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【武田】2万5千で上洛【信玄】その51

1 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:32:26 ID:MMBvjmeY
前スレ【武田】2万5千で上洛【信玄】その50
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178360250/l50

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

テンプレ
>>2-30ぐらい?


2 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:33:30 ID:MMBvjmeY
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する


3 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:34:01 ID:MMBvjmeY
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/


4 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:34:59 ID:MMBvjmeY
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
 松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。

総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。


5 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:36:05 ID:MMBvjmeY
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。


6 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:36:47 ID:MMBvjmeY
■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。


7 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:37:17 ID:MMBvjmeY
■この情勢をもとにした推測。

織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど


8 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:37:48 ID:MMBvjmeY
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。


9 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:39:04 ID:MMBvjmeY
その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。

総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
 朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)

総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。

●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。

総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。

●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?

●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。


10 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:40:03 ID:MMBvjmeY
●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。

●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
 するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。

●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。

11 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:40:34 ID:MMBvjmeY
その他の勢力 三好

三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)

 畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。

・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
 その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。

総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。


四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。

・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
  離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。

総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる

 おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。

総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)


12 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:41:12 ID:MMBvjmeY
秋山虎繁(信友)の最期1575年11月21日
「兼見卿記」1575年11月27日
「信長公記」1575年11月21日


※参考資料

武田信玄と上杉謙信は、織田信長に「ヒ素」で毒殺された?
ttp://kirinmen.blog58.fc2.com/blog-entry-1110.html

杉山光男氏の見解によれば、信玄と謙信が「毒殺」されなかったら
信長は二度の包囲網で滅ぼされていたという。いわく「実際の信長は戦に弱かった」
番組スタッフが調べたという「毒を盛った」信玄と謙信の側近(のちに裏切った?)
が誰なのかは不明。


13 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:43:24 ID:MMBvjmeY
ミスって>>5>>8が重複してしまったけどスルーしといてくれorz
>>12ってテンプレなのかな?
なんかどうでもいい珍説な気がするんだけど・・・

14 :人間七七四年:2007/08/26(日) 19:51:54 ID:LPwxg3Uu
>>985
前スレの話題を引きずるのもどうかと思うが、姉川の合戦について。


戦闘の開始は両軍が対陣した時点で弓と鉄砲の撃ち合いがきっかけ。推定時刻は午後4時頃。
その後、朝倉軍が徳川方の第一隊(酒井)、第二隊(小笠原)へ攻撃開始し、姉川(当時水深約1メート)で死闘が始まる。
徳川方が押され始め、徳川方の第三隊(石川)が救援に入り、朝倉を姉川の右岸まで押し返す。
その後、朝倉が徳川を左岸まで追い返し、しばらく一進一退の攻防繰り返し。

その後、野村に陣取っていた浅井方の第一隊(磯野)が織田方の第一隊(坂井)へ急襲を開始。
織田方の坂井政尚、子の久蔵はじめ百余兵が戦死。続いて織田方の第二隊(池田)とぶつかり、これも破って敗走させる。
これに勢いついた浅井は総攻撃にうつり、織田方の第三隊、第四隊まで撃破して、信長本陣まで迫る。
織田方の第五隊(森)が奮戦して浅井をかろうじて引き止める。

同時に徳川も朝倉に家康本陣近くまで迫られる。ここで家康は榊原などに命じて側面攻撃を試す。
榊原は田圃や姉川を渡り、前岸(当時あった高さ二メートルほどの断崖)に上り(ただし経路は不詳)、朝倉の右側を
つく事に成功。
朝倉が崩れ始め、徳川の総攻撃にうつり朝倉を敗走させる。これで朝倉方の前波、魚住、真柄、子の直基が戦死。

織田軍は第五隊のみがわずかに防備していたが、折から横山城の監視に残っていた氏家、安藤の二隊が救援にり、
浅井の左翼をつく。
このとき、三田村方面の朝倉軍が徳川軍に惨敗して野村に退いた。これを見ていた浅井軍は動揺し始める。

徳川方の稲葉が浅井軍の右翼を攻撃開始。これをきかっけに織田軍も浅井軍の前面から盛り返しをはかる。
浅井軍は織田・徳川から三方面に総攻撃をされ、浅井方の第二隊浅井雅楽助など数百が戦死。

浅井軍は退路を断たれることを非常に恐れ敗走しはじめる。浅井方の遠藤が僚友三田村某の首を掲げ、信長本陣へ潜入するが
竹中に見破られて討死。磯野は兵が手薄な佐和山を攻撃される事をおそれ、氏家、安藤隊を突破して撤退。

織田方
 約二万三千(第一隊:坂井約三千、第二隊:池田約三千、第三隊:木下約三千、第四隊:柴田約三千、第五隊:森約三千、第六隊:佐久間約三千、本隊:織田信長約5千)
横山城監視隊
 約五千(丹羽約三千、氏家約一千、安藤約一千)
支軍
 約六千(徳川約五千、稲葉約一千)
  [徳川方 第一隊:酒井約一千、第二隊:小笠原約一千、第三隊:石川約一千、本隊:徳川家康約2千]

浅井方
 約八千(第一隊:磯野約一千五百、第二隊:浅井政澄約一千、第三隊:阿閉約一千、第四隊:新庄約一千、本隊:浅井長政約三千五百)
朝倉方
 約一万(第一隊:朝倉景紀など約三千、第二隊:前波など約三千、本隊:朝倉景健約四千)

15 :人間七七四年:2007/08/26(日) 20:01:34 ID:MMBvjmeY
前スレが埋まったから続き

>>996
信頼できる資料から実際分かってることって
・先制攻撃は浅井・朝倉側
・横山城の抑えにしていた稲葉一鉄等を投入
・徳川勢が横槍を入れた
くらいなもんで詳しい詳細なんてまだ不明て言ってるだろが
当時の一級資料に書いてないという事は十分根拠にはなると思うのだが違うのか?


>>単なる素人の妄想かよ
 お前がバカにしたネット検索で確認するか、関連本でも読め

俺が言いたいのは徳川のお陰で勝てたのは間違いの可能性大
=徳川が織田の勝利に貢献していないとは誰も書いていないだろ・・・

お前は徳川勢の援軍なしに織田は勝てないと言ってるがそれこそ妄想だろうがw
現実に徳川の援軍ありで戦ったのだから、無しで戦った場合なんて誰も分かるわけないだろ

仮に援軍無しで戦っても敵より+1万なんだから勝つ可能性大
↑これが俺の想像の根拠(あくまで想像)
お前が徳川の増援なしで織田が負ける根拠って何だよ?
お前こそ根拠の無い妄想なんじゃねw


16 :人間七七四年:2007/08/26(日) 20:12:49 ID:M6ZOtYx3
>>15
お前の無知を棚に上げて、根拠のない妄想を正当化するな
基本的な姉川合戦の推移を理解していれば、
徳川勢の加勢なしに押し込まれていた織田勢が盛り返すことは有り得ない

ちゃんと関連記述を読んでないのに、軽率に反論するな


17 :人間七七四年:2007/08/26(日) 20:18:52 ID:LPwxg3Uu
>>16
そうだな。仮に徳川が敗走して朝倉1万が織田の横腹を付いていたら
崩れた兵を纏める事ができずに潰走だったのは間違いない。

18 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/08/26(日) 20:31:39 ID:O6HZec1C
>>12は俺様が書いたものだがなぜかテンプレになっとるな
あとその経緯について前田本信長公記の翻刻と読み下しを書いたがあれはどうなった?

19 :人間七七四年:2007/08/26(日) 20:53:06 ID:9VzylQ2F
>>16
徳川がいなかったらああいう形で戦ってないでしょ・・・馬鹿?

20 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:02:15 ID:M6ZOtYx3
>>19
それは>>15に言ってやれ
批判の矛先が的外れだろ・・・馬鹿?

21 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:05:46 ID:9VzylQ2F
俺は19を見て思ったことを書いただけだよ
お前らの争いなんか興味ねーって馬鹿

22 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:19:15 ID:e8tvGha6
とりあえずこれだけは言わせて貰おう

>>1


23 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:21:34 ID:MMBvjmeY
>>21
そもそもお前が姉川の戦いの徳川史観部分を否定
→俺が徳川の活躍は徳川史観による誇張部分が多いという意見も結構多いよとレス

お前→じゃあ徳川勢は全く織田方の勝利に貢献しなかったのか?
    徳川勢の加勢なしに織田方は勝てたのか?
    答えがNOなのは、小学生だって知っている

ここでお前が的外れなレスしたからこじれてるんだろうが・・・


24 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:24:15 ID:xUdE0DMl
>>23
レス番号間違えてね?>>20だろ?相手は。

25 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:26:44 ID:MMBvjmeY
>>24
ホントだorz
>>23は正しくは>>20へのアンカ
>>21の人間違えてレスしてスマンかった

26 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:30:02 ID:DnKIDDeK
ああ、武田の略奪は綺麗な(ry の人か

27 :人間七七四年:2007/08/26(日) 21:36:53 ID:xUdE0DMl
>>26
正確には今暴れてるのは信長過大評価スレで粘着してた信長信者。
姉川にえらくご執心。自分と異なる主張をする複数の人間が同一人物に見える
という面白い人。

28 :人間七七四年:2007/08/26(日) 22:35:21 ID:eU/CvUks
信長信者なら姉川合戦や姉川七本槍などは否定的で
信者じゃなくても猜疑的になるんじゃないの?
概要なら越前若狭歴史回廊の方に分かり易くまとめられてるよ。

>>1

29 :人間七七四年:2007/08/26(日) 22:42:51 ID:xUdE0DMl
>>28
信長過大評価スレ見てみな。すごいから。正確にいうと彼は司馬小説を鵜呑みにしてる。

30 :人間七七四年:2007/08/26(日) 22:52:43 ID:ygepczOt
徳川史観を鵜呑みにして姉川の勝利は徳川のおかげなんていっているヤツがいるスレもあるけどねえ

31 :ダイジェスト野郎は中立を御約束します:2007/08/26(日) 22:53:45 ID:Cq03Bs9W

元亀二年 (1571年) 武田の三河・遠江、攻略の儀

4月15日 武田家の「御先衆」が、三河国足助城を攻略。
──『孕石文書』

4月19日 武田晴信、去4月15日に攻略した、三河国足助城主の
鈴木重直父子を助命し、武田領国に送還す。──『孕石文書』

4月28日 武田勝頼、越中国の杉浦紀伊守へ守備「堅固之仕置」と
「対大坂忠節」を賞し、武田家の三河国足助城攻略や今後の軍事
作戦遂行予定などを通知。──『武家事紀』

4月 晦日 山県昌景、孕石元泰へ武田家が三河国足助城を攻略
したこと、武田晴信が東三河に進入し三河国野田砦の菅沼定盈を
撃破したこと、徳川家康自身の出撃にもかかわらず、晴信公の御法眼
により、三河国吉田城に徳川軍を追い込めたことなどを通知。
──『孕石文書』


32 :人間七七四年:2007/08/26(日) 22:53:57 ID:ojzQ3S0p
話は変わるけど上杉謙信が元亀4年(天正元年、1573)3月5日に蘆名盛氏の
部下の僧に書いた手紙では、三方原で家康が信玄に「勝った」と言っているね。

「極月廿一、於遠州信玄・家康有仕合、小幡尾張守初息兄弟五百余人敵討捕、
家康被得勝利、以来信玄除兼、于今遠・三之山に在之由申候、大山ニ候間、
卒爾ニ道作事成間布由申候」

「12月21日に遠州で信玄と家康の合戦があり、(家康は)小幡尾張守はじめ子息
兄弟など五百余人の敵を討ち取り、家康が勝利を得ました。信玄は退却もでき
かねて今も遠州から三州にかけての山の中にいるそうです。深い山なので道を
作ることも簡単ではないでしょう」

これはきっと家康から送られた手紙を元にしたんだろうけど、戦の宣伝というのは
こういう工合に敗北も勝利と言いくるめるものかとw
ただこの謙信の手紙は上杉家文書にあるので、結局蘆名に出さなかったものらしい。

33 :ダイジェスト野郎は中立を御約束します:2007/08/26(日) 22:54:35 ID:Cq03Bs9W

元亀二年 (1571年) 上洛の背景-大義名分の儀

5月12日 小幡憲重、岡国高(松永久秀家臣)へ武田晴信の遠江国
及び三河国出馬を報告。また武田家の軍事行動は「以公儀御威光」
(足利義昭)を背景とした、上洛作戦であることを触れる。
──『次原所蔵文書』


34 :人間七七四年:2007/08/26(日) 22:56:09 ID:xUdE0DMl
>>30
いや、>>29はその人の事をいってるんだけど。それが司馬小説鵜呑みの信長信者。

35 :人間七七四年:2007/08/26(日) 22:57:54 ID:xUdE0DMl
>>34
悪い、自己レスだが良く考えたら別の人かも知れない。
とりあえず今このスレで姉川で暴れてるのは過大評価スレの信長信者だと思う。

36 :人間七七四年:2007/08/26(日) 23:23:09 ID:QR+cNFsc
50スレまとめ

>1-11 >41テンプレ
>566-567戦国時代板wikiテンプレまとめ

>29-35水野
>50-51信長が突然死んだら
>52-74上洛できるか織田を倒せるか?諸勢力の状況 
>69-106岩村城・中仙道・東海道について
>86-97信玄の外交・朝倉の状況
>112-125龍興の和睦破棄1566年8月の上洛計画
 >121上洛計画年表当時の状況 織田上洛計画ソース『多聞院日記』
>126-137斉藤義龍について

>144-242信玄と信長の外交
 >144-169信玄の外交と当時の同盟破りに対する価値観・現在の信玄の評判
 >170-198信長の外交・信長は用済みとなったら切り捨てるか否か・織田長宗我部同盟について
  >195織田家同盟一覧
  >197武田家同盟一覧
 >199-202諏訪攻め高遠の密約
 >210-242諏訪との同盟破棄について・諏訪統治・板垣
  >214学説紹介

>243-283信玄の民政の虚実
 >243-244最近の武田氏研究の成果
 >247-252信玄の民政の通説
 >256-282灰吹き法と金山開発
 >257-267信玄の虚構が成立した理由

>284-298信玄の略奪
>299-302家督相続について

>303-331上杉北条の民政と戦国時代の貨幣制度・武田の農民への基本姿勢
 >309北条の税制

>344-352信玄信長の能力・実績評価
>353-366駿河攻め北条との戦い・北条を取り巻く環境・駿河の状況
>367-372信玄の家臣の粛清・戦術能力
>385-421もし尾張に攻めこんだら・武田軍織田軍の機動力・戦術能力

>422-440戦争による死傷者
>441-481信玄狙撃により死亡の逸話について・鉄砲による狙撃
 >442 >444ソース「松平記」
>482-575各大名の略奪・甲斐は略奪によって豊かになったか否か・武田の略奪は凄まじかった否か


>584-642三河攻めは可能か・桶狭間直後今川と同盟破棄できるか
>645-671武田斉藤で同盟したら・桶狭間の戦いの国力比

>675-700朝倉の状況・動員可能兵力・テンプレの石高について
>701-725包囲網の状況・武田の状況と守備兵力
 >725 1572年秋冬江北年表
>720-744越前加賀の石高と状況
 >730朝倉加賀一揆年表 ソース「産福禅寺年代記」

>748-847信長信玄戦術能力・宗教勢力の特徴・武田家の略奪
>846-918信玄が上洛を強行すれば
>948-999信玄西上時の三河美濃の状況・決戦したらどうなるか・姉川の戦いについて

37 :人間七七四年:2007/08/27(月) 00:29:40 ID:bgWhmDxT
『信長公記』だと織田勢のうち姉川に最初からいたのは信長馬廻と美濃三人衆のみ
残りは横山

そもそも織田勢の方が最初から多かったら浅井朝倉も野戦挑んだりはしないんじゃないかと思う

38 :人間七七四年:2007/08/27(月) 01:46:53 ID:QjG0DO37
俺が知ってる姉川の合戦に至るまでの経緯は

1570年6月
織田が浅井討伐をはかり、江北の路を開く。
6月11日
徳川に援軍を求める。自らは約3万の兵を率いて岐阜を発ち、長比砦に進む。
6月20日
坂田郡の横山城を偵察。
6月21日
織田信包・丹羽長秀・水野信元を監視隊に残し、本軍は小谷城へ向かう。
森可成・坂井政尚などの武将を小谷城の南の雲雀山に進め、城下を焼き払わせて、自分は虎御前山(雲雀山の西)に本営を布く。
また、柴田勝家・佐久間信盛・木下秀吉・降伏してきた堀秀村などに命じて、浅井の城外四近の村々に火を放ち挑発する。
しかし、浅井軍は挑発に乗らずに攻めてこず。

軍議を開き、佐久間の進言により城の無理攻めはせずに、やがてくるであろう朝倉軍の到着を待つ事に。
梁田政辰・中条秀長・佐々成政に後衛を命じ、兵を弥高村(横山城の東)に集結させる。
この時、小谷の城兵が打って出てきたが、後衛の三将と激しく戦い敗れる。中条秀長が負傷。
6月23日
織田軍は本陣を竜ヶ鼻(横山城の北)へ移す。
6月24日
池田信輝・坂井政尚・木下秀吉の兵を横山城の北側にまわらせ、森可成・丹羽長秀・蜂屋頼隆の隊を南側へ進め、
柴田勝家・織田信包・氏家直元・安藤範俊たちは東、佐久間信盛・稲葉通朝と貞通の父子・水野信元・市橋長利・河尻鎮吉などを
西へ向かわせて、それぞれの部署に配し、全軍をあげて横山城を包囲。
これは本気の攻城ではなく、小谷の城兵をおびき出すための戦術だった、という話。

6月27日
徳川が約5千の兵を率いて到着。(26日には坂田郡の春照に泊まっている)
家康は信長と会い、すぐに上坂(坂田郡)に陣を布く。
この夜、大寄山(今は大依山。小谷城の東南。25日に横山城を救援する為に小谷城の兵がここに来て陣取っていた)
に輝く松明の明かりを見て、敵が策にはまり早朝の奇襲準備をしていると察する。

急いで野戦の準備を行い(>>14にあるような兵配置。横山城の監視役は丹羽・氏家・安藤)、横山城を離れて竜ヶ鼻付近に集結する。
稲葉隊だけは上坂へ向かい、徳川隊の後方に配置された。
6月28日
午前3時、竜ヶ鼻から西北へ進み、姉川をはばむように斜めに布陣する。徳川軍は北へ進んで岡山(坂田郡)に陣取る。

一方浅井・朝倉だが、6月25日に横山城救援の為、大寄山に布陣。朝倉の援兵は6月26日に到着し、浅井軍と共に大寄山に布陣する。
折から横山城は火急を告げ、長政に援助を求める合図が山頂に望まれた。
6月27日、軍議を開く。いますぐ攻めるべきだが、敵陣は5,5キロも離れており、今攻めても人馬共に疲労して戦にならない。
今夜のうちに陣を野村と三田村(ともに東浅井郡)に移し、6月29日の払暁、ひそかに急襲しよう、と決まる。
こうして、6月27日、浅井軍は野村、朝倉軍は三田村へ進軍。

6月28日
午後4時頃、浅井・朝倉の兵はそれぞれ姉川付近に到着し、浅井は野村へ、朝倉は三田村へ布陣。
このとき、織田・徳川の兵も姉川の左岸に来ており、浅井・朝倉が対陣すると、ただちに弓・鉄砲をしかけてきた・・

これが俺の知っている会戦までの経緯だ。

39 :人間七七四年:2007/08/27(月) 08:37:08 ID:Yt8vII2F
>>32
軒猿がいて情報が入って来なかったってのはないと思うよ。
推測だけど、蘆名への工作だったんじゃない?外交で争いを何度も押さえ込んでいたしさ。


40 :人間七七四年:2007/08/27(月) 08:41:18 ID:oL82ahwX
当時の徳川は信長抜きで上杉と単独同盟中だったはず

41 :人間七七四年:2007/08/27(月) 11:09:14 ID:ajvJCNY6
謙信って信長が稲葉山落とす前に「美濃制圧おめでとう」とか手紙出しているからな
情報収集が普通に下手だったんじゃ?w

42 :人間七七四年:2007/08/27(月) 11:58:17 ID:xq4m/KYh
この手紙が上杉家文書にあるということは、蘆名家に出さなかったということだから
ガセ情報を掴まされたことに気づいたのかもしれない。

43 :人間七七四年:2007/08/27(月) 15:09:41 ID:Yt8vII2F
>>41
それ落とす寸前じゃなかった?で、信長が警戒したとか

44 :人間七七四年:2007/08/27(月) 17:07:18 ID:ZQkBv71U
>>37
どうも否定派の意見ってうすいな。>>38くらい具体的に書いてみろよ

45 :人間七七四年:2007/08/27(月) 17:40:46 ID:zlnch2GI
>>38は具体的なのかいな?
出典の史料名すらわからんのだけど
信長公記の記述を使いながら、所々の詳細の出典が謎

合戦経緯を書いてる>>17なんぞ、参考資料や史料名すらわかりません

それでおkなら何とでも書けるけどいいの?

46 :人間七七四年:2007/08/27(月) 17:48:43 ID:ZQkBv71U
いやどう考えても出典は前スレの982だろ。

47 :人間七七四年:2007/08/27(月) 18:02:33 ID:cuqUaeq0
そりゃ江戸時代の創作物なら具体的にかけるわな

48 :人間七七四年:2007/08/27(月) 18:05:57 ID:ZQkBv71U
じゃ否定派は具体的な説明(合戦までの流れから終わりまで)もできないくせに否定してたの?
話にならんなw

49 :人間七七四年:2007/08/27(月) 18:08:14 ID:PUufMflj
>>46
スレの>>982は江戸期以降の資料じゃねえかw
>>982は37個も資料を羅列してるだけで
>>38のどの部分に>>982のどの資料を用いてるのか書いてないのに具体的とかワロス

そんな曖昧な事する奴よりも甲陽軍艦のみで頑張ってる奴のがまだマシだな

50 :人間七七四年:2007/08/27(月) 18:10:07 ID:ZQkBv71U
創作というならどの文献のどの記述が疑わしいのか挙げるべきじゃないか?
それとも読みもせずに言ってんのかな?

51 :人間七七四年:2007/08/27(月) 18:32:31 ID:zlnch2GI
基本
同時期以外の史料の信憑性は疑わしい
まず成立年代の近い史料の記述を見て比較すべき

>>50
そもそも、前スレの982は史料名の羅列、」その史料のどの記述なのか書かれてないんだけど
付け加えれば、史料名として「寛政重修譜」「諸家譜」「寛永諸家系図伝」と書くのが意味不明
どこの家譜なのか普通は書くよ

単に羅列してるようにしか見えないんだけど

52 :人間七七四年:2007/08/27(月) 18:38:58 ID:ZQkBv71U
すまんが982と俺は関係ない。別人。
というか文献を読みもせずに偽物扱いしてたんだな・・・

53 :人間七七四年:2007/08/27(月) 18:59:27 ID:PUufMflj
>>52
信憑性は疑わしいと偽物とを混同するなよ

54 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:05:43 ID:ZQkBv71U
読みもせずってのは変わらないだろ。

55 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:06:21 ID:zlnch2GI
あのー、読みもせずに偽物としか言えてない時点で話にならんね
どっちかと言えばID:ZQkBv71Uは読みもしないのに妄信してるように思えるんだけど
同じように前スレの982は読んでない史料の羅列にしか見れない

何故なら、読んだなら、その史料の記述の抜粋による説明をするから
あのような書き方では、どこぞの刊行物の参考資料に挙げてあった史料名を書き殴っただけとしか見えんよ

で、翻刻されてない史料名あるんですが、どうやって読んだんですかね?
是非聞きたいんだけど

56 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:08:57 ID:zlnch2GI
ID:ZQkBv71Uは>>17の出典は前スレ982だとしてるんだから、その理由書いてね
読んでないだろ?の一点張りで否定の否定は出来ないよ

まず肯定するだけの根拠提示がなされてないのだから

57 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:09:53 ID:zlnch2GI
あ、ごめん>>17ではなく>>14

58 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:16:19 ID:ZQkBv71U
IDだろ。というか読みもせず否定してたことは認めるんだなw

59 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:20:18 ID:fDWYdbk1
本当に読んでいるなら
否定派でも肯定派でもいいから史料から引用すればいいんじゃ
肯定派だって読んでいないんじゃ>>14とか>>38みたいな出典不明書いても
ただの小説とか妄想と言われても仕方が無い

まあ引用した所で江戸時代の記録が当時により近い時代の記録に
信憑性で勝てるとは思えないが

つか13段とか徳川大活躍は甫庵『信長記』から出た話しじゃないか?
それ以前の記録には無いだろそんな話し、
ついでに>>14も甫庵の『信長記』が出典でしょ

『太閤記』じゃ姉川で秀吉が活躍したことになっていたが
光秀が活躍するのは何だったかな・・・?

60 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:21:50 ID:fDWYdbk1
信長記じゃ兵数までは書いていなかったような気がするので
もっと後世の作品かも

61 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:25:41 ID:zlnch2GI
否定するも何も、羅列された史料を使ってかいてるのかさえわからないんですが?

それをあたかも使ってます的に言って、論点の「>>14の内容の信憑性、又は引用史料」から、
読んでないのに(主観による決め付け)否定するなと、論点ずらしに必死なID:ZQkBv71Uは詭弁のガイドライン読むといいぞ

62 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:34:52 ID:ZQkBv71U
まあ内容書いてもらわないと見たことないんだもんな。
とりあえず詳細書いてもらわないと情報0で否定しようがないか・・

63 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:38:38 ID:zlnch2GI
>>60
「甫庵信長記」だと攻撃しかけた、先陣きったのは酒井忠次隊になってるよ
>>14は朝倉勢から仕掛けてきたとなってるので、「松平記」がネタ元になってないとおかしい

けど前スレの982には松平記はありませぬ・・・

64 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:43:31 ID:PUufMflj
>>14にある朝倉景紀は出陣した記録が無い
当時は70歳くらいで隠居してるはずだし
総大将は同じ同名衆の景健だが
景健は景紀より家格・序列が下なんだから
景紀が参戦していたのなら景健ではなく景紀が総大将でないとおかしくないか?

景紀はすでに敦賀郡司職を嫡男(姉川の戦い時は既に死去)に譲って隠居してるから
仮に参戦していたら総大将を景紀ではなく景健が務めていたのもありえることなのかな?


65 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:46:21 ID:fDWYdbk1
というか>>14よく読めば
崖の高さとかも書いてあるから
所謂、史料によったものじゃないのか

現在ある何かの本からの引用か?

>>38
いろんな史料が混ざっているような感じするし

66 :人間七七四年:2007/08/27(月) 19:49:28 ID:fDWYdbk1
史実じゃ景紀は金ヶ崎の失態によって敦賀郡司職も取り上げられているから
軍を率いるなんて不可能だと思う

67 :人間七七四年:2007/08/27(月) 20:11:56 ID:ZQkBv71U
君の言う史実って?

68 :人間七七四年:2007/08/27(月) 20:28:45 ID:PUufMflj
>>66
金ヶ崎の失態で敦賀郡司職を取り上げられるって
景紀が郡司職を剥奪されたんじゃなくて、
次男の景恒が金ヶ崎城で織田に降伏して
同名衆連中に非難されまくって郡司職取り上げられたんじゃなかったけ?

まあどっちにしろ汚名を被った家柄だけに総大将には厳しいのかもね


69 :68:2007/08/27(月) 20:30:48 ID:PUufMflj
ごめん文章ちと訂正
×総大将には厳しいのかもね
○総大将になるのは厳しいかもね

>>67
ハア?お前何言いたいんだよ?

70 :人間七七四年:2007/08/27(月) 22:39:54 ID:LHcx+a9l
そもそも姉川の合戦が信玄の上洛とどう結びつくのかわからんが

71 :人間七七四年:2007/08/27(月) 23:10:30 ID:DEhT8Heg
信長は戦下手で織田軍は弱い。数で上回っていても直接戦ったら戦国最強精強
武田軍団には敵いません鎧袖一触です。だって少数の浅井軍に十三段中十一段
まで陣を破られるくらいだからね!

といいたいんだと思われます。

72 :人間七七四年:2007/08/27(月) 23:14:46 ID:LHcx+a9l
自分はどっちかというと謙信厨なのであまり信玄の上洛に詳しくないが、
>>32で書いたのと負けず劣らず奇妙な手紙を謙信が書いているので紹介します。

「急度以飛脚申候、様々各々異見候間、当地糸井河江昨晩令着馬候、信州
諸口如何ニも無事ニ候、可心安候、小野主計助山中ニ鉄炮之音一つ鳴候とて、
信玄打出候由申、諸軍江為恐怖候、此鉄炮者狩人之鉄炮之由申候、少も案
間布候」
(四月二十日、上条弥五郎・琵琶島弥七郎・柿崎和泉守ほか計15名宛、歴代古案)

「急ぎ飛脚でお知らせする。みんなの意見に従い、昨晩ここ糸魚川に着いた。
信州への諸口は無事だから安心するように。小野主計助が山中で鉄砲の音が
一発鳴ったのを聞いて、信玄が出てきたといって軍勢を怖がらせたが、この鉄砲は
狩人の鉄砲だった。少しも心配ない」

これは元亀四年(1573)とされている手紙ですが、糸魚川で鉄砲が鳴ったのを
信玄が出てきたといって騒いだとすると、謙信は信玄の軍勢の所在について
はっきりした情報を持っていなかったのか? 三河から信濃に退いたことは聞いて
いたかもしれませんが、信玄がそこから一直線に北上して越後を突くというのは
ありそうにない話。しかし「信玄」と書いているので、単に信濃の武田軍という意味
ではなく、信玄本人が率いる部隊が越後に現れるかもしれないと警戒していた
のでしょう。
なかなかドラマの軒猿のような情報収集力は持てないのかも。

それにしてもこの時代に狩人まで鉄砲を持っていたのは興味深いことです。

73 :人間七七四年:2007/08/27(月) 23:24:20 ID:LHcx+a9l
補足するとこの謙信の手紙が書かれた四月二十日は、信玄が死んだ四月十二日より
後ですが、「信玄死亡か」の第一報が飛騨の江馬輝盛から富山の河田長親のもとへ
届いたのは四月二十五日でした。

74 :人間七七四年:2007/08/27(月) 23:36:54 ID:dmOxvaXv
>>70
前スレからの経緯を簡単にまとめると
@  仮に対徳川に5千を割いて
   織田領に侵攻したら2万(武田)対3万(織田)になって
   兵力差は−1万(その他諸々武田にマイナス要素あり)だから勝ち目は相当薄い
                                                     
A (@にレス) 姉川の合戦が、似たような数だね(2万9千vs1万9千)
  
B (Aにレス) 姉川の戦いでは織田はけっこう押されたよね。
   
C (Bにレス) 姉川は徳川史観の誇張が強いから、浅井勢が強いのは認めるが
          正直あの兵力差で信長が長政に押されるのは考えられない
 
D (Cにレス) 現在は徳川幕藩体制下か?
          現代において徳川に媚びた歴史見識を示す必要など、どこにもない
          何故「姉川」だけ徳川史観の誇張が強くなるんだ?
          家康が関わった全ての戦に「徳川史観」が反映されなければ整合性がねーだろ
          こいつが「姉川」に異常に固執している理由が理解できん

E (Dにレス) 信長公記等の当時の一級資料には合戦の詳細が記録されておらず、
           上記の徳川大活躍説は江戸期以降の資料によるものにしか記載されていないない

のような感じで姉川の戦い論争になってる

75 :人間七七四年:2007/08/27(月) 23:41:25 ID:3eoDRzQB
>>72
単に読み方の質問なのですが・・・
様々各々異見候間 → みんなの意見に従い
になるんですか?
あえて「みんな」を入れるなら、
「みんな様々に意見もあるだろうが」とかに
なりませんか? どうでもいい話ですけどw

76 :人間七七四年:2007/08/27(月) 23:50:29 ID:LHcx+a9l
>>74
なるほど、よくわかりました。
一般論としては兵力が多くても負けることはあるとは思います。
具体的な数は知りませんが信玄が負けた上田原でも、武田軍の方が村上軍より
多かっろうたと思うし。
上田原や姉川などでは防衛する側が頑張った(勝ったor善戦した)ということなら、
西上する武田軍の方が不利になるでしょうが。

>>75
「間」は普通「〜なので」と訳すのでこうしましたが、「様々な意見を皆が言うので」
とした方がよかったかもしれません。

77 :人間七七四年:2007/08/27(月) 23:53:01 ID:X/iJ0xKY
>>74
その1を議論する為に、似たような兵力差だった姉川は最適だったというわけだね。
このスレも51まで来ているし、スレ違い気味に感じるかもしれないけれど
姉川の話を詰めたら武田2万×織田3万をもっと話せそうだと思った

78 :人間七七四年:2007/08/27(月) 23:58:59 ID:3eoDRzQB
>>76
しょうもない質問にレスいただいて恐縮です。

家中に(武田勢の信濃侵攻があるのか無いのか)様々に
意見がある中、謙信が自分の意志で出張ったという状況
を想定しましたので、「間」を「〜けれども」と取りま
した。スレ汚し、申し訳ありませんでした。

79 :人間七七四年:2007/08/28(火) 00:00:33 ID:sWsdy9gp
ごめんなさい。
信濃侵攻ではなく越後侵攻ですね。

80 :人間七七四年:2007/08/28(火) 00:03:17 ID:k4ZKJNNz
>>76
仮に武田が徳川を完全に掃討せずに織田領に侵攻した場合は
以下の要素から勝てる見込みは限りなく0に近いと思う

武田側(仮に対徳川に5千を割いた場合)
2万弱(敵は少なくとも+1万)
背後に総勢5千〜8千弱の徳川勢
本国から離れた敵地での戦い
補給腺がかなり伸びるている
頼みの包囲網もいまいち機能していない

81 :人間七七四年:2007/08/28(火) 00:26:53 ID:IRBroXLM
姉川と違うのは武田は遠征している事
既に何度かの戦をしているし、敵地で野営をしているので兵が消耗している事

82 :人間七七四年:2007/08/28(火) 00:32:23 ID:Cn+sgBrj
徳川背後に置いたままなら勝てないだろね。
でも敵地で戦うことは、孫子なんかでは逃げ場がなく士気が固まり吉とあるよね。
補給に問題がなければ、敵地で戦うことはそんなに不利なことではないと思う。

ただ、後背に徳川がいたら、挟撃リスクも高まるし、補給・連絡戦分断される
可能性も高まるんで、精神的に厳しい。

83 :人間七七四年:2007/08/28(火) 00:47:45 ID:2bInFa/o
姉川って前にも何度か出てきたけど
結局いつも織田が苦戦した、徳川が大活躍したという
信頼できるソースが無いで終わってたと思う・・・

結局このスレでも明確なソースは出されなかったし

84 :人間七七四年:2007/08/28(火) 00:54:44 ID:uwYuO/Ro
江戸期のソースを頭から否定してるからソース出しても無駄だろ。
このスレで第一級資料として大人気の信長公記でも参考にすりゃいいんじゃね?

85 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:01:42 ID:2bInFa/o
だって江戸期の史料をソースとして用いるなら
桶狭間の奇襲とか鉄砲三段撃ちとか
武田は農閑期動けないとかも
認めないといけなくなって収拾がつかなくなるじゃん

86 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:06:14 ID:uwYuO/Ro
じゃそのルールでいいんじゃね? 桶狭間や長篠の資料もいくつか知ってるが
江戸期のソースが意味無いんじゃこのすれじゃ役立たずだな。

87 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:13:33 ID:t3TE3kOi
信玄じゃ兵力5倍でもない限り信長に勝つなんてありえないだろ。

88 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:16:14 ID:f+eBPxx3
>>86
じゃあそのルールで結論だそうか?
>武田は農閑期動けない
以上により武田信玄による上洛は不可能。はい終了。
これでいいのか?

89 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:16:44 ID:2bInFa/o
そんなんでいいのかよ・・・
そのルールで話し合って何か意味あるのか?
むしろそれなら仮想戦記物のスレの方が話し合うのに適しているんじゃ

まあ江戸期といっても最初期の同時代の人間が書いたような
信頼性が高いのものならまだいいんだけどね


90 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:19:27 ID:uwYuO/Ro
>>88
おいおいw 逆だよ。江戸期以降の文献を一切排除して語れば良いよ。
好きにしてくれ。

91 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:20:10 ID:2bInFa/o
>>88
いやそのルールなら
三河兵は尾張兵三人に匹敵
武田の兵は三河兵三人に匹敵で
北畠も武田に通じたり、蒲生が武田に通じたりして
いろいろと武田が有利になるはず

>>89>>89へのレス

92 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:20:56 ID:2bInFa/o
間違えた
>>89>>86へのレス


93 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:23:12 ID:257P0YAb
排除というより、姉川の件は同時代の史料には書かれてないような、軍談仕様の話が付加されて、
それに徳川史観が色濃く入ってるから信憑性が薄いんでしょ?

関ヶ原合戦だって、どんどん話が膨らんでるのと同じって訳で

94 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:25:10 ID:MjL4SGCM
史料がどういう性質かにもよるよな。
江戸中期以降になってぽっと新説が出てきたり、その史料以前に同様の記述がない物は論外。
当事者の伝聞だったり、実体験を元に編纂された物で、
作者の色眼鏡を考慮して、他の史料との整合性が取れる物ならば史料として一定の価値がある訳で。

>>uwYuO/Ro
とりあえず史料名を挙げてみては?

95 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:25:18 ID:257P0YAb
>いやそのルールなら
>三河兵は尾張兵三人に匹敵
>武田の兵は三河兵三人に匹敵で

これ、どういう史料でそうなる訳??

96 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:35:30 ID:2bInFa/o
浅井長政が徳川家光の祖父ってことで
徳川を持ち上げるだけでなく、浅井も持ち上げる必要があったから
姉川は二重の意味で徳川史観だな

織田と浅井朝倉の戦いも浅井が徳川家の縁戚だから
浅井を持ち上げるために朝倉を必要以上に低くされてる気もする

>>95
すまん正確には知らない
『北越軍記』だと一が越後兵で二が甲州兵三が三河兵だったと思うけど

97 :人間七七四年:2007/08/28(火) 01:43:24 ID:257P0YAb
>>96
あー、「北越軍記」かぁ
それはちょっとなぁ・・・

98 :人間七七四年:2007/08/28(火) 05:15:11 ID:Ui98vAgk
>>82
孫子は中国の情勢や戦闘形態にはピッタリ当て嵌まるんだけど、日本の戦国時代となるとあまり当て嵌まらないってのもあるけどね。


99 :人間七七四年:2007/08/28(火) 08:06:13 ID:1xV1Indr
『越州軍記』(朝倉始末記)を見てみたが、これには天正五年の奥書があり、それは
信じていいとされている。
ところがこれは金ヶ崎城などには詳しいのに姉川について何もふれていない。
見ようが悪いのかもしれないが大体年代順に書かれており、元亀元年のところには
出ていない。ほかの合戦(元亀元年九月十九日の下坂本合戦、十一月二十六日の
堅田合戦など)は出ている。不思議だ。
(日本思想大系『蓮如・一向一揆』所収)

100 :人間七七四年:2007/08/28(火) 08:56:39 ID:1xV1Indr
『越州軍記』は負けた側の史料だからと思って調べてみたが案外だった。
あと比較的古い史料と言ったら織田側の『信長公記』、徳川の『三河物語』ぐらい?
『三河物語』には織田軍が旗本近くまで敵に迫られ、徳川の活躍で勝利したという
パターンが既に現れているが、記述はあまり詳しくない。
著者の大久保彦左衛門は姉川当時まだ子供で従軍していないはず。江戸初期の
徳川内部の伝承がソースか。

厳密に同時代史料に限ろうとすると感状と書状ぐらいしかないので、合戦の経過は
まずわからない。感状は個別の武将の戦績に触れるだけだし、書状は勝った側のは
ひどく誇張されているのが普通。

101 :人間七七四年:2007/08/28(火) 09:00:35 ID:1xV1Indr
>>100で「感状と書状ぐらい」と書いたのは一般論で、姉川についての感状や書状は
調べていません。

102 :人間七七四年:2007/08/28(火) 19:02:56 ID:k4ZKJNNz
>>14に>織田方の坂井政尚、子の久蔵はじめ百余兵が戦死とあるが
これっておかしくない?
久蔵が戦死は正しいはずなんだけど、親父の右近政尚は志賀の陣の堅田で討ち死にだよな?
信長公記にも堅田での右近の比類なき戦いぶりが記されているけど、
実は姉川で戦死ってのが正しい史実なのか?

103 :人間七七四年:2007/08/28(火) 19:14:54 ID:uwYuO/Ro
政尚戦死は誤り

104 :人間七七四年:2007/08/28(火) 19:40:21 ID:k4ZKJNNz
>>100
織田側の記録にも朝倉側の記録にも織田が姉川で勝利・大勝利を収めたとは記されていないんだよね
(信長が細川藤孝に宛てた大勝利したよという内容の手紙などの手紙は除く)
織田の大勝利が記されているのは徳川関連の資料くらい

信長公記は姉川の戦いはさらっと書いていて
直後に記された野田福島の戦い、志賀の陣等の織田方苦戦の戦いは詳細に書かれている
姉川で本当に徳川の活躍で大勝利をおさめているのなら、
直後の苦戦を薄めるためにも詳細に記されているはず
記されていないという事は、織田、朝倉・浅井の双方に影響を及ぼすほどの戦いではなかったという可能性が高そう

第一、織田が大勝利を収めているのなら半年もたたないうちに
軍備を立て直して3万の兵を動員するなんて不可能じゃね?

結局のところ引き分けみたいなもので横山城を手に入れた織田が半歩前進した程度の戦いなんだと思う

織田・朝倉の資料には詳細に記されていないのに(記すほどの戦いではないという事かも)
徳川の資料には徳川活躍で大勝利と記されているのを冷静に見ると
やはり徳川の資料の姉川の戦いに関しては徳川史観がかなり適用されてるんだろうな

105 :人間七七四年:2007/08/28(火) 21:05:35 ID:Y2gyxk4m
>>104
姉川の合戦が実際には引き分け程度で双方に大したダメージを与えなかったとすれば、
信玄と信長との対決の参考にはならないということになるか。

しかし双方が1万以上の軍勢の野戦は戦国時代でもそう多くない。普通は劣勢の方は
籠城する。
信玄の野戦としては第4次川中島が有名だが、最終的には謙信を追い払ったとはいえ
あれを大勝利と言う人は多分ない。信長と濃尾のどこかで決戦しても、もし痛み分けの
ような形になったら信玄はいったん撤兵せざるをえないだろうし、そのとき徳川の追撃を
受ける恐れは大きい。
朝倉に挟撃してもらえなくなった時点で信玄にとっては西上はリスクが大きすぎる
バクチになったと思うが、信玄自身は(健康だったとして)どんな勝算を持っていたのか
疑問になる。当初は信長との決戦を考えていたことは確かだと思うが、病気のためだけで
なく次第に迷いが出てきて進軍が遅くなったような気もする。

106 :人間七七四年:2007/08/28(火) 21:36:28 ID:Cn+sgBrj
朝倉が引いた段階で、信長は信玄方面にどんだけの数の兵を入れられたの?


107 :人間七七四年:2007/08/28(火) 21:36:45 ID:6ysyGeLc
姉川については
織田信長は日本最高の過大評価2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1184764790/
の230辺りから500くらいまでいろいろ話がでている

108 :人間七七四年:2007/08/28(火) 22:42:30 ID:k4ZKJNNz
>>105
・戦国期の資料には詳細が記されておらずなぞの多い戦(勝敗すら不明)
・徳川勢の活躍・13段の備え等の江戸期の資料のみに記されていることは
 創作の疑い濃厚という点
という事を考慮すれば信長VS信玄の参考にするのは不適切だと俺は思う

信玄が朝倉さんをまるで役立たずの虫けらの如く非難していたのが
武田の勝算のなさを物語ってるのだと思う

包囲網の主力として一番辛くて旨味もないポジションで頑張ってた朝倉さんはもっと評価されてもいい

>>106
テンプレ>>7によると2万8千は向けられるのでは?らしいよ

109 :人間七七四年:2007/08/28(火) 22:46:55 ID:NyoosPVA
朝倉はずっと織田相手してて一度は信長に土下座までさせてるもんな
義景の暗愚なイメージだけで語られるのも不運だ

110 :人間七七四年:2007/08/28(火) 22:51:38 ID:Cn+sgBrj
2万8千? そんなもんしか兵数いないの?
たいして武田と変わらないじゃん。

国力倍だよな確か。 武田ですら2万2・3千はいたのに、そんなもんなのか。


111 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:07:41 ID:k4ZKJNNz
>>109
朝倉義景個人に関する評価
=朝倉家の評価に繋がってるのが不遇すぎるんだよなあ・・・
「朝倉家」は武田家なんてワロスくらいの活躍ぶりなんだから
朝倉義景と朝倉家をセットにして評価しているのは間違いだよな

>>110
テンプレ>>7の兵力は一万石あたり250人の比較的低い動員率での数字

守る側の織田は更に高い動員率で兵を動員するだろうし
動員は石高以外の要素も絡んでくるから2万8千はあくまでも最低限の数字
実際どのくらい動員できるのかは俺にも分からんです

112 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:08:22 ID:Y2gyxk4m
結果論ではあるが、信玄は信長との同盟を破って攻め込み、大した戦果もなく撤退する
途中で死んだ。
同盟を破られた信長は子の勝頼をも決して許そうとしなかった。

信玄は同盟破りの度が過ぎたな。「同盟」とは言えないが謙信との間でも、弘治元年の
川中島のとき今川義元を煩わせて和平を結んだ。謙信(景虎)がこのことを書いている
手紙や願文が3つほどあるが、

・和平協定を条文化した
・互いに誓紙を書いた
・信玄はそれを破って弘治3年に葛山城に攻めかかった

ということで、これ以後謙信との和解も不可能になった。謙信は永禄7年になっても
「武田晴信悪行の事」という願文の中で、誓紙を書いて翌日ひるがえしたと非難した。
謙信自身には協定を破る意志はなく、弘治2年に国を出奔する事件を起こすが、その
とき恩師に書いた手紙で、現在は国は安全だから自分がいなくてもいいと言っている。

信玄がこの協定を尊重しておれば、やがて強固な同盟に発展したかもしれない。
前スレにも謙信と同盟していればよかったという意見があったが、それができるのは
この時しかなかったろう。
誓紙など大した意味はないと信玄は思っていたのかもしれない。しかし義信が死ぬ
直前に家臣たち200名から血判起請文を取っている。自分が尊重しないものを家臣に
尊重させようというのだろうか。

以上、謙信厨の信玄罵倒でしたw

113 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:08:39 ID:qYzoKRe9
>>110
テンプレのは各地の守備用の兵力を結構多めに取っているからね。

114 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:12:33 ID:Cn+sgBrj
そうだよな2万8千だと少なすぎる。
ってか浅井・朝倉背後に残して、武田に当てる数が2万8千だとやばいよ。
農兵比重高めれば、もう2万は出せるだろな。

115 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:25:51 ID:6KTyer/e
つーか 石高だけみるの危険を承知でながめれば、
織田の尾張一国が、武田の甲斐信濃(川中島当時の領土)に匹敵するんだが・・・

織田が尾張一国をまとめるだけで、武田が苦労して2万8千調達したのと同じくらい、
いや、尾張は商業も発達しているからそれ以上出せる。

織田と武田の差が最もひらいていた川中島の当時であっても、
武田のほうが尾張の何倍も領地が広いかのように見えるが、どっこいどっこいだった。

織田が田楽狭間で今川を今川焼きにしてやった時点で、
尾張一国の求心力を集められることを考えると、この時点ですでにイーブン。

もち武田は、戦争のための組織集団として高度に完成された集団であったゆえ、
石高で比較するのはあまりにも愚かだと君たちに高笑いされるおそれがある。

しかし、そのような武田軍団の圧倒的な熟練は、
武田が農業主体で豪族依存、つまりいつなんどきでもお殿様の指揮命令あれば、
どこでも長躯遠征できるような直轄用兵軍でなかったことで、十分差し引かれる。
織田の尾張は、中世農本主義てきな豪族兵から卒業しつつあり、
織田はいかに弱兵であるとはいえ、信長の意のままの直轄軍である利があった。

極め付けに、石高は農業ベースでしかないのだが、これに商業要素を加えると、
もはや、尾張一国>>>>>甲斐信濃全部、は圧倒的に明らかになってしまう。
尾張のとなりの美濃や伊勢、近江は、尾張に勝るとも劣らないほどの超一流先進地域。

これだけ考えれば、武田が織田を踏み潰して煮っ転がしにするチャンスは、
最初からあまりなかったということになる。









116 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:32:20 ID:CboqA79k
なんか、信長が兵農分離していたかのような書き込みが増えてるな…
過去ログ探せ。

1万石当たり250人てのは、
武田騎馬隊が存在するとした、日本陸軍の算出した数字だよね

たしか、明智は1万石あたり400人ぐらいの農兵を動員していた
というのを見たことあるな

117 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:33:43 ID:Cn+sgBrj
兵数はよくわからんよな。ほんとのとこは。
長曾壁なんて土佐一国でいくら出してたっけ?

118 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:39:35 ID:6KTyer/e
ごめん兵農分離の有無はよくわからないで思い込みはいっとるが、

言いたかったのは、日本地図帳を見ると、

川中島で上杉と喧嘩していた時期でさえ(織田が弱小であった時期でさえ)、

つまり、外見上、信玄坊主>>>>>>>>織田のバカトノ に見えたじきでさえ、

戦争力を支える経済力では、ほとんど同じくらいだったということ

日本地図の面積でだまくらかされるの愚を冒しそうになるが、そうではなく、

経済力換算では、織田弱小でも十分甲斐信濃に匹敵できた

つまり、南近江、美濃、伊勢などのエリート地域を加えた織田の勢力には

尋常では歯が立たなかろうとうこと。

それは武田お得意の風林火山軍や、近畿のアンチ織田厨の活躍で減殺できたが、

つまりは、それだけガチでは難しかったということである。

甲・信が濃・尾・勢・江と争うのは、旧日本が米国に戦を仕掛けるくらいの経済格差がある。



119 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:43:10 ID:6KTyer/e
連投スミマセンが、

土佐の石高ってほんとおどろくぐらいに少ない
あれだけの国の広さがあって、7万石くらいだっけ?

その彫塑壁が、なんで四国を席巻できたのか驚きだ。
もち、三好のガタガタもあったろうし、河野も一族内紛あった。

それを差し引いても、7万石はちょいと少なすぎないか?
土佐兵はそれほどフィジカル強そうだという結論だ。

よろしく。





120 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:50:42 ID:yGwXyvSS
>>14くらい分析してくれないと詰まらんな。信長公記をなぞるだけのスレなの?

