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淳于瓊について語ろう

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 22:27:09 ID:diNDRJ+M0
官渡の戦いで袁紹軍の兵糧の護送隊長を務めるも、烏巣で
曹操軍の奇襲に逢い、兵糧を焼き払われた上に鼻を削がれて
処刑された悲劇の武将・淳于瓊仲簡。
彼のことについての史実は正直言って少ないが、彼のファンで
ある私にとっては出来る限り語りたいと思う。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 22:57:10 ID:4Suo+TEf0
この人の事跡は、西園八校尉になったのと、
献帝奉戴に反対したぐらいかな。
もともと結構な名士だったんじゃないのかなあ。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 23:32:17 ID:9nND2cYl0
許攸ムカツク

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 23:41:59 ID:Sr3Y8M9J0
淳于姓の人って、漢代に多そうなイメージ

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 23:42:06 ID:d9EI5Ijk0
4サマゲト
こっち贔屓は◎

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 03:57:49 ID:akFSscDS0
>>2
私もそう思う。沮授と郭図と共に確か都督として軍権を
握っていたね。
>>4
過去に「淳于」の姓を持つ歴史上の人物といえば、春秋戦国時代だと
淳于公(じゅんうこう)に淳于髠(じゅんうこん)、三国志では
曹仁配下の武将である淳于丹(じゅんうたん)、陸遜配下の武将である淳于導
(じゅんうどう)、あと魏の4代目皇帝であり、「高貴郷公」と呼ばれた曹髦の
講師を務めた淳于俊(じゅんうしゅん)、「南柯太守伝」という中国唐代の昔話の
主人公である淳于棼(じゅんうふん)などがいるよ。

特にこの中で有名(?)なのは、春秋戦国時代の斉の威王という君主の政治顧問を
務めた淳于髠で、詳しくは言えないがかなり外交や諫言などがうまく、斉の国の
人からは「弁舌が尽きぬ男」と言われていたそうだ。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 04:00:05 ID:akFSscDS0
http://72.14.235.104/search?q=cache:N0iuZ2v1uyMJ:www.h3.dion.ne.jp/~china/HUMAN3I.HTML+%E6%B7%B3%E4%BA%8E%E5%85%AC%E3%80%80%E6%B7%B3%E4%BA%8E&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1
↑淳于髠についてはここにアクセスしてください。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 04:04:53 ID:akFSscDS0
それにしても、>>2氏の言うとおり、かなりの名士なら、三国志大戦で
武力6、知力3という、あのスペックはないだろう。まあ、「烏巣の断末魔」は
全キャラクターでは使いようによっては屈指の威力を誇るけど・・・・・。

やっぱり知力が3と言うのは駄目だ。淳于瓊には5か6が相応しい。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 13:52:06 ID:akFSscDS0
雷薄ほど人気が無いのか? 淳于瓊は。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 19:09:24 ID:fJFESHTPO
武安国と被る

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 21:41:30 ID:akFSscDS0
ああ、確かに武安国と比べると知名度と史実の無さが同じかもね。
でも、武安国の方は過去のスレではよくネタにして取り上げられていたことが
あったんじゃあないか? それに比べたら淳于瓊なんかチョコチョコとしか
出てこないよ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 22:41:52 ID:akFSscDS0
今日の静岡県民から見たTBS番組の「リンカーン」と淳于瓊、何かダブってしまうな。




知名度の低さが。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 00:26:41 ID:G5nAiJYjO
ジャーン、ジャーン!

げぇ!武安国!

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 01:25:18 ID:Z+Maq/I+0
淳于瓊の旦那は、ベロンベロンに酔っ払って職務を忘れてるところに親近感。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 02:18:57 ID:zT7vVoVl0
http://touten.yamashi.wakatono.jp/C7_1.htm#1

↑淳于瓊と曹操のやり取りがここにあるぞ!!

>>14
「正史」ではそんな事実は一切載っていないんだな、これが。
だが、一説では性格は瞬間湯沸かし器の如く短気だったそうな。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 02:21:28 ID:zT7vVoVl0
ジャーン、ジャーン!!


「官渡での恨み、今ここで晴らしてくれようぞぉぉぉ!!!!!」

げげぇ!!! 淳于瓊の怨霊!!!

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 08:23:59 ID:GSfZdIt10
正史では曹操は淳于瓊を降伏させようとしたんだっけ?
でもその前に鼻は削がれてるんだよね。
降伏させるつもりならそんな手荒いマネしなくとも良い気がするんだが。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 11:58:32 ID:jbFDFGi10
曹操や袁紹の同僚だったという事実がいろいろと想像を掻き立てる

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:33:10 ID:zT7vVoVl0
>>17
それは言えてる。で、その鼻を削がれた淳于瓊を帰順させようとしたら許攸が
「鏡を見るたびに我らに恨みを持ちますぞ」と余計な茶々を入れたんだよね。

でもあれ、許攸のみならず誰かにそう言わせる様に仕向けたと自分は思ったりも
したのだが、皆さんはどう思う?

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:43:35 ID:zT7vVoVl0
>>18
私もそれ(曹操、袁紹と共に西園八校尉を務めていたこと)を知った時、
「えっ、あんな大物と昔は比肩するほど偉かったのか!?」と驚いたものだよ。

アーケードゲームの三国志大戦の郡雄伝では十常侍討伐の時の袁紹の戦略に
感心して「あんたについていくとしようか!!」と言って袁紹の配下に就いたと
なっていたよ。あれには笑っちゃったね。まあ、他にも理由があると思うが。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 00:48:07 ID:rsWnt35n0
淳于姓ってなんだか北方系の名前っぽいよな

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 03:21:46 ID:bJmud6XX0
http://members.jcom.home.ne.jp/2231296001/chu-ka/riken.html

新たに「淳于臨」という人物を発見!! ↑ここを参照してください。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 03:25:27 ID:bJmud6XX0
でも南方にも「淳于」とつく人物はいるけど・・・?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 00:18:36 ID:bnaJ4rsg0
淳于瓊 「私についてのスレッドが立ったか!! ありがたいものだ。」
淳于髠 「何故『淳于』の中で貴方が最も有名なんだ?」
淳于臨 「羨ましいな、オイ!!」

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:09:45 ID:iFfrKRC9O
淳于とは関係ないけど、昔韓国のスポーツ選手に皇甫姓の人がいたな…

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:17:56 ID:bnaJ4rsg0
ああ、何処かのスレッドに韓国にも「皇甫」姓は存在すると
書かれていたね。たしか世界板だったような気がするな・・・・・。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:21:08 ID:bnaJ4rsg0
淳于瓊 「そういや現在の中国で『淳于』姓の人がいるのを聞いた
ことがないな・・・・。」

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:22:30 ID:d8aNFbA3O
俺、学生時代に淳于さんて留学生見たよ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:25:47 ID:bnaJ4rsg0
淳于瓊 「おおっ、何と!! どんな人だったのか覚えてるのかい?」

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:28:28 ID:d8aNFbA3O
済まんね
話したこともなかった
それよりなんで出世頭?の淳于長が出てこないのよ

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:30:56 ID:bnaJ4rsg0
更に「淳于」姓の人を探したらこんな凄い人がいたよ。

淳于意(前216〜154年?)中国臨床医学の父。
彼についてはこのHPを参照してください。
http://www1.ocn.ne.jp/~seizan/seizan/china/p1.htm
http://www2.accsnet.ne.jp/~kiiwako/histories/buntei4.html

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:33:40 ID:d8aNFbA3O
太倉公か

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:36:51 ID:bnaJ4rsg0
>>30
淳于瓊 「なるほど。まあ、私と同じ『淳于』姓の人がいたのを知って
嬉しいな。」

ちょっと調べたらその淳于長という人は2人いたよ。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:39:18 ID:d8aNFbA3O
俺の言った淳于長は王莽の親戚

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:41:36 ID:bnaJ4rsg0
前漢末、王莽と大司馬の椅子を争った外戚の淳于長のことなんだね?

