが少ないからなあw
時代と状況が多少違うが、壇ノ浦の平家はそれに近いものがあるんじゃね?

321 :人間七七四年:2007/11/13(火) 18:31:20 ID:Yn+rzcie
雰囲気的には第二次世界大戦初期のパリ陥落が似ているかも。
防衛線を突破されたらあっという間にフランス敗北。

322 :人間七七四年:2007/11/13(火) 19:13:00 ID:wUVxDTaz
チャンコロの言い分だと南京は30万人も大虐殺されたのだろ?
そうするとその当時の南京の人口は20万人以下だから、レイプする女が一体どこにいたというんだ?
チャンコロは全員知障としか思えないが

パリ陥落は強姦された女は1人もいなかったの?

323 :人間七七四年:2007/11/13(火) 19:14:35 ID:tGLzJaZL
>>322
フランスはドイツがパリに攻撃かける前に降伏してるから、ドイツ軍は平和的に占領軍として入ってきた。

324 :人間七七四年:2007/11/13(火) 19:15:59 ID:wUVxDTaz
だからレイプされたフランス女は1人もいなかったのかどうかなんだよ

325 :人間七七四年:2007/11/13(火) 19:22:18 ID:LFVssccv
見る見る内にガッカリなスレに

326 :人間七七四年:2007/11/13(火) 19:49:20 ID:Dv/GTU+G
信長は躑躅が崎に本陣を敷いたらしいね。
これって天国(地獄?)の信玄にとっては屈辱的なことではないだろうか。
自分が座っていた場所に信長が座るのだから。
まあそれ言ったら安土城で信長が座っていた場所に光秀が座ったわけだけど

327 :人間七七四年:2007/11/13(火) 20:00:16 ID:IkY5O72o
>>326
てことは信玄自慢の専用水洗トイレも信長がご利用してたのかもな。
信玄にとっての安らぎの場所でウンコされるのが一番の屈辱な気がするw

328 :人間七七四年:2007/11/13(火) 20:02:22 ID:W38iABlJ
パリの女は進駐してきたドイツ兵にむしろ進んで股開いたんじゃなかったけ
戦後そういう女たちが制裁を受けてる映像があったろ

329 :人間七七四年:2007/11/13(火) 20:02:57 ID:im+mOMm6
>>324
レイプレイプうっせーよ
お前ただ単に今夜のおかずにしたいだけだろ
チンポから先走り汁垂らしながらレスしてんじゃねーよ

330 :人間七七四年:2007/11/13(火) 20:31:54 ID:Yn+rzcie
>>328
それ言い出すと、日本政府も太平洋戦争廃線時に、
占領軍のためにプロの女性を募集したがな。
中には騙された女性も多くて、身投げした人もいたとか。

331 :人間七七四年:2007/11/13(火) 20:48:29 ID:wUVxDTaz
公募した慰安婦にも物足りず、歩いてる若い娘をも
集団で鬼畜米兵はレイプしまくったんだよ
もちろんそういう事を書いた新聞は一社もないけどな

332 :人間七七四年:2007/11/13(火) 20:50:31 ID:tGLzJaZL
>>331
書かれていないことを何故に君が知っているのかと。

333 :人間七七四年:2007/11/13(火) 20:54:50 ID:Wp6EnImP
新聞からじゃなく医療機関からの報告書にあったような

334 :人間七七四年:2007/11/13(火) 21:00:49 ID:TDRyz0UT
>>330
騙されたんじゃなくて具体的な内容が良くわからなかったんだよ。
断ろうとすれば断る事だってできた。
自殺した人は最初の客が黒人だったのでショックを受けた人一人だな。
フランスで制裁を受けたのはドイツの幹部の愛人になっていた人で、
そういう人と比較するにはふさわしくない。
もちろん日本にもそういうのはいたけどね。有名なのはケーディスの愛人鳥尾子爵夫人とかね。
>>332
警察の記録にあったはず。
新聞だって本当に書かなかったのではなくて、
占領軍兵士とは書かずに「大男」と書いてぼかしていたんだよ。
そしてたいていの人はそれでわかっていた。

335 :人間七七四年:2007/11/13(火) 21:10:44 ID:tGLzJaZL
>>334
> 警察の記録にあったはず。
> 新聞だって本当に書かなかったのではなくて、
> 占領軍兵士とは書かずに「大男」と書いてぼかしていたんだよ。
> そしてたいていの人はそれでわかっていた。

扇動の為のデマや神話がどういう過程で出来るのか、よくわかったよ。

336 :人間七七四年:2007/11/13(火) 21:18:32 ID:wUVxDTaz
>>335
ではお前は米軍は1人の日本娘を犯さなかったと?

337 :人間七七四年:2007/11/13(火) 21:22:31 ID:tGLzJaZL
>>336
いいかい?君の書いた

> ではお前は米軍は1人の日本娘を犯さなかったと?

って話と

> 公募した慰安婦にも物足りず、歩いてる若い娘をも
> 集団で鬼畜米兵はレイプしまくったんだよ

って話の内容には、天と地ほどの開きがある。

338 :人間七七四年:2007/11/13(火) 21:23:38 ID:HthzZ4dB
おまえら、スレ違いは他でやれって言われないとわかんないのか?

339 :人間七七四年:2007/11/13(火) 21:27:40 ID:wUVxDTaz
>>336
お前は形勢が悪くなったから議論のすり替えかよ(ゲラゲラ
お前チョンだろ?

340 :人間七七四年:2007/11/13(火) 21:30:33 ID:wUVxDTaz
>>336
お前みたいな無知のアホはここをよく読め!
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1175161815/

341 :人間七七四年:2007/11/13(火) 22:02:34 ID:Uym/zdJB
戦国板って関係ない話をID真っ赤にして議論する奴が多いから困る

342 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:11:41 ID:vVgTnH/d
田野では織田の兵が首を求めて、自害した女子供のために読経してる坊さんの
首まで取ったらしいよ

343 :人間七七四年:2007/11/14(水) 02:08:34 ID:r8KHdaRQ
でも叡山焼き討ちほどでもないよ

344 :人間七七四年:2007/11/14(水) 02:34:39 ID:aYXLp5GS
比叡山なんて自業自得にも程がある
殺されてしかり

345 :人間七七四年:2007/11/14(水) 02:44:12 ID:sgK99RPy
>>344
お前みたいなのが近代史でも「ユダヤ人は殺されて当然」とか言っているんだろうな。

346 :人間七七四年:2007/11/14(水) 08:09:01 ID:1Y5U54Lh
そういうのは論点のすりかえだ

347 :人間七七四年:2007/11/14(水) 08:50:03 ID:5CV6wiuX
>342 
それ含めて織田が甲斐で老若男女関係なく庶民まで 
虐殺したっていうのは徳川のプロパガンダだから。 
 
第一、田野にはそんな話伝わってないし。

348 :人間七七四年:2007/11/14(水) 11:45:58 ID:aYXLp5GS
>>345
お前は比叡山攻めで坊主と匿われた住民が殺された話ししかしらんのじゃないか?
ちゃんとそうなった背景まで調べていってんのか?

349 :人間七七四年:2007/11/14(水) 14:24:30 ID:NAggWKXS
定期的に社民のみずぽみたいなキモイのが沸くのはなぜだ

350 :人間七七四年:2007/11/14(水) 14:35:19 ID:sgK99RPy
>>348

> お前はアウシュビッツで強制収用されたユダヤ人が殺された話ししかしらんのじゃないか?
> ちゃんとそうなった背景まで調べていってんのか?

どう言い訳しようと虐殺は虐殺だ。信長は戦略目標を達成するだけなら他にいくらでも選択肢があったのに
見せしめを優先させて比叡山を焼き討ちした。同じ比叡山を攻めるとしても事前に警告し非戦闘員を
下山させる事もできた。それもしなかった。戦国の世ですらそれは非道な行いだよ。

351 :人間七七四年:2007/11/14(水) 14:37:23 ID:rbpHVK8b
事前に警告はしていたが
ほとんどの人がそれを信じなかっただけじゃ

352 :人間七七四年:2007/11/14(水) 15:05:46 ID:XzwSNZ97
なんでここでユダヤ人が出てくるのかさっぱり理解できない。

353 :人間七七四年:2007/11/14(水) 15:24:22 ID:sgK99RPy
信長が好きだから、信長に虐殺された連中は虐殺された方に責任がある、という発想は、
ナチスが好きだから、ナチスに虐殺された連中は虐殺された方に責任がある、と考えるメンタルと
同じものだと言う事だ。

>事前に警告はしていたが
>ほとんどの人がそれを信じなかっただけじゃ
「警告」と言うのは「○月○日に総攻撃をかけるのでそれまでに非戦闘員は退去するように」とやるものだ。
信長は漠然と「浅井朝倉勢を退去させないと攻め上がるぞ!」と言っただけに過ぎない。これは「脅し」だ。
脅しと警告は別物だよ。

354 :人間七七四年:2007/11/14(水) 16:10:51 ID:XzwSNZ97
全く根本的に、勘違いしてる。
信長が好きだから虐殺された側に責任がある、のではなく、
比叡山は信長に報復を受けるだけの事を実際している、んだよ。

あと時系列を理解してないね。
比叡山に対して「朝倉は大檀家だから織田に味方してくれとは言わないが、せめて中立を」が信長の要求。
これを無視して朝倉に積極的に荷担して信長に敵対したのは比叡山。
で、膠着した状況を打破するために信長は調停を動かさざるをえなかった。
焼き討ちはその後年、「敵」の追討と報復と。

やりすぎか否かの程度問題はさておき、
原因がなかったかあったかで言えば、間違いなく比叡山にはあった。

355 :人間七七四年:2007/11/14(水) 17:46:42 ID:yLRH7TBD
>>354
敵対したら虐殺して良いと?
そんなこといってるから、南京大虐殺やってもおかしくないと思われるんだよ。
実際の史実があったかどうかは、議論の余地があるにしても。

356 :人間七七四年:2007/11/14(水) 17:49:06 ID:nhNfUtse
スレ違いいい加減にして欲しいもんだ
それに話が斜め上の方向に飛びまくってるし
比叡山の虐殺自体史料的に怪しいんだし、その辺の考察は該当スレ(この場合は信長関連スレ)でヤレ

357 :人間七七四年:2007/11/14(水) 18:33:44 ID:aYXLp5GS
>>355
おいおい現代レベルで物事を語るなよ…ここは戦国板だぞ?
敵対した勢力は排除するのがこの時代の掟だろうが
虐殺者じゃない大名なんているのか?


358 :人間七七四年:2007/11/14(水) 18:41:21 ID:OsZr2WZL
>>357
奴の脳内では、分国法9条に戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認を記して無防備宣言を発令すれば平和が維持できると思っているんだろう

359 :人間七七四年:2007/11/14(水) 18:47:03 ID:eb10wVv5
我らも苦労した甲斐があったというものだww

360 :人間七七四年:2007/11/14(水) 18:50:16 ID:5QJUkJaH
激論中すまんが、天正10年の武田さんはどこにいった?
少し頭冷やせよ。

361 :人間七七四年:2007/11/14(水) 18:52:00 ID:joAlxXtW
結果論だが未完成の新府に篭城って無理だったん?

362 :人間七七四年:2007/11/14(水) 18:59:55 ID:yLRH7TBD
>>361
高遠の二の舞

363 :人間七七四年:2007/11/14(水) 21:38:26 ID:0dJK9px1
天目山よりはましな(無責任な言い方をすればかっこういい)死に様は出来たかな、というところか。

364 :人間七七四年:2007/11/15(木) 00:11:50 ID:eQD3u7U9
警告っていえば天正7年に浅間大社境内の杉の木に雷が落ちて 
発火したことについて神様(この神社だと富士山ね)からの 
警告なんじゃないかという意見に対しての勝頼の返事を 
読む限りでは勝頼はわかっていたみたいだよ。 
信長に降れば国は安泰することも北条が信長につけば 
武田は必ず滅びることも。ただね、理由はわからないけど 
信長にだけは命を落としても降りたくないとも言っていたり、 
もうどうしようもないんだと諦めて?もいたりしてるんだよね。 
だから警告をわかっていなかったんじゃなくわかっていたけど 
何かが彼を破滅の道へ進ましていたみたいだよ。 
何かはわからないけどオカルト的なこじつけでいけば 
神罰みたいなもんじゃないかと他スレでは書かれてるけど。

365 :人間七七四年:2007/11/15(木) 00:47:06 ID:LXMaoHth
>>350
今どきホロコーストかよw

366 :人間七七四年:2007/11/15(木) 00:50:31 ID:UiJScxQL
>>365
比叡山攻めよりは新しいなw

367 :人間七七四年:2007/11/15(木) 19:43:47 ID:tONo4BK7
勝頼って長篠のときのみならず、このときも戦略ミスを犯してるよね。
野外で切腹なんて・・

368 :人間七七四年:2007/11/15(木) 22:41:01 ID:aZ/ah529
>>367
(´・ω・`)

369 :人間七七四年:2007/11/16(金) 00:23:48 ID:73QRwKmT
>>366
意味が違うってw

370 :人間七七四年:2007/11/16(金) 13:35:26 ID:Bf+MhIpO
勝頼夫妻が勝沼の寺に泊まったとき、外から小石を投げる大量の音が
聞こえたらしい

371 :人間七七四年:2007/11/16(金) 19:33:21 ID:BuyM4UHK
1582年1月 木曽義昌、武田に謀反、織田に寝返る。 
   2月 武田勝頼二万の兵を率いて出陣。木曽義昌に鳥居峠で大敗。曾根覚雲斎謀反。武田信豊死亡
      17日、松尾城の小笠原信嶺が反旗を翻し平谷陥落。
      18日、保科正直、飯田城を捨て逃走。信廉、戦わずして大島城を捨て逃走。20日、田中城落城

   3月 難攻不落の名城、高遠城1日で陥落。仁科盛信、小山田昌行、今福昌和、原貞胤、武田竜宝、
      武田信綱、武田信堯、一条信就、山県昌満、朝比奈信直、諏方頼豊、一条信竜、討ち死に。
      武田勝頼、盛信、信勝、信貞、信友、海野信親、跡部勝資、土屋昌恒、安部宗貞、小宮山友晴、
      滝川一益に討ち取られる。
      武田信豊、小山田信茂、長坂光堅、一条信就処刑
   4月 織田軍による武田残党狩り開始。武田信玄の六男、葛山信貞、織田信長によって善光寺で殺害
      武田残党は恵林寺ごと焼き殺され皆殺しにされる。 

