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武田家滅亡を防ぐには 2

1 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 19:36:42 ID:P9geflSu
上杉家は明治まで存続したのに対し
武田家はあっけなく滅亡してしまいました。
滅亡を防ぐにはどうすればよかったのでしょうか。

武田家滅亡を防ぐには
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154886583/

2 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 00:11:21 ID:cJPaHD3b
無理

3 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 05:00:34 ID:4KH8RKWZ
武田家も嫡流は滅んだが織田家も嫡流は滅んでるからな
覇王の系譜はかならず滅びるという歴史の教訓だ

4 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 22:41:06 ID:w/93xQk7
( ´゚ω゚` )

5 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 09:02:31 ID:D39BL5zd
(・ω・;)


6 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 12:30:21 ID:hKW6akbl
(^ω^; )

7 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 18:44:46 ID:eqIm4CU9
      ,ィ                      __
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8 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 17:50:23 ID:LBKNr8nE
マジレス!するとまず考えられるにポイントは二つ!上洛途上!信玄亡き後の武田軍の選択!もう一つは長篠の戦い!あとは自由に議論して欲しいがまぁこれは俺!個人の考えでもありこぉいう仮説を唱えている人は、たくさんいるだろうが前者の方で考えればあそこは甲斐に引き返す

9 ::2006/12/09(土) 18:01:38 ID:LBKNr8nE
のではなくて三方が原での勝利!勢いそのままに信玄亡き後も上洛を続けせめて信長を潰すべきだった。後者で考えれば戦さの結果!多くの有能な重臣を失った事を考えればあのタイミングで信長と対峙するのは避けるべきだったといえるだろう...

10 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 18:23:48 ID:wsTPP4XE
武田単独じゃ信長は倒せない。
朝倉が逃げた時点で勝機は去ってるよ。

11 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 18:55:37 ID:LBKNr8nE
いやあの時点で押してれば信長はかなりヤバかったよ↓絶対的カリスマ!信玄が没っしたとはいえあそこで引いて信長に時間的猶予!与えてしまったのが運のツキ↓

12 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 21:50:16 ID:zvsF6jVW
甲斐武田家存続の可能性
日本史@2ch

13 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 18:08:37 ID:6WPSxryU
次スレに移行した途端、過疎ったなあー。

とりあえず信長に臣従するべきだったのでは。

14 :人間七七四年:2007/02/12(月) 10:06:20 ID:84pds1NV
ポイントは最初の駿河侵攻。
あれで氏康が邪魔しなければ駿河・遠江を短期間で落とし
徳川は勢力を拡大できないままに強大化した武田と相対する事になり
かなり厳しい情勢になったと思われる。
ま、それが逆に武田滅亡を早める可能性もあるが。

15 :人間七七四年:2007/02/16(金) 09:28:55 ID:s22TsVYx
川中島が余計な仕事だったように思える。
もし上杉と同盟して、後ろの心配を無くした上で駿河・三河に進行していたら・・・

16 :人間七七四年:2007/02/16(金) 09:39:38 ID:7NOnz0rL
上杉と同盟するってことは信濃の過半を放り出すということ
それじゃ駿河攻略する力がつかない

17 :人間七七四年:2007/02/16(金) 12:27:28 ID:AFS099Bt
マジレスすると3国同盟しなきゃ良かった。
北条と結んで今川アボンだけで充分

18 :人間七七四年:2007/02/16(金) 12:29:51 ID:EidaDHtH
今川攻めたら北条は今川に味方するだろ
落ち目の氏真時代でさえそうだったのに同盟以前の状況でどうしろと
却って武田が壊滅、良くて信虎以前の状態に逆戻り

19 :人間七七四年:2007/02/16(金) 12:33:37 ID:JjOxi/Ru
結局三国同盟とはなんだったのか

20 :人間七七四年:2007/02/16(金) 15:17:20 ID:LPoxj3/m
信濃なんて蕎麦畑じゃなく相模取ってりゃよかったのに

21 :人間七七四年:2007/02/16(金) 15:37:02 ID:RsiGCYhD
>>18
そりゃ通達も協議もなく「今川攻めたけど味方してね」じゃ不信抱く。
いつ自分が今川の立場に立たされるかわからんからな。

22 :人間七七四年:2007/02/16(金) 16:42:32 ID:JjOxi/Ru
村上、今川、武田の三国同盟なら天下取れた。

23 :人間七七四年:2007/02/17(土) 00:09:11 ID:ohA7sNuI
三国同盟以前の今川と北条は争っていたから、話のもっていきようでは北条を
味方につけることも不可能ではなかったろうがね。

24 :人間七七四年:2007/02/17(土) 16:05:14 ID:szrUWiGN
信玄が死んだあとも西上の意見に賛成。その方が逆に信玄が
死んだ事はばれなかったと思うし、朝倉が撤退していてもまだ
信長には武田に全兵力をぶつけることはできないだろうしね。
信長を潰せなかったにしても大打撃を与える事は出来たはず。

25 :人間七七四年:2007/02/17(土) 16:49:13 ID:wJ3uU8FS
空中もとやチョップが使えたなら上杉、北条とてうかつには近付けまい!