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:43:13 ID:d8aNFbA3O
うむ
つまりもしかしたら淳于氏の王朝が出来てたかもしれんのだよ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:43:34 ID:bnaJ4rsg0
>>34
被っちゃった!! ごめん。
しかもその人、王莽の親戚だったのか!! とんだミスだ!!

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:45:51 ID:bnaJ4rsg0
王朝・・・・・。それほど凄い人だったのか!!
そうなると中国の歴史ってどう変化したのかな? 想像がつかないな。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:47:38 ID:bnaJ4rsg0
淳于瓊 「ひょっとしたら私の比ではない位かなり名高い人物に
なっていたのでは?」

淳于長 「そうかな?」

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:49:46 ID:d8aNFbA3O
鮮于輔「それより俺を忘れるなよ」

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:58:27 ID:bnaJ4rsg0
http://mujin.parfait.ne.jp/mujins/sanguo/s.html#Senu-Ho1

↑鮮于輔についてはここにアクセスしてください。

淳于瓊 「なるほど、結構縁の下の力持ち、という感じが強い人物なんだな・・・・。
って、こやつ、官渡の戦いでは我々袁紹軍の敵だった男ではないか!! まあ、いいけど。」

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 02:06:25 ID:bnaJ4rsg0
皇甫嵩 「そういやお主、昔『「むむむ」して「なにがむむむだ」されなければ神』という
スレッドで迷当大王と虎牢関で一戦を交えていたな。あの後どうなったんだ?」

淳于瓊 「一応和解したんだ。それ以来何も音沙汰がない。」

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 03:20:19 ID:BKLP3vbo0
SF小説の話だが銀英伝で同盟の総参謀長となった人物「チェン・ウー・チェン」は
漢字で書くと「淳于○」になるらしい。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 03:42:55 ID:bnaJ4rsg0
>>43
淳于瓊 「何かそういう大物の人が『淳于』姓を受け継いでくれると
いうのは非常に嬉しい限りだ。調べてみたがその『チュン・ウー・チェン』という
人物、『パン屋の2代目』というあだ名があるんだね。親近感が湧いてきたよ。
ちなみに『チェン』がつく人物の代表としてジャッキー・チェンのほうで調べたら
漢名が『成龍』となっていたぞ。となるとそのチュン・ウー・チェンの
漢名は『淳于龍』か『淳于成』ということになるかも知れない。まあ、
これは私の完全なる憶測だけど。」

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 03:55:13 ID:bnaJ4rsg0
淳于瓊 「更に調べたら彼、『民主主義に乾杯』という名言があるんだな!!
いい言葉ではないか!! 殿(袁紹)には真に申し訳ないが、実は、劉備みたいな
多くの人から慕われる人物が国を治めるべきだと常々思っていたのだよ。
殿は晩年、人間不信みたいなところが出てきたから劉備には劣ると考えざるを得ない
と思っての苦言だが。まあ、殿を弁護するならば、ある文献では殿が亡くなった時、
『領民の多くが(袁紹の死に)涙を流した』と書かれていたな、うん。

ん? そう考えると殿もわりかしチュン・ウー・チェン殿に共通している部分が
あるような気がしてきたぞ。」

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 07:09:23 ID:xuugFoyl0
ただのネタスレかと思ったら、意外にクオリティ高くて驚いた。
このスレには末永く頑張っていただきたい。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 09:18:00 ID:blU5MWpbO
じゅんうけいはからだをはって「さけはのんでものまれるな」とおしえてくれましたとさ。

とっぴんひゃらりのぷ〜。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 15:15:59 ID:YZvcQUU10
関連wiki
http://wiki.ninki.org/wiki.cgi?p=%bd%df%d0%b2%e0%fb%a4%cb%a4%c4%a4%a4%a4%c6%b8%ec%a4%ed%a4%a6


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 16:13:28 ID:S3+rlAFw0
>>8
亀だが、DS版大戦のオリジナルで、
武7知5募というコーエーでは有り得ない能力になってる。

正史でも堂々とした男だったらしいから、コーエーでも武力80くらいは欲しいね…

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 21:38:32 ID:moC68kyeO
携帯三国志だと何と武力86!

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 22:26:00 ID:+Wkw/1i60
あんまり変わらないだろ。
あそこはそういうところだ。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 22:55:37 ID:bnaJ4rsg0
>>45
淳于瓊 「教えてくれてありがとう!!」

>>49
それでも私はあのカードの淳于瓊の方が真の姿だと思ってます。
因みにカード裏に書かれている人物説明も面白く、カードの方は
「正史」の方の説明で、DS版の方は「三国志演義」の方の説明が
記されているよ。
 あとよく考えると、SEGAは彼の事を重宝してるような気がする。
理由はVer.1では計略「烏巣の断末魔」を士気満タンの12で発動させると
武力が18だったのにVer.2になると士気満タンの12で「烏巣の断末魔」を
発動させると何と26まで跳ね上がるよ!! しかも効果時間もまた5カウントから
6カウントに延長したときた!! 彼の大ファンである私にとっては滅茶苦茶
嬉しい限りだが、三国志の中で目立たぬ存在という感じが強い彼を何故そこまでして
強くさせるのかが不思議。
(※ただし「烏巣の断末魔」はVer.1の時は士気が0.5〜1増えるごとに武力が
1つずつ追加されていたのだが、Ver.2になってからは士気7.9までは1つずつで、
8からになると0.2〜0.3増えるごとに武力が1つずつ増加するようになった。欠点と
いえば兵力が少ない時、あるいはダメージ計略を持つ武将がいる時に発動させるとそれらの
攻撃により、「撤退→士気が0になる」という可能性が高いことだろう。)

>>50
凄いな、それは!! シリーズを追う毎につれて淳于瓊の武力と知力は
減少する一方だったのに、Koeiも彼の事を見直し始めたのかな?

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 22:57:12 ID:bnaJ4rsg0
間違えた。
感謝するべき方は>>45ではなくて>>48だった。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:00:18 ID:bnaJ4rsg0
>>46
淳于瓊 「そう言ってくれるととてもやる気が出る!! 本当、嬉しいね!!
感謝の一言に尽きます!!」

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:07:00 ID:zTiGVrZ90
面白い身が無いかも知れんが、光栄三国志でいうなら武力統率知力は70台欲しいよね。


ってか、このスレ意外と盛り上がってるなw

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:09:16 ID:d8aNFbA3O
五鹿充宗とか東郭咸陽とかもよろしく

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:09:36 ID:bnaJ4rsg0
そういや「三国志演義」では酔っ払って部下に暴力を振るったとも
書かれていたような気がするけど・・・・・。

やっぱりそんな事を羅貫中に書かれるくらい気性が激しい人だったのかな?
淳于瓊氏は。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:12:37 ID:C9QZrGM80
>>57
そんなの演義の創作だろ。
実際は西園八校尉に選ばれ、
袁紹陣営の最高幹部だった名士。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:25:31 ID:bnaJ4rsg0
>>56
初めて聞く名前なので調べた所、五鹿充宗はあるサイトによると、
「易学の大家として元帝の寵愛を受けると、他の学者がこのオヤジの背後に
ある皇帝の権威にビビって手加減してやってるのに、ソレを自分の学術の
レベルと勘違い!結果、調子こいて『ワシは天下一の学者』とほざいていたが、
皇帝の権威をクソとも感じない朱雲に5秒で論破され、赤っ恥掻いた挙げ句、
地方に飛ばされてしまった。」と書かれていたよ。