一大勢力を誇っていた武田が見るも無惨に滅びたのは当時の人々はどう思ったんだろな。

372 :名無し野電車区:2007/11/16(金) 20:11:48 ID:YxRdfM8L
>>371
あの世の信玄がどう思ったかも気になる・・

373 :人間七七四年:2007/11/16(金) 20:17:20 ID:o2Ut5dFN
>>372
ある意味自業自得だと思うんだが…信玄は因果応報だろ

374 :人間七七四年:2007/11/17(土) 02:21:01 ID:i9YKFtRj
>>371
ここまで徹底的に殲滅されるとは、
一門全員で自害した鎌倉北条氏よりもある意味悲惨だな。


375 :人間七七四年:2007/11/17(土) 04:49:17 ID:q/yy3grO
>>371
滝川一益が上野に入った後の、関東・東北諸大名の動向を見れば一発。
上杉を除いてほぼ全員、誼を通じてるし通じようとしている。

376 :人間七七四年:2007/11/17(土) 07:43:00 ID:6vjX2fbm
>>371
高遠城って、難攻不落の名城かぁ・・・?
聞いたことがないぞ。

377 :人間七七四年:2007/11/17(土) 07:44:21 ID:6vjX2fbm
武田崩壊は日本のバブル崩壊と似てる。
いつしか拡大していくしか維持する方法がなくなって、どこかのタイミングで一気に弾けて崩壊。

378 :名無し野電車区:2007/11/17(土) 15:46:24 ID:oo2g10pk
>>373
いや長篠、天目山の派手なコケぶりは勝頼の責任もあるだろう

379 :人間七七四年:2007/11/17(土) 15:53:13 ID:an3LNP+n
>>359
うぬ、がどのような苦労をしたと言うのだー


380 :人間七七四年:2007/11/17(土) 17:19:09 ID:gn2VENW6
>>371
勝頼が挽回するには、信忠軍とどこかで一大野戦を決行するほかない
5万vs2万弱。兵力差はあるが、そこは軍略を駆使して補う

381 :人間七七四年:2007/11/17(土) 19:03:59 ID:KsA1B4++
戦争は数だよ兄貴

382 :人間七七四年:2007/11/18(日) 00:12:57 ID:Boy2btOm
武田攻めに動員された織田軍って総勢どれくらいだったの?

383 :人間七七四年:2007/11/18(日) 00:18:44 ID:0c/AKn/3
>>382
結局信忠の軍勢だけで全部やったことになるからな
尾張・美濃の合計100万石から動員されたとして25000 +αと武田の裏切りで3万ぐらいはいたかも

384 :人間七七四年:2007/11/18(日) 03:26:25 ID:SiNOEUIN
ウィキによると5万になってるよ
まあそんなもんだろうな

385 :人間七七四年:2007/11/18(日) 05:17:23 ID:W9TRSG8t
一応、徳川・北条も動いていたことも忘れないでください。

386 :人間七七四年:2007/11/18(日) 06:47:17 ID:TGOfelXg
新府に火を放ったというぐらいだから、新府には、篭城用の食料を運び込んでなかったと思っていいのかな。
よく、城に火を放って逃亡って時は、支えきれないからという説明をよく見かけるけど、
実際には、篭城用の食料が足りないからって印象を受けるんだよな。
新府は完成前だったというぐらいだから、糧食がなくて籠城不可能だった可能性もあるのかな?て思った。

387 :人間七七四年:2007/11/18(日) 07:39:31 ID:LIom4bzE
織田が木曾方面から5.6万、
徳川が駿河方面から一万五千、
北条が上野方面から五千。
北条軍が少ないが三方から攻められてた。

しかも勝頼のもとの兵はほとんど去ってしまい。
数千といったところだ。
木曾が裏切り、さらに穴山が裏切った辞典で
武田は事実上、崩壊してた。

388 :人間七七四年:2007/11/18(日) 07:53:59 ID:yNpYME87
武田の一門衆は結束が弱いなあ・・・

389 :人間七七四年:2007/11/18(日) 08:01:19 ID:ATY5tHle
>>388
信豊はダメすぎとして、木曽や穴山、小山田なんて、親類同士でずっと揉めてた東北しかり・・・・
信長と信忠の死後に大もめした一門衆と同じ構図だろ
義信が生きていれば違っただろうが、勝頼が継いだことで本能寺後の織田家騒動と同じになった感がある

390 :人間七七四年:2007/11/18(日) 08:13:58 ID:rJDPup2m
>>388
元々土豪集団だからな。信玄のクーデターが失敗して、信虎支配が続けば
中央集権化も進んだろうが、信玄が改革を停めたのが痛い
その時点で武田一門の未来は決まっていたね

391 :人間七七四年:2007/11/18(日) 08:18:24 ID:W9TRSG8t
>>386
自ら火を放って、ってどちらかというと敵に使わせないためじゃないか?
施設はもとより、軍需物資含めて。

>>387
北条主力は駿河方面。
上野の方の戦果を信長に無視されたのは有名だけど、
駿河の方の戦果はきちんと評価されてる。
どれだけの数が居たかわからないけど、一万以上は動いていると思うよ。

392 :人間七七四年:2007/11/18(日) 08:54:32 ID:BBE+/94e
北条は武田に何度もフルボッコにされていたから戦力の数の内に入らないと思うw

393 :人間七七四年:2007/11/18(日) 09:08:44 ID:W9TRSG8t
いやま、そうだけどさw

394 :人間七七四年:2007/11/18(日) 09:10:47 ID:TGOfelXg
小山田を頼ろうとしたのも、北条を撃破して関東に進出すれば何とかなるって思ったからだろうしな。

395 :人間七七四年:2007/11/18(日) 09:49:36 ID:yNpYME87
>>390
信玄のクーデター失敗してたらどうなってただろうな
信繁跡目確定でかなりの数粛清されるのかね

396 :人間七七四年:2007/11/18(日) 10:18:07 ID:/LOo5hLF
あの状況では北条にすら勝てないよ。
つか勝てないというかまともな戦が出来ない。
駿河も上野も立て続けに北条に落とされているような状態だぞ。
まともな戦が可能な数の兵なんて絶対に集まらんよ。

397 :人間七七四年:2007/11/18(日) 13:13:40 ID:YdWvN77P
>>390>>395
それ以前に信玄は何気に初期は信虎の構築した組織体制を継承して戦っているんだけど。
そして後年の組織は初期とはまるで別物。
信虎は信虎なりに、信玄は信玄なりに権力の強化を目指しただけ。
一方が停滞させたと見るのはおかしい。

398 :人間七七四年:2007/11/18(日) 16:58:29 ID:cNFnzwun
だな。信虎みたいな歴史的に否定的な見方をされていた人物がちょっと再評価されると、
検証もせずに全面的にそれに乗っかりたがる人間って多いよな。
同じ人間が、信玄みたいな歴史的に正の評価をされてきた人間がちょっと負の評価をされると
全面的にそれに乗っかって(信玄の功績を全部すっ飛ばして)貶めるのもなんともw

399 :人間七七四年:2007/11/18(日) 17:54:02 ID:R/zLrl6G
信虎が追い落とされずに権力を維持し続けていたとしても
そう遠くない未来に家臣の誰かに暗殺されていたんじゃないの。
足利義教みたいに。

400 :人間七七四年:2007/11/18(日) 21:12:46 ID:BBE+/94e
それは信玄にも言えそうな事だけどな。所詮は雑魚同士の結束の弱い烏合の衆。
尋常じゃない戦死率がその弱さを語っている。

401 :人間七七四年:2007/11/18(日) 21:46:29 ID:cNFnzwun
>>400
> 尋常じゃない戦死率がその弱さを語っている。

アホか?弱い兵ってのは逃げるから戦死率は低いんだよ。戦うから戦死するんだ。
少しは考えて書き込め。

402 :人間七七四年:2007/11/18(日) 21:47:35 ID:YdWvN77P
>>400
何気に信玄存命当時は裏切りはあんまり無いんだけどな。
一代で百万石以上の大領土を築きあげた軍団を雑魚とかなにそれ。
武田が雑魚や結束が弱いなら他の大名はどうなることやら。
結束のもろさなら織田なんかシャレにならんし。上杉とかもやばい。
戦死率については勝頼の代のとか入れてないよな?

403 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:01:37 ID:Z671d9G2
>>402
武田家だって義信事件があるんだし特筆するほど裏切りが少なかった訳では無いでしょ。
まあ雑魚は言いすぎだろうけどね。
織田家が結束が脆いってのはどんな根拠だ?
尾張統一以降は譜代の家臣からの離反者はいないし、
謀反された数も勢力の規模の大きさから考えると特筆して多かったわけでもないしな。
是非とも結束が脆かった根拠を教えてくれ。
上杉は越後といっても上越・中越・下越と実質三国に分かれていたような特殊な国柄という面は考慮してやら無いとな。


404 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:22:32 ID:cNFnzwun
>>403
信長死後あっという間に崩壊分裂した織田家臣団を、どう結束が強かったと言えばいいんですかねw

405 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:24:06 ID:YdWvN77P
>>403
義信事件についてはほとんどの家臣が信玄を支持し義信は孤立した。
この事は武田家が結束のもろい家でなかったことを物語っていると思うがね。
織田についてはとりあえず尾張統一までのごたごたで十分説明はつくと思うがね。
譜代でなくとも譜代以上に厚遇し力を与えた荒木にも明智にも裏切られている事は
ほめられたものではないね。譜代でなくとも引き立てられ厚遇された連中といえば
武田では香坂、上杉では河田とかいるがこいつらは別に裏切ってない。
さらに信長死後に家中での権力争いの様はとても誇れたもんじゃないと思うぞ。

406 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:35:24 ID:rJDPup2m
>>404
信長の場合は例外だろ。正当な後継者の信忠まで討たれたから
後継者争いが起きた結果。
勝頼の様に先代から言われた後継者の元でバラバラになった、
しかも信玄の時代に成ってからの新参の重臣なんか居ない状態でだぞ
如何に、甲斐の結束力が弱かったかが解る。

407 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:42:49 ID:Z671d9G2
信長死後の話は適切ではないだろ。
信長と当主の信忠が突然揃って死んだ。
新当主は幼児。織田家全体の勢力は他に類を見ない大きさ。有力家臣が数人いる。
この様な状況下での権力闘争は織田家に限らず起きるべくして起きる事だろ。


408 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:50:14 ID:BBE+/94e
ID:cNFnzwun
YdWvN77P
頭の悪い信玄厨が二匹釣れたようだな。

409 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:50:35 ID:YdWvN77P
>>406
勝頼の代での裏切り連鎖はあれだけ絶望的な状況と国力疲弊状態なら起きるべくして
起きるだろ。小山田も穴山も元は独立勢力だったんだし。
むしろ組織がちゃんとしていた信玄一代ではあれだけの結束を誇れたのを考慮すべき。

410 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:53:40 ID:YdWvN77P
>>407
なら上で挙げてる他の事例についてはどかね。
>>408
文句があるなら煽りではなくちゃんと自分の言葉で説明してくれ。
釣りだといって逃げるならそっちの頭が上等だとはとてもいえんぞ。


411 :人間七七四年:2007/11/18(日) 23:10:51 ID:Z671d9G2
>>410
他の事例って>>405の事だよね。
俺は別に武田家が脆いとまでは言っていないよ。

織田家の尾張統一までのごたごたというだけでは不十分でしょ。
武田家は信虎の代で甲斐一国を纏め上げてそのまま信玄の代に移行したからそういったごたごたは起きなかったけど、
織田家の場合は信秀が尾張を纏める前に死んでバラバラの状態で信長の代になったのだから、
信長に全責任を追求するのはさすがに酷だろ。
明智・荒木は共に明確な謀反の理由が分からんしなんとも言えない。
信長が取り立てた連中の数は武田・上杉とは比較にならないくらい多いのだから
それだけ離反される可能性も増大すると思うんだが。
本能寺が起きた事際の不注意っぷりは弁明の余地が無い。


412 :人間七七四年:2007/11/18(日) 23:14:59 ID:rJDPup2m
>>409
信玄の代で甲斐が一枚岩なんて講談やドラマの話じっさいは、家臣の意向を聞かないと戦も
出来ない始末。オヤジ(信虎)の様に新参の家臣なんか迎えられるべくもない。
そう言うと、山本勘介と言う例外を出してくるが単なる侍大将だし、そもそも実在も怪しいし

413 :人間七七四年:2007/11/18(日) 23:29:12 ID:YdWvN77P
>>411
了解した。
>>412
おいこらちょい待ちよ。
なんか井沢元彦の著作と同じような主張だなおい。
信玄の代に取り立てられた人間がいないって?香坂はどうなる。
さらにいうと内藤はもともと工藤といって信虎の代に追放された家の出で
信玄に一から引き立てられたようなもんだよ。
真田や西上野の小幡だって重用されてるし。
さらにいっとくと甲斐にそう高くない身分としていた人間を信玄が取り立てて
重臣とした連中は馬場とか三枝とかいるぞ。
さらに信玄の代は初期は重臣の力が強かったかもしれんが後年は随分信玄の権力が
増大しているんだけど。組織構成には初期の家臣ではなく信玄が取り立てた連中が
重役についてるし。

414 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/19(月) 00:01:22 ID:jmQ9OX6E
高坂は旧名の春日虎綱って名前から信虎時代から取り立てられていた(といっても小姓とかその辺だろうが)
というのをどこかで見た気がするんだが・・・。
馬場もそういえば信虎時代からいた希ガス、まあ「誰もいない」ってのは大げさだわな。


415 :人間七七四年:2007/11/19(月) 00:13:59 ID:sBPrY2CP
>>414
なんで上げるのかわからないが
とりあえず春日は通説では16歳で信玄の奥近習になったとされる。生まれは1527年。
だから近習になったのは1543年か。
この時の名前が源五郎。信玄が春日の事をそう呼び浮気をわびた手紙が残ってる
事からしてしばらくその名前でいたんだろ。
信虎の追放が1541年だから時期が合わなくなってしまうんだよなあ。
ちなみに馬場は元々教来氏の人間だ。信虎の代からいた事はいたけど重臣じゃなかった。
それを信玄に取り立てられ、絶えていた武田家譜代の名門馬場氏の名を与えられ
やがて譜代家老衆筆頭となる。