26 :人間七七四年:2007/02/17(土) 17:31:34 ID:/w7wow1G
とりあえず長篠を避けていたら本能寺の時に武田は存在していた…

27 :人間七七四年:2007/02/17(土) 18:07:13 ID:3ejkOqFu
武田が滅亡しないなら本能寺も起きない。

28 :人間七七四年:2007/02/17(土) 19:08:56 ID:/w7wow1G
いや武田の存在はあのころ小さくなってきているはずだから…同じような事がなにかが怒ってもおかしくないぞ素人めばかやろう…

29 :人間七七四年:2007/02/17(土) 21:54:35 ID:+/AzTRGY
武田義信が武田家をついで武田信玄隠居、武田勝頼は武将にして3国同盟を守って今川氏真と共に上洛。

30 :人間七七四年:2007/02/18(日) 01:10:10 ID:vl7DLho6
となると形の上では今川が上になるが…しっくりこないな

31 :人間七七四年:2007/02/18(日) 01:13:34 ID:Cg8OydVg
けっきょく小笠原も村上も家をつないだからな。
終わって見ればみんな旗本程度の小領主。

32 :人間七七四年:2007/02/18(日) 01:22:55 ID:efX1xOgV
小笠原は譜代にして筑前小倉藩15万石の大身でわ

33 :人間七七四年:2007/02/18(日) 01:51:56 ID:vl7DLho6
武田も長篠戦ってなかったらあるいは関ケ原に参戦してたりしてな…5大老ではなく6大老になってたりして その前に武田が甲斐信濃2国もってたら家康の力は少なくても3割か4割減だろうな 関ケ原じたいなかったかもしれないな。

34 :人間七七四年:2007/02/18(日) 03:14:00 ID:ZTOq6XrN
信玄が死んだフリして長篠に織田・徳川連合軍を誘き寄せ一網打尽。
上杉謙信と仲直りして組んでれば尚最高かつ最強。
そして天下統一の為、舞台は九州に以下略。

35 :人間七七四年:2007/02/18(日) 03:39:48 ID:vl7DLho6
あ、その前に小牧長久手もないだろう…いやあったら徳川は滅亡か三河か遠江あたりの一国だけの大名だったろうな いややはり甲斐信濃の国力は武田のものだから家康にはそんな力はないな

36 :人間七七四年:2007/02/18(日) 03:50:12 ID:z55wqnIj
>>34最初の方はまんま乱世幻記だな。

37 :人間七七四年:2007/03/17(土) 13:47:45 ID:uR0GiCRs
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38 :人間七七四年:2007/03/17(土) 20:47:13 ID:ja3ebWlN
1572年。信玄死去。家督をついだ勝頼は駿・遠・三から撤退。
秋山信友は美濃を棄て、甲斐に戻り勝頼の相談役に。また、旗頭はあくまで武田信勝とし、馬場・山県・内藤・原・甘利・高坂などの譜代重臣を繋ぎとめておく。

39 :人間七七四年:2007/03/17(土) 20:54:52 ID:ja3ebWlN
木曾・穴山・一条などの親族衆は当主は新府城詰めにしておき、三枝・駒井・小山田・曽根・横井・小幡などの足軽大将クラスを織田・徳川領国境に配置。
決してこちらから攻めずに、国力の温存。
謙信死後の御館の乱では、北条氏とともに景虎をもり立てる。

40 :人間七七四年:2007/03/17(土) 21:05:09 ID:ja3ebWlN
景虎が上杉の当主になったら、武田・北条・上杉の三国同盟を結ぶ。
北条と共に駿河に進攻。東駿河を北条氏に。西駿河武田が統治。
海津城の高坂昌信に真田・依田・小笠原信峯・木曾を与力とし、美濃に出兵。
勝頼と信勝は重臣らと共に三河作手城、長篠城を攻める。

41 :人間七七四年:2007/03/17(土) 21:07:28 ID:2QQgKAuJ
その結果、知行を減らされた家臣たちの不満が高まり一部の信濃衆が隣国と手を結ぼうとする。
それを見て勝頼以下甲斐の軍勢8千で討伐に出るも三河勢が不穏な動きを見せたので城の包囲に兵を残して甲斐に戻る
武田の動員力減少を見て取った信濃衆が各所で不穏な動きをするも押さえ込むのに時間を要す
その間に三河勢が小豪族化した遠江、駿河を軍事外交で制圧し甲斐を南側からけん制する。
結果、武田は信濃への動員力が落ちる

42 :人間七七四年:2007/03/17(土) 21:10:45 ID:ja3ebWlN
山方三方衆を威圧し、味方につける。三・遠の交通を遮断し、各個撃破していく。徳川を滅ぼしたら、本願寺・六角拯偵・毛利らと織田包囲網を築き、総力戦。
あぁ続き考えるのメンドクセ

43 :人間七七四年:2007/03/19(月) 21:53:19 ID:yDl5umKX
武田晴信が隠居して武田義信が家督相続して武田家当主、3国同盟を守って徳川を今川氏真に滅ぼさせる。織田は武田と今川で倒す、あるいは上杉と和平を結んで今川、武田、上杉で織田に対抗、北条氏を説得する。

44 :人間七七四年:2007/03/28(水) 19:46:44 ID:yaZ4AcgN
勝頼が武田のもとにいた信長の庶子、勝長を送り返してきたのは
実は信長との和睦を望んでいたからともいう。
それを知ってか知らずか信長は武田討伐の軍を起こし、それが信長の
周辺を手薄にさせ、結果本能寺の変につながった。
武田は自らが滅びることで信長を道連れにしたとも言える。