一方、東郭咸陽は前漢の大農丞(今の経済産業省大臣か?)で、塩の専売に
力を入れて政財界に影響を及ぼしたという、経済のプロらしいね。

私なら東郭咸陽に肩を持ちたくなるね。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:29:20 ID:bnaJ4rsg0
>>58
そうだよね。
私としては顔良、文醜、張郃と並べて袁紹軍の
四天王として祀りあげたいよ。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:30:35 ID:d8aNFbA3O
大司農丞だと副大臣かね

ついでに吾丘寿王とか息夫躬とかもよろ

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:39:43 ID:bnaJ4rsg0
>>61
いくら数少ない複姓でもやっぱりたくさんいるからね・・・。調べるには
非常に大変だよ!! こちらも忙しい時はあるし。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:45:54 ID:vPNjU+Lz0
2字姓だと司馬諸葛とか

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:15:13 ID:hI6Jtsgl0
吾丘寿王は前漢の碁の名人で、「『蒙求』徐注本標題」というサイトによると
「寿王議鼎 杜林駮尭(人々が周鼎とする宝鼎を漢鼎だと主張して帝に喜ばれ,
杜林だけは郊祀に漢の創業に関与しない尭を祭るべきではない)」と主張したと
載っていたよ。また四文字熟語サイトでは寡二少双(並ぶ者がいないこと、二人と
いないこと。「寡二」も「少双」も二つとない意味)というのがこの人の伝記
(漢書「吾丘寿王伝」)にあったそうで、この四文字熟語の生みの親らしいことを
書かれていたよ。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:17:48 ID:hI6Jtsgl0
>>63
あと「皇甫」、「夏侯」もね。

あと「武安国」が気になるんだけど、あれは「武」が姓なのか?
それとも「武安」が姓なの?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:21:24 ID:v0DxTpZDO
ジャーン!ジャーン!

げぇっ!武安!

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:23:35 ID:hI6Jtsgl0
息夫躬については、漢書・息夫躬伝という所に「先入主となる
(せんにゅうしゅとなる・ぬしとなる)・・・始めに覚えた考え方に固執
(こしつ)して、その後の変化について正しい判断理解ができないこと。
第一印象に支配されること。」という諺が記載されていたみたいだけど、
この人自体何をした人かわからないよ。

誰か教えて!! お願い!!

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:26:02 ID:5Dsg3xlRO
上官
公孫
梁丘
陶丘
叔孫

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:27:46 ID:5Dsg3xlRO
>>67
漢の哀帝時代の人
哀帝の知恵袋として建策した

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:28:54 ID:hI6Jtsgl0
>>66
そうなのか!? 「武安」が姓なのか!?
あと刑道栄もそうだな。「むむむ」の時は淳于瓊と手を組んだ
木鹿大王に捕らえられたシーンが印象に残ってるよ。

実際は劉備の荊州攻略戦で趙雲に仕留められたけど。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:31:16 ID:hI6Jtsgl0
>>68
おおっ、こんなにあると何か華やかに見えてきたぞ。

>>69
ありがとう、覚えておくよ。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:33:11 ID:hI6Jtsgl0
「むむむ」で思い出したが、あと曹操の謀士の一人である戯志才も
姓が「戯」なのか「戯志」なのかが分からないな。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:34:52 ID:5Dsg3xlRO
公仇
士孫
成公
王弘
毋丘

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 01:37:05 ID:5Dsg3xlRO
>>72
「戯」が姓だよ
三国志原文から分かるよ

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 02:12:50 ID:hI6Jtsgl0
>>74
ありがとう。
>>73
更に増えてる!! 毋丘倹や士孫瑞を見落としてたな!!

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 03:54:27 ID:dJLUrj9B0
濮陽
邯鄲
令狐

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 04:24:45 ID:hI6Jtsgl0
>>76
「濮陽」だと濮陽興、「邯鄲」だと巫師・曹吁とその娘の曹娥の
エピソードを碑文にした邯鄲淳という人がいたね。後に蔡邕が
その碑文を読んだ後、「黄絹幼婦、外孫韲臼」と大きく書き、
曹操がその文章を「絶妙好辞」と解いたんだよね。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 04:25:47 ID:hI6Jtsgl0
あと「北宮」、「鐘離」もいるね。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 05:59:18 ID:s5nf+Vpj0
信陵君
平原君

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 06:12:13 ID:v0DxTpZDO
金環三結

創作にしてもこの名前は一体何なの?


81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 08:10:31 ID:BhSbpME40
太史慈のこともたまには思い出してあげてください

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:54:20 ID:hI6Jtsgl0
>>81
淳于瓊 「済まん!! 忘れてた!!」

太史慈 「ショック・・・・・。」
太史亨 「父上の存在を忘れるなんて無礼な輩だ!! 訴えてやる!!」

淳于瓊 「え〜っ!? それで訴えるのか!?」

果たして太史慈の存在を忘れていた淳于瓊から慰謝料は取れるのか?

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 13:30:38 ID:hI6Jtsgl0
(ナレーター・武田広)
ここで今回のポイントを説明しよう。

1・淳于瓊は自分の事の他、複姓の方々の事をも知ってもらおうと
いう目的でこのスレッドを立ち上げた。

2・太史慈は自分の出番が今か今かと待ち続けていた。

3・しかし淳于瓊は太史慈の事を完全にド忘れし、決してわざと
存在を無視していたわけではないと主張。

4・しかし太史慈の息子の太史亨は名高い父の存在を忘れるのは
遠まわしに侮辱していると主張

以上の点から果たして太史慈は淳于瓊から慰謝料は取れるのか?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 15:34:05 ID:SAwtQoRj0
呼延
尉遅
暮容
東門
西門

異民族が漢化したときはたいがい複姓になるけどな。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 16:47:41 ID:QyNIP1Fx0
朝鮮
民族にも、南宮、鮮于、諸葛、皇甫、独孤、司空、東方、西門
などの二字姓がある。

どれも中国固有の二字姓じゃんw

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 17:50:07 ID:67ZQ/iow0
誤記という噂もあるけど、
傅士仁もいれてやってくれ。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 19:06:15 ID:v0DxTpZDO
誰ですかそいつはw?

史天沢とかもいるわな。
那律とか兀顔とか完顔とか漢人以外だと沢山いるな。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 21:23:24 ID:/VGOq0ss0
>>87
史天沢は、姓が史、名は天沢。
二字姓ではない。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 21:29:35 ID:hI6Jtsgl0
宋、金と争った遼、または西遼の王家は確か「耶律」だったね。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 21:31:01 ID:hI6Jtsgl0
鮮卑だと慕容の他に「宇文」、「拓跋」が有名だね。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 21:42:29 ID:CRZmokf7O
「第五」っていう姓もあるね

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 22:55:00 ID:5Dsg3xlRO
第二もあるよ
斉の田氏が関中に移住する時に到着した順番に由来する姓だから

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 14:01:31 ID:YsjaIYZD0
当たり前だけど、清王朝の王家「愛新覚羅」も忘れちゃいけないよ。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 16:05:55 ID:zoAucpa8O
こうやって異民族の姓の話が盛り上がる中、完全にシカトされるモンゴル
(いや仕方ないのだが……)

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 17:27:32 ID:/szxDOHwO
五応星?だか何だかもいたよな?応の字間違い臭いが。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:02:47 ID:xfqTIAlR0
鍾離

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:49:52 ID:YsjaIYZD0
何だか淳于瓊からかなり離れていってるような気がするが・・・・・。

>>94
モンゴルは漢名の姓を持たないでしょうに。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 00:03:09 ID:mQZz1nGh0
鍾離の代表人物・・・・・鍾離昧、鍾離斐、鍾離牧

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 00:23:45 ID:LuhIAfxV0
袁世氏

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 00:55:03 ID:lvM+xvSQO
>>95
水滸伝でそんな名前の人居たような気がする

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 01:11:35 ID:rrOd5uNgO
欧陽菲菲の欧陽は紀元前からの由緒ある姓

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 09:39:05 ID:07x9UfV0O
>>97
だから「仕方ない」

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 00:20:36 ID:SjGXGfmj0
>>100
それ違う。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 19:07:51 ID:ojufaWkc0
高堂隆を忘れてました

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 19:43:29 ID:mekCrCqwO
聞人を忘れてた

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 19:53:04 ID:k63wjtpL0
>>100
五の字が違う。伍ね。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 03:56:20 ID:knIdqLTj0
蒋義渠、眭元進はどうなんだ?