416 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/19(月) 00:23:01 ID:jmQ9OX6E
ごめん、メール欄見たら「age」ってなってて「sage」と勘違いしてしまった、スマン。

あと確か馬場は信虎追放に一役買ってなかったっけ?前期武田には無知なんで・・・


417 :人間七七四年:2007/11/19(月) 00:35:04 ID:sBPrY2CP
>>416
買ってるよ。でもその時の馬場というか教来石景政は侍大将ですらなかった。
甲斐の諏訪国境に近い教来石を領する在地武士団武川衆の旗頭にすぎない。
信虎追放後から5年後の1546年に初めて騎馬50騎を与えられて侍大将となり
この時に名門馬場の名をもらった。

418 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/19(月) 00:56:02 ID:jmQ9OX6E
>>417
情報サンクス

>>411
>>本能寺が起きた事際の不注意っぷりは弁明の余地が無い。

不注意ではないだろ。西国征伐の軍勢は既に美濃近江あたりで召集かかって数日もすれば信長信忠の下に集まる状況だったし、
少数とはいえ数百から千人程度の軍勢は揃ってたので町衆や国人衆の一揆暴動程度なら十分な数。
ところが西国に向かう重臣格の明智光秀が予想に反して自分達のいる京に向かってくるという有様で、
それも13000もいる軍勢なのに離反者がほとんどでずそっくりそのまま進軍してきた。
こんなの防ぎようがないだろ、信忠に関しては当初堺に向かう予定だったのが急遽京都に行ったという話まであるくらいだし、
前日に信長信忠が同時にいることを知り、さらにその二人の下に軍勢が集まるわずかな隙をついて襲撃した光秀が天才的だったとしか言いようがない。


419 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/19(月) 01:00:36 ID:jmQ9OX6E
>>418
ミス、同時→同地ね。


420 :人間七七四年:2007/11/19(月) 02:31:37 ID:t3GoWZCo
信長もクーデターで撃沈したと捉えたら
雑魚だよね
同じ信虎、大内義隆もクーデターで挫折したのに
後の評価に差があるのは実績を挙げてないからでしょ

421 :大友宗○:2007/11/19(月) 07:01:54 ID:CB9HEYCQ
裏切りの数なら我が家を忘れてもらっては困る

422 :人間七七四年:2007/11/19(月) 09:12:03 ID:zolvC5g+
>>420
大内の全盛期って義隆の時代なんだけど?
信長と比較すれば、増やした領国は微々たるものにしてもさ。
そういう意味じゃ、信長も織田家全盛期を築いたといえるかもしれない。

だが、信虎の場合は、全盛期は信玄時代といえるから評価が落ちるんだろう。
それだって、徳川史観の中では、家康を破った相手を神格化する風潮があったのが大きい。
そんなすごい相手だったから、家康も勝てなかったんだってする必要があったからな。

423 :人間七七四年:2007/11/19(月) 13:48:04 ID:ka2FCp0f
>>422
>全盛期は信玄時代といえるから評価が落ちるんだろう
重税、虐殺、略奪によって繁栄していただけだけどな。

その負の遺産は丸ごと勝頼に

424 :人間七七四年:2007/11/19(月) 15:49:20 ID:BN+3KB/I
なんでも徳川史観だと、きちんとした考察もせずに江戸時代の評価を自説に都合の悪い部分だけ否定する輩は
もうちょっと恥と言うものを知った方がいい。

425 :人間七七四年:2007/11/19(月) 18:39:47 ID:sBPrY2CP
>>423
信玄の内政統治がそれだけだとでもいうのかい。
極端な例を挙げて無理やり悪いように曲解してるようにしか思えんのだけど。
どうしてここまで悪く悪くいおうとするのやら。

426 :人間七七四年:2007/11/19(月) 18:41:51 ID:BN+3KB/I
>>425
そう信じないと自分の中の閉じた世界が崩壊するからだろうな、きっと。

427 :411:2007/11/19(月) 20:28:40 ID:BslJLWx1
100あるかどうか程度の護衛しか伴っていなかったんだから十分不注意でしょ。
数日すれば美濃近江衆が馳せ参じると言っても急変の際に手元に軍勢がいない状況を作り出したらダメでしょ。
ましてや当主の信忠も一緒に京にいるとかリスク回避もできていない。
軍勢と共に上洛(主な軍勢は洛外に留める)すべきだよ。せめて信忠だけでも軍勢と共に行動させるべきだった。
確かに家中でも特に優遇していた光秀が寝首を掻きに来たのは予想もしなかっただろうが、
いつ誰が謀反を起こすか予想できないのが戦国の世でしょ。
いくらなんでも供廻りが100人程度は武将として総大将としてあるまじき行為だよ。
一度総大将が居城から離れたらどの様な危険にも対処するのは基本中の基本であって、
俺も信長は一番好きな武将だけど、信長の無警戒っぷりはやはり弁明の余地無しだよ。

428 :人間七七四年:2007/11/19(月) 20:29:48 ID:BslJLWx1
アンカー忘れてた。
>>427>>418へのレスです。

429 :人間七七四年:2007/11/20(火) 00:06:14 ID:iG7DKwEP
信長って数が揃わないうちに飛び出すの好きだな。

430 :人間七七四年:2007/11/20(火) 00:12:53 ID:6DHPsrAW
>>429
ほとんどそれで成功してたからな。最後は自分の成功体験につぶされたようなものだ。

431 :人間七七四年:2007/11/20(火) 14:18:22 ID:7bVCYKZx
本陣に隠れているのに発見されて斬り付けられ重症負う馬鹿もいるけどな。

432 :人間七七四年:2007/11/20(火) 15:03:47 ID:3mcPuZrD
>>431
本陣にいるのを隠れるとはいいません。
隠れるとか発見されるとかどんな状況をいってるのやら。

433 :人間七七四年:2007/11/20(火) 16:10:46 ID:J7zGXidJ
隠れるとか発見されるとか言うと忠臣蔵の吉良さんとか

434 :人間七七四年:2007/11/21(水) 00:34:42 ID:S8mN6jIL
織田徳川に討ち取られた武田の武将達

秋山信友、秋山光継、朝比奈信直、安倍勝宝、安部宗貞、跡部勝資、安中景繁、甘利信康、
雨宮家次、飯尾助友、依田信守、依田春賢、一条信竜、一条信就、今福昌和、今福丹後守、海野信親、
大熊友秀、大嶋長利、小原忠継、小原 広勝、小原下総守、小幡憲重、小山田昌行、小山田信茂、
小山田大学、鎌原之綱、金丸定光、川窪信実、葛山信貞、笠井満秀、小宮山友晴、高坂昌澄、高坂昌元、
五味高重、座光寺貞房、三枝守友、真田信綱、真田昌輝、諏方頼豊、常田春清、武田信堯、
武田信友、武田信綱、武田信勝、武田信実、武田信貞、武田竜宝、武田信豊、長坂光堅、土屋昌恒、土屋昌続、
内藤昌豊、内藤昌秀、名和宗安、馬場信春、馬場少輔、原昌胤、日向是吉、
望月重氏、望月信永、望月信雅、横田綱松、横田康景、米倉重継、湯本善太夫、湯本九右衛門、祢津是広、
名和宗安、仁科盛信、山県昌景、山県昌満、和田業繁、


武田に討ち取られた織田、徳川の武将達

鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、
鳥居強右衛門、松平伊忠、足軽A、足軽B、足軽C、足軽D、足軽E、足軽F、足軽G、足軽H、足軽I、足軽J、足軽K、


見た目だけでも互角に

435 :人間七七四年:2007/11/21(水) 00:40:09 ID:FE/vFzHr
>>434
噴いたwww
鳥居強右衛門っていうと磔されて腋毛ボーボー、ギャランドゥで妙にデフォルメの利いたアノ絵を思い出す。
ttp://www.mononofu.net/shop/t0005.html
つーか、今ググってみたらこんなモノ売ってんだなw

436 :人間七七四年:2007/11/21(水) 00:40:18 ID:9dv/riU+
>>434
前から思ってたけどそれ武田のは武田家滅亡までのトータル人数で挙げてるのに
織田・徳川のは長篠だけで、三方ヶ原その他で死んだ武将の名前が入ってないのはなんで?
織田の武将だって何人も死んでるし徳川なんか三方ヶ原だけで随分たくさん死んでるんだけど。

437 :人間七七四年:2007/11/21(水) 00:40:37 ID:mCdvCirD
>>434
なんで武田側は長篠だの甲斐崩れだの全部含めてて、
織田・徳川側は、三方原だの入れてないの?

438 :人間七七四年:2007/11/21(水) 00:41:23 ID:9dv/riU+
>>435
>>436なわけであんまり鵜呑みにしない方がいいよ。

439 :人間七七四年:2007/11/21(水) 01:31:22 ID:eM/9NvEp
>>434
織田方に平手加えてやれよ

440 :人間七七四年:2007/11/21(水) 09:27:16 ID:nJhui/N7
つかそもそも強右衛門は武将じゃねーし。

441 :人間七七四年:2007/11/21(水) 09:51:53 ID:9dv/riU+
三方ヶ原における徳川・織田の戦死武将
本田肥後 鳥居四郎左衛門 岩堀勘解由左衛門父子 河澄源吾朗 長谷川紀伊守
加藤次郎九朗 成瀬藤蔵 天野麦右衛門 中根正照 青木又四郎 石川正俊
夏根吉信 米津政信
平手汎秀 長谷川橋介 佐脇藤八 山口飛騨 加藤弥三郎

ちなみに江戸時代に幕臣によって編纂された四戦紀聞を元にすれば徳川の戦死武将の数は
一気に50名以上に跳ね上がる。

442 :人間七七四年:2007/11/21(水) 09:54:53 ID:9dv/riU+
>>440
それいったら>>434には同一人物が何人も入っているし。
名和宗安なんかそのまんまの名前で2回書いてあるし。


443 :人間七七四年:2007/11/21(水) 13:57:01 ID:hm+4cj52
武田方は有名どころばっかだからな

444 :人間七七四年:2007/11/21(水) 14:39:45 ID:eM/9NvEp
>>443
もともと三方が原の時点で有名な徳川武将探すほうが困難
評価されるのはもっと後が多いでしょう

445 :人間七七四年:2007/11/21(水) 16:09:28 ID:wtsv1oNe
でも織田家でも地味な坂井や原田が死んでも
「当時では幹部クラスだった坂井がうんぬん」と紹介されるわけだから

大体当時の徳川の最高幹部って石川と酒井だろ
他の幹部クラスも死んだとは思えないし、三方が原は大した勝ちじゃなかったんだろ 武将クラスで死んだのは平手ぐらいだろう
その平手も何故だか徳川陣のドセンターに陣取ってるし そりゃ死ぬわ

446 :人間七七四年:2007/11/21(水) 17:45:49 ID:wnu/nj86
有名な奴が生き延びるんじゃなくて、
生き延びた奴が有名になるんだからねぇ。
一戦でほぼ壊滅した龍造寺あたりと比較したら、
武田は無駄に知られている分、名前も多く上がるだろうし。

まぁそれでも、長篠で有名どころが多く死んだのは間違いないが。

447 :人間七七四年:2007/11/21(水) 22:05:46 ID:9dv/riU+
>>445
こんなに名のある連中が死んでて大した勝ちじゃないとかないだろ。
殿まかされるとかじゃないと最高幹部とか大抵死なないもんだし。
それから中根正照 青木又四郎 石川正俊の三人はこの合戦の前に武田に攻略された
二俣城を守っていた武将達でそれなりの重臣だよ。




448 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/22(木) 00:53:14 ID:KTrG2L4E
>>427
軍勢の数については諸説あるからなんともいえん。
信長が供回り100人しか連れていなかったが、信忠廻りには500人ほど側近衆を連れていたという説もあれば、
数千人、千人程度の軍勢ならいた可能性もあると言われているし、本隊は伊賀方面から進軍していたとも言われている。
そもそも洛中や洛外に13000もの軍勢を耐え忍ぶほどの軍団を配置することなど不可能だし、
光秀の行動の迅速さもあるが予測できなかったのだろう。
確かに信長が万全の状態で行動していたとは言い難いが、織田家における
信長の命と同等の信忠までにも隙が生じた一瞬のタイミングを狙った光秀の智謀が存分に冴えわたっていると自分は思うよ。
正直、信忠の京都入りは不慮だったらしいので、1,2日くらい過ぎれば京都を出た可能性だってあるしね。

っつうか信長は少々脇が甘い気がする、まあそういうところが好きなんだがね。


449 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/22(木) 00:56:17 ID:KTrG2L4E
>>448
ミス:耐え忍ぶ→耐えしのぐ

>>445
平手の場合は道に迷ったとか家康の待遇に不満を持ったからとも言われているね。


450 :人間七七四年:2007/11/22(木) 01:29:45 ID:x8LBpxbR
平手は三方が原当時20そこそこで、経験不足だったから戦死したとか前田家の文書にあるそうで。

451 :人間七七四年:2007/11/22(木) 20:52:39 ID:GHU7LnmW
平手は中央の先手だからどうしても死にやすいポジション

452 :人間七七四年:2007/11/22(木) 21:56:53 ID:643jxTHm
>>448
勢力圏で戦をするような兵を護衛につけたら、いくら兵が有っても足りんだろ
泊まった所も一寸した要塞だし、決して不注意とは言えないだろ。
これって、今川義元にも言えるが、彼も万全の構えで陣を敷いたのに
偶然の重なりで撃たれることになったんだし、それを不注意と言えば
全ての人間は不注意に成る

453 :人間七七四年:2007/11/22(木) 22:36:51 ID:Z3Bduc5j
最近の研究では本能寺は堀もあれば塀もあり屋根も瓦で葺いた城だった事が判明しているんだよな。
不注意ってわけでもないと思うが。本能寺検証スレだと一度は撃退した、とかなんたらみたいだしさ。
そういや、今川も奇襲じゃなくて実は正面突破だったらしいね。

454 :人間七七四年:2007/11/22(木) 22:44:37 ID:LijdmnHp
>>453
本能寺が要塞化しててもその要塞を守る兵が100人足らずじゃ不足でしょ。
軍事関係の知識は皆無だからよく判らないが、本能寺クラス大きさの建物、要塞を守備するには
数百人規模の兵が必要なんじゃないかな?
詳しい人いたら解説ヨロシク。

455 :人間七七四年:2007/11/22(木) 22:53:32 ID:x8LBpxbR
>>454
よく「城攻めには城兵の3倍の兵力がいる」と言われるが、それを逆算すると明智は15000の兵で
本能寺を囲んだそうなので、これと対峙するには最低でも5000の兵力が必要だった、と言う事になるかな?