121 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:52:57 ID:xuRJDTBt
>>120
分析と>>14みたいな講談の引用とじゃまるで意味が違うわな

122 :人間七七四年:2007/08/28(火) 23:56:19 ID:yGwXyvSS
講談で榊原の迂回した断崖の高さや姉川の水深までかかれちゃいないよ。

123 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:01:34 ID:xJKleO36
>>120
どっかのサイトか本の内容を丸写ししただけで分析扱いするのかw
参戦してるはずのない武将が参戦してたり、>>64
生き残ったのに戦死になったり>>102と突っ込みどころ満載のあの文章を君は評価するわけねw

>>122
>>14の奴が断崖の高さや水深を測定したわけじゃないだろ
ただ本か何かを丸写ししただけのこと

124 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:03:20 ID:DC8oJTuk
俺の書き込み無視すんなや



125 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:06:25 ID:F3rouwbt
いったいどこのサイトを丸写しにしたといってる?参考までにおしえてくれ。
それと何故そこまで14氏をめのかたきにしてるのか理解できない。

126 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:12:46 ID:7vGlKDH2
>>125
それは>>14が何をもとにしたか言ってくれればそれでOKじゃね
それと目の仇にされているんじゃなくて120とか ID:zlnch2GIみたいなのがいるから
何回も引き合いに出されて否定されるだけじゃ


127 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:15:52 ID:F3rouwbt
おまえなあ自分の発言にもっと責任もてよ。どこのサイトを丸写しってのはデタラメなのか?

128 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:17:34 ID:4sV0ZAu0
>>112
>同盟を破られた信長は子の勝頼をも決して許そうとしなかった。
勝頼が信長と徹底抗戦の構えを見せたのは事実だけど、
「信長は子の勝頼をも決して許そうとしなかった」というソースは?
信憑性は疑問だが軍鑑には信長が勝頼と和を結ぼうとしたという記述がある。
>信玄がこの協定を尊重しておれば、やがて強固な同盟に発展したかもしれない。
三国同盟締結後にウエケンとも和睦したら何処にも進出出来なくなって
結局相駿越の何れかとの同盟を破らざるを得ない。
早期の戦略転換には配下も反発するわな。
義信事件の頃より屋形の力は弱いし、乱が起きれば収束は困難。








129 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:26:56 ID:vKojq1ss
ソース馬鹿だらけだなここw

130 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:29:26 ID:7vGlKDH2
>>124
あなたの書き込みって長宗我部のこと?
あの7万石は長宗我部の直轄地だけで土佐全体の石高じゃないって話しじゃ
慶長検地だと20万石くらいになっていたと思う

>>127
それなら14がまずソースをはっきりさせるなど責任持つべきなんじゃ
まあ自分で書いたのか丸写しかは分からないけど、突込みどころが多いから
どっちみち信憑性無いと思うが

>>128
丁度木曽を服属させた時期だから西に進むと言う方法も無いわけじゃないけど
いずれ謙信と北条が関東で争いだしたら、また謙信と戦うしかないような気もするので
結局は和約破棄しそ

131 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:32:46 ID:xJKleO36
>>125
戦国期の記録が殆ど無く詳細が不明な姉川の戦いの事を
ソースもなしに長々と書けば叩かれることはあっても褒められることはまず無いでしょ

>>127
サイト・本を丸写ししたのかどうかは>>14が説明するか、
同じ文章が載ったサイト・本を誰かが発見しないことには不明
いろんなサイトや本から>>14の人が抜粋してつなぎ合わせた可能性もあり

ただし坂井右近が戦死していること・朝倉景紀が参戦していること
この2つの間違いがあるのを見る限り、
ただ漠然とどっかのサイトか本を丸写しした可能性が高いと俺は見る
(文章を抜粋して繋ぎ合わせたのならこんなミスしないだろう)

>>128
勝長を織田に返還して和睦を求めたけど信長に一蹴されたってのを基にしてるんじゃね?
それだけじゃ根拠として薄いけどな

>>129
情報が乏しい姉川の戦いに関してはソースを提示しない(ソースが信長公記・始末記
の場合は提示する必要ないと思う)とダメに決まってるだろ

132 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:34:22 ID:kAHnG+79
ID:ZQkBv71U= ID:F3rouwbtだな

ソースなければ一蹴するのは当たり前、推論するにも元となる史料提示するのが当然
でなければ、ただのオナニーの押し付け合い

133 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:37:03 ID:kAHnG+79
>>130
豊臣政権下の長宗我部氏は、あくまで一条家の陪臣という立場だったんで、
他の一条家系の家臣の領土は含まれてないんだっけ?



134 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:38:46 ID:F3rouwbt
14氏が言うには前スレの982がソースだろ。どういう切り口で調べたのかは聞いてみたい所だな。

135 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:40:58 ID:7vGlKDH2
>織田方の坂井政尚、子の久蔵はじめ百余兵が戦死とあるが
これってさ
坂井政尚、子の久蔵
政尚と子の間の読点はandの意味じゃなくて政尚の子でもある久蔵と
言いたいんじゃないか?
姉川で坂井政尚を戦死扱いする話しやサイトは見たことないし

>>133
確かそうだったと思う

>>134
あんな史料の羅列に何の意味がある?

136 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:45:14 ID:kAHnG+79
>>134
>>14のソースが前スレの982?

嘘だな、982には使われてない史料が元ネタの話があるし、そもそも>>14がそんな事書いてない
ID:F3rouwbt=>>13なら話は別だが

137 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:47:37 ID:xJKleO36
>>134
お前なあ・・・
前スレ982なんてただ資料名を37個漠然と並べてるだけだろうがw

>>135
>政尚と子の間の読点はandの意味じゃなくて政尚の子でもある久蔵と
言いたいんじゃないか?
好意的に解釈すればそうなるし、多分そうだろうね
文法的にはそう解釈できるのかな?文法はあんまり自信ないorz




138 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:49:41 ID:F3rouwbt
図書館で東照軍艦や武功覚書、他いくつかは見たことあるから適当に並べた訳じゃないのは知識が不足してる俺でも分かるよ

139 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:50:02 ID:xJKleO36
>>136
なんでID:F3rouwbt=>>13なんだ?
レス番間違ってね?

140 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:53:07 ID:xJKleO36
>>138
じゃあお前は>>14は適当に並べずに朝倉景紀が参戦してると書いたとでも言うのか?

141 :人間七七四年:2007/08/29(水) 00:56:40 ID:kAHnG+79
>>139
あぁ、>>14の間違いね

>>138
では問うが、翻刻されてない、出版・刊行されてない史料はどうやって内容確認したのかね?

142 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:02:31 ID:7vGlKDH2
>>14は他にも突込みどころがあると思う
池田みたいな馬廻クラスが佐久間柴田と並ぶ兵を持っていたり
堀などが付けられる前の秀吉が3000も兵を率いていたり

あと竹中が見破って遠藤討ち死にって
『倒れた味方の首を持って織田方の将になりすまし信長を暗殺しようと近づくけど、
顔見知りだった竹中半兵衛の弟、竹中久作に見破られ討ち死に』だけど
こんな逸話を本気で信じていいのか?

関係無いかもしれないけど通説で稲葉が織田を離れて徳川について
織田軍みたいに苦戦していないというポーズをとっているのは
稲葉が春日の局と縁があるからかね

あと徳川の小笠原って三方ヶ原でも一軍率いていたことになっているけど
何でこいつが?武田信玄が落とせなかったということで有名な高天神の城主だけど
石川酒井の東西三河衆の旗頭と並ぶような立場じゃないと思うんだが

143 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:05:21 ID:F3rouwbt
>>141
具体的にどの文献か言ってくれ。もっともそのしつもんする自体あれだが。

144 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:11:33 ID:kAHnG+79
>>143
具体的に書かないと、どれだかわからないのに、どうして>>14のソースが前スレ982だとわかるんですかぁ?


145 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:14:59 ID:EtbP/I7J
IDだろ。なんか言いがかりとは止めようぜ。
もっと建設的に話できないかな。

146 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:18:53 ID:FTTaQXPS
>>137
「織田方の坂井政尚、子の久蔵」ではなく、
「織田方の坂井政尚の子、久蔵」という意味。

好意的に文法的に後者の意味に取るためには、
やはりタイプミスがあった、と想定しないと
無理だろうね。上段の書き方ではやはり、and
にしか取りようが無い。

147 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:24:06 ID:kAHnG+79
>>145
IDは同じ人間が書いただけで、>>14の内容のソースが前スレ982だという根拠にはならないんだけど
言いたい事わかるかな

誤りが多く、使われてない史料を元にした経緯が書かれてたりする
これでは前スレ982は、単なる史料名の羅列にすぎず、>>14がこれを元に書いたなどとはとても思えないから、
>>14のネタ元を皆が問うてるのだが、今だ返答なし

148 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:25:56 ID:xJKleO36
sageない事、空気読めないというか的外れな発言から
ID:M6ZOtYx3=ID:ZQkBv71U=ID:F3rouwbtという事は濃厚だなw

>>146
文法の解説サンクスです

149 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:31:28 ID:F3rouwbt
また推測だけで根拠のない非難かw
おまえらが質問すべき相手は俺じゃなく14氏だろ。
俺でもわかる事は応えてやるが・・

150 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:34:53 ID:kAHnG+79
推測=根拠がある
憶測=根拠がない

>>149
答えられないのだったら、ROMっとけ

151 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:36:02 ID:xJKleO36
ID:F3rouwbtなら劣化版メガトン量産型くらいになれるのかもと期待したが、
やはり無理か・・・
この会話のキャッチボールのできなさというか的外れさは致命的すぎるな・・・

152 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:44:40 ID:F3rouwbt
おまえら叩くときだけ元気だからな。レスしたらもう次のレスがある。しかも中身のないうんざりするような底辺の奴な。
朝倉については記述がほんとに少ない。東照宮御実記とかは朝倉軍としか載ってない。そのへんは14氏にきいてみたいが・・

153 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:49:40 ID:7vGlKDH2
>>104
>第一、織田が大勝利を収めているのなら半年もたたないうちに
>軍備を立て直して3万の兵を動員するなんて不可能じゃね?
この時の場合は朝倉軍は一部だったからじゃないの
それと滋賀の陣の時は一向宗の協力もあったし

154 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:49:43 ID:kAHnG+79
ID:F3rouwbtのレス
>>125>>127>>134>>138>>143>>149>>152

中身が全くない、こちらが問うても答えられずに論点ずらしに必死なうんざりする底辺のレスの典型ですな

155 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:54:25 ID:F3rouwbt
答えたつもりだが何が気に入らない。おれは14氏じゃないし、おれが読んだ文献しか答えられない。だからどの文献か?と聞いている。

156 :人間七七四年:2007/08/29(水) 01:56:11 ID:EtbP/I7J
ID:kAHnG+79おまえの方が中身無いよ。ID:F3rouwbtは筋通った言い分だ。

157 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:00:48 ID:kAHnG+79
>>155
読んだ文献を答えろとは書いてない
翻刻されてない史料をどうやって読んだのか?と聞いてる

つか東照宮御実紀附録、四戦紀聞、常山紀談などは図書館行けば誰でも見れる

あ、それなら「東照軍艦」はどうやって見たのかね?
どんな形式で、どうやって閲覧したのか、また冊巻の詳細求む

158 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:09:34 ID:F3rouwbt
東照軍鑑は徳間書店の桑田忠親・山岡荘八の奴だったかな。

159 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:15:45 ID:kAHnG+79
>>158
ヲイ、それは「日本戦史」の現代語訳本で、「東照軍鑑」じゃないぞ


160 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:15:56 ID:7vGlKDH2
>>157
常山紀談とかじゃ姉川は
長沢の誰かに斥候させて隙を見つけて
そこに横槍をいれるとかだったっけ?

>>158
東照軍鑑って刊行されてたか?
美濃本写本以外にあったっけ?

161 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:16:42 ID:7vGlKDH2
>>159
やっぱりそうか

162 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:19:48 ID:kAHnG+79
誤解ないように付け加えると、「日本戦史」の中に「東照軍鑑」からの抜粋は確かにある
あるが、それなら信長公記や浅井三代記に朝倉始末記も含めなきゃならんし、内容が被るのもある

大丈夫か?

163 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:31:25 ID:FTTaQXPS
>>162
あなたが論拠、語句、文意に敏感で議論に誠実であろう
としていることはよく解るんだけど、この数時間の応酬
は、端から見てると不毛と言わざる得ないところにきて
ますよ。この件は、これぐらいにしませんか?

164 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:33:36 ID:F3rouwbt
東照軍鑑の記述はこんなかんじ。
信長公が、源君へ加勢を頼まれたのは、元亀元年の六月十一日のことで、管屋九郎右衛門ジョウをもって申し入れられたのである。
したがって、二十五、六日ころには、関ヶ原まで出馬してまいるとのことを申してよこされたのに、源君からはいまだ何の便りもなく、信長公は、いても立ってもいられないほど、待ちかねておられた。
そこへ、源君が榊原小兵太康政を遣わして、内々で申し合わせた如く二十六日に近州春照へ到着するということを、信長公へ知らせてきた。信長公は大へん喜ばれて、急いで竜ヶ鼻へお出で下さるようにと、康政に管屋九郎右衛門ジョウを差し添えてよこされた・・・
まだまだ続くが見たい?

165 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:38:42 ID:7vGlKDH2
>>163
まあぶっちゃっけ
江戸時代の史料じゃどの程度役に立つか怪しいしな
信頼できるソースから考える方が建設的だろな

166 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:42:30 ID:kAHnG+79
日本戦史なら原本の姉川役に目を通したから書かなくてよい>>164
書くなら原本にある「東照軍鑑」の原文のがいい

>>163
無駄なんだけど、こういうのは叩かないとこれを正しいという前提にする阿呆がいるからね・・・
史料からの原文抜粋なら明日からでも出来るけど、やってみようか?

もちろん、翻刻されてるもの限定なんだけどね

167 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:43:23 ID:F3rouwbt
東照軍鑑はどうでも良いのか・・まあ他にもあれば俺の知ってるソースは挙げてやる

168 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:46:41 ID:EtbP/I7J
>>無駄なんだけど、こういうのは叩かないとこれを正しいという
>>前提にする阿呆がいるからね・・・

なにを偉そうに。ID:kAHnG+79は叩くだけで何一つソースすら挙げてないじゃないか。


>>原文抜粋なら明日からでも出来るけど、やってみようか?

何の意味があるの?自己満足か?

169 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:51:16 ID:7vGlKDH2
>>164

でも話題の争点はその次あたりからなんじゃないの?

>>166
個人的にはやって欲しいけど
あまり無理しないでくれ
あれは非常に面倒だし

>>167
ってか時代が進んだものとかは真相を知るにはあまり意味なくね
どのように話しが膨らんでいったかを調べるのには有用だろうけど

170 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:51:38 ID:kAHnG+79
>>168
は?ソースないのに肯定するからおかしいと言い、ソースを求めてるんだが?
今までのレス見てみろ、皆ソース聞いて疑問呈してるだろ

原文抜粋は意味あるぞ
原文一つでも人によって解釈が違ってくる
それの意味がわからないなら、お前と話すことはない

そもそも、お前は何がしたいのか言いたいのか、さっぱりわからん
俺に固執して粘着してるだけ

171 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:51:49 ID:F3rouwbt
意地になってるんだろ。悪いが原文そのままは知らない。ついでに日本戦記なるものじゃかったはず

172 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:54:13 ID:EtbP/I7J
>>俺に固執して粘着してるだけ

ID:kAHnG+79おまえな。おまえのレスほぼ全部ID:F3rouwbtへのレスだぞ。
粘着してるのはお前だろ。何一つソースも分析も挙げないのは本当だし。

173 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:56:43 ID:kAHnG+79
正確に「日本の戦史」と書けばいいのか?>>171

これは参謀本部編纂の「日本戦史」の現代語訳本
参謀本部編纂の原本には、合戦の経緯を参謀本部なりに推察した内容がある本編と、
それを構築するにあたり使われた史料の原文の抜粋がある附録とがある

174 :人間七七四年:2007/08/29(水) 02:58:52 ID:kAHnG+79
>>172
お前にそっくり返す、お前の今までのレス読み返せ
俺は>>14のソース・内容、史料等の話をしてる、お前は何?


175 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:02:06 ID:EtbP/I7J
全部ID:F3rouwbtに答えさせといて何言ってるんだこいつw
お前のレスは全部言い掛かりだろ。何一つ建設的でない。

176 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:02:14 ID:Swm2aUOg
ID:kAHnG+79がソースあげなきゃならんようなID:kAHnG+79のレスがどこにあるんだろうか。

177 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:06:28 ID:EtbP/I7J
んじゃはっきり言ってやる。ID:kAHnG+79こいつの内容は全てGoogle検索で集めれる程度。
その点ID:F3rouwbtは立派にソースも挙げれる中身のあるレス。

ID:kAHnG+79おまえ馬鹿だろ

178 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:08:47 ID:7vGlKDH2
>>177
正気で言ってるのか?
傍から見ていてID:F3rouwbtの方がネットで集めたのか適当な知識で語ってるだろ
話しがおかしすぎる
ID逆になっていないか?

179 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:09:30 ID:kAHnG+79
>>175
言いがかりとな?どこが?

>>14の話をしてたら、ID:F3rouwbtがこれをソースなしに肯定しました
だからソース・内容・史料等の話をしました

それに対して、 ID:EtbP/I7Jは噛み付くだけ、イミフ

>>177
へぇ、ググって集められるんかw
何をググるんだ?

180 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:10:06 ID:Swm2aUOg
…本当に意味がわからん。立派にソースも挙げれるってそれだってGoogleで出来るんじゃ…
てかそもそも追及する側がなんで相手のためにソースあげるんだ?
相手の出したソースに対する反論ならまだしも。

181 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:12:22 ID:OR+duf2i
というわけでID:EtbP/I7Jに
>Google検索で集めれる程度。
を証明する義務が生じました。お前のレスが基地外の妄言じゃないことを祈るよ

182 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:12:26 ID:EtbP/I7J
ID:kAHnG+79んじゃお前姉川に関する資料をソースつきで挙げてみろ。
Google使ったってすぐ分かるぞ?

183 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:14:18 ID:EtbP/I7J
>>…本当に意味がわからん。立派にソースも挙げれるってそれだってGoogle
>>で出来るんじゃ…

おまえGoogleしらないのか?>>164をググッて検索結果何件だ?

184 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:14:42 ID:kAHnG+79
>>182
>ID:kAHnG+79んじゃお前姉川に関する資料をソースつきで挙げてみろ。
日本語で会話してくれるか?

資料をソース付で説明とはどーいう事かね????

185 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:15:24 ID:EtbP/I7J
受けるw 言葉尻で食いつくしかできなくなってんのw

186 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:15:56 ID:OR+duf2i
>>184
資料の資料の資料(ry
と言い続けて全てをはぐらかすつもりなんだよきっと

187 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:16:43 ID:EtbP/I7J
おまえだろそれw

188 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:20:05 ID:EtbP/I7J
これがID:kAHnG+79の本性だよ。蓋を開ければ自からは何一つ知識が無い。

この後の展開はID:EtbP/I7Jはキチガイ〜っで何事も無かったように終了だろ?w

189 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:20:44 ID:Swm2aUOg
なんかまた意味不明な要求をしてるな…
>>183
うん、30件だね。で、それが?知ってりゃその名前入れて検索すりゃ済む話だからねえ。
>>187
自分の無知を棚にあげるのはカッコ悪いよ。あまり適当では無いが、過ちて改めざる、之を過ちと謂う。

190 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:20:45 ID:7vGlKDH2
ID:EtbP/I7J
現状煽るだけのお前が一番邪魔
少しはまともなレスをしてくれ

191 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:25:01 ID:kAHnG+79
お〜い、頼むよ
言葉尻とかじゃなく、マジで意味わからんぞ????

史料名が欲しいのか、史料にある原文の抜粋が欲しいのか、全く意味がわからんのだけど
姉川関連の史料名が欲しいなら何上げても、グーグルネタと言われかねんしなぁ・・・

例えばさ、御前神社文書にある調符で荘郷に課けられた棟別銭の記録も、姉川関連の史料っちゃあ史料だし、
何をもって姉川関連の史料とするのかね?
合戦経緯のみ?

192 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:25:17 ID:EtbP/I7J
>>うん、30件だね。

ハア? じゃ該当のアドレス挙げてみろ。おまえらすぐ適当な嘘つくからな。

193 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:26:45 ID:EtbP/I7J
ID:kAHnG+79おまえ日本語分からないのか?Googleで検索できる事以外の
姉川に関する文献の中身を>>164のように載せてみろっつってんの。

散々えらそうに振舞っといてそれくらいできるよな?つってんの。本当の馬鹿だな。

194 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:30:15 ID:7vGlKDH2
>>191
>例えばさ、御前神社文書にある調符で荘郷に課けられた棟別銭の記録も、姉川関連の史料っちゃあ史料だし、
それ知らないや
詳細を求む

195 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:31:34 ID:Swm2aUOg
>>192
該当のアドレス?俺はただ単に「東照軍鑑」でやっただけなんだがね。
で、
>ID:kAHnG+79んじゃお前姉川に関する資料をソースつきで挙げてみろ。
Google使ったってすぐ分かるぞ?


から


>ID:kAHnG+79おまえ日本語分からないのか?Googleで検索できる事以外の
姉川に関する文献の中身を>>164のように載せてみろっつってんの。

散々えらそうに振舞っといてそれくらいできるよな?つってんの。本当の馬鹿だな。




どっちが日本語わかんねえんだか…

196 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:36:17 ID:EtbP/I7J
東照軍鑑じゃ>>164の内容は出てこない。

>>…本当に意味がわからん。立派にソースも挙げれる
>>ってそれだってGoogleで出来るんじゃ…

これ今すぐID:F3rouwbtに謝罪しろよ。せっかく書いてくれたのにお前自分の発言分かってんのか?。

197 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:39:47 ID:kAHnG+79
>>193
お前の日本語を解読するのが難解だから聞きなおしたんだが・・・

つか
>Googleで検索できる事以外の姉川に関する文献の中身を>>164のように載せてみろっつってんの。
グーグルで検索してあるかどうか調べて書けと?
んなもん知らんわw

>>194
いや、簡単なやつだよ
単に「江州北郡へ兵糧料として仰せ出され候って書いてるだけ」
一応、元亀元年の4月のヤツで、普通は棟別銭は現金なのに、ここでは兵糧米で支払いしてるというだけ
この当時から朝倉側の戦費調達が結構苦しかったという事情が垣間見えるっつーだけの話ですな
似たようなのが誓願寺文書にもあるらしいので、ほぼ間違いないらしい

198 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:42:57 ID:EtbP/I7J
ID:kAHnG+79こいつ無知決定。んじゃこれにて終了

199 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:46:50 ID:Swm2aUOg
>>196
いやなんで俺が謝る必要があんの。ID:EtbP/I7J、お前の意味不明な日本語に言ったのに。
>>198
とりあえずお前が一番無知、ってか愚かなんじゃない?そもそもインターネット使っててインターネット否定しますか。
Googleで検索できる程度、って…正直失笑しか浮かばないんだけど。

200 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:48:08 ID:kAHnG+79
津田文書の信長書状による浅井・朝倉の兵数はグーグルにあるかいな?

201 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:48:19 ID:7vGlKDH2
>>197
元亀元年じゃ朝倉は直接関係無いんじゃ
長政離反が4月26日だから
織田を討つための兵糧の用意か?

202 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:50:38 ID:kAHnG+79
>>201
出兵準備と考えていいかと
この当時の朝倉が近江北部への出兵をするとすれば、対織田以外にないからね

203 :人間七七四年:2007/08/29(水) 03:56:14 ID:7vGlKDH2
>>202
その書状は朝倉家が出した文書なの?

ただ兵糧なのは東日本より西日本の方が貨幣の価値が下がっていたからかもね

204 :人間七七四年:2007/08/29(水) 04:13:30 ID:kAHnG+79
>>203
調符だから朝倉家の奉行が出してる、誰かまでは忘れた・・・
確か解説によると、調符にしてもこれほど直截的な表現による徴収は珍しいらしい
なので、よっぽど性急かつ逼迫していたと言う事らしい

銭の価値の下落は、信長による分国内の関所撤廃が原因で、
段銭・棟別銭に拠った経営してた朝倉氏は大打撃だったと佐藤圭氏は主張してるね
銭の価値が3分の1に下落したんだとさ

205 :人間七七四年:2007/08/29(水) 04:20:31 ID:7vGlKDH2
>>204
前半
江北に出しているから浅井家の文書かと勘違いしていた
確かに兵糧料として出せと言うのは珍しい気がする

後半
そうそれのこと
だからこそ余計に米として欲しかったんじゃないかと思った

206 :人間七七四年:2007/08/29(水) 07:57:45 ID:0bOw5cBV
>>128
> 「信長は子の勝頼をも決して許そうとしなかった」というソースは?
これは鴨川達夫氏の『武田信玄と勝頼』の説。

謙信との同盟については少々無理があるかもしれない。謙信側がその後関東に
進出するなら北条とは対決せざるをえないし、そうなれば武田は北条との同盟を
優先するだろうから上杉とは手切れになって、長持ちしなかったとは思う。
要はそういう客観情勢の成熟を待たずにいきなり同盟を切るようなことが多いと
言いたかったわけ。

信玄の今川攻めについては、上記鴨川氏の著書では今川側の動きとも連動して
その方向に押されていったような解釈で、たとえば今川が上杉との同盟交渉に
入ったのが直接のきっかけとされているので、「いきなり」には当たらないかも
しれない。

207 :人間七七四年:2007/08/29(水) 10:36:19 ID:0sbEpblf
そりゃあ長年同盟組んでいたのに、いきなり背後から刺しに来たんだからな
「信長に見捨てられたら信玄滅亡」という危機にも手を貸してやったのに
特に後半生の信長は、前半生に見られた寛容さがかなりなくなっているから

208 :人間七七四年:2007/08/29(水) 11:24:26 ID:mRAu9C6L
>>204
スカしたレスしてんじゃねー、このヴォケがっ!!
お前がさっさと写真をうpするなり、その調符とやらの内容を書くなりしてりゃ、
こんなに荒れることもなかったんだよ
それにこの展開の大本が、お前の態度が気に喰わない、ってところにあることぐらいすぐに気付けや
つーわけだから、さっさとやれ
わかったな?

209 :人間七七四年:2007/08/29(水) 11:48:38 ID:EtbP/I7J
いやそれはD:kAHnG+79の主張じゃなく佐藤圭の本に載ってるだけ。
「戦国大名朝倉氏と一乗谷」だろ?


210 :人間七七四年:2007/08/29(水) 17:15:12 ID:dGBzCQm9
何だか知らんが荒れてるから姉川の史料を少しアップしてみる。
(ID:kAHnG+79とは別人です)

※以下、「衆[→者]」とあるのは「衆」をミセケチで「者」に訂正している
ことを表す。また〔 〕内は割注。

織田信長書状案
(細川藤孝宛、羽前津田文書、『増訂織田信長文書の研究』241号)

今日巳時越前衆[→者]并浅井備前守、横山為後詰、野村与申所迄
執出、両所備人数、越前衆[→者]壱万五千計・浅井衆[→者]五六千
も可有之候歟、同刻従此方切懸、両口一統ニ遂合戦、得大利候、
首之事更不知校量候間、不及注候、野も田畠も死骸計候、誠為天下
大慶不過之候、小谷之城雖可攻崩、山景之由候間、先相抱候、畢竟
落居不可有程候、両国共ニ武篇之一儀、非物之数候、江北之事者
属平均候、横山楯籠候(者ヵ)共種々詫言申候へ共、可討果覚悟候、
可為今明日之間候、即佐和山之儀申付、直ニ可致上洛候、此等之趣
可有御披露候、恐々謹言、
                  織田弾正忠
   六月廿八日            信長
    細川兵部大輔殿
  今度岡崎家康出陣、我等手廻之者共、一番合戦之儀論之間、
  家康被申付候、池田勝三郎・丹羽五郎左衛門相加、越前衆ニ懸
  候而、切崩候、浅井衆ニハ手廻之者共ニ、其外相加相果候、何も
  以抽粉骨候、過御察候、以上、

【要点】信長の手廻りは浅井に、徳川軍は池田恒興・丹羽長秀を加えて
朝倉軍に当たる。

211 :人間七七四年:2007/08/29(水) 17:16:42 ID:dGBzCQm9
『当代記』巻一(『史籍雑纂』二)

「(元亀元年六月)十九日、信長北近江へ進発、小谷町中悉放火、敵
防戦及度々、浅井人数八千有之、此時退口を被掛大事、左右に土手を
築、佐々内蔵助簗田出羽守中条将監に仰付、各大身の者可為殿之由
雖言上無承引、此小身之衆殿也、諸手より鉄炮五百挺、信長之弓之衆
五十人被相添、敵聚相慕之間、度々及合戦、無異儀被引取、簗田少
手負、信長横山城被取巻、越前より浅井為加勢、朝倉孫三郎〔義景甥、
又聟也〕為大将一万の人数指立る、浅井父子同六月廿六日、大寄山に
陣取、信長龍鼻に陣取給、其間五十町也、家康依信長仰出馬し給、
廿四日に、彼所に着給、信長快悦不斜、廿七日、北敵野村三田村江移、
終夜相催、未明に打出、於姉川及合戦、初合戦信長家康之方被押立、
左は家康自旗本押直之間、越前衆敗北、右は信長幡本へ相合へきところ
に、稲葉伊予守よこ鑓に懸、浅井敗北、敵数多被討捕、茲に越前の侍に
真柄十郎左衛門と云者、大太刀を以無類に働、家康家中匂坂式部、并
息六郎五郎得之、横山城退散之間、被移木下藤吉、磯丹波自合戦場
直に佐和山へ移相籠之間、丹羽五郎左衛門、百々か屋敷に被指置、
彦根山に川尻与兵衛、北の山に市橋、南山に水野下野守被置、信長
家康有上洛、義昭賀し被申、さて美濃へ被相下、此姉川合戦之悦として、
信長より家康へ長光の刀被進、是を後三川長篠の城開運し時、家康より
奥平九八郎信昌へ被下、此刀は元三好下野守刀、其後光源院殿の御物
なりしを、信長御手に入、」

【要点】はじめ信長・家康とも押されたが、左方は家康の旗本が押し返して
朝倉軍が敗北、右方は稲葉一鉄の横槍で浅井軍が敗北。

212 :人間七七四年:2007/08/29(水) 17:20:40 ID:dGBzCQm9
『三河物語』(日本思想大系『三河物語・葉隠』)

「然ば、信長、北之郡え御〓(ハタラキ)被成候ハント思召処に、越前衆ハ出、
方々に取出を取、都え之行通ヲ止メントテ、三万余にて出けれバ、
(中略、軍議で家康が一番合戦を担当することが決まる)
家康之仰ニハ、「明日廿八日之合戦に、今日廿七日に是え付て、一番陣を
請取事、天道之与なり」と被仰、御喜説カギリ無。
 元亀元年庚午六月廿八日の曙に押出給えバ、越前衆も三万余にて押出ス。
信長之一万余、家康之人数三千余にて、互に押出て、北風南風、責〓(タタカ
ウ)処に、家康之御手より切崩シテ、追打に打取給えバ、信長之御手ハ旗本
近ク迄切被立、各々爰ハの衆ガ打レケレ共、家康之御前ガ勝て奥ヱ切入給
えバ、敵モ即敗軍シテ、不被残打取給ひて、「今日之合戦ハ、家康之御手柄
故、天下之誉ヲ取」ト、信長モ御感なり。
 信長、其より此方彼方押詰サせ給ふナラバ、近江之儀ハ申に不及、越前迄
モ切取せ給ハンに、惣別、信長ハ「勝て〓(カブト)之緒ヲ締メヨ」トテ、其儘、
岐阜ヱ引入給ふ。」

【要点】家康の手勢が敵を切り崩した。信長は旗本近くまで敵に切り立てられて
いたが、徳川軍が敵軍の奥まで切り入ったため敵は敗北。

213 :人間七七四年:2007/08/29(水) 17:27:38 ID:dGBzCQm9
『信長公記』は普及していると思われるので入力しません。

この3つを比べると、
●戦った相手……信長が浅井勢に、家康が朝倉勢に当たったとする点で信長書状と
当代記は一致。
●信長軍のピンチ……信長書状は触れず。当代記は信長・家康とも最初押されたと
する。三河物語は信長が押され、家康が勝ったため敵が崩れて信長が救われたように
記す。

以下、何か面白い史料があればお願いします。ただ個人的にはこの問題を追及しても
「信長軍は弱い」というような結論は出にくいと思うので、このへんで本筋に戻っても
よいと思います。

214 :人間七七四年:2007/08/29(水) 17:33:38 ID:xJKleO36
姉川の戦いの詳細はまだまだ不明
よって信玄と信長の対決に参考するのには不適当
なんだからもうこの話題止めにしないか?
これ以上この話題ひっぱると荒れる一方だよ・・・
まさか姉川の戦いネタがこんなに長引くとは思わなかった

215 :人間七七四年:2007/08/29(水) 19:09:57 ID:EtbP/I7J
ID:dGBzCQm9 GJ。


>>214
>姉川の戦いの詳細はまだまだ不明

ID:xJKleO36おまえのレスを抽出すると半分以上煽ってるだけ。あらしてんのはおまえ自身。
理解してるか?

216 :人間七七四年:2007/08/29(水) 19:51:03 ID:uJDcgupg
久しぶりにスレ見たらここ2日ほどですごい伸びてるからメガトンさん復活したのか
思ったら違ったのかw
いくらなんでも脱線しすぎだろ
そろそろスレの本題に戻ろうや

>>215
お前とID:F3rouwbtもスレが荒れた要因の1つだと思うんだがね




217 :人間七七四年:2007/08/29(水) 19:54:02 ID:EtbP/I7J
おまえID:Swm2aUOg=ID:kAHnG+79だろw

218 :人間七七四年:2007/08/29(水) 20:25:39 ID:uJDcgupg
>>217
ID:Swm2aUOgとID:kAHnG+79は同じ時間帯にレスしてるんだから
ID:Swm2aUOg=ID:kAHnG+79とか無理なんじゃないのか?
1つのPCでIDを使い分けるとかできることなのか?

というかなんで俺=ID:Swm2aUOg=ID:kAHnG+79なんだよw
お前に対してレスしたらID:Swm2aUOg=ID:kAHnG+79=レスした奴になるのか?

ID:Swm2aUOgの人でもID:kAHnG+79の人でもいいからレスして俺は別人だと証明してくれ
レスがなかった時は俺が涙目になっちまうんだろうなw



219 :人間七七四年:2007/08/29(水) 20:29:47 ID:EtbP/I7J
キモ

220 :人間七七四年:2007/08/29(水) 20:29:51 ID:dGBzCQm9
あんたらが同一人だろうが別人だろうが、まともな議論してくれ。

221 :人間七七四年:2007/08/29(水) 20:46:23 ID:Qu165SUF
下一桁が英字なのがPCで、下一桁が数字なのが携帯じゃなかつあたか?
PCと携帯を使えば同時間帯の自演なんて簡単だが

222 :人間七七四年:2007/08/29(水) 20:52:04 ID:78Vf/5do
>>104
軍事的には横山城を奪い近江の足場を得た位だけど
金ヶ崎から少数で逃げ帰った信長が朝倉軍を退け上洛する事で
健在ぶりをアピール出来たんだから政治的には大きいよ。
明確な資料がない分、貢献した徳川方の話に尾ひれがついて
姉川七本槍による姉川合戦などが描かれたんじゃないかな。
志賀の陣などの朝倉側の強勢ぶりを見ると
次々と勝ち馬に乗りかえる信玄に思い切った行動を起こさせたのかもね。

223 :人間七七四年:2007/08/29(水) 21:04:45 ID:mRAu9C6L
兎にも角にもID:kAHnG+79が出てこないことには話しにならんよ
まだかいな

224 :人間七七四年:2007/08/29(水) 21:46:09 ID:we+yO0iZ
【元祖?】ブラパン婆パンまったり【在米組】

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/northa/1187811106/l50

黒人好きの日本人女性が怒るスレ




225 :人間七七四年:2007/08/29(水) 22:09:18 ID:dGBzCQm9
信玄の西上の途中に朝倉が撤兵したあたりの史料を見ていると面白いな。

元亀3年12月22日 三方原の戦い。
12月24日  信玄が朝倉義景に「三遠の凶徒と岐阜の加勢をことごとく討ち取った」
 という手紙を書く(『戦国遺文 武田氏編』2006号)。
12月28日  朝倉義景に上の手紙と同様の戦況報告をした後「噂では過半が撤兵
 したというがまことか」と非難(同2007号)。
 ※この4日間に朝倉撤退の情報が入ったらしい。野田城を攻めるまで時間がかか
 ったのはこれに動揺したからかもしれない。下を参照。

元亀4年2月16日 信玄が本願寺の東老軒に「本願寺と朝倉が催促するから出兵
 したのに、朝倉が帰国したからどうしていいかわからなくなった。それでも野田城は
 落とした。朝倉もまたやっと出てくるのか。よく申し合わせてくれ」と手紙を書く
 (同2021号)。
 ※「どうしていいか……」の原文は「畢竟義景申合候処、帰国、失途轍候」(読点
 一部変更)。

3月19日 上杉謙信が能登畠山家の長景連に「義景は11日に越前の府中まで出た
 そうだ。信玄が使をやって強要したからだが、近江までは出ないだろうと、越前に
 行った者が報告した」という手紙を書く(『上越市史 別編1』1141号)。
 ※謙信はこのように情報通の時と、トンデモをかます時の落差が激しいw
 (>>32 >>72

226 :人間七七四年:2007/08/29(水) 22:19:34 ID:SPu3W9sg
>>225
信玄が出陣を遅らせたせいで
朝倉の撤兵時期が来たって気もするのに
信玄は自分勝手なことを・・・

227 :人間七七四年:2007/08/29(水) 22:34:49 ID:y1s9st3F
>>226
しかし、その西上も兵糧は現地調達なわけで
相当無理をして軍を出したんじゃないか。

228 :人間七七四年:2007/08/29(水) 22:43:51 ID:kAHnG+79
帰ってきたら、蝿が飛び回っとるなw
つか>>215読んで、ID:EtbP/I7Jの自覚症状のなさにワロタw


229 :人間七七四年:2007/08/29(水) 22:49:58 ID:Bl1Bitig
スレが荒れるので煽りあいはやめて下さい。専ブラならNGにすればいいだけ。

230 :人間七七四年:2007/08/29(水) 22:53:15 ID:mRAu9C6L
>>228
おい、さっさと書けや

231 :人間七七四年:2007/08/29(水) 23:14:45 ID:kAHnG+79
>>229
そーする

>>209
残念ながら「戦国大名朝倉氏と一乗谷」ではないんだよ
俺が見たのは浦長瀬隆氏や西ヶ谷恭弘氏などが寄稿してた論文集の中で読んだんだが
タイトルは随分前の事なんでド忘れ

確か戦国時代の経済や交通関連の論文集だったと思うが・・・・

232 :人間七七四年:2007/08/29(水) 23:18:46 ID:dGBzCQm9
>>226
出兵が遅れたのは病気のためもあったようだ。
ただ8月になっても動員をしているから、病気がなくてもそう早めることはできない
だろう。
イフを考えるなら実際には10月3日に信玄が甲府を出発したのを半月早めるぐらい?
三方原のあと野田城攻撃までかなりかかるのが病気のためだとしても、朝倉の撤兵の
ためだとしても、三方原が12月8日ぐらいなら撤兵情報が来るまで半月あるから、
その間に野田城攻撃にかかれるだろう。
ただここで手こずるのが史実通りならその間に朝倉が撤兵してしまうから、展開は
史実とあまり変わらない気がする。

233 :人間七七四年:2007/08/29(水) 23:19:51 ID:mRAu9C6L
>>231
お前が要求されたもんとっと出してりゃ、
こんなに荒れることもなかったんだよ
なに何事もなかったようにレスしてんだ、お前?
厚顔無恥なヤツだ

234 :人間七七四年:2007/08/29(水) 23:26:47 ID:dGBzCQm9
>>232で「展開は史実とあまり変わらない気がする」と書いたのは変だな。病気で
死なないわけだから。
ただ病気がなくても信玄は野田城を落としたあと、朝倉の再出陣を確認するまでは
信長との決戦を避けようとすると思う。挟撃体勢ができなければリスクが大きすぎる。
朝倉の撤兵をあんなに非難したのもそれを示している。
朝倉が再び近江に出ることはないだろうから、やはり頃合いを見て信濃に引き返し、
西上作戦は竜頭蛇尾に終わる可能性が高かったと思う。

235 :人間七七四年:2007/08/29(水) 23:53:22 ID:uJDcgupg
そもそも荒れた原因てID:F3rouwbtが
なぜか>>14を擁護したことなんじゃないのか?

ID:yGwXyvSSが唐突に
>>14くらい分析してくれないと詰まらんな。信長公記をなぞるだけのスレなの?
とアホなレス

>>14はどっかのサイトかなにかのコピペみたいなレスが分析なわけないとレス

ID:F3rouwbtがなぜ>>14を否定するんだとレス

>>14には信憑性の乏しい文章もあるのにソースが提示されていないからというレスに対して
ID:F3rouwbtは前スレ982が>>14のソースであると主張

それに対して前スレ982がソースだと>>14は言ってない、
>>14には982にはない史料が元ネタの話もあるというレス

ID:EtbP/I7Jが前スレ982と>>14は同じIDだからソースも同じとレス

ID:kAHnG+79が同じ奴が書いただけで14のソース=前スレ982だという根拠にはならない
誤りが多く、使われてない史料を元にした経緯が書かれてたりする
これでは前スレ982は、単なる史料名の羅列にすぎず、14がこれを元に書いたなどとはとても思えないとレス

その間ID:F3rouwbtは14のソースは前スレ982という当初のスタンスだったのに
途中からなぜ俺に質問するんだ?14氏に質問しろよなった


236 :人間七七四年:2007/08/30(木) 00:00:26 ID:lwBk7/Gi
人を叩いてるときのお前のレスが一番生き生きしてるぜ

237 :人間七七四年:2007/08/30(木) 00:03:37 ID:WPHRRc+B
>>236
早いねー

238 :人間七七四年:2007/08/30(木) 02:20:28 ID:nToeINQN
軍事板でバカを相手にしててふとこっちに来てみればなんで俺まで自演認定の中に入れられてたんだ…?

>>221
いや、それだと俺のが数字じゃないとおかしい。

239 :人間七七四年:2007/08/30(木) 19:38:38 ID:J77QOvSP
そうか、軍事板の基地外はこいつか。そういやレスの言い回しが似てる

240 :人間七七四年:2007/08/30(木) 21:08:54 ID:gOr3G6In
軍事板はチョンとシナのお家なので、不毛レスばかりだから俺は見ない。

241 :人間七七四年:2007/08/30(木) 22:05:41 ID:oOPu2wac
信玄が健康でも朝倉撤退を聞いて信長との決戦を避け、いったん兵を返した
とする。信玄に再チャレンジの機会はあるだろうか。
天下取りはその場合かなり難しいとしても「信玄が長生きしたら史実の勝頼に
比べて有利だったかどうか」という設問がふさわしいかもしれないが。

信玄が長生きしたら
・長篠の大敗は避けられたかもしれない(というか長篠で柵の向こうの大軍に
 武田軍が攻撃をしかけたのはなぜか自分には説明ができないから)。
・一向一揆と謙信の和睦を信玄は阻止するのではないか。謙信の北陸進出が
 遅れると信長の能登〜越中への早期進出を許すことになるのではないか。
・謙信の寿命は史実通りだとした場合、御館の乱にどう介入するか。また、
 上杉家は勝頼ならともかく信玄との同盟を承知するか。

242 :人間七七四年:2007/08/31(金) 00:00:39 ID:OKjCNCZX
>>241
一度撤退して再度西に進むとしても、
軍備を整えてる間に恐らく信長は史実通りに7月に足利義昭、
8月に岩成友通、朝倉・浅井を討伐
9月末〜10月末に長島一向一揆と対峙、
北伊勢の城をいくつか落としたが撤退時に損害(一向一揆衆の勢力を少しは弱体できた?)

ここまでは、史実通りに展開される可能性大で
この時点で織田と対峙することは自殺行為に近いかも
(近江の支配率が100%になり北近江への兵力分散の必要がなくなった)

三好義継は11月、松永久秀は12月末まで抵抗しているから
武田の出方しだいではもう少し粘れる可能性あり?
(浅井・朝倉等を壊滅させ兵力に余裕ができた織田の攻勢に耐える事は限りなく不可能に近そうだが)


刀根坂の戦いでの敗走に繋がった裏切りの山本山城の阿閉貞征、大獄城の浅見対馬守等が
信玄健在だと織田に寝返らない可能性も無くはないがどうだろう・・・

信玄健在なら朝倉がもう少し粘る可能性もなくはないが
信玄が撤退したおかげで織田は主力を一点集中、全力で攻めてくるんだから
もう少し粘れというのは朝倉さんに対して酷すぎる要求だろうな・・・

・長篠の戦い
信玄健在で長篠と同じシチュエーションになって仮に武田が戦わずに撤退してもわずかに寿命が延びた程度だと思う
この頃になると周辺の大名が包囲網を形成してもビクともしない程織田の国力は増大しており、
物量作戦でじわりじわりと追い詰められていくと思う

・御館の乱
御館の乱に関しては勝頼の時と同様どちらの後継者を選択しても武田にとっては厳しい選択になる予感

史実通りに景勝の味方をすると当然北条と絶縁状態、織田・徳川・北条に包囲網形成されて糸色望的
頼みの上杉も新発田重家が離反、越中・加賀・能登の所領も御館の乱の混乱で消失して頼りにするどころか
お荷物状態

景虎の味方をした場合は間違いなく上杉家は親北条となり、下手すれば北条の半属国となる可能性もある
武田・上杉・北条間の主導権は北条が握ることとなり武田の影響力はかなり低下
対織田に対して三国がしっかり連携をとれて足並みがそろうか微妙な所

結論
武田信玄が延命しても史実の勝頼に比べて多少は有利だろう(当主交代のゴタゴタが起きない等)
しかし多少有利になっても強大になった織田家の物量作戦に対しては正直どうしようもないだろう

243 :242:2007/08/31(金) 00:19:19 ID:OKjCNCZX
>>241
追加
>上杉家は勝頼ならともかく信玄との同盟を承知するか。
バックに北条家がついている景虎に対抗するために、
景勝が手を組む相手は地理的にも武田家以外ありえない
躊躇はするかもしれないが最終的には手を組むだろうね

244 :人間七七四年:2007/08/31(金) 02:50:02 ID:SxK0rdHc
その前に浅井朝倉の討伐は武田家の代替わりごたつきの間に行われたのだから
可能性大とか言ってるけどその前提が間違えてるな

245 :人間七七四年:2007/08/31(金) 07:40:10 ID:koW5i0U2
>>83
>姉川って前にも何度か出てきたけど
 結局いつも織田が苦戦した、徳川が大活躍したという
 信頼できるソースが無いで終わってたと思う・・・

お前の論拠は、単にどっかのアホが載せたネットの記述を鵜呑みにしてるだけじゃねーのか

それらしいのを検索して貼り付けておいた
「さて、いよいよ決戦になる。
 この姉川の戦いは、歴史上では徳川軍が一部の部隊を迂回させ、朝倉軍の側面を突いた事が勝利の原因とされている。
 織田軍はほとんど本陣寸前まで攻め込まれたが、徳川軍の奮起をおかげで勝利したと。
 従って織田軍は弱く、徳川軍は強かった事になっているが事実は違うらしい。
 徳川軍の活躍が書かれている文献はほとんど江戸時代、つまり徳川が天下を獲った後に作られた話であり、
 徳川軍を過剰に宣伝する必要があったからだと思われる。
 わざわざ三河からやって来て、何も活躍しなかったでは困るからである。
 それに家康にとってはこの姉川の戦いはデビュー戦でもある。
 今までは今川の部下として戦ってきた家康も、桶狭間の後は独立し、ひたすら三河統一で一揆を戦っていた。
 このように戦国武将同士の、しかも歴史の残るような合戦は初めてなので、過剰に宣伝する必要があったのである。
 その証拠に「信長公記」にはこの事はまったく書かれてなく、番組の中では徳川軍が先陣を切った事になっていたが、
 「信長公記」は浅井・朝倉軍が攻撃を仕掛けた事になっている。
 事実は分からないが、信憑性から言って「信長公記」の方を信じる方が妥当であろう」

既存の説を否定する根拠が、「信長公記」だけだってんだから笑わせる
しかも独善的な妄想を根拠無く決め付け押し付けている愚かさ
こんなクダラネー愚説を妄信して追従している阿呆が多い事にも驚かされる

なんで「姉川の戦い」の文献だけが江戸時代になってから書かれてんだ?
ありえねーだろ、そんな事

しかも、現代においても、徳川贔屓の歪んだ歴史観が通用していると勘違いしてる時代錯誤ぶりはバカ丸出し

分かり易い一例を挙げれば、
徳川幕府が、関が原の敗者の石田三成を悪者に仕立てたプロパガンダが、
現代では全く有効性を失っているのと同様

どういうつもりかは知らんが、
意図的に歴史をねじ曲げようとする曲学の徒って、最低のクズだな


246 :人間七七四年:2007/08/31(金) 08:17:15 ID:hQ/yLlwY
>>245
江戸時代になる前の姉川に関する文献は少ないのは事実。

>>210の信長書状は同時代のものだが、信長が書いたので当然ながら自軍の苦戦は
書いてない。
>>211の『当代記』は江戸時代初期のものだが、家康が信長を救った話はなく、最初は
両方押されたとする。家康は自力で押し返し、信長は稲葉一鉄の横槍で敵を崩したという。
(当代記は家康の孫が書いたという説は間違いとされる)
>>212の『三河物語』はこれも近世初期の徳川方のもので、ここで家康が信長を救った
ような記述が現れる。

ということで家康が信長を救ったパターンが見られるのは徳川色の強い文献であることは
少ない初期の史料に限れば事実かと。
ただこの議論は荒れるのでソース提示のない場合はこれ以上相手にしない。

247 :人間七七四年:2007/08/31(金) 08:33:19 ID:koW5i0U2
>>246
>江戸時代になる前の姉川に関する文献は少ないのは事実

じゃあ「姉川の戦い」の前後の戦に関する文献ならば多数あるんだ
ふーん

ところで、お前、「信長公記」以外の「少ない文献」の全てに目を通したのか?
「姉川の戦い」に関する書籍やネットの記述を読んだのか?
広く一般に流布している既説をどう解釈してるのか、是非ご意見を伺いたいもんだな

248 :人間七七四年:2007/08/31(金) 09:36:22 ID:0fr0nAJe
とりあえず姉川の件はこれ以上必要ないよ。
1万の差が参考になるかもしれないから話題を続けたのだから。
煽りはスルーで。

249 :人間七七四年:2007/08/31(金) 09:37:30 ID:etZyx8MM
つーか、信玄は野戦で信長に勝てないだろ。

250 :人間七七四年:2007/08/31(金) 10:59:55 ID:x6byPxTm
ID:koW5i0U2はまともな見解だ。ここの奴等は極少数の資料のみ信じてその他を頭から
否定して話しにならない。

>>249
信玄が生きていたとしても、長篠のような状況は生まれるとは俺も思う。もちろん根拠は無いが。


251 :人間七七四年:2007/08/31(金) 11:07:07 ID:ikM+xhNL
ここまで来ると考え方の違いだろ

少数の限られた信頼性の高いソースから考えるのと
数の多い2次創作3次創作の疑いあるソースから考えるのと

前者だと信頼性は高いが数は少ない
後者だと信頼性は低いが数は多い

ソースの質を採る人間は姉川の戦いは詳細は不明瞭徳川の活躍には否定的
ソースの量を採る人間は姉側野戦いは詳細は明瞭で徳川の活躍には肯定的

252 :人間七七四年:2007/08/31(金) 11:26:31 ID:x6byPxTm
数ある資料を分析した上での話しじゃないのに「質」が分かるのかい?