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:48:43 ID:ZYfdnYxV0
確証はないけど普通に蒋や眭はいるから一字姓二字名だろう

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 20:43:11 ID:t69x7wpF0
淳于衍はどうなったんだろう…
やはり処刑されたのかな?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 01:00:39 ID:1P59PEmZ0
殺されたか病没かは不明だ。白泉社コミックスで「お嬢様と私」というのが
あって、そこに女医・淳于衍が出とるよ。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 03:21:41 ID:Xpkx+n5s0
淳于瓊 「淳于姓がこんなにいるとは・・・。ありがたい。ところでこの
スレッド、やや過疎化しているから次からは『淳于』がつく人物や複数姓の
人物をそれぞれ呼ぶかな?」

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:23:39 ID:Xpkx+n5s0
淳于髠 「お主が呼ぶというから来ましたぞ。」
淳于瓊 「やあ、相変わらず小柄だな。酒飲み過ぎてはいまいか?」
淳于髠 「いやいや、もう控えてるよ。」

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 00:43:54 ID:DuB/WHsQ0
淳于長 「クソッ、王莽がいなかったら私が漢王朝を仕切っていたのに、何故天は
王莽なんぞを生んだんだ!! あやつなんぞ、漢王朝を乗っ取り、新たに『新』と
いう王朝を建てて民を苦しませた悪の権化ではないか!!」
淳于瓊 「今更嘆いたって何も始まるまい、ここは我慢のときだ。いつかお主の出番は来るよ。」
淳于長 「まあ、そうだけどね・・・。」

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 03:27:12 ID:o8SaEx0U0
淳于丹 「我々って目立たないな・・・。」
淳于導 「うむ。わしなんぞ夷陵の一戦で偵察部隊として散々に蜀軍に叩かれたものの、
これがかえって陣営の情報が沢山入ってきて、結果、陸遜将軍に勝利を貢献したんだよ。
なのに世間はわしのことをあまり評価してくれないんだ。おかしいよ、トホホ・・・。」

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 12:44:58 ID:Ph73ZbEd0
淳于瓊スレ、なんで伸びてるんだろうw

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 16:59:32 ID:nngqA2MuO
たぶん鮮于輔の人柄のお陰

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 01:44:27 ID:GRyVF1A70
鮮于輔 「私のほかにも『鮮于』の姓を持つ人物がいるはずだけど・・・・・。
来てくれないかな?」

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 21:58:43 ID:EKmNIsz70
>>117
鮮于丹「あいよ」
鮮于銀「同志の俺を忘れるなよな」

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:18:47 ID:Q30mDor90
鮮于輔 「ありがたい、これなら淳于瓊にある程度対抗できるぞ!!」

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 03:25:59 ID:NrbQOJ4RO
食糧庫を夜襲され、敗北決定的な失態を犯したばかりに
1800年後に至るまで小説、マンガ、ゲームで数えきれぬほど夜襲されまくる彼を見る度に心に戒める
お 酒 に は 気 を つ け な け れ ば

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 18:00:05 ID:kvDmm5J/0
自分が考える淳于瓊のイメージ

「三国志演義」―→ ぐうたら、情けない

「三国志正史」―→ 勇猛果敢な武将、度胸がある

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 19:25:02 ID:hxQXp62U0
昔、テレビで少年時に日本兵に可愛がられたお爺さんで、

上等兵閣下

という五字姓の人を見た記憶がある。
当然、全中国の中で一つだけの姓だとのこと。
もちろん、ナチスの総統閣下とは関係無い。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 23:27:57 ID:LJl9pJyf0
>120
董卓、袁紹なんかは負け役なりにいいところも見直され、曹操なんかヒーローとして
漫画にもなったのに淳于瓊ときたら・・・


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 23:32:31 ID:tpO3Nq3v0
淳于誕「淳于瓊殿!北魏より援軍に参ったぞ」

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 02:03:26 ID:7geJx+xm0
淳于瓊 「おおっ、ありがたい!! 曹操が新たに設置した兵糧庫に目を付けて
困っている所なのだ!! お主の力を是非貸してほしい!!」

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 02:05:28 ID:7geJx+xm0
淳于瓊 「淳于誕殿、その兵糧庫の場所はここだ!!」↓

http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1166243696/l50

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 22:18:13 ID:z/VPj47T0
淳于瓊 「淳于誕殿、移転だ!! ここに来てくれぬか!?」
http://etc5.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1166243696/l50

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 13:56:41 ID:SM4U5TFl0
中国の苗字ワースト3は
1位が難氏 倭国の使者の難升米の子孫?
2位は死氏 異民族系らしいが聞いたこともないしすごい苗字だ
3位は山氏 晋の竹林の七賢の山濤で有名だがこっちは滅びてて岳飛の子孫が山氏と改名したのが祖らしい

ワーストっても2000人ぐらいいるみたいだから数人しかいない日本の苗字とt比べたらまだまだだけど

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 22:56:40 ID:ElQTC0C60
「死」という姓は確かにビックリだな。この姓を初めて名乗った祖先は
一体、何を考えていたんだろうな。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:50:12 ID:DVu89Rt80
2字姓でけっこう凄い人物いるよね
孔明しかり晋王族しかり暮容垂しかり朱元王章…はもう2字姓ばかりか

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 09:30:01 ID:cx2UuNYZ0
>>130
晋の王族のどこが有能なのかと、詰問したくなる
八王の乱あたりを調べるか、世説新語を通読してからまた来てください

あと、朱元王章ってだれ?

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 21:06:16 ID:xbzzM83R0
>>131
「朱元璋」の事らしい。「璋」の字が上手く出てこなかったんだろうね。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 21:56:57 ID:xbzzM83R0
淳于瓊 「う〜む・・・・・。ここでは私はどうも、複姓の人物を呼び込む力が
あるのだろうか・・・・・? それはさておき、司馬一族が早くも衰退の一途を
辿る羽目になったのは初代皇帝の司馬炎が中国を統一した途端にだらしなくなった
のがそもそもの原因だろうな。また、一族を各地の王に仕立て上げたのもまた却って
その八王の乱の引き金になったとも取れるような気がする。まあ、仕立て上げた
だけではこんな大乱は起こらないけど・・・・・。」

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 04:55:22 ID:amtQUo4O0
司馬氏は不遇のうちは英明だが権力を握るととたんに堕落するとどこぞに書いてたけど割りと的を射てると思う

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 22:26:31 ID:RbYq1epI0
この淳于瓊、一時期「Wikipedia」で「袁紹の下で武功を挙げた」と
言うような事を書かれていたが、一体何の戦いで挙げたのかを詳しく知りたいな。
まあ、宦官討伐や公孫瓚との戦いだと思うが・・・・・。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 20:23:16 ID:8E3i2Xe60
「三国志大戦」の淳于瓊ってBLEACHの更木剣八に似てるな。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 21:44:32 ID:WrCE50CfO
>>85
俺の地元に、独孤って地名あるんだがなんか関係あんのかな?