456 :人間七七四年:2007/11/22(木) 22:58:31 ID:LijdmnHp
>>455
明智は15000の兵を全て本能寺攻めに投入したわけじゃないでしょ。
それに本能寺に5000も兵が収容できるわけないし、
無理に兵を収容しても身動きが取りにくくなるだけ。
俺が知りたいのは本能寺を護衛するのに適した人数だよ。
敵に襲撃されて撃退できずとも信長脱出の時間稼ぎが出来る人数。


457 :人間七七四年:2007/11/22(木) 23:07:34 ID:Dafhx17C
それなりの城壁があったといわれてても、規模までははっきりしてないから、不明だろ。

458 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/22(木) 23:47:24 ID:E53KEB1A
>>456
明智は軍団を3つに分けて、その1つに本能寺を襲わせたので大体本能寺を襲った部隊は3000〜5000、
ただし本能寺の場合信長やその小姓達が気づいたときにはすでに包囲されていて、
逃げ場なんかない状態だからな、いくらそのとき本能寺を守るに適した兵力を置いていても
他の2隊が駆けつけてくれば遠からず殲滅されるだろうし、あの状況では討たれても仕方ないわな。
あえて挙げるとすれば1000人くらいか(もっとも、他の2隊は駆けつけてこないという前提が必要になってくるわけだが)
そもそもいくら守りをこしらえているといっても限度があるわけで、
信忠の方では明智が力押ししようとしたが信忠が予想外に奮戦したために最後は弓鉄砲を射かけまくったくらいだし
数の差ですでに勝敗は決まっているようなもんだな。

>>452
自分は不注意だとは思ってないけどね。数日もすれば本隊もくるし、守りの兵もそこそこいたわけだし
別に信長は責められるようなことはしてない。ただ光秀があまりにも迅速すぎただけでね。






459 :人間七七四年:2007/11/23(金) 00:08:50 ID:OGxAIHDl
仮に兵が1000人もいれば包囲される前に明智の部隊に気付く可能性がかなり上がるんじゃないかな?
というか包囲されるまで気付かなかったというのが事実ならそれはそれで無警戒過ぎじゃね?
それに1000人規模の兵があれば信長一人を逃がす為の時間稼ぎや敵陣突破の可能性が少しはあると思うんだけど。
100人程度の兵力じゃ何をやるにしろ話にならんでしょ。


460 :人間七七四年:2007/11/23(金) 00:53:04 ID:mRJRkuDP
そろそろ武田に戻す?

461 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/24(土) 02:16:56 ID:16sQffdv
>>459
気づかなかったというか脱出し損ねたっぽい希ガス。
単純に考えて本能寺に100名近くしかおらず明智軍の本能寺襲撃部隊の先見隊で1000人くらいに包囲されれば
すでにかなり劣勢で脱出困難なわけで、そこにぞろぞろと集まってこられればもう脱出など不可能なわけで。

462 :人間七七四年:2007/11/24(土) 14:09:27 ID:6UsL2hw2
まあ、結果を知っているからこそ明智の裏切りを見抜けなかったと言えるだけで、
当時の情報量で見抜けるわけがなかったんだろ。
そんな事を言ってしまえば、跡継ぎ問題を起こして死んだ信玄は・・・・・とかなってしまう。

463 :人間七七四年:2007/11/26(月) 08:04:26 ID:g5+fok07
信玄はまだ跡継ぎ定めて死んだだけマシだろ。
後継同士の戦に発展&弱体化した謙信が最悪って話になるw

464 :人間七七四年:2007/11/26(月) 16:02:13 ID:ard2Icqw
あんなDQNな決め方した信玄のがDQNだろ。

465 :人間七七四年:2007/11/26(月) 22:16:05 ID:zsUUDa+c
信玄の場合自業自得な面もあるが、他に選択肢のありようがなかったのだから
「DQNな決め方」というのはちと違うと思われる。

ただ義信事件は家の基本戦略というか政策の問題だから、どちらかが折れない
限り穏当な決着はなかっただろう。

466 :人間七七四年:2007/11/26(月) 23:31:19 ID:ard2Icqw
>>465
つ【遺言】

義信事件だけならまだしも勝頼を傀儡にしたてあげた信玄の罪は大きいと思うよ。
あれで統率すれってのが無理がある。

467 :人間七七四年:2007/11/26(月) 23:37:28 ID:LCr2cP7B
信長がさっさと家督を譲ったのは信玄を反面教師にしたのか。
それも無意味になってしまったけど。

468 :人間七七四年:2007/11/27(火) 00:23:59 ID:vHHOhrW8
むしろ氏康を真似たか

469 :人間七七四年:2007/11/27(火) 02:58:24 ID:Kr0gvgMA
白川上皇を真似たのかもしれないぜ

470 :人間七七四年:2007/11/27(火) 07:44:55 ID:Y3dplpRd
別に生前に家督を譲るのは特に珍しいことでもないでしょ。


471 :人間七七四年:2007/11/27(火) 13:21:41 ID:3s7IPKIr
>>466
勝頼を陣代にして〜とかは現在かなり疑問視されてますよ。

472 :人間七七四年:2007/11/27(火) 23:50:58 ID:jbMtnYHG
そして2chにまた新しい珍説が生まれたのであった

473 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/27(火) 23:52:42 ID:Ytss+/DH
まあ、今まで嫡男として別格扱いして育ててきた義信がいきなり謀叛→死亡だもんな。
そこからまた新しく嫡男据えるってのも難しいと思うぜ。
盛信、信清あたりじゃ幼すぎるし、勝頼は一度養子に出している、信之はすでに病死、
義信の同母弟で本来なら有力候補の信親も盲目で出家しているときているし、誰選んでも微妙な先行きとなりそうだ。


474 :人間七七四年:2007/11/28(水) 07:04:20 ID:Ud/pdwHG
>>473
信廉

475 :人間七七四年:2007/11/28(水) 08:32:50 ID:G04xVx3A
普通に信玄が身を引けば良かっただけの話しだろ。

476 :◆VqSh5C7CR6 :2007/11/28(水) 21:53:31 ID:8cNkwSJt
嫡男が死んだ状態で当主まで隠居しちまったら武田家混乱しまくって自滅すんぞ?w
そら「信玄が身を引き後見する」ってならまた話が違うのだろうが、それでも
跡継ぎがそこそこ戦績を立てなければ信玄没後に混乱するのはわかりきった話。
信玄の子供の誰に譲っても混乱は避けられないし(まあ勝頼は軍功そこそこ立ててるけど)、
とりたてて優れているわけでもないのに弟なんかに譲っちまったら信玄の子供達との対立は必至。


477 :人間七七四年:2007/11/29(木) 00:00:47 ID:p/9MRVvP
嫡庶に関わらず、成人した息子がいない場合に兄弟を相続人もしくは後見人にする
ことはありえたけどね。

一ついえることは、晩年の信玄のベストな行動は、織田と敵対せず仲良くして、その
間に勝頼の後継者としての地位をしっかりと固めさせることだった。

478 :人間七七四年:2007/11/29(木) 00:54:17 ID:Zp9aQemk
確かに当時の不治の病にかかっており死期も迫っているのが明らかなんだから次代の為の行動をすべきだったよな。

479 :人間七七四年:2007/11/29(木) 03:49:39 ID:hjNBia2X
>>次代の為の行動
信玄が後継問題で叩かれるのは、この点がまったく欠けているからだよな。

480 :人間七七四年:2007/11/29(木) 11:33:54 ID:uIYTJQ0/
大抵の当主は次代のための行動をしているから、
どう言い繕っても信玄個人の欠点になるんだよな、後継問題は。
次期当主が若年で急死とかいうパターンでもないしね。

481 :人間七七四年:2007/11/29(木) 14:02:04 ID:GAKHNu7P
信玄が譲って駿河侵攻しなかったらいまごろどうなってただろう

482 :人間七七四年:2007/11/29(木) 17:04:29 ID:Se49FUj+
>>476
分かってねーな。義信に素直に譲れば良かったんだよ

483 :人間七七四年:2007/11/29(木) 20:24:54 ID:x2qhPtDg
信玄が追放されれば良かったのに

484 :人間七七四年:2007/11/29(木) 22:01:05 ID:GAKHNu7P
義信が家督継げば今川との同盟安泰、北条とも安泰、上杉とは対峙、越後侵攻?
なら上杉は伸び悩み関東は北条の草刈場、今川は徳川と対峙、
武田も援軍に向かうかもしれないから徳川は最悪滅亡もあり得る?
となると織田も上洛どころではなくなるね

485 :人間七七四年:2007/11/29(木) 22:06:18 ID:MPFGEPtc
>>484
義信追放の時期を考えると織田が巨大化してるから頑張って徳川を滅ぼしたところで織田に軽くボコられそうだが

486 :人間七七四年:2007/11/29(木) 22:11:36 ID:O1GC41cy
義信が上杉と対峙してる間に、今川が滅ぼされる等、各個撃破されるのがオチだな

487 :人間七七四年:2007/11/29(木) 22:47:19 ID:Zp9aQemk
>>486
織田の支援がない徳川が単体で今川を倒すのはかなりの困難じゃね?
史実でも武田と共同で攻めてようやく倒せたのだしね。
義信が家督を相続した場合、三国同盟は存続するのだから
徳川は武田・北条の援軍を加えた今川と対峙することになるが、この場合今川がどう滅びると思うのか是非とも教えてくれ。

488 :人間七七四年:2007/11/29(木) 22:51:18 ID:OfyUkYhP
>徳川は武田・北条の援軍を加えた今川と対峙
なにその甘い皮算用w

489 :人間七七四年:2007/11/29(木) 23:22:49 ID:Zp9aQemk
>>488
北条は関東方面、武田は越後方面が主戦場だから背後から襲われないために結んだ同盟が三国同盟。
徳川が今川領を蹂躙し始めても黙って見てると思うか?
背後の同盟者が滅亡して新しい敵が誕生する危険を排除しようとするのが普通じゃないかな。
徳川に攻められた今川を武田・北条が支援するのは甘い皮算用だとは思えないんだけどね。


490 :人間七七四年:2007/11/30(金) 01:27:27 ID:CvbFYE40
駿河のない武田じゃ、上杉を抑えるので精一杯。
今川に援軍を派兵する余裕なんてないし、それどころか木曽路から、織田と上杉に挟まれて、真っ先に滅ぶな。
今川は徳川に牽制させれば良いし、関東で忙しい北条が信濃の奥深くまで多兵を派遣するのは無理。

491 :人間七七四年:2007/11/30(金) 01:42:56 ID:RkxPyZJD
上杉と織田に挟まれる以前に、武田がどこにも勢力拡大できなくなって終わるな。
武田は常に領土拡大を続けないと、維持できない体制だった。
義信が継いだら、信濃の大半は離反、下手したら諏訪を中心に。
長篠後の武田崩れを見てわかるように、体制が揺らいだ際の武田のもろさは半端ない。
今川だ北条だ言う以前に、国人が望まなかった義信のクーデターが成功なんてしたら、内部崩壊だな。

492 :人間七七四年:2007/11/30(金) 10:16:22 ID:RlAZckiQ
織田は武田を最後まで残そうとしてたんだしさ、
義信が跡を継いだら現状維持のままでいんじゃね?

つか、なんで武田で天下狙うんだ?どう考えても無理だろ。

493 :人間七七四年:2007/11/30(金) 13:02:38 ID:QuMD8UKM
>>492
事実だとしてもんな夢のない事言っちゃあかんw
信長の血筋が入ってたりしたから残そうとしたってのあるんじゃね?
一門ダイスキーな信長やし

494 :人間七七四年:2007/11/30(金) 14:46:52 ID:3YY5nDaw
だな。都合が悪い状態では講和ってことにしといて、
他に邪魔がいなくなったら、一掃って感じになるだけだろ。

495 :人間七七四年:2007/12/01(土) 00:58:21 ID:1FTWn4rW
武田って天下狙ったっけ?