253 :人間七七四年:2007/08/31(金) 11:40:46 ID:koW5i0U2
>>251
>ソースの質を採る人間は姉川の戦いは詳細は不明瞭徳川の活躍には否定的

専門家や著名な作家が世に発表した「姉川の戦い」関連の記述で、
お前の意に沿う内容のは皆無なんだけどさあ・・・

お前、この現実をどう説明するんだ?
お前が論拠としている文献など、彼らは当然目にしているんだよ
にもかかわらず、全く逆の見解が出てくるって事は何を言わんかだ

そもそも、お前に歴史文献の信憑性を判断する見識があるのか?
ねーだろ

常識化してる既存の「姉川の戦い」の詳細を否定できる根拠は何だ?
お前の言うところの「ソースの質」に相当する史料名を教えてくれよ

言っとくが、そんなのは専門家からすれば一顧だにされてない事だけは認識しておけ

254 :人間七七四年:2007/08/31(金) 13:51:53 ID:mbQqyruN
姉川が信玄対信長の参考になるとは思えないな
川中島が参考になる、と言っているようなもの
だいたい「二倍以上の朝倉を相手に大活躍」な徳川家は、信玄西進の時点でその二倍程度の差であっさり撃破されているわけで

255 :人間七七四年:2007/08/31(金) 13:59:01 ID:x6byPxTm
じゃ>>254はどの戦だったら参考になると思う?否定するのは簡単さ。

256 :人間七七四年:2007/08/31(金) 14:01:44 ID:gywVJAk7
一方的肯定も簡単だと何人もの方々が証明してくれているわけだがw

257 :人間七七四年:2007/08/31(金) 14:03:26 ID:x6byPxTm
姉川の合戦を掘り起こす事が「一方的肯定」になるならその通りだな。
その理屈で行くと何の資料も挙げれなくなるが。

258 :人間七七四年:2007/08/31(金) 14:11:32 ID:ZJfb6sR4
挙げるもなにも、信玄信長直接対決自体が既に妄想の世界・・・・・・w

259 :人間七七四年:2007/08/31(金) 14:33:19 ID:koW5i0U2
>>254
>姉川が信玄対信長の参考になるとは思えないな
 当たり前だ
 「姉川の戦い」が「信玄対信長の参考」になるはずもないし、そもそも参考にしようなんて誰も言ってない

>「二倍以上の朝倉を相手に大活躍」な徳川家は、信玄西進の時点でその二倍程度の差であっさり撃破されている
 信玄指揮する武田軍と、景健・景紀指揮する朝倉軍とを同列に論じる事自体愚劣というもの


>>256
>一方的肯定も簡単だと何人もの方々が証明してくれている
 誰がどこで証明してるのか教えてくれないか
 「一方的肯定」という意味もよう分からんのだが・・・




260 :人間七七四年:2007/08/31(金) 15:38:25 ID:hQ/yLlwY
姉川の戦いが信玄対信長の参考にならないのであれば、そもそもこのスレと何の関係も
ないことになるが。

261 :人間七七四年:2007/08/31(金) 16:11:30 ID:t3uQEAJL
その不毛な揚げ足とり止めなよ。

262 :人間七七四年:2007/08/31(金) 16:17:31 ID:XiKG5l81
つか江戸時代の史料使うなら
武田騎馬隊だってOKだから上洛なんて信玄に寿命さえあれば余裕じゃないの?

263 :人間七七四年:2007/08/31(金) 16:35:09 ID:t3uQEAJL
資料の信憑性の無さと江戸期の資料を使用する事をイコールに考えてはいけない。
それと煽りたいだけならここじゃなくて別の場所へ行ってくれ

264 :人間七七四年:2007/08/31(金) 16:49:55 ID:XiKG5l81
別に煽りたいわけじゃないですけど
>資料の信憑性の無さと江戸期の資料を使用する事をイコールに考えてはいけない。
これってどういう意味?
肯定派は具体的に史料挙げないから判らないけど
否定派が挙げているような同時期の史料に信憑性があるとは限らないってこと?

>>164だと徳川が活躍したのか不明で、その続き見ないと姉川がどうか判らないし
>>212の『三河物語』で徳川が活躍したってなってるけど
『三河物語』は僕も読んだことあるけど、
あれを信じるなら徳川は武田を倒しかねないんじゃないかと思うのですが

265 :人間七七四年:2007/08/31(金) 16:51:25 ID:npcaGCk7
>>262
ま〜た、武田騎馬軍団否定論かよ…
信長公記や家康の書状、馬防ぎのための柵の構築から、
織田、徳川が武田の騎馬を警戒していることは明瞭じゃん
否定論者は近代兵科としての騎兵や騎馬民族の軍団を意識しすぎなんだよ
騎馬軍団は騎兵連隊、旅団や騎馬民族とは違うんだぜ?

266 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:03:18 ID:UVg/0+K4
信玄対信長の「参考」の意味を履き違えていれば失礼。
天正五(1577)年の手取り川の戦いなんてのは?

267 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:10:12 ID:t3uQEAJL
>264
信長公記にも誤りがあれば甲陽軍鑑にも信用できる記述もあるって事。
武田イコール兵卒に至るまで騎馬隊だったなんて言ってる人は誰もいないでしょ?

268 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:16:12 ID:UVg/0+K4
そう言えばどっかで見た覚えがあるんだが、
武田でも騎乗した兵の割合は他大名となんら変わらないくらいだそうだ。

269 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:24:50 ID:XiKG5l81
>>265
それぐらい知ってる

>>266
このスレは講談OKみたいだから北越軍記とかをソースにすれば
越前まで攻め入っている

>>267
>信長公記にも誤りがあれば甲陽軍鑑にも信用できる記述もあるって事。
やっぱそういう意味か

>武田イコール兵卒に至るまで騎馬隊だったなんて言ってる人は誰もいないでしょ?
甲陽軍鑑とか武田三代軍記なら、所謂通説の武田騎馬軍団は載っていないけど
江戸時代後期の作品だと騎馬軍団になっているんじゃないの?

270 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:34:25 ID:npcaGCk7
>>268
だ〜か〜ら〜、

>騎乗した兵の割合

この考え方が、近代兵科としての騎兵や騎馬民族の軍団を意識しすぎているって言ってんの
フツーに、騎馬に巧みな軍団、というぐらいの意味で、騎馬軍団という語を捉えておけばいいんだよ

>>269
知ってるなら、武田騎馬隊だってOKとか言ってんじゃねーよ

271 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:39:09 ID:t3uQEAJL
>269
どの文献の事を言っているのか知らないが、一兵卒に至るまで騎馬に乗っていたなんて信憑性の低い記述はこのスレで必要ない。
逆に参考になる文献は時代が下ろうと用いるべき。

272 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:39:39 ID:XiKG5l81
>>270
なんか話しが噛み合ってないね

でも僕は別にあなたの意見否定する積りは最初から無いですから

273 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:43:44 ID:XiKG5l81
>>271
徳川奮戦を肯定している
日本戦史、松平記、甫庵信長記、三河物語は参考になるの?

274 :人間七七四年:2007/08/31(金) 17:54:40 ID:t3uQEAJL
>273
自分で判断してくれ。俺の意見は朝倉の大将クラスが討ち取られている事から、徳川の健闘はあったはずだと思う。

275 :人間七七四年:2007/08/31(金) 18:19:19 ID:i3zE3OF6
朝倉の大将クラス?真柄親子か?いやしかしそれだとなぁ…浅井の間違いじゃねえの?遠藤とか死んでるしな。

276 :人間七七四年:2007/08/31(金) 18:21:30 ID:hQ/yLlwY
>>274
一乗谷の朝倉氏遺跡の墓石の中にも、元亀元年六月二十八日と刻まれたものが
7点ほど水藤真『朝倉義景』(吉川弘文館、人物叢書)に挙げられているね。
当時は誰でも墓石を作ってもらえるわけではないから、これらは名のある戦死者
だったのかもしれない(俗名は書いてない)。

ただ姉川の合戦は織田・徳川方が勝ったのだから、朝倉の有力武将にも戦死者が
出たのは当然といえば当然で、これを「徳川の奮戦で織田が救われた」ことの証拠
にはしがたいと思う。

277 :人間七七四年:2007/08/31(金) 18:29:08 ID:UVg/0+K4
姉川での浅井の負けは、
朝倉が崩れたからなんだよな?

278 :人間七七四年:2007/08/31(金) 18:56:09 ID:OKjCNCZX
おいおいまた不毛な姉川論争かよ・・・
せっかく>>241が話題振ってくれて
俺も突っ込みどころ満載だと思うけどそれにレスして
スレが正常な流れに戻ることを祈っていたのに・・・

姉川の戦いを信玄と信長の戦いの参考にするには不適切なんだから、
姉川の戦い専用スレでも立ててそこで議論すべきじゃね?
なんなら俺が立ててやろうか?

279 :人間七七四年:2007/08/31(金) 19:23:33 ID:0fr0nAJe
>>278
姉川はあれば一言いいたい人が結構いそうだから立ててもいいんじゃないかな?

280 :人間七七四年:2007/08/31(金) 19:27:16 ID:FwUE6z3b
姉川当日に発給された信長書状では、朝倉1万5000・浅井5〜6000で、
朝倉には徳川勢の他に、池田恒興・丹羽長秀や稲葉一鉄・氏家卜全があたってるので、
徳川単独で朝倉勢に対処してたんじゃないんだけどね

でも何故か江戸期に入ると、徳川勢単独でとなってる不思議

281 :人間七七四年:2007/08/31(金) 19:28:32 ID:koW5i0U2
>>278
レベルの低い方向に話が流れそうだから、やめといた方がいい

282 :人間七七四年:2007/08/31(金) 19:48:19 ID:t/6cgkpV
三方が原の合戦の後、信長が信玄に二度も謝罪の使者を送ったって文章読んだんだけど、
マジ? それならかなり信長厳しかったんじゃないの?
余裕ならそもそもそんな使者送る必要ないし。


283 :人間七七四年:2007/08/31(金) 19:54:08 ID:OKjCNCZX
>>279
スレ立てようと思ったけど無理だったorz
誰か代わりに立ててくれ
参考までに↓

【織田・徳川】姉川の戦い議論スレ【朝倉・浅井】
織田・徳川連合軍と朝倉・浅井連合軍との間で行われた姉川の戦いについて議論するスレです

姉川の合戦と呼ぶのは徳川家
織田家・浅井家は野村合戦、朝倉家は三田村合戦と呼称していた

☆江戸期以降に書かれた史料をソースとして認めるか認めないかの激しい議論が起こると思うが
 無意味な罵倒・中傷等は禁止です。

次スレ以降の為のスレのルール・テンプレ等の議論もスレの議論と併せてお願いします
次スレ立ては>>950くらいからお願いします

>>281
このスレでこれ以上姉川の議論やっても無意味なんだから新スレ作ってそこでやってもらうべきなんじゃね?

新スレの中身がレベルの低い話になるかどうかは議論する人たち次第だと思うよ
不毛な争いが続く可能性大だけど、興味深い議論ができる可能性も秘めてるんだから
新スレ立てるのに問題はないかと俺は思うんだ

284 :人間七七四年:2007/08/31(金) 20:00:14 ID:avU2jrxd
>>282
苦しかったのは事実だろうけど
どこまで苦しかったかは分からないな

余程余裕が無い限り多方面作戦なんて採りたくないだろうし


姉川は213辺りで結論でているだろ

285 :人間七七四年:2007/08/31(金) 20:13:27 ID:hQ/yLlwY
>>282
謝罪の使者の話は多分『甲陽軍鑑』品第三十九が元ネタだろう。
三方原の後、信長の援軍として来て戦死した平手の首を信玄は信長のもとへ送って
信長との手切れを通告した。
軍鑑の記述では、このときまでは信長との同盟が続いていたが、信玄は(信長でなく)
家康を攻めたのに、信長が家康に援軍を派遣したのがけしからんというのが手切れの
理由とされる。

これに対して信長は「家康は若いから、信玄と家康との間に何かあれば仲裁する
ようにと言って平手などを派遣したのに、家康といっしょになって戦ったのだから、
成敗されるのは当然」などと言って謝ったとされている。

信長はこんなことを言いそうな気もするが、同盟関係の解釈が変な気もするし、あまり
真に受けない方がいいと思うが。

286 :人間七七四年:2007/08/31(金) 20:30:27 ID:t/6cgkpV
違うわ。 信長の謝罪の使者に対して、信玄側が二度の断行の使者を送っただわ。
手紙とか残ってないのかな?


287 :人間七七四年:2007/08/31(金) 20:32:12 ID:xBGC3ptp
【織田・徳川】姉川の戦い議論スレ【朝倉・浅井】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1188559907/


288 :人間七七四年:2007/08/31(金) 20:43:02 ID:hQ/yLlwY
>>286
甲陽軍鑑には断交したときの信玄の手紙と、その後足利義昭に対して出した
信長非難の手紙が載っている。また信長が信玄を非難した申状もある。

長いのでここには全部引用しないが、
信玄の信長非難は「信長・家康は神社仏閣を横領し民を苦しめている。比叡山を
焼き討ちした。匹夫の身で公家をいやしめた。京都で課税し財宝を奪った。一度
許した相手を死罪にした。朝倉義景との勅命講和を破った。このような逆賊信長を
退治する」

信長の信玄非難は「信玄は老父を追放して路頭に迷わせた。嫡子太郎を監禁して
毒殺した。剃髪の身で人の国をむさぼる。駿河の今川氏真は甥に当たるのにその
国を奪った。北条氏政は婿だがその国に乱入した」
といった感じ。

信玄が信長を非難した方は軍鑑の創作ではなく、似たものが醍醐寺にある。
信長の方は本物が残っているかどうか知らない。

289 :人間七七四年:2007/08/31(金) 21:40:06 ID:hY6qR1DR
上洛したいならなんで
信玄のときに斉藤のほうに行かなかったのか
海に出ても京都にはかなり距離があるが。



290 :人間七七四年:2007/08/31(金) 22:21:41 ID:qkjl/OvK
また何千回も繰り返された信玄美濃侵攻説ですか

291 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:05:35 ID:7T4cygjp
>>268
織田の騎馬率が高いという話も聞いた覚えがあるな

292 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:06:10 ID:btI5khDY
その何千回も繰り返された結論は?

293 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:08:43 ID:qkjl/OvK
>>292
無理、無駄、無謀

294 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:13:42 ID:btI5khDY
そんなの分析でもなんでもないじゃないか。ほんとに話したのか?

295 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:19:00 ID:cT1OvQs7
要約すると、ってことだろ。細かな理由とかを抜くとそんな結論がほとんどだった。

296 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:20:30 ID:btI5khDY
その細かい理由は?

297 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:36:53 ID:5oC0A41j
少々遅レスだが

>>241
>・一向一揆と謙信の和睦を信玄は阻止するのではないか。
既に二度の上洛時の交渉で和睦済み。
実は一人だけ知らないでホルホルしてた信玄ちゃん。

298 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:37:15 ID:OKjCNCZX
>>287
乙です

>>296
国力ほぼ同等の斎藤家と戦っても勝算は薄い
北信濃で上杉と抗争中
北条と協力して西上野攻めたほうが勝算が高いし安全

要約するとこの3つの理由がでかいんじゃね?

299 :人間七七四年:2007/08/31(金) 23:58:33 ID:btI5khDY
斎藤家が出てきて北信濃で抗争中って事は1567年頃までの話か。
随分限定した話なんだな。

300 :人間七七四年:2007/09/01(土) 00:52:08 ID:qxvSW1SX
>>299
ハァ?限定した話?

この話題を振った>>289
>なぜ斎藤のほうに行かなかったのか
と書いてあるんだから、
>>289は桶狭間直後あたりの斎藤家健在の時期の事を言ってるんじゃないのか?

だから俺はその時期に美濃を攻めるのが無理な理由を>>296で書いたんだけどな

>随分限定した話なんだな。
いまいち理解できないんだけど・・・

お前は信長が美濃を手に入れた67年以降の事も含めているのか?
それなら尚更無理だと思うんだけどね

65年には信長と同盟結んだから、67年以降に同盟国の所領の美濃を攻めるのは不可能

仮に同盟を破棄してもまだ駿河を手に入れてない時期は
尾張・美濃・北伊勢の一部を支配してる織田に単独で勝負を挑むのは無謀

完全に駿河を制圧するのは1970年だがそれでもまだ織田と対峙するの無理
なぜなら背後の北条家と敵対しているから
1971年の10月に北条氏康が死去して北条家と同盟を結んでから初めて織田と対峙できる可能性ができた

この時美濃に大軍で攻め込める道路が整備されていて美濃に攻め込むことは可能であると仮定する
(前スレか前々スレ辺りに昔木曾なんとかが美濃に大軍で攻め込んだから可能かも?というレスがあった)

だけど日本地図よく見てみ
信玄の本領の咽喉元に短刀を突きつけられた様な形で位置する三河・遠江の徳川勢1万を放置して美濃に突入するのか?
もしも美濃に侵攻したら、
信玄が史実で西進した時と同じようなルートで徳川勢が信濃・甲斐に攻め込んでくるんだぞ

徳川勢に対する抑えの兵を割くとしても、史実で東美濃に侵攻させた3千くらいでは徳川を押さえ込むのは不可能
徳川に対して1万弱の兵を割く必要がある訳だがそうなると信玄本隊は1万8千程度になる
これでどう織田に勝つんだ?


301 :人間七七四年:2007/09/01(土) 01:07:43 ID:qxvSW1SX
>>297
>既に二度の上洛時の交渉で和睦済み。
和睦をしたのは石山本願寺としたのであって
北陸の一向一揆衆は従わなかったんじゃなかったっけ?
記憶違いだったらゴメン

302 :人間七七四年:2007/09/01(土) 01:34:41 ID:pj3a4/+I
>>桶狭間直後あたりの斎藤家健在の時期の事を言ってるんじゃないのか?

おれは>>290の「信玄美濃侵攻説」に話をしているつもりだった。
限定した話をしていた訳じゃない。


>>だから俺はその時期に美濃を攻めるのが無理な理由を>>296で書いたんだけどな

いや個人的な意見はとりあえず良いから、「何千回も繰り返された」話の「細かい理由」を知りたい。

303 :人間七七四年:2007/09/01(土) 01:42:09 ID:NEKd4g8o
桶狭間前だと
謙信どうするか
甲斐と信濃半国強の国力じゃ斉藤家より下でしかない
であとは地形的な問題と

可能性がありそうな時期は他に
1555年の木曽手に入れた直後で、謙信と今川仲介の和睦をした時期あたりか
謙信との和睦を破棄しないで義龍謀反の混乱時に攻め入れば可能性は高いだろうけど

304 :人間七七四年:2007/09/01(土) 01:50:21 ID:qxvSW1SX
>>302
>>298>>300に書いたことが何回も議論されたことの結論のはずだよ
別に個人的な意見ではない

>>300で書いた
>だから俺はその時期に美濃を攻めるのが無理な理由を>>296で書いたんだけどな
のアンカミスってたorz正しくは>>298



305 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:00:39 ID:Zfmm8JjT
>>302どうぞ過去スレご覧になってください。
百聞は一見にしかず。

306 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:07:41 ID:pj3a4/+I
>>304はこのスレでいっつもアンカーミスってる奴か?
まあそれは兎も角、三方ヶ原で武田が美濃路より織田の本拠美濃へ攻めていたとしたら、
徳川が1万の兵で攻めてくる、これが結論の一つか。

もし仮に美濃路を通る事になったら、上杉に対して行った富山城の件と同じく、徳川に対して
なんらかの手は考える必要あるね。

またこの場合、姉川の時と同じく信長は家康に美濃へ来いと依頼する可能性も高い。
そしてこのままでは長篠の再現になってしまう可能性も高い・・三方ヶ原のように城の外におびき出せても
信長本軍との合戦は厳しいな。

307 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:15:57 ID:NEKd4g8o
もし1572年に美濃を主力で攻めるとしたら
徳川は駿河から信濃の広い範囲を攻撃対象とできるため
武田は守備兵を分散させることに
奥三河はまだ東美濃に近いから兵の転用が楽だけど
駿河を全力で攻められるようなことになったら、不安が生じるな

308 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:20:48 ID:qxvSW1SX
>>306
ん?いつもアンカミスしてる奴?
俺はこのスレでアンカミスしたのはさっきの一回だけだよ

三河の一向一揆は根絶やしにしたから上杉と一向一揆を対峙させた方法は使えない
なので徳川に対して兵を割く必要がなくなる有効方法はこれといってない

信長は家康にわざわざ美濃に援軍に来いとは言わないはず
援軍に来させるよりも空になったも同然の武田領を侵攻させるほうが遥かに有効的

309 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:30:46 ID:pj3a4/+I
>>わざわざ美濃に援軍に来いとは言わないはず

信長のやり方を見るに十分可能性はあるだろ。徳川にしても万が一にも織田が負けてはならない。
なんといっても三方ヶ原で、僅か三千の援兵しかよこさなかった織田にそれほどの余裕は無いと感じる。

310 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:38:47 ID:WBWimufJ
篭城しろって言った人数だろ>三千
それとも万人単位で篭城か?

311 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:40:00 ID:NEKd4g8o
篭城するなら十分だろ
それに遠江みたいな遠国に兵を送るのと美濃とじゃ違うだろ

駿河侵攻が一番可能性高いんじゃないか?
わざわざ美濃で武田と消耗戦するよりは効率的
武田の主力を叩くのが信長の目的なら徳川を美濃に来させるかもしれないけど
この時期の信長は武田と争う気は無いと思うし、
氏真のこともある

312 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:46:07 ID:pj3a4/+I
>>この時期の信長は武田と争う気は無いと思うし

それこそ武田及び織田包囲網の効果であって、中央で義昭らが武田の上洛を待ちわびていて
織田も武田を恐れた、と一部の文献でされてるね。

篭城するにしても野戦を行うにしても、美濃に相当数の兵を割かなければならない。
時間を置くと分が悪くなるのはどっちもどっち。この後、不確定要素の朝倉・本願寺に
期待しなければならないのが辛いところ・・

313 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:46:34 ID:qxvSW1SX
>>309
>信長のやり方を見るに十分可能性はあるだろ。
信長のどういったやり方を見て十分可能性があると感じたんだ?教えてくれ

空になった武田領を徳川が蹂躙できる選択があったなら、どんな凡将でもその選択をすると思うんだけどな
遠征してる隙に空になった本国が第三勢力に侵攻された時の将兵の動揺とか物凄いはずだ
ゲームみたいに目の前の敵軍を殲滅してから返す刀でなんて事は現実的には無理

本国に侵攻する徳川勢を放置してそのまま美濃に侵攻なんて下策を取ったら
かなりの数の兵が離脱して戦なんてできる状態ではなくなるし、
徳川の攻撃のせいで本国からの補給が途絶える可能性だってあるんだぞ

篭城するには、浜松城の規模のことを考えても3千が妥当だったんだろ?
援軍を送りすぎて浜松城に兵が入りきらなかったらどうするんだ?
まさか入りきらなかった兵を城の前に布陣させるのか?

314 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:47:46 ID:pj3a4/+I
>>313
君はもういいや。

315 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:55:32 ID:qxvSW1SX
>>314
ハア?もういいのはお前じゃねえかw

>>篭城するにしても野戦を行うにしても、美濃に相当数の兵を割かなければならない
この文章がいまいち理解できないんだけど、
この篭城・野戦というのは織田信長が美濃で篭城か野戦をする場合という事か?


316 :人間七七四年:2007/09/01(土) 02:59:42 ID:pj3a4/+I
お前はIfを理解してIfを自分で考えろ。
可能性を否定して1つに話を絞る必要はない。お前の考えは分かったから俺の話に入ってこないでくれるか?

317 :人間七七四年:2007/09/01(土) 03:05:43 ID:qxvSW1SX
>>316
お前何が言いたいんだ?
ID:pj3a4/+Iにとって都合の悪い指摘・反論はするなって事なのか?
こいつの言ってることを誰か解説してくれ

318 :人間七七四年:2007/09/01(土) 03:10:33 ID:pj3a4/+I
俺が応えたとしても延々粘着されるのが目に見える。
君のレスみてここに昔からいついてる奴だとすぐ分かったからな。正直君とは話しにならないのよ。

319 :人間七七四年:2007/09/01(土) 03:16:54 ID:qxvSW1SX
>>318
俺はただお前の意見に対して意見・反論してるだけなのに
それだけで粘着になるのか?

別に昔からいついてる奴ではないよ
普段は1週間に1度くらいの割合でまとめてROMってるだけでたまにレスするくらい
それに昔からいる奴だとしたら何か問題でもあるのかな?

320 :人間七七四年:2007/09/01(土) 03:19:53 ID:pj3a4/+I
はいはいじゃこの話題は終わりにしよう。他のレスくれた人thx

321 :人間七七四年:2007/09/01(土) 03:20:51 ID:UPFaKw0C
IFだからという理由で自分の言った事に責任を持たなくていいことにはならんよ。

322 :人間七七四年:2007/09/01(土) 09:29:29 ID:mRTNklgw
>>320
勝手に相手をアンカーミスる人と決め付けて、否定されても謝罪の一つもしないし
君の逆切れに見えるよ。根拠をしっかり書いての反論に、君はもういいよなんて
qxvSW1SXに失礼じゃないか?

323 :人間七七四年:2007/09/01(土) 09:49:47 ID:DQ+Y8sIy
>>301
そだよ。北陸の一向一揆は独立してた。
だから本願寺と仲いいからって信玄に従うわけもなく。

324 :人間七七四年:2007/09/01(土) 10:02:09 ID:AAQ3IQ1y
桶狭間合戦を参考にしたら、信玄が10倍以上の兵力を持っていても危ないことになる
逆に川中島合戦を参考にしたのなら、信玄は8千程度の兵力優越でもかなり酷い被害を蒙ることになる

325 :人間七七四年:2007/09/01(土) 11:19:07 ID:21Q3VmEu
勝負は時の運だから、信玄が勝つことだってあるだろう。
基本スタンスとして戦が始まると織田軍にだけ集中豪雨が降り始めるとか
突然軍内に疫病が流行りだすとか、軍団長が軒並み食中毒にかかるとかを
前提にすればいいだけの話。

326 :人間七七四年:2007/09/01(土) 11:24:50 ID:N6vVjQTw
>>325
それをいったら信玄側にだけアクシデントが勃発する妄想も可じゃないか
究極的に無意味だわ。要するに妄想者の贔屓の問題だから

327 :人間七七四年:2007/09/01(土) 11:55:33 ID:21Q3VmEu
だって勝てないだろ、現実的に考えて。
いつもそこで議論止まるじゃん、信玄が勝てるかどうかで。

328 :人間七七四年:2007/09/01(土) 11:57:45 ID:N6vVjQTw
じゃあいっそ、戦況がもつれにもつれて信長・信玄が一騎打ちすることになったら? とか妄想してみる?

329 :人間七七四年:2007/09/01(土) 12:10:38 ID:ootks/Wy
終わりと言ってるのに蒸し返してみるが・・・
実際木曽方面から岐阜に抜ける道、現在の舗装された道で車で通ってみたが急カーブの多い片側一車線(車ほぼぎりぎりの幅)だったぞ
これを18000もの大軍で舗装されてない時代に通るのは自殺行為ではないのかと思うんだが・・・
集中豪雨なんて起こったら土砂崩れ起こって信玄不利(通行途中にせよ通行後にせよ)
疫病ってのは起こりやすいのは不衛生な場所で基本的に日本では町中では起こりづらかったそうだ
衛生観念がしっかりしてたそうね
逆に起きやすいのは山中とかそういう自然が多い場所のが起きやすい
食中毒に関してもそう、日本はまぁ気候的には起きやすい方なんだが、食料が保存食系統のモノが多いから起きづらい
食物(兵糧)が少ない方がむしろ起こりやすい
運にしたってこれだけ信玄不利だぞ(こういった不利は信玄に起こりやすいって意味ね)
第一最初から運に頼るようじゃ孫子読んだ意味ないだろうに・・・

330 :人間七七四年:2007/09/01(土) 12:51:46 ID:m8aRyZHN
>>328
信長が勝つでしょ。
信玄は若い頃から病弱で成人後もたびたび病臥している。武勇に関するエピソードはゼロ。
(川中島の一騎打ちも講談)
一方の信長は死ぬまで病気らしい病気にかかったこともなく、武勇に関する逸話は数知れず。
自ら敵大将を討ち取ったことすらあるほど。

331 :人間七七四年:2007/09/01(土) 14:46:32 ID:/czl8bkU
>>241
確かに景虎は天文22年(1553)の上洛時に使者を本願寺にやって挨拶しているが、
この時期はまだ越中に出兵さえしていない。祖父能景を一揆に殺されたことはあるが
ここで関係修復を計ったのかもしれない。

謙信が越中に出兵するのは永禄3年(1560)が初めて。越中の情勢は複雑だが、簡単に
言うと東の新川郡に椎名、中央部に神保、西に一向一揆という勢力分布で、謙信の父の
為景は永正17年に越中守護の畠山卜山を助けたので新川郡守護代になっていた。為景は
越後にいるので、元からの守護代の椎名を又守護代にした。この縁で謙信と椎名は友好
関係にあり、また謙信の越後出兵は為景以来の守護代職を根拠にしている。

当初の謙信の出兵は椎名を助けて敵対する神保を討つというもので、これに一向一揆が
絡んでくるのは永禄11年ごろから。それまで越中の一揆は国人同士の争いには不介入
だったが、永禄8年(1565)に信玄は本願寺と上杉を仮想敵とする同盟を結んでいる。

この間、信玄の調略もあって椎名が謙信から離反、逆に神保が味方になったが、元亀3年
(1572)には椎名康胤と結んだ加賀一向一揆が越中に攻め込み、上杉方の火宮城を落とした。
だが謙信の出兵で押し返される。この頃が謙信と一向一揆の戦いが最も激しかった時期。

ピンチに陥った一向一揆(勝興寺など)は信玄に援助を要請、信玄も出兵して越後を突く
つもりだという手紙を送ったが、それを変更して西上作戦に乗り出し、途中で病没。
謙信は越中のほぼ全域を制圧する。

謙信と本願寺が同盟するのは天正4年(1576)5月のことで、その背景には越前も信長に
制圧されたこと、石山合戦が激化したこと、勝頼が長篠で敗北して退潮が見えたことなどが
あったと思われる。

332 :人間七七四年:2007/09/01(土) 14:48:06 ID:/czl8bkU
アンカー間違えた。>>297ね。

333 :人間七七四年:2007/09/01(土) 16:36:52 ID:ZFI/zwYo
信長は、基本的に対武田は消極的だった
長篠の大勝後も、岩村城あたりを奪い返した程度
謙信に挟撃を誘われても断わったし
それは道路事情も理由にあったのかもしれない
出入口を扼す木曽氏の寝返りがポイントだろうね
あれがなければ、大軍を動かしても動かしたほうが苦戦しそうだ

334 :人間七七四年:2007/09/01(土) 16:45:49 ID:/czl8bkU
木曽路はあまり行軍のルートとして期待されてなかったと思うけどね。
岩村城からなら現在の上矢作町を経由して下伊那に行く方が楽だし、武田の岩村攻めも
そのルートだったのでは? 伊那郡代の秋山信友が担当していたし。

335 :人間七七四年:2007/09/01(土) 19:19:40 ID:qxvSW1SX
>>308の信長は家康にわざわざ美濃に援軍に来いとは言わないはず
に対して>>309は信長のやり方を見るに十分可能性はあるだろ。と言ってるんだけど、

信長のどういった言動を分析したら家康を美濃に援軍に来させる可能性を見出せるのかな?

俺の見解としては、信長は畿内を掌握することを最優先にしており対武田に関しては消極的というか後回しにしている
(長篠合戦後も積極的には武田と対峙せず)
対武田に関して保留のスタンスを貫いている信長としてはガラ空きの武田領へ徳川を侵攻させれば、
美濃に侵攻してきた武田軍は慌てて引き返し、結果武田との戦いを回避できるからこの選択をすると思うんだけどな

別に>>309に対しての煽りとかではなく、どういった見解があるのか興味があるので
誰でもいいから教えてちょうだい

>>334
信玄本隊は甲斐から伊那谷に出て秋葉街道のルートで遠江に進出
秋山別働隊は伊那谷から三州街道のルートで岩村城へ進出だからそのルートであってるよ



336 :人間七七四年:2007/09/01(土) 21:58:36 ID:UPFaKw0C
んなのは本人以外にわかるはずもなし。その本人が議論拒否、説明拒否なんだからどうしようもなし。

337 :人間七七四年:2007/09/01(土) 23:23:43 ID:DQ+Y8sIy
>>331
同盟を組まないと和睦にはならないのか。なるほど。

338 :331:2007/09/02(日) 06:58:38 ID:hyqvfo2+
>>337
そういう意味じゃなくて、上洛の後で本格的な戦いが始まったということね。

339 :人間七七四年:2007/09/02(日) 07:15:59 ID:C3kW3pFc
そら北陸の一向宗は本願寺に完全従属してないからな。本願寺からの和睦命令の使者を追い返してるしな。

340 :人間七七四年:2007/09/02(日) 09:37:57 ID:DMOIS0rR
つーか、謙信は武田と和睦して、越中攻略に全力投入していた方がよかったんじゃね?

341 :人間七七四年:2007/09/02(日) 13:32:13 ID:B2R8oNOC
>>335
>家康を美濃に援軍に来させる可能性を見出せるのかな?

武田勢が岐阜を脅かして、決戦を強要し織田勢と対峙。
何らかの事情で、織田勢が兵力に不足を感じながらも仕掛けざるを得なかった時かな。考えにくいけど。

まあ、徳川勢を呼び寄せる可能性は0%に近いと思う。ただ、


>ガラ空きの武田領へ徳川を侵攻させれば、美濃に侵攻してきた武田軍は慌てて引き返し・・・・

これは徳川勢を高く評価しすぎなのでは?
三方々原以降の徳川勢は三河、遠江などの失地奪回に努めるのが精々で、どこまで活動できるのやら。

342 :人間七七四年:2007/09/02(日) 13:33:41 ID:aWIv7uup
>>340
謙信と信玄との講和はさすがにここまでこじれると難しいと思うが、天正3年に勝頼が
長篠で負けた後で、謙信と勝頼は内々に和睦していたともいう。定説とは言えないと
思うが読んだことがある(『戦国遺文 武田氏編』の月報だったか?)。

これの根拠は天正3年?11月14日に佐竹の将梶原政景が厩橋の北条高広・景広に送った
手紙だと思うが

「先月晦日のお手紙を拝見しました。越甲の和が内々に落着されたので、私が(武田に?)
使いを出せと承り、本望に思います。しかし難しい問題なので太田(佐竹氏)に報告した
ところ、父子(太田資正・梶原政景)が使いを早く出せとのことで、義重の手紙をことづかり
ました。われわれ父子も越甲の和平を長年望んでおりました。妥結が肝要と存じます。
委細は老父(太田資正)が申し上げます(以下略)。」

というもの(謙信公御書集、『上越市史 別編1』1272号)。
解釈が難しい部分があるけど、越甲の和睦交渉が進んでいたことは事実らしい。
ただこれは大っぴらになってしまうと、御館の乱で勝頼が景勝と結んだときのように北条が
武田との同盟を切る恐れがあるので「内々」ということなんじゃないかと。

また越相同盟とか勝頼・景勝の同盟のような場合は交渉過程でやりとりされた手紙が
上杉家文書にたくさん残っているが、この和平に関してはこれぐらいしか史料がない
ようだ。
事実だったとしてもそれこそ内密に、今後は信濃・越後での軍事衝突は避けるという
約束みたいなものだったか。
いずれにしても謙信がこの後北陸制圧を本格的に進めるのは事実。

343 :人間七七四年:2007/09/02(日) 14:22:20 ID:YBRiJ8u0
>>341
同盟捨ててまで取った駿河をホイホイと徳川に渡すような愚を信玄が犯すとは到底思えない
もしそんな事やっても信長が持久戦に持って行くだけで信玄軍は瓦解するぞ
まぁそれ以前に信長本人が率いた野戦って見る限り相当強いから信玄が勝てるかどうかという問題もあるんだが・・・

344 :人間七七四年:2007/09/02(日) 14:48:40 ID:aWIv7uup
>>341
> 三方々原以降の徳川勢は三河、遠江などの失地奪回に努めるのが精々で

今までの話は信玄が元亀3年に史実の遠江ではなく美濃へ主力を向けたら、という
仮定で話を進めていると思ったが、それなら三方原は起こっていないはず。

それとも元亀4年にいったん信濃に引っ込んだ信玄がまた出てくるという>>241-242
話されたような仮定の話?

345 :人間七七四年:2007/09/02(日) 15:57:56 ID:QDTwk99i
つうか美濃を攻めたら織田の大軍で潰されて終わりだろ・・

346 :人間七七四年:2007/09/02(日) 16:30:07 ID:lm2BZLnE
>>343
直接、美濃へ攻め込む話だったんだね。てっきり、三方々原以降の話かと思って勘違いした。
武田勢が野田城攻略後、美濃へ向かった場合に徳川勢はどう出るのかという話かと・・・。

徳川勢をそのままに美濃攻めを考えてる人がいるとは思わなかった。これはあり得ない。


347 :人間七七四年:2007/09/02(日) 17:17:09 ID:K/oIY4dF
>>340
謙信としてはそうしたかっただろうね

第一次川中島は武田の北信濃侵攻によって越後の防衛が危なくなったから
第2次によって和睦となったが
第三次は武田の和睦破棄に対しての行動
第四次は関東遠征中、武田が海津などの城を造るほか越後国境にまで攻めこんできたから
第5次は武田が飛騨越中方面に手を伸ばしてきた&一向宗と組んだためそれに対抗するため

武田が今川徳川と東海道で争うようになるまで戦い続ける羽目になった

>>341
史実じゃ信玄の死後すぐに駿河に攻めこんでいる
それに武田だって徳川の失地奪回を防がないといけないから
(ここであっさり現地の豪族を見捨てるような真似したら再侵攻が困難になるので)
各地に兵を分散することになる
織田に匹敵する兵力を武田が用意するのは困難

348 :人間七七四年:2007/09/02(日) 17:46:10 ID:aZXCia+E
>>344
元亀3年に遠江ではなく美濃へ主力を向けたという仮定(もちろん三方ヶ原は起きず)であってるよ


信玄が徳川勢を放置して美濃に侵攻するという仮定をすること自体がありえないから、
徳川の援軍の話をするのは無意味ってのが結論ぽいね

仮に徳川に対する兵を割くとしても>>300で言ったとおり、1万弱の兵を割く必要がある
そうすれば、信玄本隊は1万8千程度になってしまって勝負にならないんだよなあ

徳川の総勢1万2千弱といっても守備兵とかを差し引けば、
武田牽制に動かせる兵は8千〜1万程度かな?
この兵力に対して上記ではとりあえず1万弱を割いて対応すると書いた、
だけどもう少し対徳川の兵力を減らすことができる気がしてきたんだけど、できるかな?

まあ、はっきりしてることはID:pj3a4/+Iをスルーせず相手した俺が馬鹿だった事だなorz


349 :人間七七四年:2007/09/02(日) 17:52:30 ID:K/oIY4dF
どうでもいいことかもしれないけど
いつもアンカーミスってる奴と断言できるような人がこのスレにいただろうか?

350 :人間七七四年:2007/09/02(日) 18:18:22 ID:aZXCia+E
>>349
このスレでは俺が>>304でアンカーをミスる前には
4つのIDがミスってるけど、回数はそれぞれ1回ずつ
この4つのIDが全員同一人物だと勝手に断定して、
更にその中に俺も加えたんじゃない?
そうすればこのスレで俺wは5回ミスしたことになるw

ID:pj3a4/+Iがなぜ意味も無く俺をいつもアンカーミスする奴呼ばわりしたのかは
ID:pj3a4/+Iが答えない限り謎のままだな
俺はID:pj3a4/+Iだと名乗り出たりはしないと思うけどw
まあどうでもいいことだね

351 :人間七七四年:2007/09/02(日) 18:37:12 ID:+pEimxRx
物凄い粘着してるねw そこだけは読み通りらしい

352 :人間七七四年:2007/09/02(日) 21:07:09 ID:GwSkPrAJ
>>347
信玄死後の駿河での放火なんてのは本格的反攻ではないよ。
領国分断の危険を招く長篠城、野田城を放置して駿河へ向かえるのかな?
二俣城だって浜松城への押さえだし、そうそう駿河へは向かえない。
西上している間だけでも、徳川勢を抑えればいい。信玄の徳川勢封じ込めはほぼ成功している。

>それに武田だって徳川の失地奪回を防がないといけないから
>(ここであっさり現地の豪族を見捨てるような真似したら再侵攻が困難になるので)

信玄の目的は打倒信長。信長を倒す最後の機会らしい機会。
信長さえ倒せば、いくらでも領国が手に入るし、現地の豪族ぐらい見殺しにするよ。
それに、再び遠江、三河に出兵が行われる時は武田に逆らえる豪族はいないだろう。

353 :人間七七四年:2007/09/02(日) 21:30:36 ID:5G+VAhJQ
後背が動揺したら、唯でさえ低い信長打倒の可能性がさらに厳しくなるでしょ
最悪、織田本隊と徳川との挟み撃ち喰らって信玄自身が簡単に打倒されてしまう
背後のことがあるから、信玄は西進の際に駿河衆を殆ど動員しなかったんだろう

354 :人間七七四年:2007/09/02(日) 21:31:27 ID:kt1SvAqU
前スレの800以降のログ無い?

355 :人間七七四年:2007/09/02(日) 21:41:31 ID:L06YcsNg
結局、最初から武田に織田打倒なり畿内掌握なりのチャンスはなかったという結論でおk?

徳川みたいに、固く殻に閉じこもって時代の変化とチャンスを待てばよかったのだね

風鈴火山の旗印みたいに




356 :人間七七四年:2007/09/02(日) 22:41:45 ID:MSGHUw3A
勝利の可能性が低くても、人生の黄昏を迎えつつも、西へ向かう、向かわざるを得なかった武田信玄。

野田城へ行った時に、これが信玄が最後に陥した城かと思うと拍子抜けした。
あんな小さな城を陥とすのに時間が掛かるぐらいだから、かなり病状が悪くなってたんだろう。
そんな中、何をどう考え、計画していたのか知る由もないが。

357 :人間七七四年:2007/09/03(月) 07:05:42 ID:ksX/mHaC
>>352
武田の主力が東美濃で足止めされている状況と
いつ武田の主力が反攻してくるかわからなかった史実での徳川の反攻は異なると思う

>信長さえ倒せば、いくらでも領国が手に入るし、現地の豪族ぐらい見殺しにするよ。
詰まる所、この一戦で信長を倒すか決定的な勝利を得なければならないってことじゃ
失敗すると織田の領国は手に入らないし、各地の親武田勢力は見殺し
次からの戦いが困難
まあ史実の武田は北陸飛騨の豪族を見捨てることで、
多少徳川の領土を奪ったわけだが

>>356
水の手切って落城だから信玄の病状は関係無いと思う

358 :人間七七四年:2007/09/03(月) 08:08:02 ID:xouEqRw4
>>357
水の手を切ったのは二俣城。野田城は攻撃で二、三の丸を取られ城主が開城したと
『三河物語』にはある。

昔自分が行ったときは「信玄が鉄炮に撃たれた場所」という看板があったw
そういう噂が出たのもここを落とすのに長くかかったことと、ここで病状が悪化した
ことによるんだろう(これは甲陽軍鑑も三河物語も書いている)。

359 :人間七七四年:2007/09/03(月) 08:15:52 ID:ksX/mHaC
>>358
二俣城も水の手切ってだが
野田城も金堀人足呼び寄せて水の手切って落城とされている

360 :人間七七四年:2007/09/03(月) 10:49:02 ID:xEUf2iXv
>>355
義信に追放される事で家中の結束を固め、信濃で行った重税、虐殺、略奪を改めれば
一気に滅ぼされる事は少なくともなかったと思う。
信玄が多くの犠牲を払い、何年もかかって手に入れた信濃を民や家臣の裏切りで武田一族が殺され
1月で落とされるなんて事はなかったと思う。

361 :358:2007/09/03(月) 14:28:36 ID:xouEqRw4
>>359
すまん、調べたらそうだった。
『甲陽軍鑑』にも『三河物語』にも水の手の話が出てないので違うと思ったんだが
水の手は『菅沼家譜』にある話らしいね。(小林計一郎『武田軍記』朝日文庫)

>>360
「義信に追放される事で」というのは荒療治だなw
自分も信玄の義信幽閉〜殺害〜今川攻めの流れは好きではないが、義信が
信玄を追放して家中が結束するかどうかは疑問がある。信玄派も少なからずいる
はず。
また義信が国主になったらおそらく今川を攻めないから、今川が自壊していけば
徳川が東進すると思う。
この徳川と同盟すれば安泰だったかもしれないが、義信は今川との関係が深いから
今川を守って徳川と事を構える可能性もある。そうなると史実より早く織田・徳川と
対立してしまい、しかも駿河を得ていないから国力も少ない。

362 :人間七七四年:2007/09/03(月) 14:54:33 ID:Z6lepAX6
そもそも実績の乏しい義信の実力を評価できるのか?

363 :人間七七四年:2007/09/03(月) 15:00:04 ID:O4zw6d32
武田義信の実績というと
川中島で奮戦して、謙信に「若い義信に名を成さしめてしまったのは残念」と後々まで感嘆させたぐらいだからなぁ
ミニ謙信みたいな、半端に強いだけの大将になりかねん

364 :人間七七四年:2007/09/03(月) 18:16:56 ID:qjDKM2rt
義信事件の頃なら、弱体化していた美濃斉藤家を攻めるのもいいかも知れない。
美濃中部あたりで織田家と激突するかも知れないが。
が、その頃の織田だったら後年よりは、はるかに勝算が高いだろう。
義信が武田の実権を握れば、たぶん飛騨・美濃方面への侵攻を考えたのではないか。
そして、そのためには今川・北条との関係維持は必須。
つまり、戦略下としての能力は、信玄よりも義信の方が上だったと。
少なくとも織田の天下はなく、歴史が大きく変わっていたのは間違いないと思う。

365 :人間七七四年:2007/09/03(月) 18:29:13 ID:plLQPTNN
未だに信濃・上野で上杉と対立していて、
西上野も領有していない状況で美濃へ侵攻ですか。
上杉と境を接する北信濃からは満足な動員は出来ないし、
上杉が本格的に動き出せば兵を返すしかない。
そんな状況で徳川と同盟した織田相手に勝算があるとは思えないが。

366 :人間七七四年:2007/09/03(月) 18:40:06 ID:xouEqRw4
ただ史実の信玄は駿河侵攻のために北条と手切れになってしまったので、
氏康が死ぬまで西上作戦など考えることもできなくなってしまった。
このため浅井・朝倉が弱体化した頃に彼らを頼りにするようなことになった。

駿河に侵攻せず、北条と協力して氏真を助け、徳川の遠江侵攻を防ぐ。
史実より2年ぐらい早い元亀元年ごろに武田主力は美濃へ、今川軍全軍+
北条の援軍が三河へ攻め込むようにしたら勝算はあったと思う。
今川にとって三河は旧領だし、その回復は士気が上がるだろう。美濃・尾張に
ついては戦況によるという約束で攻める。

>>361で書いたのと反対だがそんな風にも思うようになった。

367 :人間七七四年:2007/09/03(月) 18:43:17 ID:qjDKM2rt
>>365
お得意の工作で、越中の一向一揆を煽動し、上杉をそこに向かわせる。

368 :人間七七四年:2007/09/03(月) 18:47:17 ID:gIDnEXcc
>>364
東海道・海を支配下にしないでいきなり美濃に進むのって戦略的に下策じゃないか?

今川・北条と未来永劫同盟を結べる保障はどこにも無いのに
東海道は今川だから安心だとして、強引に美濃に進むのはどうかと思う

仮に奇跡的に美濃を奪取できたとしても
近江、飛騨、越前、尾張、北伊勢、三河、遠江、駿河、相模、武蔵、上野、越後
と接する状態になって、国力が増えたとはいえ防衛ラインが無駄に真横に伸びてしまう

領土というのはやみくもに増やせばいいというものではないはず
増やした後に自国・新領土を防衛できるかを考慮に入れる必要があるんじゃないかな?

甲斐・信濃と美濃の間の交通の便を考えると連携するのも難しそう

369 :人間七七四年:2007/09/03(月) 19:29:45 ID:gIDnEXcc
>>366
三国間の勢力が均衡してる状態から武田が頭一つ飛び出すための作戦に
他の二国が積極的に協力するとは思えない

特に北条にはメリットが無く、武田・今川の勢力拡大の為だけに援軍を出したりはしないんじゃないかな?

