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明国の皇帝達

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 13:57:14 ID:Zfj54TgS0
ある日、明国の皇帝達は電車に乗って遠足に行く。道の半ば、レールが故障になるから電車が止まる。
洪武皇帝:余が何度も気お付けろって言ってたが、全然耳に入らないこのやろう。
建文皇帝:孔子の本の中にこんな事に遭ったらどうしたらいいのか書いてない。
永楽皇帝:余が自ら修理に行く!誰が責任を負うか分かったら皆殺し!
洪熙皇帝:俺は親父の味方。
宣徳皇帝:余は修理に行くかそれとも座って蟋蟀遊びか?
正統皇帝:手助けに行ったが、ハンマーに脚を叩かれた。
景泰皇帝:ハンマーを拾うが、正統皇帝に奪われた。
成化皇帝:万姉さん、どうすればいい?
弘治皇帝:皆様、慌てるんじゃない、余に任せて。
正徳皇帝:電車から降りて遊びにいった。
嘉靖皇帝:太乙真人(道教の神)お守りを。
隆慶皇帝:何も言わずに座ってた。
万暦皇帝:寝坊中。
泰昌皇帝:オナニしてた。
天啓皇帝:彫刻中。
崇禎皇帝:皆様は上記の人達を見ただろう、余の悪さじゃないと分かってくれるだろう。


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:03:31 ID:1aOMKual0
太祖皇帝が素晴らしかったためか、
明朝の歴代皇帝は立派な人格者が多いな。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:40:37 ID:0CwfyWgr0
立派な親が駄目息子を作る典型例だな。
国内に上下対立に緊張感が無いから、対外政策で馬鹿なことをやる。
安全を慮る余り、自信を付ける機会を奪ってしまった。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 23:08:26 ID:ZtyCdL9v0
明朝の皇帝たちってかなり個性的な面々が揃っているよな。
皇帝だけ見たら、他の時代よりずっと面白いかも。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 00:07:40 ID:APewa02N0
すーていていも他の亡国の皇帝に比べたら評価が高い、というか低くない気がする
有能な人であったが惜しいことに部下を信じることができなかったおかげで・・・みたいな
やっぱり現代中国が異民族国家である清に殺された皇帝に同情してるのだろうか

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 13:20:11 ID:pVKR6dBz0
崇禎帝に同情する論は敵対していた李自成も持っていたからな。
部下不信なのも先代の魏忠賢の徒党の恨み買っていたから
その反動もあっただろうが。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 12:06:06 ID:/3O+eK5f0
明の歴代皇帝−−それは偉大なる人格者たち

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 23:34:54 ID:u0s7QLxJ0
崇禎帝は、袁崇煥を処刑してしまったところで、
かなり経歴に傷をつけてしまったな。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/02(月) 10:06:01 ID:9c9yK4Z10
>>1
崇禎帝ワロタw

>>4
同感。かなりの個性派ぞろいだよな。

>>8
そうなんだけど、それまでの明王朝のツケを一人で背負わされた感があるからな。
最後も悲壮過ぎるし。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/02(月) 23:46:22 ID:zAFrJLNN0
宋の欽宗と明の崇禎帝は似ている

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 23:19:30 ID:fWYfI4Xy0
欽宗は治世が短すぎて、ほとんど評価不能。
徽宗とはそんなに似ていなかったらしいから、そこそこはよくやったかも。

崇禎帝は、努力は認めるが独善的な要素が強い。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 23:21:09 ID:a589Fgl30
ところで諸兄、明代がこんなにも大変な時代になった原因は誰にあると思う?

やっぱり俺は太祖陛k、あ誰か来たうわなんだお前やめろやめぁqwせdrftgyふじこlp;

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 23:37:38 ID:RB1xs3d/0
まあ王朝って創業者の性格が反映されることが多いからねえ

宋と明は対照的な感じだし

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 22:48:41 ID:B/sbqid20
崇禎帝ってぶつくさ文句を言っていそう。
俺はこれだけ頑張っているのに、お前らときたら全く・・・・・・な感じで。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 22:56:12 ID:2KOhiugQ0
洪武帝から永楽帝にすんなり皇位継承されていたら明代はどうなっただろうか?
明代の宦官重用は靖難の変後の永楽帝から始まるといっても過言じゃないから、
宦官の跋扈がもう少し穏やかになったかもしれん。

でも皇帝独裁権強化自体が大元と言えば言えるんだよな。
清みたいにある程度のレベルで皇帝がまともならいんだけど、
明じゃあやっぱり途中から大崩か?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 23:58:30 ID:dyT/Mq6l0
明代の場合、宦官でなくても、宰相でも厳嵩みたいなのがいたんだし、
結局はあまり変わらなかったんじゃないかな?