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 22:05:03 ID:uRZ8IMym0
独孤はもともとは鮮卑族の姓で隋の文帝の独孤皇后が有名
>>85の朝鮮の姓は全部中国および中国に絡んだ周辺民族の姓だけど
お前の地元が具体的にどこだかわからんから由来はわかんないけど
もしかしたら渡来人かなにかで独孤さんが住み着いた場所かも

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 22:24:22 ID:IBmLhJRGO
日本人で本名が司馬姓の人っているのかな?

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 22:40:06 ID:8E3i2Xe60
>>139
昔、渡来人で「司馬達等」という人がいたな。
法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像を作った鞍作止利
(くらつくりのとり)の祖父だ。

まあ、今だと司馬遼太郎さんでその苗字は知られてるな。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 12:18:44 ID:ndRVrI/g0
>>139
俺の母方の親戚に司馬さんがいます。
由緒を母に尋ねてみても「知らん」の一言で片付けられましたが。
母は鹿児島出身の人なんですが、鹿児島に結構いたりするのかな?

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 12:38:16 ID:oaJ1Z123O
>>138 そうなのか、ありがとう。
ちなみに地元は青森。
地名の場所は日本海に近い方だからそうなのかもね。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 03:11:32 ID:ebJp1hj30
>>142
青森県弘前市に独狐という地名がある。
これで「とっこ」と読むが、北方経由で渡来した人が住み着いたのかもしれないな。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 18:31:43 ID:R5Ar5Pu10
忘れていたが、「禿髪」という姓も確かいたな。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 01:18:37 ID:bKmXtcBgO
最初の人は自分で名乗ったのか、強制か…。
その子孫がいじめられてないか心配だ。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 01:39:56 ID:LBnUgRjIO
悪七(あくしち)ってのは? 山形に名字と地名があるけど

これ日本名?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 05:36:11 ID:227dyHyy0
>>146
淳于瓊 「その苗字だが、別のサイトによると、今のところ実在するのは17人、うち8人は
山形県の方々らしいぞ。あとの9人は他の都道府県にいるみたいだが、それでも本籍とかは山形
だろうね。私の当て推量だが。」

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 05:54:48 ID:227dyHyy0
後こんな複姓が見つかったぞ。

「爾朱」

この姓で一番有名なのは「爾朱栄」と言う人物で、何でも北魏の実権を
全て握っていたそうだ。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 05:55:48 ID:227dyHyy0
全く関係ないが、隋の文帝は漢民族ではなく、鮮卑の名門貴族である「普六茹部」の
末裔というのが本当らしいぞ。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 04:24:21 ID:e8Hvn8z70
楚の若敖氏も複姓なんかね。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 02:59:44 ID:OcVYbDTo0
>>150
う〜む……。若敖というのは楚の14代目君主・熊儀(楚の王家の姓は「熊」)の
君主名だからね…。

その末裔である闘氏や成氏の総称(?)みたいなものではないかな?

春秋戦国時代の知識が非常に疎くて申し訳ないが。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 14:55:54 ID:eu48hN5y0
若ゴウの子(名前忘れた)が楚君になってその弟とかが闘氏や成氏になってるよね。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 23:45:53 ID:QSOToib10
今、テレビで中国のフグ取材をしていたが、その会長の苗字が「何百彩」だった

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 03:24:40 ID:iOrZ43xW0
>>152
そう、みたいだな。

あと闘穀於菟とかいう者が息子の闘椒を見て「この子は若敖氏を絶やす事に
なるだろう」と呟いたみたいだが、実際は姓を変えて生き残ったみたいだよ。

ところで、このスレ淳于瓊のスレだよな? えらく路線外れてないかい?

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 03:26:47 ID:iOrZ43xW0
>>153
なんだって!!? 「何百彩」!? 長生きしそうな名前だねえ!!

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 05:39:14 ID:iOrZ43xW0
ところで、淳于瓊は「三國志11」だと武力と知力、どれぐらいあるんだ?

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 15:18:32 ID:+3uepBVG0
>>156
武力60知力77

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 15:55:14 ID:iOrZ43xW0
>>157
ありがとう!! 武力はまた下がっているが、知力が大幅に
アップしたのは嬉しいね。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:07:08 ID:mOEEcOp30
SEGAは何故、そこまでして淳于瓊を好待遇するのだろうか?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 11:51:40 ID:IvbWbZDcO
三国志大戦DSでのDS淳于瓊ってメガテンの悪魔絵師がイラスト描いてたな
以外と普通の絵だった。
しかし、馬岱とか貂蝉はまだ分かるけど、何で淳于瓊が
DSオリジナルカードに抜擢されたのか謎すぐる。
能力もやたら厚遇されてるし、セガは何か淳于瓊に思い入れでもあるのか?

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 13:56:51 ID:O+w8AhC40
アーケードではほとんど使用されていないカードゆえ、
憐憫の思いがあるのではないだろうか?

勢力別でも使用率がかなり低いみたいだからな。

因みにアーケードの方のイラストは、ファンタジックノベルスの
「シュヴァリエ」の挿絵(それ以外にもだが)を手がけている
夢路キリコという人だそうだ。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 01:06:10 ID:yoZOJlwd0
淳于瓊ほど、妙に恵まれたキャラはいないと思うな。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 20:52:19 ID:MnBUBlo50
我が傷の痛み、思い知れェェェ!!!

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 19:04:55 ID:rCOplb3S0
烏巣守ってたのが、みんな二文字姓なのは
何か理由があるのかな?

淳于瓊
[目圭]元進
韓[艸呂]子
呂威[王黄]

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 20:18:21 ID:bSy/KcloO
>>164
淳于瓊以外は一字姓+二字(字か名)じゃろう

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 21:15:12 ID:4l1yv7D20
>>164
偶然、偶然。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 11:37:16 ID:PUJBkvJ00
>>164がなぜそんな勘違いをしたのか……

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 23:15:36 ID:AH+0vp8i0
久しぶりにここを訪れたが、淳于瓊は演義では酒に酔い潰れている所を
曹操軍に奇襲されて兵糧庫を失ったという、余りにも情けないところで
有名だが、逆に正史では死に直面しているのにもかかわらず、あの曹操に
言い放った「勝敗は天にあり。これ以上何を問う事があるのか。」という
名言で有名になっているよね。

これほどギャップが違う武将というのはそうそういないのではなかろうか?

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 09:08:02 ID:0oBAmETEO
魯粛。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 22:54:54 ID:Ta21hjiI0
韓浩

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 12:54:16 ID:O8xelIZN0
潘濬

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 00:59:59 ID:HN/GfKJg0
李儒

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 13:46:58 ID:NAureRk+O
淳于式あげ

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 00:57:43 ID:ufWhe1nV0
淳于式か。そいつは確か「三国志演義」のみに登場する、陸遜配下の部将で
ある淳于丹の本当の姿であると言われている人物の事のようだな。

まあ、実際はその淳于式と鮮于丹の名前が足して2で割ったのがその
「淳于丹」の誕生だと言われているそうだがな。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 20:15:05 ID:Az9ss1B20
大抵の「三国志」関連の書籍では淳于瓊は「三国志演義」でのエピソードが
取り上げられているぞ。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 23:18:45 ID:Qyfz/lQr0
淳于式って陸遜を讒言した人じゃないの?