そもそも三国同盟は各家がそれぞれの敵と戦う際に背後の憂いをなくす為の不可侵条約みたいなもの
三国間の勢力が均衡することによってバランスが保たれている
武田、今川が西に進むのなら、その間に北条は関東侵略を進めるはず

>>367
毎度毎度、都合よく一向一揆って扇動できるものなのかな?
当時の越中周辺の状況に詳しい人いたら一向一揆を扇動できそうか教えて下さい

370 :人間七七四年:2007/09/03(月) 19:37:17 ID:xouEqRw4
>>369
武田の駿河侵攻前には上杉が北条に押されていた。
武田に攻められて弱った北条がやむをえず結んだ越相同盟のために上杉は武蔵の
一部まで勢力を回復する。
これがなければ北条は関東制圧にかなり近づいていたはず。
今川への援軍は出さないかもしれないが、武田・今川の領土拡張を許す余裕はある
と思う。
また越相同盟がない場合、上杉は関東戦線に力を集中するから武田が越中に工作
する必要も少ないだろう。

何より元亀元年段階なら浅井・朝倉が健在なので、武田本隊が史実より多少少なくても
織田軍を分散させる力を発揮する。

371 :人間七七四年:2007/09/03(月) 19:38:59 ID:qjDKM2rt
>>368
それでも、織田が強大化するよりははるかにマシでは?
また、駿河侵攻によって四方を敵に回すという、最悪の状態も回避出来る。
戦略的下策は駿河侵攻だと俺は思うが?
史実では何とかなったけど。
ただ、これによって貴重な時間を浪費したの否めない。

372 :人間七七四年:2007/09/03(月) 20:30:30 ID:gIDnEXcc
>>370
スマン>>366は元亀元年辺りの場合か
スレの流れから、1565年前後で信長が美濃を掌握していない時期だと勘違いしてた

>>371
西上野を攻めるのに背後の心配をなくす為に
65年に織田と同盟を結んだんだけど、
信長が美濃攻略を目指す事を百も承知していて同盟を結んだんだよ

後世の立場からすれば、織田が強大化すれば後々危険だと分かるが
まさか信長があんなにハイスピードで勢力を強大化させることに成功するとは
当時誰も予測できなかったんじゃないか?
ましてや信長が天下人の座に一番近い位置まで強大化するなんて予想するのは無理
強大化する前の織田を警戒しすぎて美濃に介入して自国の防衛ラインが伸びるなんて事普通はしない

当時信長を含めて誰も天下統一なんて意識しておらず、
自身の家の存続のために領土を拡大し、自勢力の強化に邁進していた
上記の考えなら美濃侵略よりもまずは西上野の確保を目指すのが自然

なぜならば織田と斎藤の争いに介入して三つ巴になって泥沼化の戦いをするよりも
美濃と石高が同程度な上野を攻めたほうが安全で勝算が遥かに高いから。

それに敵対していた上杉のことも考えたら領土防衛のためにもまずは西上野制圧が急務なんじゃないか?
史実だと箕輪城を落城させた頃の美濃では織田が7割がた美濃を掌握しており、
西上野を制圧した後で美濃に横槍を入れるのは難しい

簡単に言うと、上杉よりも先に西上野を確保しないと防御がヤバイ、美濃攻略なんて2の次3の次
西上野攻略のためにとりあえず織田と同盟したけど想定外の速さで織田が美濃を制圧しちゃった・・・

駿河侵攻に関しては結論を出すのは難しいね
今川と手を切ったら北条が激怒して大ピンチになり
結果、時間を浪費した形になったわけだが、
その反面、海を確保する事が武田家に課せられた課題だったのも事実
失敗だったのは徳川まで敵にしちゃったことだと思う




373 :人間七七四年:2007/09/03(月) 20:50:25 ID:xouEqRw4
>>372
うん、自分のは元亀元年ころの設定なんだが、分かりにくくてごめん。
まあこれも例えば今川氏真に全軍を率いて三河に攻め込む器量があるかどうかとか
いろいろ問題はあると思うが、この時期(元亀元年秋なら姉川の後、志賀の陣の頃)なら
浅井・朝倉は横山城を奪回して美濃へも攻め入れるかもしれない。

また信玄の寿命をいじる必要もないと思う。元亀元年秋からだと死ぬまで2年半あるから、
負ければ別だがうまくいけば信長を倒すことができる。美濃・尾張を制圧したぐらいで
信玄が死んでも義信がすんなり後継者になれるだろう。
場合によっては膨張した領国を管理するため勝頼を岐阜に置くようなことも考えられる。

ただこの頃に攻め込むと足利義昭は信長と対立していないかもしれない。義昭を敵に
回すと政治的に厄介なので都には入らず、初期の信長同様将軍の保護者をもって
任ずる。天下人にはなれないだろうが幕府内の地位は得られるだろう。

もっとも、こういう風にして武田を勝たせた場合に史実より良い工合になるかといえば
戦乱が長引くだけのような気もするが、それはまた別の話になるだろう。

374 :人間七七四年:2007/09/03(月) 21:06:40 ID:B0jEijp5
結局、甲信相武上駿遠三は唇歯の関係ってことか
けど、運命共同体であることになかなか気付けないものだよな
当事者達は

375 :人間七七四年:2007/09/03(月) 21:06:51 ID:3ouptrhF
勢いが早すぎてついていけねーよww

376 :人間七七四年:2007/09/03(月) 21:44:47 ID:6MZ5jSO4
みんな好きなんだな。


377 :人間七七四年:2007/09/03(月) 22:09:22 ID:hh+AZE+u
>>369
今川は武田の信濃攻めに何度か援軍出している
また北条が上杉に攻められた時も援軍を出している

北条も川中島に援軍出したりしているが、長尾は共通の敵か
でも今川に援軍を出したりもしている

>>373
信玄は基本的に義輝義昭とは敵対する側にいたから
また義昭を敵にまわしたところで問題無いんじゃ

今川氏真が全軍率いる言っても、武田が今川を攻める直前には
徳川は遠江をある程度手に入れているから、下手したら
元亀には徳川の方が今川より国力上になっているかもよ

378 :人間七七四年:2007/09/03(月) 22:14:48 ID:gIDnEXcc
>>373
いや、よくレスを読めば分かるのに勝手に勘違いした俺がスマンかった

史実を知っていて、信長の打倒を目標にするのならいいかもしれないが、
今川との決裂の過程は
65年勝頼と信長の養女婚姻で同盟、義信事件、飯富虎昌切腹
67年義信廃嫡
68年徳川と今川攻めの協定

浅井長政が信長を裏切って、浅井・朝倉対織田の構図になり織田が苦境に立たされるのは70年以降

今川と同盟を維持するには少なくとも65年から67年の間に同盟維持の立場を鮮明にする必要があるけど、
その時には、浅井が織田から離反して信長苦境の時代が来るとは誰も予想できなかったはず

同盟維持か破棄か悩んでた時期に元亀元年に浅井・朝倉が信長と対峙して、
信長にとって苦境の時期が来ると知っていたら今川と同盟を維持して美濃に侵攻した可能性も十分にあると思う。
しかし実際に今川と同盟を破棄した頃には、今川は落ち目で織田・徳川に勢いがあるという情報しか持ち得なかった
信玄が今川との同盟を維持するメリットは少ないと思う。
北条・今川との同盟関係から勢いのある織田・徳川との同盟に鞍替えして
駿河を海を手に入れるという事を選択したのはありだと思う。

問題なのは敵対関係となった北条・今川と対峙するためにも
織田・徳川との同盟関係を維持しなければいけなかったのに、
何を考えたのか徳川までを敵にして八方ふさがりにしてしまったこと



379 :人間七七四年:2007/09/03(月) 22:31:00 ID:gIDnEXcc
>>377
それらの援軍は自身とも関係がある敵・地域への援軍だから
援軍を派遣したのにも理由がある
だけど北条が自身と全く関係のない美濃、三河にまで援軍を出したりするかな?

72年の信玄の西進時に援軍を出した例もあるから可能性はあるかもしれないね
だけどその時の当主は氏政だから、氏康が当主だった場合は援軍を派遣したのか興味があるな

>今川氏真が全軍率いる言っても、武田が今川を攻める直前には
>徳川は遠江をある程度手に入れているから、下手したら
>元亀には徳川の方が今川より国力上になっているかもよ
>>373>>366で武田が今川と手切れをせず、徳川の遠江侵攻を今川・北条で防いだ場合と仮定しているよ
だから徳川は遠江を手に入れていないはずだよ

380 :人間七七四年:2007/09/03(月) 22:42:14 ID:hh+AZE+u
>>379
>それらの援軍は自身とも関係がある敵・地域への援軍だから
>援軍を派遣したのにも理由がある
だったら美濃、三河にまでだって援軍出したりするんじゃないか?
正直今川と藤沢や上杉
北条と藤沢高遠なんかは直接関係があるとは思えないが

>>>373>>366で武田が今川と手切れをせず、徳川の遠江侵攻を今川・北条で防いだ場合と仮定しているよ
>だから徳川は遠江を手に入れていないはずだよ
上の>だけど北条が自身と全く関係のない
と矛盾していないか?

ついでに>>366は北条と武田が協力して今川を助けるということでしょ
だとしたら、武田は今川支援もあるからその分東美濃へ向ける兵が減るってことになるんじゃ

381 :人間七七四年:2007/09/03(月) 22:58:35 ID:gIDnEXcc
>>388
そういや関係の無い地域への援兵もあるんだね
とすれば、三河への出兵も可能性としてはあるということになりそうだね

それと俺は>>366じゃないのに
なんで俺の意見を関係の無い>>366に当てはめて矛盾してるというんだよ・・・

>ついでに>>366は北条と武田が協力して今川を助けるということでしょ
>だとしたら、武田は今川支援もあるからその分東美濃へ向ける兵が減るってことになるんじゃ
仮に武田が今川と同盟を維持した場合、
武田が援軍を出さずとも三河一国の徳川単体では遠江攻略は難しいから
武田からの援軍は必要ないと思う

382 :381:2007/09/03(月) 22:59:26 ID:gIDnEXcc
ウハ、俺どこにレスしてるんだよw
正しくは>>380

383 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:15:41 ID:hh+AZE+u
>>381
よくID見ていなかったスマン

>武田が援軍を出さずとも三河一国の徳川単体では遠江攻略は難しいから
>武田からの援軍は必要ないと思う
史実じゃ徳川単体で1568年までに見付辺りまで出兵しているみたいだが

384 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:22:25 ID:qjDKM2rt
今思ったんだが、今川への援軍と称して、三河に侵攻するのはどうだ?
三河領有はもちろんのこと、代償として遠江の一部を割譲。
北条と敵対することもなく、武田家悲願の海も手に入れられる。

385 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:30:12 ID:hh+AZE+u
>>384
軍鑑だと似たようなことを持ちかけているけど

父の仇であると信長の縁戚となった
今川家の家臣に書状を送っている
義元も信玄のことを油断なら無い人物と言っていた
供応した際に今川家家宝の定家筆伊勢物語を酔った振りして持ち去った

などの理由から武田は信用できないと断られている

織田と同盟結ぶ前なら三河折半ぐらいで可能じゃないかな?

386 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:34:18 ID:gIDnEXcc
>>383
三河での今川軍との戦いに勝利していたし、
飯尾連竜を調略で離反させたりして今川はかなり弱体化していたから
冷静に考えてみれば、徳川単体相手でもきつそうだな

>>384
史実では一緒に三河を攻めようという案を氏真に一蹴されているから無理なんじゃないか?
第一、今川の三河奪還の為の援軍でなんで武田が三河を領有してるんだ?
しかも更に遠江の一部を割譲とか無茶苦茶すぎるだろ・・・


387 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:41:24 ID:qjDKM2rt
>>385-386
ならば、武田単独で三河侵攻。
当時の徳川は三河一向一揆の後遺症もあるので、攻略は容易いと思う。
名分は氏真が不甲斐ないので、代わりの仇討ちで良かろう。

388 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:51:05 ID:gIDnEXcc
>>385
信玄と信長が同盟を結んだのは永禄8年
家康が三河を統一したのは永禄9年だから
信玄が信長と同盟を結ぶ前、
永禄8年以前の三河を統一していない時期の徳川と対峙するために
三河の半分を譲ってまで武田に援軍を求めるかな?

>>387
代わりに仇討ちの大義名分だと奪取した三河を今川に譲らなければならないと思う。
もし勝手に仇討ちの大義名分を掲げて勝手に三河に侵攻、そのまま三河を保有なんてしたら
今川激怒、同盟の解消に繋がるがそれでいいのか?


389 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:51:46 ID:qjDKM2rt
で、あとで氏真が文句を言ってきても当然無視。
万が一、氏真が戦を仕掛けてきたら、迎え撃ってぶっ潰す。
北条も氏真から仕掛けた場合は、積極的に支援は出来まい。
また、義信をはじめとする武田内の親今川派も、これでは文句を言えないはず。

390 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:57:08 ID:mDzW7hzB
武田と同盟を結ぶところがなくなりそうだな

391 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:58:24 ID:gIDnEXcc
>>389
何だよ、その幼稚な先に殴ったほうが悪いんです理論w
史実以上に最悪な武田包囲網が完成されそうなんですけどw

392 :人間七七四年:2007/09/03(月) 23:59:03 ID:qjDKM2rt
>>388
仇討ちの大義名分がダメなら、他にもいろいろこじつけられる。
三河一向一揆を弾圧した家康を成敗するとか。
信玄は顕如と義兄弟なので、俺はこれでも名分は立つと思うな。

393 :人間七七四年:2007/09/04(火) 00:03:06 ID:1tqa8zO6
>>392
どんな大義名分をこじつけようが
今川の許可なしに勝手に三河に侵攻するのは不味いだろ・・・
今川激怒、同盟解消は変わらないと思う

394 :人間七七四年:2007/09/04(火) 00:12:47 ID:1bZCWNLn
>>393
それは、そのときになってみないとわからないのでは?
不甲斐ない氏真に、武田と事を構えるだけの度胸があるとは思えないけど。
そんな度胸があるなら、とっくの昔に父親の仇討ちしてるだろうし。
しかも三河はすでに自国領ではなく、すでに徳川の領土。
武田が氏真に文句言われる筋合いはない。

395 :人間七七四年:2007/09/04(火) 00:21:53 ID:3/rb/wb8
>>388
家康の三河統一は1564年永禄7年じゃ

396 :人間七七四年:2007/09/04(火) 00:28:48 ID:zqzd5wdm
>>394
仮に三河を得ることに成功したとして、その後の展望は?
その後武田は他の勢力と組むことなく生き残っていけるかね

397 :人間七七四年:2007/09/04(火) 00:37:31 ID:1tqa8zO6
>>394
分かるだろ
現に信玄は氏真に対して共同で三河に攻め込もうと提案している
君の主張が正しいのなら、わざわざそんな提案しないのでは?

失った旧領地を取り返そうと戦ってる所に
同盟国が勝手に横槍入れてくるとかありえない事

度胸どうこう言う前に、桶狭間で家中が大混乱、加えて配下の松平が独立
この様な状況でもお前が氏真の立場なら親父の仇討ちができるというのかね?

>>395
スマン正しくは永禄7年6月にに吉田城を攻め落として統一だね



398 :人間七七四年:2007/09/04(火) 00:46:41 ID:1bZCWNLn
>>396
北条との同盟は解消されないよ。
そもそも三河を武田が取ったところで、北条には全く関係ないしね。
北条が武田との同盟を破棄したのは、信玄が駿河に侵攻したから。
駿河は昔から北条も狙っていたところだからね。
氏真への義理立てだけで、武田と戦争するほど北条もバカではない。
あわよくば、どさくさに紛れて駿河を領有しようという魂胆があったと思う。
ひょっとしたら、北条と密約して今川領を分割出来るかも知れないな。
いや、たぶんそうなる。

399 :人間七七四年:2007/09/04(火) 01:08:34 ID:1bZCWNLn
>>397
>君の主張が正しいのなら、わざわざそんな提案しないのでは?

信玄は仇討ちを助けるという、大義名分が欲しかっただけじゃねえの?
あと、自軍の損害を少なくするためと。
もちろん、あとで三河を領有するつもりだった思うが。
で、大義名分は別に何でもいいわけ。

>度胸どうこう言う前に、桶狭間で家中が大混乱、加えて配下の松平が独立
>この様な状況でもお前が氏真の立場なら親父の仇討ちができるというのかね?

それも氏真が不甲斐ないから起こったことだろ?

400 :人間七七四年:2007/09/04(火) 06:12:54 ID:tBGaPmyT
信濃方面から三河行ったら補給路が細く長くなりそうだな
この時期清洲同盟もあるはずだし、流石に松平の危機に信長が口だし、防衛協力しないとは到底思えない
三河侵攻したら当然、織田松平連合VS武田単独で隘路を侵攻、どう考えても負けフラグです、ありがとうございました

401 :人間七七四年:2007/09/04(火) 09:24:17 ID:QBSz1M3W
後は天然謙信がどう動くかだよな。一向一揆で防げばいいって単純に考えてる
奴もいるけど、川中島はいつも越中に3000程兵を派遣した上で戦っていて、動きはいつも読まれている。
抑えには無理だろうね。場合によってはどうしても謙信まで召還する事になる。
信玄が戦でガチで謙信に勝てるかと言えば無理なわけで、これはどうする?

402 :人間七七四年:2007/09/04(火) 15:07:10 ID:HOABNzHp
>400
信長は美濃攻めの最中です。

403 :人間七七四年:2007/09/04(火) 15:52:22 ID:tBGaPmyT
>>402
美濃攻め最中でも後ろがやばかったら押さえの兵を置いて援軍に行くだろ
まぁそうならないように信長は先手を色々打った感じだけどな(東美濃調略および清洲同盟&武田との同盟)
この時点の外交で既に信玄は負けてた訳だ

404 :人間七七四年:2007/09/04(火) 19:42:14 ID:1tqa8zO6
>>398
武田が三河を取ろうが北条には直接は関係ないかもしれないね
だけど三国間の均衡が間違いなく崩れる武田の三河奪取を北条が黙って見ているかな?

今川領分割の提案に対しても当然北条家内で親今川派と武田派とで対立してどうするのかは興味あるね

大義名分・道義的に苦しい武田家との同盟を存続させる事は、その後の外交等の事を考えたら簡単にはできないと思うんだが、
当時の三国間の関係とかに詳しい人はどう見る?解説お願い

まあどっちにしろ(下でも書くけど)、
西上野もまだ手に入れていない武田では三河を切り取るのは相当厳しいだろうな


>>399
当主の義元が想定外のあの様な死に方をし、
同時に多くの有力武将まで義元と一緒にお陀仏
当然、今川家大混乱→家康がこれはチャンスと松平家独立→更に混乱は深まる
この様な状況になったのは義元が死んだせいで、氏真の不甲斐なさとやらが引き起こしたわけではない

不甲斐ないから氏真は武田と事を構える度胸がないとお前さんは>>394でも言ってるが、
史実での武田に対する塩止めなど十分武田と事を構えてると思うんだけどな

>>401
やっぱり一向一揆はそう都合よく利用できるものじゃないんだね

>>402
永禄7年に浅井と同盟を結ぶ
(斎藤家は六角と同盟を結んでいるため浅井が本格的に美濃に出兵するのは厳しそうだが、牽制程度なら機能しそう)
西美濃の揖斐川根尾井川以西の四郡を支配
東美濃三郡支配
松倉城、加治田城等調略、堂洞城等攻略
永禄6年美濃国境に近い小牧に居城移転

義信事件の前後の時期の美濃の情勢は
上記のように完全に織田が有利な情勢
斎藤家は守りを固めるのが精一杯

美濃へは数千の抑えの兵を置いて三河に万単位の援軍も可能なのでは?
西上野をまだ制圧していない武田が動員できる兵力は1万5千前後
勝手に三河に攻める場合は上杉に対してはもちろん、今川に対しての兵も分散する必要がある
それぞれ5千の兵を割り当てると三河遠征には5千程しか派兵できないと思うのだが、
これでどうやって三河を切り取るのかな?




405 :人間七七四年:2007/09/04(火) 20:00:49 ID:eh+MndKF
越中の一向一揆は単独では謙信に敵し得ない。また謙信も永禄年中の出兵は
椎名と神保の戦いへの介入で、一揆とは直接戦っていない(一揆は越中西部が拠点)。
謙信が真宗の道場に与えた制札が残っているので、越中では真宗の禁止はしていない
模様。

元亀3年の越中で一向一揆が謙信を苦しめるほどになったのは、加賀一向一揆が
越中に侵入したからで、謙信の手紙などでも「賀州衆」が主力と認識されている。
これは謙信に叛いて追放された椎名康胤が呼び込んだもので、椎名を叛かせたのが
信玄だとされている。
椎名が謙信に叛いたのは永禄11年なので、それ以後なら構図的には加賀一揆の
参戦がありうるけど、そう信玄の都合よく動いてくれるかどうか?

なお史実では信玄が死ぬと加賀一向一揆は撤退し、越中の一揆は謙信に制圧されて
和議を結んだ。

406 :人間七七四年:2007/09/04(火) 20:13:38 ID:1tqa8zO6
>>405
ということは、信玄が三河等の他国に攻め入る際に
上杉に対する備えは不確定要素の一向一揆の扇動だけでは不安・不十分なので
数千規模の兵の配置が必要という事でOK?

407 :人間七七四年:2007/09/04(火) 20:16:34 ID:ssUCHH6b
冬季以外の出兵だったらその通りじゃないかな

408 :人間七七四年:2007/09/04(火) 20:23:53 ID:eh+MndKF
>>406
そう思う。あとは北条との戦いに謙信がのめり込むことを期待するぐらい。
自分はきのう元亀元年侵攻を言ったんだが、その頃なら>>370で書いたような情勢で
謙信は関東に集中しているかもしれない。

それでも謙信が北信に出兵する危険はあるから押さえは必要だろう。特に織田との
戦いが長引く場合はね。
謙信と講和することは多分無理だし、また万一そうできても北条が怒ってしまうから
これは一層危険だと思う。

409 :人間七七四年:2007/09/04(火) 20:49:22 ID:eh+MndKF
それともう一つ、信玄は永禄11年に本庄繁長を謙信に叛かせたが、このときは
一応本庄支援のため兵粮を運び込ませたりしている。
しかし冬に越後が雪に閉ざされたころ信玄は本庄を見捨てた形で駿河に侵攻。
北条と上杉との和解が進む中で本庄繁長は謙信に降伏した。

また元亀3年の越中でも、謙信の来襲を恐れた越中の一向一揆は必死で信玄に
越後襲撃を要請、信玄もそうするつもりだという手紙を送ったが、そうはしないで
西上作戦を行った。

このように駿河攻め、西上などの重要作戦のとき信玄は前もって謙信を足止めする
策を講じているが、結果的には叛いた連中を裏切ったわけで、外部の勢力を
そうやって利用するのは限界があるだろう。信玄の出兵前なら、叛いた連中も
「信玄はきっと俺を助けにきてくれる」という一縷の望みをつなぐかもしれないが、
信玄の長期出陣の途中で誰かを謙信に叛かせようとしても、信玄の助けが望めない
わけだから、誰も捨て駒になりたくないだろう。

410 :人間七七四年:2007/09/04(火) 20:56:58 ID:1bZCWNLn
>>404
>これでどうやって三河を切り取るのかな?

三河内の一向宗をはじめとする、反家康派の存在を忘れていますよ。
彼らと協力すれば、三河制圧もそれほど難しいことではないと私は見ていますがね。
あと、信長が援軍に行くとなれば、尾張の喉元にある長島門徒衆を動かす手もある。

411 :人間七七四年:2007/09/04(火) 21:08:25 ID:lOBr6qYV
何で一向衆が信玄に動かされなければならないのかと思うが。

412 :人間七七四年:2007/09/04(火) 21:10:38 ID:eh+MndKF
>>410
それは史実で三河一向一揆が勃発する永禄6年より前に三河に出兵して、それと
同時に一揆を起こさせるという考え?

信玄はその頃にはまだ本願寺と同盟していないし、そもそも本願寺が信長と敵対
していない。(信玄と本願寺との同盟は永禄8年、信長と本願寺・長島一向一揆の
対決は元亀元年から)

三河で一揆を起こすことは門徒の反徳川感情が広まっていれば可能かもしれないが、
長島を動かして信長と敵対させることはできない。
また三河一向一揆が鎮圧された永禄7年以後に三河を攻めるのなら、その段階の
三河一向一揆には大した力は残っていないと思う。

413 :人間七七四年:2007/09/04(火) 21:15:25 ID:a6bfP+uR
>>409
勝頼の代にはその捨て駒とするための勢力も残っていなかったなー
こういう点も信玄の残した負債といえるかもしれん

414 :人間七七四年:2007/09/04(火) 21:16:17 ID:1tqa8zO6
>>410
三河の一向宗は家康に叩き潰されたばかりなのに
すぐに再起するのは無理なんじゃねえの?
信玄に扇動されて一揆を起こしても、家康を苦しめるほどの抵抗は不可能だと思う

長島の門徒衆は元亀元年(1970年)に本願寺が反信長の檄文飛ばすまで
信長と対立していない(桶狭間で服部友定と共に今川の味方をしたくらい)から扇動は無理だと思うんだが・・・
信長が本願寺と対立していない時期に長島一向一揆を扇動するのは都合よすぎじゃね?


415 :人間七七四年:2007/09/04(火) 21:20:19 ID:1tqa8zO6
>>412
ID:1bZCWNLnの昨日のIDがID:qjDKM2rtならば
三河一向一揆を家康が討伐した永禄7年以降(恐らく義信事件前後辺り)の話だよ


416 :人間七七四年:2007/09/04(火) 21:48:49 ID:oXeP09yE
昭和まで門徒衆は頑張ってたんだな

三河一揆の構成員は徳川に吸収されてるから無理だろ
松平の三河での影響力は今川も手を加えられないほどでかいし、これを反乱させるなんて無理無理

417 :人間七七四年:2007/09/05(水) 09:35:58 ID:2qWE3scv
>>409
本庄は謙信の家臣ではなく対等の同盟者として川中島の感状や軍記に記載されている。
本庄が叛いたのが三月、信玄は本願寺と組み勝興寺に越後侵攻を頼み、自らも飯山城攻撃を行っていたのが七月。
謙信が兵を派遣したのが八月、本庄攻めは十一月、信玄の駿河攻めは十二月。
推測でしかないが、五度に渡る川中島を経験して謙信と真っ向から争わないために誘き出した上で
駿河侵攻に変えた、もしくは全ての策が防がれ謙信が出てきたから潔くあきらめた、んじゃないかな。

どちらかと言えば、ガチでした共同の包囲戦であって駿河侵攻のためのダミー、とは少し違うと思う。

418 :人間七七四年:2007/09/05(水) 20:58:17 ID:ugKwzZ8d
>>417
確かに本庄だけでなく揚北国人をまとめて寝返らせるプランがあったようだから、
当初はもっと本格的な攻勢を考えていたのかもしれない。
でも(本庄単独の反乱に終わることがわかったからかもしれないが)武田軍の飯山・
関山攻撃は本気が感じられない。

謙信も8月18日の手紙で「最大でも20日以内に敵は撤退するだろう」と見ているし、
22日の手紙では信州口の敵が退却したので防衛に投入した部隊を本庄攻撃に
回している。

武田の部隊が撤退したのは駿河攻めに回すためだろう。もし本気で飯山城や
関山城を落として越後に乱入したりしたら、そこで深みにはまって駿河攻めも流れて
しまうしね。

419 :人間七七四年:2007/09/05(水) 21:09:30 ID:qhKNT11k
当初は本気だったけど
勝てないから諦めて兵を退いただけだと思うが

それでこの時期には遠江の国衆も徳川に通じているから
漁夫の利を得ようというか、徳川の戦果を掠めとろうとしたのか
駿河に侵攻に切り替えたのだと思う、
駿河奪取後に遠江に手を出したのも徳川と戦うというより
徳川の戦果を掠め盗ろうとした動きに見える

420 :人間七七四年:2007/09/05(水) 21:36:21 ID:ugKwzZ8d
それだと信玄にとっては越後攻撃が本命で、うまく行かないから急遽駿河攻めに
切り替えたような感じがするが、そんな行き当たりばったりなものではないだろう。
また「勝てないから」と言えるほど全力を投入していないと思う。

今川攻めに関しては攻撃後に北条氏照が上杉家の誰かに出した手紙では
「駿・甲・相は不離の間柄だったが、恨みがあるわけでもなく国がほしいという
だけの理由で甲州から駿河に乱入してきた。しかし当方に対しては表向き
『駿河と越後が示し合わせて武田を滅亡させようとしたので手切れに及んだ』
と言ってきた。貴国に内通したのだろうか。それなら今川殿の滅亡も是非に
及ばない」
と言っているが、今川が上杉に同盟交渉をしていたのは事実で、その情報を
つかんだ時点から本格的な準備をしていたと思う。

ただ北条に対してはどうも中立を保ってもらえるのではないかと期待していた
節もあるが(信玄が駿府に雪隠詰めになった不手際を見ると)。

421 :人間七七四年:2007/09/05(水) 23:17:11 ID:OiMbHrHW
全ての事が合理的に考えて行動した結果なのだろうか?
関特演の後、南方に進出し衝動的決断と評されたような事も考えられるのではないだろうか?



422 :人間七七四年:2007/09/05(水) 23:45:48 ID:2qWE3scv
そこら辺は信玄本人の書面でも残っていない限り推測の枠を超えられないと思う。
都合良く取り繕い完璧超人にもできるし、あいかわらずの行き当たりばったりで家臣を殺す馬鹿殿とか、極論だけど。

自分個人の考えとしては駿河より越後の港のが数倍も魅力があったと思える。
全てを計算付くで、んー、ちょっと無理あると思う。もし謙信に追撃されたら?変な話し徳川に挟撃されたら?
織田と武田の絶対的な経済力の差の根底には港の有無があったと思われるし。
どっちかと言えば徳川の戦果を掠め盗ろうとした動きに見える って意見に賛同した。

423 :人間七七四年:2007/09/06(木) 00:10:45 ID:F4jotSE4
>>422
領土防衛の観点からすれば越後を切り取れたとしても、その後維持するのが難しいので
総合的に考えたら駿河の方を選択するのが普通なんじゃね?

424 :人間七七四年:2007/09/06(木) 01:05:04 ID:6S9mUzrR
武田から見ると上杉の喉元に剣つけてるしおまけについてくる北越最大の貿易港直江津は垂涎ものじゃないかと

425 :人間七七四年:2007/09/06(木) 01:37:19 ID:F4jotSE4
>>424
そりゃあ直江津は咽喉から手が出るくらい欲しいだろうけど、
冬になったら甲斐・信濃からの派兵が無理という条件で領土を維持できるかな?

426 :人間七七四年:2007/09/06(木) 02:01:20 ID:zGHSgCgZ
>>425
直江津とれるぐらいなら領土の維持は問題ないだろ

427 :人間七七四年:2007/09/06(木) 07:00:58 ID:BWGGn/d1
別に越後全部を攻め取る必要も無いわけで

428 :人間七七四年:2007/09/06(木) 07:41:33 ID:Cacs4lWf
だが現実には飯山城も関山城も落としていないわけで。
本庄繁長と越中に越後軍の一部を縛りつけた状態で国境突破ができない程度の攻撃で
本気だなんて言えるか?

429 :人間七七四年:2007/09/06(木) 08:37:37 ID:41KIGWIT
>>428
それが実力相応だってことでしょ
こりゃ駄目だ、と見切りをつけてより弱そうな今川攻撃に切り替えた
信玄は若い頃から機会主義的だったから(徳川・織田への盟約破りもそう)別に奇異とは思わない

430 :人間七七四年:2007/09/06(木) 08:43:53 ID:Q9d3Dffj
>>428
信玄の城攻めはいつもそんな感じだよ。信濃、上野とか特にね。
だから落とせない場合は略奪、虐殺、奴隷狩りで相手の国力を確実に落として自分は肥えて、次に繋げる。
川中島の前哨戦でも、よく飯山城を攻撃していたけどいつも追い返されていたよ。
落とせない=本気じゃないは信玄の城攻め能力を過大評価し過ぎ。

431 :人間七七四年:2007/09/06(木) 10:34:45 ID:p6/4dUVH
そういや、高天神についても「信玄は本気じゃなかった」って意見が昔からあるな。

432 :人間七七四年:2007/09/06(木) 14:23:35 ID:1Y60cLD+
贔屓が論評すると、負けと認めたくないからなんとか抜け道を探すものさ
本気じゃない、ということは結局一番その大名とその手勢をバカにした結論なんだけどね
明白な負けと認識されなきゃいいや、程度じゃないの?

433 :人間七七四年:2007/09/06(木) 15:51:07 ID:cveFGVx7
ガチで戦って負けよりも、相手を軽んじて負けたって方がずっと評価が低くなりそうな気がするのは気のせいか?
眼力が無いor情報収集不足って証拠じゃないの

434 :人間七七四年:2007/09/06(木) 16:28:51 ID:OpbUDgtT
まるで池乃めだかみたいだw
「今日のところは勘弁したる」

435 :人間七七四年:2007/09/06(木) 16:43:49 ID:Q9d3Dffj
城攻め失敗=負けってのはかなり短絡的だけどね。ゲームじゃあるまいし。
砥石崩れの様なケースは完全な大敗だけどね。


436 :人間七七四年:2007/09/06(木) 17:41:16 ID:DnV6ryFq
自分が「本気ではない」と言ったのは別に信玄を馬鹿にしたわけじゃなくて、本庄繁長の
謀叛を長びかせるためのポーズだったという意味なんだけどね。
繁長が謀叛したとき武田軍が国境を攻めないと、繁長はすぐ自分が捨て駒だと気づいて
降伏するだろうから上杉軍を本庄攻めに縛りつける効果がない。
しかし本命は駿河攻撃だったという考え。
信玄が他勢力を捨て駒に使ったという考えが気に触った人もいるかもしれない。

ただ駿河攻めは12月に行われたのでいずれにしても越後は雪だから、繁長に謀叛を
させなくても背後を突かれる心配は少ない。その点では越後攻撃が当初の目的だったと
するのが理にかなっているようにも思える。もしポーズ説をとるなら、繁長単独の謀叛に
終わったので越後軍を拘束する効果が少ないと判断し、駿河攻めは冬の作戦にしたと
考えることもできるか。
本当はどうだったかは難しいが、本気の越後攻略なら西上作戦並の大軍を投入すると
思うし、駿河攻めの前なら越後以外に敵がないから動員は可能だったろうが、そこまで
していないだろう。

437 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:28:13 ID:cveFGVx7
>>436
そっちじゃなくて高天神の方・・・

438 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:30:22 ID:zwq4KQNy
いや、これは信玄知ってる人なら生涯ずっとやって来た手だとわかってるからw>信玄が他勢力を捨て駒に使った
ギャグみたいな信玄贔屓を笑ったり突っ込んだりしているだけかと

439 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:35:42 ID:DnV6ryFq
>>437-438
そうでしたか、失礼w

440 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:50:59 ID:gW2y3OM3
>>436
一応あれは一年ほど前から越中や葦名に声かけたりして根回しをしていてその上での出兵
兵数がどの程度かは分からないが信玄自身も出兵していることから全力だったんじゃないか?
いくつかの支城も落としているし、飯山城を攻めて双方に死傷者を出していることから
それなりに本気だったと思う
ただ本庄繁長を助ける気はあまり無かったんじゃないかと
本庄繁長を捨て駒にして、その隙に何とか北信濃を支配したかったんじゃないかと思う。

駿河攻めの陽動とするなら普通に冬に攻めればいいだけだしね


駿河攻めの具体的な用意をしたのも1568年11月だから
俗説にある信長の上洛(1568年9月開始10月28日終了)に刺激されたも
一つの要因になっているのかも

織田が上洛成功によって強大化したから、徳川がより強大化するのを嫌って
先に今川領を奪おうとしたとも考えられるか?
織田が強大化したから今川を完全に捨て織田に付くため今川を攻めたとすると
何で徳川に攻撃をと言うことになるし。

441 :人間七七四年:2007/09/06(木) 20:35:43 ID:DnV6ryFq
>>440
なるほど、飯山から奥の信濃攻略だったのかもしれないね。

そろそろ本筋に戻りたいが、もともと「信玄が駿河侵攻をせず今川と一緒に織田・徳川を
攻める」という案や「信玄単独で三河を攻める」という案が出て、そういうとき上杉対策を
どうするかということからこの話になったんだっけか。
自分が駿河攻めをしないようにする案(元亀元年西上)を出したのは、氏康が死ぬまで
西上ができないという制約を外そうという意図だった。

もし信長がいなかったらスレを見た影響か、これ以外にも元亀3年より前に時間を戻した
話を考えた。たとえば桶狭間で今川義元が信長を倒して尾張を征服した場合とかだが、
確かに武田は信長に亡ぼされる心配はないが、上洛するのは無理そうに思う。
これではさすがに本末転倒かw

442 :人間七七四年:2007/09/06(木) 21:41:51 ID:Aj41JdMM
>>441
桶狭間で今川が勝利して尾張を制圧した場合は
武田家の未来は真っ暗になりそうだな

史実みたいに駿河に進出できない(義元健在の今川家とは対峙できない)
関東方面は西上野を切り取れるくらいで、
それ以上関東方面に進出すると北条と衝突してしまう

美濃は今川家が尾張の次に切り取りにかかるだろうから、
良くて東美濃数郡を切り取れるくらいで肥沃な部分は今川が独占

結果残されたのは越後進出くらいで、
西上野を切り取った後は上杉とgdgd戦い続けることになるんだろうな

歴史がどうなっていくかによっては領土拡大のチャンスがくるかもしれないが
当面の間は手詰まり状態が続くのは間違いないだろうね

443 :人間七七四年:2007/09/07(金) 06:08:40 ID:KfBVHFkd
飛騨から越中に抜ける道もないか?
どっちにせよ謙信と頑張らなきゃいけないが
だがまぁ、義元がどこまで進めるかじゃないかね?
義元が美濃進むとは限らないしな
伊勢から行く可能性だって否定はしない
また信長生存して他国に逃れる可能性もあるしどうとも言えない気がする

444 :人間七七四年:2007/09/07(金) 06:12:41 ID:hZ9RUgLm
http://www5.plala.or.jp/nakata/

445 :人間七七四年:2007/09/07(金) 08:05:00 ID:2qnISO2E
越後、上野、飛騨、美濃へ侵攻しろと簡単に言うが、相当の労力だ
信濃から他国への侵攻は本当に辛い。国境の峠がハンパ無い、豪雪地帯だし
駿河侵攻が正解だと思う。北条と争わず駿河取れれば最高だけど・・

446 :人間七七四年:2007/09/07(金) 10:00:23 ID:NXlQtNSN
>>443
飛騨から越中に抜ける道で大軍を動かすのは無理があると思うんだけど・・・

今川は普通は交通の要所でもある美濃を先に手に入れようとするんじゃないか?

仮に何らかの理由で今川が美濃に侵攻せずに伊勢に進出したとしても
信濃から美濃に大軍を動かすことはかなりの労力がいることだし
上杉と戦いながら甲斐・信濃だけの国力で美濃を落とすことは極めて困難
西上野を攻略してから美濃に侵攻するとしても、史実のように織田からの圧迫が無くなった
+今川が伊勢に進出したのなら、近江に進出して斉藤もまた勢力を拡大している可能性だってある
(義竜が死去すれば当分は内政に従事する可能性も高そうだが)

>>また信長生存して他国に逃れる可能性もあるしどうとも言えない気がする
信長が他国に亡命してもその国に利用されるだけであまり影響はないはず
もし亡命先の国を乗っ取るとかの話をしてるのなら論外

>>445
俺も駿河に進出できるならした方がいいと思うけど、
義元健在で尾張まで手に入れた今川家と同盟を切って戦うのは自殺行為だと思う
そんなことしたら武田は上杉と今川と同時に戦わなければならなくなる・・・


447 :人間七七四年:2007/09/07(金) 18:46:53 ID:/YaWr+3Y
まあ義元が死ねば動きがあるかもしれないけど、いつ死ぬかわからんわけだし
その時に今川がどれぐらいの勢力に伸びているかもわからないから判断しようがないね。

ただ永禄3年5月に今川が尾張を攻めると聞いて、信玄は義元がまさか死ぬとは思わない
だろうから、北条今川に比べて自分には領土拡大の余地が少ないことに焦りを感じた
かもしれない。
それが後年の道義的に無茶な駿河攻めや西上作戦に繋がっていったのかも。

448 :人間七七四年:2007/09/07(金) 19:33:34 ID:r57PzUUN
尾張から直接伊勢を攻めるのも相当な困難だと思う。木曾三川と、なにより
すぐ直前にまでせまっている美濃の勢力が邪魔をする。信長も、伊勢に兵を
進めたのは墨俣を獲って西美濃の南部を押えてから。

449 :人間七七四年:2007/09/07(金) 19:37:38 ID:/n8tbaO5
なんか今川と対比すると武田は浅井程度の勢力と大差ない感じがするな。


450 :人間七七四年:2007/09/07(金) 20:22:49 ID:/YaWr+3Y
永禄4年(1561)には斎藤義龍が死んで龍興が継ぐわけだから、今川が美濃を放置して
伊勢に進むとは考えにくい。
ただ斎藤が浅井と同盟したら手を焼くかも。

451 :人間七七四年:2007/09/07(金) 20:41:18 ID:NXlQtNSN
>>449
さすがに武田と同程度とするのは浅井を過大評価しすぎだと思うんだけど

>>450
史実では浅井と手を結んだ織田に対抗するために六角と同盟したけど、
織田がいない場合、今川・斉藤・浅井・六角間の関係がどうなるか予測するのは難しいな

452 :人間七七四年:2007/09/07(金) 20:49:16 ID:/YaWr+3Y
あと岩村・苗木の遠山氏は織田がさっさと婚姻で味方につけたわけだけど、これを
信玄側につけられれば龍興時代の混乱に乗じて美濃東部に進出する目もある。

ただ駿河から尾張に至る今川の威勢に、遠山側から今川にすり寄る可能性も大か。
そうなったら信玄は攻めるわけにもいかないから美濃進出はまず不可能。

453 :人間七七四年:2007/09/07(金) 22:29:28 ID:/n8tbaO5
>>451
当時貿易の中心地だった京周辺、特に重要な輸送拠点の琵琶湖を抑え朝倉と同盟を結んでいる
浅井と山奥でウキャウキャ奴隷狩りと穴掘りに明け暮れていた武田、あまり変わらないだろ。

454 :人間七七四年:2007/09/07(金) 22:48:47 ID:KfBVHFkd
>>446
信長が乗っ取るんじゃなくて信長を大義名分として尾張を領有できる勢力がある
仲は険悪だが義龍に実際は器量と才能があれば保護して尾張領有の手段とするだろうな
またそうする事で逆に道三の予言(実際あったかどうかは不明だが)を信長と義龍が正反対の立場で成就させるということもできるわけで
それに桶狭間一発で信長が死ななかった場合でも、尾張でギリギリまで反抗する可能性だってある
この時に信長が義龍相手に土下座外交するという可能性だってあるし、どうとも言えないとしか言えないとも思うな

>>451
今川としては新勢力よりも旧勢力に繋がりたがりそう
だから今川六角ラインと浅井斎藤ラインあたりが個人的には有力ではないかと思ってる
それと武田に関して過大評価というイメージが強いような・・・
浅井は一応当時落ち目ではあるものの強豪大名を劣勢で破った経歴がある分、武田より評価したいけど・・・

455 :人間七七四年:2007/09/07(金) 23:26:29 ID:gwqxiFQi
>>454
敵対していた国に亡命なんて普通あるか?

あとイメージだけで語るのもあれだが他国に落ち延びる信長って想像できないよな
金ヶ崎とか不利な状況下で素早く撤退してるけど、それは本国の尾張美濃が健在で再起できる状況下で
もし本国を失った場合、村上義清みたいに再起をかけて他国に亡命したりするのかな?
まあ亡命するかしないかは個人の性格が大きな要素だろうからこればっかりは決定的な根拠も無くただ想像するしかなさそうだね


話し変わって浅井に関してだけど、浅井家の石高ってどれくらいだったっけ?
記憶が正しければ15万石程度だった気がするんだけど自信がない
>>453で琵琶湖を抑えてとあるけど永禄3年前後の琵琶湖の制海権は浅井家が手にしてたの?
あと当時の浅井家の勢力下の江北で特産品てあったっけ?これと言って思い浮かばない・・・
質問多くてスマン

456 :人間七七四年:2007/09/07(金) 23:44:58 ID:/n8tbaO5
>>455
石高厨乙


457 :人間七七四年:2007/09/07(金) 23:52:23 ID:/sGZmiyN
当時でも港に入る船から津銭(入港料)取ってたんでしょ

458 :人間七七四年:2007/09/07(金) 23:56:04 ID:gwqxiFQi
>>456
石高厨?
このスレでは石高について質問することはNGだっけ?
浅井家についての話題が挙がってるから、それに関連した質問してみただけなのに
いきなり厨呼ばわりかよw

459 :人間七七四年:2007/09/07(金) 23:59:14 ID:llSxyg4i
テンプレもみないのは厨と大差ないがな
テンプレの根拠は膨大な過去ログのどこかに眠ってる


460 :人間七七四年:2007/09/08(土) 00:06:27 ID:61hqRMUI
テンプレの浅井家の石高は元亀三年のもの
俺が聞きたいのは永禄三年前後の浅井家の石高なんだがテンプレの何処に記載されてるんだ?

461 :人間七七四年:2007/09/08(土) 00:35:16 ID:vwDwISmO
自分で調べろよ

462 :人間七七四年:2007/09/08(土) 00:40:19 ID:mpLnKrv9
>>455
逆に信長ならなんでもしかねない「凄まじさ」はあるような気はする
あくまでイメージだけどね
この面で言えば一番の問題は義龍の方なんだが・・・
殺すか、生かして利用するか
うまく使えば国内豪族まとめる事も一時的には楽にできそうだ(火種は残りそうだが)
まぁだがこれ以上は信玄上洛とかとはかけ離れるのでやめた方がよさげだが
そういや仮想戦国シリーズで信玄に織田が滅ぼされて信長が伊達に逃げ延びたーってのがあったような

463 :人間七七四年:2007/09/08(土) 06:07:16 ID:8RikE9tm
浅井の石高の数字は知らんが、史実では永禄6年(1563)10月に六角で観音寺騒動が
あって家中が混乱し、それに乗じて浅井は犬上郡・愛知郡に進出する。
その前の浅井は最盛期よりだいぶ小さいと思う。

ただ桶狭間で信長敗北の世界でも観音寺騒動が起きるなら、今川が1年や2年で
美濃まで全部征服できるとも思えないので、その間に浅井が史実の最盛期まで大きく
なっていると思う。
一方今川が六角と手を結んでも、観音寺騒動の後はあまり頼りにならないだろう。

464 :人間七七四年:2007/09/08(土) 06:08:46 ID:lI8hV10z
>>460
まさかすれ違いもはなはだしい事聞いてくるとは思わんかった
結論としては>>461

465 :人間七七四年:2007/09/08(土) 06:35:05 ID:VyCH0DRN
このスレ的には、まさにその元亀三年さえわかってれば全く問題ないからな
浅井スレなりなんなり、該当スレへの移動も一つの手だね

466 :人間七七四年:2007/09/08(土) 07:45:47 ID:X+E2Tmds
1560年じゃ浅井は
伊香郡浅井郡坂田郡ぐらいで
秀吉が北近江3郡貰った時は12万石
このスレで使う太閤検地準拠なら
伊香郡3.3浅井郡7.0坂田郡8.4の計18.7万石
最盛期にはそれに加えて犬上郡5.6に愛知郡5.8の一部高島郡6.7の一部

ただ日本海交易の敦賀小浜と京を結ぶ今津海津塩津を影響下にしていることは大きいと思う

467 :人間七七四年:2007/09/08(土) 16:59:51 ID:61hqRMUI
>>464
桶狭間で今川が織田に勝って尾張を制圧した場合の武田家について議論する流れの中で
武田家は浅井家と同程度の勢力という話になっているから、浅井家について質問してみたんだから
完全にスレ違いではないだろ・・・

>>463>>466
サンクスです

468 :人間七七四年:2007/09/08(土) 17:14:42 ID:4LvU4ROG
>>467
こんなスレがある
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189136517/l50
すれ違いだな?

469 :人間七七四年:2007/09/08(土) 17:24:03 ID:61hqRMUI
>>468
>>1
>ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
>「どうすれば武田は上洛できたのか」
>「どうして武田は上洛できなかったのか」
>など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
>ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は『室町から江戸まで
>幅広くカバーしております。』
と書いてあるんだからスレ違いとも言いきれなくね?
あっちのスレは織田信長という人物そのものが存在していなかったらという前提があるし
武田家について語るスレではない


470 :人間七七四年:2007/09/08(土) 18:30:21 ID:MgHSfZDW
義元が桶狭間で勝利の話を振ったのは自分だから、スレ違いの大本も自分なのだが
結構これに食い付いた人が多いので連帯責任ということでw

今川が勝つとなかなか武田に目が出ないという意味では、この話題を追及するのは
スレ違いだと自分でも思うしそろそろやめてもいいが、この話題も「天下を取るとは何か」を
考えるという意味では面白い。
信長は自分で強力な戦国大名となり、自分を核にして大名たちの主従関係を再編成する
ことで天下を新しい秩序のもとに再統一しようとした。
それ以前の勢力は室町幕府体制の枠組みからなかなか抜けられなかったので、ここで
天下の意味が変わったろう。

元亀三年の信玄の西上作戦も現在から振り返ると、そういう信長的天下を前提として、
信玄が信長に取って代わることを目指したものだと考えられているが、例えば今川が
濃尾を取っていいポジションにつけたとしても、信長という先駆者がない状態でそういう
構想を抱けたかどうかは疑問だろうし、元亀三年の信玄でさえ(信長の目標は理解して
いても)信長軍を撃破してからの自分の政治構想を持っていたかどうかよくわからん。
頼まれたから出兵したみたいなことも手紙に書いているから、単にあわよくば領地を
増やしたいというだけかもしれないし、そういう説も昔からある。

ただこの問題を追求するのに今川義元勝利説を展開する必要もあるまいと言われると
まあそうなんだけどw

471 :人間七七四年:2007/09/08(土) 21:33:13 ID:4LvU4ROG
>>469
んな前提ない
勝手に前提創作すんなよ
そのスレのほうがお前の話の趣旨により近いだろうが
だからそっちでやれと

472 :人間七七四年:2007/09/08(土) 21:47:15 ID:MgHSfZDW
>>471
あるよ

>※ここでの「存在していなかった場合」というのは「そもそも織田信長という人物事態、
生まれていなかったら」という意味です。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189136517/2

473 :人間七七四年:2007/09/08(土) 21:56:57 ID:61hqRMUI
>>471
昔は知らんが今は信長が存在していないという前提であのスレは進行してるよ
part6をざっと読んでみたけど、みんな信長が存在していない・生まれていないという前提で議論をしていた
part7のスレから>>2
>※ここでの「存在していなかった場合」というのは「そもそも織田信長という人物事態、生まれていなかったら」という意味です。
>生まれていなかった場合の織田家等の設定等はまだ明確になってません。
>(信秀なき後、家をを継ぐのは信勝か?そして尾張の行方)
というテンプレみたいなものができたが、誰もこのテンプレ?に異論を唱えていないからテンプレとして認められてるんだろ?

で、俺の>>469で書いた質問はスルーですか?

474 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:25:40 ID:4LvU4ROG
>>472
都合よく
>で、よろしいか?
って一文ぬかすなよ
わざわざ承認を求めなきゃならんのがテンプレか?

>>473
お前も都合よく一文ぬかすなと
>>471で応えてるだろ?
より趣旨に近いスレがあるんだからそっちでやれど阿呆といってる

475 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:28:51 ID:ZDoaazF6
下らない言い合いしたいならどっか別のスレでやってくれ

476 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:29:41 ID:QiEjsED6
>>474
で、誰も異論を唱えていないってことは、承認されてるってことじゃないの?

477 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:33:26 ID:MgHSfZDW
>>474
おいおい、「各々方、よろしいか?」というのはテンプレに賛否を求めてるんじゃなくて
スタートの合図だよ。

俺がスレ違いの本家だから他にも文句があれば俺に言え。
つか自分でネタ振ってくれ。

478 :人間七七四年:2007/09/08(土) 22:47:34 ID:61hqRMUI
>>474
スレよく読めよ
part6以前はログ持ってないから知らんが、
part6以降を読めば信長は生まれていなかった場合を前提にしていると普通分かるだろ
(part6を読む限りでは相当前から信長が生まれていないという前提があったと分かる)

217 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/07/18(水) 00:47:57 ID:Eyc4SXgt
>>212
このスレでは織田信長は生まれなかったって設定だよ。

↑part6でのこのレスに対して誰も否定していない

part7の>>2の最後の文章>では、各々方、よろしいか?
は「では議論始めますけどいいですか?」という風に俺は解釈したから>>473で付け加えなかった
「テンプレはこれでいいですか?」と賛同を求める意味の文章だったのなら俺の解釈ミスだ
だけど、誰もあのテンプレ?に異論を唱えてないんだから承認されたと見るのが妥当じゃないの?

