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】【春秋時代】晋の六卿について語ろう

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 21:13:01 ID:lMNW1vBJ0
晋の正卿
先しん、先且居、趙盾、げきけつ、荀林父、士会、げき克、欒書
、韓けつ、知おう、荀えん、士匂、趙武、韓起・・・


2 :sage:2007/02/02(金) 21:39:31 ID:lMNW1vBJ0
宮城谷小説読んでる内にはまったんだけど、晏子から孟夏の太陽
の3部との間の話が書いてある本知らないですか?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 22:52:30 ID:+x7QAcJ50
晋の六卿と言えば真っ先に趙盾が思い浮かぶ、父親の趙衰が文公の
腹心だが、趙盾を立てたのは義母の君姫であり、義母の恩に報いようと腹違い
の弟である趙活を趙家の頭領にして、趙同には最大の領地を与えるが趙盾
の思いとは裏腹に、郤缼は下軍の将に最も使いやすい趙朔にして実質的に
趙家の主に趙朔がなる。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 22:59:44 ID:jM6o37uaO
六卿の派閥争い面白れー。

宮城谷小説の知識がメインの、なんちゃって春秋好きである私の一人言。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 23:18:18 ID:+x7QAcJ50
襄公の死後、次の君主には、幼い後の霊公は無理だろうと秦から公子雍
を迎えに、士会らを秦へ送るが霊公の母の必死の懇願に折れ、霊公の
擁立をする。何故か霊公は趙盾と犬猿の仲で、趙盾の暗殺を謀るように
なる。その時暗殺者は趙盾に正義を見たのか自殺して、趙盾に自らの
危機を伝える。

6 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/03(土) 00:10:12 ID:cVdMXS3Q0
知・趙・魏・韓・范・中行

欒氏や郤氏、胥氏や羊舌氏などはスレ違いかな。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 00:41:22 ID:5X+gS4j20
春秋末期は晋の六卿といえばその六氏のことかもしれないが、
それまでは単に晋の大臣(大臣は三軍の主将と副将を兼ねるから定員六人)、
という言葉通りの意味であろうから別に問題ないのでは。

8 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/03(土) 00:42:20 ID:cVdMXS3Q0
三軍三行ね。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 01:14:55 ID:ueHAK0yM0
范、中行氏は斉に行った後存続してたの?

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 07:25:29 ID:UEya5y+MO
存続してなければ范増や中行説の名はのこらんよね。

11 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/03(土) 07:52:14 ID:uL2d2HSD0
あと、范雎もね。
范雎自身は魏の出身だけど、范氏の族人の中には、晋の後身である魏に戻ってきたのもいそうだし、
范雎の性格や行動を見てると、士会から士鞅までのそれと結構似通っている部分が多い。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 22:08:45 ID:iHtmDKiF0
范増ってそうだったのか、正直知らんかった、サンクス

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 00:49:22 ID:zzI2Diy4O
そうだったのか…って根拠はないぞ
氏が同じ以外

14 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/04(日) 00:51:18 ID:d3Kv5nyf0
当時の姓の由来は出身地が多いから、あながち根拠がないわけではないんじゃないかな。

15 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/04(日) 00:52:18 ID:d3Kv5nyf0
なぜ「うじ」と入力して「姓」と変換されるんだろうMyPC

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 01:00:41 ID:zzI2Diy4O
可能性があるのは認めるが、推測であって根拠とは言えないんじゃないかな

17 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/04(日) 01:04:16 ID:d3Kv5nyf0
周の卿士である気概を范増が示したのはどこだったか思いだせんのよね。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 00:20:56 ID:1D7tkfeh0
趙衰〜〜○趙盾〜〜〜趙朔〜〜○趙武〜〜〜趙景叔〜○趙鞅〜〜趙襄子〜
○先軫〜○先且居〜〜先克〜〜〜先穀×
孤偃〜〜〜賈季×
郤芮〜〜○郤缼〜〜○郤克〜〜〜郤リ(郤至・郤犨)×
欒枝〜〜〜欒盾〜〜○欒書〜〜〜欒檿〜〜〜欒盈×
    ○荀林父〜〜荀騅〜○中行偃〜〜〜〜〜〜〜中行寅×     
     荀首〜〜○知罃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜知檪〜〜〜知伯×
               き傒〜〜〜き午〜〜〜き盈×
胥臣〜〜〜胥甲〜       胥童  〜胥午×
                   〜叔向〜〜楊食我×
    ○士会〜〜〜士?〜〜○士カイ〜〜士鞅〜 士吉射×
    ○韓厥〜〜○韓起〜〜〜韓須〜〜韓簡子〜〜〜韓庚〜〜韓康子〜
魏犨〜〜魏悼子〜〜〜魏絳〜〜魏エイ〜○魏献子〜〜〜魏侈〜〜魏桓子〜         

19 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/05(月) 21:46:42 ID:o2h7tkyc0
【趙氏略系】
┌    夙(共孟?)─            ──    穿(    )──    旃(    )
└成子衰(子餘)─┬宣子盾(趙孟)──荘子朔(趙孟)──文子武(趙孟)
                ├    同(原叔)
                ├    括(屏季)
                └  嬰斉(樓嬰)

20 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/05(月) 22:11:30 ID:o2h7tkyc0 ?2BP(4)
【荀氏略系】
荀逝敖┬桓子林父(中行伯)─宣子庚(中行伯)─献子偃(中行伯)─穆子呉(中行伯)─文子寅(中行伯)
      └荘子首(知季)───武子罃(知伯)──荘子朔(知伯)──悼子盈(知伯)──文子躒(知伯)

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 01:03:52 ID:CtMyVhH20
魏氏って春秋の頃ってあまり目立たないよね

22 :18:2007/02/06(火) 04:58:21 ID:aBtKXf6D0
荀林父と荀偃の間は荀庚ですか?荀騅って誰だろう。

23 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/06(火) 20:46:28 ID:Qm9SdMZK0
>>22
荀庚(中行庚)は荀林父の息子ですから、間違い無いです。
荀騅は多分、荀林父の弟で知首の兄でしょうか。

24 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/06(火) 20:54:55 ID:/oKA+bnH0
>>21
魏武子は大夫扱いで一等低い感じのスタートだもんな。

>>23
荀驩と荀騅は同一人物なのかもしれんね。

25 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/07(水) 00:31:57 ID:yz9jZmTH0 ?2BP(4)
畢萬─芒季─武子犨(仲州)─悼子顆(    )┬荘子絳(    )┬献子舒(子荼)─簡子取─襄子曼多─桓子駒
                                     │            └令狐文子頡──魏  戊
                                     └廚武子リ(呂季)─宣子相(呂仲)

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 18:47:56 ID:u61h4oVCO
魏悼子と魏荘子は兄弟だったとおも。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 11:04:02 ID:egESs59uO
欒氏、韓氏、羊舌氏は名族

28 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/08(木) 20:54:11 ID:pnBR9zjn0
とりあえず作ってみた。

【晋】
靖侯宜臼┬釐侯司徒─献侯籍──穆侯費生─桓叔成師┬荘伯鮮──武公称─┬献公詭諸
        │                                      │                  └羊舌文…【羊舌氏】
        │                                      └韓武子萬─求伯───定伯簡…【韓氏】
        └欒叔───欒賓─共子成(共叔)─貞子枝──欒盾───武子書──桓子黶…【欒氏】

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 06:21:20 ID:gxUhPzX/0
魏犨が遺言で若い妻に自分の死後は再婚させるよう言ったが、死ぬ間際には
若い妻を殉死させるよう、息子?に言って息子?は魏犨の正常な時の遺言に
従い、その若い妻を再婚させ、何かの時若い妻の父に助けて貰ったという
話があったような、何かの小説でも載ってたかな。


30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 07:48:57 ID:tjpcMBnD0
>>29
沙中の回廊だろう。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 16:02:18 ID:gxUhPzX/0
>>30
サンクス 気になってたんで読み直します。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/13(火) 19:53:47 ID:vJYiKSVB0
胥臣・・・野人となっていた郤缼を文公に推挙した。
胥甲・・・霊公に近すぎて趙盾に疎まれ追放される。
胥克・・・病により郤缼に卿の位を降ろされる。
胥童・・・詞の寵臣であり三郤を滅ぼし、欒書・中行偃に殺される。
胥午・・・敗れる事が分かって欒盈に協力し共に滅びる。
胥臣の家系図はどうなってるだろう。



33 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/13(火) 20:26:22 ID:66OxE9ic0
>>32
胥甲から胥童までは一本系図でつながってるが、胥臣から胥甲、胥童から胥午のつながりが分からん。
沙中の回廊では、胥甲は胥臣の息子だと書いてるが、胥甲は胥臣の族人の可能性もあるかも。

34 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/13(火) 21:08:23 ID:kZ+3B8/F0
胥甲は胥臣と同じ下軍の佐から登場するので親子と思っていいんじゃないだろうか。
一応まとめておこうか。

【胥氏】
┌司空季子臣─胥甲─胥克─胥童
└胥嬰

胥午と胥梁帯についてはわからない。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 02:31:49 ID:K7e75BJY0
巫臣
 ‖――娘 
夏姫  ‖
   叔向



36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 09:47:56 ID:Qg8DViw9O
>>35
楊食我はその夫婦の子なんですか?

37 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/19(月) 21:02:12 ID:Yx8TGU4T0 ?2BP(4)
【羊舌氏】>>28参照
羊舌文─羊舌大夫─羊舌職┬羊舌赤(伯華)─子容
                        ├羊舌肸(叔向)─楊食我(伯石)
                        ├羊舌鮒
                        ├羊舌虎(叔虎)
                        └      (季夙)

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 07:21:15 ID:tGhYkvou0
楊食我が殺された理由がよく分からないけど、夏姫の孫?だから
つぃてない人なのかな?



39 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/21(水) 13:02:50 ID:A5o4IN9f0
>>38
詞の時の胥童みたく、六卿の勢力を削ごうとして、士鞅や知櫟の逆鱗に触れたのでは?

40 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/21(水) 20:53:49 ID:nVwnSODu0
山狗のような声とかね。

41 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/22(木) 00:42:45 ID:i9x98rNJ0
指摘されるまで申公巫臣と夏姫の娘だというのに気付いてなかった。
叔向は文弱な大夫だと思って侮ってると、結構な実力者でもあったんだな。

42 :29:2007/02/22(木) 08:47:47 ID:YFuilRnm0
やっと沙中の回廊を読んだけど魏顆・魏絳・魏リが兄弟になってます。
又、史記魏世家だと魏顆―魏絳ですね。
>>40
楊食我=山狗のような声ですか?史記だけ見ると六卿の方が悪くみえるので。

43 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/22(木) 21:45:24 ID:i9x98rNJ0
>>42
左伝の楊食我が生まれたときの話ね。
祖母(伯華・叔向の母)に羊舌氏を滅ぼす子だと云われて面会を拒まれたと言う。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 21:54:34 ID:FAUTw4Fc0
頃公の十二年時は趙鞅・韓起・魏舒・中行寅・士鞅・知櫟 が六卿か
このころは晋室の事や正卿になるより、領地を増やす事のみ考えてるみたい。



45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 01:20:10 ID:xM7W/OkaO
趙盾が政権を執ったときから始まってると思う

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 21:35:33 ID:KW84X0GF0
文公が太子を除く公子を晋国外に出したのが晋室弱体の原因か

47 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/02/26(月) 21:48:14 ID:/rFhd8Jz0
いや、やっぱり献公が驪姫に惑わされて、申生を自害に追い込んだのが、
晋室弱体の遠因だろ。

48 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/26(月) 22:02:50 ID:u+jZGQuH0
公族・余子・公行の三族を定めたところで決定づいたと考える。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 16:25:16 ID:mBLYU8PyO
三族のいきさつは分かるが
家臣の子弟が公族になって本当の公の親族はどうなったかわからない。
理屈がわけわかめ。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 21:47:58 ID:Nv2GDesa0
晋には驪姫の乱以後、公族の官がなく晋にひとりの公子もいない
卿の嫡子を公族の官に任命し田土を与える事にした。
成公が自分を推してくれた卿への礼のつもりか又は自分の子
から他の国のような公族を復活させる為か
卿の家が肥大化する基になった。
趙盾より、成公の方がそのつもりがなくても晋室弱体化の原因ですね