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 16:37:39 ID:LmF/i2rl0
明代の士大夫は歴代王朝の中でも最低レベルと言われているからな。
八股文書ければ誰でもいいというし。

まあ派閥争い・汚職が蔓延している上に皇帝の一存で杖刑という
特殊な環境じゃ事なかれ主義になるのも無理はない。
むしろ海瑞みたいな硬骨漢が例外。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 01:47:38 ID:e8RnJnU40
明は厳罰があったから官僚のなり手がなくて宋は甘やかしすぎたが滅亡時には殉死する官僚がたくさんでたよな
一面的な見方でしかないけど

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 12:53:25 ID:Ak1oqx2t0
要は、宦官だけが悪いわけではなかったと思う。
明代の宦官でも、忠義を尽くした立派な奴も多少はいたんだし。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 14:56:53 ID:0U0ht/0D0
崇禎は自分と家族の命だけでも守ろうとしたならば、それは可能だった
気がする
その気はなかったろうけどさ

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 23:44:17 ID:wbKZqcvQ0
中国語サイトにあった小説で、
靖康の変の前ぐらいに、なぜだか趙匡胤が復活して、皇帝となり、
金を撃退するなんて話があったけど、
崇禎帝即位時ぐらいに洪武帝が復活して皇帝になったら、
明は再建できただろうか?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 14:22:07 ID:JtqrJQQy0
>>21
できないと思う。
一人の力で歴史の流れに逆らうなんてありえないだろう。
明の政治は腐った、明を滅ぼしたのは清じゃない、一揆だよ。
民は基盤、基盤が崩壊したらその上に立ってある建物が崩すのも明らかだろう。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 12:46:05 ID:8+ijCBH7O
>>22
じゃあ朱元璋が一揆で明朝壊したあとに、また明朝立て直せばいいんじゃね?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 18:20:57 ID:CWSjM3Pv0
奴の粛清の怖さをしってる知識人層が信用せんだろ

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 23:15:48 ID:oFXeSC450
万暦帝ってさ、何となく始皇帝と立場似てない?

幼いうちに即位して、辣腕宰相が腕を振るって、とかいう点で。

親征開始以後が全然違うけどw

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 08:06:48 ID:bpcLqunS0
いくら皇帝独裁といったって、もうこの時代なら官僚組織だって
機能してるんだから、皇帝が政治に興味ないなんてことは、それ
ほどの欠陥にはなりえないのかもしれないと思う
だから明はあの皇帝たちであれだけもったのではないかと



27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 23:19:10 ID:vDJpyU4W0
明朝は政治システムとしてかなり完成形に近かったんだと思う。
実質簒奪が不可能に近い構造だったわけだし。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 14:39:19 ID:JIHwBN9E0
もしかしたら、崇禎が変に頑張らないで、官僚将軍達に任せた方が
長く続いたかも
でもどうせ彼らが対立するからだめか

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 19:38:11 ID:Qvv75yOO0
>>28
明のシステムで皇帝(ないし、信任を受けた寵臣)が第一人者として独裁をかけないと、
銘々勝手に四分五裂するだけだと思う。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 23:58:25 ID:y5m1SPsu0
皇帝さえしっかりしていれば、いろいろできるシステムだしな。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 23:06:17 ID:WoiXteeF0
しっかりしていれば、な。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:23:26 ID:Gp9DIfoL0
■■明清■■*紫禁城*■■故宮■■
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1190507268/

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 00:36:52 ID:r89iVYdH0
51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 15:52:22 ID:pPzZ7iUb0
 明代の皇帝・大臣・豪商・豪族は大変ぜいたくな生活を送り、淫らに婦女を弄び、退廃的な者が非常に多かった。

 明の憲宗朱見深は万貴妃を寵愛し、房中術を習い、大臣・道士・僧侶たちが競って房中の秘方を献上すると、よく信任した。
明の武宗朱厚照は特に荒れすさみ、宦官の劉瑾に俳優や音楽・女色を集めさせ、宮中での遊戯には度がなかった。彼は西方
の異民族の僧に房中術を習い、のちには淫薬を服用し、一日に十数人の婦女と遊んだ。明の世宗は道教を信奉し、道教の方
術を性交の技法の助けとして用いた。

 当時の社会的に淫らな気風は、房中術の研究や発展を促進しただけでなく、道教の外丹術や内丹術にも影響を及ぼした。明
代の道教の金丹術は主に紅鉛や秋石を作ることへ変わった。紅鉛は少女の最初の月経を清水にさらし、丹砂・没薬・童便など
を加えて錬成したものである。秋石は童便から精製した男性ホルモンの結晶体である。そのほかにも道教の内丹術が房中術と
結び付き、陰から採って陽を補い、少女を外鼎として丹を結ぶという閨丹という方法も作り出され、泥水丹法とも呼ばれた。