今川家が桶狭間で勝ち尾張を手にした場合の話も
その場合武田に上洛の目はあったのか?領土獲大に与える影響は?という話なんだから
>>1に書いてある事の許容範囲じゃないのか?

〜のスレでやれと、話のネタ’このスレでの許容範囲のネタ)を排除しまくるよりも
>>470も書いてあるようにいろいろな視野をもってスレを進行するほうが話の内容も深まるだろ

479 :人間七七四年:2007/09/08(土) 23:38:35 ID:61hqRMUI
連投すまんが
>>474
>「で、よろしいか?」
>って一文ぬかすなよ
と書いてあるけど、>>2で書かれた最後の文章は正しくは「では、各々方、よろしいか?」だぞ
お前こそ勝手に文章変えるな

>>474が勝手に文章を変えた「で、よろしいか?」 だと
「上記のテンプレの内容でよろしいですか?」という意味しか持たなくなる

あの文章は>>477>>478にも書いてある内容にも解釈できる(文法的にはこっちの方が可能性は高そう)のだから、
1つの意味しか持たなくなる文章にお前が勝手に変えて>>474で書くのは不適切
お前こそ都合よく文章捏造するなよという事になるな

>>より趣旨に近いスレがあるんだからそっちでやれど阿呆といってる
俺はお前が>>468で一連の話題がスレ違いと言ったことに対して
>>469でこの話題は>>1に書いていることの許容範囲内だからスレ違いとは言い切れないんじゃないか?
と質問したのに、お前はスレ違いかどうか答えないで、より趣旨に近いスレがあるからそこでやれと言ってるけど
これって論点をすり替えてないか?

480 :人間七七四年:2007/09/09(日) 00:11:14 ID:lhQ4ElHv
桶狭間で今川が勝っていたら、というifを必要とする話はスレ違いじゃないかな?
信玄の行動に関するifはありだと思うけれど。

481 :人間七七四年:2007/09/09(日) 00:26:00 ID:Tde9XQiq
どのだんかいなら信玄が上洛は可能か?というifならまあ、おけだと思うよ。
桶狭間で今川勝利ifの場合は、検討した結果が「信玄の上洛はほぼ不可能」であっただけで。

482 :人間七七四年:2007/09/09(日) 00:39:43 ID:+0iognEO
>>480
確かにあの話題を引っ張りすぎるとスレ違いになるかもしれないが、
あの話題は今川が桶狭間で勝った場合武田家の領土拡大に影響するかがメインの話で
信玄の行動に関するifでもあるよ

他の話題は特になかったし>>1に書いてある事の許容範囲内の話題でもあるから
他に話題が出るまでの繋ぎのネタとしてはokだと思う

今川が桶狭間で勝った場合の武田家の行動等を考察することは、
他の時代に武田家がどう行動するか予測するのに参考になると思うし、
いろいろな時代の武田家の行動を考察することは、結果このスレの主題である上洛を考察する上で結構重要なことだと思う。

限定した期間・状況下の武田家について考察するよりも、様々な期間・状況下で考察する事が必要なんじゃないかな?

483 :人間七七四年:2007/09/09(日) 04:12:33 ID:8/zx39xS
武田厨の意見ってさ
・徳川如きは武田なら軽くいつでも潰せた。生かせてやっておいたwww
・織田も信玄が本気になればいつでも滅ぼせた。戦下手の信長に野戦で負ける要素は0wwww
・武田の虐殺は綺麗な虐殺。上杉の奴隷売買は史上最悪の奴隷狩り
・一向一揆は武田の意向のみを素直に聞く奴隷戦士
・占領地は全て武田マンセーで受け入れてくれる。裏切ってくれる勢力だらけ!!
・信濃は日本一豊かな土地!!荊州のような平原!!
・長篠は大敗ではない。むしろ織田のほうが被害が大きい
・上田原、砥石崩れは大敗ではない。むしろ最後に勝った武田の勝利
(その理論だと三方ヶ原は結果武田の敗北になるのですが・・・・・)

大体こんな基地外意見しか言わないよね。
しかも中身の人が変わるだけでエンドレスに同じ事を繰り返すだけで・・・・・・

484 :人間七七四年:2007/09/09(日) 05:24:27 ID:O0x8VcwL
>>・徳川如きは武田なら軽くいつでも潰せた。生かせてやっておいたwww
>>・織田も信玄が本気になればいつでも滅ぼせた。戦下手の信長に野戦で負ける要素は0wwww


武田単独で織田を潰せると考えてる人は少ないでしょ。何のための包囲網なのかと。
ありえない無意味な仮定だけど、「徳川だけ」だったなら国力から言っても潰せたのはある種事実。


>>・一向一揆は武田の意向のみを素直に聞く奴隷戦士

本願寺と同盟を組んで、一向衆が上杉足止めに一役買ったのは事実。
ただ、長島・摂津・加賀・越中以外は史実で何も無いから期待できないだろうな。


その他の意見はコメントできないというか見たこと無いなあ。

485 :人間七七四年:2007/09/09(日) 09:05:57 ID:omz0wvh+
>483
. 武田軍は騎馬隊だから戦国最強

  を忘れてるよ

486 :人間七七四年:2007/09/09(日) 09:48:32 ID:7U813tWn
>>483
そんな事言っている者はどこにもいないと思うが。
特に下から三つの項目なんて丸で見たことがない、
そんな妄想をどこから引っ張り出してきたの?

487 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:07:58 ID:VKVQMCOr
>>486
以前、信濃一国で100万石あると言ってた馬鹿がいたんだよ

488 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:11:42 ID:O0x8VcwL
色々問題も多いけど、朝倉&摂津衆との挟撃は可能な状態かつ、信玄病死(狙撃?)せずに
野田城はあっさり攻略、この仮定で話を進めないか?

489 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:13:26 ID:nSAhg+sv
・長篠は大敗ではない。むしろ織田のほうが被害が大きい
・上田原、砥石崩れは大敗ではない。むしろ最後に勝った武田の勝利
長篠に関しては長篠日記によるなら損害率は結構アレだから
ただ、織田徳川は指揮官クラスがほとんど死んでいないのは何故と突っ込まれると
超理論展開してついていけなくるなるが
上田原戸石は良くみるな
まあ最後に勝ったのは武田なのは事実だが
じゃあと織田徳川との戦いにもその論理を適用しようとすると黙るけど

・信濃は日本一豊かな土地!!荊州のような平原!!
そこまで言ってるやつは知らないが畿内みたいに豊かと言ってたやつは最近
毛利関係のスレで見たような気がする

・武田の虐殺は綺麗な虐殺。上杉の奴隷売買は史上最悪の奴隷狩り
武田の虐殺は綺麗な虐殺はよく聞くけどセットで上杉を貶める武田厨ってのは
あまり見たこと無いな

・占領地は全て武田マンセーで受け入れてくれる。裏切ってくれる勢力だらけ!!
すべてマンセーは聞いたこと無いけど
武田が進軍すれば相手はドンドン裏切ってくれるから勝てるという理論は
このスレで何度も見ているな

490 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:19:50 ID:nSAhg+sv
>>487
過去スレにいたな、そんな奴
言われて思い出した

>>488
攝津衆が誰を指しているか分からないけど
朝倉に関しては単に江北まで出てくる設定?
羽柴磯野を破って南下してくる設定?

野田城はあっさり攻略って力攻めで落とすって設定?
前にもあったけど一応水の手切って落城だから、落とすペースと
信玄の状態はさほど変わらないと思う

491 :人間七七四年:2007/09/09(日) 10:53:35 ID:O0x8VcwL
>>490

とりあえず足利義昭、石山本願寺、長島一向衆、三好・六角残党、松永久秀、朝倉義景、浅井長政
との挟撃は可能な状態と仮定。
既に織田勢力を侵攻している訳じゃなく、信玄の意図でいつでも侵攻可能な状態。

この際、諸事情は目を瞑ってくれw じゃないと話が無理ですねで終わる。


野田城は400人程度との事だから、力攻めで落城。って仮定で。

492 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:02:56 ID:49BXfrx1
上洛可能な条件を設定して、上洛可能かを議論しろと言っているのか?

493 :人間七七四年:2007/09/09(日) 12:04:41 ID:O0x8VcwL
じゃあいいや。

494 :人間七七四年:2007/09/09(日) 21:15:03 ID:i3QfowNK
>>491
諸事情をどの程度に見積もるか
自分達の敵を無視してまで織田と戦うなら確実に織田が負けるだろうが
それぞれ自分達の敵と戦いつつ包囲網を最大限に機能させるなら
本願寺の戦力をどの程度と見積もるかによって変化しそう

足利義昭、六角残党、松永久秀、朝倉義景、浅井長政この辺はあっさり抑えこまれそうだし

495 :人間七七四年:2007/09/09(日) 21:33:34 ID:XDfYrlfr
>>476
賛意もないな
訳の分からん独り言に賛意示すやつがいるとは思えないが

>>477
「では」を見落としてたな
そのスレの前々スレにはテンプレなぞない
誰かが適当にカキコしたものをテンプレと認めるというのか?
なら「今川が桶狭間で勝っていたら云々はすれ違い」
これもテンプレだよな?

>>478
そりゃそういう前提で話すやつが多いってだけの話
桶狭間で死んでたらという考証もおこなってたが?
よりふさわしいスレがあるならそっちでやればいいだろ?
織田がいなかったらスレで「武田が上洛して天下とった」という路線で議論すればいい

>>479
なら改めて言ってやろう
すれ違いじゃボケ

496 :人間七七四年:2007/09/09(日) 22:56:23 ID:8/zx39xS
>>484
このスレの過去ログ見れば残ってるよ。つか、他のスレでもよくいる・・・・
歴ゲー板なんかしょっちゅうじゃないの?だから武田厨は馬鹿だと思われる。

>>489
信濃云々は肥ゲーの多い歴ゲー板じゃ多い。このスレでも何度も見かけている。
発言した途端にフルボッコにされて消えてるから目立たないだけなんじゃない?
上杉云々は北条系のスレで武田厨の意見でよく目にする。それと、このスレの少し前にもいたよ。


497 :人間七七四年:2007/09/09(日) 23:29:41 ID:+0iognEO
>>495
>そのスレの前々スレにはテンプレなぞない
ハア?前々スレにはテンプレが無い?何が言いたいんだ?

>訳の分からん独り言に賛意示すやつがいるとは思えないが

>そのスレの前々スレにはテンプレなぞない
>誰かが適当にカキコしたものをテンプレと認めるというのか?

訳が分からないテンプレみたいなのが>>2に書き込まれたら普通は明確に否定するぞ
それともあのスレは、初めてあのスレに来て>>2を読み、それをテンプレと信じた奴は馬鹿だという様な超排他的なスレなのか?

「※ここでの「存在していなかった場合」というのは「そもそも織田信長という人物事態、生まれていなかったら」という意味です」
はわざわざ賛成する必要が無いくらいあのスレでは当たり前の事なんじゃないのか?

「生まれていなかった場合の織田家等の設定等はまだ明確になってません。 」
はスレの状況説明なんだろ?状況説明に賛否のレスをするか?


そして、スレ違いという事に対して俺が>>469>>478で書いた反論に対する明確な答えが返ってきてないんですけど
それとも「すれ違いじゃボケ」の一点張りかい?


>>496
武田厨が暴れてるわけでもないのに唐突に>>483みたいな武田厨を煽るだけの意味の無いレスするなよ
まあ俺も他人の事言えない様なレスをしてるんだけどね・・・








498 :人間七七四年:2007/09/10(月) 01:26:21 ID:15QDuNlf
スレ違いにはスレ違いと言うしかないだろう。
スレ違いの事をレスしている奴にスレ違いと指摘した後に、
またスレ違いのレスをされたらスレ違いのことに関してでも答えにゃならんのか?

499 :人間七七四年:2007/09/10(月) 07:33:18 ID:lY8otU+p
>>491
その仮定通りに包囲網が機能してたら小田原北条の最後のように
本隊は篭城、残された支城を各個撃破な展開もありえる?

500 :人間七七四年:2007/09/10(月) 09:14:02 ID:G2jcq/Hr
スレ違い失礼。
幕末に甲州のの攻防で甲斐100万石という言葉が出てくるんですけど、
そんなに石高増えたんですか?


501 :人間七七四年:2007/09/10(月) 11:58:02 ID:SqTxEGKh
板違いですから日本史板で聞いてください

502 :人間七七四年:2007/09/10(月) 18:24:45 ID:hHv9icVC
>>498
スレ違いという指摘に対して俺は下記の理由を根拠にスレ違いではないのでは?と聞いてるのだが、
お前さんは下記の事に対しての返答をしない気ですか?

・スレ違いと指摘されている話題は>>1の文章に書いてあるこのスレの許容範囲に含まれるのでは?

・君は>>1に書いてあることを否定するのか?

・信長がいなかったら誰が天下ryスレでは「信長は誕生しなかった」を前提にしている為(下記参照)
 このスレでの「今川が織田信長を桶狭間を撃破、武田家にどう影響を及ぼす?」という話題を
 あっちのスレでやるのは無理。
 この話題はそれこそ向こうのスレでスレ違いの話題

あっちのスレで「信長は誕生しなかった」という事が前提かどうかだが、
現在あのスレでは前提となっていることが濃厚↓
>「生命体として信長消滅」で「1534年織田信秀の家では、妊娠事は何も無かった」と言う事で
進んでいます。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189136517/27-28

それから>>479でのお前も勝手に文章変えるな等の指摘に対して、お前はスルーしてるんだけど返答位しろよな

503 :人間七七四年:2007/09/10(月) 18:28:13 ID:hHv9icVC
>>502の理由に追記
・今川が桶狭間で勝った場合の武田家の行動等を考察することは、
 他の時代に武田家がどう行動するか予測するのに参考になると思うし、
 いろいろな時代の武田家の行動を考察することは、結果このスレの主題である上洛を考察する上で結構重要なことだと思う。
 限定した期間・状況下の武田家について考察するよりも、様々な期間・状況下で考察する事が必要なんじゃないかな?


504 :人間七七四年:2007/09/10(月) 18:59:27 ID:jDmbKrA4
>>503
そんなに考察したいなら自分の考えを書いて。
上のやりとりみるとうんざりしちゃうよ。


義元の年齢
桶狭間の時41歳、その時勝利したとしたらいつ死亡するのか想定出来ないので
そのまま生きていると仮定するしかないかな
信玄上洛時53歳

信玄は上洛するのか?

505 :人間七七四年:2007/09/10(月) 21:55:53 ID:HyCx+i3N
>497
>ハア?前々スレにはテンプレが無い?何が言いたいんだ?
「誰かが適当にカキコしたものをテンプレと認めるというのか?」
文章というのはな、一行にまとめられた文が集まって段落、段落が集まって文章になるんだ
部分部分きりだしてそれにレスして反論したつもりになってるみたいだが、そんな曲解でレスしても自身の理解力の欠如しか明らかにせんぞ?
>訳が分からないテンプレみたいなのが>>2に書き込まれたら普通は明確に否定するぞ
そりゃお前が思う普通だな
例えば、「武田騎馬軍団最強だから兵の質は武田が圧倒的に有利だから、単純に同数なら武田の圧勝」
こんなの書いてあってレスするか?テンプレだと言い張ってるやつがいたとて、相手にするか?
する奴もいるだろう、しないやつもいる
すくなくとも過去スレにはテンプレとしても出てない、そんなものをテンプレと言い出してるだけだ
>それともあのスレは、初めてあのスレに来て>>2を読み、それをテンプレと信じた奴は馬鹿だという様な超排他的なスレなのか?
そうだろうな、テンプレでもなんでもないんだから
>「※ここでの「存在していなかった場合」というのは「そもそも織田信長という人物事態、生まれていなかったら」という意味です」
>はわざわざ賛成する必要が無いくらいあのスレでは当たり前の事なんじゃないのか?
確かそのときはそういう前提で話してたが、「そんなに昔にさかのぼれば不確定要因が増えすぎる」とか、「劇的にかわらん」とか色々異見はあった
だから改めてお前が「桶狭間で死んでりゃどうなってたか」みたいに流れ作り出せばそれでよかろう
少なくともこのスレで今川に桶狭間起こってなけりゃどうこうと続けるよりははるかにスレの趣旨にあってるわな
>「生まれていなかった場合の織田家等の設定等はまだ明確になってません。 」
>.はスレの状況説明なんだろ?状況説明に賛否のレスをするか?
誰がそれにレスしろといった?
テンプレでないレスを真に受けて、よりすれ違いのスレに延々書き込んでるどこぞの頭の弱い子に
「それはテンプレでもなんでもないよ いい証拠に過去ログでもテンプレ化してないし、賛否のレスも無いでしょ」
と優しく教えてあげただけだ
>そして、スレ違いという事に対して俺が>>469>>478で書いた反論に対する明確な答えが返ってきてないんですけど
>それとも「すれ違いじゃボケ」の一点張りかい?
「すれ違い」が答えだ
明確すぎるほどに明確に答えてるわけだが

>502
自分に異見するやつは全員同じやつで一人しかいないという被害妄想の持ち主ですか?
>よりふさわしいスレがあるならそっちでやればいいだろ?
>織田がいなかったらスレで「武田が上洛して天下とった」という路線で議論すればいい
この路線ならここよりはるかに織田信長がいなかったらスレに合うだろが
>・スレ違いと指摘されている話題は>>1の文章に書いてあるこのスレの許容範囲に含まれるのでは?
俺の立場からどう応えるかぐらいわかるだろう?
>・君は>1に書いてあることを否定するのか?
否定してるカキコがどこにある?
お前の議論が「許容範囲に含まれる」には大いに疑問視してるがな
>・信長がいなかったら誰が天下ryスレでは「信長は誕生しなかった」を前提にしている為(下記参照)
>このスレでの「今川が織田信長を桶狭間を撃破、武田家にどう影響を及ぼす?」という話題を
>あっちのスレでやるのは無理。
> この話題はそれこそ向こうのスレでスレ違いの話題
一日で7しかレスの付かない、議論の全く行われてないスレで、過去の前提を持ち出して、「無理」と?
どんだけ意志薄弱、このスレに粘着してるんだか
>>「生命体として信長消滅」で「1534年織田信秀の家では、妊娠事は何も無かった」と言う事で
>.進んでいます。
×進んでいます ○進んでいました
>それから>>479でのお前も勝手に文章変えるな等の指摘に対して、お前はスルーしてるんだけど返答位しろよな
「では」を見落としてたとかどこかでレスしてるだろ
お前は自分に対する話じゃなければまるっきり聞いてないと言う小学生か中学生みたいな西進年齢なのか?

>503
ifの上での行動がなんの指針になるのやら
事跡から考えるならまだしも、ifの行動の結果からさらにifの行動を考えて少しでも説得力があると思ったのか?




506 :人間七七四年:2007/09/10(月) 23:13:26 ID:FKuF/Y4Q
>>499
そもその仮定に無理が有りすぎる。

507 :人間七七四年:2007/09/10(月) 23:38:01 ID:NjVgk9J/
スレ違いのレスをしたやつがどんなにスレ違いじゃないと力説しようがスレ違いはスレ違い。
馬鹿な事を言いつづけてまだ自分で気付かないなんてオマエほんとに大丈夫か?

508 :人間七七四年:2007/09/10(月) 23:38:11 ID:fQm7E3zH
自称自治厨が湧いたせいで一気に廃れたな

509 :人間七七四年:2007/09/11(火) 00:52:28 ID:5FTuMTZw
新手の荒らし?

510 :人間七七四年:2007/09/11(火) 08:43:17 ID:Gz92gQTf
http://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html
薩摩283,488  215,250

ここで薩摩の石高が落ちてるのはミス?

511 :人間七七四年:2007/09/11(火) 15:48:11 ID:8T6WEX8V
そろそろ盲点だらけのアンチ武田にトドメを指すとするかな


信玄が駿河を攻略するにあたっての武田包囲網、これを巧みに撃破
した一連の信玄の作戦を信長は恐れていただろうね。
何せ相模へ出向いて北条を一喝→再同盟組ませる→そのあとゆっくり今川を
蹴散らして駿河平定→せっかく謙信と同盟を結べた家康は恐々とする。
関東三国志って言われてるが、どう考えても東国は信玄が最強。
信濃攻略時は謙信相手に戦略勝ちをおさめるこの巨獣が西上しようとしている・・・・・
また信玄は駿河にも兵力や財力を温存していた、着実に三河遠江を実行
していけば間違いなく徳川は信玄に下っていたというのは動かしがたい理論。




512 :人間七七四年:2007/09/11(火) 16:01:19 ID:T/+GE/Wc
>>511
マルチ乙

513 :人間七七四年:2007/09/11(火) 16:08:09 ID:MnS059GZ
>510
米から芋に生産をシフトしたんじゃ?

514 :人間七七四年:2007/09/11(火) 22:41:47 ID:B2bmYSJb
>>511
時系列がおかしいんだぜ

×小田原侵攻→甲相再同盟→今川駆逐→今川領併呑
○今川駆逐→小田原侵攻→今川領併呑→甲相再同盟

515 :人間七七四年:2007/09/11(火) 22:57:19 ID:gvvSpMmH
>>511
メガトンを相手にするだけ時間の無駄

516 :人間七七四年:2007/09/11(火) 23:01:28 ID:c8leOXXu
>>515
>>511てメガトンか?
奴ならもっとスレが伸びるようなレスするんだがな
本当にメガトンなら奴も衰えたという事かw

517 :人間七七四年:2007/09/12(水) 07:07:40 ID:lqS3bTsa
皆に叩かれるから書き込みの仕方を変えたんじゃないの?
コテハン辞めた直後に見抜かれ叩かれもしていたしw
武田最強スレにも湧いてるな。あっちのが強烈

518 :人間七七四年:2007/09/12(水) 08:39:24 ID:UCKQwCCY
おまえ叩くの大好きなんだな

519 :人間七七四年:2007/09/12(水) 14:47:23 ID:MEIaCJYa
>>510
ミスというか太閤検地も寛永検地もあまりあてにならないからな
太閤検地も教科書などでは統一的な基準によって中央の官僚が実際にすべての土地に赴いて
検地したように書かれているかもしれないけど、実際は・・・・・・
寛永検地も大名による自己申告だったり、太閤検地をそのまま使ったりと言うし

薩摩は確か田ごとに検地して価値を決めるのではなくて
村ごとに一定の賦課率を乗じた簡易検地だったと思う

520 :人間七七四年:2007/09/13(木) 01:35:18 ID:M5EXNZel
>>519
甲斐は寛永検地で24万2千石でしょ、流石に幕末でも100万石ってのは・・?
まあ石高は少なめ申告もあったらしいけどね。

例えば中国では周防・長門が安芸・備後と同程度の石高とか少なくとも経済的な
実力を反映してないのは明らかだしね。

521 :人間七七四年:2007/09/13(木) 10:22:51 ID:n6DckW/d
もし甲斐が100万石あったとすると信玄が
多くて10万石程度であろう村上や
30万石ちょいの長尾に大苦戦したというのはどういうことなのか。


522 :人間七七四年:2007/09/13(木) 10:54:59 ID:EEB4a5WC
100万石ちかい今川は半分以下の織田に野戦で負けてるが。

523 :人間七七四年:2007/09/13(木) 11:35:54 ID:MFFmT3PC
幕末と戦国期を同列に扱って語るんですか?

524 :人間七七四年:2007/09/13(木) 23:19:42 ID:O/zYN6be
それがこのスレのクオリティ

525 :人間七七四年:2007/09/14(金) 11:36:05 ID:Gn2//eTL
今更だが甲斐百万石、というのは柳沢吉保が徳川綱吉にそういう領土を与える、というお墨付きを貰ったという話では?
吉保が自分の妾を綱吉に宛がって……というスキャンダル
江戸期の話で、正解はおそらく「柳沢家ゆかりの甲斐を中心とした百万石の領土」ってことだろうな

526 :人間七七四年:2007/09/14(金) 19:42:18 ID:4OTFQCXm
「加賀100万石」も加賀が100万石あった訳じゃない
そんなの分かるだろ普通

527 :人間七七四年:2007/09/14(金) 19:47:07 ID:w55wMQKi
長州ても防長二州だし
国主格をもらっているということかもな

528 :人間七七四年:2007/09/15(土) 00:31:55 ID:FI5JgzV+
>>520
自分に100万石のこと聞かれても困るが
幕末甲斐は31万石くらいのはず

甲州100万石と言うのは確か司馬氏の新撰組の小説の
甲州街道を進んでくる維新軍倒せば甲州などの幕府の天領
100万石のうち半分を与えるとか言う話しのことだと思う

529 :人間七七四年:2007/09/15(土) 19:35:27 ID:HM4dlppM
信玄儲は石高の話が大好き

530 :人間七七四年:2007/09/17(月) 16:16:55 ID:KIZb8a1Q
>>528
その通りです。
「燃えよ剣」を読んで疑問に思ったわけです。
何処を探しても100万石の根拠が見つからないので。
司馬遼太郎ほどの人が思いつきだけで100万石と書くとも思えないので。
何か、元になる話があるのかと思ったわけです。
関係ないけど、気になって・・・眠れない(笑)

531 :人間七七四年:2007/09/17(月) 16:59:21 ID:EAdndRs1
伊達の100万石200万石と同じような適当な作り話か

532 :人間七七四年:2007/09/17(月) 23:14:26 ID:VerFEbMn
>>530
司馬遼は本人の勘違いもあるし、作品中の間違いも結構ある。
彼は歴史に関して確かに一般人からははるかに多くと深い知識はあるが、だからって
そのいう事が全て正しいわけでもないし、そもそもその著作は小説であることに留意。

533 :人間七七四年:2007/09/18(火) 19:50:50 ID:5AJ1ISrk
100万石と書いた方が面白いと思ったなら、
事実は50万石だろうが20万石だろうが、100万石と書くでしょう。
小説なんだから。何も問題もない行為だ。

534 :人間七七四年:2007/09/18(火) 23:49:54 ID:FP5Ar65z
司馬の知識は古いしな

535 :人間七七四年:2007/09/19(水) 07:02:47 ID:9az2801K
そもそも作品が古いし。

536 :人間七七四年:2007/09/20(木) 01:01:43 ID:oSl5itTG
織田は武田と比べてというか他の守護大名と比べると
一族や譜代の臣が少なすぎる気がする

秋山は承久の乱のころからの家臣で一族
跡部でさえ15世紀からの守護代
穴山諸角はかなり近い親族だし
甘利板垣飯富も武田一族
大井金丸曽根も武田一族
駒井は譜代家老
と一門族臣が多い

織田は一門もほとんど直系ばかりで
佐久間柴田林は譜代といっても信秀の代からの家臣

537 :人間七七四年:2007/09/20(木) 01:26:17 ID:i8nulc7r
それだけ権力基盤が弱いということだろ?
代々甲斐守護の人間と守護家老の奉行の人間とでは違って当たり前

538 :人間七七四年:2007/09/20(木) 01:38:29 ID:oSl5itTG
>>537
まあね

上杉はと言うと
一門は古志上田長尾
柿崎直江辺りでさえ為景時代からの臣
他は上杉家の被官だったり鎌倉時代からの独立した領主だったりで
これまた少ないな

539 :人間七七四年:2007/09/20(木) 02:01:41 ID:1g6apuzR
もともと織田一族自体が越前からの移住じゃなかったか?守護斯波家にくっついての。

540 :人間七七四年:2007/09/20(木) 02:16:08 ID:FWjbAjCW
>>538
柿崎って三分一ヶ原の戦いでは上条方の主力軍だったのでは
この時、為景と戦ったのは宇佐美・柿崎連合軍と言われてるけど、
とっくに宇佐美一族は永正の乱において一族自刃〜定満しか生き残ってない
柿崎は為景に思いっきり叛いてるな
景虎登場までの越後は凄まじいカオス状態w

541 :人間七七四年:2007/09/20(木) 04:50:19 ID:JJrtgXGq
そういうしがらみが少ないところは
割と改革がしやすそうだな
権力の集中がしやすかろう

542 :人間七七四年:2007/09/20(木) 05:57:10 ID:Vu6IujHv
越後なんてしがらみだらけだろ
中央には上杉って大岩が幾つも転がってるわ
地方には土着性の強い上田衆、揚北衆、毛利一族
こいつらが其々くっ付いたり離れたりしながら府中に抵抗
権力が集まりにくい構造になってる

543 :人間七七四年:2007/09/20(木) 06:09:22 ID:FvBP0xRY
実は越後では今でも謙信より地元の○○城主の方が親しまれていたりする

544 :人間七七四年:2007/09/20(木) 07:06:54 ID:+vF024KM
新潟の知り合い2人いるが地元城主なんて知っちゃいない

545 :人間七七四年:2007/09/20(木) 23:42:34 ID:t98n2FMi
>>543
柿崎と直江なんかそうだな。柿崎は単独で鎧武者の祭りまであって銅像も建っているし。

546 :人間七七四年:2007/09/21(金) 06:47:26 ID:+4XfZpVt
色部公と史蹟平林城
http://www.iwafune.ed.jp/t/kyoudo/irobekou/irobe0.html

547 :人間七七四年:2007/09/29(土) 19:38:20 ID:3Jnhz3+x
あげとく

548 :人間七七四年:2007/09/30(日) 23:13:04 ID:d+xEV2Vj
過疎ったな

549 :人間七七四年:2007/10/01(月) 13:26:44 ID:4HQXnuJQ
ネタ的な信玄スレ立ちすぎだからかね?
いや、そっちで暴れてる武田厨にこられても面倒なだけだけどw

550 :人間七七四年:2007/10/01(月) 16:52:43 ID:xLQPi4RP
流石に語ることも尽きた感じはするしね。

551 :人間七七四年:2007/10/02(火) 09:40:27 ID:Fq2jR4wP
結局は上洛関係の話を信玄最強スレで妄想で語ってるだけな感じになってるだけだがな
そっちでも論破されて逆切れして涙目、って感じのどこかで見たような展開が常時続いてるのは笑える限り

552 :人間七七四年:2007/10/02(火) 15:16:27 ID:AUCnn0Rq
21 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/06/07(木) 03:52:59
長期戦の準備をしてるかどうかでしょ。

日本の戦国大名の戦なんて、ヤンキーの果し合いの延長みたいなもんなんだから。
力比べみたいなもんだよ。
川中島の戦いだって数日で終わってるでしょ。
武田、上杉双方、長期戦の準備をしてなかったから、山に陣取っても水をたたれて兵糧攻めにされなかったんだよ。
いちいち長期の水や食料を用意して喧嘩するヤンキーいないでしょ。

武田だって、兵力と兵糧に余裕があれば、山を包囲して、水を絶つよ。

戦術レベルで争っていた戦国大名(信長や秀吉は除いて)と、戦略レベルで戦っていた魏と蜀では事情が違う。

553 :人間七七四年:2007/10/03(水) 00:34:50 ID:k239gLIz
>川中島の戦いだって
ヒント:第二次川中島

554 :人間七七四年:2007/10/03(水) 14:15:38 ID:1e95ceyM
コピペウザス

555 :人間七七四年:2007/10/03(水) 15:56:04 ID:7FSVIig/
21 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/06/07(木) 03:52:59
長期戦の準備をしてるかどうかでしょ。

日本の戦国大名の戦なんて、ヤンキーの果し合いの延長みたいなもんなんだから。
力比べみたいなもんだよ。
川中島の戦いだって数日で終わってるでしょ。
武田、上杉双方、長期戦の準備をしてなかったから、山に陣取っても水をたたれて兵糧攻めにされなかったんだよ。
いちいち長期の水や食料を用意して喧嘩するヤンキーいないでしょ。

武田だって、兵力と兵糧に余裕があれば、山を包囲して、水を絶つよ。

戦術レベルで争っていた戦国大名(信長や秀吉は除いて)と、戦略レベルで戦っていた魏と蜀では事情が違う。

556 :人間七七四年:2007/10/04(木) 02:46:11 ID:ngs3OXiy
勝頼って長篠の戦いで一万五千しか率いてないんだよな
対する織田・徳川連合は三万八千
もっとも設楽ヶ原には五万もの軍勢が展開できるスペースが無いので
本当は武田六千、織田徳川二万だったらしい
いずれにせよ武田の兵が少な過ぎる
信玄の時よりも版図を拡大していながら、何故川中島の時より兵が少ないの?
信玄の時でさえ動員兵力は三万五千とも五万とも言われてるのに

557 :人間七七四年:2007/10/04(木) 03:09:03 ID:/PZLqGXl
一番の理由は
>信玄の時でさえ動員兵力は三万五千とも五万とも言われてるのに
って言われてるだけだからじゃないか?
実際の信玄時代の動員力は分からないからなー
勝頼もだけど

558 :人間七七四年:2007/10/04(木) 03:16:10 ID:XMB5+wwB
号数と実数の兵は違うものだし率いる兵の実態も常時参加する家臣からそのときだけ金で雇われた農民や傭兵など様々
臨時雇いのバイトと正社員が一緒にカウントされてるようなものだ

559 :人間七七四年:2007/10/04(木) 03:47:17 ID:kPmkp/Rx
信玄の時代には北条と同盟を結んでたけど、
勝頼の時代には四面楚歌状態だったらしいから、
それで長篠での動員兵力が下がった という話を聞いたことが。

560 :人間七七四年:2007/10/04(木) 09:26:29 ID:+pEKm8fb
長期戦なら実数なんてコロコロ変わるだろ

561 :人間七七四年:2007/10/06(土) 11:43:06 ID:oJq9/rID
しかし3万って数としても当時の織田軍の動員力からすると少なめだな
河内一揆掃蕩より少ない

562 :人間七七四年:2007/10/09(火) 18:52:43 ID:EQtVpA57
新歴史群像シリーズの武田信玄を読んだが
あまりにもの講談小説臭に吃驚した
この雑誌いつの間にこんなにまで質が落ちたの?

563 :人間七七四年:2007/10/09(火) 19:10:34 ID:5d9fTezb
いつごろ質が高かった?

564 :人間七七四年:2007/10/09(火) 22:57:35 ID:4Ek7KYYY
学研の真価は、見やすい図と表にある。
それ以外を目に入れてはいけない。

565 :人間七七四年:2007/10/10(水) 00:48:47 ID:u77fuPpW
>>562
新群像シリーズは読んだことないから知らないけど旧シリーズも講談小説臭がプンプン臭うよw

>>564
確かに言えてるw
旧群像シリーズの武田信玄「風林火山の大戦略」にある
歴史シュミレーション=もし信玄が死ななかったら「信玄は天下を取っていたか?」なんて妄想だらけで笑えるしなw


566 :人間七七四年:2007/10/10(水) 00:55:11 ID:kbOnps4A
最初期の20巻ぐらいまでは講談小説・三国志だと演技基準の本って感じだったな
質が悪くなかったと言えそうなのはシリーズだと30巻以降ってとこじゃね
隔月のほうは玉石混交って感じだけど
ただ新歴史群像シリーズの特に信玄のは最近出た本の中じゃ近年稀に見る悪書ってとこじゃないかと思う

567 :人間七七四年:2007/10/13(土) 14:58:48 ID:24tSk9MS
【武田】2万5千で上洛【信玄】 (避難所)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/34542/1191676222/

568 :人間七七四年:2007/10/13(土) 15:16:35 ID:u3AY0Wpp
歴群は最高だろ。 筆者も専門家ばっかじゃん普通に

569 :人間七七四年:2007/10/13(土) 16:10:18 ID:d8zst6G3
>>568
情報の取捨選択能力が問われるだろうな。


570 :人間七七四年:2007/10/13(土) 16:35:16 ID:pmPPppsG
北条と同盟結んでも西上野、北信濃各城に篭城兵1万人の兵を置かないと上杉の押さえ
にならない。
残り2万5000人の兵で織田、徳川を叩くには朝倉、本願寺、浅井、三好が同時攻撃
してくれないと。

571 :人間七七四年:2007/10/13(土) 17:01:15 ID:rEtBobdE
村上領返還と一向衆和睦斡旋を条件に謙信と和睦し共同して織田を討ち足利将軍を助ける同盟を結べば神。

572 :人間七七四年:2007/10/13(土) 18:51:42 ID:UgPLCG7A
神も何もそんなことする余裕というか間抜けというかそんな感じのものがあればあの泥試合はやってねーだろww

573 :人間七七四年:2007/10/13(土) 19:01:38 ID:10n035vX
歴群は作家とかが執筆してたりするからな

ただ新歴群の武田信玄は大河など見るような一般人に売ることを考えたのか
軍鑑基準で、いろんな2次史料からの恣意的な引用とでもいうのか厨向けの本になってた
海野口とか韮崎とか普通に載っているし

574 :人間七七四年:2007/10/13(土) 20:01:22 ID:JTBWhC4A
つか一番最初の作家の人が書いたのは明らかに講談準拠だけど
次に小和田氏だっけ?が書いた信玄の侵略戦ダイジェストはまずまずの出来じゃなかったか?

575 :人間七七四年:2007/10/13(土) 21:22:15 ID:pjNZUwBL
最初のは仮想軍記レベルで小和田氏のはNHKのその時ぐらいの出来ではあるな

576 :人間七七四年:2007/10/13(土) 21:33:37 ID:tgCL8q/d
腐っても鯛だから、小和田氏は。
ただし生では食うなよ、きちんと火を通して食べろ。
食中たりしても自己責任だからな。

577 :人間七七四年:2007/10/13(土) 23:03:40 ID:pjNZUwBL
確かに論文とか専門書と、テレビや歴史群像みたいな一般人向けとでは全然違うイメージがあるな

578 :人間七七四年:2007/10/14(日) 00:14:53 ID:MFaqklX3
ミネルヴァあたりから出てるようなのは普通の大河見るレベルの
層には取っ付きにくいだろうな

579 :人間七七四年:2007/10/14(日) 21:35:39 ID:VezCbk8Y
思文閣・論文>ミネルヴァ・新人物往来社など新書>学研・歴群・歴読など文庫雑誌>教科書>その時>創作物
とこんな感じか

580 :人間七七四年:2007/10/14(日) 21:56:34 ID:1V5fglLx
歴群の筆者って、ミネルバとか新人物の作者ばっかりだけど?

581 :人間七七四年:2007/10/14(日) 22:13:54 ID:VezCbk8Y
>>580
同じ人が書いた若しくは出演したものであっても
信憑性というか中身が、
一般人向けと歴史好き向けと専門家向けとで内容がぜんぜん異なるという意味で書いたんだが

582 :人間七七四年:2007/10/14(日) 23:22:46 ID:/qt0qBTL
とりあえず、何でもそうだが本読んでそこで思考停止する輩が多すぎる

論文なども、書かれてある論拠の史料を自分の目で見て確かめないと、
都合のいい抜粋で書かれてるのなんかザラにあるからな
歴群や歴読などは言うまでもないが

定説とか通説も、どのような史料から構築されてるのか、自分で確かめないと、
かなり時代遅れな説が多々あるから気をつけよう

583 :人間七七四年:2007/10/16(火) 04:32:39 ID:MYXuzCWq
ただ歴群や歴読あたりだとソースが何かさえ分からないからウラの取りようが無いんだよな

584 :人間七七四年:2007/10/16(火) 17:49:55 ID:I26xVksN
新人物系の本も歴群の本もたくさん持ってるが、むしろ歴群の方が詳しい。
まあ祖先から遡ってるのは人物系の本だけど。

585 :人間七七四年:2007/10/16(火) 21:55:00 ID:AwMk87CJ
そりゃ一般人向けのなんじゃ・・・・・・
というかミネルヴァ・新人物往来社など新書って幅広いだろ

値段が内容決めるわけじゃないけど、簡単に買える値段だからか、
歴史にちょっと興味ある程度の人向けの本も多いから

586 :人間七七四年:2007/10/16(火) 22:30:04 ID:MYnUJuTD
論文集的なものだと一万とか普通に言ってるしな
図書館でコピーして家でじっくり読んでる

587 :人間七七四年:2007/10/16(火) 22:32:09 ID:AwMk87CJ
思文閣出版とかなー
このスレでたまにでる戦国遺文も確か1万以上したと思うし

588 :人間七七四年:2007/10/17(水) 00:19:53 ID:Bu2ICuJM
武田厨…
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192537201/

589 :人間七七四年:2007/10/20(土) 17:07:39 ID:cM1co62R
過疎だな

590 :人間七七四年:2007/10/24(水) 01:37:48 ID:NKZSVBrC
つうか50000レスも消費するようなネタなのかなこれって

591 :人間七七四年:2007/10/24(水) 08:49:33 ID:Wr+cWvWk
横道にそれなければ半分もいかなかっただろうなw

592 :人間七七四年:2007/10/24(水) 10:51:10 ID:WyDrsepJ
2割ぐらいはメガ豚の功績(笑)だなwww

593 :人間七七四年:2007/10/24(水) 12:21:10 ID:X71doUGX
スレの初期ぐらいは結構武田有利で話しが進んでいたんだけど
あの頃は小説ゲーム知識の人間が多かったからかな、
その後畿内の包囲網の状況とか石高とかいろいろ詳しい人間が来るようになって
最終的には上洛はもう無理って感じに落ちついてきちゃったんだよな。
その後は横道それたり、変なのが来たりって感じで。

594 :人間七七四年:2007/10/24(水) 13:59:27 ID:8T7fGFst
過去ログを読み直してみると、ごく最初の頃はテンプレにあるような結論が
大まかなデータから主張されてるんだよな。
結局50000スレ近くも使ってそれを詳しく証明してきただけらしい

595 :人間七七四年:2007/10/24(水) 18:58:22 ID:iVmWOjQQ
テンプレ作りに参加した一人ですが、あの頃は愉しかったなあ。元亀の頃の四国やら
三好やらの状況なんてわざわざ図書館まで調べに行ったりしましたよ。

596 :人間七七四年:2007/10/24(水) 19:08:20 ID:2pq56BHT
>>594
一応つっこむが、50000レスな、スレはない

597 :人間七七四年:2007/10/24(水) 20:56:30 ID:MziVQrq3
このスレ的に、テンプレ造りの時が一番輝いていたな。

598 :人間七七四年:2007/10/24(水) 21:22:07 ID:3zeIJVuo
いまのお前も十分輝いてるぜ

599 :人間七七四年:2007/10/24(水) 21:46:15 ID:8SZS6Rc3
まあ、そのテンプレも穴だらけと詳しい人にソース付きで何度も指摘されてるんだけどな。
変えてないだけで。

600 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:00:50 ID:8BAzXo3l
俺もテンプレ作りに参加してたな
戦国遺文書き写したりとかもしてさ

>>599
確かに今のテンプレは石高だけ見て武田に割と有利になるような設定だしな

601 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:25:01 ID:l3uebDGH
織田にも割と有利な気がする。

602 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:35:30 ID:8BAzXo3l
織田に有利な点は
三好や本願寺が本気になった時のことをあまり考慮していないのと
それによって連鎖的に畿内の諸勢力が日和見したりする可能性を考慮していない
畿内の織田勢力は織田が一戦して敗れたら途端に日和見離反する可能性などだな

ただこれらのどれも可能性は低そうだからなー

603 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:37:22 ID:8BAzXo3l
織田に有利な点は
三好や本願寺が本気になった時のことをあまり考慮していないのと
それによって連鎖的に畿内の諸勢力が日和見したりする可能性を考慮していない
畿内の織田勢力は織田が一戦して敗れたら途端に日和見離反する可能性などだな

ただこれらのどれも可能性は低そうだからなー

604 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:37:59 ID:8BAzXo3l
すまんサーバーの調子が悪くて連投してしまった

605 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:41:00 ID:+LjjxZ4T
やはり武田にもう勝ち目はないのか。

徳川が転んで御の字くらいかなあ。

606 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:48:14 ID:iVmWOjQQ
>>602
畿内の織田勢力は、信長が強いからしたがっているというだけでなく、自分の敵が
織田と戦っているから「敵の敵は味方」で信長についているという連中も少なくない
という点に注意。
例えば大和。信長が負けた(不利になった)からといって、今さら筒井が松永に従う
ようになると思います?

607 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:52:52 ID:8BAzXo3l
>>606
それはわかってる
畠山が三好と仲直りするとは思いにくいし
筒井も松永には抵抗するだろうし
荒木も池田とは争うように思うが、
例えば細川とかは怪しいと思う

608 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:54:52 ID:l3uebDGH
従わなくても手打ちくらいはすんじゃない?
足利に尻尾振ってその旗の下に入るという形で停戦ならありえるのでは。

609 :人間七七四年:2007/10/24(水) 22:58:22 ID:8BAzXo3l
>>608
そうなるにはある程度反織田が有利となってからだと思う
どっちが勝つか判らない程度であれば抵抗しそう

610 :人間七七四年:2007/10/24(水) 23:07:44 ID:+LjjxZ4T
>>609
でも、浅井朝倉はもうじり貧だし、一揆や畿内衆がどれくらい
動くかだよな。一揆だって顕如が完全に掌握出来ているわけでは
ないし・・・・。

611 :人間七七四年:2007/10/25(木) 03:40:23 ID:qkOCYHZ/
まあそれだから無理だろってことになるんだろうな

612 :人間七七四年:2007/10/25(木) 03:59:18 ID:2wozk8nZ
三好も内輪揉めで織田とまともに戦える状態ではないしな。
義興さえ生きていたらな。


613 :人間七七四年:2007/10/25(木) 05:24:58 ID:ZABgLUwt
ここは初めて読んだけど
上洛を変更して徳川切り取りに全力を傾けてたら
次の代以降に上洛の可能性はあったかな
徳川領を完全切り取り、美濃の一部+αの豪族を
調略してたら織田も動けなかっただろうし
徳川切り取りった後はうまく織田とのバランスを保ちつつ
転勤は御館の乱で上杉との同盟から
北条の切り取り→上洛だってできる訳だし、
北条側支持でも完全に後顧の憂を断ち、
全兵力での西進も可能になると。
その内、早期に上洛可能なのは北条(+上杉)、
武田(+徳川領)の二大国同盟かな


614 :人間七七四年:2007/10/25(木) 05:30:45 ID:ZABgLUwt
と思ったら、信玄を上洛させるのが目的なのか…
それはさすがに無理


615 :人間七七四年:2007/10/25(木) 06:47:57 ID:B5mMfhDr
>>613
大敗しまくりの勝頼では無理でしょ。何千人も殺し何年もかかって手に入れた信濃をたった1月で
落とされた勝頼じゃね・・・・・

616 :人間七七四年:2007/10/25(木) 10:55:43 ID:zZwghool
>>615
勝頼は引き際さえ誤らなければ大丈夫だったんちゃうか?
調子に乗って長篠起こしたからアボーンした感じなんだが

617 :人間七七四年:2007/10/25(木) 12:39:21 ID:ZABgLUwt
三方ヶ原で徳川家康が討ち取られ徳川家崩壊というifを考えれば
上で挙げたシナリオになる可能性は高いと思うんだけどな
武田に広く隣接され、本庄みたいに武田側から調略を細かく多方面に
されていたら織田の浅井朝倉攻めも
出来なかった可能性が高いしね


618 :人間七七四年:2007/10/25(木) 12:49:44 ID:ZABgLUwt
さらに、信玄が5年長く生きたってifを重ねれば
信玄上洛の可能性も高いんじゃないだろうか


619 :人間七七四年:2007/10/25(木) 14:57:09 ID:HT5/N5HT
うん、そうやってifを重ねていけば上洛の可能性は高まるだろうね。
でも重ねれば重ねるほど、現実では可能性がないということで。

620 :人間七七四年:2007/10/25(木) 14:57:54 ID:2wozk8nZ
それも過去スレででてたが信玄でも勝頼でも大差ないってことだったな。
結局とる戦略はかわらないし信玄はでかい勝負は避けるしな。
戦略を変えるってことはそれはすでに信玄ではなく妄想の産物だし。

しかしまず三方が原で家康が死ぬのに無理があるだろ。
有利な条件をめちゃくちゃに重ねれば朝倉だって上洛可能。

621 :人間七七四年:2007/10/25(木) 17:27:12 ID:ZABgLUwt
え?


622 :人間七七四年:2007/10/25(木) 17:28:59 ID:ZABgLUwt
いやごめん。
ルール知らないで書き込みしてたのか


623 :人間七七四年:2007/10/25(木) 18:00:45 ID:DSMfzwx4
>>613
このスレじゃいきなりの上洛はまず不可能だから
武田の方針は基本は徳川領切り取りで機会があれば上洛に切りかえるが主になっていると思う

>徳川領を完全切り取り
それまでに織田が畿内を制して徳川を助けに来る可能性の方が高い

>美濃の一部+αの豪族を調略してたら織田も動けなかっただろうし
信玄がとった岩村は美濃の極一部で消費税以下の割合程度
勝頼が恵那郡全体にまで支配領域広げたけど何の牽制にもなっていないし
織田が動けなくなると言う可能性はなさそう

624 :人間七七四年:2007/10/25(木) 18:07:30 ID:DSMfzwx4
>>617
三方ヶ原で徳川家康が討ち取れられても遠江は楽に手に入るだろうけど
崩壊にまで繋がるかどうか
信康は生きているし、織田が後押しするだろうし、
娘婿ってことで完全に織田の属国になる可能性が高い気もする

625 :人間七七四年:2007/10/25(木) 19:10:59 ID:GPttQO57
家康じゃなく信康って話になると、これは武田方に寝返る恐れが出てくるが。

真偽のほどは定かではないが築山殿事件には武田内通説があるし、
この事件が岡崎派と浜松派の対立だったとしても、
浜松派が家康ごと潰された状態なら、岡崎派はどっちにも転ぶ可能性がある。
それこそ武田方は調略がしやすい状態になるな。

626 :人間七七四年:2007/10/25(木) 19:19:02 ID:ZABgLUwt
なるほど。
要は信長と正面から事を構えたら勝ち目はどっちにしろ薄いのか。
よく、信玄が生きてたらそれだけで上洛は余裕とか言ってる人いるけど。


627 :人間七七四年:2007/10/25(木) 19:21:46 ID:ZABgLUwt
戦略で望みが薄いなら謀略で考えろってことか。
面白いね。


628 :人間七七四年:2007/10/25(木) 20:34:53 ID:2wozk8nZ
しかしこの時点ではたとえ家康が死んでも徳川は
織田に与するしかないように思えるんだがな。
しばらくしたら武田は甲斐に帰るだろうし、そうなった場合
織田からの報復で早期に滅ぼされる可能性が高いんじゃまいか。
家康が死んだとなれば織田からの援軍もかなりの数が見込めるだろうし。
徳川にとっては武田と戦ったほうが旨味が多い気がする。


629 :人間七七四年:2007/10/25(木) 21:30:36 ID:B5mMfhDr
>>628
当時の織田の状況を考えてみ。

630 :人間七七四年:2007/10/25(木) 21:36:10 ID:DSMfzwx4
当時の織田の状況を考えれば>>628のような結論になると思うが
築山殿が織田を嫌っているとかあったとしても普通は有利なほうに付くだろうから
武田と戦うと思う。

631 :人間七七四年:2007/10/25(木) 22:17:46 ID:GPttQO57
「織田を嫌っている」より「今川の縁者」がでかい気ガス
まあ、築山殿事件そのものが、真相は闇だが。

632 :人間七七四年:2007/10/26(金) 00:09:16 ID:EA09pJl7
ttp://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10003618/0/html/section4.html

633 :人間七七四年:2007/10/26(金) 00:30:03 ID:P2XVPZaH
包囲網形成での徳川敗退は徳川家中の状況的にマイナスだろ
家康がいないとしたらそれこそ武田に付くとの評が開かれてもおかしくない
第一、情報網も糞弱い時代に女や跡継ぎの若臟が
そこまで冷静に戦況分析出来るのか?