496 :人間七七四年:2007/12/01(土) 01:20:32 ID:ZVnyGP4q
天下一の尻を狙ってました

497 :人間七七四年:2007/12/01(土) 01:37:57 ID:rIr99B+d
>>466 >>472
上で出ている勝頼陣代説だがこれは甲陽軍鑑を典拠とする。
なにかと叩かれがちなこの資料が何故かこの部分は鵜呑みにする人が多いのが不思議だ。
これについてはとりあえず同時代資料での裏づけはない。

ちなみに勝頼は1571年の武田の徳川領土侵攻時には本国甲斐で信玄に代わって
越中一向一揆とかとの連絡を取り合ったり指令を出したりしている。
勝頼が信玄生前に武田家において信玄後継者に近い重要な位置にいたのは確からしい。

>>477
さてどんなもんだかね。
巨大勢力である織田がこれ以上膨張してしまって反織田勢力が潰されてしまった時に
織田と対決しようとしてももう遅い。
自分の実力と利害以外に基本的に頼るもののない戦国時代で織田との関係がいつまでも良好で
続くとは考えにくい。息のあるうちに自家を脅かしうる巨大勢力の力を削ごうとしたのも
次代を考えた行動だったと思うがね。

498 :人間七七四年:2007/12/01(土) 01:55:59 ID:rIr99B+d
>>490
上杉さんはこの時期北陸に夢中だよ。越相同盟のときを見てもわかるように。
後何気に武田はこの時点で甲斐・信濃・西上野で80万石以上はあるよ。
木曽路は内応者がいないと大軍で進むのは厳しいでしょ。武田も防戦するし。

>>491
長篠から武田が滅ぶまで7年あるよ。その間に北条やら徳川やら織田やらと戦って
国力を消耗し、各拠点を攻略されたりして疲弊していた。
高天神を攻略されて勝頼の威信もがた落ちしたし。
そんでその状況で織田・徳川・北条が内応者作って攻め込んできたから崩壊したわけで。
この状況をもって平時の武田がもろいというのは言いがたいでしょ。

499 :人間七七四年:2007/12/01(土) 07:11:15 ID:YC9jdk1V
あの時点で武田が裏切ってなくても、どっかで瓦解してる
何もかも都合よく考えすぎ

500 :人間七七四年:2007/12/01(土) 11:29:58 ID:5Zq7JW4i
>>497
武田が天下を必ずしも狙っていないのなら、別に問題はない。
一般のイメージと異なって、信長は全ての大名を滅ぼそうとしたわけではないのだから。

友好関係が永続するとは限らないってのはそりゃそうだが、それを持続させるよう努力
するのも歴代の当主たちの責務でしょう。例を挙げるなら江戸時代に薩摩藩。もちろん
武田とは状況が異なるから一概には言えないが、全く不可能と断ずる根拠もない。

例えば、将来大勢力に発展する可能性をみた今は弱小な勢力を自分が生きているうちに
滅ぼしておくってのなら次代を考えた行動だろうけど、現時点で自家より上、下手すりゃ
二倍以上の大勢力でなおかつ友好的というかあちらから友好を求めているって家に対して
こちらはお家騒動の余波まだくすぶり後継者の地位は不安定、自分は死病に罹っていて
余命いくばくもないのに裏切り行為かましてわざわざ敵対するってのは、仮に次代の為を
考えての行動だとしたら大失敗というか正気を疑う。

501 :人間七七四年:2007/12/01(土) 15:08:07 ID:rIr99B+d
>>499
何を根拠にそんな事を言っているのかわからない。
出来れば根拠つきで詳しくお願いしたい。
>>500
全ての大名を滅ぼそうとしてないからといってそんな事は武田にはわからないし。
問題が起きればそれすなわち敵対になる。戦国時代において火種なんかいくらでもある。
薩摩藩と武田は完全に状況が違いすぎる。
統治体制である幕藩体制が固まっているし自分もそれに組み込まれているので特に従っていれば生きていける。
武田と織田の時代はあくまでも戦国時代。そんな悠長に安全を期待なんかできない。
今は織田が友好を求めているのも他に敵がいるから。その敵たちが滅ぼされて余裕が出来た時に問題が起きたら?
言いがかりをつけて攻められたら?その時戦ってももう遅い。
ちなみに美濃国境で両者の干渉地帯になっていた遠山氏を先に完全に組み込んだのは織田だ。
余命については確かに計算外だったろうけどね。それまでに織田の力をそげればという考えだったんだろうが。

502 :人間七七四年:2007/12/01(土) 15:40:12 ID:ZhZ1ECRh
信玄最後の軍事行動は織田の力を削ぐための行動というよりは
周辺勢力内の最弱勢力攻撃するという信玄の基本戦略通りだろ

503 :人間七七四年:2007/12/01(土) 16:46:43 ID:5Zq7JW4i
>>501
それいったら、元亀の頃に信長が「全ての大名を滅ぼそうとしている」なんて
考えているかどうかは信玄には判らない。というか、そんな発想戦国時代に
思いつくほうがおかしい。

>その敵たちが滅ぼされて余裕が出来た時に問題が起きたら?
言いがかりをつけて攻められたら?その時戦ってももう遅い。

その問題がおきないように、起きたときに大事にならないように外交努力を
重ねるのもその時代の者達の責任。確かに状況は違うが、島津は江戸時代を
通して幕府の様々な難癖を切り抜けて幕末維新まで存続しおおせた。

>遠山氏を先に完全に組み込んだのは織田だ
信玄はこれ以前に義昭や本願寺、松永らと連絡して手を結んでいる。さらに
美濃の遠藤氏にも離反の誘いをかけている。ちなみにこの信玄の裏切りを後に
なって知った信長は大層激怒した。後の武田殲滅の伏線にもなってしまった。

>余命については確かに計算外だったろうけどね
信玄は若いころから病弱で、家を継いでからも何度も病臥している。さらに
五十も過ぎ。これでもう少し生きていられるとか考えたのならそれは計算自体
間違えている。

504 :人間七七四年:2007/12/01(土) 17:30:48 ID:YLZq25UF
信玄は無駄にプライドが高いから謙信と争い氏康と仲間割れをし
貴重な跡継ぎを殺し無理な上洛をしようとしたんだよなー。
馬鹿じゃん

505 :人間七七四年:2007/12/01(土) 19:02:14 ID:rIr99B+d
>>503
だから問題になるのは全ての大名でなくとも武田という大勢力を生かしておいて
くれるのかどうか。それが永続的に安泰な保証なんかない。戦国時代なのだから。

江戸時代の幕藩体制が固まった時代の島津と戦国時代真っ盛りの武田を比べるのは
筋違い。戦国時代は難癖つけられたら攻め込まれて滅ぼされる時代。太平の時代とは違う。
第一それいったら勝頼も信長から一回和睦を申し込まれて断っていたはずでは。

織田氏は後になって知る前に武田と両属関係だった遠山氏に対して織田信広と川尻を派遣して
完全に支配化に組み込んでいる。結局どちらも自分の利害に対して隙あらば利益を拡大しようという
姿勢は変わらない。それが戦国時代。隙を見せたり自分を潰しうる巨大勢力の台頭は可能な限り阻止せねばならない。

50を過ぎても生きていた大名は結構いる。信玄だって神ではないのだから死の正確な時期なんかわからない。
出陣して半年間はちゃんと生きていたわけだし。もう少しの余命は考えてもおかしくなかろう。

>>504
別にそれらってプライドの問題じゃないと思うが。

506 :人間七七四年:2007/12/01(土) 19:19:20 ID:5Zq7JW4i
>>505
「永続的な保証」そりゃそんなものありえませんよ、戦国時代に限らず。同時に
全ての武家勢力を支配下におさめるなんて発想も信長以前にはなかったし、元亀の
頃にはそんなそぶりもみせていない。なのに信玄がそんな恐れを抱いたというのは
後世の発想でしかない。

武田滅亡後になるが、信長は徳川を三カ国の大名として遇しているし、北条もその
時点では友好的に大勢力として残している。武田だけが不可能とする理由はないね。
いや信長は徳川も北条も将来的には滅ぼすつもりだったとするのならその根拠を。

507 :人間七七四年:2007/12/01(土) 19:52:02 ID:4Ze4N+PZ
>>505
隙を見せたら自分を潰しうる巨大勢力の台頭は可能な限り阻止というなら
家督継いだ段階の今川に攻めこむべきじゃないか?
大勢力に従うも有力な手段だぞ

まあ織田との敵対も、武田家が家督問題、信玄の年齢健康、財政状態など
万全な体制であったのなら、自分の倍以上の大勢力に挑むという大博打も
やる価値はあるかもしれないけど、史実じゃあれだしな

508 :人間七七四年:2007/12/01(土) 19:54:44 ID:ZhZ1ECRh
信玄は旗色が悪くなったら信長に徹底恭順しそうな気もするけどね
跡を継いだ勝頼は何故か織田とは徹底抗戦だったね
何度か関係改善の機会はあったはずなんだがなあ

509 :人間七七四年:2007/12/01(土) 22:43:38 ID:rIr99B+d
>>506
んな事いったって現実に国境紛争をたびたび起こしているんだから。
徳川はともかく北条に関しては怪しい気もするのだが。
まず武田攻めに協力した北条を差し置き、滝川一益を上野を支配させた。
滝川は反北条勢力とも交流を深め関東を統括する立場となった。
さらに信長は氏政に圧力をかけて下野祇園城主の小山孝哲を復帰させていたはず。
これは関東の支配者を夢見る北条と対立する存在にして行動。
結局両者は本能寺の後ですぐさま激突し滝川は関東からたたき出される。
織田にもある程度北条をないがしろにする考えがあり場合によっては討伐は
十分ありえた話かと。

>>507
家督継いだのは今川が先。信玄が継いですぐは攻められまい。
体制維持もしなきゃいけないし今川はその頃にはもう安定してる。
同盟しているし対信濃戦略が控えている以上まずはそれが先。他にもやること山積み。
信濃とれれば今川に簡単に滅ぼされない勢力に十分なれるし。

第一信長包囲網みたいな状況でもないし北条という共通の敵もいるし。

510 :人間七七四年:2007/12/01(土) 23:36:36 ID:1FTWn4rW
北条はあまり協力していない。

511 :人間七七四年:2007/12/01(土) 23:39:07 ID:LJcgIMtF
まあ北条の関東全支配を認めてやる義理も恩も信長にはないしな。
関東の全支配を認める=独立国家を認めるみたいなもんだからね。
さすがに独立国家は認めないでしょ。


512 :人間七七四年:2007/12/01(土) 23:40:32 ID:1FTWn4rW
北条はあまり協力していないだろ。


513 :人間七七四年:2007/12/01(土) 23:45:37 ID:LJcgIMtF
>>512
しつこい。

514 :人間七七四年:2007/12/02(日) 00:47:16 ID:fO5BW72w
>>509
信玄が義昭と手を結んで信長と敵対するまでは両者に国境紛争は特にない。
美濃攻略中に遠山氏に帰属を巡って紛糾はあったが、軍事的な衝突も発生せず
話し合いで解決。

北条に関しては、ほとんど軍を動かさなかったという点では協力したとは言え
ないとなるのか?ただ滝川が入った上野は旧武田領で、信長が手に入れて滝川に
任せた。別に北条が占領した土地を没収して滝川に与えたなんてわけでもない。
徳川はこの武田攻めで多大な貢献をして駿河一国を与えられた。ほとんど何も
しなかった北条を同じように一国を与えるなんてできないだろう。逆に言えば、
それまでの北条領は信長は認めている。そもそも領土の一部を献上させることと、
まったく認めず滅ぼすことは完全に別だろう。毛利だって、信憑性に疑問はあるが、
四カ国ないし五カ国を献上することで信長に服属しようとしていた。大友なんかは
豊後を中心に豊前、筑前、日向にまたがる勢力を信長から認められていた。

もし信玄が信長と敵対せず友好に徹していたら、多少の領土の割譲はあっても信長
政権下で大名として存続が認められた可能性は十分にある。勝頼夫人は信長養女で
その嫡子は信長の養孫にもあたるのだし。

515 :人間七七四年:2007/12/02(日) 00:54:57 ID:o7VMa9lf
もし武田がそんな感じに存続してたら今みたいに熱心に語られることもなかっただろうな

516 :人間七七四年:2007/12/02(日) 03:55:53 ID:Hyr/HdgS
>>509
信長との敵対の時だって
義信の事件から数年、勝頼が後継ぎとして立場を明確化させてからはもっと短い期間
北条との再同盟からは一年たっていないし、越後の問題もある
財政だって68年からひたすら戦争続きだったし、他にもやること山積み
今川と同盟していたように織田とも同盟しているし、越後戦略だってある
越後とれれば織田に簡単に滅ぼされない勢力に十分になれるし。
と同じようなことが言える、
当時の今川だって北条や織田に攻められていたしね

その状態で更に織田も敵にまわすなんて何考えていたんだかってことになると思うが

517 :人間七七四年:2007/12/02(日) 11:22:23 ID:Ws6Qn218
>>514
ほとんど何もしなかったって?
ちゃんと北条は上野方面から侵入して武田の西上野を攻略してるよ。
武田の西上野経営の拠点である箕輪を攻略したのは北条だよ。
それを織田は取り上げて上野を滝川に任せた。
ちなみに毛利に関しては5カ国割譲のほかに
背後の大友に参戦したら周防と長門を挙げると約束してる。大友もこれに答えようとしてる。
そして中川清秀に備後と備後の次の国(多分安芸)を挙げると約束してる。
これで行くと毛利氏の領土はほぼ消滅するんだが。

その領土割譲削減というのが戦わずにはまず受け入れられない時代だろうに。戦国時代は。
長宗我部とかの例でも十分わかるだろうに。

>>516
んな事はない。
まず寿命の問題からそんなに悠長にはしてられなかったことが一つ。
次に北条は関東に夢中。さらに再同盟後、北条と連携して対上杉の為に協力してるし
背後を襲われる心配はあまりない。織田に比べればはるかに危険性も低いし。
上杉も不毛な消耗戦をやっている間に織田が本格的に敵を掃討したらしゃれにならん。
国境線はほぼ確立してるし性急に相手にする必要はない。
北陸の一揆を絡みつかせて足止めしておき織田・徳川を相手にするほうが効率がいいだろう。
反織田勢はそろそろやばくなってきてもいたし。そいつらがまだ大丈夫なうちにそいつらと連携して
織田・徳川の力の削減に努めるのはおかしくない判断。
信玄家督継承当時と信玄の権力確立した晩年とはまるで状況が違う。

518 :人間七七四年:2007/12/02(日) 15:04:41 ID:pZLk20Br
>>517
なんかもう結論ありきだね

519 :人間七七四年:2007/12/02(日) 15:52:38 ID:fO5BW72w
>>517
>背後の大友に参戦したら周防と長門を挙げると約束してる
つまり、敵対した毛利は滅ぼすけど、友好的だった大友には大勢力として存続を
認めるってことですよねこれは。武田も信玄が敵対せずに友好につきあっていれば
大勢力として認められた可能性十分にありえるとあなたが実証して下さいました。

ところで、大友に周防長門や中川清秀に備後の次というのは初めて知りました。
ソースなど教えていただければ幸いです。

520 :人間七七四年:2007/12/04(火) 20:53:26 ID:a4AXs8yN
>>519
大友だってその後どうなるかはわからんけどね。長宗我部がいい例。
北条だって怪しい所あるでしょ。
つか毛利に関して旗色不利になると
そんな言い方はずるいと思うんだけど。
ちなみに大友に関してはソースが天正7年の大友文書。
それから中川清秀に関しては武家雲箋。12月3日付けの秀吉が中川に当てた
書状で「西国で2国あんたに上げる朱印状もらえました。備中は宇喜多にあげることになったけど
備後の次の国を代わりとするよう仰せ付けられました。」といってる。