 性行為の楽しみを増すことができ、寿命を延ばすこともできるとなれば、世の人々がその方法を用いないわけがない。だから、
明代の裕福なちょっとした有力者は、道教で処方する薬によって陽を助けて淫らな行為を行った。皇帝の場合はなおさらである。
明の世宗は紅鉛を好んだだけでなく、秋石も用い、陶仲文や朝廷内の大臣・道士はたびたびこれを献上した。嘉靖31年(1552年)
の冬には、8歳から14歳の300人の処女を首都に集め、嘉靖34年(1555年)の秋にも10歳以下の160人の処女を首都に集めた。
前者は皇帝が閨丹を実習するための外鼎として用い、後者は薬を煉り紅鉛を作るために用いた。当時の人は龍涎香もよく献上し
た。香を嗅いで心を動せば、エクスタシーを助長できると考えられた。明の時代に《金瓶梅》・《肉蒲団》などの小説が世に出たこと
は、もっともなことである。


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 07:06:26 ID:eAC6LxXq0
泰昌帝ってやっぱり毒殺なのか?

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 16:07:44 ID:cGE/THMq0
江夏二妃古墳群から明代の「お宝」陶磁器24点出土―湖北省武漢市

 2007年11月14日、チャイナフォトプレスによると、湖北省武漢市にある文物保護施設・江夏二妃古墳群から、
保存状態の良好な明代の磁器24点が出土した。

 江夏二妃古墳群の墓室は青レンガで彩られた長さ5.1mのアプローチから入る。奥行き5.8m、幅2.4m、
高さ2.3mの墓室内には石の棺があり、この南側から白磁、青磁などたくさんの磁器が出土した。なめらかで
柔和な光沢を持つ出土品は壺、湯飲み、碗、三つ足の香炉などで、龍の文様が施されたものもあった。

 武漢文物考古専門家の許志斌(シュー・ジービン)氏によると、ここには湖北省のスポーツセンターを建設予
定のため、9月より緊急発掘調査が行われていた。そして江夏二妃古墳群の西側30mあまりの地点でも一組
の夫婦の墓が発見され、墓碑とともに磁器数点が出土した。考証を経て、埋葬時期は明代の成化7年(1471年)
と判明した。遺骨は見つかっていないが、埋葬されているのは明代初代皇帝・朱元璋の第6子である朱ジェン
の孫ということが墓碑銘からわかっている。このように製造時期を確定できる磁器は、今後の貴重な研究材料
となる。
最終更新:11月16日11時18分
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071116-00000005-rcdc-cn

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 16:09:25 ID:cGE/THMq0
>>34
もし毒殺なら、すぐに犯人と疑われるようなやり方ではしないだろう。
薬が体質に合わなかったのでは?

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 23:56:53 ID:C6N88zGW0
明朝で一番存在感の薄い皇帝は誰になるだろう?

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 00:06:09 ID:8PJ1bpeI0
隆慶帝かな

かなりましな奴だったらしいけど

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 00:12:50 ID:E79h1C9I0
まともそうなのほど治世が短くて長生きしなくてもいい奴の治世長いからなー

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 13:19:22 ID:RRANy7mo0
張居正が死んだ後、万暦帝もほとんど親政しないうちに死んでくれていればなw

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 13:09:08 ID:4nDvFTJ30
>>1を見る限り、歴代の皇帝たちは、太祖皇帝以来の素晴らしい遺伝子を受け継いでいるようなので、
期待薄かとw

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 16:15:55 ID:7TDtI6hi0
中世の「世界七不思議」!明永楽帝の大報恩寺塔、地下宮殿の入り口判明―江蘇省南京市

 2007年1月7日、中国の「チャイナフォトプレス」は江蘇省南京市で現在発掘調査が行われている大報恩寺塔跡地で、地下
宮殿の入り口となる塔基(塔の基盤)が発見されたとのニュースを報じた。

 明の太宗・永楽帝(在位1402年〜1424年)がその母のために建てた大報恩寺塔は、瑠璃瓦と白磁磚(レンガ)、瑠璃磚で
造られた美しい塔で、別名「陶塔」「瑠璃宝塔」とも呼ばれたと史書にある。高さは約78mあり、当時の南京で最高の建築物
であった。その美しさと珍しさから、イタリアのピサの斜塔と並んで中世には「世界七不思議」の1つに数えられている。

 1856年に戦火により消失した大報恩寺塔の跡地は現在の中華門外に位置し、その上に民家が建ち並んでいた。大報恩
寺塔復元プロジェクトのため、南京市博物館考古学チームは現地にて1年以上にわたる発掘調査を実施。このたび、ついに
塔基を発見した。史書によれば、その地下には宝物を収蔵した秘密の宮殿があるとのこと。
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g14454.html

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 23:49:48 ID:GW1wvoMs0
>>42
太平天国の乱の時に破壊された塔だよね。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 09:23:25 ID:2M5GR5c90
南京名物の美しい塔だったらしい。

もったいないことしたな。

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