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 00:11:04 ID:vKFrzUca0
文公の四年 晋は三軍を編成した。
中軍 将 郤穀  上軍 将 狐毛  下軍 将 欒枝
   佐 郤湊     佐 孤偃     佐 先軫
文公の五年 城濮の戦い
中軍 将 先軫  上軍 将 狐毛  下軍 将 欒枝
   佐 郤湊     佐 孤偃     佐 胥臣
      三行を創設
中行 将 荀林父 右行 将 屠撃  左行 将 先蔑
     清原の蒐・・・三軍に新しい二軍加え五軍とした
新上軍 将 趙衰  新下軍 将 箕鄭
    佐 胥嬰      佐 先都
襄公の六年 先且居・趙衰・欒枝・胥臣の四卿が亡くなる。
中軍 将 狐射姑 佐 趙盾    
      董の蒐・・・陽処父が狐射姑の降格を謀る
中軍 将 趙盾  佐 狐射姑
襄公の七年 襄公死去、狐射姑は翟へ出奔した
中軍 将 趙盾  上軍 将 箕鄭  下軍 将 先蔑
   佐 先克     佐 荀林父    佐 先都
先克に恨みを持つ五人(箕鄭、先都、梁益耳、士穀、蒯得)が乱を起こすも
皆敗れた。
霊公の六年 士会率いる秦軍が晋国を悩ます
中軍 将 趙盾  上軍 将 郤缼  下軍 将 欒盾
   佐 荀林父    佐 ゆ駢     佐 胥甲
      黄父の蒐・・・胥甲を追放する、士会が卿になる
成公の元年 趙盾の引退
中軍 将 荀林父 上軍 将 先穀  下軍 将 欒書
   佐 郤缼     佐 士会     佐 胥克
成公の六年 荀林父が正卿の座を郤缼にゆずり中軍の佐になりたいと願い出る
中軍 将 郤缼  上軍 将 先穀  下軍 将 欒書
   佐 荀林父    佐 士会     佐 趙朔
景公の三年 邲の戦い 
中軍 将 荀林父 上軍 将 士会  下軍 将 欒書
   佐 先穀     佐 郤克     佐 趙朔

  


52 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/03/02(金) 00:16:02 ID:kSX09uUi0
>>51
乙にござる。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 20:36:30 ID:8DPUp8tf0
先且居等が死んだ後、士穀が趙盾や狐射姑を差し置いて正卿になる予定が先克
の邪魔でなれなかったという話は、もし士穀が正卿になってたらと思うな。

54 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/03/02(金) 21:41:16 ID:dszOr4KE0
>>53
もし士穀が正卿だったら、襄公亡き後は秦にいた公子雍が順当に晋侯になって、
襄公の息子の夷皋(霊公)は、ひねくれた人生を送らずに命永らえれたかも。
ただ、そうなると、黒臀(成公)は晋侯になれなかったけどね。
そして、弟の士会も秦に亡命する事もなくなるし。

55 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/03/02(金) 22:28:06 ID:kSX09uUi0 ?2BP(4)
隰叔─士爲─成伯缺┬穆伯穀──貞子握濁─荘伯弱──文伯瑕──景伯彌牟
                  ├范武子會─文叔燮──宣叔匃──献叔鞅─┬昭叔吉射
                  │                                      └范皐夷
                  └彘共子魴─彘求

56 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/03/02(金) 22:29:15 ID:kSX09uUi0 ?2BP(4)
隰叔─士爲─成伯缺┬穆伯穀──貞子握濁─荘伯弱──文伯瑕──景伯彌牟
                  ├范武子會┬文叔燮──宣叔匃──献叔鞅─┬昭叔吉射
                            │                                      └范皐夷
                            └彘共子魴─彘求

57 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/03/02(金) 22:30:00 ID:kSX09uUi0
誤爆続き失礼・・・

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 02:07:22 ID:uKeBCGOg0
文公の四年 晋は三軍を編成した。 633BC
        中軍 将 郤穀   上軍  将  狐毛   下軍  将 欒枝
            佐 郤湊        佐  孤偃        佐 先軫
文公の五年 城濮の戦い 、三行を創設 632BC
        中軍 将 先軫   上軍  将  狐毛   下軍  将 欒枝
            佐 郤湊        佐  孤偃        佐 胥臣
        中行 将 荀林父  右行 将  屠撃    左行 将 先蔑
文公の八年 清原の蒐・・・三軍に新しい二軍加え五軍とした 629BC
中軍 将 先軫   上軍  将  狐毛   下軍  将 欒枝
             佐 郤湊        佐  孤偃        佐 胥臣
         新上軍 将 趙衰  新下軍 将 箕鄭
               佐 胥嬰       佐 先都
襄公の元年 秦軍を殽山で破る、狄を箕で破るも先軫の戦死 627BC
中軍 将 先且居   上軍  将  ??   下軍  将 ??
             佐 趙衰         佐  ??        佐 ??

襄公の六年 先且居・趙衰・欒枝・胥臣の四卿が亡くなる。 夷の蒐・・・五軍のうち二軍を廃する。 622BC
中軍 将 狐射姑   上軍  将  ??   下軍  将 ??
             佐 趙盾         佐  ??        佐 ??
襄公の六年 董の蒐・・・陽処父が狐射姑の降格を謀る
中軍 将 趙盾   上軍  将  ??   下軍  将 ??
             佐 狐射姑       佐  ??        佐 ??
襄公の七年 襄公死去、狐射姑は翟へ出奔した 621BC
中軍 将 趙盾   上軍 将 箕鄭     下軍 将 先蔑
             佐 先克       佐 荀林父        佐 先都
霊公の元年 先克に恨みを持つ五人(箕鄭、先都、梁益耳、士穀、蒯得)が乱を起こすも 皆敗れた。 620BC
霊公の六年 河曲の戦い、士会率いる秦軍が晋国を悩ます 615BC
         中軍 将 趙盾    上軍 将 郤缼     下軍 将 欒盾
            佐 荀林父       佐 ゆ駢        佐 胥甲
霊公の十一年 黄父の蒐・・・胥甲を追放する、士会が卿になる 610BC
中軍 将 趙盾    上軍 将 郤缼     下軍 将 ??
             佐 荀林父       佐??         佐 ??
霊公の十四年 趙穿、霊公を殺害する、三官の設立、趙盾の引退 607BC
中軍 将 荀林父 上軍 将 先穀  下軍 将 欒書
    佐 郤缼     佐 士会     佐 胥克
成公の六年 荀林父が正卿の座を郤缼にゆずり中軍の佐になりたいと願い出る  601BC
中軍 将 郤缼  上軍 将 先穀  下軍 将 欒書
    佐 荀林父    佐 士会     佐 趙朔
景公の三年 邲の戦い 597BC
中軍 将 荀林父 上軍 将 士会  下軍 将 趙朔
    佐 先穀     佐 郤克       佐 欒書


59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 02:14:58 ID:uKeBCGOg0
景公の四年 霊公殺害の罪により屠岸賈の手によって、趙朔の家が皆殺しに
される、赤子の趙武のみ生き残る。                      先穀は邲の敗戦により憎まれており、赤狄を呼びいれ乱を起こそうとするも殺される。  596BC
景公の六年 楚が宋へ侵攻するも救援を送れない為、解揚を宋に行かせ
降伏しないよう「晋軍はまもなく到着する」と伝えさせる。             秦が晋の輔氏に侵攻するが魏顆が秦軍を破る 、父魏犨の愛妾を救った恩を返すと老人が夢に出る。 594BC
景公の八年 断道の会、郤克の怒りを解く為、士会が引退 592BC
中軍 将 士会 上軍 将 ??  下軍 将 ??
     佐 郤克     佐 ??      佐 ??
景公の十一年 鞍の戦い、晋軍は魯、衛の要請を受け斉に侵攻する。
荀首は楚に人質になっている荀罃と人質交換を鄭に依頼する。                                                                   巫臣が楚から夏姫をつれ亡命する。 589BC
中軍 将 郤克 上軍 将 荀庚  下軍 将 欒書
     佐 荀首     佐 士燮      佐 趙同
景公の十二年 晋は三軍を増設して六軍を作る。588BC
新中軍 将 韓厥   新上軍 将 鞏朔   新下軍 将 荀騅
       佐 趙括       佐 韓穿       佐 趙旃
景公の十六年 趙同、趙括兄弟が中傷により誅滅される、趙武は韓厥の助力
により趙家を再興させる。583BC
中軍 将 欒書   上軍 将 荀庚   下軍 将 ??
     佐 荀首     佐 士燮      佐 ??
詞の三年 秦の軍を麻すいで破る。578BC
中軍 将 欒書   上軍 将 士燮   下軍 将 韓厥
     佐 荀庚      佐 郤リ      佐 知罃             
         新軍 将 趙旃   佐 郤至
詞の五年  郤リ、郤至、郤犨の三人は伯宗を嫌い、中傷により殺す、
子の  伯州犂は楚に逃げる。576BC
詞の六年 鄢陵の戦い。 魏リは楚王の目を射るも、養由其の一矢にて絶命
する。苗賁皇の策により楚を破る。575BC
中軍 将 欒書   上軍 将 郤リ   下軍 将 韓厥
     佐 士燮       佐 中行偃      佐 知罃             
      新軍 将 ??       佐 郤至


60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 02:22:00 ID:uKeBCGOg0
詞の七年 詞は胥童ら寵臣と謀り、郤リ、郤至、郤犨の三人を滅ぼす。
胥童は欒書、中行偃に殺された。 574BC
詞の八年 欒書、中行偃は詞を殺害した。王都から悼公を迎える。 
573BC
中軍 将 韓厥   上軍 将 ??  下軍 将 ??
     佐 ??       佐 ??      佐 ??   
悼公の九年 楚は侵攻しようとした、子嚢は言った「国君は明察、臣下は
忠誠、上位者は謙譲、下位者は努力を惜しまぬ、かかる状況では
晋に立ち向かうのは良くない」。 564BC
中軍 将 知罃   上軍 将 中行偃  下軍 将 欒檿
     佐 士匃       佐 韓起       佐 士魴   
新軍 将 趙武       佐 魏絳
悼公の十三年 綿上の蒐。 士匃が譲ったので下位者は皆譲り合った。 
560BC
中軍 将 中行偃   上軍 将 趙武  下軍 将 欒檿
     佐 士匃       佐 韓起     佐 魏絳   
悼公の十四年 遷延(ぐずぐず)の役、 欒檿は勝手に退却する、成果の
ない戦に欒ケンと士鞅は秦軍に突入し士鞅のみ生還する。 
士鞅は欒檿に 脅迫され秦に亡命する。 559BC 
平公の三年 平陰の戦い、晋軍は斉に進攻する。 555BC
中軍 将 中行偃   上軍 将 趙武  下軍 将 魏絳
     佐 士匃       佐 韓起     佐 欒盈
平公の四年 中行偃が病死した。士匃は斉に侵入し穀に達したが、斉の霊公
死去の報告を聞いて引き上げた。鄭の子蟜が亡くなった事が
晋公に報告される。晋と斉は講和する。 554BC   
平公の六年 士匃は欒盈を国外に追放した、羊舌虎らを殺し、叔向が幽閉された。
    叔向は祁奚により放免される。552BC  
平公の八年 欒盈は胥午を訪ね協力を求める、魏舒を味方に得て晋都、絳に
攻め込んだ、士鞅は魏舒を味方に付ける為、迎えに行き平公が
父士匃の元にいると告げ、魏舒を連れて行った、欒盈は敗れた。
550BC  
平公の九年 鄭の子産は晋への礼物が重すぎと士匃に訴え、諌めた。549BC
中軍 将 士匃   上軍 将  ??  下軍 将 魏絳
         佐  ??     佐  ??     佐 程鄭
平公の十二年 宋の向戌の仲介により晋の趙武と楚の子木とで盟を交わした。  546BC
中軍 将 趙武   上軍 将  ??  下軍 将 ??
         佐  韓起     佐  ??     佐 ??


61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 02:33:46 ID:uKeBCGOg0
すごく読みにくくてすみません、
悼公元年から遷延の役までは晋の黄金時代ですね。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 05:27:22 ID:omAaomK90
胥臣と賈侘は別人ですよね?

63 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/03/06(火) 23:24:36 ID:D0b99WWn0
そりゃ別人でしょ。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 14:25:28 ID:4yy0fe3DO
謎の司空季子

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 16:19:11 ID:I/UsXC+q0
趙武後、晋の宰相は韓起―魏舒―士鞅―趙鞅―知瑶でok?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 06:27:25 ID:IRlOtLxQ0
このように思うがどうだろう。
 名宰相  一位韓厥、二位士会、三位趙盾
悪い宰相  一位欒書、二位趙鞅、三位趙盾

         
      

      
      



67 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/03/10(土) 07:37:29 ID:NqMj1tFe0
>>66
いや、こんなんでは?

 名宰相  一位韓厥、二位士会、三位趙武、次点知オウ
悪い宰相  一位士カイ、二位趙盾、三位荀林父、次点中行偃


68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 23:11:11 ID:YRiHeE1N0
天官 大宰

地官 大司徒

春官 大宗伯

夏官 大司馬

秋官 大司寇

冬官 大司空

何だか風雅な官職だな。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 23:24:53 ID:N6868e2W0
>>68
分からないけど六卿の別名?