45 :人間七七四年:2007/03/28(水) 23:14:14 ID:v9uYvn3K
結局信長が武田滅亡にこだわらなければ本能寺は起こらず、
両者とも生存できたということなんだろうな。

46 :人間七七四年:2007/05/06(日) 00:29:14 ID:ASY6ZRTh


47 :人間七七四年:2007/05/06(日) 14:27:52 ID:wQrH+mRZ
なまじ 信玄が京に向かわせたのが 間違い!義昭なんかに 振り回されてからに

48 :人間七七四年:2007/05/06(日) 18:44:04 ID:x1naqOyq
確かに、信長はそれを根に持って武田と和睦などは
ありえないと思っていたようだし。
信玄と敵対した時の互いの宣伝合戦は凄まじいものがある。
だが武田を滅ぼした後わずか3ヶ月で信長父子は死。
信長にとって武田を滅ぼしたのが本能寺に直結したとは
言えないだろうが運命の分かれ目だったのは間違いないな。

49 :人間七七四年:2007/05/22(火) 06:31:28 ID:ra9UC8aM
でもさ、明智なんて直属中の直属部下ジャン。そこが裏切っちゃったら
もうどうしょもないっしょ。手薄な状態は作るべきではないが、武田
でも上杉でもあそこまで領土広がったらそういう状態はできるんじゃ
ないか。そこで、明智ほどの直属に寝返られたら終わりだろう。
信長の管理力の無さと言ってしまえばそれまでだけど。

50 :人間七七四年:2007/06/28(木) 23:49:34 ID:SGlKxviZ
 

51 :人間七七四年:2007/06/29(金) 00:19:21 ID:v4zKzzhF
むしろ管理力がありすぎて謀反されたと言った方が正しい

52 :人間七七四年:2007/06/29(金) 07:32:03 ID:BVHrJ7SL
>>31
それを言えば武田も一応は家をつないではいるのだが。

53 :人間七七四年:2007/06/29(金) 19:37:48 ID:6N3EnOaj
長篠の戦後に織田家との同盟の話を蹴ったのが滅亡の始まり。

54 :人間七七四年:2007/06/29(金) 21:45:21 ID:g8t8Isto
       ,ィ                      __
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55 :人間七七四年:2007/06/30(土) 21:42:09 ID:EPKjFYCm

これいい!

56 :人間七七四年:2007/07/01(日) 18:34:24 ID:r6LuxK5x
>>51
いやいや、管理能力の中には忠誠心を高めるという技術も入るぞ。
ムチだけじゃなく、飴も使い分けないとダメだよ。

57 :人間七七四年:2007/07/14(土) 01:52:12 ID:NFf7W1fm
>>52
竜宝の子が生き延びて僧侶になって「たまたま」生き長らえ
一時は島流しにあい不遇をかこち、
高家になったといっても、5代綱吉の時代にやっとw
しかも元は家臣だった柳沢家の助力でやっとなれただけだから、
武力や知力で繋いだというわけでもないしな。

たまたま生き延び、どうにか存続・・・って感じだ。

58 :人間七七四年:2007/07/14(土) 04:17:35 ID:c9eyyLNd
ま、それでも武田の名跡にそれだけの価値を残してきた結果だからな。
たまたま後裔が生き延びてれば、必ずお家を再興できるわけじゃない。
武田は高家にするだけの価値がある名家だと判断される下地があってこそ。

59 :人間七七四年:2007/07/15(日) 19:05:00 ID:ed4rODtM
仮に竜宝の子が途絶えてたとしても、仁科盛信の系統が武田に復して、結局は存続できたと思うけどね。

60 :人間七七四年:2007/07/15(日) 20:37:08 ID:JI+zpzVT
>>58
それは軍鑑によって武田の虚名が天下に鳴り響いていたからじゃないか?

61 :人間七七四年:2007/07/16(月) 06:43:46 ID:ftu8LhSB
軍艦がどうより、幕府の開かれた場所が関東というのが大きいだろ。
武田の家柄も強さも、実際に伝わっている地域といえるし。
あとは、軍艦がどうよりも、武田の遺臣がかなり徳川に集まっていたのも理由になるな。
名前だけの復興をさせるだけで、家臣団の引き締めを計れるなら言うことない。

62 :人間七七四年:2007/07/16(月) 17:42:49 ID:g1xensCN
>>59
それなら信清系も米沢藩で続いてるよな。
武田の正統は、穴山氏から家康6男信吉にいったと思うのだけど、その後どうなったの?

63 :人間七七四年:2007/07/19(木) 09:49:24 ID:p/hx2Vx2
>>62
穴山は武田一族であるし、梅雪は母、嫁からの縁もあるけど
武田の正統という意味合いでは実質苦しい。
で、信吉は二十歳あまりで若死にしたんだよ。

竜宝系の高家登用はひとえに柳沢の地位固め策の一つだし、
旗本になった盛信系、上杉家臣となった信清系
それぞれに家柄は続いてはいるけど
戦国大名として名を馳せた武田を存続させたという印象はない。

64 :人間七七四年:2007/08/03(金) 12:52:48 ID:GmVCfvAb
勝頼の子の勝親が摂津に寺を与えられて保護されたって話あるけどこれは史実なのか…?