521 :人間七七四年:2007/12/04(火) 21:28:00 ID:lS/q/8zV
長宗我部が良い例って?
信長に降伏したり服属した四国の各勢力を
織田が本願寺毛利と対峙してる隙に長宗我部が攻めるもんだから
当たり前のように織田に攻められることになっただけじゃないか

522 :人間七七四年:2007/12/04(火) 22:11:11 ID:siCgqp5h
>>521
その前に信長は「四国は長宗我部の切り取り次第」と言うとるがな。

523 :人間七七四年:2007/12/04(火) 23:11:34 ID:QrlouSph
三好と織田の和議が成立した時点でタイムオーバーだろ

524 :人間七七四年:2007/12/04(火) 23:14:29 ID:lS/q/8zV
本当に四国切り取り次第と言われていたとしても
四国にある織田領にまで攻撃かけて切り取ろうとしちゃまずいだろ

525 :人間七七四年:2007/12/05(水) 05:51:47 ID:mR3uDjtu
>>521
別に当たり前だったわけじゃないな。
信長の裁定はそれまで信長方について四国切り取りを進めてきた
長宗我部の努力をまるで介さず新参の三好の肩を一方的に持つというものだった。
もし信長が長宗我部の肩を持つ気なら、長宗我部に大きく領土を譲ってやるなり
三好を四国における織田が認める代表として長宗我部に従属させるなりやり方はあったはず。
織田の長宗我部攻めはそれまでの親織田勢力だった長宗我部を介した間接的な四国支配から
織田家による直接的な四国支配に舵を大きく切った瞬間だった。
信長は四国攻めにおいて信孝に讃岐をあてがう事、さらに信孝に対して阿波をあてがう予定の
三好康長に「君臣・父母の思いをなすように」といい、暗に後の養子縁組をほのめかしている。
宇野主水日記では「三七(信孝)は三好山城守(康長)の養子として渡海あり」と記されている。
要するに三好を助けるなんていうのは信長の口実に過ぎない。
結局は息子信孝を主体とした直接的な四国支配を目指しただけだ。その余裕が出来、目算もたったし
都合よく口実に使える三好もいるので
それまでの長宗我部を使った間接的な四国支配路線は切り捨てられただけだ。
この2年前の天正8年11月24日付けの書状の中で長我宗部が秀吉宛書状の中で
「阿波と讃岐を平定したら信長公の西国平定のお手伝いをします」といっている所は
実に涙ぐましいものだな。

526 :人間七七四年:2007/12/05(水) 06:09:58 ID:2NT7l6ec
>>525
信長はそういう、同盟者を自分の都合で切り捨てるって事をしょっちゅう色んな所でやっているよな。
最後に裏切りで殺されたのもその報いと言っていいくらいだ。

527 :人間七七四年:2007/12/05(水) 06:26:23 ID:QrUS5kBR
浅井に「裏切られた」とか言ってるのも、そもそもは自業自得だしな。

528 :人間七七四年:2007/12/05(水) 07:09:30 ID:Btr2L323
>>525
ぜんぜんちがう。
長宗我部への四国切り取りはあくまで対三好のもの。

さらに言えば、長宗我部の当時の領土は実際に土佐と讃岐を少々と阿波を半国くらい?
という程度。つまり信長の土佐と阿波半国を認めるというのは、それまでの長宗我部の
努力は認めるというもの。その上で、これまで親織田勢力を攻撃した賠償として、讃岐
は諦めろというもの。しかし長宗我部がそれを蹴ったので、信長としてはそちらは切り
捨てて三好をとるしかないわな。
通説ではまるで四国全土を支配する長宗我部に信長が半分以上手放せと無理難題を言い
出したかのようにイメージされるが、まったく違う。そもそも同盟を裏切ったのは、
親織田勢力を先に攻撃した長宗我部だろう。

529 :人間七七四年:2007/12/05(水) 07:57:15 ID:2NT7l6ec
>>528
これが織田史観ってやつか。

530 :人間七七四年:2007/12/05(水) 13:57:54 ID:mR3uDjtu
>>528
本気で言ってるのか?その対三好でこれまで頑張ってきた長宗我部の努力を
三好がついたからといって一方的に切り捨てられて長宗我部がはいそうですかと
いえるとでも?それから言っておくが三好には阿波三好と岩倉三好がいる。
阿波三好は反信長側で阿波における主流で三好宗家だ。
岩倉三好が三好康長で、その活動は主に近畿だな。
長宗我部は天正9年の時点で阿波の大部分を手中にしてる。勝瑞も一宮もこの時点で
長宗我部の拠点となっている事は天正8年11月24日付けの秀吉宛の書状の
「大阪(本願寺)から逃げてきた浪人共が紀伊や淡路の反信長方と共同して勝瑞・一宮を攻めてきたので
讃岐に出陣中だったけど急遽戻って対戦しました。」という文面から伺える。
天正8年に一回阿波三好を束ねる十河は勝瑞を捨てて讃岐に逃亡している。
さらにこの書状の中で秀吉は元親が望むなら加勢するといっており、元親も阿波・讃岐を完全に平定したら
西国平定に協力することを約束してる。当時の織田と長宗我部の関係はこんなもんなんだよ。
信長公記にだって天正8年に元親が信長に砂糖や鷹を音物として差出し、これを信長が上機嫌で受け取ってる。
さらに言っておくと長宗我部に四国を任せるのは明智を取り次ぎとするルート。
三好康長を介するのは秀吉からのルート。織田の主流は明智ルートであり先の秀吉宛書状でも取次ぎは斉藤がしてる。
そもそも康長だって近畿をほとんど主にして活動していたんだよ?四国は四国で動いててろくに関わってない。
いきなりそれを立てて四国支配を岩倉三好に任せると言い出すのがどれだけ急激な事かわかるでしょ。
天正9年3月になるといきなり織田は三好康長を渡海させて元親に属していた岩倉三好の三好式部小輔を信長に帰属させた。
これにより阿波にいた岩倉三好が織田方に直接属する事になった。
そして信長は元親に「三好式部を助けて阿波を治めろ」といってる。さらに讃岐も返せと。
滅茶苦茶な話だしこのまま唯々諾々と聞けば家中崩壊だ。拒否した元親の返答を受けて信長は
天正9年9月に信長は秀吉らに命じて黒田や三好・仙石や池田などを働かせ淡路から阿波東部を切り取らせた。
これによって勝瑞が十河に戻り、阿波三好も信長側に付く。本能寺以降の元親の阿波攻めはこの奪還を目指したもの。
さらにいうとそんなに信長が親織田の三好を大切にしてその為に四国出兵しようとしたというなら
信孝にその三好を継がせようとしているのはなんでだと?このまま行くと三好は家をのっとられて北畠コースだよ。
逆らわなければ康長が殺される事はないにせよね。これでもまだ織田の行動が自らの利益に基づいてないといえる?

531 :人間七七四年:2007/12/05(水) 21:08:42 ID:Btr2L323
>>530
別に長宗我部は、信長のために三好と戦ったわけでもない。
それから信長は一方的に切り捨ててもいない。事前に交渉で妥協点を提示している。
それを蹴ったのは長宗我部。信長からすれば(自家の利益から)妥協できる範囲内で、
長宗我部も取り込もうとしている。それを長宗我部の利益から元親が蹴るのも当然。
ナニをいっているんだアンタは?

話を戻すと、信長は自家の利益で戦い外交を展開するが、だからって全ての大名を
滅ぼすつもりでもなく、そう公言したこともなく、そんな行動もとっていない。
長宗我部にだって、自分の許容できる範囲で取り込み存続させようとも図っている。
そして信長と敵対せず友好に徹してきた勢力には、それなりの勢力圏を認めている。
徳川や大友は三カ国以上の領域だ。武田だって、信玄が信長と敵対せず友好を保って
いれば、それなりの勢力を保ったまま織田政権に組み入れられた可能性は十分にある。

「いやそれはない、信長は武田だけはどんなことがあろうとも滅ぼす。どんなに信玄が
友好的に頭を下げててきても絶対に。だから信玄が家を守るという動機で信長との敵対を
選んだのは間違っていない」というのであればその根拠を。

532 :人間七七四年:2007/12/05(水) 21:25:52 ID:NnxaFVK+
長宗我部って四国制覇を優先しすぎてて
四国以外の情勢が見えてないんだよ
だから秀吉のときも四国制覇に失敗してるだろ
織田方に大人しくついて毛利の援助を受けていた
河野の伊予を攻めるという戦略転換をしても
領地拡大の余地はあったはずなんだがな

533 :人間七七四年:2007/12/05(水) 21:39:47 ID:eTbsWHOS
>>530
>いきなりそれを立てて四国支配を岩倉三好に任せると言い出すのがどれだけ急激な事かわかるでしょ。
それは本願寺の問題が片付いたため、
それまで好き勝手やっていた長宗我部を目こぼしする必要が無くなったからだろうな
長宗我部は織田と本願寺が対峙して動けない隙に阿波や讃岐の織田領を自分のものへと
していったわけで、その時点では信長もそれを許容せざるを得なかったんだろうけど、
内心ではそんな背信行為を繰り返す長宗我部をいつかは何とかしないとって思っていたんだろな

ぶっちゃっけ長宗我部は松永と一緒じゃないか?
上洛時点じゃ松永は大和一国任されていたけど、元亀騒乱の隙をついていろいろ動いた結果
天正には大和は筒井の方が上位となった
で松永は最初はそれ受け入れて居城の引渡しにも応じたが
長宗我部はそれさえ拒否して、織田と敵対の道を選んだと

まあこの外交に関しては先に裏切ったのが長宗我部である限り
ある意味当然の結果ではあるな

534 :人間七七四年:2007/12/05(水) 21:43:58 ID:2NT7l6ec
>>533
アホか。信長が切り捨てたのが原因だっつーの。
信長的には正しい政策転換だったわけだしな。

535 :人間七七四年:2007/12/05(水) 21:51:47 ID:eTbsWHOS
>>531
伊勢長島・長宗我部・岩村秋山・武田・林
などから考えると自分を裏切った相手には結構冷たくなる信長
信玄死後の信長が各地の大名に送った

自分は今までいろいろと武田のために奔走し、武田の苦境の時にも見捨てず
必死に支援してきた、なのに信玄はそれらの恩を忘れ、仇で返してきた
これらの鬼畜のような振る舞いをしたため、天罰によって信玄は死亡したのだ〜
このようなことをする武田は必ず滅ぼす必要がある〜

みたいな内容の文書があったと思うが
それらのことから考えると1573年の時点では和睦してもいずれは何かされると思う
1571年の徳川との敵対も信玄は必死に言い訳しているがこれもある意味織田を裏切っているため
これ以後の時点で和睦してもいずれは・・・
1569年の徳川との敵対の時点ならまだ許されるかもしれない

1572年の時点ではどんなに信玄が友好的に頭を下げても
信長は武田を滅ぼす可能性が高いと思う
織田政権に組み入れられることを考えるなら1571年に徳川と敵対してはならなかったと思う
できれば1569年の徳川攻めもするべきではなかった


536 :人間七七四年:2007/12/05(水) 21:53:44 ID:eTbsWHOS
>>534
アホかって、最初に長宗我部が織田領に攻撃した結果
長宗我部は織田家に切り捨てられたんだろ

それとも信長的には長宗我部が自領を攻撃していることは政策決定に影響しないとでも言うの?

537 :人間七七四年:2007/12/05(水) 23:07:02 ID:mR3uDjtu
>>531
何を言ってるんだあんたは?って俺の台詞なんだが。
最初に当然の如く攻められることになったといいながら
いきなり自家の利益の範囲内で取り込もうとしてるとか長宗我部が蹴るのは当然とか
言い出して何をいってるんだ?
自家の利益の為に三好を名目にして信孝を送り込んで四国をわがものにして取り込もうとして
長宗我部を切り捨てている事は無視かい?結局信長は自分の利益のためなら同盟相手の切捨てくらいは
平気でやる普通の戦国大名だっていう事だよ。
その信長の許容できる範囲とやらが信長が勝手に定めた範囲であって長宗我部にはとても許容できたもんじゃ
ないっての。獲得した領土を唯々諾々と手放せば家中崩壊だといってるだろう。
あんたさっきから都合が悪くなると人に聞いてばっかりだよ。
いざとなれば自分の利益の為に相手を切り捨てる戦国大名、それが自分が抗えないくらいの相手が出来上がる事が
十分すぎる危険だってのはわかるよね?
逆にいうと信長が武田を切り捨てずに生かしておいてくれた確実な保証とやらはあるの?
毛利・北条・長宗我部と散々答えさせておいてなお質問返ししてくるあんたと話してると疲れる。
今度はまずそっちが根拠だしてもらえる?

538 :人間七七四年:2007/12/05(水) 23:28:41 ID:mR3uDjtu
>>533
だからさ、長宗我部の好き勝ってって例えば具体的にどんなの?
阿波から讃岐にかけて勢力を持つ阿波三好は反信長なんだから攻めたっておかしくないでしょ?
四国切り取りだって認めたでしょ?それで領土拡大したのがそんなに悪いことか?
三好康長は近畿で主に活動していた人間だよ。
いきなりそれや長宗我部に従っている三好式部少輔を正当な阿波の国主とかいいだすのは
おかしすぎるだろう。
それでその魂胆は結局の所その三好家に信孝を送り込んで養子にして乗っ取り自家の
直接支配をするという事だったわけ。

539 :人間七七四年:2007/12/05(水) 23:38:27 ID:mR3uDjtu
>>535
信玄だって信長と本願寺との和睦を取り持ってあげた事があるのにな〜。

徳川についてだけど、んな事いうても1571年の時点で
徳川は上杉と対武田の同盟結んでるんだし。
遅かれ早かれ攻める必要自体はあったわけよ。
深沢を攻略して駿河方面がひと段落した間に徳川に一発ぶちかましておかないと
後ろで敵対している北条との戦いに集中しづらい。
>>536
織田領土っていうか四国のはあくまでも間接支配だろうに。
阿波三好と岩倉三好は違うし。

540 :人間七七四年:2007/12/05(水) 23:45:10 ID:NnxaFVK+
養子を送り込まれて家を乗っ取られるとか
難癖つけて潰される可能性ってのはゼロじゃないし
統一政権がエグイ手を使うのはアリだとは思う
しかし、武田は周辺勢力の中で一番力のある織田と10年以上にわたって闘って
結果疲弊しきって呆気なく瓦解してお家滅亡ってのが史実だ
織田と講和していれば、史実ほど惨めに滅ぶことも無かったんじゃないか?