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 20:52:47 ID:TvTfkGPm0
十二国記ておもろいですか

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 21:43:30 ID:aD/0kbL+O
知氏はどの辺りから力をつけてきたの?士会の頃は名前も出てこないのに

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:34:06 ID:phS3pqcT0
士会のころに荀林父って人がいたと思うが、その子孫の分家。本家は中行氏だったかな。
そのころは士氏も范氏っていう名前になってる。

んで、中行氏と范氏が、趙氏を滅ぼそうとしたときに、知氏の当主が晋の宰相だったが、
趙氏の味方をして、中行・范氏を倒し、その領土を分け取りにしたあたりで、
晋国内では一番強くなったのかな。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 07:36:29 ID:DJVeAh99O
趙氏って三度滅亡の危機をよく乗り切ったよな

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 12:02:27 ID:x3pFE+HTO
>>71-72
>>20にあるように知氏の初代は中行林父の弟だよ

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 22:25:44 ID:YzY6mJq60
>>73
趙朔と趙憮恤の話と趙盾の失脚時か趙鞅の中行・范氏との戦いですね。事件名が分からない
のでややこしいけど、孟夏の太陽2冊目(1冊目は紛失)買ってしまった。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 10:15:51 ID:8eOvOk4PO
無恤(あわれまない)って名前はひどいな

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 23:28:10 ID:vCmkN7vG0
中行・范氏との戦い開始が前四九七年で、中行寅・范吉射の斉への逃亡が
前四九〇年、知瑶が韓・魏・趙氏と共同で中行・范氏の領地を分割して所領
にしたのが前四五八年らしいのだが、それまで中行・范氏の残党が残って
いたのか?又はそれまで知瑶の暴走を抑える人物がいたのだろうか。


78 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/03/26(月) 21:09:05 ID:Mm1A+W9K0
>>77
知瑶の祖父の知櫟や趙鞅達が、名目上は中行・范氏の領地のままで、
晋公を差し置いて実質的に支配してたんじゃね?
知櫟は知瑶以上に強欲だけど、かなりの慎重居士でもあるから、趙鞅達と示し合わせて、
事を荒立てないように名より実をとる方策を取ったのかも。
で、知櫟の死後は、趙鞅が紀元前463年に死去するまで知瑶を抑えてたと。


79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 06:23:32 ID:ZkLQI1ss0
なるほど趙鞅が長い間、実力者の位置にいたみたいですね。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 06:55:33 ID:XJ90bqJr0
知氏も知櫟の父、知盈が亡くなった時に卿から降ろされそうになった事が
あったが、(実際に士魴や魏相の後は卿になれなかったので)一大夫のまま
なら、これほど力を持てなかったと思われ。
平公が独断で寵臣を卿に任じたら、詞の二の舞になるか又は、六卿の力を
削ぐ最後のチャンスだったか。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 15:16:42 ID:4A+4/k9S0
知首・知罃の遺徳は残っていたからだろうが、
何で料理人があんなに偉そうなんだろう。

82 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/03/30(金) 21:19:35 ID:LDN5Ulgx0
>>81
料理人って誰?

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 05:09:23 ID:mjFArEQC0
晋の知盈が亡くなった時、葬儀も行わぬ内に平公は酒宴を催した、その席で料理人の
屠蒯は楽師に酒を飲ませ「汝は国君の耳にして、聰(鋭敏な聴力)を司るのが役目、
股肱が毀損したのは忌み日にまさる痛心時。しかるに汝がこれを国君に申し上げず
音楽を奏したのは聰ともうせぬ。」更に寵臣に酒を飲ませ「汝は国君の目にして、
明を司るのが役目。しかるに国君の容は卿佐の喪にふさわしい物でないのに、汝が
それを目に止めぬのは明とは申せぬ」こんどは自分で酒を飲んで「味は気を流通させ
、気は志を充実させる。志によって言が決まり、言によって命令が出る。臣は味を司る
のが役目。この二人が役目を果たさぬのに国君が処罰命令を出さなかったのは臣の責任
でございます」平公は納得して酒宴をやめさせた。これまで平公は知氏を廃して自分の
寵臣を立てようとしていたが、この件で考えを改め知櫟を下軍の佐に任命して、申し
わけにした。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 23:53:52 ID:DTPxzBB/0
魏絳は悼公の寵臣といえるかな、当時の宰相の韓厥・知罃・中行偃との
関係は良好みたいだが。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 21:41:21 ID:+uUQ11R/0
魏絳と韓厥は出世の仕方が似ている。

86 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/04(水) 21:59:21 ID:1QBVK5BW0
パターンはあるだろうね。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 17:52:17 ID:0f3ZglTPO
宰相にあたる正卿でも本当に実権があった人はかなり限られてるね

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 22:11:25 ID:5GCckdyD0
>>87
実権のないというと誰だろう?
とりあえず、中行偃<范カイかな。

89 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/04/06(金) 23:51:52 ID:qQCWTd6t0
>>87
後、荀林父<先穀、士会とか。

90 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/06(金) 23:57:28 ID:VQduNSci0
基盤の弱い正卿だと先軫が浮かぶかな。
兵権のない士爲や荀息が正卿に準えられないのが残念。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 15:15:48 ID:S5QjN/8f0
叔向って何で正卿にならなかったの?

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 15:20:04 ID:K4sKgsZH0
【都知事選】浅野史郎氏、志同じならと民団に支援を要請
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/11%374623990/

東京都の人は、ぜひ読んでみてください。
現在、朝鮮総連や民団その他の反日団体が、総がかりで浅野を応援しています。
浅野が知事になれば、たぶん東京は終了します。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 20:29:04 ID:jWAm+6C50
>>90
献公が上軍の将・申生が下軍の将というように公族が兵権を独占してたの
ですかね?
>>91
趙武らの後ろ盾はあったものの、叔向=羊舌氏の地力は趙、韓、魏、范、
中行、知はもちろん祁氏より小さいはず。

叔向の下に祁午、張趯、籍談、女斉、梁丙、張骼、輔躒、苗賁皇の八大夫
あり、とあるが六卿の下はどんな位があるのですかね。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 14:23:23 ID:aSQPaq8TO
申生ら三公子が追放されたときに兵権が卿大夫に移ってしまったのではないかな
献公が桓荘族を滅ぼしてしまったから、親族に三公子のあとの受け皿がなかったわけだし

95 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/11(水) 23:18:50 ID:i5HyHift0
晋の悼公即位時に任命されてる人たち。(春秋左氏伝より))

【太傳】士握濁
【司空】右行辛
【卿】魏相・士魴・魏頡・趙武
【公族大夫】荀家・荀会・欒黶・韓無忌
【公車御】弁糾
【公車右】荀賓
【中軍尉】祁奚
【中軍副尉】羊舌職
【中軍司馬】魏絳
【中軍候奄】張老
【上軍尉】鐸遏寇
【上軍司馬】籍偃
【公御者】程鄭

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 03:33:23 ID:DE/mVCEc0
予想ですが、名君悼公即位時の卿は韓厥・知罃・中行偃・范カイ・魏相・士魴
・魏頡・趙武の順番で4軍でしょうか、魏頡は魏絳の兄で魏本家の当主という
感じですかね、いきなり2卿の魏氏はまだ魏絳の活躍前なのに

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 04:16:19 ID:DE/mVCEc0
BC573の2月に悼公即位してその時点では、欒書・韓厥・知罃・中行偃・
魏相・范カイ・士魴 ・魏頡という感じか、そして11月前後に韓厥が正卿に
なって12月に魏相没後に趙武が卿になる方が正しいかな。
魏絳は魏犨の末の子という話もありますか。


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 22:39:47 ID:cGf1GFHI0
悼公即位時点では中軍の将、欒書・佐、中行偃・上軍の将、韓厥・佐、范カイ・
下軍の将、魏相・佐,知罃・新軍の将、士魴・佐、魏頡。が、つじつまあう感じ
かな、
公族の官と公族大夫は別物みたいだが、四軍だから四人の公族大夫となる
かと考えるのだがどうだろう、
太傳=晋公の教育係で実権はありそうだが、特に権力があり大夫の中で
上位とかあるのだろうか?
中軍候奄の張老=張孟に、中軍尉の祁奚、上軍司馬の籍偃、このあたりの
大夫は存在感が大きいですね。


99 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/12(木) 22:53:34 ID:qJJ6Q4Eo0
公族大夫に荀家・荀会・欒黶・韓無忌が並んでいる。
ということは欒黶・韓無忌(荀家・荀会の系譜は不明)の父にあたる
欒書・韓厥が卿、あるいはそれに相当する地位なのはほぼ間違いないだろうね。

100 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/12(木) 22:58:29 ID:qJJ6Q4Eo0
>>98
太傳と司空は名誉的ポジションだと思う。
士握濁は范氏の本家だから上位に祀り上げられたのだろうし
右行辛はこの頃の晋公室では最長老じゃなかったかな。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 16:40:17 ID:NfYTdQ2E0
魏絳は魏相・魏頡の後をうけて魏氏の当主になったものだと思うが、傍流にいた
者が急に当主となる事に、一族内から不満がでるという話は公族ではよくあるが、
大夫の一族間の勢力争いというのは、あまり聞かないな。趙朔 の時に趙同・趙活
が、それぞれ当主としての根拠を持っていた事により不満を持っていたぐらいか。



102 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/14(土) 21:54:54 ID:7istsok70
趙括は初めて公族大夫になったうえ、文公の外孫だもんな。
趙朔が成公の婿なだけに対抗心があったのだろうか。

時代が下って邯鄲午は本家の趙氏に反乱していたり、
知氏と中行氏が揉めてたりするのは同族争い。
叔向が叔魚を見捨てたりするのも同様かな。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 13:04:57 ID:LQoJJbQLO
文公の頃は中軍の将=宰相という感じではなく、
軍事に優れている人物を将として据えていたのかな

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 15:35:05 ID:9KsdsDJy0
当初は郤氏の二人を中軍に、欒氏を下軍に置いているんだし、
名族への憚りはそれなりに大きかったと思うのだけど。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:55:07 ID:7FKAmcXp0
大部分を想像で仮定してみたのですが、こんな序列でどうですか?
趙衰は実力者ながら常に謙譲して下の地位にいたものの、先且居が宰相になれば
補佐する為、中軍の佐は妥当かと、欒枝と胥臣が将となって、趙衰と同格であった
胥嬰・箕鄭・先都が続き、狐射姑と荀林父がどこに入るか、郤湊はいつまで現役で
あったかと。
郤湊・胥嬰・箕鄭・先都がいまいちどのような人物か分からんです。
あと実力でいえば陽処父もいましたか、卿にはなってないはずですが。
BC627、中軍将、先軫・佐、郤湊・上軍将、欒枝・佐、狐射姑・下軍将、胥臣
・佐、趙衰・新上軍将、胥嬰・佐、箕鄭・新下軍将、先都・佐、荀林父
箕の戦い後
BC626、中軍将、先且居・佐、趙衰・上軍将、欒枝・佐、狐射姑・下軍将、胥臣
・佐、胥嬰・新上軍将、箕鄭・佐、荀林父・新下軍将、先都・佐、郤缼


106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 07:04:55 ID:037Pch3d0
文公の頃は卿である事より、文公に近く意見を重要視された、孤偃・趙衰の影響力
は大きそうですね。
郤・先・胥氏から二人同時に卿になるが、孤氏の兄弟と違い血縁が遠く、それぞれ
別の勢力を持っていたのかも?
襄公即位前後は卿の序列は不明なのが多い。
とりあえず三行の将は、新軍の卿のすぐ下の地位なのかどうなのでしょう。


107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 21:19:31 ID:qCtJC8PN0
>>104
確か、郤穀と欒枝は晋国内で文公の帰国の手助けをしてたはずで、郤氏の二人
を大族郤氏の総帥にするつもりで高い地位を与えたとも考える。
右行の将、屠撃(左史伝)は先穀(史記晋世家)になってます、この先穀は
先且居の孫とは別人だろうし、屠撃とは他に名前がでてきますか?