65 :人間七七四年:2007/08/03(金) 23:52:29 ID:TXaau/Ho
>>64
伝説じゃないの。勝親って何かの系図に載ってるのか?
何番目の子で、母は誰なんだろう。
誰が紹介してる逸話?出典は何?

天目山に落ちる途中に、勝頼の幼児が土地の人に預けられ
まもまく死んだ・・・・・・なんて話もあるが、
甲斐国内の話であっても裏付けのない「伝説」程度なのに、何でまた摂津なんかにw

66 :人間七七四年:2007/08/04(土) 04:20:12 ID:ygwht7FD
>>64
それより、嫡子の信勝の位牌が千葉にあって、開祖となっている寺があるんじゃなかったっけ?
そっちの方が浪漫だ。

67 :人間七七四年:2007/08/04(土) 20:05:24 ID:eevZxcqq
その寺の名は?千葉には かなり 武田家旧臣がはいってきてる。

68 :人間七七四年:2007/08/04(土) 22:18:00 ID:HED2FVpy
三方ヶ原の戦いで信玄が死んでも僅かに時間を稼いで影武者でも立てて
京都に進軍すればよかった。
それなら信長包囲網の参加勢力も動き出したかもしれないのに。

69 :人間七七四年:2007/08/04(土) 22:42:13 ID:a8MTchRI
おたての乱のときに、影虎を全面支援して、
景勝を討つ。

これしかないだろう。
こうしてその後同盟でも組めば、北と東が安全地帯になる。
北条も織田ではなく、武田につくだろうしな。
もっともその場合は、北条に武田がつくというのが正しいが、

70 :人間七七四年:2007/08/04(土) 22:45:04 ID:AIQ9Q7Pu
信玄が三国同盟を堅持し、没落する今川氏を支援しつつ、主力は木曽谷から
美濃を攻撃するというのはどう?
仮に武田軍が大垣あたりまで進出できれば、朝倉も身近の武田軍を頼りにして
後退しなかったかも知れない。
その後、墨俣〜犬山付近を尾張方面の防御線として、主力は関が原から近江へ。
三河の徳川は今川と協力して遠江で牽制する。
瀬田も大分近づいてきましたよ。

71 :人間七七四年:2007/08/04(土) 23:04:19 ID:N9x73tJw
>>70
没落し始めている今川と木曾谷経由で美濃を攻める、さてどっちが容易いかな?

72 :人間七七四年:2007/08/04(土) 23:20:31 ID:4eTcN2hb
多分、信玄には天下への野心なんかなかったんだろうね。
せいぜい甲信でお山の大将になって満足(これも相当な能力がなきゃできないとは思うが)か
あって義昭の下で管領ぐらいできれば、みたいな。
じゃなきゃ、いつまでものんびり川中島とか箕輪城なんかで戦ってないし。
三方ヶ原の時だって、とんとん拍子に上手くいって織田を駆逐したとしても、
所詮は織田包囲網の一角でしかないんだから、武田幕府を開くどころか副将軍になるのも難しいんじゃないかなあ。

だったら、おとなしく天下人(織田に限らず)の傘下に入って、アホのふりしてのうのうと新政権を迎えるぐらいじゃないと、滅亡回避は厳しいと思う。
天下人からしても、清和源氏の名門で声望もある武田一族なんか、邪魔以外の何者でもないしね。

73 :人間七七四年:2007/08/04(土) 23:54:47 ID:ZKsOuds0
>>64 >>66
千葉には武田信吉(お都摩の方の子)が城主として居たけどね。

信勝の、位牌があるだけならわかるけど
(誰かが供養のために祀ったのならある可能性もある)
でも、開祖となると話が違う。


74 :73:2007/08/05(日) 00:40:35 ID:M+fRBCfu
>>66
自分は武田の滅亡期のことはそれなりに調べてて
16で戦陣に死んだ信勝にそんな話あるわけないじゃん
伝説や浪漫以下の、何かの誤解じゃあるまいか?と思って
少し検索してみたんだけどさw

その寺ってさ、房総の智蔵寺のことかぁ?
そこなら開山は1502年、または1503年。
勝頼の子の信勝は(1566〜1582)だぞ。
生まれてもいないのに、何故、しかも安房で開基できるのか。

>嫡子の信勝の位牌が千葉にあって開祖となった
それって、単に房総武田の真里谷氏信勝のことじゃないの?

75 :人間七七四年:2007/08/05(日) 01:12:01 ID:cg/eRB3z
豪族連合では無理でしょ
結局織田(+秀吉)徳川以外は君主専制出来なかったんだから
滅ぶべくして滅んだ

76 :人間七七四年:2007/08/05(日) 08:21:30 ID:VrGPg0DK
徳川もたいがい、豪族連合だったとおもうがなー。

77 :人間七七四年:2007/08/05(日) 11:45:47 ID:twAew6ro
リーダーが 長生きしたからね

78 :人間七七四年:2007/08/05(日) 11:50:32 ID:kwPT/6pG
未だに豪族云々いうあほがいるとはな

79 :人間七七四年:2007/08/05(日) 13:25:44 ID:twAew6ro
支配階級イノセント 支配されるものシビリアン!