541 :人間七七四年:2007/12/06(木) 00:05:07 ID:wiPCLdjK
阿波三好十河が織田に従った年は1575年から数年後といくつか幅あるな
香川が織田に従った年は1576年だったかな
そしてそれらの織田勢力を長宗我部が攻め取る
本願寺が頑張っていたため信長は長宗我部の行動への対処は書状で抗議などに留まる
1581年に織田が四国へ直接軍事力を行使出きるようになったので康長派遣となったわけだ

長宗我部は讃岐阿波を攻めたことに対し、織田家から離反しようとしていた勢力を討った
本願寺や毛利に通じたものがいたので織田家の権益を守るため、攻めこみました
野心なんてありません、それらの城を守って織田家に献上します
と言って織田家の追及をかわしている
だからまあ信長が讃岐を信孝に阿波の半分返せと言うのは
四国切り取りを長宗我部が都合よく解釈したように
長宗我部の言い分を都合よく利用しているとも言えるな

542 :人間七七四年:2007/12/06(木) 00:05:41 ID:3KD/6Mll
>>540
それは結果論って奴だよ。
史実ほど惨めに滅ぶ事もない、なんていうのは当事者にはわからない。
当事者たる武田にしてみれば自分達を好きなように潰す可能性のある
抗いようの無い巨大勢力が成立してしまうかもしれない、というのが目の前の現実だった。
時は戦国時代。利益打算であっさりと敵味方が変わる時代。謀略も日常茶飯だ。
基本的に自分の実力のほかに信用できるものなんてまずない。
そんな時代に抗いようの無い巨大勢力が成立するのは紛れもない脅威だ。
今ならまだそれを止められるかもしれない、残された寿命を使って少しでもその力の削減を
と考えて動くのはおかしくなかろう。
武田が織田に従ってても切り捨てられて惨めに滅ぼされてた可能性だってあるわけだし。
その時は後世に「信玄はどうして信長包囲網に参加しなかったんだろう?他の反織田勢力と協力して戦えば
史実よりも惨めに滅ぶ事はなかったろうに」とか言われてたかもよ。

543 :人間七七四年:2007/12/06(木) 00:33:48 ID:5B8jkf9+
>>542
信長が強かったんだよ。

544 :人間七七四年:2007/12/06(木) 00:39:39 ID:wiPCLdjK
織田に対して友好的に振る舞っても潰されるリスクと
織田と敵対して滅ぼされるリスクとどっちが上かってことだろう

545 :人間七七四年:2007/12/06(木) 02:35:58 ID:Wrn8Dro5
天正に入り、天下統一も時間の問題、となったあたりから、信長と言う人間は敵味方問わず「不信」の目で見られているな。
それもかなり強烈に。

546 :人間七七四年:2007/12/06(木) 12:56:40 ID:qbMIehIZ
>>542
もちろんそういう判断もありだとは思う。ただ信玄はその決断の時期がいかにも悪すぎた。
信長が苦しんでいたのは事実だが、自分だって足元を見ればかなり動揺があった。その自国
問題をうっちゃって対外軍事行動を選んだというのなら、やはり信玄は責められるべきだと
思う。

さらに言えば、信玄が直接軍事行動にでたときには、すでに包囲網は疲弊し信長の優位が確立
されつつあった。そんなときに敵対するってのはどうなんだ?そして信長が劣勢だった時期に
敵対できなかったのは、やはり信玄のそれまでの外交政策で周囲に敵を増やしすぎていたから。

547 :人間七七四年:2007/12/06(木) 13:17:30 ID:qbMIehIZ
ところで>520の
>それから中川清秀に関しては武家雲箋。12月3日付けの秀吉が中川に当てた
書状で「西国で2国あんたに上げる朱印状もらえました。備中は宇喜多にあげることになったけど
備後の次の国を代わりとするよう仰せ付けられました。」といってる。
これの信憑性はどうなんだ?
信長生存中の中川清秀は、まず荒木。次に荒木が滅んだ後は池田の配下として佐久間の
大坂方面軍所属。佐久間追放後は池田はどうも信長直属になったもよう?とにかく中川の
上位指揮権者として羽柴秀吉が立ったことは本能寺以前にはない。なのに、所領の件が
池田すら通じずに秀吉からもたらされるなんてありえるのか?もっと言ってしまえば、
朱印状云々は秀吉からの伝聞で、現物が中川にもたらされたとも書いていない。
そしてもう一点挙げれば、なんで中川清秀に(備後の次ということで)安芸が与えられるんだ?
当時の中川はあくまで池田の下で本願寺やら武田征伐に従軍していた身分。毛利攻めには
全く関わってもいない。取り立てて戦功を立てたわけでもない。それが摂津一国の池田を
通り過ぎて一気に安芸ともう一国の二カ国の大大名?そんな行賞がありえるのか?そもそも
所領の問題で具体的な地名を出さずに備後の次なんて曖昧な表現が許されるのか?

548 :人間七七四年:2007/12/06(木) 16:02:56 ID:3KD/6Mll
>>546
そんな事を言われてもね。まず第一にあんたもいうように反信長勢力が疲弊していた事。
こいつらが潰れた後に単独でいくよりは、潰れないうちに攻めた方が勝機はある。
まだ信長の優位は確立はしてない。浅井も朝倉も健在。朝倉もまだこの時点では万を超える兵力を動かせる。
伊勢長島も北伊勢にいくつもの拠点を持って勢力を確保している。これを攻略されるのは信玄死後の
第2次伊勢長島によって。本願寺はいわずもがな。松永や足利といったその他の連中もまあいる。
これに信玄が加われば信長と対抗できるだろう。最終的な勝利がどうなるかはともかく。
信玄の外交政策で敵を増やしたといってもね。上杉とは元々敵対だし。
今川とは他ならぬ織田との同盟による亀裂。織田と同盟したのは北条と同盟して進めていた西上野攻略に
集中するため、とそれぞれに事情がある。戦国大名の勢力拡大の過程で当たり前に出来るしがらみだったと
思うけどね。後に信長包囲網に参加した上杉も毛利も参戦できる状態になるまで参戦してないし。
極論を言えば「武田上杉毛利といった信長包囲網に参戦した大名達が1572年の時点で参戦していれば
信長を滅ぼせたはずだ!そう出来なかったのはそれぞれの外交政策で敵を作りすぎていたからだ!」
ともいえてしまうわけで。

549 :人間七七四年:2007/12/06(木) 16:30:15 ID:3KD/6Mll
>>547
それについてだけどね。まず織田家の特徴として家臣達が独自に自分の人脈を
構築しようとする癖がある事が藤田達生氏に指摘されている。
明智は細川や織田信澄と縁戚を持ち、筒井を引き入れたり斉藤の縁で長宗我部と関係を持ったり。
それと同じで秀吉も信長の子を養子とし、三好康長に秀次を養子入りさせたり。
そして中川に関しても秀吉は引き込もうとし、荒木村重の謀反が起き中川が信長に帰属したとき
天正7年6月5日付け書状で
「今後は兄弟の契約を定めましょう。そうすれば本知の知行はもとより
河内国と摂津国の一群を与えられるように取り計らいましょう。」
といっている。>>520の書状はこれが実行できなかったので中国において2国を
中川に与えられるように秀吉が奔走し、その結果がうまくいった事を伝えたものだよ。
余談だが山崎の戦いの後で秀吉が中川に対して「瀬兵衛、骨折り」といったのに対し
中川が「今までは丁重にしてきたのに、もう天下を取った気か。」と毒づいたというのは
ここら辺が事情なんだろう。結局毛利攻めがお流れになって2国の約束もうやむやになってしまったし。

550 :人間七七四年:2007/12/06(木) 17:12:51 ID:qbMIehIZ
>>548
>極論をいえば〜
元亀年間の毛利も上杉も信長とは友好。敵対する気なし。織田がそれぞれ北陸と
中国にまで勢力を伸張させ、自分と利害がぶつかるようになったから敵対した。
信玄が外交で周囲を敵に回したのは同時期のこと。違う時間軸に敵対した連中を
同じように語るのは無茶苦茶。

>>549
秀吉がそうやって取り込もうとするのは勝手だが、信長がそれを受け入れる義務は無い。
秀吉の配下でもなく、中国攻めに関わってもいない中川に信長が二カ国を認める理由は?
秀吉がいくら中川に美味い話を持ちかけようと、信長の許可がなければ口約束にもならない。
そもそも信長の朱印状が出たというのならなんで秀吉から口伝えになる?信長から直接
中川に渡せばいい。さらにこの話が本当なら、摂津の軍組織も改変させることになるの
だから、当然池田にも話が通じてなければならない。自分を無視されて頭ごなしにそんな
決定をされれば、池田は秀吉に不快感を抱くぞ普通は。そもそも、信長がそんな指揮系統を
乱すような行為を認めるかね?信長はそういったことにはことのほか厳しいがな。

それから明智については、細川や信澄との婚姻は信長の斡旋という説がある。筒井も信長の
命令として明智の軍令下に置かれたのであって個人の発想でもない。司令官が部下と関わりを
深めようとするのはごく普通のこと。逆に秀吉と中川のように、明らかに他人の管轄下にある
人物にそんあことをするのは滅多にない。あと三好康長に秀次養子の件は本能寺以後のこと。

551 :人間七七四年:2007/12/06(木) 17:44:57 ID:3KD/6Mll
>>550
だからそうだろ?
信長と敵対した連中は皆自分達の事情がかみ合った時に信長と敵対した。
それは武田だってそう。武田だけ事情を汲まずにまるで未来が見えているかのように
早期に信長と戦わなかった事を攻められるのは滅茶苦茶。

まず言っておくと秀次養子の件は天正7年11月15日の書状で秀吉から秀次に当てた
書状の中で三好孫七朗殿とある。これが秀次の初見資料。

中川は荒木から寝返ってその謀反鎮定に役立った。これまでの自分の功績と合わせてうまく
たらしこんだんだろうよ。秀吉が介添えしたんだから秀吉が先に口伝えしてもおかしくない。
後から正式な朱印状はもらうとしてもまずは上手くいった事を伝えておいたんだろうよ。
一々褒美与えることに池田の許可が必要かね。普通に決まった後で通達すればいい。
配置換えが指揮系統乱すと?織田家は随分配置換えしてるだろ。
信澄は明らかに光秀の管轄化じゃないんだけど。


552 :人間七七四年:2007/12/06(木) 18:37:02 ID:3KD/6Mll
ああ、秀次の書状は11月15日じゃなくて11月25日だった。悪い。

553 :人間七七四年:2007/12/06(木) 20:50:41 ID:ov5b+lqf
>>551
いくらなんでも2ヶ国はありえないと思うが、
この時点じゃ信忠家康以外2ヶ国持ちなんて一人もいない、
滝川が上野+信濃2郡北伊勢3郡?で最大かな、
それなのに何で突然中川が、
偽造文書の可能性高いんじゃないか?
何か他に傍証があればいいんだけど。

>三好孫七朗殿
秀次秀保の実父は元々三好吉房だから
三好姓名乗っているから康長の養子となるわけじゃないと思うんだが。

554 :人間七七四年:2007/12/06(木) 23:45:29 ID:qbMIehIZ
>>551
だから、その秀吉が介添えってのがどこからくるのよ?秀吉が荒木謀反に関わったのは
せいぜい黒田を派遣したくらいで中川高山の離反そのほか城攻めの一切に秀吉は関係して
いない。それに一度は謀反に同調したものを、帰ってきたそれだけで一気に二カ国はない
だろう。上位者の池田が功績で一国を与えられただけだというのに。

それともう一つ言っておくと、配下同士で縁組することは基本自由だが(後に許可制になって
いくが)、それと領土の宛行は全くの別。こちらは完全に君主の権限に属する。

555 :人間七七四年:2007/12/07(金) 00:03:03 ID:1dgcHAvg
>>553
まあねー。とりあえず書状ではそうあるとしか。
解釈するなら二国全部じゃなくてその二国の郡をいくつかずつという意味かも。
これならまあ妥当かな?
それから三好吉房は秀次が養子になったときに家族ぐるみで三好姓になってるよ。
もともとは長尾とか三輪とか名乗ってたはず。

>>554
その介添えっていうのは秀吉が信長に口を利いてやったという意味合いなんだけど。
秀吉が重要な近畿に力を持つ清秀を引き込もうとして餌をまいたって事でしょ。
2国というのも2国丸ごとじゃなくてその2国で郡をいくつかずつという意味かもしれんし。
実際この中川とのつながりは山崎で役にも立ったし。
決めるのは君主だけど推薦したり口を利いてやるくらいは出来るだろうし。

556 :人間七七四年:2007/12/07(金) 00:06:55 ID:HTW9NmRh
>>555
だろうね
二国全部はまずありえないと思う
二国の郡をいくつかずつならありえそう

与力含んで二国全部としたら、摂津の本領は召し上げとかになっていそう

>もともとは長尾とか三輪とか名乗ってたはず
それは知らない、出典は何?
そもそも本能寺前は信孝が三好の養子なんじゃ

557 :人間七七四年:2007/12/07(金) 00:39:21 ID:1dgcHAvg
>>556
典拠不明であるけど藤井達生氏の織田家の国分けリストでは中川は
摂津茨城を収公して備後と安芸の2国となってるな。
案外あんたのいうとおりかも。

三好吉房についてはうろ覚えだけど元々三輪次郎兵衛の息子だったはず。
そんで母方の名前が長尾で、吉房自身は最初弥助と名乗っていたはず。
信孝が三好の養子になってるというのは宇野主水日記では天正10年6月1日の記事。
信長が四国の国分け案で信孝に三好康長に君臣父母の思いを為せといって後の養子縁組を
におわすのが天正10年5月7日の書状。養子になったのはこの間か。
秀吉が天正7年11月の時点で秀次を養子に入れているとするなら先に入っているのは
秀次という事か。養子は一人しか入っちゃいけないという決まりはないし、
秀吉も信孝を差し置いて
秀次が三好を継ぐべきだなんていうはずもないから信長からしても特に問題はないのでは?
藤井達生氏は秀次と織田の西国経営に大きな力を持つ予定の信孝が同じ
三好家の養子となって義兄弟となった事は秀吉の家中における立場強化の成功と
これからの西国支配における大きな将来性を約束したと述べているけど。

558 :人間七七四年:2007/12/07(金) 00:50:39 ID:HTW9NmRh
>それから三好吉房は秀次が養子になったときに家族ぐるみで三好姓になってるよ。
>もともとは長尾とか三輪とか名乗ってたはず。
これは司馬の小説が初出みたい
『太閤素性記』ではもともと三好氏だったらしいけど

559 :人間七七四年:2007/12/07(金) 01:25:26 ID:1dgcHAvg
>>558
ありゃ。そうだったのか?そこらはうろ覚えだったんだけど。
司馬氏も何気に資料読む人だしなんかの根拠はなかったのかねえ。
まあしかし太閤素性記はたしか江戸時代にかなりなってから書かれたものでは。
信憑性はどうなんかね?