108 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/16(月) 23:39:50 ID:IikKazQy0
晋は武公の統一まで内乱で、都市が戦争慣れしてるんだよな。
郤氏はともかく欒氏と韓氏は公室と同族。大族はこのあたりじゃないだろうか。

>>104
その先穀は先蔑の間違いじゃないでしょか。

109 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/16(月) 23:40:31 ID:IikKazQy0
誤:>>104
正:>>107

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 18:39:51 ID:KndYP9120
正卿になったばかりの趙盾は切れ者みたいだな(箕鄭らが乱を起こした時の処置など)。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 19:06:58 ID:/+FfOj1qO
趙盾は切れ者でしょう。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 21:22:28 ID:zerRbvCm0
春秋時代で一番好きな話が、士会が秦に亡命して晋を攻撃するようになった時、
士会の重要性を郤缼が説き、趙盾が受け入れる事なんだよな。
苗賁皇・伯州犂・伍子胥など亡命して活躍する人物は多いけれど、再び戻って
活躍したのは、士会ぐらいかな、その場を与えた趙盾が評価されて欲しいな。


113 :出勤中:2007/04/19(木) 08:22:50 ID:vEGVQm4jO
趙盾の場合、突っ込みどころも多いもんね。
いくら暗君とはいえ主君殺しの汚名は消せない。
趙括を公族に見立てて公室の基盤を決定的に弱めている。
趙穿を処分せずにいたら悼公の代で卿になってしまっている。

そら反感も買うわなと。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 20:27:00 ID:TWcFXWKa0
趙盾は器が大きい反面、鈍感な感じがする。
趙穿を処分しなかったのも、あえて汚名をきたのかと。
仮に士会があのまま秦に残れば伍子胥並に活躍してたかも。
趙盾ひいきの意見だけど。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 23:50:19 ID:dVSNYLgL0
趙盾の悪い面は霊公・趙同・趙括を指導する事ができなかったことか。

116 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/22(日) 00:46:54 ID:tKBuCAcV0
趙盾が弟たちを指導できないのは仕方ないと思う。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 11:55:57 ID:PUJBkvJ00
趙盾

118 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/22(日) 22:03:57 ID:tKBuCAcV0
趙盾自身の述懐で「自らは夷狄に生まれ育ち云々」てのがあって、
文公の子ふたり(趙盾の従兄弟でもある)は狄に残っている。
文公の義理の甥であったとしても、屏季括は文公の外孫。

趙家の中では意外と発言力がなかったのではないかと。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 01:10:14 ID:cIv8Po3N0
賢夫人とされる君姫は、文公の亡命時のいつごろの娘だったのだろう。
趙盾よりは若いはずだが狄を出てからか、案外趙盾の従妹という事は
ないだろうが。

120 :妄想半分すまぬ:2007/04/23(月) 15:25:11 ID:xeNUynt+O
蒲城にいたころは舅犯の娘が妻。これは夭折して子がない。
文公の滞在期間が長いのは狄と斉。狄では2公子を儲けるも晋に入国せず。
んで重耳の亡命に付いて他国に出た妻子は太子歓とその母・杜祁以外に記録がない。
鄭を通過するときに趙衰が60才。享年が76だったとして君姫が子を産める年齢を逆算。
こう考えると君姫は斉以降に生まれた可能性が高いね。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 15:38:56 ID:3E4KNfDW0
紀元前655年 重耳が80人の従者と共に狐氏の邑へ行く。
   654年 趙衰と(隗氏の族長の娘)叔隗の間に趙盾が出生する。
   651年 献公死去。里克・丕鄭乱を起す。
   650年 恵公夷吾即位する。
   645年 恵公、秦軍に敗れ捕虜となる。子圉を人質として、恵公帰国する。
       斉の管仲死去
   644年 趙盾10歳の時、重耳は狐氏の邑を去る。
   637年 懐公圉即位する。
   636年 文公重耳帰国し即位する。
   635年 文公の妻、季隗は二人の子を狄に残し晋へ行く。
   634年 叔隗・趙盾のもとに文公・趙衰からの迎えの使者が来る。
      君姫は趙盾に才能ありと認め、文公に固く請うて、趙盾を嫡子として
      自分の生んだ三子の地位を下げ、叔隗を嫡妻として自分はその下位についた。
   622年 趙衰死去。趙盾が33歳で趙氏の総帥となる。
   621年 董の蒐により、趙盾が晋の正卿となる。

君姫が趙盾より年上でないと合わないかな、趙朔と趙同が同じ年だったかな。


122 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/23(月) 20:58:58 ID:bZEDHWvb0
君姫≧趙盾でも君姫≦趙盾おかしくないではないね。
ただ>>120を読んで重耳が子供を連れて亡命していないなら君姫≦趙盾じゃないかね。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 19:25:40 ID:qSbgq3vRO
70前後の爺さんに幼い娘を嫁がせる文公マンセー
キッチリ子を作ってよこす趙衰マンセー

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 06:56:59 ID:Hsn1BkmC0
重耳が亡命した年に、晋に虞国が滅ぼされ、重耳の異母姉穆公夫人が秦に高齢で嫁ぐ
というケースもありますね。

125 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/04/26(木) 21:44:37 ID:FBAY7WFo0
そのわりに子供3人の穆姫はすばらしい。申生の姉だったっけ?

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 00:41:14 ID:G0v2GYfcO
六卿を語れよ

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 04:32:29 ID:25qZ827VO
六卿でなく晋を語るスレになってるな
まあ何かと晋が春秋時代の国で一番ネタが多いからね

128 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/05(土) 22:34:01 ID:ALC+Bnmo0
>>37訂正
【羊舌氏】>>28参照
羊舌産?─羊舌文─羊舌突─羊舌職┬羊舌赤(伯華)─子容
                                ├羊舌?(叔向)─楊食我(伯石)
                                ├羊舌鮒
                                ├羊舌虎(叔虎)
                                └      (季夙)

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 11:36:16 ID:UwPL/9Na0
>>128
羊舌肸=叔向で何か問題ありますか?


130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 16:21:21 ID:zuMSyney0
肸の字が表示されなかっただけでしょ

131 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/08(火) 00:51:45 ID:uoTukU+40
IEで書き込めばよかった。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 01:01:02 ID:HN/GfKJg0
三国志の羊コの一族につながるの?

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 17:25:14 ID:qOtHzmTUO
つながらないっしょ。
羊舌氏は族滅させられてるはずだから。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 21:59:49 ID:7952QhV40
でも羊姓の祖なんでしょ?

135 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/10(木) 22:07:08 ID:q+XPsu5X0
羊氏は周の官名が元になってたはずだけど。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 03:49:32 ID:tuXsk1oOO
晋では難を避けるために隠れたり、亡命したり、捕虜になったりと困難を経験した人から名臣を輩出することが多い。
例えばゲキ欠、士会、知武子、趙武など。
これも逃げの重耳を生んだ晋のお国柄かな。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 14:37:31 ID:p4UCwFI8O
公族や卿大夫の亡命は後継者争いの副産物だからねえ。どこにでもある話だろうけど、
晋の場合は卿大夫の家々が他の国の公族並みの力があるからではないかと。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 19:00:01 ID:bUTOmJC40
重耳が献公の死後、里克の誘いに乗って晋に帰ったら、
やっぱり名君といわれるまでの活躍はできなかったかな。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 21:19:10 ID:jbtxnQwQ0
>>138
全く違った転回になりそうだな。
>>136
困難を以って名臣になったというと、郤缼・士会・趙武は
必然かなっと思った。知罃は商人が楚からの脱出の誘い
を断った事が案外、楚の共王に見込まれ評価が上がったかも。


140 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/11(金) 21:20:09 ID:/ETtN8Wo0
宮城谷小説のアレ?

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 01:15:49 ID:uq4xvIe+0
元ネタ回廊だよねおそらく。

前出だが范・中行両氏が斉に亡命してからの資料がなかなか無いんだけど、
亡命後は斉で客卿待遇とかのままでフェードアウトしちゃったのかな。


142 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/12(土) 01:19:54 ID:s4txPzbe0
漢に仇なす笵増と中行説

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 02:32:15 ID:ppGsdmMd0
欒氏は斉に残らなかったのですか?

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 03:57:21 ID:ppGsdmMd0
士から范へと変わったように
范氏のその後は姓を変えたという事はないですかね、
斉は田常の頃から有力な大夫は田氏以外であまり知らないな。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 15:56:09 ID:uRtxWqlTO
斉には高氏と国氏が両卿としていたのにね。
魯の三桓氏や鄭の七穆らもいるけど残った家は少ない。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 21:55:28 ID:WHdUb29M0
>>143
欒盈が晋に戻ったときに、残らず付いていったんじゃない?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 16:21:40 ID:KlzqL74G0
欒盈は范氏さえ倒せば、晋に復帰できたんだろうか、
仮に魏氏が味方に付いた場合、中行氏は范氏に付きそう
だし、趙・韓氏を交えて結局復帰は無理ぽいか。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 13:52:26 ID:5CKfy9BMO
六卿と括って言い習わしも六卿の時代は意外と短いよね

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 16:38:37 ID:BPDRuYK40
趙氏に限って言うと、趙武ー趙成ー趙鞅の三代ですか、
この頃の六卿は国主と考えられるのかな、家宰が宰相と
呼ばれていたり。
中行・范氏亡命後も傍流の人物が卿になってたみたい
ですが、知遥が政権を執った時には、まだ六卿だったの
かな。




150 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/20(日) 19:25:18 ID:5291+4e/0
六軍に当てはめりゃ范・趙・知・中行・魏・韓なのは当然なんだろうけど、
欒氏や胥氏、あるいは鞏朔を卿に数えないのはたしかに不自然だよねえ。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 19:42:10 ID:au8Y/jIR0
晋陽の戦い?までが春秋時代と思ってたけど
韓・魏・趙が周王から諸侯と認められるまで
一般的に春秋時代なんですかね。

152 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/22(火) 21:10:23 ID:j+XAu7Ib0
じゃあ暫定B.C.403年で。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 21:32:35 ID:jlKkbjBM0
六卿だけだと段々ネタ尽きてきたな・・・

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 17:42:55 ID:UcNy2xpY0
献公はもっと評価されてもいいと思う

155 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/26(土) 21:03:25 ID:lUKD1J1T0
マイナスの部分が大きすぎるから・・・

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 22:15:59 ID:eJlQ9Dd+0
前685年 斉の桓公即位、管仲を補佐とする。
 676年 献公即位
 669年 献公は桓・荘の族を滅ぼす。
 667年 斉の桓公、王命により、覇者となる。
 666年 献公は大子申生を曲沃に、重耳と夷吾を
    捕と屈の守り手とする。
 661年 晋は二軍を作り、耿・霍・魏を滅ぼした。
 658年 荀息は名馬と壁を虞へ贈り、虢を攻める道を
    借りる。晋と虞は虢の下陽を滅ぼす。
 656年 驪姫の陰謀により、申生自殺する。
 655年 晋は虢と虞を滅ぼす。
 651年 献公死去。
献公というと、晋の領土を急拡大させた全盛期と
斉の桓公の活躍する時期はダブってますね。。

献公の時には晋<斉だみたいでけど、
国土では晋>斉のような。




157 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/26(土) 22:22:30 ID:lUKD1J1T0
斉はその間に鄭や魯、衛という姫姓を配下におさめてるからねえ。
威信では敵わない。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 18:01:37 ID:M9Qw5rLq0
そう考えるとやっぱ桓公と管仲は凄いな

159 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/27(日) 21:56:13 ID:YxQOAkWo0
斉に話を広げていいのなら。
管仲が執政しているのを大夫家の鮑叔が支持していたとしても、
卿たる国氏・高氏が全く不満を現さないのが不自然かな。

あと隰朋は士氏と何らかの血縁があると思う。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/28(月) 05:50:11 ID:x79IsScD0
>鮑叔が支持していたとしても、 卿たる国氏・高氏が全く
不満を現さないのが不自然

鮑叔がいなければ国君に立てなかったのでは、
重耳の時の晋に例えると
鮑叔=狐偃・趙衰で国氏・高氏=欒枝・郤穀といった
感じかと想像するけど、狐偃・趙衰が自分より遥かに
勝る人物として推せばどうですかね。

>隰朋は士氏と何らかの血縁があると思う

何故ですか?


161 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/28(月) 20:58:47 ID:fl42JC2U0
>>160
>上段
管仲以前に管氏の卿大夫を知らないんで。
国策顧問として一代限りの師傳だったのかな。

>下段
>>55の「隰叔─士爲」この部分。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 16:47:48 ID:Ml6fXh0sO
管仲以後(シャレじゃないよ)にも管氏は出てこないよね

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 21:57:18 ID:xW5Ak+J50
管氏と検索すると・・

とりあえず宮城谷小説の管仲でも読もうと思う。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 22:18:01 ID:dmFNzotc0
>>154
マイナスとプラスならはるかにプラスの方が大きいよ
武公の頃の領土のままなら文公も覇者にはなれなかったと思う

愛妾の子供を太子にってそんなに珍しいことじゃないし、
死後の争乱なら桓公も同じ

165 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/29(火) 22:35:18 ID:DbeoIz3j0
オレへのレスかな?