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 00:41:52 ID:Nbp7VGbL0
>>176
その通り。「陸遜伝」に登場した会稽の太守だよ。彼は陸遜が国内の反乱を
平定し、精鋭を集めて兵力増強を図っていた頃、陸遜の内政手腕を面白く
思っていなかった淳于式が孫権に「陸遜は不法に民衆を徴用して自軍に編入
しており、それによって民衆が苦しんでいます」と上表したそうだ。

しかし陸遜はそのような告げ口をしても淳于式を咎める事無く、寧ろ
「淳于式殿は民衆を思う心がある故に告げ口をしているのであり、彼は立派な
官吏であります。」と称賛したとあり、陸遜の引き立て役にされたとあるぞ。

そしてその一件以外ではこの淳于式は出てきていない。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 00:45:12 ID:idV6eoYVO
陸遜も否定してないので実は讒言じゃない件

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 02:24:10 ID:Cr94fPf50
>>178
そのようだね。で、逆に陸遜の命を受けて劉備軍の陣営に攻撃を仕掛けてきたのは
鮮于丹、という訳か……。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 03:25:30 ID:cxF8HKkr0
三国志大戦をやっている者だが、最近淳于瓊をちらりほらりと
見かけるようになったぞ。

皆、見直し始めたのかな?彼の事を。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 07:34:27 ID:Mmei5beQO
そうだといいがな

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 00:25:26 ID:y9ub1Tgc0
まことその通りだ。あ奴は顔が更木剣八に似ているゆえ、士気満タンでの
烏巣の断末魔は覚醒した更木を彷彿とさせるぞ。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 00:29:24 ID:e2Bvt7PK0
初心者で負け続けだった僕が、淳于瓊を使うことで勝てるようになりました(実話)。
断末魔ひゃっほい

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 01:31:33 ID:y9ub1Tgc0
こちらも栄光を使うと思ったらフェイントで断末魔を発動させて敵を混乱に
陥れる事に成功したぞ!!!

それに……、断末魔のお蔭で長坂橋の張飛の如く、桃園デッキを淳于瓊だけで
撃破することに何度も成功したぞ。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 02:10:42 ID:ax7ZoCBp0
凶悪な容貌に凶悪な奥義の持ち主……、それが淳于瓊。

士気リセットは味方にしては恐ろしいが、断末魔を使いこなせる者とぶち当たれば、
敵方も絶望に苛まれる事この上なし。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 21:53:17 ID:yDwe2j3w0
つまり金品を奪われたあげく丸裸にされて
凌辱された女子高生みたいなものと
思っていいわけか?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 00:32:11 ID:kKaMtKbV0
>>186
そんな変なものでは無い無い。
単に劣勢に追い込まれるだけだ。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 15:01:35 ID:V4p9iIZG0
わざわざ処刑しなさいという勧誘をするほどなら
許攸とは関係が良くなかったようだ
淳于瓊

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 18:43:47 ID:6OlBwA9g0
それだけで二人の関係を推測するのはどうなのかな

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 15:04:04 ID:n9C+D1uv0
淳于瓊が許攸をどう思ってたかわからんが許攸の単なる嫉妬ならありえそう。
人間性希薄最低レベルの糞野郎だし。

袁紹軍団事実上沮授に次ぐNo2にして後漢の官位もある重鎮として重用された淳于瓊。
いちおうはかつての同僚?が袁紹に重用され自分は疎んじられた境遇に
許攸のような人間なら十分嫉妬してそう。

そういう相手を私憤だけで処刑をすすめる。余人ならまだしも許攸なら
十分すぎるほどありえる。淳于瓊は袁紹陣営中の許攸なんかは視界にすら
入っていなかったんじゃないのかな。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 16:19:44 ID:d7HIbTiC0
>>190
許攸は南征軍の謀主を務めたとあるから、
淳于瓊の視界に入らないほど軽い地位にあったとは思えない。
霊帝時代から名高い名士だし。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:34:30 ID:n9C+D1uv0
たしかに。。。しかし知る限り許攸に関して正確な官位がはっきり
書いてあるものがない・・ 淳于瓊も袁紹軍での正確な官位が書いてないw

推測では許攸は、田豊の下 逢紀、荀ェらと同格の参軍的位置、張儁乂らの上という
感じじゃないかな。  逢紀だけはちょっと違うみたいだが。

淳于瓊は少なく見積もっても 沮授の下 審配郭図と同格かそれ以上なのは
間違いないと思う。

文醜が南征で兵を卒したと書かれてるのを見るとただのブサではなく
それなりの地位の将軍だったんだなぁ。

眼中ないってのは言い過ぎた。 許攸が嫌いなんで・・

正確な情報といえば袁兄弟は刺史とはっきり書かれてるのに袁尚だけが
書いてないな。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 14:13:29 ID:wZmcHPHj0
許攸は田豊や荀ェらと同格で謀主、
淳于瓊は沮授や審配、逢紀、郭図と同格でそれぞれ一軍を率いる立場(審配と逢紀は格上かも)。
顔良・文醜は張コウらと同格の一部将だったと思う。
白馬では顔良が斬られただけで袁紹軍は崩れる事も無く、
逆に淳于瓊と郭図が関羽・張遼を追い散らしてるしね。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 00:36:40 ID:It/rLN450
>>193
関羽と張遼を追い散らした!!? 凄い事実だな、それは!!!

因みに淳于瓊は張合βと仲良かったのであろうか?

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 01:48:04 ID:k02Xbyvj0
関羽と張遼を追い散らしたっていうのは何かの史書に書いてあるの?

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 11:13:04 ID:7fRW2OnT0
淳于瓊と関羽・張遼が最接近するのは三国志を見る限り
武帝紀の建安5年2月から4月のあたりで
このとき顔良が関羽・張遼にやられたことしか書いてない
淳于瓊と関羽・張遼が直接対決した事すら載ってないぞ
あるならソース希望

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 11:49:30 ID:pjaJOQgY0
曹操が白馬と官渡が二つとも保持していれば、
袁紹は延津で身動きが取れなくなっていただろう。
第一渡河を妨害する為にその二将を派遣したのに、
先鋒の顔良だけ斬って退くというのはありえない。
力押しで追い返されたor最初から解囲が無理な戦力差だった、というのが納得出来る展開。
延津で対決をするフリをして白馬に援軍を出すという紛らわしい真似をしているが、
結果として戦略目標を達成していない。
戦後の結果から「曹操は神知の持ち主なので白馬の敗戦にもなんらかの意味があった」と解釈するのは贔屓が過ぎる。
関羽・張遼がどんな猛将だろうが、兵力が倍以上で並みの指揮をする敵将相手には、そうそう勝てるものではない。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 12:31:51 ID:HuEKEa420
郭図、淳于瓊、顔良が白馬に屯していながら
荀攸が曹操に「・・・顔良可禽也。」とハナから顔良だけ狙ってるような献策をして
じっさい顔良しか斬られていないのは何故か
>>197の謂は合理的だとは思うが、それでも淳于瓊が関羽と張遼を追い散らした事の
直接の証左にはならないのでは

なお「曹操は神知の持ち主」だとは毛頭思わない

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 13:42:34 ID:pjaJOQgY0
1 白馬で顔良が戦死した。
2 戦前の会議で荀攸が「…顔良可禽也」と彼の猪突傾向を指摘していた
3 後世になって彼の知恵を裏付けるエピソードのひとつとして陳寿が記述
4 100日の対峙後、烏巣と官渡で戦況が大逆転。陽武で捕虜八万とされる大勝利に終わる
5 ↑の結果から曹操乃至荀攸が「神知の持ち主」と思われる
6 まるで顔良一人を斬るために延津〜白馬の防衛線を譲り渡し敵の渡河を許したような解釈が広まる

当初の計画では黎陽を拠点に防ぐ予定だったようだが、劉備の討伐で大分後退してる、というか後退しすぎなくらいである。
最初から4のような大勝利を予測できるとは思えず、無難に地勢を生かした引き分け狙いと思う。
200年の時点では袁紹は勝てば即座に覇権を掌握できるが、
曹操はこれほどの大勝利でも202年以降の袁氏の内訌が無ければ不可能だったし。