634 :人間七七四年:2007/10/26(金) 00:36:24 ID:P2XVPZaH
徳川の武田派が武田に付いた場合は、
織田から仕掛ける戦があるかもしれないってことか


635 :人間七七四年:2007/10/26(金) 01:00:53 ID:+acmFNjX
冷静に戦況を分析するなら強い方有利なほうそして信用できる方と言うことで織田につくだろうし
今川攻めで武田は同盟破っているからね

冷静に考えられないなら、信康の性格次第だろうけど、
親の仇と言うことで武田と徹底的に戦うか、
あるいはより怖い方ってことで遠い甲斐の山奥の大名より本拠地岡崎のすぐ近くに大兵力を
抱えている織田につくんじゃ?

636 :人間七七四年:2007/10/26(金) 01:06:08 ID:S5zt2STK
>>635
信康はともかく、三河衆のなかではかなる動揺する連中も出てくると思う。


637 :人間七七四年:2007/10/26(金) 01:14:42 ID:+acmFNjX
そりゃ動揺する連中は出るだろうな、なんせ当主の死亡だし
西三河衆はともかく、遠江衆なんかは一斉に離反しそう
家康の旗本備がどう動くかはわからんけど

638 :人間七七四年:2007/10/26(金) 01:18:10 ID:+acmFNjX
そりゃ動揺する連中は出るだろうな、なんせ当主の死亡だし
西三河衆はともかく、遠江衆なんかは一斉に離反しそう
家康の旗本備がどう動くかはわからんけど

639 :人間七七四年:2007/10/26(金) 01:19:52 ID:+acmFNjX
やばいまた2連投最近調子悪い

640 :人間七七四年:2007/10/26(金) 01:20:02 ID:BDC/+Onu
>633
妄想を進めると、信康で今川家再興とか。傀儡ね。
諏訪の姫様と違って、築山殿では熟女すぎるかなw


641 :人間七七四年:2007/10/26(金) 15:13:06 ID:DRBjHiHk
信玄が生きていたらというならともかく、
こうで出来ていればとか言い出したら最終的には可能だったになるんだろうけどね。

642 :人間七七四年:2007/10/26(金) 16:07:19 ID:P2XVPZaH
まだ、ほぼ上洛確定になる1条件はないんじゃね?


643 :人間七七四年:2007/10/26(金) 16:16:40 ID:P2XVPZaH
三方が原後の織田武田徳川の豪族の服従数、
全国的な名声ってどんなもんなんだろ?
信玄が死ななかったら徳川はかなり厳しかったんじゃないか?
包囲網の士気への影響とか、包囲網側の各豪族とかの離反にも関わりそうだが


644 :人間七七四年:2007/10/26(金) 16:34:32 ID:E8xARFhi
>>643
奥三河や北遠江はともかくそれ以外ではあまり影響ないみたい
畿内じゃ荒木細川といった豪族が織田についているし

また信玄が死ななくても徳川は当面大丈夫だろう
三方ヶ原後の徳川の状況よりも姉川後の浅井の状況の方が負けたと言うだけでなく
領土を南北に分断されているため、徳川より厳しい
それにも関わらず浅井は1573年まで粘れたのだから

645 :人間七七四年:2007/10/26(金) 17:12:13 ID:P2XVPZaH
そうなん?
少なくとも信玄なら北条との同盟は続くだろうし
死ぬまで武田領内は相当安定しそう。
織田はともかく徳川は厳しいと思うけど。


646 :人間七七四年:2007/10/26(金) 17:21:09 ID:E8xARFhi
>>645
そりゃ厳しいだろうけど浅井に比べれば数段マシ
吉田とか浜松が落ちて横山落とされた浅井ぐらい?
でも浅井はそこから3年粘れたから
徳川はまだ4〜5年は粘れるんじゃないかと思う。

でそんだけ時間があれば織田は畿内を安定させちゃうだろうけど

647 :人間七七四年:2007/10/26(金) 17:36:47 ID:2+1FEHdf
そりゃ北条との同盟は続くと思うけど、謙信が南下してきたら?

648 :人間七七四年:2007/10/26(金) 17:47:50 ID:P2XVPZaH
北条も領地広げそうだな
えらい決戦になりそうだ


649 :人間七七四年:2007/10/26(金) 17:52:23 ID:P2XVPZaH
上杉の武田領内への南下はそんな大規模なのあったっけ?


650 :人間七七四年:2007/10/26(金) 18:00:35 ID:E8xARFhi
>>649
勝頼の代には武田が対上杉の守備兵力を増やしたからか
上杉による武田領への侵入は無いな、上野で北条と上杉が対陣した際に
勝頼も上野に出陣したことはあったけど

また1575年以降は織田が北陸に進出したため、上杉が徐々に対織田に変化していったし

651 :人間七七四年:2007/10/26(金) 18:12:33 ID:P2XVPZaH
毛利、武田、上杉、北条の新織田包囲網の形成が出来そうじゃん
足並みの乱れから最終的には織田が勝ちそうだけど


652 :人間七七四年:2007/10/26(金) 18:29:36 ID:E8xARFhi
>>651
所謂第2次包囲網がそんな感じだったが
上杉が対織田となるには織田の北陸進出、一向宗武田の勢力衰退が必要だろうし
毛利が対織田となるには織田の中国進出が必要で
織田が北陸中国に進出するにはある程度畿内を制圧している必要があるから、
それらの包囲網が出きる頃には国力的にも、もう織田の勝利は確定的だと思う。

あと一応言っておくと三方ヶ原の頃は毛利も織田と協力関係にある

653 :人間七七四年:2007/10/26(金) 22:40:58 ID:P2XVPZaH
機内掌握って浅井朝倉戦の勝利が大前提じゃ?
情勢が変われば戦況も微妙に変わると思うけど。


654 :人間七七四年:2007/10/26(金) 22:44:08 ID:E8xARFhi
>>653
微妙に変わるって言っても浅井も朝倉も詰みとまではいかないにしても
1572年の時点でかなり追い詰められていると思う
それほど大きな変化が起こるとは思えないが

655 :人間七七四年:2007/10/27(土) 01:23:14 ID:yL4OBQ+S
まあ、ほんの少し機内掌握が遅れる位じゃないか?


656 :人間七七四年:2007/10/27(土) 10:14:03 ID:tXSjEq1E
本当に上洛する気なら、寝返られ済みの三河北部とおってとっとと尾張に全力をつぎ込んでるだろう
信玄の狙いは遠州と三河一部切り取り程度
上洛喧伝は浅井朝倉らを信長にけしかけておくための餌

657 :人間七七四年:2007/10/27(土) 10:54:19 ID:q/FsVGRo
>>656
背後の徳川が黙って通過させてくれるとでも?
挟撃されておしまいだな。
上洛するにせよ東海地方の切り取りが目的にせよ、徳川放置して尾張侵攻はありえない。

658 :人間七七四年:2007/10/27(土) 15:38:35 ID:ukTgEuIX
だな。
尾張侵攻は徳川を屈服させるか滅ぼすかしないと無理。
結局浜松をどうにかしないとならんとですよ。

659 :人間七七四年:2007/10/28(日) 11:08:46 ID:LBkk9vl2
徳川を寝返らせる、そこまでいかなくても単独講和にこぎつければ状況はかなり楽になっただろうに
そういう動きはなかったの?
徳川領併呑が第一目的ならそれはありえんだろうけども

660 :人間七七四年:2007/10/28(日) 11:26:41 ID:c9P6bUG5
信玄が血吐かなきゃ、家康は信玄の傘下に入ってただろ。
三方が原の後、援軍も送らない信長に付いてても滅ぶだけだし。



661 :人間七七四年:2007/10/28(日) 12:00:14 ID:YXc7njL+
血を吐く前に徳川と仲良くしておけば、ということよ
元々駿河侵攻時からの長期的な時間浪費の原因の一つが、徳川への盟約破りの不意打ちなんだから
必死に謝るなり責任者切腹させるなりしておけばそれこそ歴史が変わったかもしれんのに

662 :人間七七四年:2007/10/28(日) 12:18:50 ID:Y8ko/Fr9
三方ヶ原で大勝した直後
家康が逃げ込んだ城を攻めて討ち取る事は出来なかったの?

663 :人間七七四年:2007/10/28(日) 12:22:47 ID:gGm2AsFO
徳川を浜松に放置だと挟みうちに遭うとかどんな戦術眼してんだよww
武田が浜松以東を制してるんだから、徳川が浜松から討ってでるなんて有り得ない
自殺行為でしかない

浜松へ逃げ帰った時点で三方原で挑んだのも無謀でしかなかったと理解しただろ
それ以下の戦力や戦意で勝機などあるはずもない

664 :人間七七四年:2007/10/28(日) 12:27:56 ID:01vx6NWm
その時歴史が動いた
次週は勝頼切腹、をお送りします
信玄の病状悪化を受け武田軍は一路甲斐へと引き上げます
その後療療により病状が改善した信玄は、
勝頼に責任を被せ信昌を人質とすることで関係の改善を図ります
次週は世継までも道具として使うことを決断した信玄の心情と
その背景に迫ります


665 :人間七七四年:2007/10/28(日) 12:43:21 ID:IXkd1HQW
浜松と三河に抑えの兵を置いて尾張に行ったら
2万5千しかない兵がさらに減るわけだが勝算あるの?


666 :人間七七四年:2007/10/28(日) 12:49:56 ID:gGm2AsFO
>>665
信玄は人質が大好きなんですよ。
浜松は無視しても、三河遠江を攻めて、有力者からは人質を取って尾張に向かっただろうな。

667 :人間七七四年:2007/10/28(日) 12:56:42 ID:mU0MTwQz
>>662
浜松城は当時はまだ珍しかった石垣を有した堅城。
三方ヶ原で敗れたとはいえ5千人以上の城兵が立てこもる堅城を2万5千で攻め落とすのは至難の業。
長期間の城攻めになればそれこそ信長の思う壺。

>>663
浜松の徳川勢8千を押さえ込むには相当数の兵を割く必要があるのは無視ですかね?
三河の吉田城・岡崎城にも数千規模の徳川勢がいるのも無視なんですかね?
これらを無視して前進したら挟撃あるいは徳川勢に糧道を断たれるということも無視ですかね?
お前こそどんな戦術願してるんですか?

668 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:02:33 ID:+Iaul+Xb
>>667
あの時五千人もまだ残ってたのか
普通に守っても無理だから、わざと城門を開け放って武田を不信がらせたとか
城内の太鼓を血を吹きながら打ち続けたとか
やたら悲壮感が漂ってるけど
堅城+五千人も居たら余裕だろうな

669 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:12:08 ID:gGm2AsFO
>>667
あのなww
勝手にレスしてムチャクチャな論理を展開するなよww

敗戦直後の徳川が浜松から出る事は絶対にない もし、お前の言う通りに吉田と岡崎攻めで挟まれても空になった浜松を駿河信濃が見逃すわけない
つまり徳川にとっては必敗の戦でしかない。

つーか浜松に5000?8000?いたとしても負けたてホヤホヤの、しかも将が糞ちびりながら逃げて帰るような大敗直後に部下が出陣に同意するはずもない

670 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:14:54 ID:fpcV+FT0
確か野田城を囲っているときに、武田の後背で徳川が蠢動していたような

671 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:15:25 ID:c9P6bUG5
そうだな。667はなんか徳川が負けてなくてピンピンの兵が待ち構えてるかの如き
レスに見えるな。

672 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:27:07 ID:gGm2AsFO
浜松に家康を追いやった時点で、遠江、三河の将兵は武田に寝返るものも続出するだろう。
その上で三河に侵攻して尚且つ浜松の家康に降伏を促すというのが信玄の戦略だろう。
信長は援軍の少なさから考えて、徳川まで手が回らなかっただろうな。 だから徳川が降伏して三河までは侵攻されても仕方ないと思っていたはず

673 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:29:28 ID:01vx6NWm
だから信長の援軍は籠城するための兵だってw
合戦するための兵なら一万は出すわな


674 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:32:08 ID:01vx6NWm
まあ、信玄が健在だったから確実に分断されてたとは思うがな
降伏は知らね。完全に囲まれたら降伏するしかないだろうが


675 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:33:26 ID:01vx6NWm
だったから→だったら


676 :人間七七四年:2007/10/28(日) 13:36:16 ID:gGm2AsFO
>>673
あの状況の信長に10000出せたかは疑問だが、それなら尚更、三方原で家康には勝ち目は無いという話でしかない

結果も過程も当時の家康の戦術眼の無さを顕している
その家康が挟撃を画策したところで成功の見込みは薄い

677 :人間七七四年:2007/10/28(日) 14:04:24 ID:q5XVQgpc
>>672
浜松に家康を封じ込めた時点で武田に寝返った武将は特にいないはずでは?
・武田に奪われた城は主に山間部の城で石高の高い平野部の大半は徳川の支配下
・寝返ったとして武田家が撤兵後も武田からの援軍が得られるか疑問
・織田家本隊が武田に敗れたわけではなく、織田を敵に回すことに躊躇する
等の理由から安易に武田に寝返られない状況だと思う。

朝倉さんは家計が破綻仕掛けで越前に撤退。
三方ヶ原の武田勝利を知っても朝倉は動けなかったから当分北近江に軍を動かせない状況ぽい。
朝倉さんの支援が無い浅井の抑えは横山城の木下隊以下数千で十分。
幾度となく横山城の木下隊撃退に失敗してるから今後浅井が横山城を突破することはかなり困難。

大和は織田方の筒井が松永相手に優勢
摂津周辺は織田方と反織田方で一進一退気味

手詰まり状態だった志賀の陣と比べるとかなり好転してる状況だよ。

678 :人間七七四年:2007/10/28(日) 14:35:20 ID:pmgh9eg+
たしかに武田が野田城を包囲したとき、家康が浜松から三河まで出てきてなかったか?
浜松から動けない?史実で動いているのに?

679 :人間七七四年:2007/10/28(日) 14:40:18 ID:q5XVQgpc
>>678
援軍に来たけど戦わずに撤退したはずだったと思う。

680 :人間七七四年:2007/10/28(日) 14:41:22 ID:gGm2AsFO
>>677
追いやった直後は日和見もいるだろう。
家康のあの体たらくを見て見限るものもいる。
というか浜松以西は武田にとって岡崎まで特に障害は無いから武力で制圧も可能。
信長が信玄と対峙するのは、それこそ桶狭間近辺しかない。
そしてたいした戦闘もなく講和。三河遠江が武田領になって徳川は滅亡。
信玄や信長あたりになれば上洛など本気にしてない
侵略を正当化したいだけ

681 :人間七七四年:2007/10/28(日) 14:53:23 ID:q5XVQgpc
>>680
信玄にとって都合のよすぎる展開だなw

682 :人間七七四年:2007/10/28(日) 15:00:59 ID:gGm2AsFO
>>681
信玄なら可能だろうという話。
三方原の敗北は、それくらい徳川にとっては存亡の危機だったのは間違いない。
信玄にしてみれば三河遠江が欲しいだけで、織田と本気で対決する気は無い。

683 :人間七七四年:2007/10/28(日) 15:28:22 ID:pmgh9eg+
>>682
というわりには、秋山が美濃岩村を攻撃していたり。

信長からの援軍が一切なく、信玄の健康が問題なく対徳川戦に戦力を傾注できるのなら
時間がどれくらいかかるかは幅があるだろうが三河遠江制圧は可能だろう。

ただ、信長や上杉がそんな状況を座視するか?

684 :人間七七四年:2007/10/28(日) 15:56:12 ID:gGm2AsFO
>>683
上杉は国是からいって信濃に攻める事はない。

信長は信玄が岡崎より侵攻しなければ容認するしかないだろうな。
特に上杉が座視しないというなら上洛など到底無理だし、当時の信玄が判断して徳川に侵攻したという根拠がなくなる

685 :人間七七四年:2007/10/28(日) 16:10:34 ID:UzPJqK7F
現実問題として三方ヶ原の武田勝利によってどれだけの勢力が寝返ったの?
またその後の信玄の行動も漸進的でそれほど大きな影響があったように見えない
若しくは三方ヶ原の勝利を得てもゆっくりとしか侵攻出来ていないと思うが。

686 :人間七七四年:2007/10/28(日) 16:14:40 ID:pmgh9eg+
>>684
>上杉は国是からいって信濃に攻める事はない
理解不能です。お願いですから詳しく説明してください。上杉の国是ってなに?

687 :人間七七四年:2007/10/28(日) 17:30:23 ID:01vx6NWm
もしかしたら、信玄の真の目的は徳川併合だったのかもな

688 :人間七七四年:2007/10/28(日) 18:07:05 ID:nKamAYzN
>>686
上杉の国是=ID:gGm2AsFOの脳内なんだろう、きっと
村上が居る以上、信濃ががら空きになったら信濃に行くだろうし、長野が居る以上西上野ががら空きになったら西上野に行く
関東管領としての職務としても関東に出るための地盤(経済的地盤も含む)も固めれるから、行かないはずがないな
北条の援護が来にくい信濃はかなり侵攻される可能性は高いだろう
一向一揆黙らせたらすぐにでも動きそうな勢いだろうな

689 :人間七七四年:2007/10/28(日) 18:14:17 ID:gGm2AsFO
>>686
関東管領の権威復活が上杉家の国是。
武田が北上しない限り、不可侵を旨とする謙信が信濃を攻める理由はない
上杉の侵攻は無いという確証が無ければ上洛には疑問があるが信玄は遠征を実行しない。

690 :人間七七四年:2007/10/28(日) 18:42:11 ID:STojjPrs
>>689
なんだそりゃ。

691 :人間七七四年:2007/10/28(日) 18:50:26 ID:01vx6NWm
そう考えると不思議でしょうがないな
上杉は問題だわ遠征だわ病を押しての出陣だわ
北伐と同じ位の謎


692 :人間七七四年:2007/10/28(日) 19:24:45 ID:pmgh9eg+
>>689
では関東管領の権威復活のために、信濃でなく関東に出兵しましょう。途上に
ある西上野の武田領も当然攻撃の対象です。武田領はスルーして北条領だけを
攻撃する理由なんて、関東管領復活のためには有り得ませんよねえ。

693 :人間七七四年:2007/10/28(日) 19:29:35 ID:01vx6NWm
西上野には守備兵が残っていた件について


694 :人間七七四年:2007/10/28(日) 19:55:41 ID:STojjPrs
領域を接するところに守備兵を置かないような大名っているのか?

695 :人間七七四年:2007/10/28(日) 20:43:07 ID:01vx6NWm
いない

696 :人間七七四年:2007/10/28(日) 21:07:46 ID:oo4hDF9Q
そりゃ信濃も同じ

697 :人間七七四年:2007/10/28(日) 21:36:36 ID:gGm2AsFO
>>692
信玄にとって西上野など旧今川領に比べればどうでもいい土地だ。
もし失う事があっても武田領からみれば陸の孤島で、痛手は少ない
甲斐信濃が健在で旧今川領がすべて手に入るなら信玄は関東などに興味を持たない。
上杉にとっても関東侵攻に武田は邪魔だから寝た子を起こしたくないだろう

698 :人間七七四年:2007/10/28(日) 21:52:20 ID:prh9nxY3
上野を上杉に返上し和睦。
背後の憂いを一掃して上洛軍を起こしていれば
三河で鉄砲玉を食らう前に家康をひねり潰していたかもしれない。

699 :人間七七四年:2007/10/28(日) 22:13:17 ID:01vx6NWm
まあそこまで徹底してやれればな


700 :人間七七四年:2007/10/29(月) 00:10:33 ID:L0P5rUPj
駿河進出以前の武田には西上野の意義はとても大きいよ。


701 :人間七七四年:2007/10/29(月) 01:47:17 ID:hMV0d1th
>>697
信濃防衛の為にも西上野は戦略的にもかなり重要な土地だよ

702 :人間七七四年:2007/10/29(月) 01:53:44 ID:YWa14w5b
農業的な面からも西上野は戦略的に重要だよ


703 :人間七七四年:2007/10/29(月) 02:10:05 ID:5j37pttm
なんかこの頃って謙信も甲越和与を求めてたり
信玄も謙信を長尾と呼ぶのを改めて「上杉輝虎」と書状にしたためたり
両国が協力し合う雰囲気があったそうだね
ちょっと遅かったけど

704 :人間七七四年:2007/10/29(月) 04:30:12 ID:nhLZO9AQ
>>703
対北条と言うことで初期は謙信が武田に協力
北条と上杉の同盟成立後は武田と北条をはかりにかけていたのか
両者の争いから一歩引いたような位置に

武田と北条が再同盟すると武田と上杉もまた敵対
1572年には武田は上野の石倉城を上杉に落とされて上野で対陣

705 :人間七七四年:2007/10/29(月) 14:57:37 ID:vlmLRwpu
>>697
その関東管領は山内上杉を継承することで手に入れたもの
山内上杉の相伝の守護職が上野守護
上野守護が自分の領地すらも維持できないのに関東管領の権威復活はありえない
なので関東管領の権威復活のために信濃に出兵しないというなら、その権威復活の為に上野を完全に領有せねばならん


706 :人間七七四年:2007/10/29(月) 15:53:17 ID:kN7chOS9
青年期の上杉謙信は損得勘定があまりうまくない。
楚の項羽に似ている
意味の無い遠征や武田との正面衝突などマクロな戦略眼が絶望的に欠けている
武田と争わず関東に縛られず早い時期から越中加賀を狙えば展開もかなり変わったし朝倉浅井を従えて京を支配できたかもしれない

707 :人間七七四年:2007/10/29(月) 17:04:35 ID:YWa14w5b
上杉は結局最初から最後まで戦略的に全然駄目だったな


708 :人間七七四年:2007/10/30(火) 08:06:42 ID:dDpVi/Af
まして謙信は戦術も後世言われるほど強いわけじゃないしな

709 :人間七七四年:2007/10/30(火) 20:36:53 ID:Z1JsusSc
信玄、氏康もなw
関東はホラ吹きの捏造厨雑魚ばっかw

710 :人間七七四年:2007/10/30(火) 22:06:07 ID:v9CXZCmi
>>706
小田への遠征なんて意味ないな〜とは思ってたけど

当時佐竹が置かれた状況を知ってからは
謙信が小田城攻めるのも仕方ないと思うようになった

711 :人間七七四年:2007/10/31(水) 01:19:27 ID:hoA/Wrg3
>>706
武田が北信まで出張ってる以上武田と戦うのはやむをえなかったとおもうが。
春日山から北信は目と鼻の先。ここを放置するのはあまりにも危険。


712 :人間七七四年:2007/10/31(水) 22:50:39 ID:/MKzdjdb
>>706
そりゃ信玄の話しだろ。謙信はあくまで京に目が向いていたし上洛時も
武田、北条の侵攻さえなければ京周辺の安定に努めただろ。
つか、親父が極悪人過ぎて八方美人に生きなけりゃ滅んだだろ。あれで精一杯だったんだろ。

713 :人間七七四年:2007/11/01(木) 02:27:40 ID:URfj9U8f
>>712
京を目指していると言う事と損得勘定が上手いかと戦略が優れているかとかは別だろう。
実際何もかも上手く行ってないんだから、逆に目標に対しての戦略の立て方がヘタとしか言いようが無い。

714 :人間七七四年:2007/11/01(木) 22:26:38 ID:swREtm5Z
最終的に滅んだ武田、北条よりマシだろ。

715 :人間七七四年:2007/11/01(木) 22:40:42 ID:fQUru2S8
謙信はどちらかというと家中の安定を目指していたように思えるな。
関東管領も上洛もすべて自分に権威をつけて家中を安定させるためだったんではないかね。

716 :人間七七四年:2007/11/01(木) 22:44:46 ID:R/AWUF+u
謀反人の息子だからなー

717 :人間七七四年:2007/11/01(木) 23:15:33 ID:zdQ++zpy
>>714
北条ファンとしては、本当に滅べばよかったのにと思わないではいられない。
まあ氏直が死んだ時点で俺の中の北条は終わってるけどね・・・。

718 :人間七七四年:2007/11/02(金) 00:13:20 ID:KUplsIgi
おらゴム長

719 :人間七七四年:2007/11/02(金) 21:51:57 ID:bEH7OL4M
>>717
そんな事を言ったら武田なんてもっと悲惨じゃまいか・・・・・・・・・

720 :人間七七四年:2007/11/03(土) 18:47:39 ID:xNplNrRj
信玄の上洛は徳川を侵略する口実にしかすぎない。
本気なら中山道にも上洛軍を進めるはずだ。
美濃を攻めなかったのは織田との全面対決を避けている
駿府に拠点を移さなかった点からも信玄自身の天下はは旧今川領までで、それ以上は手に負えないと考えていただろうな。

721 :人間七七四年:2007/11/03(土) 19:44:11 ID:qRvz1eYW
では何で浜松城を攻略しなかったんだ?
アホと違うか

722 :人間七七四年:2007/11/03(土) 19:44:22 ID:G52rwYTZ
>>720
また美濃侵攻論唱える奴が現れたかw
上洛が目的であろうとなかろうと東海道の徳川放置は自殺行為。で終了。
スレの勢いを取り戻そうとして燃料投下したつもなんだろうけど何十回も否定されたネタを書き込むなよな。
燃料投下だったらこれまでにない斬新なアイデアにしてくれ。

723 :人間七七四年:2007/11/03(土) 20:32:25 ID:xNplNrRj
遠江で一番重要なのは二俣城。
そこを落とした時点で勝負は決まっていた
あとは家康を誘き出して一発見舞えば降伏するのは必至。
浜松城など捨て置け。
ただ、家康の真の強かさは降伏するにしても出陣するのが上策とわかっていた事

無血開城だったら出家か端金同然の城の城主がオチだ

724 :人間七七四年:2007/11/05(月) 11:45:52 ID:WIDRCPkb
遠江で一番重要なのが二俣城とはまた珍しい意見だな

725 :人間七七四年:2007/11/05(月) 11:54:23 ID:KUATTjw5
>>723
信玄ごときに、無血開城なんかするわけないだろ


726 :人間七七四年:2007/11/05(月) 12:00:35 ID:SY7J1jZ/
二俣は重要だろ


727 :人間七七四年:2007/11/05(月) 12:11:31 ID:WIDRCPkb
浜松掛川と比べると劣るだろ
個人的には高天神よりは重要だと思うけど

728 :人間七七四年:2007/11/05(月) 12:31:33 ID:YMsgM5ZJ
家康を捨ておいたのは
浜松城を包囲して
信長をおびき出すために決まってるだろ

信長が出陣してくれば
しめたもの
他の反信長勢力と挟撃ち

729 :人間七七四年:2007/11/05(月) 13:00:59 ID:xExHUYJY
>>727
確かに戦略的には圧倒的に二俣の方が重要だぞ

730 :人間七七四年:2007/11/05(月) 13:04:27 ID:b8rgkzWH
>>728
壮大な戦略としたら
信玄が負けて信長が勝ったてとこだな

731 :人間七七四年:2007/11/05(月) 17:53:52 ID:xExHUYJY
二俣城は天嶮の要塞で難攻不落。
信濃とは往来が可能だし浜松、掛川共に通じ東三河へも出れる交通の要点。
事実、信玄は浜松を通過する事なく東三河へ一直線のルートを選択
家康は慎重で安全策を好む信玄が東遠江から掛川、浜松を進攻してくると想定して最終決戦は岡崎だと考えていたんじゃないかな
信玄も二俣攻めはかなり手こずったようだ

732 :人間七七四年:2007/11/05(月) 19:26:34 ID:xoaw+pXQ
>>728
だれが挟撃できるんだろう。
朝倉、浅井は木下軍2000すら抜けない。
三好は家中が大変でそれどころではない。
本願寺が出張ることはない。
だれがするの?


733 :人間七七四年:2007/11/05(月) 19:49:28 ID:xWwmF7Us
伊勢長島って尾張小木江城まで攻めて織田信興を討ち取ってるはずだが。
なんで遠征できない事になってんの?
信玄の作戦でも長島は重要な要素と見られていたはずでは。

734 :人間七七四年:2007/11/05(月) 19:58:54 ID:xoaw+pXQ
>>733
小木江城は立田村にあったんだが
歩いて1時間程度の距離を移動することを遠征というのか?

735 :人間七七四年:2007/11/05(月) 20:09:06 ID:xWwmF7Us
現在の森川町じゃないの?
まあいいけどこれくらいの距離移動しての攻撃が出来るなら
美濃にはいけんのかね。
静岡県史によると長島は岐阜から三里の距離に要害作って日根野をいれたらしいが。

736 :人間七七四年:2007/11/05(月) 20:28:23 ID:94GVYcFe
当時の絵図だと
小木江城と願証寺は川を挟んだ対岸にあっただからなー
付け城を破壊した程度の評価しか出来ないと思う
あと伊勢の矢田城も落としているのかな?

737 :人間七七四年:2007/11/05(月) 21:21:41 ID:Ne2lhzbg
徳川潰したきゃ掛川をじっくり攻囲すべき
だったな。掛川経由で駿河方面を引掻き回され、
経済的に追い詰められていったのが武田滅亡
の主因。

738 :人間七七四年:2007/11/05(月) 21:27:27 ID:JDHDPfjo
高天神が遠江最大の要害かもしれんが、
東海道を抑えている掛川の戦略価値には遠く及ばないからな。

739 :人間七七四年:2007/11/05(月) 22:59:37 ID:SY7J1jZ/
掛川は何で攻略しなかったんかな?
目の黒い内にとっとけばよかったのに


740 :人間七七四年:2007/11/06(火) 00:32:34 ID:b/GQz7xL
>>735
防衛はそれこそ住む場所と命がかかってるから必死になるんだが、攻めるとなると話は別だ
攻めるとなると億劫になるのも出てくる、進軍する時迷子になったり逃げ出したりして減少する等
長島の地侍や坊官ではどう好意的に見ても津島あたりで半減してしまうんではないか?
それに結構な大軍になるので兵糧も馬鹿にならんが、守りきれるのかという問題もあるな

741 :人間七七四年:2007/11/06(火) 07:56:13 ID:+LfRRwR3
>>738
信濃からなら二俣
駿河からなら高天神
信玄は高天神では痛い目に遭ってるから二俣ルートを選択したんだろう。ただ二俣は徳川の剣閣と言えるくらいの場所
二俣が落ちたら浜松も完全に孤立してしまうし三河と遠江が分断されてしまう

高天神を制すものは遠江を制す

これには疑問だ

742 :人間七七四年:2007/11/06(火) 08:03:49 ID:/4bauDvz
二俣が落ちても三河遠江は分断されないし、浜松も孤立しないと思うが?
東海道をはじめいくつかの街道があると思うが

二俣からは遠江の東西の平野部にアクセスできる交通の要所だとは思うが

743 :人間七七四年:2007/11/06(火) 08:23:46 ID:+LfRRwR3
>>742
街道上に城があるかないかなどで判断してはいかん。
二俣を起点に布陣すれば三河遠江は完全に分断される
三方原戦などはその典型で信玄は天竜川流域を抑えず三方原に展開したのは三河遠江を完全に分断するため
二俣道が確保されているため三河浜松で挟撃も不可能
あのまま浜松にいたら
家康は海から三河へ逃げるしかない

744 :人間七七四年:2007/11/06(火) 08:27:32 ID:/4bauDvz
>>743
意味がわからない
誰か解説頼む

745 :人間七七四年:2007/11/06(火) 08:32:04 ID:/hzAJqGz
簡潔に言うと、742がそう思うから二股城で徳川は分断されるって事じゃね


746 :人間七七四年:2007/11/06(火) 08:36:13 ID:+LfRRwR3
>>744
すまんすまん


携帯だから改行がうまくいかなかった。

つまり二俣は大事だってことw

747 :人間七七四年:2007/11/06(火) 15:15:49 ID:Vx54Vf3s
どういうことだ?

748 :人間七七四年:2007/11/06(火) 18:30:30 ID:/hzAJqGz
ワカンネ
重要な拠点ってことは否定されてないんだがな

749 :人間七七四年:2007/11/07(水) 15:26:55 ID:lsfNstyk
>>733
伊勢長島の一向一揆勢は女子供も数に含まれてるんじゃないの?
だから遠征なんかしたら輪中のっとられちゃうじゃん
信玄のために住む場所なくしてどうすんのよ

750 :人間七七四年:2007/11/07(水) 17:12:11 ID:pvatzZWg
一向一揆勢は城・砦に篭ればやっかい極まりない存在だけど遠征となるとなあ・・・
さすがに女子供は遠征に連れていけないし、遠征するにしても補給の面からかなり困難なんじゃね?
信玄も長島の一向宗が城に篭って織田の軍勢を少しでも引き付けてくれるのを期待してたんだろうよ。

751 :人間七七四年:2007/11/07(水) 17:49:57 ID:VUjPr2US
あくまでおらが村を守るための戦いなら参加する
そういうことだっぺよ

752 :人間七七四年:2007/11/07(水) 18:02:49 ID:ymop0jgV
変なスレを見つけた。たぶん。このスレでフルボッコにされてる武田厨がウサ晴らしに
こんなスレを建てたようだなw
反論→アンチ武田!→織田厨、上杉厨に違いない!と言う奴よくいるが、北条ファンも災難だな。


【武田完勝☆】三増峠の戦い【北条涙目wwww】
ttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194134285/

753 :人間七七四年:2007/11/10(土) 21:15:39 ID:BqZSOeRj
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%B6%B2%E5%BF%A0%E6%81%92

754 :人間七七四年:2007/11/10(土) 21:22:51 ID:8aSZEXKI
これ書いたの厨房か?

755 :人間七七四年:2007/11/10(土) 21:48:44 ID:VevwUXrG
>>753
誰これ?

756 :人間七七四年:2007/11/10(土) 21:56:03 ID:8aSZEXKI
>>755
こんな武将いないでしょ、そもそも。
大谷吉次ほかたくさんの武将を討ち取ったとか、
土屋昌恒切り殺したとかめちゃくちゃ。
典型的な厨房の「僕の考えた最強武将」って感じ。

757 :人間七七四年:2007/11/12(月) 17:46:15 ID:1Rs1eiEG
>>753
大阪夏の陣ってなんだよw厨房丸出しwww
大坂くらいちゃんと書け

758 :人間七七四年:2007/11/12(月) 21:03:43 ID:RkZQEzsE
エターナルフォースブリザード思い出した。

759 :人間七七四年:2007/11/13(火) 10:11:05 ID:yJePXWLT
菅沼定盈がいなければ、信玄は天下を取っていた
もし野田城で足止めを食わなければ、信長の準備が整わないうちに尾張乱入し天下の形勢が変わっていたことは間違いない

760 :人間七七四年:2007/11/13(火) 12:54:05 ID:DLi3//Cv
きっとどこかの土網君がご先祖様をつくっちゃったんだよ

761 :人間七七四年:2007/11/13(火) 15:43:34 ID:S+IrBYpb
>>759
宮城谷小説?

762 :人間七七四年:2007/11/13(火) 22:52:33 ID:ft9dIm//
http://yaplog.jp/tofor/

763 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:13:14 ID:gnk88ihh
これは俺の妄想なので一通り聞いてくれツッコミは終わってから。

まず本願寺からのオファーが来た時点で、(北条との再度の
同盟で)東の心配がなくなったのと、上洛するにおいて
信長を釘付けにできる包囲網が(信玄が東上する事で)
完成したのを確認してから、挙兵。

一番の最短ルートは、信濃〜美濃だが補給路を優先しながら
ゆっくりと進軍する策を取る。(ただし、のちのち岐阜城を
牽制する役割をになうため、岩村城のみ奪取)
で比較的支城が弱い遠江中部の城から攻め込んで、
じっくり時間をかけて(堅固な)高天神城や浜松城を後回しにして
それら至城を(包囲するように)奪う事で両城を孤立させることで
奪取を目論んでたと見ていいでしょうね。岡崎城に関しては
築山殿以下、既にほとんどが武田の調略に応じていたと見ていいでしょうね。
(これが後の信康事件に関連してたと見ています)

764 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:21:21 ID:gnk88ihh
で、これはもしも信玄が死なずに(最低でも1・2年かかって上洛という)
長いスパンでの上洛プランが遂行されてたらの妄想です。

で、至城を落しながら、岡崎城周辺にまで武田軍は到達、
そして岡崎城は内応に応じて武田軍に降伏。
ここで織田軍の後詰め到着(織田軍はおそらく岡崎城より
東側へは行かないと見る、行けば挟撃される可能性が大なので)
だが兵力は1万から2万の間とみる。(朝倉、本願寺等の
牽制によるもので)それ以上の兵力ならば朝倉・本願寺等の
押さえが支えきれずに敗走するかもしれないので。

これくらいの兵力ならば武田はおそらく勝つとみていいでしょう。
そうなればおそからはやかれ高天神城及び浜松城は落ちた
と見ていいでしょう。そして尾張に到達したら、伊勢長島が
蜂起して合流、そして南と岩村城から岐阜城を牽制・・・・
というのが成功したパターン

765 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:30:48 ID:gnk88ihh
でも、そんな理想が覆されたのは朝倉軍の早期撤退

これにより浅井・朝倉の押さえが横山城の木下軍3千でも
まかなえるようになり。より多くの兵を武田に割けることになり。
浜松城の徳川軍と織田軍に武田軍は下手に時間をかけると
挟撃されかねなく。あとここで武田信玄は体調を
崩した見てそおり、東海道をじっくり攻める戦術から
美濃から一気に岐阜城を奪う策へと切り返す。
で(織田軍は)岡崎城を恐れて岡崎城東へはいかないと
武田軍が読み取り。かつ朝倉撤退で気をよくした
徳川軍の追撃に備えて、三方ヶ原で待ち構えた
武田軍が徳川軍を追い払い、北の岩村城を
目指して移動中に死去。

766 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:31:16 ID:BeEc3aWl
たらればのオンパレードの妄想にいちいちツッコミなど入れてられないww


本願寺のオファーww
岡崎降伏ww
長島が蜂起して後、合流ww

妄想なんだからアリだなww

767 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:35:29 ID:gnk88ihh
信康事件は築山殿以下、三方ヶ原以前に内応に応じたものが
多数いるため、長篠の合戦後。信長はそれらの
武田との応じたものの処刑を求めたが、凄い数でかなりの重臣も
含まれるので代表して信康が処刑されたのかもしれない。

768 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:38:29 ID:Wp6EnImP
>>767
ソースはなんだよそれ?

769 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:39:07 ID:IL1FXoEJ
本願寺のオファーっていうか義昭のだろ
本願寺も義昭の要望で動いてるんだろ

770 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:40:41 ID:gnk88ihh
>>764
あとこれは長いスパンなので尾張奪取と岐阜城奪取に
関してはあくまで簡単な概要でしかなく
(伊勢長島の蜂起以外の策もあったかもしれないし)
三河奪取と織田軍の決戦を終えてから三河に数ヶ月駐留してる
間に新しい策を練るかもしれないし。

771 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:43:54 ID:gnk88ihh
>>769
義昭のオファーではなく、義弟の本願寺のオファーで動いた。

義昭のオファーに関しては、”出家の身となり弓矢をとる術も
忘れ果てております”(甲陽軍艦に書いてある)と断っている

772 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:53:09 ID:IkY5O72o
一向一揆衆と下手に合流しても足手まといになるだけだろ。
しかもそれだけ食い扶持が増えて補給が破綻するだろうな。

>>767
信康切腹は信長の命によるという説を信じてるのかよ・・・

とういか岡崎衆が武田の調略に応じてるというお前の妄想を信じるとしよう。
なぜ武田が三河に侵入した時、野田城を攻めてる時に武田に寝返らなかったのかな?
岡崎衆が寝返れば徳川勢は真っ二つになって瓦解するこの上ないタイミングで寝返らなかった理由というか妄想はなんだ?

チラシの裏書く前にもう少しいろいろなスレをROMって勉強することをお勧めするよ。

773 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:54:10 ID:IL1FXoEJ
将軍の依頼だから上洛の大義名分が立つんだよ
甲陽軍艦なんて当てにならんし

774 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:55:58 ID:9w3Q/D8p
>>765
朝倉が撤退した時期、江北には信長も援軍のすがたもなく、すでに木下隊のみで
朝倉浅井と対峙しておりました。さらにいうと、信長の留守中に木下を攻撃して
撃退もされてます。まったく関係ないね。
ついでに指摘すると朝倉の早期撤退てひどいな。朝倉が撤退帰国したのは12月で、
志賀の陣のときにもふんばっていた。そもそも朝倉が早いというより、信玄が間に
会わなかったというほうが正しい。ただでさえ病気で出陣を延期しているのに。

775 :人間七七四年:2007/11/13(火) 23:58:55 ID:mDgm5SZX
>>772
俺はID:gnk88ihhじゃないが。
>>一向一揆衆と下手に合流しても足手まといになるだけだろ。
>>しかもそれだけ食い扶持が増えて補給が破綻するだろうな。
これについてだが、北陸や本願寺の一揆勢は普通に大名の軍と共同したり他国に攻め込んだり
してたたかっとるだろう。しかも戦国時代は自弁が原則。
一向一揆の兵糧は連中が自弁するだろう。武田が面倒みる必要はあるまい。

776 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:01:18 ID:U8U5BHvb
>>771
甲陽軍艦の歴史的価値プッ
山本勘助が上杉謙信と互角に渡り合った天才軍師と、信じているタイプだねwww

777 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:06:02 ID:ixpXl547
>>775
練度の低いにわか仕込みの一揆勢を加えた混成部隊になれば動きが緩慢になって
逆に戦いにくくならないか?
戦は数が最重要だろうけど、ただ数揃えればいいってもんではないんじゃないかな。

補給に関してだけど、武田が面倒みずに自弁だとしても尾張周辺で兵糧を調達することになるんだから、
数が増える分補給が困難になると思うんだけど違うのかな?

778 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:06:47 ID:WEAp9Kl9
>>772だから、尾張奪取に関しては簡単な概要で三河平定後に
他にも策はあるだろうから。(一向一揆が蜂起して尾張を荒らしまわれば
それだけ奪取しやすくなるだろうし。信玄は坊主だからな)

岡崎城の調略の首謀者は間違いなく築山殿であり、
他は半信半疑と見てよいだろう。
あと野田城の時点で朝倉軍は撤退している。
内応の際に出されたプランと食い違ってるから
(武田軍は北の岩村城からの最短ルートからの上洛プランに切り替えてるので)
朝倉撤退により、織田の大軍が三河にやってくるしね。
(下手には裏切れないかと)

779 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:10:08 ID:ixpXl547
>>778
だから岡崎城が武田に内応していてその首謀者が築山殿というソースを示せよ。
間違いないって断言するくらいなんだからソースなり根拠なりがあるんだよね?

780 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:12:14 ID:nhNfUtse
甲陽軍艦・・・
どこの船ですかそれはwww

築山殿→実家滅ぼしたのは旦那の家康と隣国の大名信玄、信長は義元を殺して弱体させただけね、恨まれるのは信玄の方が段違いに上だと思いますが?
信康→信長の婿なのに信玄に寝返るとか体裁考えても有能ならまずあり得ない選択肢ですな、離縁とかそんな話も出てないわけだし
調略→遠江は日和見、三河はほぼ離反せず。妄想お疲れ様です
時間をかけて攻略→信長本体が来て乙。近畿方面に押さえの兵残しても信長の兵は武田軍を上回る事は可能
信玄が死なずに進軍→劣勢での実績がほとんどない信玄と信長の率いる本隊、更に地の利は信長側にある。余程の運に恵まれない限り信玄に勝ち目無し
信康事件→三河派と岡崎派の対立により生じた家内騒動、信長は信康の切腹を思いとどまらせてるという史料もある
信濃から美濃への進軍→現在の道だけでも見てこい、補給路以前の問題
甲陽軍「鑑」→徳川時代に武田の遺臣によって作られた徳川史観バリバリの二次史料、武田に関しては割引いて見る必要がある史料
浅井・朝倉→既に疲弊し死にかけ、自国経営で限界。牽制なんてもってのほか
オファー→義昭のオファーで動いてる。他の史料探してこい

とりあえず特に目に付いた所だけを突っ込んで見た
修正と追加ツッコミは他の人に任せる・・・

781 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:16:59 ID:IZVSX47g
>>777
混成軍というが現にその混成軍が織田勢相手に結構頑張ってるじゃないか。
志賀の陣でも野田・福島でも。伊勢長島も小木江城攻略してるし。
そもそもこの時代の農民達は皆武器の使い方も戦い方も知ってる連中だ。
戦力外とはいえまい。
補給は戦場がどこかにもよるだろう。もし美濃であるならば美濃には岐阜から
三里の地点に伊勢長島が構築した日根野弘就を将とした要害がある。
さらには北伊勢からなら美濃は近い。一向宗関連のつながりも考えれば
望み薄しとはいえまい。

782 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:39:28 ID:U8U5BHvb
>>781
烏合の衆は組織的に訓練された軍隊には到底勝てない。
籠城ならなんとかなるだろうが平野戦や攻城は無理だ。

783 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:42:03 ID:zLP5eHtM
本願寺も含めた包囲網が出来てる中だから生きていたら信玄も上洛くらいはできたでしょ
上洛するだけであくまで将軍は義昭なのだからそれだけでしかないけれど

784 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:45:39 ID:IZVSX47g
>>782
そもそも当時の軍隊は近代軍とは違って平時の訓練とかには頼ってなかったはずでは。
地域ごとに集まり編成され、指揮を受け戦う形式のはず。
攻城戦は無理といっても実際一揆勢が織田の城をいくつも攻略しているし、
織田勢と平野戦闘で互角に渡りあっている事もある。

785 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:45:56 ID:nhNfUtse
>>775
一揆は扱いが難しいぞ
籠城はある程度なんとかなるんだが、進軍は難しい
大軍率いるのはある程度のノウハウと経験が必須
籠城戦と進軍のノウハウ・経験は別物だってことは覚えておいた方がいい
この上兵站まで気にしなきゃいけないんだから一揆での長距離進軍はムリと考えていい
長島から津島あたりまで移動したら半減以下になってると考えればほぼまちがいない


786 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:48:15 ID:eoJHj4Cu
長島一揆に関して言えば、織田が作った付け城いくつか落としただけでしょ

787 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:52:16 ID:IZVSX47g
>>785
ちょいまち。実際北陸の一揆勢は何度も朝倉氏を始めとする大名領土に侵攻している。
気候の穏やかな伊勢よりも条件の厳しい北陸の一揆が大軍で何度もやっているが
半減以下になってた事なんかない。普通に本願寺勢も野田・福島の戦いの時は
平野戦闘でたたかっとるよ。

788 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:55:55 ID:eoJHj4Cu
>>763
岩村城のみじゃ岐阜の牽制なんて無理だと思う、
信濃への侵入や奥三河を後方から攻撃されるのを防ぐ役割はあるだろうけど。

>築山殿以下、既にほとんどが武田の調略に応じていたと見ていいでしょうね。
ソースは?

>で、至城を落しながら、岡崎城周辺にまで武田軍は到達
そこまでに何年かかるの?また進軍ルートは?

兵力はテンプレに詳しくあるが恐らく織田が武田を上回るだろ

>おそからはやかれ高天神城及び浜松城は落ちた
まあ本当に三河と遠江を遮断でき、徳川側が奪還できなければそうなるだろうけど。

>尾張に到達したら、伊勢長島が蜂起して合流
東から来る武田と尾張西部にある長島とがどうやって合流?仮に合流するとしたら
どちらかが兵站遮断されて、長期戦は無理になるんじゃ。

>南と岩村城から岐阜城を牽制・・・・
牽制するには岩村は辺境過ぎる

あとは>>780と一緒


789 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:56:13 ID:U8U5BHvb
>>784
兵数や状況が不明確な各論はどうでもいい。
じゃあ農民軍に魚鱗の陣が理解できるのかい?


武田25000と組んで遜色なく戦う事ができるか?
大体、戦後そんな連中をどうするんだよ
一揆軍と合流などナンセンス

790 :人間七七四年:2007/11/14(水) 00:58:06 ID:eoJHj4Cu
>>787
加賀はともかく伊勢長島に関してはそんな実績が全く無いんだが
本願寺の野田福島も大坂本願寺のほぼ対岸の話しだし

791 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:00:36 ID:IZVSX47g
>>789
魚鱗の陣というのは言ってみれば密集形態だよ。
別に理解せんでも普通にやろうとすればできるのでは?
理解できるとかできないとかいうけどさ、当時においては一揆勢に参加してる連中も
兵士になってる連中も構成員としては大差ないはずなんだけど。
陣形というのもそもそも後世の軍学者が必要以上に持ち上げたところが多い。

792 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:08:49 ID:jlftGV3N
>>789
陣形ってアホかいな…

793 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:09:00 ID:IZVSX47g
>>790
実績がなかったといってもそれはやる機会に恵まれなかったからやらなかっただけでは?
信玄と挟撃するという明確な作戦目標を持ち決戦を望んだ場合でもそれを
やれなかったという保証もない。チャンスもなしに動きはすまい。
条件の厳しい北陸の一揆でも出来ているのだから完全に否定するのはいかがなものか。
それから>>787において野田福島の例は>>785の発言に答えて
平野戦闘で一揆勢が戦えている証拠として出した。


794 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:09:11 ID:zLP5eHtM
伊勢長島の一向一揆は尾張小木江城を落としてるよ

795 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:09:41 ID:U8U5BHvb
>>789
陣形って普通にできちゃうんだww

数の数え方や読み書きも覚束ない連中集めて何ができるんだよ。
大体、尾張は兵農分離の方針とってるんだけど。
どんだけ一揆軍過大評価してんだ

796 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:13:52 ID:eoJHj4Cu
>>793
絶好の機会である志賀の陣でやらなかったのに
それよりも不利な状況で何でやれると考えるのか?

それと加賀の方は別に条件厳しくない
加賀一国の国力に加えて時期によっては全国の一向宗の支援を受けているのだから当然
それに対し長島は一都市、地盤に差がありすぎると思うが

>>794
それしか出来てないから遠征能力は無いと思うのだが

>>795
兵農分離なんてどこも一緒、あなたは逆に大名を過大評価していないか?

797 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:13:58 ID:IZVSX47g
>>795
ちょい待ってよ。
>>数の数え方や読み書きも覚束ない連中集めて何ができるんだよ。
一揆勢がそうだというならそれは大名の軍隊も同じ。構成員としては大差ない。
>>大体、尾張は兵農分離の方針とってるんだけど。
その証拠はなんかあるの?戦国時代の大名の軍隊は軍役衆で構成されてる。
土地によって割り当てられた兵力を武将が率い、それを集合させることで大軍が
出来上がる。信長の軍勢も普通にこの軍役衆で構成されてるはずなんだけど。

798 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:18:19 ID:nhNfUtse
>>794
そこは弥富で津島よりずっと南西で長島の目と鼻の先、しかも一揆集団のど真ん中
一揆分断目的に作った付け城で敵の土地同然デスヨ?

