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中国が由来の故事成語を挙げていくスレ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 21:34:53 ID:BTFyyOMS0
例えば日本でよく使われる「完璧」という言葉。
実は中国の故事成語なんです。
始皇帝の時代、璧を託された使者がいました。
使者の名前は藺相如。
一代の英傑といえる人物でした。
完全な形で璧を守るという任務を全うしたことから
「パーフェクト」という意味の故事成語となりました。


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:04:27 ID:Zfj54TgS0
背水の陣

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:10:35 ID:RJWhgmjr0
蛍雪の功
晋の車胤が蛍の光で、孫康が雪明かりで書を読んだという故事から、
苦学して成功する意味になったらしいです

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:34:50 ID:0CwfyWgr0
愛国無罪

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 14:47:47 ID:s8maUOH00
造反有理

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 15:36:06 ID:1aOMKual0
【折檻(せっかん)】

 「漢書」の「朱雲伝」に由来。
 西漢の成帝の時代、朱雲が成帝の政治を強く諌めたため、朱雲は皇帝の怒りを招き、朝廷から追い出されそうに
なった。その時、朱雲は欄檻に掴まって動こうとしなかったために、それが折れてしまった。その様子に、成帝は反
省して朱雲の意見を受け入れたという故事。
 本来は厳しく忠告し、叱ることを意味していたが、現代では子供等の目下の者への体罰や虐待の意味が強くなっ
ている。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 17:29:58 ID:W8VxYUcu0
逆鱗に触れる
竜の顎の逆さに生えた鱗に触ると、竜が怒ってその人を殺すという故事から、
天子や主君をいさめてその怒りを受けること、という意味になったそうです。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 17:57:48 ID:Svy0jdlv0
画竜点睛を欠く
竜を描いて最後に睛(ひとみ)を入れない意味で、最後の肝心な仕上げをしないこと。
絵の名人である梁(りょう)の張僧繇(ちょうそうよう)が竜を描き、睛を入れたら
竜が昇天したという故事からきたそうです。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 20:35:14 ID:JClTh+sqO
馬鹿

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 01:07:03 ID:qicqibWn0
>>9

昔、西安郊外の「二世皇帝墳墓」を見に行ったけど
内部に趙高が胡亥を騙している「馬鹿」の状況を
説明している蝋人形館があった。


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 01:43:00 ID:csWowddz0
あまり知られていないのだと・・・・・・・

「散歩」
今でいう麻薬を散らすために歩いたことから・・・

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 13:44:51 ID:t6x+NOXt0
杜撰
宋の杜黙の詩は格律に合わないものが多かった故事から、
誤りの多い著作のことや、いい加減なことを意味するようになったそうです。


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 14:54:07 ID:y4/KPIZm0
蛇足
中国語は画蛇添足

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 16:16:30 ID:csWowddz0
共和

周代に不在の王にかわって諸侯の合議によって政治が取られた、
もしくは共伯の和によって政治が行われた時代が『史記』に「共和」と記されたことに由来し

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 18:40:30 ID:sY/iIl3y0
大器晩成
鐘や鼎(かなえ)など大きな器物はなかなか簡単にはできあがらない意味から、
大人物は晩年に大成するということを意味するようになったそうです。


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 19:22:17 ID:/ty2dYmI0
出藍の誉れ(青は藍より出でて藍よりも青し)
青い色は藍草から採るが、その色はもとの藍色より青い、という荀子の句より、
弟子が学問に励み、師より優れるという意味になったそうです。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 00:03:50 ID:SS0ilgi20
死中に活を求める(死中に生を求める)
後漢の光武帝に最後まで戦いを挑んだ猛将延岑の言葉。
光武帝の軍に対し、何度敗れようと立ち上がりしぶとく戦い続けた。
しかし残念ながら死中に活路を見出せず、降服し斬られた。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 17:26:36 ID:MAq7PV7X0
推敲
唐の詩人・賈島(かとう)が、「僧推月下門」の詩句の「推」を「敲(たたく)」
にしようかと迷った故事から、詩文の字句を練るという意味になったそうです。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 03:46:08 ID:0uxFM+xa0
陳御大の弥縫録はみんな読んでるかい?

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:48:45 ID:8ch11Iki0
断腸の思い

東晋の将軍であった桓温が蜀地方に割拠していた成漢を征討しようとした際に、
兵士の一人が猿の子供を捕まえ、それを追いかけてきた母猿は百里あまりも追いかけた後で死に、
腹を割いてみると悲しみのあまり腸がねじ切れていた。桓温は怒ってこの兵士を罷免した。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 21:22:28 ID:XAhUcoxzO
>>10
阿呆の語源は秦の阿房宮であるという説もあります。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 02:35:25 ID:JMdpgZ4M0
ちんちんしゅっしゅっ

殷の(以下割愛

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 17:12:18 ID:QfX0sH7E0
切磋琢磨
獣骨や象牙を切って磋(みが)き、
玉や石をのみで琢(くだ)いて磨く意味から、
互いに励ましあって学問や人格の修養向上を図ることを指すようになったそうです。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 17:32:12 ID:2upvnoFh0
唇亡歯寒

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 12:42:10 ID:DWTSJYdx0
破天荒
荊州は学問が盛んな土地だが、
科挙が始まってから長く合格して進士となるものがでなかったので、
土地の人はこの地を不作を意味する「天荒」と呼んで自嘲していた。
そして、やっと進士となったものが出たとき「天荒を破った」と喜んだのが由来と云われている。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 03:10:18 ID:85oPmpVP0
上洛の洛は中国の洛陽の洛

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 18:22:10 ID:wH9GPmjw0
登竜門
黄河上流の竜門を登りきった鯉は竜になるとされた故事から、
立身出世の関門や、人が栄達することを意味するようになったそうです。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 20:54:15 ID:mMY8syBS0
むかうところてきなしって町費?