>>198
仮に白馬を守りきれたらそういう献策をしたものが評価される。
荀攸の局地的な献策しかクローズアップされないのは、
曹操以下の首脳陣が大局的にはまるで手を拱いていたからと考えるのが自然な気がする。
実際、顔良を斬れたから白馬失陥のエクスキューズになったような感じだ。
士気を維持するために関羽の戦功は誇大に自軍に向けて宣伝されたことだろう。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 13:45:49 ID:ZRQ0ZsfJ0
>>199
というか劉備攻めを優先したツケが回ったということか?
まあ劉備を捨てたら捨てたで二正面作戦になるから一概にどっちがいいとは言えないか。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 14:06:44 ID:pjaJOQgY0
劉備の野心と袁紹の猛威を考えると、絶対に二正面作戦にはならないと思うが。
曹操を滅ぼして一対一になったら次は自分の番だし。
一番有利な袁紹を追い落とすために協調するという選択肢も当然ありうる。
本来曹操は張邈の乱がなければ呂布も劉備も関係なしに、もっと早期に黄河南岸を固められたはずだった。
まあ史実では実力どおりになった感じだが、その分のツケが赤壁以後に出てる感じだ。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 19:42:53 ID:e4DuD0ks0
あの当時の劉備の野心がどの程度までであったのかは難しいと思うけどね。
よく言われるのは孔明の天下三分を聞いて初めて野心を露にしたってのだけど、
天下三分を無視した事実は別として、俺もこの頃から野心が芽生えたんだと思ってる。
そんな訳で、少なくとも曹操を滅ぼすまでは袁紹と協調する筈。
というか官渡を抜かれれば許はすぐそこだし、曹操は滅亡したも同然。
それを考えれば両者を天秤にかけて漁夫の利を得ようなんて事はしないんじゃないかな。
黙ってても袁紹に重用される事は約束されている、とか考えてそうだし。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 23:48:32 ID:ZRQ0ZsfJ0
>>201
面白い考え方だが、それなら劉備が曹操に背く理由が微妙にならないか?

まあ、董承の暗殺計画荷担をチャラにすると共に独立を果たした上で曹操と協力して袁紹を倒すというのも劉備としてはアリだが、袁紹の下につくことを前提にして曹操に背いたという方がありそうではある。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 01:31:02 ID:ZVVGpddB0
184年に挙兵、24才
18X年に別部司馬、2X才
192年に平原太守、32才
193年に予州刺史、33才
194年に徐州牧、34才

190年代前半の劉備はツキすぎで、常識的に考えて異常なスピード出世。
桑の木のエピソードを考えれば天下取りへの野心は間違いなくある。
30代半ばの若造の時分に州牧になった人間がそれを持たないはずがない。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 23:42:02 ID:wVuqktCIO
挙兵して10年あまりで一軍閥の長になったから、
それで満足、十分ですなんて、年齢的にもないよな。

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 04:01:01 ID:0G8sgb4t0
174年に仕官、20才
184年に騎都尉、30才
18X年に済南相、3X才
188年に西園八校尉、34才
191年に東郡太守、37才
192年に兗州牧、38才
195年に兗州を再制圧、41才
196年に司空、42才
207年に丞相、53才
213年に魏公、59才
216年に魏王、62才

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 04:03:51 ID:0G8sgb4t0
184年に挙兵、24才
18X年に別部司馬、2X才
192年に平原太守、32才
193年に予州刺史、33才
194年に徐州牧、34才
198年に予州牧、左将軍、38才

209年に荊州牧、49才
214年に益州牧、54才
219年に漢中王、59才
221年に蜀帝、61才

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 13:03:44 ID:XaZ9ES1f0


209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 23:50:49 ID:J0EjlPFs0
劉備に強い上昇志向があったのは当然だと思うけど、
具体的な目標がどこまで固まっていたかは疑問だな。
その曖昧さが戦略性の無さに現れてもいる。
逆に言うと何をするかわからない、だけど。

さて>>199
官渡に至る一連の対陣は曹操にとってギリギリの防衛戦闘、
できればやりたくなかった、というのは確かだろうな。
負けない戦を心がけ(大敗したこともあるけど)、
機動防御的な交戦をし敵に打撃を与えつつ(顔良・文醜)
自陣営の民と兵を収容して(白馬)前線を後退させている。
荀ケが絶対防衛線と設定した官渡を決戦地と定めた上で
長く伸びた敵の兵站を突いて勝利する。
相当高度なもんだよ。恐ろしくギリギリの綱渡りだけど。

決定的な瞬間まで袁紹の優位は続くわけだけど、
故にこそ、「淳于瓊が関羽と張遼を蹴散らした」というのは
大仰な言い方に思える。形勢からして当然の流れだし、
何より、

おまいら同格で参戦した郭図のことも少しは思い出してあげてくださいw

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 02:07:18 ID:bELe+ktw0
それは単に言い方の問題なんじゃないの。
認識そのものは別に違ってないように見える。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 11:26:44 ID:+kHHj7Ob0
うん、言い方の問題であって、いかにも正面決戦の末の曹操の敗北のように言うのは「問題」だろう。
と思って書いたんだが、>>193>>197>>199の言を混同してしまったか。ごめん。

武帝紀によると、曹操は官渡から北上し、渡河を陽動としつつ白馬を救援して
顔良を斬って解囲に成功し、民を収容して後退している。追撃で大損害を受けた様子もない。
戦略的には押されまくりだが、この場での戦術的には完勝と言っていいはずだ。
対文醜戦といい、劣勢の中での一連の戦術的勝利は
袁紹軍全体の前進を遅滞させるには十分だった(はず)なのだから、
荀攸や関羽の活躍がそれぞれの伝でクローズアップされるのは当然のことだと言える。

顔良を斬れたのはエクスキューズだとか、関羽の戦功は誇大宣伝とか言うのは
斜に構えすぎた見方だと思うな

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 12:13:14 ID:CU7Shf1aO
官渡の曹操の方が先に補給が足りずに根を上げる寸前だったことを踏まえると、袁紹の進軍を遅滞させたことが当時の曹操にとって有効な行動だったのかという問題もある気がしないでもない

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 12:54:18 ID:oxuoSBXY0
「相当に高度な戦略を行ったので最終的に大勝した」
というのは正史を素直に読めば得られる当然の結論なのは同意する。

だが、それは結果論と仮定して、
「水際で防ごうとしたらガン攻めで押し込まれて、
 敵の占領が根を張る前に機密漏洩を頼りに必死こいて敵の兵站拠点に突入したら圧勝してしまった、というのが現実じゃないか?」
という懐疑的なスタンスで見てるので、斜に構えた見方に見えるのは当然だろう。
勝ったからいいようなものの防衛線を官渡まで下げても、
自軍の兵站が尽きる寸前だったことを考えれば、
曹操と幕僚らが採った戦略はリスクを取りすぎで下策としか言えない。
百戦百勝どころではない玉砕戦術を成功させたのは流石だけどなー。

「淳于瓊(郭図)が関羽と張遼を蹴散らした」というのも兵力差が違えば当然の結果だろう。
そんな大げさな言い方とは思わないけど。
プライオリティはあくまで「白馬解囲>顔良斬殺」なのだから、
関羽のやったことは凄いことは凄いけどあの時点では焼け石に水だろう。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 13:02:45 ID:+kHHj7Ob0
無抵抗で後退するわけにはいかないしw
これだけ劣勢の戦で万事計算どおりにいくわけがない。
曹操自身も初めから官渡を決戦地に設定して
袁紹を引き込んだわけじゃないだろう。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 13:16:49 ID:+kHHj7Ob0
>>213
白馬の件一点に限っては、現実に解囲に成功して民を引き連れて後退しているのだから、
蹴散らされたとはとても言えない。追撃があったかどうかも怪しい。