799 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:18:28 ID:0dJK9px1
>>794
小木江城を落とした後、一揆はまったく動かず長島に篭ったままでした。当時は
まだ信長本隊も志賀で尾張は手薄だったにもかかわらず。

岩村に関しては、実際に岩村がそのままの状態で信長は長篠まででかけている。

800 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:20:17 ID:jlftGV3N
ID:U8U5BHvbは釣りとしか思えん。

801 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:22:55 ID:IZVSX47g
>>796
志賀の陣では伊勢長島はどこに向かえばいいというのか?
まず目の前に小木江の城があるし、信長は近江志賀にある。
さすがに近江は遠すぎるし、まずは目障りな小木江を潰すのはおかしくない。
伊勢長島もこの時点では一都市ではない。信長により北伊勢諸城が平定されるのは
1573年9月の第2次伊勢長島攻めからだ。この時点では北伊勢に味方が複数いる。
さらに美濃に拠点があるならなおさら進軍はしやすいはず。
信玄自身も美濃やその近国の一向宗と連携を取ることを狙っていた。そのバックアップが
あるなら無理といえるのか?

802 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:27:02 ID:U8U5BHvb
>>800
うんww
カタコトの知識で適当にレスしてるwww

>>796は兵農分離はどの大名も当たり前といい>>797はその根拠を示せという

803 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:32:55 ID:eoJHj4Cu
>>801
海西郡を再度奪い返しても良いし、津島を攻めるのはちと遠いが
他にも周囲の城を攻めてもいい

804 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:38:21 ID:eoJHj4Cu
>>802
それはあなたのどこも一緒の取り方が間違っている
と思う
織田も武田も旗本みたいな常備兵は数は違えど存在するし
織田も武田も基本は軍役衆から構成されている
ただ農村が人出したくなくて浪人雇って穴埋めする例もあり
武田や北条が夫丸?ではなくてちゃんと農村の者を出せと言っている文書も残っていたはず

805 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:39:08 ID:eoJHj4Cu
>>801
あと美濃に拠点と言うが岩村は本当に外れの外れだぞ
一度地図を見てみるべき

806 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:40:13 ID:IZVSX47g
>>803
場当たり的にそれをやれと?
小木江が攻略されたのは11月21日。
織田と朝倉の和議が成立したのは12月13日。
和議の折衝自体はこれ以前から始まり、さらにはそれは反織田側の渋りも
あった事から考えると本願寺の下に属する伊勢長島としては和議になるかどうかで
様子を見るのもおかしくは無い。信長はこの和議に天皇まで動かしているし。
信玄西上の時はそういった要素がなく、本願寺も信長を打倒するために門徒達の力を
結集しようとしている。さらには美濃に拠点がある。北伊勢に味方もいる。
これでも美濃にいけないと思うのか?


807 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:42:32 ID:IZVSX47g
>>805
ああ、その拠点というのは岩村じゃないんだ。
静岡県史によれば伊勢長島は岐阜から3里の位置に要害を築き日根野弘就を将として
いれているらしい。

808 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:48:50 ID:eoJHj4Cu
>>806
逆にいうなら、本願寺の決起が9月半ばで小木江が攻略されたのは11月21日
その程度の侵攻能力しかないってことじゃ、
長島が本願寺の指揮下にあったかは忘れたが。

まあ単純に美濃に行くだけなら可能だろうけど、多分川遡れば数キロ程度の距離だろ美濃との国境は。
でも岩村は同じ美濃でも正反対のとこに位置しているのだが、
それでどうやって合流とかするんだ?
やっぱり一度地図を。

809 :人間七七四年:2007/11/14(水) 01:54:54 ID:eoJHj4Cu
>>807
静岡県史のその部分は信じていいの?
他史料からは全く見つけられないが
また織田側が何かした形跡も見つからないし。
日根野が一時伊勢長島に属したのは事実らしいけど。

更に言うなら岐阜から12キロじゃ本当に長島からかなりの距離となる上
岐阜からも近距離で、それなのに他の史料に記録がないというのはかなり妙な話し。

810 :人間七七四年:2007/11/14(水) 02:02:08 ID:IZVSX47g
>>808
とりあえず本願寺の蜂起が9月半ばとしても伊勢長島が小木江に攻めかかったのは
9月ではないのでは?信長公記では11月16日の丹羽の活躍の後に
小木江の記事が出てくる。伊勢長島は同時蜂起だったのか?そうだとしてもまず最初に
長島城を制圧したはずでは?さらに長島城を制圧したあとも準備を整えて小木江に向かうと
するなら2ヶ月という時間になるのかな?仮に2ヶ月としてもその能力はそう悪いものではないはずでは。

811 :人間七七四年:2007/11/14(水) 02:08:00 ID:IZVSX47g
>>809
日根野がいた拠点がどれくらいのものだったかにもよるのでは。
大軍を率いて派手にとどまっていればそれは目立つ。しかし後から大軍が来る事を
想定し、それまでは拠点の隠蔽と確保を優先し表立った動きをしなかったと
するならばどうだろう。

812 :人間七七四年:2007/11/14(水) 02:12:17 ID:eM17Tpm8
信玄が史実通りのルートを通ったとしても北も西も敵だらけの信長が
信玄と全面対決できるわけない
小木江は見殺し、長篠には3000しか援軍遅れないという状況でしょ
いいところ岐阜に篭城するくらいしか手段がない
上洛は十分可能だよ

813 :人間七七四年:2007/11/14(水) 02:21:04 ID:eoJHj4Cu
>>810
>伊勢長島は同時蜂起だったのか?そうだとしてもまず最初に
>長島城を制圧したはずでは?
長島城は最初は織田側だったってこと?
一応1567年に攻撃したこともあったみたいだが……
あと小木江に向かういうが本当に近距離だぞ、そんな大層な準備必要か?

>>811
それは想像が過ぎると言うものでは?

814 :人間七七四年:2007/11/14(水) 02:32:35 ID:IZVSX47g
>>813
伊勢長島城の帰趨についてはわかってないんだが、織田側でなかったとしても
まず蜂起が同時だったのかの問題がある。信長公記によるならば本願寺の挙兵は
野田・福島が攻略されることによる大阪滅亡を恐れた突発的なものだったように
書いてある。ならば伊勢長島が同時に蜂起したとは考えにくいのでは?
それならとりあえず知らせがつくまでに時間がかかり、そこから急いで蜂起したにせよ、
軍事行動を起こすならそれなりの準備が必要では?近距離だろうと軍事拠点だ。相手は。


想像が過ぎるかな?一応つじつまはあう。完全に否定するのも決め付けが過ぎるのでは?
さすがにそれだけ近距離なら目だった動きは見せないでいるのが得策だろう。

815 :人間七七四年:2007/11/14(水) 03:06:46 ID:XzwSNZ97
>>812
何度も言われているが送った援軍は、3000しか遅れなかったというよりは、
籠城に徹する限り3000もあれば十分という数。
この当時の信長の基本戦略は徹底した内戦防御。
1万以上の兵力が後方に張り付いていれば、信玄といえども迂闊には西に進めない・・・
はずだったんだが、家康が言いつけ破って三方ヶ原で惨敗した。

816 :人間七七四年:2007/11/14(水) 03:26:32 ID:eM17Tpm8
ああ、長篠じゃなくて三方ヶ原だった

817 :人間七七四年:2007/11/14(水) 04:56:52 ID:eM17Tpm8
>>815
送りたくても送れないだけでしょ。岩村城にも援軍送れないで取られてる。
信長も家康も動けない状況があるから挙兵したわけで。
義昭が裏切るかもしれないということの方がよほど問題。

818 :人間七七四年:2007/11/14(水) 09:19:06 ID:99ClbFfs
軍鑑によると、信玄が浜松攻めずに北上したのは尾張-三河ラインのあたりに織田軍が集結しはじめているのを警戒したためだそうだ
家康が無理に仕掛けてきたのは武田方としても意外なもの
織田の直接の援軍は三千でも、総数はこの西方勢を含めたもっと大きなものだったんだろう
あるいは家康が出撃したのもこれとの挟み撃ちを狙ったものかもしれない
実際には三方原で余裕を持って邀撃されて史実の通りだけども

819 :人間七七四年:2007/11/14(水) 09:38:24 ID:dT9foHnG
浜松攻めずに西進したのは上洛が目的だからでしょ
はじめから義昭の依頼で動いたのだから

820 :人間七七四年:2007/11/14(水) 09:49:39 ID:99ClbFfs
武田贔屓の軍鑑さえんなこといってないから知らんw>上洛だから西へ

821 :人間七七四年:2007/11/14(水) 10:06:31 ID:dT9foHnG
上洛目的でないというならなんのために甲府を出たのか分からないし
義昭の依頼に応じた形になっているのも説明できない
それと信玄びいきとは関係ない

822 :人間七七四年:2007/11/14(水) 10:35:38 ID:99ClbFfs
>>821
上洛目的じゃなくても何度も甲府でて出兵してますが
名目つけて実際は別の事やるのも戦国期ではザラにあったこと
そもそも徳川と敵対した理由だって今川攻撃を名分としていたのに、いきなり同盟者の徳川を攻撃したことだし

823 :人間七七四年:2007/11/14(水) 10:37:19 ID:dT9foHnG
>>822
じゃあこの件に関して何のために出たと思ってるの
家康いじめるためなら浜松いかなければおかしい

824 :人間七七四年:2007/11/14(水) 11:11:42 ID:99ClbFfs
>>823
普通に遠州切り取りでしょ
最終的に上洛の意図があるにしろ足場を固めなければどうにもならん
織田徳川に挟撃されるのが最悪のシナリオである以上、国境に兵力を集め始めた織田勢を警戒するのは当然

825 :人間七七四年:2007/11/14(水) 11:26:16 ID:dT9foHnG
>>824
三方ヶ原が終わったあとそのまま野田城を落としてる
もし国境に兵を集めたなんてことが事実ならそんなことしてられないはず
当時の織田は東に戦力を割けるような状況ではない

826 :人間七七四年:2007/11/14(水) 11:47:15 ID:99ClbFfs
>>825
国境を容易く突破できないと見たから小城にわざわざ拘ったんじゃないか
遠州攻めの久能城等のようにスルーしなかったのはそのためだろ

827 :人間七七四年:2007/11/14(水) 12:10:11 ID:dT9foHnG
>>826
いや、挟み撃ちを警戒してたと推測してるんだろ
なら城落としのために1ヶ月ももたもたしてることはまさに危険に過ぎる
何より信長包囲網があるなかで国境に武田を抑えられるだけの戦力を
割けたという根拠がない

828 :人間七七四年:2007/11/14(水) 12:24:27 ID:IZVSX47g
というかこの時信長は確か美濃にいたはずでは。
尾張に大軍を集結させてるとは考えにくいのでは。

829 :人間七七四年:2007/11/14(水) 13:28:04 ID:Oz33pOPr
菅沼定盈こそ、家康が頼り信長が激賞し信玄が是非にと部下に欲しがった英傑
しかし囚われようと家康への忠節をかえず武田に仕えることはなかった
この見事さにより、定盈の家は本家菅沼より幕府で上席とされる

830 :人間七七四年:2007/11/14(水) 13:56:24 ID:nhNfUtse
個人的には信玄は鬼の居ぬ間の洗濯とばかり遠州の一部を切り取って
そのまま三河から信濃に帰ってまったりする予定だったんだと思ってるがね
信玄の信濃帰還ってあまり無駄が無い行軍だったような記憶もあるし

831 :人間七七四年:2007/11/15(木) 00:11:18 ID:xPHqXw5U
>>4
今更だし瑣末なネタだが、上野は緑野、片岡、多胡郡も武田領で間違いなしだよ。

832 :人間七七四年:2007/11/15(木) 01:50:00 ID:QisWRC2d
>>9
「上杉領は上野で1割程度」は少なすぎ
沼田・厩橋・大胡のほか、上野下野国境沿いの膳城や上野武蔵国境の那波城も上杉領。
利根川西岸の白井城も上杉領だ。上野の3分の1は上杉領だろう。

833 :人間七七四年:2007/11/15(木) 07:03:02 ID:xPHqXw5U
>>832
一割程度は少なすぎというのには全面同意だが、
テンプレの時点では由良が桐生領を併合した段階でしょ。
膳城攻略など謙信側の反撃はまだ後じゃない?
武田上杉由良で4:3:3ってとこでは。

834 :人間七七四年:2007/11/15(木) 07:44:48 ID:8ygDOTH9
しかしあいかわらず地図もみれない香具師がいるんだな。

835 :人間七七四年:2007/11/15(木) 07:55:00 ID:4P5PmGMC
>>826
仮に織田が武田に充てる兵が無かったとして、当時の武田信玄が得られた情報からそう判断できるかどうかはまた別問題
幾通りもの最悪の状況を想定して、そうならないように、その事態に陥ったときの対処を考えるのが指揮者の仕事
もし織田本体がきたら?もし挟撃されたら?
織田がくるわけねえwなんつって突っ込んでいって織田本体が来たらどうする?

836 :人間七七四年:2007/11/15(木) 08:29:08 ID:rHSzDyz0
>>835
レス番間違えてないか?
最悪の状況を想定してじゃなくて一番可能性の高そうな状況を想定して動くもんだろ
そうでなければ身動きできなくなるぞ
信玄が挙兵したときに上杉が信濃に攻め込んだら?
北条が裏切って駿河に攻め込んだら?
そんな可能性は低いと判断したから西に進んだわけだろ

837 :人間七七四年:2007/11/15(木) 08:41:44 ID:4P5PmGMC
>>836
6じゃなくて7だったな
織田信長自身は美濃の本拠に帰ってきてる
おそらくこれぐらいの情報は得てるだろう、そして朝倉が撤退したという情報も武田信玄は得てる
そして自身が織田領国の東から圧力かければ、織田信長はどこに向かうか…?
この状況で最悪の状況、織田徳川に挟撃という想定を捨て去るのは無理
下の二つの例は武田信玄はそれぐらいバカだからしゃにむに突っ込むといいたいのか?

838 :人間七七四年:2007/11/15(木) 09:26:20 ID:BtzyqUKU
信玄自身が健康状態というリスクを抱えているしな
出兵自体が無茶だったという事も言える

839 :人間七七四年:2007/11/15(木) 11:22:16 ID:rHSzDyz0
>>837
国境に兵力を集めたんじゃなかったのか?
それから時系列でいうと

三方ヶ原の戦い 元亀3年(1572)12月
義昭挙兵 元亀4年(1573)2月
信玄死去 元亀4年(1573)4月
朝倉退却 天正元年(1573)8月

なのだから朝倉退却は知らないはず

840 :人間七七四年:2007/11/15(木) 11:47:34 ID:GacemUPZ
>>839
あれ?信玄が朝倉退陣を非難した書状とかってなかったっけか?

841 :人間七七四年:2007/11/15(木) 11:51:53 ID:OwU75v2H
>>840
あるね。
その代わり1573年2月には本願寺宛に
朝倉義景が再出陣しそうなので今後の申し合わせをよろしくと
頼んでいる書状がある。

842 :人間七七四年:2007/11/15(木) 11:57:08 ID:X1HJ9Nmz
>>841
それは義昭を中心に共同歩調をとりましょうということで
朝倉撤退とは時系列からいって関係ないでしょ

843 :人間七七四年:2007/11/15(木) 11:58:13 ID:OwU75v2H
朝倉の退陣は1572年12月。
そんで信玄の依頼で本願寺も朝倉に何度も再出兵の要請を行い、
>>841につながるらしい。

844 :人間七七四年:2007/11/15(木) 12:00:41 ID:X1HJ9Nmz
>>843
それとは別だよ
姉川の後、朝倉は2度浅井に援軍出してる
だいたい三方ヶ原の前なら関係ない

845 :人間七七四年:2007/11/15(木) 12:09:45 ID:OwU75v2H
>>844
?どういう事?
信玄が義景の撤退を詰問した書状には三方ヶ原の事も出てくるんだけど。
朝倉撤退を詰問するのは三方ヶ原の後だよ?
そんで本願寺を介して再出兵を要請し、1573年2月には本願寺の東老軒常存に
>>841の書状を送ってるんだけど。

846 :人間七七四年:2007/11/15(木) 12:17:34 ID:X1HJ9Nmz
>>845
信玄が上洛のために挙兵したのなら朝倉退却は上洛の障害にはなるからそのために文句
いうなら分かるが、遠江切り取りのための挙兵なら朝倉浅井義昭との連携はあまり
重要ではないということ。

847 :人間七七四年:2007/11/15(木) 12:23:21 ID:OwU75v2H
>>846
あの出兵は遠江切り取りなのかな?
信玄が最後に攻略した野田城は三河の城だよ。
他にも信玄やたらと義昭や朝倉浅井本願寺と連絡を取りまくってるところからして
上洛かはわからないけど織田勢力に打撃を与えることが目的だったんじゃないのかな。

848 :人間七七四年:2007/11/15(木) 12:26:19 ID:X1HJ9Nmz
>>847
というか上洛=信長への打撃かと
信長に打撃を与えず上洛できないわけだから

849 :人間七七四年:2007/11/15(木) 13:58:24 ID:zTDMqMI1
戦とは不思議なもので、諸条件を整えたほうが勝つとは限らない
数や体勢が問題なら、信長は桶狭間で負けているし信玄は上田原で敗北していない
要するに戦の趨勢を決めるのは、主将の魂の輝きだ。運気と言い換えても良い
既に魂魄落ちて死する寸前の信玄の輝きは消えかかっていた
そこへ家康という伸び盛りの輝きとぶつかったことで、勝利したものの信玄の運気は消えうせ野田城のような小城に二万余でかかって梃子摺るほどになった
これでは信長という輝きには仮にぶつかっても勝てない

850 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:06:51 ID:4P5PmGMC
>>848
そりゃ外交で自分が有利に立つために方便も使うわな
織田が東西から攻められるのを避けるために武田と誼を通じたのと一緒
「徳川領を切り取るから織田をけん制して!」じゃ協力する気にならんが、
「徳川領を通過して織田をたたくからその間織田をひきつけておいて!」なら依頼されたほうの利益にもなるから協力する
その織田をたたくという方便が上洛という言葉

851 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:06:57 ID:OwU75v2H
なんかの宗教?

852 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:10:13 ID:OwU75v2H
>>850
その割にはこの時の外交が大掛かりすぎだよ。
1571年にも徳川領土を普通に攻めて城をいくつも攻略してるのに。

853 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:15:45 ID:AgoYkqgB
>>852
50城?

854 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:18:43 ID:pJJXUR0N
>>852
利用できるものはなんでも利用するに決まってるだろ。
たまたまこの時は利用できる要素がいつもより多かっただけのことなんじゃね。

855 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:19:25 ID:4P5PmGMC
>>853
厠付きの家なら城?

>>852
そりゃ単純に自分に倍する国力のあいてを敵に回すんだから周到に準備するだろう

856 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:22:31 ID:OwU75v2H
>>852
何のことを言っているのかわからないけど、
1571年に信玄はまだ北条と再同盟する前に徳川領土に普通に侵攻して
足助城を攻略し、山家三方衆を服属させ、大沼城、田代城、野田城(野田は後に
徳川に奪還され、西上作戦のときに武田に攻めなおされる。)を攻略し、
二連木で徳川軍を破り、吉田城近辺に放火してるよ。

857 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:24:30 ID:OwU75v2H
>>856>>852>>853あて。

>>854>>855
だったらそれを1571年に徳川攻めたときに動員しなかったのは何故?

858 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:35:04 ID:pJJXUR0N
>>857
北条との再同盟が出来ていない状況下だからだろ。

859 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:36:55 ID:OwU75v2H
>>858
北条との再同盟が出来てない状況下で徳川を攻めるなら
なおさら織田の動向に気をつけて反織田を動員しようとするんでないの?

860 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:44:43 ID:pJJXUR0N
>>859
何か勘違いしていないか?
第一次信長包囲網は信玄が形成したわけじゃない。
71年には信長は既に反織田勢力と敵対してるわけだが、反織田を動員とは何だ?
元亀3年の西進時も信玄は反織田勢力をこれといって作り出していないんだけどね。
既存の反織田勢力に自分も加わる事を手紙で出したくらいだろ。

861 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:46:41 ID:NOKkz3yn
言い方はわるいが信玄は日和っただけだからな
直前まで信長とは同盟者

862 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:49:46 ID:OwU75v2H
>>860
だからさ、信玄がただ徳川領土を切り取るためだけに
反織田勢力に加わる事にしてそいつらに信長を引き付ける役割を押し付けたというなら
北条との再同盟もなっていない時に徳川を攻めたときはなおさら
反織田勢力に引き付けてもらおうとするんでないの?

863 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:51:50 ID:AgoYkqgB
>>855
いや、前に50城といってた人がいたんでw

864 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:54:49 ID:NOKkz3yn
>>862
信玄が最初に徳川裏切って攻撃かけた時は、北条が同盟切ってきたんで慌てて信玄が兵を引いて謝ったんだよ
その後、北条とすったもんだの末再同盟してから徳川を再び攻撃
こういう流れだから

865 :人間七七四年:2007/11/15(木) 14:57:03 ID:pJJXUR0N
>>862
背後の北条との再同盟がまだの状態で一応同盟継続中の織田と手切れしてまで反織田と結ぶなんて出来ないだろ。
下手すりゃ織田・徳川・北条・上杉から四方八方フルボッコなんだぞ。
反織田に加わらなくても信長は畿内方面で大忙しなんだから、わざわざ織田を引き付けてもらうお願いをする必要が無いだろ。

866 :人間七七四年:2007/11/15(木) 15:01:02 ID:OwU75v2H
>>864
いやいや、それはちょいと違う。
信玄が最初に駿河攻めた時に武田の秋山勢が徳川と交戦したときは確かに
北条との戦いもあって信玄がすぐに謝った。これが1568年から1569年。
俺がいってるのは1571年の事。詳細は>>856を参照。
そして西上作戦が1572年10月からの事。

867 :人間七七四年:2007/11/15(木) 15:07:07 ID:OwU75v2H
>>865
だったら徳川領土を攻めた事自体がおかしくなる。
織田と徳川は同盟者なのだから。
それから畿内の反織田勢力との連絡自体は1571年5月の段階ですでにある。

868 :人間七七四年:2007/11/15(木) 15:19:10 ID:ssY4rX/Z
同盟者の同盟者攻めるのってそんなに珍しいことでもないっしょ

869 :人間七七四年:2007/11/15(木) 15:22:20 ID:OwU75v2H
>>868
たとえば何かある?
第一珍しくないなら西上作戦の時に信長怒ったり警戒したりしないでしょ。
援軍も3000とはいえ送ってるし。

870 :人間七七四年:2007/11/15(木) 16:43:32 ID:dXhYCxJG
同盟者の同盟国を攻めるのはフツーというのなら、信長の朝倉征伐で浅井が離反した
のはなんでよ?となるのだが。

871 :人間七七四年:2007/11/15(木) 17:15:20 ID:Ed0egbkJ
信玄だって越中の一向宗や芦名本庄と連絡取り合って68年に越後に攻めこむとか言ってたし、
72年にも徳川への仕置が済んだら越中の一向宗には越後に攻め入ると言い、
飛騨の親武田勢力には飛騨に攻め入ると言ってるから
上洛も口だけじゃないの?



872 :人間七七四年:2007/11/15(木) 17:59:07 ID:4P5PmGMC
>>863
その流れで「便所が付いた家なら城といえる」なんていう面白い結論がだされてなかったか?
そしてその50城はほとんどが便所つきの家だったと

>>867
北条氏康が死んで三ヵ月後に甲相同盟復活してるはずだが
それ以前から「武田と北条また同盟するんじゃね」ってうわさが流れて、それについて氏康だったかだれかが上杉に対して弁明してたり
再同盟という大まかな方針はすでに北条武田間で決着は付いていて、あとは細かいこと決めるだけで同盟の見通しが付いてたんじゃね



873 :人間七七四年:2007/11/15(木) 18:57:33 ID:26uvdPGd
>>872
ただしあくまで噂の域をでてないんだけどな。
北条の評定衆ですら、同盟締結後に確報を知らされたくらいだし。

874 :人間七七四年:2007/11/15(木) 19:00:34 ID:OwU75v2H
>>871
1572年7月から9月まで飛騨は攻めてるよ。そんで江間氏が上杉に身を寄せてる。
本庄の時も信濃飯山城その他を攻めて激しく攻防してる。でもその間に北信濃の
領国化をほぼ達成したりもしてる。あわよくば、って感じかもしれないけど
一応ちゃんと動いてる。本庄に兵糧も送ってるし。
上洛作戦はこれらよりもはるかに大掛かりな外交と準備、詳細な連絡をとってるので
口だけというと疑問が。

>>872
徳川攻めは1571年2月から始まる。一月に駿河における北条の重要拠点深沢城を武田が
攻略したばかり。一応駿河をめぐる攻防戦にはひと段落が着いたともいえるけど
それからすぐに同盟の見通し立って他国に攻め入るってのはちょいと急な気が。
再同盟は12月だったはずだし。

875 :人間七七四年:2007/11/15(木) 19:17:53 ID:CZi95V5k
上杉を滅ぼすとか言っておきながら実際には北信濃で争った程度の68年と
上洛するといって徳川と激しく遠江で争った72年
争ったことは事実だろうがどっちも口だけじゃないか?

大掛かりな準備と詳細な連絡と言うが、それだって対上杉でも対北条でも
武田は大掛かりな外交と準備、詳細な連絡をとっていたわけだが
なんでこの時だけそんな特別視する必要があるのか理解に苦しむが?

876 :人間七七四年:2007/11/15(木) 19:34:53 ID:OwU75v2H
>>875
上洛の時は徳川だけ相手とするなら美濃の岩山を攻略し、浜松置き去りにして三河に向かい、
協力を申し入れてきた美濃の遠藤氏に向けて来年の春に美濃侵攻するからその時
寝返ってね、といい引き上げた朝倉を詰問し、再出陣しそうなので申し合わせよろしく
と東老軒に伝えたり、徳川だけを目的にしたにしては随分とそれ以上を目指した準備が
多い気がするのだが。

877 :人間七七四年:2007/11/15(木) 20:01:16 ID:OwU75v2H
美濃の岩山じゃなくて岩村だった。悪い。

878 :人間七七四年:2007/11/15(木) 21:35:29 ID:4P5PmGMC
>>874
元気二年二月に上杉謙信は武田軍撤退の報せを受けて沼田から越後に引き上げてるみたいだ
で、同じ一月には花沢城を「開城」させて、二月に徳川攻め?
わかんねえ人間だな、晴信
ついでにいうと、将軍からの上洛要請は元亀二年五月
上洛の為に徳川を、じゃなくて、徳川を攻めたら上洛の要請がという図式だな
ということは、最初から上洛のために条件を合わせたわけでなく、徳川攻めるために条件を整えて、そしてその条件にあとから将軍からの要請という材料も加わったからそれに乗っかったとみるべきじゃね?

879 :人間七七四年:2007/11/15(木) 21:43:04 ID:0LicIT7i
>>876
徳川を攻めることがいずれは織田との敵対に繋がると思ったからじゃ、
信玄自身徳川を織田の先手と表現したり、
71年に徳川に攻めたことに対する信玄の信長に対する弁明の書状からもそう感じるが。
更に言うなら岩村は織田の手に渡ると、信濃から三遠に出兵した際に
背後を突かれる、遮断される心配あるから、織田の手に渡したままにしてもおけないだろうし。

880 :人間七七四年:2007/11/15(木) 23:12:06 ID:18jPfcku
>>878
徳川とは何度かいざこざがあるけれどそのいざこざと、
義昭からの要請があった後のこととは別。元亀三年10月に甲府を出てたのは要請の後なのだから。
もし元亀三年10月の出陣目的が遠江奪取目的なら浜松城へ向かわないのがあまりに不自然。

881 :人間七七四年:2007/11/15(木) 23:17:58 ID:0LicIT7i
直接浜松落とすのが無理と考えたんだと思うが。

882 :人間七七四年:2007/11/15(木) 23:24:19 ID:18jPfcku
>>881
無理かどうかは事前に予測できることなのだから
奪取目的なら向かうはずだぞ

883 :人間七七四年:2007/11/15(木) 23:37:28 ID:0LicIT7i
>>882
つまり無理と判断したから回りの支城を攻めて浜松を孤立させようとしたわけか

884 :人間七七四年:2007/11/15(木) 23:44:41 ID:2vGzamSY
浜松は当時としてはまだ珍しい石垣の城だったんだっけ?
だとしたら信玄が攻めるのを躊躇しても不思議じゃないな

885 :人間七七四年:2007/11/15(木) 23:55:12 ID:18jPfcku
>>883
というか誘き出しだろ。実際そうなったし。
で家康に打撃を与えて後顧の憂いなく上洛を目指すというつもりだったんだと思う。
義昭が御所の防御を固め篭城策をとったのも信玄が信長の背後を突くことを
想定していると考えるのが自然だし。

886 :人間七七四年:2007/11/16(金) 00:02:01 ID:poKq7Wju
まあ野田城落とした段階で他の城スルーするなら上洛強行して大敗フラグだと思うが
順番に城を落としていくとしても時間がかかりそ

義昭のは武田+本願寺三好をあてにしてだろうな

887 :人間七七四年:2007/11/16(金) 00:53:04 ID:9SFU0K7G
>>880
徳川と敵対すればその延長線上に織田との敵対がある
徳川と敵対した時点で織田との対立も当然視野に入れるべき事柄で、その徳川との対立のほうが早いわけだから、目的は当然徳川領切り取りにあったと見るべき
その後上洛して将軍の要請にこたえるというお膳立てができたからそれを徳川領切り取りに利用したと
それが朝倉やら浅井やら本願寺やらへの要請
で、なんで遠江奪取目的なら浜松へ向かわないのが不自然なんだ?
上杉は上野を切り取るために毎回小田原に出陣してたか?
織田は美濃を切り取るために稲葉山城に攻め込んで行ったか?
島津は?伊達は?里見は?毛利は?おおともは?
相手の本拠にまず突っ込んで行ったか?
徐々に勢力を削いでいって、味方の被害を抑えながら徳川に属する地域領主に動揺を与える目的としては別に問題なかろう?


888 :人間七七四年:2007/11/16(金) 02:54:38 ID:FQwi0HOX
>>887
そいつらは本拠の前にまず他の敵城があったじゃん。それ潰さないと攻め込めない。
上杉なんか小田原いけたときは行ってるじゃん。
信玄だって駿河攻めの時は一気に駿府攻略を目指した。
本拠攻め込めるならそれ攻めて攻略するのは不自然じゃなかろ。成功すりゃそれで決着だ。
徳川の場合は浜松がすぐ近くにあるんだから攻めたっておかしくなかろ。


889 :人間七七四年:2007/11/16(金) 04:23:28 ID:EbiuShkK
すぐ近くにあっても攻めにくそうな城を攻めるより
まわりからせめた方が得だと考えただけじゃまいか。

890 :人間七七四年:2007/11/16(金) 07:21:11 ID:9SFU0K7G
>>888
成功すればな
失敗したら?
織田の援軍も想定される、西側の反織田がしっかりと織田本体をひきつけられるか見極める必要もある
西上野の長野攻めたときも周りの城からせめて箕輪城は最後になった
それのおかげで何度も信玄を撃退したなんて話にもなってるが
それから今川の時はすでに内応してるのがしこたまいたし、今川軍も野戦で応戦してきてたし、織田徳川相手するときとはなにより彼我の国力が違う
国力に格差があるってのは大きいぞ?

891 :人間七七四年:2007/11/16(金) 08:00:15 ID:U5Nhg5to
>>888
ゲームじゃないんだから本拠地攻め落としたくらいで決着な訳ない。(ゲームでもか)
氏真だって駿府陥落後は掛川城で頑張ってる。
それに信玄の目的を遠江奪取のみに括るのは不自然だよ。
目的は寸土でも領土を広げることじゃないの?
あの時は目標を徳川領の東海道(できれば織田領も?)でじわりじわりと攻めた結果があの行動なんじゃない?

石垣を備えた浜松城や高天神城等の堅城を含む遠江の城を攻め落とすのには多大な損害を被る事となる。
遠江奪取のみが目的なんだったらそれでいいかもしれないが、最終的な目的は領土を少しでも広げること、
徳川領は全て手に入れることなんだからそれではあまり良策とは言えないと思う。
わざわざ遠江限定の攻撃→次は三河限定の攻撃なんてする義務なんてどこにもなく、
普通は遠江、三河共に同一の敵対勢力下なんだから攻めやすい城や戦略上攻め落とすべき城の攻略をしていくんじゃないか。

892 :人間七七四年:2007/11/16(金) 09:46:04 ID:9SFU0K7G
>>891
本拠攻めれば終わりって発想はアレだが、本体を叩けばというのはどうだろうか
周囲の攻めやすいところせめて、後詰に出てきた徳川本体を叩くと
徳川が出てこなければどんどん落として徐々に勢力を広げられるし、出てくれば相手より多い兵力を擁してるし、城の攻防戦より被害少なく且つ小豪族へ与える影響も大きいと
何回かこういうのがこのスレでも出てきてたと思うが、こういう方針のほうが現実的で確実な方針だと思うんっだが

893 :人間七七四年:2007/11/16(金) 12:37:56 ID:U5Nhg5to
>>892
後詰に本隊が出てくれば勿論数の上で圧倒的だから叩くというのを書き忘れたけど、
俺が言いたかったことと同じ意見だね。

894 :人間七七四年:2007/11/16(金) 13:49:45 ID:t9lBYdVb
そもそも上洛目的でないなら義昭のオファーに応じてというタイミングにする必要はない
それまでも何度も遠江に侵攻してるからな
義昭のオファー後、遠江切り取り目的での出陣なら義昭をダシに使ったということになる
それはあまりにうがった見方というものだ

895 :人間七七四年:2007/11/16(金) 14:04:32 ID:U5Nhg5to
>>894
徳川領侵攻は前々から予定していたもの(81年にも侵攻)で、
予定通り出陣する際に義昭のオファーが利用できそうだったから利用してみただけの事だろ。
上洛と言う名目を手に入れて反織田との連絡を密にしやすくなるんだからね。
別に義昭をダシに使ったというのは戦国の世では特段珍しいことじゃないだろ。

896 :人間七七四年:2007/11/16(金) 14:09:21 ID:t9lBYdVb
>>895
義昭は腐っても将軍だぜ。信長ならやりかねんが、信玄は坊主になったように守旧派なんだからありえんな。
利用したのは義昭の方だろ。義昭からみれば浅井であれ武田であれ駒に1つに過ぎない。

897 :人間七七四年:2007/11/16(金) 14:19:43 ID:awjdjdG8
謙信ならともかく信玄が守旧派てあんた

898 :人間七七四年:2007/11/16(金) 14:26:58 ID:t9lBYdVb
>>897
守旧っていうのはまず将軍家を頂点とした秩序を守るってことと
寺社寺院を守るってことな。
何の資料か忘れたが比叡山焼き討ちも非難してるよな。

899 :人間七七四年:2007/11/16(金) 14:30:56 ID:U5Nhg5to
>>896
信玄が出家したのも信仰心だけでなったのではなく坊主どもを懐柔する思惑の方が強かっただろ。
だいたい何十年も実権を失って没落した将軍家にそこまで忠誠心を示す奴がそうそう居るかよ。

信長包囲網に加わった奴等は将軍家に対する忠義ではなく(表向きは忠義ってことだろうけど)、
個々が信長と敵対しているときに義昭が「信長討て」という手紙が来たから大義名分と利用しようってだけのことだよ。
腐っても将軍とやらを殺害した三好一派も何食わぬ顔で忠誠心を示してるんだしなw

900 :人間七七四年:2007/11/16(金) 14:37:40 ID:U5Nhg5to
>>898
あの戦国の世に将軍家を頂点とした秩序云々なんて考える奴はごくひと握るの少数派だろうな。
大半が考えていることがどうやったら自分の家が生き残れるかって事。
信玄もそっちのスタンスだったと言う可能性のほうが遥かに高いんじゃないのか?

焼き討ち非難は出家している自身の立場を考えても焼き討ちを非難しといた方が自身の益になるからと言う考えからだろう。
焼き討ちを容認してもなんの得にもならないどころか坊主との仲がこじれるだろうしな。
確かに信仰心から非難したというのもあるだろうけどね。

901 :人間七七四年:2007/11/16(金) 15:10:25 ID:t9lBYdVb
>>899
坊主を懐柔するという発想そのものが守旧なんだよ。図らずも寺社勢力の利権を認めてることになるんだからな。
それから三好の件は権力争いの一環で将軍家の権威そのものを否定してるわけではない。義栄を押したというだけ。
いくら末期といえども将軍が将軍である以上その権威は絶大なものがある。だからこそ信長も何とか将軍の権威を
限定的なものとするように苦心してる。もし将軍の権威など無きに等しいとするなら五箇条の事書など必要すらない。

902 :人間七七四年:2007/11/16(金) 16:18:00 ID:9SFU0K7G
>>901
将軍を頂点とする秩序と寺社の関係を教えてくれないか
なんでこのふたつが一緒くたに語られてるのか納得できない
それからどの程度の状態で守旧派になるんだ?

903 :人間七七四年:2007/11/16(金) 16:19:24 ID:Koh1bmvj
寺社=守旧勢力という時点で頭が少し固まっているとしか思えんぞ

904 :人間七七四年:2007/11/16(金) 16:34:47 ID:PoyO9ajH
寺社の権利を認めたことがある=守旧なら信長も守旧だなぁ

905 :人間七七四年:2007/11/16(金) 18:57:25 ID:U5Nhg5to
>>901
坊主を懐柔しただけで守旧と決め付けるのは強引過ぎるだろ。
政治的妥協なんて信長含めてどの大名も行ってるよ。

それからお前のレスだと俺が将軍家の権威を否定しているような言い様だが、いつ俺が将軍家の権威まで否定した?
俺の一連のレスでは将軍家をいろんな面々が利用している=『将軍家の権威』を利用していると書いてあることが分からないのか?
三好が将軍家の権威を否定したなんか俺は一言も書いてないぞ。

お前が何を言いたいのかいまいち分からんからもうすこし分かりやすく書いてくれ。

906 :人間七七四年:2007/11/16(金) 20:36:32 ID:FQwi0HOX
>>905
言い方きついぞ。もちょいマターリいこうや。

907 :人間七七四年:2007/11/16(金) 21:09:04 ID:cMn592si
>>814
日根野に関しては想像が過ぎると言うかそこまでIFを重ねられちゃどうしようもない、
無理矢理つじつまを合わせてるだけじゃないか
要害を築いて気づかれないのもおかしい、辺境の城から12キロならともかく
岐阜から12キロほどのごく近距離で見つからないのもおかしい、
ついでにいうと岐阜から12キロでは長島からはそれなりに距離ある、
各個撃破されかねない、むしろ長島に篭っていたから一揆は強いんであって
そこから離れるのは長所を捨てるだけじゃ

伊勢長島のほうも突発的に攻撃を受けたのは小木江側も一緒
敵対の知らせがつくまで時間がかかったのも織田側も一緒
あなたの意見は一方的に自分の不利だけを挙げているに過ぎない

長島は一応桑名史では一向宗の支配する城だったことになっている
また織田側だとしたら誰か城代の名前ぐらい残っていてもいいだろうし

>>896
義輝の代の謙信との和睦の事実上の破棄や義昭要請の謙信との和睦を蹴りつづけた信玄が
今更将軍家への忠誠なんかないだろ
利用したのはお互い様だな

908 :人間七七四年:2007/11/16(金) 21:19:33 ID:U5Nhg5to
>>906
スマン、文章書くの得意じゃないからキツイ書き方になったようだね。

そういや義輝が信濃の武将たちに信玄討伐を命じていたんだっけか?

909 :人間七七四年:2007/11/17(土) 00:32:36 ID:XOXqsEUs
>>907
そんな事を言われてもね。無理やりとは思わない。
山の中とかに拠点を構えれば大軍とかで駐屯したりその存在を明らかにしなければ
そう簡単にみつかるものでもないだろう。
一揆は篭ってる「ほうが」強いかもしれないがそれしかできないわけじゃない。
平野戦でちゃんと一揆が戦えている例として野田・福島そのほかを挙げさせてもらった。

この段では正直あなたが上の流れを見ていないように感じられる。
ここで話されていたのは「伊勢長島は2ヶ月小木江攻略にかかったから能力低いのでは?」
という主張に対し、私は「本願寺の挙兵と同時に伊勢長島が蜂起したなら2ヶ月になるけど
状況からして同時蜂起とは考えられず知らせがついて蜂起したり城攻めの準備したりとで
実質的な攻城期間は2ヶ月ではないのでは?」という事を言った。だから
>>伊勢長島のほうも突発的に攻撃を受けたのは小木江側も一緒
>>敵対の知らせがつくまで時間がかかったのも織田側も一緒
正直この部分は指摘がずれているといわざるを得ない。
何か急いで見たりしたのかな?
伊勢長島城についてはどうもありがとう。
でも織田方だったとしても伊勢長島が知らせを受けてから蜂起するまでの時間、
さらには軍事行動を起こすまでの時間を考慮すれば2ヶ月というのは考えにくい。

910 :人間七七四年:2007/11/17(土) 01:56:57 ID:e81C2TEB
>>874
飛騨攻めするって言った書状は1572年10月か11月
越後攻めると言った書状も同時期

>>909
岐阜から12キロ地点だとどんな山の中?
そんな近くで見つからない程度の要害だとすると、
それ一揆の大軍受け入れること出来るのか
ついでにその位置じゃ武田と合流するには距離ありすぎる
役に立つのかってことになると思うんだが・・・?

大坂本願寺は本山だけあって兵が優秀なのか火力が優れているのか善戦している
加賀一向一揆も善戦していると思うが
それ以外の一向一揆は野戦となるとほとんど負けていないか?
また伊勢長島は女子供含んだ上での兵力だし、大坂本願寺並に強いとは思いにくいけど
そりゃ数があるだけで十分な戦力だと思うけど・・・

あとたかだか1キロ程度の距離の城攻める準備にどれだけ時間がかかるのかと
大坂から伊勢までなら数日の距離、それがどれだけのロスに繋がると言うのか
更に言うなら挙兵は本願寺側が突然したため織田側の方がより準備不足、
長島のほうがより早く行動できたはずだしってことになるんじゃ?


但し『信長公記』を信じるなら一揆勢は志賀の陣を見てから行動しているので
9月25日〜11月21日の間に攻撃したと言うことになると思うが
また滝川の桑名か矢田も攻めていたと思うが・・・
昔は伊勢とかこの辺に詳しい人いたんだけどなー

911 :人間七七四年:2007/11/17(土) 02:19:46 ID:XOXqsEUs
>>910
別に武田と合流する必要自体は無い。
信玄と伊勢長島が美濃において同時に活動するだけで信長にとっては十分な脅威。
受け入れるだけじゃなくて兵糧などの中継点や集積所という意味でも使えるだろう。
一方的に切り捨てる姿勢もどうかと思うね。
伊勢長島は数がある事は十分な戦力になる。
加賀一向一揆もよく戦えているし本山もよくやってる。長島だって第一次、第2次における
追激戦じゃうまくやってる。特に弱いとして戦力外とするのはいかがなものか。

まず最初に伊勢に知らせが届くまでに数日。そこから主だった頭領を集め蜂起するかどうかを
決める時間もある。その後でさらに各地の信者達に連絡を取りそれらを結集させる。
作戦を決める準備、さらには戦闘行動を続けるためには軍需物資が必要になる。
刀・槍・弓矢・兵糧その他も含めて。戦う以上長期戦くらいは覚悟しなければならないし、それらを
集積せねばなるまいよ。小木江だけ攻略すればそれで終わりじゃないんだから。
小木江城は軍事拠点。もともと城内に物資も集積されているしいざという時の兵員の備えもある。
村から寄り集まって一から戦闘を起こさねばならない一揆勢と軍事拠点の準備が同じとはいえまい。
仮に2ヶ月でもその期間がそれほど悪いものでもないとも言っているが。

912 :人間七七四年:2007/11/17(土) 03:41:01 ID:8PNgOyTK
いくらなんでも二ヶ月は長すぎ。

913 :人間七七四年:2007/11/17(土) 06:52:12 ID:Du8oGdlb
徒歩一時間もかからない距離の付け城をおとすのに二ヶ月というのは相当長いぞ
地図みたらほんとに目と鼻の先だ。

914 :人間七七四年:2007/11/17(土) 08:39:15 ID:d/VoSiRk
>>905
守旧というのは信長との対比で考えてる。例えば信玄は信濃守護に自ら望んでなったが
信長は副将軍任官を拒否している。つまり信玄は将軍の賞罰権という重要な統治機構に
自ら望んで依存していることになる。
寺社勢力については信長は楽市楽座を強化拡大することでその利権を制限しようとしたし、
本願寺との対決姿勢も明確にし仏敵とまでいわれた。信玄は自らが坊主になったり寺社勢力
とも連携しようとしたことから守旧=既存の秩序の中で生きる人=革新者ではないとした。
それから上洛説に反対する流れのなかで三好の話が出てきたからてっきり将軍の権威否定と
思ったんだがそうでないなら上洛説でも問題なかろう。

>>907
>義輝の代の謙信との和睦の事実上の破棄や義昭要請の謙信との和睦を蹴りつづけた信玄が
>今更将軍家への忠誠なんかないだろ
>利用したのはお互い様だな

そういえばそんなこともあったか。権威が絶大というのは取消すが予想以上にその権威は
残っているといいたい。遠江切取り説だと当時の京の状況からして義昭見殺し説になって
しまうからいくらなんでもありえないと思う。包囲網との連携も重要ではなくなるし。

915 :人間七七四年:2007/11/17(土) 11:00:09 ID:7lntqseG
>>914
お前の言い方だと、保守的な奴は全て例外なく将軍家を奉り、
自分の損得は関係無しに将軍家に仇するやからは成敗するようだがおかしくないか?
将軍家に圧倒的な実力(権威ではなく軍事力)があればそうなると思うがあの時代はそうではないだろ。
あの時代は自分が生き残るのが必死で将軍家の面倒まで見切れないというのが事実だろう。
何も信玄が守旧派だったという事を否定しているわけではないよ。
あの時代の守旧派で盲目的に将軍家を恐れ奉り、将軍家による秩序回復のために粉骨砕身頑張る奴なんか
いるのかって話だよ。

それに信玄が幕府から信濃守護職を代々任命されてきた小笠原家を滅ぼすという行為は将軍家による秩序を乱しているという行為にはならないのか?
そして上杉家の存在は無視か?
本心かは図りかねるが武田家よりは将軍家を奉っていた上杉家は将軍主導の包囲網に加わっていないんだがおかしくないか?
上杉家ですら己の利害関係から信長包囲網に加わるどころか将軍の敵である信長と同盟を維持してたんだぞ。

それから信長も尾張守を自称したり朝廷からいろいろ任官されている。
本当かどうか知らんが嫡男に秋田介や家臣に筑前守・日向守を任官させたのは将来の侵攻時の名目のためという。
幕府以上に歴史が長い朝廷の権威に依存していたことになるんじゃないか?

義昭の見殺し云々言ってるけどそんなものどうとでも言い訳できるだろう。
実際比叡山延暦寺の大檀家であるなど守旧であるといえる朝倉家も大事な時期に撤退してるし、
信玄死後に義昭が挙兵しても見殺しにしてるしな(当然義昭救援の余裕がなかったわけだが)

まあ武田家のスタンスとしては義昭を助けるという大義名分を掲げて
まずは東海を支配下にいれて足場を固めるて、上洛するかどうかは上方の情勢次第だろう。
織田家が包囲網を殲滅した場合は無理して上洛なんかしないだろうね。
表向きには無念だが足場を固めるためだとか言い訳をしてさっさと矛先をおさめるだろうよ。

916 :人間七七四年:2007/11/17(土) 11:07:09 ID:gCbDVRmA
信玄の実績読むと義昭見殺しぐらい平気でやりそうだと思うが

917 :915:2007/11/17(土) 11:13:40 ID:7lntqseG
書き忘れたから追加
信長は右近衛大将にこだわる、信忠の任官を望むなどなど朝廷の官職には興味を持っているね。

918 :人間七七四年:2007/11/17(土) 11:59:59 ID:izWRk/ft
>>914
915がほとんど言ってるが、今川氏も駿河守護だし、将軍のヘンキを受けて正式に関東管領、山内上杉を継承した長尾の上野も攻撃してる
これだけの事やっておいて幕府の為に動いてたというのはちと無理があるぞ

幕府権威は依然として存在するだろうし、それを権力者が持ち出して権力と合体すればそれはもう強力なものになる
権威だけでも小領主なら靡いてくるから、利用価値はある
その権威を利用して自分の利益を追求したのが、書状で上洛といって徳川を攻めた一連の流れじゃないか
徳川を攻めたのは幕府からの上洛要請以前からだし
これは織田で言えば初上洛のときに将軍を擁したし、それ以降は朝廷権威を用いて、北条は鎌倉公方をつかって佐竹の紛争に介入して立場を強めようとしてる
翻ってその自分の利益に対抗するなら圧力をかけていく側面もこれら三者にみられる
武田は914のいう信濃守護、そして駿河守護、上野守護の領地を攻め、織田は言うまでもなかろう、北条も晴氏が言うこと聞かなければ娘婿になるんだったか、義氏に家督を譲らせたりしてる

「守旧派」という枠で1か0かで判断するのはあまりにも短絡的で説明が付かないことが多すぎやしないか?


919 :人間七七四年:2007/11/17(土) 12:58:16 ID:d/VoSiRk
>>915
結局、信玄が隣国を侵略してもその地を治めるためには将軍家の権威に頼らざるを得なかったと言うことでしょ。
でなければ信濃守護なんて求めないだろうから。それぞれの国が利害を重視するのはわかるが、将軍家の権威を
否定したり、将軍家がないものとしてその後を想定するような発想は信玄にはなく、さらにこの場合義昭と信玄
との利害は一致しているのだから尚更上洛することに問題はないと思う。それから義景が義昭救援の余裕がなか
ったということについては、信長が手一杯の状況下であることをふまえて信玄にはその余裕があるという判断。

>>917
それは任官しておかないと公家との交際上都合がわるいからかと。
しかし実権をにぎってからは右大臣、右近衛大将については辞職している。
本来なら左大臣に昇進してもおかしくないのだが。
役立つものはその都度利用はするけれど不都合な秩序は将軍を追放してでも
排除するという発想かと。

920 :人間七七四年:2007/11/17(土) 13:06:20 ID:d/VoSiRk
謙信についてはよくわからないけど権威より同盟関係の義を重んじたんでしょうか?