死後の騒乱もだけど、献公は従兄弟・またいとこをほとんど滅ぼしているわけで。
残った一族は>>28くらいしかいなかったと。
実力ある公族が少なすぎて臣下に実権を奪われやすくなる例としては曹魏に似てるね。

公族が弱く卿大夫が強い。支配力の低下に直結するだけにマイナスじゃなかろか。

166 :164:2007/05/29(火) 23:39:20 ID:dmFNzotc0
>>155だった、、、

>>165
それまでが西晋に似てるくらい桓荘の族の害が大きかったんだろし、
元々分家が乗っ取ったから本家系の一族がいないのは仕方が無い
それを修正出来なかった恵公、文公などにも一因があるのでは、、

諡号も良諡だし、親父が武公じゃなければ武公になっていたんじゃないか、と

167 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/30(水) 00:00:06 ID:6bk4Cmi30
献公の権勢が強かったから、臣下に封地を与えても統率は取れていたと。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 09:32:03 ID:plh2+BYDO
恵公が弱すぎて公族復活できなかったんじゃないか?

169 :名無しさん@お腹いっぱい :2007/05/30(水) 15:51:25 ID:shf5/QX50
>>168
それもあるけど、恵公は自分の子孫以外の公族を復活させる気なんて
無かったのでは?
重耳を殺そうとした位だし、たぶん圉(懐公)等の自分の血脈で、
公族を復活させるつもりだったのかも。

170 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/30(水) 21:16:04 ID:6bk4Cmi30
文公が帰還したときには公室の直轄だけでは
卿大夫の勢力を押さえ込めるほどの力がなかった、と。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 21:51:38 ID:5+oyMvpJ0
公室の力も弱いけど、卿大夫もそんなに大族はないと思うけど、
郤芮は恵公が抑えていたのだろうか、里克や邳鄭もあっさり
恵公に倒されたから。

172 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/05/30(水) 22:12:54 ID:6bk4Cmi30
欒枝・郤穀・韓求伯・畢萬・士缺・羊舌伯僑・屠撃・荀逝敖

時代的にはこのあたり。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 04:06:11 ID:fq4F0O4y0
172の卿大夫が、揃って恵公の言う事に
従わなかったという感じか。

あと狐突と先氏か、先軫は重耳の亡命の旅に
従ったとも国内に残ってたとも云われるから、
一族の長は先軫でいいのかな。

174 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/01(金) 23:58:33 ID:ZMxrM/kn0
先丹木か先友か。
卿大夫であっても在地領主なわけで、亡命している当主は当主じゃないでしょ。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 16:25:34 ID:7u6SihiZO
亡命した卿大夫なら狐氏兄弟や臼季は当主かも知れんよ。

176 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/02(土) 21:06:28 ID:FnL3R/d60
じゃ下の行取り消すよ。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:06:12 ID:JiqB0Fdy0
管中の上卷まで読んだが、晋の話はほとんど出ないな、
鄭の荘公が有る意味、覇者だったとしても鄭より西の国には
ほとんど影響を与えてないですし、
西国の虢は鄭と同レベルの国だったのですかね。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 10:52:26 ID:r03uYUdVO
鞏雎黶雍隗隰閹鯀驩騅駢酖扈郤鄒邱贏范耿羈缺絳絲紂糜粲稙禹疇甄

携帯コピペ用メモ

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 11:28:24 ID:r03uYUdVO
周王室が大諸侯を封じるときにはそれぞれ軍事的な役割をあてがわれてるように思う。
異民族をそのまま国にした斉、北狄には晋、西戎には秦と梁、南蛮(楚)への予備役にカク。
時代が下って王室守護のために鄭を置いたものの、王室を分割して封じたために
相対的に王室の権力が低下してしまった。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 16:49:33 ID:pgThTTWxO
春秋通しての晋のライバルといえば楚だけど見事に対照的だね
晋は大夫の権力が強く楚は王族の権力が強い
晋は勤王につとめ楚は周王にとって変わろうとする
軍事的にも晋は三軍が皆各自独立して動くことができ楚は王の中軍に戦力を集中している
方角も南北と対照的だし他にもいろいろありそうだ

181 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/11(月) 21:41:18 ID:79osOWmb0
周王室の実質的な敵が楚だもんな。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 11:06:46 ID:h4nHjx8IO
卿は周から見ると陪臣だが、諸侯は周の許可なく卿を任命できないんだよな

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 22:15:55 ID:VE6xkE9D0
卿は元来周王室から任命されて諸侯を補佐するって建前なんでは?
御三家の付家老みたいなもので

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 04:13:35 ID:P8biSz6u0
>>182
知らなかった。
斉では高・国氏は国君がかなりの力を持ってたみたいだけど
晋だと武公以降、ゲキ穀以前の正卿は周より認められていなかったとか。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 08:13:50 ID:sDrgMgek0
誤:高・国氏は国君がかなりの力を

正:高・国氏がかなりの力を

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 15:49:25 ID:Agvlvs+o0
>>184
管仲が上京した際の例がいちばんわかりやすいというか有名だと思われ。

187 :ぷ@携帯:2007/06/15(金) 16:25:36 ID:O46aDw+TO
六卿になったはずの鞏朔が上京したときもおすすめ。
左伝だとかなりひどい扱い。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 02:07:36 ID:ejtgAXGmO
それ、いつ頃だっけ?

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 02:11:14 ID:tcv7Ir090
http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/archives/50010839.html

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 19:17:19 ID:LAPEetWo0
鞏朔=趙朔と思ってた。ぐぐってみたら士荘伯などと
書いてある所があった、士荘伯=士弱=鞏朔なわけは
ないだろうし。

191 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/18(月) 20:25:53 ID:lrRUWdOh0
魯成公二年・鞍の役後。>>188

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 23:39:33 ID:ejtgAXGmO
>>191わざわざありがとう、んで左伝を見てきた
これはキョウ朔が王室から任命されてない卿だから周王が下に扱った部分もあるけど、それより晋が斉を攻めたことを責めてるんじゃないかな。
このアンの戦がゲキ克が侮辱を受けたことによる個人的な報復から始めた戦争であることを非難してるんだと思う。

193 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/19(火) 20:09:58 ID:xDxYjPdk0
左伝のこの段の「士荘伯不能対」ってのは、読み方によっては

 士荘伯≠鞏朔

にも見えるんだけどね。なぜかオレの持ってる本ではすべて同一人物になってる。

>>192
王様の言い分は尤もなんだけど、まるで姑の言い分のようで。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 21:57:29 ID:A+sdCHA70
これは晋が四つの非礼を犯していることが原因なのでは?

ひとつめは鞏朔が周王によって公式に任命された卿ではないこと。
ふたつめは異性の国を討伐した場合は捕虜は献ぜず報告のみにとどめる事。
みっつめは斉が王室と通婚関係にあったこと。
よっつめは晋があっさりと開戦に踏み切って戦争回避の努力を怠った事。

とまあ左伝から読み取れる部分を抜き出しただけだけど。

>>193さんが「士莊伯不能對」のくだりが士荘伯≠鞏朔と感じた原因は
俺にはわからないけど。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 21:59:31 ID:frYVXkt10
>>193
鞏朔は士弱ではないけど士氏という事ですか。

196 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/19(火) 22:10:26 ID:xDxYjPdk0 ?2BP(4)
オレの漢文の読み取りが甘いと言われればそれまでなんだけど・・・

晉侯使鞏朔獻齊捷于周,王弗見,使單襄公辭焉,曰,蠻夷戎狄,不式王命,
淫湎毀常,王命伐之,則有獻捷,王親受而勞之,所以懲不敬,勸有功也,
兄弟甥舅,侵敗王略,王命伐之,告事而已,不獻其功,所以敬親暱,禁淫慝也,
今叔父克遂有功于齊,而不使命卿鎮撫王室,所使來撫余一人,而鞏伯實來,
未有職司於王室,又奸先王之禮,余雖欲於鞏伯,其敢廢舊典以忝叔父,夫齊,
甥舅之國也,而大師之後也,寧不亦淫從其欲,以怒叔父,抑豈不可諫誨,
士莊伯不能對,王使委於三吏,禮之如侯伯克敵,使大夫告慶之禮,
降於卿禮一等,王以鞏伯宴,而私賄之,使相告之曰,非禮也,勿籍。

鞏朔と士荘伯(士弱)が別人として、士弱が鞏朔の介添えをできなかった場合でも
この文で理屈が通ると思うんだよね。
鞏朔は王から「鞏伯」と呼ばれて「周の籍にない人」と言われているので
士氏の一族ではないだろうし。(士氏ならば周の籍にあるはずだから)

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 09:36:13 ID:lRtg8ZalO
保守あげ

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 13:05:01 ID:R234K6bG0
漢文の読み方がわからん俺には・・・・


199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 18:30:31 ID:lRtg8ZalO
世界史板にもあるんだな

<<<春秋戦国検討委員会5>>>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1160147912/

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 20:41:25 ID:0iwITPZgO
世界史板の方はかなり過疎ってるな

201 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/22(金) 21:16:09 ID:2sbtop1g0
漢文てのは翻訳サイトにブッ込むと、かなり酷い訳しか返ってこないんだな。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 02:21:31 ID:VdgK+2EP0
>>196
実は鞏朔といっしょに士弱が派遣されてたと解釈するってこと?「晉侯使鞏朔」とあり、
「所使來撫余一人,鞏伯實來」とあるのに「実は士弱も派遣されてその場にいました」って
のは無理があるんじゃないのかねえ。

そもそも鞏朔と士弱の活動年代に結構なずれがある、ってのは昔どっかで指摘したよな。

あと「介添えをする」とか「周の籍にある」とかってのはどの部分の訳なの?

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 03:03:37 ID:mImnH6eF0
士弱はこの頃は青年ぐらいだと思われるのだけど
鞏朔の副使となる事は考えられないですか?

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 07:53:43 ID:/KEYqqzWO
>>202
王に面会したのは卿の鞏朔一人で大夫の士荘伯は対せなかった
→外務担当の士荘伯が王の謁見に応対できなかった

別に無理はなさそうですが。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 10:07:57 ID:VdgK+2EP0
>>203
士弱は襄公九年(564B.C.)に晋悼公から宋の火災につき下問され、襄公二十五年(548B.C.)に
鄭の子産と対話しています。
成公二年(588B.C.)の時点で20歳とすると、襄公二十五年(548B.C.)の時点で60歳。子の士匄
(子文伯)が初めて登場するのが襄公三十年(543B.C.)であることを考えると、成公二年の時点
ではもっと若かったと推測されます。

>>204
まず、鞏朔はこの時点では卿ではありません。卿となったのは翌年の成公三年(587B.C.)で、
それまでは宣公十二年(597B.C.)に任ぜられた上軍大夫であったと思われます。
王の言葉の中にも「命卿に王室を鎮撫させずに」とありますしね。

また、ここでは単襄公が王の言葉を代弁しており、「寧〜」「豈〜」と問いかけで結ばれています。
「対」はここでは「こたえる」と解すべきでしょう。「応対する」の意味ももちろんありますけど。

206 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/23(土) 18:33:07 ID:CW10/z+C0
久しぶりに苦手な人が来てるな。あまりトゲ立てずに頼むよ。みんな逃げるから。

>>202
一緒に派遣されたワケじゃないでしょ。「ひとり来られた」んだし。
ただこの場にいなさそうな士荘伯の名がなぜ出たかが説明できない。
年齢的には士握濁が見られなくなる時期と近いから無理ではないんじゃ。

>介添えをする
士荘伯の「介添え」とかはオレの思い付きによる仮定の話。
王に使いするのに面識ない鞏朔一人というのも不自然だと思ったので。
>周の籍にある
而鞏伯實來、未有職司於王室

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 23:09:58 ID:VdgK+2EP0
いやあ、あれからどれくらい忠告どおり史料を読み込んだのかな、と思ったもんでね。
せいぜいみんなより先に逃げないでくれよな。

>一緒に派遣されたワケじゃないでしょ。「ひとり来られた」んだし。

念のため言っとくけど、「余一人」で王の自称だからね。一人で来たとか関係ないからね。

>ただこの場にいなさそうな士荘伯の名がなぜ出たかが説明できない。

別にここでいう「士荘伯」をどうしても士弱と考えなくてもいいんじゃないの?杜預も
そう言ってるんだし。文公七年には先蔑を「士伯」と称している例もあるし。

>年齢的には士握濁が見られなくなる時期と近いから無理ではないんじゃ。

士握濁はこれより16年後の成公十八年(573B.C.)に大傅に任ぜられてるよ。
初めて士握濁が登場するのが宣公十二年(597B.C.)だから、やっぱり成公二年時点で
周に使いできるほどの年齢の子がいたとは考えにくいけどねえ。

>王に使いするのに面識ない鞏朔一人というのも不自然だと思ったので。

しきたりに従わない不自然な使者だったからこそ王は会わずに単襄公にイヤミたらしい
口上を伝えさせたんじゃないの?

>未有職司於王室
そこは文字通り読めば「王室に職位を持たない」だよね。広く取れば「周の籍にある」と
いえなくもないけど、ここではもっと限定されてると思うけど。
逆に士氏はどういう籍が周王室にあるというの?