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 11:15:33 ID:1ohCB7cg0
塩梅
臣下の心掛けとして偏り過ぎないバランス感覚が重要であると言う事を説くとき、
料理の味付けに塩と梅を使うが、両者のバランスが重要であることを喩とした。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 00:57:50 ID:vBdQ5A8X0
指南

常に戦場において南の方角を指し示したと言う指南車から

31 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。:2007/05/13(日) 01:59:09 ID:wSeQrUr00
捲土重来・国士無双

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 21:34:49 ID:HnaA6KJd0
始めは処女の如く後は脱兎の如し

擬態を用い相手を油断させ、素早く行動して功を立てる。
出展は孫子

虎の巻

兵法書「六韜」は文・武・龍・虎・豹・犬の六巻があるが、
その中の「虎韜」には兵法の奥義が記されており、
最も重要視された事から秘伝書などの異名となった。

>>28
岑彭


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 21:07:57 ID:3gWhZThV0
>>29
古代の中国の料理では、塩と梅が二大調味料だったらしいね。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 01:53:38 ID:uuKYsLoT0
もしかしたらスレ違いかもしれませんが
質問してもよろしいでしょうか?


昔、中国周辺の異民族(遊牧民?)が
中国帝国の巨大さ強大さを知らずに
中国の皇帝(役人だったかも知れません…)の前で
恥知らずにも尊大な態度をとった話が元になりできた
四字熟語、もしくは故事成語をご存知の方いらしゃいましたら教えてください。
意味は逸話のまんまで「無知ゆえに、自分より優れた相手の前で
エラそうに振舞うこと」のような内容だったと思います。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 01:58:37 ID:9/w2IIhX0
『夜郎自大』かな?

36 :34:2007/06/15(金) 02:08:34 ID:uuKYsLoT0
>>35
まさしくそれです!
助かりました。ありがとうございます。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 23:16:46 ID:wcU5SxCh0
大樹将軍

後漢の名将馮異の渾名、
彼は他の将軍達が自分の功績を自慢している時、
それに加わらず、大樹の根元に座っていた。
その奥ゆかしい人柄から兵に慕われ、
みな彼の配下となることを望んだ。
日本では征夷大将軍に対する尊称(大樹公)として武士の間で使われた。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 20:57:09 ID:7Nc8yiLnO
スレ違いでしたら申し訳ありませんが、質問をさせて下さい。
「人を慈しむ時の目は青く、人を憎む時の目は赤い」いう意味の言葉を知っている方いますか?
もしかしたら四時熟語ではないかもしれませんが…;

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 21:02:58 ID:vGaVc8GW0
阮籍の『白眼視』は青眼と白眼だけど、違うのかな

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 22:40:40 ID:FsoxBGEY0
万事休す

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 03:11:26 ID:TilJuApm0
>32
風俗でやってけそう。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 03:28:30 ID:kIgeH7gGO
>>39
そうかもしれません。
すごいですね…
ありがとうございました!

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 11:50:00 ID:/xz/sbvh0
後漢の初め頃に結構多いがとりあえず一つ

烏合の衆(耿エン伝・ヒトウ伝)

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 22:54:15 ID:s87jGtW70
天知る、地知る、我知る、子知る

後漢の名臣として知られる楊震が東莱郡の太守だった時の事。
深夜、かつて彼が官吏に推薦した王密という人物が、その恩返しにと黄金を持って訪ねてきた。
清廉で知られた楊震が受け取るのを拒むと王密は「深夜なので誰も知りません」と答え、
黄金を置いていこうとした。
楊震は「天が知っている、地が知っている、我も知っている、子(君)も知っている。なぜ誰も知らないといえるのか」
と叱りつけたので、王密は恥じ入った。
これを人々は「楊震の四知」と言って褒め称えた。
ちなみに後漢書では「地知る」ではなく「神知る」と記されている。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 08:42:53 ID:btqJFInT0
間髪を容れず(間不容髪)

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:50:57 ID:yTsM9xaa0
君子に三楽あり

孟子は「君子には三つの楽しみがある。
その一は、父母が健在で兄弟の仲が良いこと。
その二は、俯仰天人に恥じないこと。
最後は、すぐれた人物を教育することで、
天下の主となることは三楽には入っていない」と語った。
なお、孔子は驕楽(驕り)、佚楽(淫乱)、宴楽(酒食)の三楽を戒めている。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 21:46:11 ID:uzJ92nVCO
雲泥の差

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 20:03:52 ID:oDBbHHWg0
泣いて馬謖を斬る
三顧の礼(孔明より前、伊尹が最初とか)
苦肉の計

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 21:28:17 ID:+JxhZOHG0
烏合の衆は後漢初あたりに初めて出て来た言葉だが
日本だと漢書の訳本で麗β食其のセリフに「烏合の衆」が出て来て
秦末の言葉だと誤解された事があったらしい

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 00:21:21 ID:c8Tq/V/x0
大器晩成

後漢の名将馬援は、先祖が謀反人であったため立身出世の道を閉ざされていたため、学問に力を入れなかった。
しかしその後、前漢は王莽に簒奪され馬家は謀反人の子孫では無くなった。
そのため学問があった馬援の兄達は皆出世したが、馬援だけは小役人にしかなれなかった。
馬援が赴任のあいさつのため兄の馬況を訪れたとき、
況は「お前は大器晩成の人間だ、時間を掛けて自分を磨けば大人物になる」と忠告した。
馬援はその言葉を守り、光武帝に仕えて信任され、晩年交阯(ベトナム)の叛乱を鎮圧し、
娘は明帝の皇后となった。

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