921 :人間七七四年:2007/11/17(土) 14:14:16 ID:XOXqsEUs
確かに戦国大名といえども他国を侵略するにはその正当性を幕府に求めた事例は
多い。信玄は天文19年の時点で信濃守護を僭称してたりする。正式な補任は
1558年だけど。他にも上杉(長尾)や伊勢も幕府権力を使った形で他国への侵略を
正当化してる。信長も義昭を奉じて畿内制圧に乗り出してる。
信長自身も管領や副将軍を拒否するなど気分としては幕府権力に入らないというのは
あったかもしれないがそれを否定する論理はまだ構築してなかった。1570年に義昭の
権力を制限しようとするけどこれでもまだ幕府の否定はしてない。
義昭挙兵のときも最初は和議を申し込んでる。
信長は信玄死後に「幕府輔弼」に代わる新たな天下統一の論理として「天下静謐の護持」を
構築し、それによって義昭を追放し天下統一に向かっていったとされる。
つまり信玄存命の時はまだまだ幕府権力や権威というものが大手を振って歩いていた時代では
あったんだね。

922 :人間七七四年:2007/11/17(土) 15:04:10 ID:XuXhFfWu
携帯厨は改行を覚えて人に読みやすいように書けるようにしてからレスしような

923 :人間七七四年:2007/11/17(土) 17:05:57 ID:izWRk/ft
>>919
すべてではないがほとんどの大名が旧体制の権威による自分の支配の正統性を確保してる
大内義隆も、三好も、織田、今川、武田、上杉、北条、伊達はどうなんだろうな、あと大名といえるか微妙だが有馬、由良、
下克上が当たり前で、いつその地位を脅かされるか分からないから、いまだ健在な旧権威を利用して統治を楽にしようとしたってこと
格別武田がってわけじゃない、例を挙げたが、織田も北条も、上杉もそうらしいが
しかるに、お前は武田だけは特別に将軍を保護していこうとする考えすらあったとする
その根拠は何?
武田が将軍を奉っていこうという考えにあったとした時に、それでも信濃、上野、駿河の各守護を打ち破った、将軍権力に挑戦したことについてはどう説明する?
織田も初期見ればしっかりと将軍権威を利用して統治を行っていこうとしてるだろ?
義昭がそれに反発覚えたからうまくいかなかったが、北条の例見ても分かるように掌中に取り込めば存続させて統治に利用したほうが楽だからな

それから信長はすでに隠居の身で、嫡男の信忠に官位を与えてやってくれといってる
これも公家の世界ではよくあることらしいが、詳しくは知らん

924 :人間七七四年:2007/11/17(土) 20:20:59 ID:Mpxt9UvW
>>909
>>911
はいはーい、岐阜から12km圏内にある羽島市出身の私がきましたよ
まず大事なのは岐阜ってかなり曖昧な規定なんですが
岐阜城下町からと考えていいんですよね?
はっきりいいましょう、3〜4里圏内に長島勢が籠もれる山はありません
池田町まで行けば山がありますがそこだと長島からとてつもなく遠いですよ
大垣も通らなくてはいけないので不可能でしょう
あとは本当にだだっ広い平野か川しかないですよ。小高い丘すらないですからね
だから平野しかないので一揆勢の根拠地となる場所は川沿いしかありえないことになります
それにこの辺りは織田方の根拠地の一つである津島や清洲の目と鼻の先です
果たして一揆勢が織田方の目を盗んで準備ができるでしょうか?甚だ疑問ですね。




925 :人間七七四年:2007/11/17(土) 20:29:18 ID:Mpxt9UvW
酒飲んでるから変な文になっちゃった(´・ω・`)
つまり釣りにしても岐阜から3里に一揆勢の砦や城なんてものは
存在できないですよってことでお願いします

926 :人間七七四年:2007/11/17(土) 21:38:03 ID:8PNgOyTK
http://view.adam.ne.jp/setoy/pic/kinki/gifujo.html
岐阜城天守閣360度パノラマ

山はあるこたあるが、方角からいって北東方面。長島(南西)とは真逆。ちなみに
スタートの画面にある近くの川は岐阜城北を流れる長良川。
地図みればわかるが、岐阜城から12〜15キロメートル圏内というと、南ではまず木曽川を
越えて尾張に入る。南西部でも羽鳥市や大垣市までいってしまうな。

進軍して陣取ったというのならともかく、このあたりに砦を築くってそれなんて
墨俣一夜城?

927 :人間七七四年:2007/11/17(土) 23:01:58 ID:GvNRTyq4
51スレまとめ

>1-11 >31-33 >36テンプレ>567(避難所)

>14-83姉川の戦いについて 
 >14講談通説の姉川の戦い
 >32上杉家文書による三方ヶ原
>59-105姉川の戦いの各種逸話の成立過程
>72-79信越国境の状態
 >72-73 1573年4月20日上杉家文書
>106-133 1572年時の兵力
>112-131謙信と和睦したなら
>120-214 >245-280姉川の戦い 史料以外は特に読む価値は?
 >164東照軍鑑?
 >197御前神社文書棟別銭の記録
 >210織田信長書状案
 >211『当代記』
 >212『三河物語』

>225-234数ヶ月行動が早ければ
 >225武田朝倉の行動に関する資料 戦国遺文 武田氏編

>241-244信玄が長生きしたら >241>297>331-339一向宗と上杉の関係
>282-288三方が原の合戦の後の織田武田外交
 >288信長信玄お互いを非難する書状
>289-348上洛時美濃侵攻の可能性 1573年美濃侵攻した時に徳川の取る行動
 >361野田城攻めソース
>340-347謙信が武田と和睦して北陸制圧を優先したら
 >342 1575年武田上杉外交『戦国遺文 武田氏編』(謙信公御書集、『上越市史 別編1』1272号

>364-470 60年代70年の美濃侵攻の可能性 60年代後半の各大名の状況 駿河攻めが無かった場合の徳川今川の状況 
 >401-409越後の状況
 >417-441 1568年越後攻めについて
 >384-416今川と敵対せず三河を攻める
 >442-470桶狭間で今川が勝利したら
 >455-467浅井の年代別石高

>484-499どの条件なら上洛できるか
>500 >510-533甲斐100万石について 太閤寛永検地の実情
>536-546武田織田の一族譜代の臣の比較
>556-561武田織田の各戦争の兵力
>562-587歴史群像シリーズ各書籍
>593-612テンプレについて 畿内諸勢力の動向
>613-640 三方ヶ原で家康が死ぬIF
 >643-646三方ヶ原の各勢力豪族への影響

>647-655天正の上杉の武田北条への行動 毛利、武田、上杉、北条の新織田包囲網が形成されたら
>656-685三方ヶ原後の状況 尾張を攻めたら浜松を攻めたら
 >677まとめ
 >684-716謙信について
>723-748二俣城について
>733-751伊勢長島・尾張小木江城
>772-814 907-926伊勢長島一向宗

>763-818上洛時の各勢力の状況
>819-848西上戦の目的
>831-833武田の上野領について
>839-846朝倉撤退について
>850-923武田の外交における交渉術二枚舌について・権威と大義名分正統性
 >852-893徳川領への侵攻について・浜松城

928 :人間七七四年:2007/11/17(土) 23:03:01 ID:GvNRTyq4
史料の引用多かったな

929 :人間七七四年:2007/11/18(日) 05:38:03 ID:GAl920xs
後半はけっこういい流れだったな。

930 :人間七七四年:2007/11/18(日) 08:19:32 ID:W9TRSG8t
次スレもこうでありたいね。
引用多いと、勉強になって良い。

931 :人間七七四年:2007/11/18(日) 14:00:52 ID:C2m9hLtG
>>919
義昭と信玄の利害一致?
別に信玄は将軍家の秩序による社会なんたらなんて望んでないでしょ。
信玄が望んでいたのは生き残るための自勢力の拡大だと思うんだけどね。
それに上洛するには問題が山積みでしょ。
背後の上杉との争いは完全には決着がついていないのに長期間本国を留守にするのは無理。
上洛ってただ単に軍を闇雲に進軍させて京に入京してまた帰ってくるって事か?違うでしょ。
武田家の国力では長期間京都に滞在するのは不可能なんだから、
まず最低でも東海道を完全に支配して長期間本国を離れても大丈夫な体制にする必要があると思うんだけど、
元亀三年の西進時にそのような体制だっったとでも言いたいの?
あの時点で強引に上洛したら大内義興の二の舞になると思うね。

それから信長は全ての官職を持する際に右大将だけは辞めたくなかった筈だよ。
公家たちの抗議で右大将に留まる事を断念したらしいけどね。
>>923も言ってるけど公家の世界の慣例で公卿クラスが官職を辞する際に嫡男に新たに任官するらしい。
信長も信忠の昇進を望んで辞官した可能性もあるし、三職推任問題もある様に信長とて完全には朝廷の権威から脱却するのは
困難だと思うのだが。(確か官職を辞しても前任者としての権利は残る筈)

>>923
信長は初期の尾張一国時代にも斯波氏の嫡男の義銀を国主に祭り上げてるね。
将軍家も最初から排除しようとしていたのではなく三好の様に傀儡にするつもりだったが、
義昭の度重なる反発にあったから止むを得ず追放したんだろうね。

932 :人間七七四年:2007/11/18(日) 14:14:32 ID:xy8BDasI
>>931
>それから信長は全ての官職を持する際に右大将だけは辞めたくなかった筈だよ。
公家たちの抗議で右大将に留まる事を断念したらしいけどね
初耳だ。史料教えてください。

933 :人間七七四年:2007/11/18(日) 14:42:01 ID:C2m9hLtG
>>932
言継卿記

934 :人間七七四年:2007/11/18(日) 16:10:44 ID:oYx07l+U
>>923
武田だけじゃなくて他のほとんど全ての大名も同じでしょう。義昭に協力するかどうかは国力や利害関係にも
よるだろうけれど、後には謙信も信長と敵対関係になるし毛利も本願寺支援してるしなんだかんだ言って義昭
に協力してるのでは。

>武田が将軍を奉っていこうという考えにあったとした時に、それでも信濃、上野、駿河の各守護を打ち破った、
>将軍権力に挑戦したことについてはどう説明する?

挑戦する気は毛頭なく自国の利益を追求したに過ぎないなのでは。ただし打ち破っただけでは正当性を持つ事は
できないから結局将軍家の権威にすがるしかない存在。信濃守護だけでなく各国守護についても望んでいたはず。
上洛して新たな官職でも欲しかったのではないかな。共通の敵を叩くチャンスでもあるし。
信長は義昭を追放までしたし、さらに追放した後後任の将軍を立ててもいない。そんなことをしたらまた将軍家の
権威が復活してしまうから。当時の寺社勢力は中世利権の最たるものなのだから信玄のような坊主になる人物は
既存の価値観に依然こだわりがあり将軍家への挑戦というような発想はないとみる。

>>931
利害の一致というのは信長を叩くことね。それから信玄では京に駐留することは無理だしそのつもりもないかと。
できるところまで叩いたら甲斐に戻るしかないだろうね。
三職推任については推任から本能時までは少なくとも受けていないからなんともいえないかと。

935 :人間七七四年:2007/11/18(日) 17:01:55 ID:ZEwF5/fD
>>934
その義昭に協力した最大の要因が利害関係と言ってるんだ
武田が信濃上野駿河の守護職を攻撃して領土を獲得した→武田が支配した=>幕府秩序の為該当する官職を望んでいた
織田が将軍と対立してこれを追った→その後、織田は将軍を立てずに支配を強めた=>幕府を滅ぼす意図があった
同じ事してなんで武田は幕府の御為、織田は幕府を滅ぼす意図が最初からあったになってるわけ?
織田が将軍を追ったのも、自分の利害のためなら、武田が死なの守護、するが守護を追ったのも自分の利害の為
そしてその後の対策みると、織田は新たな将軍は立てなかった(候補者いたのか?)、武田は新たな守護職を戴かなかった
どう違うんだ?
あと武田が各国守護を望んでいたはずとか、ほしかったのではないかなとかあんたの希望的憶測は聞いてない
いや、仮にこれらに根拠があったとしても、それは織田が上洛時に将軍を擁したのと何が違うんだ?
これからの行動、統治をスムーズに進める以上の何がそこに見られるんだ?
宗教対策にしてもそうだが、なにも織田が仏教徒根絶やしにしようとしたわけじゃないぞ?
徳川も独立後に一向一揆で苛烈な宗教弾圧をおこなったが、天下とったあと宗教勢力を根絶しようとしたことなんかないだろ?
そのときそのときで利害が対立して、それが大きく自家に損害を、悪影響を及ぼすならこれと戦うだけの話
これも武田が信濃、するが、はたまた上野を攻めたのと何が違うんだ?
最後に念を押しとくけど、あんたの希望的憶測は聞いてない、推測を聞いてるんだ
武田だけは夢見る王子様みたいなファンタジックに将軍のために動いてたというあんたの考えは、何に根ざすものなのか、教えてくれ
そして同じことをしているにもかかわらず、織田は幕府に仇名す悪の化身のように見てるのは何に根ざすものなのか、教えてくれ
そして中途半端なところで改行してる理由も教えてくれ

936 :人間七七四年:2007/11/18(日) 17:16:50 ID:C2m9hLtG
>>934
>挑戦する気は毛頭なく自国の利益を追求したに過ぎないなのでは
自分の利益のために将軍家に対して反抗するとまではいかなくても将軍家が形成した秩序を無視したということだよな?
将軍家を頂点とした秩序を無視した過去がある信玄がなぜ義昭の上洛要請を利用するという事がありえないのだ?
謙信との和議等の要請も無視したこともあるけどこれ等も将軍家への挑戦とまではいかない。
なのになぜ義昭の上洛要請を利用することだけを将軍家の挑戦とするんだ?
君の将軍家に対する挑戦という判断基準はいまいち曖昧だよ。

>それから信玄では京に駐留することは無理だしそのつもりもないかと。できるところまで叩いたら甲斐に戻るしかないだろうね。
京に駐留しないで信長を叩いて甲斐に引き返すだけだと信玄にとってあまり利益にはならないんじゃ・・・


937 :人間七七四年:2007/11/18(日) 17:23:09 ID:C2m9hLtG
>>935
>そして中途半端なところで改行してる理由も教えてくれ
議論と関係ないところを突っ込むのは止めにしようぜ。
そんな事言ったらお前の文章だって読みにくいところあるし、勿論俺の文章だって読み難い所だらけだ。
せっかく一応議論になってるのに文章の突っ込みなんてしていたら、
別のスレであったみたいに日本語の文法のサイトのurlを貼り付けたりして不毛な言い争いになるだけなんだからね。

938 :人間七七四年:2007/11/18(日) 17:23:59 ID:xy8BDasI
>>934
上杉も毛利も、利益の一致があったからこそ義昭の書状を無視して信長と同盟を結んだ。
そして利害が対立するようになったので、信長と対立し、その大義名分のために義昭を
担いだ。

元亀年間に信長と戦ったれ連中も同様。信長と利害の対立があったからこそ戦ったので
あって、信長と敵対する理由も特になかったけど義昭の要請でなんて奇特な大名豪族は
一人もいない。

939 :人間七七四年:2007/11/18(日) 20:08:25 ID:ZEwF5/fD
>>937
よみにくかった?
われながら同じことの繰り返しは多いなあ…

940 :人間七七四年:2007/11/18(日) 20:23:15 ID:oYx07l+U
>>935
>同じ事してなんで武田は幕府の御為、織田は幕府を滅ぼす意図が最初からあったになってるわけ?

当初からその意図がなければ上洛後即座に関係が良好であったにも関わらず殿中御掟を強制したことや
副将軍任官を拒否したことの説明がしづらい。
信玄については川中島のようなど田舎に何年もこだわっていたり甲府から本拠を移さなかったことからも
天下を目指すような発想がそもそもないまたは低いと判断している。天下を目指さない信玄にできること
は領土拡大とその地の正当性確保くらいしかない。そして正当性確保のためには幕府は存続しなければならない。
信長は義元亡き後の今川領には目もくれず美濃→近江と上洛への最短ともいえるルートを侵攻し当初から
天下を目指していた可能性が高いとみる。

>宗教対策にしてもそうだが、なにも織田が仏教徒根絶やしにしようとしたわけじゃないぞ?

根絶やしにしようとしたとは一切書いてない。しかし信長が寺社勢力の利権を大きく奪ったのは事実。
それは楽市楽座の強化拡大が根拠。大僧正に満足してる信玄とは違う。

>武田だけは夢見る王子様みたいなファンタジックに将軍のために動いてたというあんたの考えは、何に根ざすものなのか、教えてくれ
>そして同じことをしているにもかかわらず、織田は幕府に仇名す悪の化身のように見てるのは何に根ざすものなのか、教えてくれ
>そして中途半端なところで改行してる理由も教えてくれ

これはこっちが聞きたい。どうして上洛を目指すとファンタジックな王子様になって、将軍を倒すと悪の化身になってしまうのか?
幕府やら将軍ってそんなにすばらしいものか?倒したっていいだろ。

941 :人間七七四年:2007/11/18(日) 21:16:25 ID:Z671d9G2
>>940
正当性確保とはどのような物の事を指しているのか分からないけど、
自身の正当性なんて幕府の有無に関係なく探し出せるだろ。
正当性確保とやらのために幕府存続を支援する奴なんてそうそういないと思うんだが。
上洛要請とは関係無しに盟約を一方的に破棄して侵攻する為の正当性とやらも無く徳川領に侵攻したりしている信玄が
正当性確保とやらのために幕府存続のために動くとは到底思えない。

将軍権力の抑制は三好等の時の権力者と同様に将軍家を傀儡とするのが目的であって
幕府滅亡の為とまで考えるのは飛躍しすぎじゃないかと思う。

942 :人間七七四年:2007/11/18(日) 21:20:28 ID:Z671d9G2
あれ?IDが変わってる・・・
モデムの再起動とか何もしていないのにIDが勝手に変更されることってあるんだな
どうでもいいことだけど一応報告しておく。俺はID:C2m9hLtGです。

943 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:14:34 ID:YdWvN77P
ここでとりあえず述べておくと
武田氏というのは元来京都への志向性及び幕府への関心の高い大名であるとはいえる。
それが利害と結びついたものであっても。
信虎は左京太夫の位をもらい嫡男(信玄)の名前に将軍家に運動し、
将軍義晴からわざわざ一文字もらって晴信にしてる。
信玄も信虎追放後に大膳太夫をもらってる。これは左京太夫より低い官職ではあるけども
室町幕府を支えた有力大名であった若狭武田氏の官位でありそれをなぞったとされる。
さらに信玄は運動を続けて1558年には嫡男義信の三管領に準じる身分とするとの御内書を
受け取る事に成功してる。
他にも武田家は源氏しての強い意識を持ち、新羅三郎伝来の御旗と楯無の鎧を家における神聖なる
宝物とし崇敬の対象としている。
家臣達が信玄に対する忠誠を誓った証文の中でこの御旗と楯無鎧は神々とならんで誓いをする対象に
なっている。信玄が大切にした天台宗も新羅三郎と縁が深いもの。
これらの事から信玄、というか武田家は幕府体制に対する意識は強い家で
あったと言われている。もちろんそれが利害と整合していた事も事実だけど。

944 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:19:58 ID:4ImuIkAm
それ言ったら織田氏は織田氏で朝廷に献金したり
武田が断った将軍家の上洛要請に従ったりと
織田家は守旧的とか言えるな

945 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:32:06 ID:YdWvN77P
>>944
織田氏も途中まではそう革新的ともいえまい。斯波氏担いだり将軍家担いだり。
ただ武田の場合わざわざ先祖の宝物を神聖化したり、
わざわざ低い官位もらってまで幕府に近い位置に立とうとしたり、
意識としては幕府体制に親しむものが大きかったのではないのかね。
古い名門だからといえばそれまでかもしれないが。

946 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:34:17 ID:Z671d9G2
>>943
それらの行動は自身の権威を高める行動であって=佐幕的な行動ではないと思う。
朝廷から官職を貰ったり、将軍家から一字を貰ったりするのは別段珍しい行動でもないしね。
自身の権威を高めるために利用してきた幕府体制が崩壊しようとしていても、
権威を高めるのに必要だからと言って崩壊を食い止めようとするかな?
崩壊したらしたで新しい権威を高めるための方法を考えるだろうしね。
武田家は室町幕府以前の鎌倉時代からの甲斐の名門であるという事で自身の権威を高めてるのであって、
室町幕府では特別高い地位や権勢を誇っていたわけではないから、
室町幕府が崩壊してもあまり関係のないことだと思う。

947 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:39:52 ID:ZEwF5/fD
>>940
読みにくいって指摘受けたからくどい文章になるかも知れんぞ

織田信長もまた幕府権威を必要とした
そこで上洛するときに将軍を擁立して京に入った
しかし、この幕府権威に勝手に振舞われると、織田信長の領国統治に支障をきたす
北条氏が関東公方・足利氏を完全に押さえ切れないうちに、上杉謙信・長尾景虎の侵攻を受けた
このときに関東公方からも離反されて、北条氏がその領土を一挙に失陥したように
こういった事を事前に抑えるために、織田信長は手枷足かせを将軍に嵌めたということ
むしろ織田信長が最初から幕府を滅ぼすつもりなら、足利義昭に好き勝手に振舞わせといて、あとから理由つけて幕府を滅ぼしたほうが合意は得られやすい
織田信長がそうしなかったのは、幕府権威を残して、利用するつもりだったからこその指示であったと
副将軍拒否は幕臣になるのを嫌ったからじゃないか?
もっと幕府権力が強大だったころにもそういうやつがいたはず

次に武田信玄に天下を目指していないという話だが、天下を目指すことと幕府秩序を維持することは別
あくまで天下をとる時に幕府権威を掌中に収めて行使できるかどうかの問題
掌中に収め切れなければ圧力をかける、収め切れれば存続させる、それだけの話
テンカフブを掲げた織田信長は幕府権威を否定して上洛したか?

本拠を移すどうこうはもってのほか、関係ない
むしろその関係性を教えてほしい
正統性の保障については、大内義隆が朝廷から官位を貰うことで実践してるので、正統性の確保のためには幕府が絶対必要ということも言えない

織田信長の桶狭間後の行動だが、織田氏は松平とちょくちょく紛争起こしてる
二正面に敵を構えるより一方向に進んだほうが戦力を集中できると判断して、織田信長は松平と交渉した
これも利害関係の問題
松平は桶狭間で勝って勢いにのる織田よりも、その織田と戦う松平に援軍もよこせないほど弱体化した今川を攻めるほうが楽とみて織田と結んだと
織田信長が天下を意識したのは、テンカフブと言い出したころ、確か美濃併合以降だと思うが

宗教政策に関しては、織田信長が寺社勢力の利権を大きく奪ったというのは間違いで、本願寺、一向宗、敵対する勢力に対してその利権を奪ったという話
織田信長の楽市楽座はむしろ市場の統合を目指していたのであって、本拠地近くでしか行ってなかったと思うが
今川も北条も、六角もやってたけど、平時には米を売って資金とするために、戦時には米を調達するためにでっかい市場が必要だったと
織田信長はあくまで敵対する宗教勢力に対して弾圧を加えただけで、なにも坊主が憎くてやったわけじゃないぞ?
平手政秀のために寺も建立してたはずだし

教えてくれ3連発に関しては突っ込んでほしいところはそこじゃないんだがなあ…
武田は幕府の為に、織田は幕府を滅ぼすために
同じ事をしてこうも評価をわけてる、そのあんたの考えは何に拠るのかを教えてほしいんだ
武田が幕府権力を否定したら「いや、そんなつもりはない」
織田が幕府権力を否定したら「最初からそのつもりだった」
武田、織田の評価を分けるその理由について教えてくれ、そしてそう考えるようになったのは何が原因なのかと

>>942
やっぱり読みにくい?

948 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:43:38 ID:YdWvN77P
>>946
利害と結びついたものである事はさすがに否定しない。
ただそれがあれば便利である事や出来る事なら存続してもらったほうが好都合で
ある事も否定は出来まい。
まあこの京都への志向性自体は信虎の代から始まるわけだが。
躑躅ヶ咲館に花の御所をなぞらえた改築したり、将軍家の好んだ威信財と同じものが館から多く
出土してるところからも価値観としては幕府体制に近いものや憧れがあったのではと思う。
まあそれで心中までするかは別として粗略にする気持ちはなかったのでは。

949 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:49:32 ID:Z671d9G2
>>947
俺が君の文章で読みにくいというか違和感を感じたのは
>>935であった=>という部分かな。
最初どんな意味なのか頭が混乱したw
文章全体としては>>947よりも以前の文体の方が断然読みやすいから以前のに戻してくれw
まあ文章の構成の話はこれで終わりにしようぜ。
大切なのは文章の読みやすさよりも真面目に議論をする意思だからねえ。

950 :人間七七四年:2007/11/18(日) 22:57:31 ID:Z671d9G2
>>948
武田家は鎌倉以来の名門だし、形だけになった幕府体制であってもより高い地位を得たい、
より高い権威への憧れはあっただろうと俺も思うよ。


951 :人間七七四年:2007/11/18(日) 23:03:46 ID:4ImuIkAm
信長だって二条城造ったりと、利害が衝突するまでは粗略にする気持ちはなかったろ

952 :人間七七四年:2007/11/18(日) 23:06:43 ID:4ImuIkAm
というか斉藤と和睦してまで義秋助けて上洛しようとしたりしてるから
自分の利益よりもある程度優先してるんじゃ
この時武田は、せめて上杉と和睦してくれと言われたが断っているな
そのせいで上杉は上洛できずと、完全に自分の利益優先

953 :人間七七四年:2007/11/18(日) 23:14:33 ID:Z671d9G2
>>952
斉藤と和睦し義昭を助力して上洛というのが本当の話でも
それが何らかの利益に繋がると打算したと思う。
さすがに利益よりも優先しての行動ではないと思うな。

954 :人間七七四年:2007/11/18(日) 23:31:49 ID:xy8BDasI
>>947
信長の場合、上洛に足利の名前を使ったが、実はさらに朝廷の権威を動かしている。
なにせ上洛するまえから朝廷と交渉。義昭を奉じて上洛したときにも幕府とは別の
独自の交渉ルートを開拓して朝廷および天皇と直接結びついている。

信長がどの程度のビジョンを持っていたのかは不明だが、かなり初期から幕府を形骸化
させていこうとする思惑を持ち合わせていたことは確か。

955 :人間七七四年:2007/11/18(日) 23:53:58 ID:4ImuIkAm
謙信が上洛した時も幕府とは別に朝廷の権威を動かしていたはずだが?

956 :人間七七四年:2007/11/19(月) 00:15:54 ID:LbgtclIF
>>955
ただ謙信は将軍のパトロンじゃないし、中央で牽制を振るおうとしたわけじゃないから例としては適当じゃないのでは?

957 :人間七七四年:2007/11/19(月) 00:37:55 ID:A/gsrVPN
51スレまとめ

>1-11 >31-33 >36テンプレ>567(避難所)

>14-83姉川の戦いについて 
 >14講談通説の姉川の戦い
 >32上杉家文書による三方ヶ原
>59-105姉川の戦いの各種逸話の成立過程
>72-79信越国境の状態
 >72-73 1573年4月20日上杉家文書
>106-133 1572年時の兵力
>112-131謙信と和睦したなら
>120-214 >245-280姉川の戦い 史料以外は特に読む価値は?
 >164東照軍鑑?
 >197御前神社文書棟別銭の記録
 >210織田信長書状案
 >211『当代記』
 >212『三河物語』

>225-234数ヶ月行動が早ければ
 >225武田朝倉の行動に関する資料 戦国遺文 武田氏編

>241-244信玄が長生きしたら >241>297>331-339一向宗と上杉の関係
>282-288三方が原の合戦の後の織田武田外交
 >288信長信玄お互いを非難する書状
>289-348上洛時美濃侵攻の可能性 1573年美濃侵攻した時に徳川の取る行動
 >361野田城攻めソース
>340-347謙信が武田と和睦して北陸制圧を優先したら
 >342 1575年武田上杉外交『戦国遺文 武田氏編』(謙信公御書集、『上越市史 別編1』1272号

>364-470 60年代70年の美濃侵攻の可能性・各大名の状況 駿河攻めが無い場合の徳川今川の状況
 >401-409越後の状況
 >417-441 1568年越後攻めについて
 >384-416今川と敵対せず三河を攻める
 >442-470桶狭間で今川が勝利したら
 >455-467浅井の年代別石高

>484-499どの条件なら上洛できるか
>500 >510-533甲斐100万石について 太閤寛永検地の実情
>536-546武田織田の一族譜代の臣の比較
>556-561武田織田の各戦争の兵力
>562-587歴史群像シリーズ各書籍
>593-612テンプレについて 畿内諸勢力の動向
>613-640 三方ヶ原で家康が死ぬIF
 >643-646三方ヶ原の各勢力豪族への影響

>647-655天正の上杉の武田北条への行動 毛利、武田、上杉、北条の新織田包囲網が形成されたら
>656-685三方ヶ原後の状況 尾張を攻めたら浜松を攻めたら
 >677まとめ
 >684-716謙信について
>723-748二俣城について
>733-751伊勢長島・尾張小木江城
>772-814 >907-926伊勢長島一向宗

>763-818上洛時の各勢力の状況
>819-848西上戦の目的
>831-833武田の上野領について
>839-846朝倉撤退について
>850-956武田の外交における交渉術二枚舌について・権威と大義名分正統性
 >852-893徳川領への侵攻について・浜松城 >931-933信長の右大将辞任に関するソース言継卿記

958 :人間七七四年:2007/11/19(月) 00:39:20 ID:V6VeJuRJ
>>949
そりゃ一安心

>>954
尾張、美濃、あとほかにも天皇に定期的に献上してる国はいくつかある
その延長じゃねえの?
幕臣という形をとらないならば、補任は将軍を通じてじゃなくて、自前でやら無ければならないから独自ルートも必要じゃね
それに幕府の形骸化と、幕府の存在をなくすのは意味が違う
幕府の権力機構を完全に自分の意思で行えるようにした場合は幕府の形骸化だが、滅ぼしたわけではない
これは幕府権威だけをとりだして自身が吸収という形で、北条と鎌倉公方にあたる
そして幕府を滅ぼすのは幕府権威そのものを否定して、真っ向から対立してこれを滅ぼすということ
将軍を擁立したあたりからすでに滅ぼすことを考えていたなら、わざわざ担ぎ上げる意味が無い
のちのち自分で滅ぼすというのに、わざわざ権威だけに成り下がった将軍という存在を、自分の権力で再び権威を強化して何か得ることがあるのか?
この見方に立った上で言うなら、形骸化というのは相当早期に考えてただろうとは思う
どの大名も似たようなことは考えているとは思うから、これも特別織田信長がというわけではないが
ただ940は明確に滅ぼすという言葉用いてるから、俺の言う形骸化ではなく、滅ぼすという扱いで話してるわけで

959 :人間七七四年:2007/11/19(月) 01:03:39 ID:6yyd3/2i
かつては同格だった国人を傘下に収め家臣化していく過程で
朝廷や幕府の権威を利用した面もあるだろうし
一つの点だけ取り上げて保守的とかいうのはどうかなあ

960 :人間七七四年:2007/11/19(月) 05:50:32 ID:m3P9I47f
楽市楽座をもって
守旧派だのなんだのいうのはどうかと思うな

織田家の場合、元々の権力基盤自体が津島の商売からだし
武田の場合は、楽座より前にまず町の確保の方が先。
ただでさえ、港があるわけでもなく、交通の要衝があるわけでもなく
寺社と切り離した町を作るのは難しい地理条件なんだし
寺社を前提とする門前町がなければ、まず町自体を維持できない。
確保するには、最初はある程度の権利を保証して
アガリを得る所から始めないと。

961 :人間七七四年:2007/11/19(月) 05:52:44 ID:m3P9I47f
それに織田の場合
元々守護にたいして下克上起こしたところから始まってるんで
もう1つの権威勢力である朝廷への献金はハンパじゃないし
将軍の擁立までしてるし

962 :人間七七四年:2007/11/19(月) 13:13:57 ID:WRzhuEbl
先代信秀の時代から幕府に多額の献金をしていたこともあるしな
どこの有力大名でもやっていたようなものだが

963 :人間七七四年:2007/11/19(月) 14:30:20 ID:I8bAIjV3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E5%88%87%E6%AD%A3%E5%AD%A3

964 :人間七七四年:2007/11/19(月) 16:51:56 ID:KWFKRkWn
>>960
人材の面でも保守的ではあるよ
重役クラスは血縁と信虎の代からの武将で占められてる
外様は先方衆止まり

965 :人間七七四年:2007/11/19(月) 18:36:08 ID:sBPrY2CP
>>964
もともと侍大将ですらなかった教来石氏の出で信玄に引き立てられて名門馬場氏を
継承し譜代家老筆頭にまでいった馬場美濃や
信虎の代に甲斐を追放された工藤氏の出で信玄に引き立てられて名門内藤氏を継承し
西上野を統括するまでになった内藤昌秀は?
農民の子から引き立てられて川中島一帯を統括する重臣になった香坂は?


966 :人間七七四年:2007/11/19(月) 21:19:04 ID:T3Xyw9Xq
>>965
真田氏も先方衆ながら、真田昌幸の扱いはそれ以上のものだし、
一概にいえることじゃ無いんだよな。
信玄も徐々にではあるが領主権力を確立しようとつとめているし

967 :人間七七四年:2007/11/19(月) 21:49:11 ID:eLOrUR3v
>>965
その程度だから保守的って思われやすいんじゃないの?
最も信虎や信長に比べれば保守的であっても、
他の大名と比べたらそうそう保守的ってほどじゃないと思うがな

968 :人間七七四年:2007/11/19(月) 22:31:07 ID:sBPrY2CP
>>967
?なんで?信虎が登用した連中は多田、横田、小幡山城、原美濃。
しかもこいつらを信虎は足軽大将以上にしてないよ?
信長だって拾い挙げたのは滝川、明智、羽柴、荒木くらいだろ?
保守的とかどうとか線引きできるほどの差かね?

969 :人間七七四年:2007/11/19(月) 22:37:34 ID:eLOrUR3v
>>968
>多田、横田、小幡山城、原美濃
こいつらは完全に甲斐に地盤が無いじゃん
また足軽大将も信虎時代は武田宗家直属の軍事力を担う
最重要の要職じゃん

信長は他にも美濃系の武将が多々いる
あと荒木は信長に従属した時点で摂津の最大の武士勢力だから拾い上げるって程でもないと思うが

970 :人間七七四年:2007/11/19(月) 22:49:07 ID:sBPrY2CP
>>969
要職とは思うけど最重要とは…。
なんだかんだいって板垣やら甘利とか両角とか飯富とかいった重臣層の方が
重要でしょ。信虎追放の時や信玄初期の治世にはこいつらの力が大きいし。

美濃系で重臣といえるくらいまで引き立てられた連中っている?
信玄だって外様なら真田や西上野の小幡とか重要してるし亡命してきた大熊を
足軽大将としては家中第2位になるくらいの兵力与えたりしてるんだけど。


971 :人間七七四年:2007/11/19(月) 22:53:22 ID:eLOrUR3v
>>970
飯富とかは信虎時代は敵対している
それらの一族重臣層に対抗するための足軽大将でもあるんだし

972 :人間七七四年:2007/11/19(月) 23:13:52 ID:sBPrY2CP
>>971
そんでその足軽大将達は信虎追放のときに目立った動きを見せてないように
思えるんだけど。
さらにいうと信虎には側近として政権運営をサポートする奏者衆がいたし
むしろこいつらの方が重要な立場といえたのでは。

973 :人間七七四年:2007/11/19(月) 23:17:07 ID:0KiDDXXX
>>947
>織田信長もまた幕府権威を必要とした

権威を利用したか否かではなく自分が実権を握った後幕府を維持しようとするかどうかの問題。
当時の義昭と信長とはかなり良好な関係であって信長に反発するような兆候すらない。
そもそも信長と義昭とが必ず対立するとも限らず細川政元のようになったかも知れない。
にも関わらず当時の信長の行動を見ると義昭の兄弟の仇である久秀と手を組むということまでやり、
義昭の反発を自ら招いているともいえあまりに不可解。

>副将軍拒否は幕臣になるのを嫌ったからじゃないか?

なぜそれを嫌う?権威を利用するのであれば副将軍になった方がより利用できる。

>天下を目指すことと幕府秩序を維持することは別

確かに別ではあるが天下を目指しもしない者が幕府滅亡を望むとも思えない。朝廷があるからいいじゃな
いかというほど単純ではない。後の時代からみれば可能だろうが当時幕府の存在下で生きているのだから
それが無い状態を想定するのは現代人が予想するよりはるかに難しい。幕府が弱体化しているというなら
滅亡ではなく強化しようと考える方がそれに比べればやさしい。いわゆる信長包囲網というのはこの幕府
強化を望んだ仲間ともいえるのではないか。自身が幕府強化の一端となれば自身の権威付けにも役立つ。
もし幕府強化を望まないなら包囲網を形成する必要もなく信長にまかせて滅亡を待てばいい。
岩村城など攻めて信長に喧嘩を売る必要もない。ただし望むということとできるということが別であるこ
とは当然。

974 :人間七七四年:2007/11/19(月) 23:18:13 ID:0KiDDXXX
>>947
>本拠を移すどうこうはもってのほか、関係ない

承久の乱後各国を支配するだけでなく京を安定的に実効支配できなければ政権の安定も難しいということ
が分かっている。そのためには京への通り道にあたる国を侵攻し本拠を移す方が都合がいい。京にのぼる
ためには川中島にこだわることは無駄。もっと早いうちに上杉とは手を打つべきだが信玄は何年もこだわ
り続けた。さらに長期滞京を可能にするには兵農分離を進める必要があるが信玄にはその兆候すらない。
もちろんしたくてもできないのだろうがそうであればこそ天下まで視野に入れていたとは考えにくい。
織田と松平は国境で何度も戦っている関係であるにも関わらず同盟を選んだ。舅問題があったにせよ信長が
単に二正面作戦を嫌ったというだけなら美濃から近江という茨の道を進まず(美濃奪取だけでも6年もかかっ
ている)かつて姻戚関係にあった斉藤と手を打ち、つい最近まで戦い、基盤も安定していない三河へ侵攻する
方が自然だし楽でもある。その先には国力豊かな遠江・駿河があるのだから魅力もある。美濃侵攻について
ももし美濃だけを視野に入れているのなら清洲から小牧へ本拠を移す必要はない。小牧へ移転し美濃奪取後
にもすかさず岐阜を本拠にしその後安土へというのは信玄と対照的。

>織田信長はあくまで敵対する宗教勢力に対して弾圧を加えただけで、なにも坊主が憎くてやったわけじゃないぞ?

もちろん全ての勢力と敵対したわけではない。そもそも勢力の規模も力も違うから。
信長の味方をしても構わないのになぜ敵対する勢力が生じたかということが重要。
それは宗教勢力の利権を壊したから。それを壊したのが楽市。壊す対象は宗教ではなく利権。
米の調達云々とかあまり重要ではない。こういった古い利権に寄り添うのか壊すのかは大きな姿勢の違い。

>武田、織田の評価を分けるその理由について教えてくれ

上記政治姿勢の違いと、上洛直後のすばやい信長の対応

975 :人間七七四年:2007/11/19(月) 23:28:06 ID:0KiDDXXX
>>969
甲斐出身は優遇されてるという感じはする
他国出身は信虎から二代仕えてやっと要職につけるってとこかな

976 :人間七七四年:2007/11/19(月) 23:41:34 ID:BslJLWx1
>>973
松永と組んだのは必然と言うか止むを得ない状況からでしょ。
当時の織田家は尾張・美濃・北伊勢と150万石程度の勢力。
そして畿内は依然混乱した状況。
その様な状況の中で大和で最大の勢力を誇る松永が頭を下げに来たのをさすがに足蹴には出来ないでしょ。
上洛したと言ってもまだまだ不安定な時期に畿内でも有数の勢力をわざわざ敵に回すとか有り得ない。

あの時代に幕府が必要だったかについてだけど、
自分の生存に必死だった状況下でいちいち幕府の存続のために頑張る余裕なんて無いだろ。
滅亡したら確かに各方面で動揺が広がるだろうが、
かと言って幕府存続のために戦うなんて事しないだろ。

>>974
川中島、特に善光寺に絡んだ利権を放棄なんて出来るわけないでしょ。
北信濃を放棄したら武田家が天下を望むなんて尚更無理。
北信濃が無い武田家の国力でいったい何処を攻め込むというのだ?

977 :人間七七四年:2007/11/20(火) 08:21:37 ID:i74iikm/
一説によると信虎が追放されたのは外様を重用しすぎたことに対する反発らしいが

978 :人間七七四年:2007/11/20(火) 10:19:35 ID:IvgeemqI
>>973
いや、必要としないかどうかが問題だろ
じゃなきゃ将軍を擁立せずに上洛すれば良いだろう?
将軍は織田の権力に乗っかって、織田は将軍の権威を用いて、上洛を楽にしようとした
双方の利害が一致してるから相思相愛、対立する要素が無いのは当然のこと
上洛後に、織田を幕府に取り込んで権力も復活させようともくろんだ将軍、幕府の権威だけを必要として自分で権力を行使したかった信長、双方の利害が対立
簡単な話だろ?

由良は下克上で成り上がった小さな勢力で、将軍の幕臣として認められることで大名としての地位を確立しようとした
それまでは将軍の家臣の家臣、つまり陪臣扱いだったが、将軍の家臣となることで大名として旧主と対等な地位について下克上の結果を承認させた
すでに美濃尾張を押さえて大身な織田にこういう流れは必要ないので、幕臣になる必要も無いと
むしろ幕府内に取り込まれることで義昭に干渉されるおそれもあるので、任官を嫌ったと

大内義隆は朝廷官位を統制に用いていたので、当時の大名が幕府しか頭に無い、若しくは必須ということではない
今川義元も三河守で三河統治を、北条もイロイロと家臣に官位を名乗らせたり
利用しやすいほうを用いるというのが実情、無ければそれに対応して対処していく
包囲網もあくまでスーパーパワーの織田の脅威へ対抗するためであって、幕府なんて関係ない
第一次包囲網、具体的には元亀前後の包囲網において、織田周辺大名で織田と仲のよかった徳川上杉はこの包囲網に参加したか?

>>974
川中島については>>976の言うとおり
兵農分離は、ひょっとしたらあんたの考えてる定義が傭兵集団とかそういうの考えてるなら別だが、そうでないなら武田も進めようとしてるぞ?
兵農分離はやっぱりあんたの定義が問題にもなるが、天下とか軍事的な問題じゃなくて権力集中の問題だぞ?

斉藤と同盟するってなあ…
斉藤と織田も先代同士は争ってたんだぞ?
そして先代同士が、斉藤は国内鎮圧、織田は今川対策に同盟した
そして斉藤は先代を討ってクーデターそれ以後は織田と抗争、織田は東の脅威が松平になり上洛を斉藤に阻まれ、そして松平は独立
松平からみれば今川と「同盟」というのはありえない、織田となら双方が戦略正面を二方向に抱えてるからその利害は一致する、
織田から見れば東は弱体化してるが松平はなかなか抵抗している、一方の斉藤は当主義龍が死んでこれから混乱が予想されるし将軍令で和睦したのに一方的に破られたという悪い印象がある
さらには強引な政権奪取という過程、当主の代替わりと織田から見れば乗じる要素がたくさんある斉藤に対して、今川ですら帰服させるのに時間がかかった松平
「六年しか」かけずに美濃を奪取できたその戦略方針はほめられると思うがね
姻戚関係にある前政権を打破して二正面に増やした斉藤と、今川政権ですらその統治形態を否定できなかった強力な地域権力である松平と、攻めるなら斉藤だろ

それから小牧に移したのは短期間で美濃に攻め入る体制を作って美濃の小領主に圧迫を加えるためだそうだ
武田の場合は巨大な勢力が相模と駿河にあって、その押さえという側面もあるから動かしにくい
というか武田が本拠を動かすとしてどこに新居をかまえるんだ?
信濃じゃ上野への圧迫が落ちるし、上野じゃ不安定すぎるし、北信濃じゃ上杉が心配だし、後年の駿河じゃ北信濃への対応が遅れるし

織田信長と特定の宗教が対立したのも利害関係
これも権力集中の話になるが、その過程では必要な対立で、松平も一向宗と戦って西三河で権益を広げたし、
ハイリスクハイリターンを採ったのが一向宗でそれにひきづられて本願寺が対立、ローリスクロリーターをとって織田に味方したのがその他の坊さん達
武田信玄が幕府秩序に反して守護を追ったのと同じで、武田の権益を邪魔するからこれと戦ったということ

楽市が戦費調達、戦時品調達の為、米が重要でないとか考えられん
目的は戦時の物資供給体制の構築であって、利権の破壊とか経済小説みたいなこと考えてるわけじゃないぞ
というかその利権を何のために削ぐかという事なんだが
坊主どもの権益を否定するのは目的を達成するための過程でしかない
坊主どもと対立するのが目的ではないと言い換えても良いかも知れん
市場統合という目的に抗うものが坊主どもで、それを排除しないと目的を達成できないから排除したまで
領土獲得という目的に抗うものが守護どもで、それを排除しないと目的を達成できないから排除したまで
武田の守護との戦いにも当てはまるな
ということは武田も同じ穴の狢ってことだ

979 :人間七七四年:2007/11/20(火) 12:14:30 ID:3Qi+A4kl
徳川ってそんなに強いかな信玄には脱糞させられ勝頼時代には高天神に援軍さえ送れないほどだし
あまり強いという印象ないな他国の部下になるしかない存在ではないかな

980 :人間七七四年:2007/11/20(火) 13:29:32 ID:UJj/ij8m
信虎の外様重用つっても足軽大将止りでしょ
別に重臣の列に加えたわけでもないのに…
まぁ甲斐が保守的だった可能性もあるが

981 :人間七七四年:2007/11/20(火) 14:32:27 ID:kBO/2JXX
>>979
十分強い部類に入ると思うぞ。
関ヶ原より前で、織田・今川の手伝い戦を除けばほとんど格上としか戦っていない。
三河一向一揆を平定して三河を統一し、武田と共に今川を滅ぼし、
武田の侵攻に十年以上抵抗し続けて、北条と互角以上に戦い、
秀吉と分けたんだから。

名将とは言わないが、実力派と言うに十分な戦績。

982 :人間七七四年:2007/11/20(火) 18:30:57 ID:LAZonEeb
信玄は自分の限界や地理的な頭打ち感を感じていたし、信長を本気にさせたくなかった。
家康を殺すのは余りに危険だと考えたのだろう。
もはや時代は完全に織田のもので、足利が倒れるのは時間の問題だと誰もが感じていた。

983 :人間七七四年:2007/11/20(火) 19:18:58 ID:3mcPuZrD
その割にはこの後も織田に敵対する連中は続々と現れるのだが。

984 :人間七七四年:2007/11/20(火) 19:27:37 ID:LAZonEeb
>>983
その割に??
大きくなればなるほど敵が増える。
当たり前の話だ

985 :人間七七四年:2007/11/20(火) 19:33:08 ID:3mcPuZrD
ちなみに信長は義昭を追放する直前になっても出来れば戻ってきてくれるように
要請してる。
そんで義昭に断られて追放にいたるわけだが、この時毛利に対して
「来年から将軍家に送る年頭儀礼は自分が保護してる義昭の子供(2歳)に対して
してね。」と安国寺を通じて伝えさせている。
信長が自分を幕府にかわる存在とし始めるのはもう数年後の事。

986 :人間七七四年:2007/11/20(火) 19:34:49 ID:3mcPuZrD
>>984
>>もはや時代は完全に織田のもので、足利が倒れるのは時間の問題だと誰もが感じていた。
この言い方とそれは矛盾してるぞ。
時代が完全に織田のものだと皆が認識してるなら織田にわざわざはむかいはすまい。

987 :人間七七四年:2007/11/20(火) 19:43:26 ID:LAZonEeb
>>986
何故矛盾してるんだ??? 勝てない相手だからと降伏するなら世の中平和だなwww

988 :人間七七四年:2007/11/20(火) 19:46:57 ID:/LlnpW05
>>986
ただ何もせずに服属するとなると完全に下っ端
一発かましてから和平っぽく服属すれば無碍にはできんって考えてる大名も多かったんでないかね?

989 :人間七七四年:2007/11/20(火) 20:02:52 ID:7F+tUaEF
それなら最初から戦力を保持したまま臣従して織田内部で力つけたほうが力を消耗せずに済むんでない?

990 :人間七七四年:2007/11/20(火) 20:03:11 ID:3mcPuZrD
>>987と>>)988
毛利なんか将軍家を助けて滅亡寸前になるまで戦ってるし
上杉も武田も滅亡寸前までいったぞ。さらには長宗我部も利害が対立すれば
迷わず滅亡に近いと思っても敵対したし。
そういった連中がやられる目処がたったら北条や東北大名みたいにさっさと
下っていくようになったぞ。なんだかんだいって足利の名前が持つ意味も反織田勢力の
力もまだまだ残っていた時代だよ。

991 :人間七七四年:2007/11/20(火) 20:03:54 ID:At93Nyuy
元亀三年頃はまだ完全に織田の流れとは言えないでしょ。
まだ反織田側に流れが変わる可能性だってあったんだから。
完全に織田の流れが不動のものとなったのはもうちょい後だね。

992 :人間七七四年:2007/11/20(火) 20:04:03 ID:3mcPuZrD
というか武田は滅んだけど。

993 :人間七七四年:2007/11/20(火) 20:14:04 ID:At93Nyuy
次スレ立てたんだけど、
テンプレ4をコピペしようとしたら改行が多すぎですとか警告が出てテンプレ4を書き込めない・・・
なのでテンプレ4以降を誰か代わりに頼む。
注:当スレではテンプレ5と8が重複してしまっているので次スレのテンプレ貼り付け作業時は注意してください。
ちなみに俺の使ってる専ブラはjanestyleなので同じ専ブラ利用者はテンプレ4を多分書き込めないかも?

【武田】2万5千で上洛【信玄】その52
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195556782/

994 :人間七七四年:2007/11/20(火) 20:41:22 ID:bAbMfIIL
書きこめているみたいなので様子待ち

995 :人間七七四年:2007/11/20(火) 20:44:45 ID:At93Nyuy
時間を空けて再度試してみたらテンプレ4を問題なく貼り付けることができた。
さっきはなんで無理だったんだろう?
当スレの>>12にあるテンプレ?は必要性が感じられないから次スレでは貼り付けていないです。
必要だと思う人は貼り付けてください。
というか>>12っていつの間にかテンプレ化されてるみたいだけど、あれってテンプレなの?
誰かが勝手に貼り付けた奴がそのまま放置された形で間違ってテンプレ化したのかな?

996 :人間七七四年:2007/11/20(火) 20:50:01 ID:IvgeemqI
>>985
義昭に息子さんいたのか
その後その息子さんどうなったの?

997 :人間七七四年:2007/11/20(火) 21:03:17 ID:3mcPuZrD
>>996
後の足利義尋。当初は信長に義昭に代わる将軍候補として大事にされたけど
後に信長が自身で天下人となってからは用済みとなり、やがて出家。
興福寺の大乗院門跡となった。

998 :人間七七四年:2007/11/20(火) 22:06:12 ID:HzbSTyYA
次スレ立てろ

999 :人間七七四年:2007/11/20(火) 22:09:03 ID:3mcPuZrD
もう立ってるんだけど。

1000 :人間七七四年:2007/11/20(火) 22:13:35 ID:WML73eTF
1000だったら俺の就職先決定

1001 :1001:Over 1000 Thread
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
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