80 :人間七七四年:2007/08/05(日) 15:06:58 ID:yyZtD+vF
徳川は織豊政権の下地があったから

81 :人間七七四年:2007/08/05(日) 18:18:35 ID:hpd/rFH1
上総の武田豊信が信玄3男という説があるけど、本当かねえ?

82 :人間七七四年:2007/08/05(日) 20:25:27 ID:nT0/YHhj
>>54ワロタ

83 :人間七七四年:2007/08/06(月) 00:02:55 ID:fU2geXnO
やはり信虎様に甲斐にお戻りになっていただくしかあるまい

84 :人間七七四年:2007/08/06(月) 10:07:28 ID:KQEwOB0n
>>81
それなら自分で調べてみたら?
真実味があるか、ガセかは、以外と簡単にわかることだよ。

滅亡した家の、某が実は生き残ってた説って
ほんとにただのメルヘンだなと思う次第。

石神井城の照姫伝説みたいに、「伝説」は近代でも創作できる。
その辺の古い塚を、小説(作家の創作人物だというのは明白でも)に
登場する人物の墓で実在と主張し、
逸話を捏造造する輩はなんと現在でもいるわけだ。



85 :人間七七四年:2007/08/29(水) 16:01:51 ID:T4W+3nlb
64へ
携帯からすまん
勝頼三男の勝親(幼名勝三)は池田恒興に匿われて摂津尼崎のなんとかってゆー寺に保護されてる
ただ病気で若死にしてるけどな
小和田や童門の本で見た気がするし恒興の子孫にあたる光政の編纂?の書籍やらにもそれらしい記述あるみたいだぞ
んで寺には一応今でも墓あるんだと
ぐぐれば見つかるんでない?


86 :人間七七四年:2007/08/29(水) 22:10:44 ID:cRH7uhCC
>>85
その説の詳細を伝えてくれた85に文句を言うわけでは無いので、
念のため。

勝頼の子で信勝意外の男児については
「史料上の裏づけをとることが難しい」
柴辻俊六、平山優・篇 『武田勝頼のすべて』

また、上野晴郎氏の『定本武田勝頼』には
天目山逃避中に地元民へ預けて後に死んだ幼児の塚伝承があること。
そして系図のなかでの「勝三」については
 「一説には一向宗の僧となるか」との付記があるのみで
本分中ではなにも触れていない。勝親という文字もない。

他にも色んな武田本を読んでるけど、
この説は聞いたことが無いし、
名家の壊滅にありがちな創話臭さを感じるのは確かだ。

勝親を検索してみたところ元亀三年生まれとまで、
生年と没年が書かれているけど(wikiか?)
高野山の過去帳にもそういう人物の存在は聞いたことが無いな。


墓は尼崎市にあるということで、墓碑の写真があったけど
やけにはっきりした刻みの字だったぞ。


87 :人間七七四年:2007/08/30(木) 02:33:30 ID:6WTiobRz
武田勝親 (尼崎市)善念寺
などでくぐってもみたが、かなり不鮮明。

元亀三年(1572)生まれ〜天正十二年没とか、
亡くなったのは天和2年(1682)とか、
元禄13年(1700)に善念寺を開基とか。驚異的長寿www
武田姓を名乗ってたとか、名乗ってたならどういう身分なんだ?
寺住職の名字が「武田」というそうだから、
単なる家系○飾も考えられると思う。

堂門や小和田先生は、その詳細には触れず(調べず)
「こういう話もある」的な記述をしてたんじゃないのかな。


88 :人間七七四年:2007/08/30(木) 21:22:32 ID:sbEg2SlO
1、勝頼自ら隠居して家督は信綱叔父さんに。
2、甲斐と信濃の諏訪や高遠以外は献上。
3、それでもダメなら
「領地は諏訪か上野あたりで10万石くらいでいいよ」
とか行ってみる。

これでもダメだろーな



89 :人間七七四年:2007/08/30(木) 21:50:22 ID:0ukqxBq+
安芸まで落ち延びて、安国寺恵瓊と同族の誼で合流する。

90 :人間七七四年:2007/08/30(木) 21:59:57 ID:xkvZJgam
>>89
若狭や土佐はだめ?

91 :人間七七四年:2007/08/31(金) 03:00:09 ID:KXtEzMZa
信親の墓はねつ造ということだね。

92 :名無し野電車区:2007/09/05(水) 20:13:04 ID:2yLoobS6
65年に織田と婚姻なんか結ばずに三国同盟堅持。
氏真と三河へ共同出兵、北から武田2万、東から今川2万の
計4万で乱入、徳川は一週間で滅亡。

さらに尾張三河国境に今川と武田が砦築いて兵を置きけん制して
おけば
織田は尾張から動けず小大名のままw

93 :人間七七四年:2007/09/05(水) 20:28:03 ID:xmwwzBjY
単なる疑問なんだけど織田が急成長するってのは当時も予想されてたのかな?