んで、烏巣の輜重を焼いたこと自体が圧勝ではないと思うよ。
その混乱と兼ねてからの内部のごたごたによって張コウらが裏切ったため、
袁紹は兵を退いた。その後退につけこんで追撃した時に初めて
人的な大損害を与えることができたのだと思う。

荀ケの「今は両者全軍を集めて対峙しているので、ここで退いた方が負ける」
が正鵠を射たことになる。予備兵力があるなら崩れてもどこかで踏ん張れるが、
余力がなければ混乱は全軍に伝わって立て直せない。
荀ケの考えによれば両者とも同じ状況なので「安全策なんて大愚策。博打しろ」
ということになる。
袁紹がもう少し人心を纏めることに注意したり、あくまで官渡に留まったりすれば
まだ対陣が続いたはずだが、ま、「敗因のない敗戦はない」だから、これによって
曹操の価値を低く見る必要はないだろう。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 13:54:15 ID:oxuoSBXY0
>>215
>これによって曹操の価値を低く見る必要はないだろう。

いや俺は基本曹操>袁紹だよ。
事実、大敗の影響からか翌年のレイ陽の戦いではあっさり負けて奪った拠点を奪回されてるし。
ただ物量と形勢が加わった官渡戦では曹操と言えども、
そんな高度な計略で望めるほど容易い状況ではなかったのでは?と思うだけでな。

>烏巣の輜重を焼いたこと
人的被害はなくても物的、心理的被害は大きいだろう。
まあこれは大逆転の半ばに過ぎず、許攸投降〜陽武の戦いまで含んで圧勝と言える。

官渡が最終防衛線になった時点で安全策などある訳がないのは、曹操でも流石に分かってるだろw
真後ろが許では引けるはずがない。官渡から引けばその時点で総崩れだ。
荀ケとのやり取りはいつもなら超強気の曹操でも内心ガクブルだったことを示す一因でしかないのでは?
呂布にエン州を掠め取られた時も、赤壁で周ユに負け劉備に追撃された時も、馬超に苦戦させられた時も、
強気な負け惜しみばっか言ってるような男が、第一の腹心である荀ケに弱音を吐くほどだから
活路がまるで見えない悲惨な状態だったと推理するのはそれなりに妥当な推論だと思うが?

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 14:01:08 ID:oxuoSBXY0
>白馬の件一点に限っては、現実に解囲に成功して民を引き連れて後退しているのだから、
>蹴散らされたとはとても言えない。追撃があったかどうかも怪しい。

あとこれも解囲の解釈の違いだな。
結局渡河拠点の保持を諦めてる訳で、住民は引き連れても成功したとは言い切れない。
淳于瓊と郭図もあえて追撃して顔良の二の舞にはなりたくないだろう。
態勢の建て直しと指揮系統の再編で一旦停止するのが妥当な判断。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 18:43:32 ID:+kHHj7Ob0
なんかなんで論争してるのかわからなくなってきたなw
単にどこに力点を置いて話しているかの差に過ぎないか。

引っかかっているのはここかな
>「曹操は神知の持ち主なので白馬の敗戦にもなんらかの意味があった」
>「相当に高度な戦略を行ったので最終的に大勝した」
白馬の勝敗は置いといて、一連の後退をして初めからの「神知」と看做す向きが
あるとは知らないので、ここで温度差が生まれているように思える。
なので、一連の後退の価値を曹操への弁護の意味で書かせてもらった>>209
わけだけど。
自分のレス読むと長すぎて削除したところが色々あって、
勿論俺も、機動防御・兵站強襲・反抗の流れが初期からの曹操の戦略だった
なんて思わない。
官渡に至るまで、曹操はずるずると後退しているのは間違いない。
荀ケの発破がなければ曹操は許に篭城するくらいのつもりだっただろう。
烏巣の状況が作られたのは曹操にとっての敗勢と袁紹側の失策の産物だ。
エトセトラ。

にも関わらず、曹操側は…
と、一連の後退と対峙の中で重ねられた勝因を列記するところだけど
長くなるのでここには記載しない。

白馬の勝敗・解囲の件。
これは確かに解釈の差だなー

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 19:07:20 ID:CU7Shf1aO
白馬とか、袁紹の方が兵力で圧倒していたのって何か根拠あったっけ?
1対10だったなんて確かに言われてはいるわけだが、裴松之以来しばしば疑問視される数字だよね
白馬戦自体、曹操は勝ち目(救出や武将殺害ではなく袁紹軍の侵攻自体を押しとどめる)があると踏んで臨んだ、それなりに成算もある兵力差だった可能性はないだろうか?

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 19:47:07 ID:rDGruxrAO
勝ったところでどうすんだ?
もし勝ってしまったら、向こうが慎重になって余計に長期戦に持ち込まれる可能性もあるんだぞ
次に繋がらない勝ちを狙うだろうか

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 20:16:48 ID:oxuoSBXY0
夷陵と官渡の展開って妙に似てるな。

序盤:連戦連敗で守備側が押し込まれる。
中盤:主要拠点手前で膠着状態に陥る。
終盤:大逆転が起きて攻撃側が大敗。指揮官は逃げるが配下のほとんどが降伏or戦死

とか。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 20:33:56 ID:fspfhlSE0
>>220
それはよくわからんりくつだな
黄河北岸から南に行かせなければ、おそらくはエン州に反曹操勢力が跋扈したり、予州(汝南)で袁紹側勢力が次々蜂起したり、といった連鎖反応もなかっただろう
よしんば北岸での長期戦になったとしても、官渡での長期戦よりは許から遠いだけマシ
まして、袁紹に十分な被害を与えれば袁紹は退却するわけで、そうなるのが何よりでしょう
次に繋がらない勝ちというのは、それこそ勝ったはずなのに官渡に押し込まれているという状況を言うんじゃないの?

白馬の戦いに向かう時点では、曹操はそれなりの兵力を持ち、袁紹の侵攻を押しとどめ撃退できる勝算ありと考えて迎撃に出た
しかし袁紹に勝てず、かろうじて白馬救出だけはなんとかしたものの押し込まれた
黄河南岸進出を果たした袁紹はエン州や予州へのゲリラ活動と本体の許への侵攻を自由にできるようになった
これによって曹操の兵站は危機に瀕した
大きな兵力差もこの防戦一方になって以降に初めて出てきたんじゃないだろうか

白馬の戦いは曹操にとっては本来の目的を全く果たせなかった敗戦であり、失策であった
その事実を覆い隠すのが、「白馬を救いに行った」という論調ではないのか?
そして、袁曹の兵力差が元はそれほどじゃないとしたら、曹操を追い落とした淳于瓊らは数任せではなく、かなり上手くやった結果だということになる

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:51:44 ID:+kHHj7Ob0
>>222
開戦前から兵力差は言われている。孔融はそれを理由に降伏論を唱えている。
白馬に投入された&それを支援しうる近傍兵力だけを比べても、
曹操の劣勢は周知のことで、故にわざわざ陽動を掛ける必要があった。
袁紹に渡河を許してからの苦境はわかるが、
最後の段落はちょっと想像が過ぎるね

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 19:38:25 ID:1fgiVwVv0
>>209
曹操と袁紹以外は地盤強化が最優先課題だったと断定。
後は孫策くらいか?
つってもこの三人も皇帝を擁立して覇を唱えようという程度だけど。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 01:20:36 ID:SWP9sJiw0
淳于瓊って許攸と仲悪かったんかね。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 22:01:06 ID:Qqjaea6cO
アドバンス

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