208 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/23(土) 23:16:10 ID:CW10/z+C0
つまんね。また潰しか。一番下段だけ。

隰叔の血統なら周室に属していると判断していいんじゃないの?

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 23:56:51 ID:VdgK+2EP0
「潰し」ってアンタ、まだまだいくらも圧かけてないよ。根本史料の『左伝』からちょっと反論
材料を拾っただけでしょうよ。
この程度でつぶれちゃうくらいの根拠で物を言ってたの?相変わらずだね。


>隰叔の血統なら周室に属していると判断していいんじゃないの?

それはどういう経緯で隰叔が周室を離れて晋に仕えるようになったか知っての上の
発言と考えていいのかな?

ここでの「王室に職位を持たない」は「命卿でない」の言い換えでしょうよ。


210 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/24(日) 00:01:52 ID:OTEG4C/00
んなことやってるから話題が膨らまないんだろ。知識あるならさっさと吐きなよ。
少なくともオレは面白くない流れでスレに居続けるつもりはないし。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 00:23:29 ID:eifWgYcj0
あら?泣かしちゃったかな。じゃあ邪魔者は消えましょう。

またヒマがあって妄言を見かけたら来るかも知らんけど。

212 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/24(日) 00:25:31 ID:OTEG4C/00
ああ、もう涙目で続ける気力もないよ。
また明日からカンフル打ってがんばるさ。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 01:49:12 ID:SR/njbgbO
内輪の応酬ならチャットでやればいいのに

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 02:33:42 ID:/NxZbwO00
>やっぱり成公二年時点で 周に使いできるほどの年齢の子がいたとは考え
にくいけどねえ。

15歳以下で子供を作る事も、60歳以上で作る事もある世界なので十分考え
れれると思いますが。

>別にここでいう「士荘伯」をどうしても士弱と考えなくてもいいんじゃない
の?杜預も そう言ってるんだし。文公七年には先蔑を「士伯」と称している
例もあるし。

賛成ですが決め付ける事も難しいですね、史書に書いてある事を無視するのも
なんですか。

あと気になるのは20才そこそこで使者となる事例はあるのだろううか?

この時の鞏朔は9番目ぐらいの席次ですか周への正使がこれぐらいの
序列で問題ないか?、又はそのせいで周王は鞏朔を辱めたとか。


215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 20:35:03 ID:yCyCgRlg0
割り込み失礼。
手元の岩波文庫の左伝を見たんだが、もし、
鞏朔=士荘伯=士弱
だとすると、鞏朔の名前は文公十七年(610B.C.)に既に出てるから、
士握濁より早く登場してることになる。
あと、
士握濁 登場:宣公十二年(597B.C.) 大傅:成公十八年(573B.C.)
に対し
鞏朔 登場:文公十七年(610B.C.) 卿:成公三年(588B.C.)
だから、むしろ鞏朔の方が士握濁より年長でもおかしくないくらいに思う…

それにしてもこの鞏朔or鞏氏ってどこから出てきたんでしょうね。
鞏朔の前にも後にもいないみたいだけど

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 01:18:00 ID:u4eaM5j/0
三国志演義に鞏志っていなかったっけ、主君殺しの。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 05:42:14 ID:71LuF2QY0
>>211
無駄に煽りめいた物言いはなんとかならんの?

知識があっても人間性の未熟なオタ丸出しじゃんよ
勿体ない

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 06:16:27 ID:n5tCOBwO0
>それにしてもこの鞏朔or鞏氏ってどこから出てきたんでしょうね。

鞏氏も知らないけど、少し前のユ駢も知らないし日本でいうと菅原道真や
吉備真備みたいに例外的な存在ですか。

あと陽処父は趙盾に多大な恩を売ってる訳だし子孫が出て
こないのが変かな。

解揚は後に上卿になったような事をどっかでみたような事
があるのだけど名誉的に卿の位を与えられたのですかね。

219 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/26(火) 01:41:12 ID:HJ5WYUBN0
陽処父は賈季と続簡伯に殺されてるからそこで没落でしょ。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 09:07:47 ID:IwYk+L0U0
>>214
上で誰かさんが「どの本を見ても同一人物になってる」って言ってるけど、それもそのはず
ここに杜預が「荘伯鞏朔」と注をつけているからなんですな。訳本しか見てないと分かりにくい
ところだけど。

杜預がどういうスタンスで注をつけたのか、文脈からここは鞏朔でしかありえないと判断した
だけなのか、それとも鞏朔が士荘伯と呼ばれる確たる根拠を持っていたのか知りませんけど、
杜預の判断はあるていど尊重するべきでしょうな。

逆にこれをひっくりかえして、ここでの士荘伯=士弱と解釈するためには、
1.そもそも成公二年に士弱が登場できうるのか?
2.士弱がなぜ鞏朔と共にその場にいたのか?周に派遣されたとは一言も書かれてないのに。
3.明らかに使者鞏朔に向けられた問いかけなのになぜ「士荘伯は答えられなかった」なのか?
  士弱がなぜ返答する立場にあるのか?鞏朔の使者としての立場は?

このへんを合理的に説明できないと難しいと思うのですよ。ゆえに1.を考えるに当っては
極端なケースを考慮せず一世代三十年で考えてみたんですな。

>>217
ゴメンネ。まあだれにでもこういう態度ってわけじゃないからカンベンしてよ。
やるといったことをやってない人にはトゲトゲしくなります。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 10:56:03 ID:qocTEhjgO
何があったかは知らないがたかが掲示板、それも趣味カテゴリなのだから
憶測や仮定の話をいちいち叩くのはどうなのかと思いますがね。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 14:55:50 ID:6EY4Urp20
>>220
解説乙です。

間違いを指摘しあうのは、いい事なので攻撃的にならずお願いします。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 06:44:14 ID:6JjRsFrb0
鞍の戦い前後は、郤氏の全盛期のはずだけど、新三軍の将に郤氏
はいないね。
郤克自身は謙虚な人物だったのか、隠居中の士会の目が気になってた
かもと考える。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 11:17:40 ID:2z2r/5fBO
士会もそうだが趙盾の消え方が不気味。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 22:19:17 ID:aKYmMr4eO
趙盾は功も大きいが罪も大きいな

226 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/30(土) 22:23:29 ID:vtRAOZa30
公行になって逃げる処世術がステキ。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:54:57 ID:sGc4QxQc0
(趙括・趙同・趙朔)と(郤リ・郤至・郤犨)では何となく趙氏の方が
強大そうだな、趙盾時代は一つに纏まっていただろうから他の卿より
一歩抜けた存在だったのかな。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 01:15:41 ID:mVVbkBepO
勢力だけなら欒氏のほうが封地が多そう

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 03:11:04 ID:sGc4QxQc0
鞍の戦いの頃の欒書は目だってないような、
邲の敗戦以降から最も出世したのは知氏(荀首)ですよね、
逆に先氏は滅んでいるが、先氏の所領が知氏に行ったのかと
想像してみる。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 13:15:28 ID:/q3Tz8IH0
知または智は地名から来てるの?

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 17:04:09 ID:LDW+EcprO
ラン書は君主を殺したが国民には愛されたという希有な人間だよな

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 20:25:42 ID:sGc4QxQc0
>>231
趙盾同様に君主殺しもやらなければ逆にやられたと思われる
同情できる面はあるのだけど、趙同・趙括・三郤・胥童・詞と
血生臭い事件が多すぎるよね、

まあ危険人物を毅然とした態度で滅ぼしたともいえるかな。

233 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/02(月) 01:09:05 ID:SvFF0MpN0
今更ながら、士氏の「士」は何なんだろう。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 03:02:31 ID:0nI+XHwh0
>>230
晋の荀首が知に封じられ、子孫が封地名をもって氏(族名)とした。

>>233
杜伯の子、隰叔が晋に亡命し士師の官に任命されたので子孫が
官職名をもって氏とした。

知がどの辺りかわからないです。
ちなみに先氏の所領というと原(趙氏に与えられているので関係
ないか)・霍辺りですか。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 08:49:24 ID:iUssfSA7O
知は令狐の西南・魏の西北で
黄河が分水から合流後、南北に流れている河畔の邑みたいだね

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 01:35:21 ID:n3eeDTYb0
>>235
レスサンクスです。
令狐の戦いの恨みから、秦伯は晋に侵攻し、羈馬(この辺かな?)を占領
したので晋の人はこれを向かえ撃った。・・・河曲の戦い時。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 20:04:02 ID:GnLNnw8PO
>>234
上のほうにある士荘伯や士蔑の「士」も士師の職から来てるのかな?

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 13:12:38 ID:MMLgQKXd0
つーかまさにその士氏の話じゃないのか

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 00:31:57 ID:oDtNRpzoO
士師という役職をあまり見掛けない件

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 01:13:53 ID:8Gpy962+0
【総連】「安倍一味には負けない」総連弾圧に対して措置取る…朝鮮外務省代弁人声明
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1183572310/l50

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 21:10:40 ID:72Zp12OpO
過疎ったなここ

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 19:38:26 ID:7CD1hIziO
狐毛ー狐シンの方の系統はどうなったのですか?

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 20:53:27 ID:DuPbK76n0
>>239
あまりってことは少しは見かけてるってことだね^^がんばって思い出せ!

244 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/14(土) 22:46:20 ID:D1DzqCls0
管仲の周辺で見たような気が。斉は関係ないか。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 08:48:55 ID:O+YxZcdR0
こうよう

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 13:29:50 ID:lnWRHn3q0
中国では春秋時代の事について書かれている資料は日本訳のない物
はどれぐらいあるのかな。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 20:02:56 ID:Ambql/U6O
人減ったね

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 21:55:19 ID:NUlBAIHd0
知氏と中行氏と氾氏っていつ滅んだの?

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 20:29:55 ID:MFgL7BcMO
ゲスなツッコミが入るからみんな書き込まなくなったな

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 22:02:13 ID:GedO8eNK0
つか質問スレになってるのが一番の原因じゃないのか?
話題膨らませずに単発質問だけ繰り返してたらそりゃ過疎るよ。

251 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/18(水) 22:04:35 ID:jofgV9Mj0
そりゃそうだ。

252 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/18(水) 22:38:01 ID:jofgV9Mj0
楚の話題だけの専用スレ立ててやり直しましょか。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 22:43:05 ID:GedO8eNK0
晋の六卿よりは話題が続きそうだから、よい考えと思います。
不足と思うならば、戦国七雄スレを立てればよいかと。

254 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/18(水) 22:47:25 ID:jofgV9Mj0
【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 00:18:58 ID:S+qaPKgS0
【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1184771837/

奇矯屋が立てないから俺が立てといた。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 18:25:05 ID:cLR5BFm50
叔向『わが公室も今はやはり末世です、もと卿だった欒・郤・胥・原・狐
・続・慶・伯の八家は没落して政権は私家に握られ、君は日ごと反省もなく、
歓楽で憂いをまぎらわしておられます、公室の衰微は、もう間もないこと
でしょう』
この八家のうち、原=先軫〜先穀、伯宗、慶鄭でこの三家は滅んだと解釈
していいのだろうか?
続氏は分からないですが。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 19:32:08 ID:S+qaPKgS0
続簡伯こと狐鞫居のことじゃあるまいか?

258 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/19(木) 23:22:05 ID:WdBURf/20
>>255
ありがとう。寝てもうた。

他に続とかいう氏を名乗る人を聞かないんでたぶんそうなんじゃないかと。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 21:32:34 ID:iqGWJkLK0
襄公が亡くなった時に趙盾は従兄弟にあたる季隗の子を選択肢に入れなかったのだろうか?
季隗は公子雍の母より序列は上なのにな
襄公より年上ってのがアウトなんだろうか

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 22:20:02 ID:1wHbOULS0
序列は上って公子雍の母が位を譲ったからだろ・・・
国君の御母堂ならば、国の母も同然。
だれが狄の小氏族の娘を国の母と思おうか。
公子雍をや公子楽が候補に挙がったのも御母堂が国の母にふさわしいからって理由だっただろ。

261 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/23(月) 23:07:52 ID:skrNdeUd0
異母兄弟への継承+狄の人+趙盾の擅権が成立できない(親しすぎて権力を握り切れない)
季隗の2子が襄公死後に後継候補たりうる理由はないんじゃないかと。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 00:40:40 ID:Y78GVFur0
襄公の死後じゃなくて霊公の死後の時でもいいんだけど
狄の小氏族の娘と言っても正卿の母ももちろん狄の小氏族の娘
文公だって母だってそうだし、もう当時はそこまで卑しいとは思ってないのでは

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 00:58:35 ID:9qbvU4XB0
季隗は2子を狄に置いて文公のところに来たわけで、晋の公室に居たことがない、
というのもマイナス要因だったのでは?
公子雍や公子楽は文公とともに晋に入ったか、あるいは晋で生まれたか、
いずれにしても晋の公子となって、それから他国に出たんだろうし。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 20:47:51 ID:gIlwvN5v0
狐姫の父狐突は晋の将軍だったわけだし、文公自身も晋の公子として育った。
季隗の2子と比べるまでもないと思う。
さらに言えば、正卿の母ももちろん狄の小氏族の娘ってのが一番いけない。
正卿と国君の母の出が同じでしかも狄。反発されない理由はひとつもない。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 23:16:55 ID:hR3rP+AW0
狐姫って狐突の娘だっけ?