94 :人間七七四年:2007/09/05(水) 21:31:27 ID:qIB7OVoO
あの、質問なのですが、武田信玄の三男で三条腹の武田 信之は生まれた後
どうなったのかが知りたいのですが?詳しい方宜しくお願いします。

義信廃嫡→死亡で四男の勝頼が家督を継いでから長篠→天目山の
流れになりましたが、継室三条腹で三男の信之は勝頼が継いだ頃どこで何をしていたのか
気になったもので。

それと甲斐武田家滅亡は、勝頼が織田方に降伏して徳川の配下に下れば回避の可能性が
あったかもしないと思いました、家康は武田武士に寛容だったようなので。

95 :人間七七四年:2007/09/05(水) 21:54:06 ID:sMLFKedM
>>1
せめて前スレの有力意見をテンプレにして
書いとけや。
ループ防止にもなる。

96 :人間七七四年:2007/09/05(水) 22:58:28 ID:ZCQcFpCL
いろいろ考えたんだけど結局、身の丈に合わない望みをもったことが滅亡の原因じゃないかな。

戦で信長に勝てるほどの軍才がないのに信長に喧嘩を売ってしまった。
天下を望めるほどの才能も力もないのに勢力を拡大し続けようとした。

過ぎた望みは身を滅ぼす。

97 :人間七七四年:2007/09/06(木) 00:33:26 ID:V/BgaNOW
勝頼が真田を頼って逃亡
信長の大軍と戦い善戦の末に勝頼の切腹で降伏
本能寺の変
この混乱に武田嫡流の信勝を旗印に上杉の助けを借りて甲斐、信濃を維持
豊臣と同盟を結んで徳川を挟撃
これで駿河を確保
秀頼を支える五大老として後事を任される
これで明治まで家名を保ち、武田家は侯爵となる
真田は直江並に高禄を与えられ筆頭家老として遇される

98 :人間七七四年:2007/09/06(木) 01:22:34 ID:2qlxPDbz
謙虚な妄想に感動した

99 :人間七七四年:2007/09/06(木) 13:16:39 ID:wenxIv/i
>>94
通説では武田信之は1553年に夭折。
上総武田家に養子に入り武田豊信と同一人物とする伝承もある。

100 :人間七七四年:2007/09/06(木) 18:59:23 ID:DnV6ryFq
>>97
信勝を信長が生かすと思えないのが難点

101 :人間七七四年:2007/09/06(木) 19:33:29 ID:fBywppUe
>>97
真田も小山田同様、保身に走っちゃいそうなのも難点。

102 :人間七七四年:2007/09/06(木) 19:40:33 ID:RTIC8o3S
>>100
松姫にお願いして、信忠に取りなしを頼もう。

103 :人間七七四年:2007/09/06(木) 23:10:46 ID:p6/4dUVH
まあ助命する可能性もなくはない。
が、助命したとしても甲信に残すなんてするわけがない。安土なり岐阜なり京なり
自分の手元において、よければ甥扱いで表向き厚遇実質無力な一貴人。悪ければ
出家させて寺へ入れて半幽閉状態。将来的に、忠誠と能力が認めれれば捨扶持渡さ
れて武田家名を復活ってところか?

104 :94:2007/09/06(木) 23:39:09 ID:TuJhu1O9
>>99
レス有難う御座います。
甲斐武田宗家歴代当主でも最も知名度のある信玄の実子で継室三条腹の三男でありながら、
謎に包まれてハッキリしていない辺りが、何とも言えない感じですね。

実子で三男を信玄が手元から放して上総に養子に出した説も微妙ですね。
明確に信之の経歴が記された書とかが出てきて欲しい気もします。

105 :人間七七四年:2007/09/07(金) 00:18:08 ID:KXgcnS48
>>104
>謎に包まれてハッキリしていない、
それは成人する前に早世したから、事跡がないだけのことだよ。

少し過去スレを読んで貰えばわかると思うけど、
勝頼の子たちの伝説はみな信憑性というものが無い。
信之が上総に養子云々も、与太説の類だろう。

養子に出したのなら武田側に文献や過去帳に普通に残るはずだ。
「○○年、上総のどこそこの家名を継ぐ」とね。
信玄の遅い子で活躍することの少なかった信貞や信清でさえ、
どこの家の名跡を継承したかちゃんと記録されてるのに、
正室の産んだ三男の記録が残されないわけが無いと思う。

106 :人間七七四年:2007/09/07(金) 16:52:29 ID:bR8DxP7N
>>103
まあ武田は勝長に継がして、信勝は北畠コースだろうね。

107 :人間七七四年:2007/09/07(金) 19:56:22 ID:v7Frmgc5
>>106
勝長より、信忠と松姫の子供じゃね?

108 :人間七七四年:2007/09/07(金) 21:48:20 ID:D8nV+hPc
>>107
いまさら松姫を正室に迎えるなんてことはないだろう。
滅びた家の姫なんて利用価値が皆無に近いし。

109 :人間七七四年:2007/09/07(金) 21:50:01 ID:WBuRxsnT
滅びたからいいってコトもある
余計な後ろ盾がつかないから

110 :人間七七四年:2007/09/07(金) 21:57:47 ID:D8nV+hPc
>>109
当時の大名家の婚姻はみな政略結婚。
滅びた家から姫を迎えても織田家には何のメリットもない。


111 :人間七七四年:2007/09/07(金) 22:55:31 ID:WBuRxsnT
当時の大名家と織田家を同等に考えるべきではないと思うんだがね
他に追従する勢力が無く、自力だけて他の大名つぶせるほどに突出してる訳で
軍事的外交上の政略結婚は対してメリットが無いだろう
いっそ天皇家から嫁でも迎えるぐらいだ、政略結婚なら