560 :人間七七四年:2007/12/07(金) 01:31:03 ID:HTW9NmRh
江戸時代初期だな一応、秀吉のことを知っている人達に聞いた話ということになっていたはず
信憑性は秀吉一族の事に関してはかなり高い方
ではあるがこの場合の高いは他が駄目過ぎる中、ある程度まともと言う意味でしかない
つか秀吉の出自が出自だけに、初期の秀吉関係にはまともな史料がなー

561 :人間七七四年:2007/12/07(金) 01:50:04 ID:1dgcHAvg
>>560
確かに初期の秀吉関係についてはなあ。個人的にはそんな尾張の下級武士が
三好という阿波を拠点とし近畿ともつながりのある名門と同姓だという事には
えらい違和感を感じるのだが。

562 :人間七七四年:2007/12/07(金) 01:58:34 ID:HTW9NmRh
>>561
三好はもとは小笠原からの分家で
阿波の三好一族は細川について一気に勢力を増したが
もとは阿波の一土豪に過ぎない
近畿と繋がりがあるなんて16世紀からのこと

同姓だからといって本当に繋がりがあるかは微妙だが

563 :人間七七四年:2007/12/07(金) 02:10:23 ID:HTW9NmRh
ちょっと調べてみたが一土豪ってほど弱くも無いみたいだな

564 :人間七七四年:2007/12/07(金) 19:50:39 ID:TxPbZugL
ところで>555の
>秀次が養子になったときに家族ぐるみで三好姓になってるよ
これって理屈おかしくないですか?
よその家の養子になるというのはその人単独個人の身であって、なんでその父までが
姓が変わるの?
この場合だったら、養子として三好の家に入るのは秀次一人であって、なんでその実父
までが三好の姓を名乗れるの?
それともこれが戦国期の養子制度の常識なんですか?

565 :人間七七四年:2007/12/07(金) 20:03:28 ID:jWZdmco0
>>564

現代でも夫婦養子とかあるからね
家というか名跡を継ぐって感じなんでしょ

566 :人間七七四年:2007/12/07(金) 22:44:24 ID:TxPbZugL
>>565
その名跡を継ぐのは個人でしょう。
父親が養子になったんでその子供が自動的に新しい姓になるってのなら判るんですが。
その逆ってのはありえるんですか?現代でも江戸時代でも聞かないけど。

567 :人間七七四年:2007/12/08(土) 00:17:56 ID:h1wh5J4k
>>566

日本では珍しいけど、中国の王朝交代の簒奪はそれに近いイメージ
姓は変わらないけどね

568 :人間七七四年:2007/12/08(土) 00:40:10 ID:RT7+hPsS
姓を家臣に与える場合だと一族そろって新しい姓になるってことはあったと思ふ

569 :人間七七四年:2007/12/08(土) 08:58:34 ID:XL13/kH7
秀吉は出自があれだからなあ。
その一族もあれだから箔をつけていかなきゃならなかったんだろうね。

570 :人間七七四年:2007/12/08(土) 09:21:33 ID:/U/83neU
秀吉って身分低いって言っても、半武半農の土豪みたいなところの出身だろ。当時の織田家の武士団の中で言えば
極端に低いって訳でもない。

571 :人間七七四年:2007/12/08(土) 10:27:33 ID:XL13/kH7
土豪クラスだったか?今でも秀吉の出自は低いという事はわかっても
確定はしてないはずでは。なんか出典とかあるの?
石井進氏は針売りのエピソードから賤民的な非農業民と説を出していたが。

572 :人間七七四年:2007/12/08(土) 19:21:42 ID:/U/83neU
>>571
秀吉の生家は代々織田家に足軽として参陣してたって説が今は有力だろ。賤民じゃそんな事は出来ない。
出自としては例えば藤堂高虎とかと同じ位のところだよ。

573 :人間七七四年:2007/12/08(土) 19:51:54 ID:IPgs+3kJ
21世紀になってから出されたトンデモ説には、なかは若狭の大地主の娘なんてものがあるな。
父の娘である母親(要するに近親相姦)が、罪を犯したために尾張の親戚に養女に出されたと言う。
もっとも秀長の活躍を考えても、大政所の血筋の方が有能だった可能性高いが。

574 :人間七七四年:2007/12/08(土) 19:56:38 ID:XL13/kH7
>>572
それなんだがね。秀吉が木下と名乗るのは寧々を娶る1561年から。
寧々の母親が木下姓だった事からその苗字をもらったとされる。
だからそれまでに苗字があったとは考えにくく、父の代に苗字があったとは考えにくいそうだ。
すなわち苗字をもたない階層出身であった可能性が高いとされる。
さらに父親が信秀の足軽だったというのもその死因が天文12年の鉄砲傷だったという事から
疑わしいとされる。なぜなら鉄砲がもたらされるのがまさに天文12年だから。
ほかにも父親をめぐる話にはいろいろ矛盾や疑わしい所が多く、資料的に確定が出来ないそうだ。
さらに他にも蜂須賀との出会いの場所に当時は橋が架かってなかったり、最初に使えたとされる
松下が当時は久野城城主じゃなかったりと秀吉初期は闇の部分が多い。


575 :人間七七四年:2007/12/08(土) 20:34:53 ID:/U/83neU
>>574
うは、Wikipedia丸写しw
普通にそれまでは在地の「中村村之何某」あたりを名乗っていたと考える方が自然だよ。
大体いくら戦国時代とはいえ、賤民のような階級では松下にも勿論信長にも、仕える事すら出来ないよ。
人間を個人で見る時代じゃ無いんだから。

そりゃあドラマチックさは削がれるが、多少なりとも生家に武家としての素養があり、近在ではそれがある程度認識されていたと
見るのが常識的な態度だと考えるが。

576 :人間七七四年:2007/12/08(土) 21:48:57 ID:2WvUUvdZ
秀吉の姉の日秀・朝日ともに農家に嫁いでるから
賎民出身ではないと思うんだよね
こういうのって家柄の釣り合う同士で行うもんだし

577 :人間七七四年:2007/12/08(土) 21:49:12 ID:XL13/kH7
>>574
残念だがwikiなんか読んでいないんだが。
興味あるなら藤井達生氏の著作を参照の事。
別にこの秀吉の仕官自体は信長の慧眼によってなったわけではないな。
幼友達で小人頭となった一若のつてでなったというのが太閤素性記にはあるな。
これなら別に武家だとかじゃなくてもなれるだろう。
さらに言っておくと当時においてそんな下級武家の素養なんかどれほどのものだったと?
足軽にそんな高いものなんかもとめられちゃいない。
さらに秀吉とそういった非農業民との関わりについては津島の有力者を親しき友人と呼んだり
その中の堀田一族が少年時代の秀吉が昇ったとされる太閤松を大切にしていた伝承があったり
することからも指摘されてるな。

578 :人間七七四年:2007/12/08(土) 21:49:44 ID:XL13/kH7
>>577>>574>>575だ。すまん。

579 :人間七七四年:2007/12/09(日) 01:01:38 ID:86Ayht39
>>574
1543年に伝来したのは欧州形の新式銃であって鉄砲自体はそれ以前に使われていたし、
瀬戸内海での海戦では主兵器として使われてもいたよ。
確か北条氏康だったか、その親父かが幼少時に鉄砲の音にやたら驚くから北条の行く末が心配だとか
書いた書物が残っていたハズ。
北条ファンの人ならこの辺知ってると思う。



580 :人間七七四年:2007/12/09(日) 01:26:11 ID:SPLU5Tms
>>579
最近の説では倭寇の王直がもたらしたのが先ともいわれるけど
それも確か天文11年だったはずでは。
織田家かその敵に鉄砲隊が配備されていたのかは疑わしいのでは。
瀬戸内の海戦で使われていたのは元寇の時とかも使われていた「てつはう」
じゃないの?
さらにいうとその北条の書物も江戸時代に書かれた北条5代記とかじゃ疑問が。
とりあえず北条における同時代資料での鉄砲の初見は1559年に
北条氏康が味方に鉄砲玉薬を送ったのが初見だったはずでは。

581 :人間七七四年:2007/12/09(日) 01:28:26 ID:SPLU5Tms
北条氏康が味方に鉄砲玉薬を送ったのは1560年だったか。スマソ。

582 :人間七七四年:2007/12/09(日) 02:17:11 ID:86Ayht39
>>580
その説の鉄砲については新式についてだよ。中国から鉄砲自体は伝来していて、局地的に普及していた。
「てつはう」じゃなく腰撃ちの鉄砲ね。

583 :人間七七四年:2007/12/09(日) 11:32:32 ID:cWfTprhu
>>582
『北条五代記』にも子供の頃の氏康が鉄砲だか大砲だかの
音を怖れて・・・という話があったような。

584 :人間七七四年:2007/12/09(日) 16:57:40 ID:oDTZFc++
>>583
>>580

北条五代記以前に書かれた書物でも見つからない限り、いい加減な記述といわざるを得ない。

585 :人間七七四年:2007/12/09(日) 22:01:44 ID:hJzqNDhA
確か北条氏康だったか、その親父かが・・・
氏綱があまりにも可哀想だ。

586 :人間七七四年:2007/12/10(月) 09:28:22 ID:q2viKI5x
>>580
鉄砲隊だったとは限らない。
石火矢隊だったかもしれない。
国崩し隊だったかもしれない。
火竜槍隊だったかもしれない。

疑わしくもなんともないぞ?

587 :人間七七四年:2007/12/10(月) 14:09:05 ID:DVVTlCZw
>>586
何を言っているのかイマイチわからん。
もともとは秀吉の親父が当時はまだ伝来したばかりの鉄砲傷で死んでいるのが
おかしいという話題なんだが。
石火矢や国崩しとか火竜槍とかありえなさすぎ。

588 :人間七七四年:2007/12/11(火) 00:29:21 ID:8PrLYyDT
論点はいずこ

589 :人間七七四年:2007/12/13(木) 14:56:06 ID:W4OSrYtR
あそこ

590 :人間七七四年:2008/01/05(土) 09:51:28 ID:eY31oJJP
武田信廉の子孫が出羽に逃れたというのは本当ですか?

591 :人間七七四年:2008/01/05(土) 09:57:03 ID:lHO4Eck/
木曽義昌、小山田信茂、穴山梅雪

592 :名無し野電車区:2008/01/12(土) 11:07:25 ID:ZAYHZcjv
その3人は大河ドラマ信玄に出てこなかったね

593 :名無し野電車区:2008/01/12(土) 15:18:54 ID:ZAYHZcjv
天正10年の武田攻めを描いたドラマってないのかな。
83年の大河「家康」を借りてきてみたけど
あまりにお粗末なつくりでワロタ

594 :人間七七四年:2008/01/12(土) 23:02:14 ID:M5tMFjoV
武田勝頼を主役にすればいいじゃん。

595 :人間七七四年:2008/01/14(月) 17:42:03 ID:RCyUZM/g
勝頼時代の武田家を描いたドラマって「おんな風林火山」しか知らんなあ。
もう少しまともなのは無いのかね?

596 :人間七七四年:2008/01/16(水) 23:14:45 ID:va0mOeo6
映画でいいから本格的に撮ってくんないかなぁ。椿三十郎とか作るより
面白いと思うのにな。

597 :人間七七四年:2008/01/16(水) 23:21:32 ID:B879fKTn
どこかに北条夫人の願文ないですか?
どういう内容だったの?

598 :人間七七四年:2008/01/17(木) 00:42:05 ID:830wgcHL
「信長〜KINGOfZIPANG」の長篠合戦が強烈な印象にあるなぁ。うむ。
諏訪おんどが印象深かった

それではみなさん、アテブレーベ、オビギャード

599 :人間七七四年:2008/02/10(日) 18:44:26 ID:Bw+LR3FI
お諏訪太鼓だろ

600 :人間七七四年:2008/02/10(日) 20:43:34 ID:VIBl+v4z
敵軍を前にして踊りだしたらそりゃびっくりするわ。

601 :人間七七四年:2008/02/13(水) 11:45:52 ID:mmjsQ43E
>>595
おんな風林火山、おもしろかったけどね。
DVD有るのかな?

602 :人間七七四年:2008/02/17(日) 11:41:39 ID:CL/AUJ0z
>>597
韮崎の武田八幡宮だな。
「勝頼は国をまとめようと必死です。この戦いに勝ちをおさめたら、社殿の修復を勝頼とともに致します」
ってな内容。

603 :人間七七四年:2008/02/17(日) 14:21:53 ID:C2Adck6M
武田八幡宮は坂が急で疲れる上に行ってみるとしょぼくて萎える。

604 :人間七七四年:2008/02/23(土) 23:29:06 ID:TduaaXso
>>601
おまつ〜〜〜っ!

605 :人間七七四年:2008/02/24(日) 00:34:05 ID:3yY8b8N4
おんな風林火山って織田信忠と松の話だったっけ?

606 :人間七七四年:2008/02/24(日) 01:08:13 ID:ST+tang7
松姫役は鈴木保奈美

607 :人間七七四年:2008/03/30(日) 21:09:44 ID:MH5/6/9O
信長も武田がこんなあっさりと崩壊するとは思ってなかった
息子が即効で攻めたからこそ武田は崩壊
進行が遅いと武田は体制を立て直したかもしれない

608 :人間七七四年:2008/04/08(火) 01:57:29 ID:LRMhfplG
大半から裏切られた勝頼の心中ってどんなんだろうな

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