266 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/24(火) 23:17:40 ID:RATENm1z0
オレはそう信じてる。

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 00:38:55 ID:K3O5EnVT0
その仮定なら孤偃の娘と重耳とはイトコ同士の結婚
だったら逸話としてイトコ同士だった、と残っていても不思議ではなかったのでは


268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 13:10:03 ID:ijjM9MXt0
春秋時代の中国って近親間の結婚はありえますかね、
父方の同姓はともかく、母方の同姓は無問題ですか?。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 22:40:10 ID:d8D2aSUs0
父方の同姓とか母方の同姓って馬鹿か?
その人間の属してる家の姓名乗るわけで
「おれ、父方の姓名乗る。」
「おれは父親の姓嫌だから母方の姓名乗る。」
みたいな姓の名乗り方はありえないのな。

270 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/26(木) 00:05:51 ID:sbrM2zBA0
母方の従姉妹を娶るのは特に珍しいことじゃないもんね。
Cross-cousinてヤツね。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 01:25:14 ID:EQ3/2/tpO
その仮定なら恵公も狐突の孫なのに重耳に肩入れしすぎだな

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 06:39:40 ID:7MLznPQM0
狐毛と狐偃がってこと?それとも狐突がってこと?

申生と重耳と夷吾と奚斉は皆、献公の子なのに奚斉に肩入れしすぎじゃね?

273 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/07/26(木) 22:55:00 ID:sbrM2zBA0 ?2BP(4)
夫人の子と媵の子が同ランクになるほうがおかしくないだろか。
つか、覇者になった文公とその周囲が晋を支配していったのだから
恵公に肩入れした記録をわざわざ遺すようなヘマはしないと思う。

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 09:50:36 ID:EyMUzIEn0
文公の重臣たちそういうところまできっちり気回りそうなの何人も居るしねぇ…

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 15:38:50 ID:uVWRWBBE0
申生が健在な時から重耳は優秀な家臣を揃えてるけど、申生に
従う家臣が少ないよね、リ姫の乱以前の三公子の立場はあまり
差を感じないのだが。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 17:41:50 ID:jhxNnlw3O
重耳に付いた臣のうち大夫が郭エン1人だったころ
申生には大夫が7人も付いてたはずだけど。

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 20:15:23 ID:enloSuf0O
趙氏の中で趙成だけあまりにも目立たないけど、何かエピソードないの?

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 11:08:40 ID:kujNNGBPO
趙成は趙成子の子孫
ああややこしい

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 03:17:06 ID:Hp/+XNHiO
卒業論文に晋の六卿について書くことになってしまった

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 06:46:39 ID:iWscrYuP0
ガンバレ

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 21:00:15 ID:tz54oxIW0
卒論か
何もかも懐かしい
オレも春秋戦国時代の研究がしたかったなあ

卒論チョーガンガレ!

282 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/08/09(木) 22:53:47 ID:PlA99nad0
メインテーマは何なんだ?

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 20:39:44 ID:nSOo26260
士会の子孫、漢高祖

284 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/08/10(金) 23:08:30 ID:u6+jkuNb0
竜が出てきそうな勢いだな。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 19:01:16 ID:eLOiEhopO
荀林父と荀息はどういう関係かわかる人いませんか?

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 18:54:15 ID:/OkN4/IS0


287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 13:27:23 ID:BCoS4R3IO
質問してから1ヵ月答え無し…やはりクレクレはダメなんですね。
世代から考えて伯父甥か祖父と孫かなと勝手に自己解決

288 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/10/04(木) 00:52:02 ID:Jdxl2IzC0
もうそれでいいやな。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 12:52:39 ID:GbZRDCmZ0
邲の戦いの後から、断道の会までの5年間の晋国内での勢力バランスは
こんな感じでいいのだろうか?

景公・・・・先穀・趙朔を滅ぼし晋公主体の政治をめざす。卿らが力を取り
      戻すと屠岸賈を切り捨てる。
屠岸賈・・・仇の子である趙朔を殺し景公に近寄る、卿になろうとするが他の
      大夫たちに嫌われてなれない。
荀林父・・・邲の敗戦の責任者であり、処刑されかねなかったが士握濁が景公
      を諌めた事により正卿の地位に留まる。
士会・・・・邲の敗戦後は荀林父のフォローに徹する、荀林父の後を受けて
      正卿になる。
郤克・・・・士会と共に敗戦の被害を最小限に抑えており、景公の信頼も厚く
      郤氏の勢力を着実に伸ばしていく。
欒書・・・・邲の敗戦時は被害の大きかった下軍の佐であり一時的に勢力が
      低下したかも。
荀首・・・・下軍に属していたが武功があり、成公に愛され、大夫たちに信頼
      されており出世を重ねる。
韓缼・・・・唯一人趙朔の味方となっており、趙家再興に力を尽くす、卿大夫
      から尊敬を受ける。
趙同、趙括・・・趙朔亡き後、趙氏の主として卿となるが、欒書を始め他の
      大夫から憎まれる。
魏顆・・・・秦軍を単独で破る、魏氏は卿にはなってないがかなりの力を
      付けていると思う。
祁奚・・・・景公より趙氏の田土を受けたが、趙氏再興により返還させられ
      る。
伯宗・・・・郤氏に憎まれる程度に大夫の中では有力だったのか。

胥童・・・・屠岸賈と同様かっての名族に落ちぶれている。

話が変わりますが、沢尻エリカの騒動に知伯とダブって見える。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 16:24:11 ID:bUjMdLmdO
>>285
単純に人少ないからしょうがないよ

宮城谷昌光先生が荀息と林父の関係性
全然わからんて小説で書いてるくらいだから
ソース残ってないんじゃない?

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 20:26:02 ID:BeUnWCMr0
「小説をソースにするな!」といいたいところだが
宮城谷先生ほど古代の資料を調べている人がわからないんじゃ
新たな史料が発見されない限りは謎なんだろうな。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 20:53:10 ID:rm6+Ewy30
>>289
ではなんで屠岸賈が趙朔の家を滅ぼす事ができたのか、
どういう状況だったのか考えてみた。
景公は子の詞より君主として出来がよくなかった様な気がする。
詞の代には、その為求心力が低下してそうな。

楚の荘王の全盛期であり、名宰相士会の時代では上手く景公を立て
国力が回復させ、内乱を起させないように出来ていたのだろうが。

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 00:43:07 ID:hajQIknjO
晋の六卿や家臣の家系図を調べるに当たって何か信憑性のある資料ってある?

294 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/11/17(土) 22:16:41 ID:UlZ07BTb0
オレは左伝で適当に納得してる。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 18:48:41 ID:8oXfm/Ly0
趙衰の子の中で、趙同の立場って微妙だよな

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 01:46:39 ID:rmGmMNIr0
ツンデレの士匃について
詳しい事跡が載ってる資料ってあるかなあ

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 12:12:17 ID:WP1VUdd20


298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 00:08:37 ID:Iq+7nWyI0
士匃の正しい字って変換できる人いない?

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 12:48:22 ID:fpkDNK2N0
晋の六卿で結構スレが伸びるものなんだな。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 11:54:30 ID:Rkh0U4LO0
新しい資料なんて出ないのだから、なるべく史実に沿った小説が出ると、
話が弾むかな。
宮城谷先生に書いて欲しい。特に知瑶が出てくる時代

301 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2008/01/15(火) 00:03:56 ID:3ToiazlT0
もうすぐ1年か。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 17:30:45 ID:7p6D3iD3O
ほしゅ

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 02:21:07 ID:1Cas2mwg0
過疎っているので活性化のため話題を一つ。
文公重耳が驪姫事件で亡命した際、付き従った名のある士が五人といわれているが、
『史記』では趙衰、狐偃、賈佗、先軫、魏武子の五人。
『左伝』では狐偃、趙衰、顛頡、魏武子、司空季子(胥臣)の五人とある。
結局、どっちが正しいんだろうね。
宮城谷さんは話を面白くするためか、全員付き従わせとったけど。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 05:22:36 ID:YGxxyhirO
賈佗って誰だっけ?

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 20:13:06 ID:NmQYn4740
狐射姑。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/26(土) 01:47:55 ID:+c1KIafPO
ほしゅ

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/26(土) 01:59:18 ID:Lo5oDTmC0
『国語』晋語四の韋昭注に「賈佗狐偃之子狐射姑太師賈季也。」とあり
この注どおりなら賈佗=狐偃の息子狐射姑であるが、
韋昭が何を根拠にそう言ってるかは不明。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 06:32:27 ID:sjAG3Dr10
狐射姑は賈季とは聞くけど賈佗とは初耳でした。
>付き従った名のある士が五人
格からいったら、狐偃、趙衰、先軫、胥臣、魏武子が普通だよね。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 13:36:58 ID:Eelpdqb50
随行者に狐毛は確定ではなかったんだっけ?

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 14:15:42 ID:rsuBbi4Q0
狐毛、狐偃、趙衰、先軫、胥臣かと思ってた

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 01:52:44 ID:wAizyfTR0
狐毛は『史記』、『春秋左氏伝』による文公に随行した五人に外れているが、
懐公が狐突に重耳(文公)に随従している息子の狐毛・狐偃を呼び戻すよう脅す記述が
『史記』、『春秋左氏伝』両方にある。
余談だが、宮城谷氏の『重耳』だと、狐突が息子の狐毛に「お前は何もとりえが無いから、
重耳が危機のときは命を投げ出せ。」と言う場面がある。
弟の狐偃に比べると活躍する記述が少ないからって、幾らなんでもとりえが無いってのは酷いよ宮城谷さん(笑)

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 10:30:09 ID:knv2mmm70
おおよそ重耳の輔政の臣っていえば狐偃が筆頭に挙がって、次が趙衰あたりに
なるものね

狐毛がどこかかわいそうに思えるのは俺自身が弟をもつ兄だからかもしれん…

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 15:25:54 ID:RvuE5blA0
というか狐毛は狐偃のお陰で歴史に名を残してるようなものだろ
狐偃のお陰で上軍の将になれたんだし

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 10:53:46 ID:BrpwyFfE0
蜀の弟は龍なのに兄は馬だと言われた諸葛家の兄ちゃんも仲間か

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 05:58:57 ID:bpCN7d350
東周英雄伝っていう漫画の介子推の話が良かったんだけど、
介子推は5人の名臣には入らないが、80人の従者には入ってるのかな。

重耳の従者は何人ぐらい名が挙がるか分らないけど、後の時代で名家以外
で出世した人物は普通に重耳に従っていたのだと思う。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 22:47:55 ID:XMjBIWTc0
そういや介子推の家臣だったかが落書した
「五匹の蛇のうち四蛇は龍と化したのに、一蛇だけは人知れず去った」みたいな詩があったよね
あれだと四人が功臣として名を遂げたってことになるね

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 23:37:15 ID:PjfJgvkv0
たとえ従者が100人いても
十数年一緒に放浪したのだから
介子推ことはもうちょっと認識されててもおかしくないのにな
みんなが上ばかり向いていて
下の者の苦労や才能に気付こうとする者がいなかったか

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 20:12:36 ID:tYz78i250
それ言っちゃうと、文公も名君と言われているも?のつく人物だし、文公と国に帰る船の中で
誓いを暗に要求する筆頭家臣もいるからな。介子推のような人物はうざいんだろうな。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 21:01:51 ID:iS4dW8xq0
むしろ介子推は運が良いほうなんじゃないかな。
文公のため名を知られることなく命を散らせた忠臣たちがたくさんいたはずだ。
介子推は自分の為だけでなくそういった人たちのためにも抗議行動として身を隠したのかもしれない。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 06:25:06 ID:Q0cgBhlh0
勘違いかもしれないけど、介子推の霊を慰める為にちまきを食べるという
風習があったような気がするのだが、(屈原だったかな?)