112 :人間七七四年:2007/09/07(金) 23:22:36 ID:D8nV+hPc
>>111
だろうね。信忠が26まで正室を迎えなかったというのも当時としてはちと異常。
信長の構想では内親王か高位の公家あたりから正室を迎えるつもりったのだろうと思う。
松姫に関しては武田と諏訪のように側室に迎えて武田を継がせる男子を産ませるってことも考えられるけど、
当時の武田と違って武田遺臣を押さえ込むくらい圧倒的な力でどうとでもなるんだからこれもあまり考えられない。


113 :人間七七四年:2007/09/08(土) 02:50:04 ID:LyM3nKHn
そもそも、信忠が天正十年時まで
松姫を意識していたかなんてこともわからないし。

正室を迎えていない=松姫への未練、って図式は
小説家や歴史作家の推測とか想像の範疇にあると思ってるんだけど。

114 :人間七七四年:2007/09/08(土) 03:02:30 ID:13lpPubU
本能寺前に迎えをよこしたのが事実なら、正室に迎えるつもりだったんじゃないかなぁ

115 :人間七七四年:2007/09/08(土) 18:02:45 ID:x5KktNS4
>>113
秀信は松姫の息子なんて与太話もあるしな。
ネタとしては面白いのだろ。

116 :人間七七四年:2007/09/10(月) 02:52:29 ID:WztiwZeF
>>114
>本能寺前に迎えをよこした
自分はその話はナシと思ってるけど。

いつかどこかの姫スレでも話題になったけど、
松姫を迎えにいったという下嶋氏(だったかな)の家系図の書き添えは
信憑性に欠けるのでは・・・という意見の一致を見たような。
自分も同様に思う。
他にそれを裏付ける史料もないし、信松院にもそんな逸話は
伝わっていないし、あまりにも芝居じみた話だよ。

>>115
ドラマや戦国悲恋小説のネタとしては格好の題材だろうね。


117 :人間七七四年:2007/10/06(土) 04:15:42 ID:ixoWvQWt
武田家と織田家ってなんか関係あるのかなぁ
信長や信虎の「信」って字が頻繁に使われるのって
武田家と織田家だけじゃないかな?勝頼とか例外はいるが


118 :人間七七四年:2007/10/10(水) 15:32:49 ID:oGz26LwK
家督を仁科に最初から渡してたらどうなってたんだろ

119 :人間七七四年:2007/10/10(水) 16:36:45 ID:LUydQFRk
>>118
どうなったと思うの?

自分は昔から盛信贔屓だがもしも話に興味が沸かない。
この手の「もし」話はきりがないし、愚問だと思う。
信玄志死亡時に盛信は推定十代半ばであろうし、
また史料が少ないので憶測もしにくい。

母の油川氏の血筋から、諏訪四郎よりは家臣受けが良いのでは、
という意見を時々見るが、
義信事件の余韻〜信玄の死に対する家臣団の精神的亀裂や動揺、
織田家の勢力拡大による時流の嵐をもろにうける危急はさけられまい。


120 :人間七七四年:2007/10/11(木) 16:39:08 ID:HzmBeWdw
勝頼以外に家督けいしょうけんがあった武将って他にいますか?

121 :人間七七四年:2007/10/11(木) 18:38:20 ID:v5RUeXTO
>>120
義信(嫡男)、義勝(勝頼の嫡男)
前者はクーデター失敗で幽閉後死亡
後者は幼少ということで勝頼が後見人として元服するまでは仮に勝頼が継いでいたといった形になってたはず

122 :人間七七四年:2007/10/11(木) 19:52:38 ID:GyJxZJOi
勝頼の嫡男は信勝な。
ちなみにその陣代説も信憑性薄い。

123 :人間七七四年:2007/10/12(金) 06:33:27 ID:VuS7GzQu
滅亡しないためのターニングポイントってどこかな?信虎追放はやっぱりまずかったか?

124 :人間七七四年:2007/10/12(金) 07:16:31 ID:a7wtihjB
村上さんと仲良くしとけば歴史は変わった?

125 :人間七七四年:2007/10/12(金) 19:21:40 ID:CWgxctpu
>>123
やはり西上作戦
あれさえ起こさなければ滅亡は無い可能性が高い
従属もしくは家臣化される可能性は非常に高いが

>>124
村上と仲良くしてたら村上の下風に立たされてただろうな

126 :人間七七四年:2007/10/12(金) 22:57:43 ID:5QvCJGMH
滅亡を防ぐだと西上作戦になるだろうな
天下となるともっと前にまで遡る必要があるけど

127 :人間七七四年:2007/10/13(土) 03:15:25 ID:+oWOfA+U
>>121
今どき勝頼陣代説を真面目に語っているのは、
童門センセイとか、大河便乗出版物の著者くらいなもんだと思うぞw

>>123
滅亡を防ぐにあたっての重要な点、それは信玄の健康長寿。

128 :人間七七四年:2007/10/14(日) 16:26:39 ID:SQ3uSno1
>>124
村上を討たないのは無理だろう。
村上と対立したのはかなり初期の話で、村上とこじれないようにするには、北信濃どころか中信濃にすら出れない。

>>125
西上作戦が、本来は徳川攻略が目的に過ぎないのであったら、あれはアリだったと思うけどなぁ。
家康を討って、遠江と三河を手中にする足がかりができていたなら、大きく変わったと思う。
三方原の段階なら、家康が死んだ場合、織田とは三河以東に関知しないことで、同盟継続も可能な気がする。

129 :人間七七四年:2007/10/17(水) 18:35:44 ID:n+w3dh1Z
武田の滅亡は信玄の婚姻政策の失敗が原因だと思うけどな。
娘婿の穴山・木曽は裏切り、元娘婿の北条に攻め込まれ、敵の大将は娘の元婚約者。
唯一味方の上杉景勝との婚姻は勝頼時代。

130 :人間七七四年:2007/10/23(火) 23:28:15 ID:l9gRMtgl
>>129
武田壊滅の遠因が信玄にもあることはそりゃ明確なことだが、
129の上げている>婚姻政策の失敗、は天正十年の「結果」なのであって
予測などとても出来ないことではないか?
信忠が武田攻めの責任者であることとは織田家中の事情であって
松姫の元婚約者だから、という意味合いなど無いはず。
また、穴山や木曽のあの行動は
娘婿だったから・・・に起因するものでもない。

敵味方表裏一体の戦国動乱の世に、
終末の結果だけからみた少し単純すぎる考え。

131 :人間七七四年:2007/10/26(金) 16:22:15 ID:0+egEXAB
>>130
織田や北条はともかく、簡単に裏切るような奴を婿にしたのは見る目が無かったと言われても仕方ないかと。
娘婿故に諏訪の勝頼を軽視したのは事実だろうし。

132 :人間七七四年:2007/11/05(月) 21:54:41 ID:FtJv86LZ
>>131
>簡単に裏切るような奴を婿にしたのは
それは「歴史を知る後世の人間なら言えること」だろ。

133 :人間七七四年:2007/11/06(火) 23:09:50 ID:PwnyJSv8
主家に殉じて滅亡なんて判断が正しいとも言えんしな

134 :人間七七四年:2007/11/18(日) 14:18:01 ID:zGtZb6c/
dfbdfdfdf





jfgfgj





tutututr





mfmmfhf




kukutk




yeryryrr



135 :人間七七四年:2007/12/30(日) 02:16:05 ID:O/roF3tl
やはり義信事件の禍根が大きかったように思うが。
勝頼は本来だったら、武田氏を継ぐ可能性はまず無い筈だったわけで。
義信失脚時に、ほかの兄貴二人もアウトだったために回ってきただけ。
で、信玄は勝頼を後継者としてのポジションを確立させようとするが、
2ねんかそこらで病死・・・

136 :人間七七四年:2008/01/01(火) 13:44:22 ID:JcPEW5n/
信玄は自分がもめ事になりかけた経験から、嫡子以外は養子or名跡に出すことで、
家督相続をしっかり定めて、争いごとが起こらないようにしたんだろうが・・・・

137 :人間七七四年:2008/01/12(土) 13:27:56 ID:tPoHAK/a
a

138 :人間七七四年:2008/02/06(水) 22:27:58 ID:o/ezx/ln
>>1
上杉家の元で、武田家の支流が存続している

139 :人間七七四年:2008/02/10(日) 18:35:00 ID:Bw+LR3FI
信濃を信長に、駿河を家康に割譲して織田に降伏。


140 :人間七七四年:2008/02/12(火) 12:53:46 ID:7/y6O7re
>>138
なんて今さらな知ったか。

信玄の末男である信清が上杉景勝を頼って
諸役御免の三千石で召抱えられ、米沢へ国替えのさいに
千石減らされたが存続・・・なんて、さんざん語られてることだよ。

竜宝の家系が柳沢吉保のおかげで高家になり、
柳沢家の血を入れて、武田宗家として現在まで存続してることもな。

141 :人間七七四年:2008/02/12(火) 19:47:29 ID:ykaZvThr
ズバリ、長篠の合戦を避ける。

142 :人間七七四年:2008/02/25(月) 23:12:00 ID:owa2nBDt
信忠と松姫の結婚は意味あるぞ?
武田は源氏の血を引いてるから信忠の子供は将軍になれる
織田は一応平家の子孫だからなれんが

143 :人間七七四年:2008/02/26(火) 23:16:15 ID:yxrF8D4U
お前は信長に征夷大将軍の打診があったのを知らないのか

144 :人間七七四年:2008/02/27(水) 19:12:23 ID:SSTzfM/0
将軍って男系子孫だけじゃないの?

145 :人間七七四年:2008/03/03(月) 13:27:06 ID:s5tKW/Nk
父・武田信虎を招いて当主に据える。能力はあるはず・・
とおもったらwikiみると信玄死後、武田家に戻ってきたが
「信虎時代を知る老臣たちは慄き、勝頼に信虎の甲斐入りに強く反対したという。
勝頼も無用の混乱を避けるべく、その意見を受け入れ、叔父・信廉に信虎を預けたと言われる。」

う〜ん 無理があったか

146 :人間七七四年:2008/03/05(水) 14:55:54 ID:gEoDmKOO
そもそも信虎→信玄の代替わり自体が信虎と家臣団の対立の結果なんだし…


147 :人間七七四年:2008/03/24(月) 01:27:04 ID:Qsxr7i75
源氏じゃないと将軍になれないなんて江戸期に成立したヨタ話だろ

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