自分の中では宮城谷氏の小説と違い綿山で焼死するイメージが強いので。

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 08:54:28 ID:A4D+9zhz0
寒食 (火をつかって調理しない)

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 10:07:48 ID:uIhSxl/y0
寒シ足に見えた

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 00:38:26 ID:v4kclTzD0
欒書の息子で欒鍼の子重への言葉の「晋国の勇は常に整然としている。その上に常に余裕がある」は
とても気に入ってるのだが、欒鍼って左伝でもあまり出てこないし、宮城谷氏の小説では猪武者みたいな書かれ方だよね。
?陵の戦いでの子重の旗を見かけた時の詞への申し様は、前言に背かず、君を辱めず、
礼に合している振る舞いだと思うのだが、あまり評価されてないというか…

遷延の役の時に戦死しているけど、これも子重への言葉にある、晋国の勇を守ろうとしたのかな、
とか思ったりするのだけど。

出番が少ないのは庶子だからとしても、評価されてないのは、父の欒書が弑逆したり、
進言した詞が暗愚だったり、相手の子重が貪欲だったり、と関係者もイマイチだから
なのかしら…

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 01:23:58 ID:B9vIyW/e0
>>323
戦死しなければ、知氏や范氏のように分家たてられたかもしれないと思う。後に范鞅も執政
になったみたいだから当然後押しをしているだろうし、少なくとも兄の欒黶よりまわりに人が集まりそう。
この人の死の影響が晋にとって悪影響大きく欒盈の乱で多くの家を巻き込んでいる。


325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 21:45:25 ID:do39w2IX0
欒鍼というと特に印象になかったな、傍流に位置して好戦的
な魏リあたりと似たようなイメージしか。

326 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/03/05(水) 01:08:46 ID:1cQCoEY10
弟は往くつもりでなかったのに、お前の子が誘ったのだ。
そして弟は死に、お前の子は戻った。
つまりお前の子が私の弟を殺したのだ。
お前の子を追い払え。さもなくば私が殺してくれよう。

まあ乱暴ながらも家族思いの兄ちゃんではあるのか、
あるいはタダの見栄っ張りなのか。欒黶。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:30:15 ID:Cijw8syA0
欒黶は乱暴者だが、優しさがある人物だったのかね、
ただ上司に向って脅迫したようなものだから・・・

お前の子=士鞅は計算高くて陰湿な感じがする。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 00:43:13 ID:bhdDMa4Y0
欒氏というと、やっぱり欒盈が哀れでならない
まだ欒黶の代で滅ぶならわかるけど、欒盈の様に父や叔父とは対極的な人間の
代で滅ぶってところが無常というか、なんというか
伯氏もそんな感じかも

329 :名無しさん@お腹いっぱい :2008/03/06(木) 01:08:14 ID:gAUaAva80
伯氏の場合、伯宗や伯州犂が清廉だったのに対して、
伯嚭が貪欲だった所が、欒氏とは真逆なんだよな。
ちなみに伯氏って、伯宗や伯州犂、伯州黎、そして伯嚭と
4代続けて横死してるのもあまり例が無いよな。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 01:17:04 ID:JxgQ4D5e0
欒鍼が戦死したのは遷延の役で全軍が退却する中、秦軍に突撃していったからだけど、
そもそも総退却に至ったのは、下軍の将の欒黶が中軍の将の中行偃の命令を無視する形で
退却したこと(これは中行偃の指令がダメダメ、ってのが大きいけど)が引き金なわけで…

それに対し欒鍼は、
「復讐に来たのに戦果もなく退却とは、兄の車右として恥ずかしくてたまらぬ」
と言って突撃したのだけど、これは、いわば兄である欒黶の退却という行動を批判した、とも
取れるのかなぁ、と。
欒黶の士カイへの言葉は責任転嫁にも取れるような。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 00:25:45 ID:mpSljQE8O
ほしゅ

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 01:25:53 ID:dJCNEKN10
士鞅の「欒書の徳は民に行きわたり、あたかも周の人が召公の遺徳を慕ったのと似ています。(中略)
欒書の子欒黶を殺すことはないでしょう。しかし、欒黶が死ねば、その子盈の長所がまだ知られぬうちに、
祖父欒書が施捨した効果は消え、父欒黶への恨みが表面に出て来るでしょう。
欒氏が亡びるのはきっとその時です。」という言葉は印象深い。
士鞅の預言の的確さもすごいが、郤氏や詞を滅亡においやったのに民に死後も慕われた欒書もすごい

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 06:58:18 ID:/OZYoOvV0
晋の正卿は死後名声が高いのが多いような気がする、比較的早く滅んだ、
先軫、先且居、郤缼、郤克は逆に活躍の割りに名声が低いように思える。

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 14:41:33 ID:CNA5yzqB0
>>332
気になったんで調べてみたけど、襄公14年ね

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 14:48:53 ID:6U4XZnSs0
先氏、郤氏とも、そのすぐ下の子孫が不始末を起こしてるからねぇ
先氏は、先克が政争で死んだのはいいとしても先穀は国に背いてるし、
郤氏も三郤は公命による誅殺だし、その辺が評価に掛かってるのかも?


336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 16:36:26 ID:6U4XZnSs0
そういえば、先、郤とも、親子で正卿になっているね。
同じく親子で正卿になった趙衰、趙盾も次の趙朔の代に(後に復興するとはいえ)滅亡してるし、
やはり親子で正卿になるほど権力を握る期間が多いと恨みも多くなるのだろうか。
他に親子で正卿って…韓蕨、韓起ぐらい?韓氏はうまく乗り切った感じがするから、
一概には言えないかな…


337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 19:05:26 ID:Nle5wLVo0
>>336
爵位が高いと士に妬まれ 官位が大きいと君に憎まれ 祿が厚いと人に怨まれる

というからね
本人は努めて謙譲を心がけても、一族や与党のなかには権勢を笠に着る
不心得者がいれば怨みを買う
一族が富強であればそれだけで妬む輩もでてくる
そのいずれも満たしていないとしても、君主が過剰に自己主張や恣意旺盛で
あったりすると、たとえ正卿ができた人物であったとしても権力の大きな臣下と
いうことで目障りで疎ましくなる

韓氏の場合は、貧しさを嘆く韓起に対して、欒氏や郤氏が滅んだのは富裕で
かつ傲慢だったからで、貧しい事はむしろ喜ぶべきという叔向の忠告に従ったから
というのもあるんだろう
そのわりには祁氏と羊舌氏が滅んだ時は他の卿としっかり領地を分け合ってた
気がするが

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 23:01:15 ID:6U4XZnSs0
>>337
なるほど、そういえば趙盾も霊公に憎まれてあわや、だったね。
祁氏と羊舌氏の領地を分け合ったのは、韓起が死んで、魏舒が執政になってからの
ことだから、韓起は叔向の忠告を守りきったのかも。

そういえば、名宰相と言われた趙武でも最期はくどくどとして老人のよう、とか言われたけど、
韓起は最期まで評価を落とさなかったかな…叔向や子産から細々と忠告されてる点、
至らぬところがあったんだろうけど、それを正しく受け入れてこれた、とか。



339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 01:54:19 ID:q6SVg419O
ほしゅ

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 03:27:02 ID:QYjx1sjO0
趙氏 趙衰:重耳につき従い亡命 趙武:父趙朔の死後、趙氏滅亡寸前に陥る 趙鞅:中行氏・范氏の乱で滅ぼされかける 趙無恤:知瑤に晋陽を水攻めにされる
魏氏 魏犨:重耳につき従い亡命、罪を得て車右を辞めさせられる
知氏 知罃:楚の捕虜となる 知瑤:趙・魏・韓に攻められ知氏滅亡
中行氏 荀林父(中行林父):邲の敗戦で自殺しかけるが止められる 荀寅(中行寅):反乱に失敗して斉に亡命、中行氏滅亡
范氏 士会(范会):秦に亡命 士鞅(范鞅):秦に亡命 士吉射(范吉射):反乱に失敗して斉に亡命、范氏滅亡
郤氏 郤缺:父の郤芮が乱を起こしたため、庶民として野に隠れる 三郤:詞に粛清されて郤氏滅亡
韓氏 特になし

特に危機のない韓氏すげぇな、おい。

341 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/03/18(火) 15:35:54 ID:bld0K3/k0
>>340に追加

趙氏 趙衰:重耳につき従い亡命 趙盾:霊公に粛清されそうになる 趙朔:霊公暗殺の罪を着せられて粛清 趙武:父趙朔の死後、趙氏滅亡寸前に陥る 趙鞅:中行氏・范氏の乱で滅ぼされかける 趙無恤:知瑤に晋陽を水攻めにされる
魏氏 魏犨:重耳につき従い亡命、罪を得て車右を辞めさせられる 魏舒:会盟後の余興の山狩りで獲物を炙り出そうと山に火をつけたら、自分が巻き込まれて焼死
知氏 知罃:楚の捕虜となる 知朔&知盈:相次いで早世 知瑤:趙・魏・韓に攻められ知氏滅亡
中行氏 荀林父(中行林父):邲の敗戦で自殺しかけるが止められる 荀寅(中行寅):反乱に失敗して斉に亡命、中行氏滅亡
范氏 士会(范会):秦に亡命 士鞅(范鞅):秦に亡命、士吉射反乱の責任を問われて失脚 士吉射(范吉射):反乱に失敗して斉に亡命、范氏滅亡
郤氏 郤缺:父の郤芮が乱を起こしたため、庶民として野に隠れる 三郤:詞に粛清されて郤氏滅亡
狐氏 狐毛&狐偃:重耳につき従い亡命 狐射姑:趙盾との権力争いに破れ亡命、狐氏滅亡
胥氏 胥臣:重耳につき従い亡命 胥克:精神病でクビ 胥童:欒書に粛清されて胥氏滅亡
先氏 先軫:重耳につき従い亡命、狄との戦いで戦死 先克:士縠(士会の兄)達に暗殺される 先穀:反乱に失敗して戦死、先氏滅亡
韓氏 特になし

韓氏が危機に見舞われなかったのも凄いが、それ以上に趙氏の何と波乱万丈な人生よ。


342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 20:57:48 ID:kFyGfNav0
>>337
それ、「貧しい事は良い事だ」の例が欒書なんだよな・・

つくづく分からんわ欒書って奴ぁ

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 21:38:49 ID:tgp6WEVL0
東周英雄伝という漫画で刺客しょげいの話に登場する趙盾も宰相時代に
貧しい生活をしている事になってるのだが。

344 :名無しさん@お腹いっぱい :2008/03/18(火) 21:55:05 ID:bld0K3/k0
>>337
韓不信には、韓厥や韓起の生き様が伝わらなかったんじゃね?

>>342
欒黶が父の生き方を見習わずに、富裕かつ傲慢になってしまったツケが、
欒盈にモロに跳ね返ってきた感じがする。
これは士鞅も指摘してたが。

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 22:54:50 ID:1aUlD5DC0
>韓氏 特になし

強いて挙げれば、叔向と共に楚へ使いした際に霊王に足切り・宮刑を
喰らいそうになった事と、欒氏の滅亡後に、遺領のうちの州の領有権を巡って
范宣子・趙武と争ったことか

前者は楚の賢臣であるイ啓彊の諫言で救われ、後者も後に自領の原と交換する
かたちで落着させて怨まれる様なリスクは回避してるが

もっともいずれにしても他の氏族に較べればずっと危険度は低いものだなあ

346 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/03/19(水) 01:37:17 ID:lt6CeoNz0
左氏伝が韓に甘いところから平勢センセの説は始まってるんじゃないの?

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/26(水) 20:11:43 ID:f/vsaeZRO
平勢氏の本は読んだが、素直に頷いていいものか困ったな
世評はどんなものなんだろう

348 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/03/27(木) 01:01:35 ID:MHlbAlPh0
4年位前に世界史板でセンセの本から引用した系図を書き込んだらタコ殴りだった。

まあ我説の強すぎる人ではあるよね。

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 01:24:08 ID:DEVnvR7t0
そうだっけ?アンタがヒラセ系図に自分の妄想を混ぜ込んだ系図を三戦板に晒してたのを
批判した覚えはあるんだけど、ヒラセ説そのものをぶっ叩いた覚えはないなあ。
あのときは確か正統ヒラセ説の確認のために『史料批判的研究』を図書館まで確認しに
行ったっけ。

350 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/03/29(土) 00:30:11 ID:YsAaZLFO0
おおそんな舞台裏が。

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 02:00:04 ID:4v3g12Mx0
晋の卿は謚が分かってるのが多いから、ざっと思い出してみたのだが、
名君である文公の「文」をおくられている人はさすがにあんまりいないのね。

卿だと、范文子(士ショウ)と趙文子(趙武)の2人だけかな?
どちらも楚との講和に調印した人なのが印象的だ。


352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 05:19:42 ID:6XZHdVsF0
何故か荀寅も「文」の謚を貰ってる
後は知轢。この人も「文」のイメージにそぐわないね

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 13:15:58 ID:NcfiqdPf0
あれだけ周王朝に貢献してるんだから妥当だと思うが?

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 15:11:45 ID:R2zBtxk7O
>>352
出奔した荀寅に文がぉくられてるのは意外だなぁ。
出た先でもらったのなら、趙氏を非難する意でいい謚にしたとか?

知礫は功績多いけど、武功が目立つかな?まぁ武は知オウがもらってるから文になったのかも?

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