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 lll初代llll   始皇帝   lll皇帝lll 

1 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/11/03(金) 01:11:06 ID:LQBStzfJ0
中国史上初の皇帝・始皇帝を語ろう

始皇帝について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D

2 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/11/03(金) 01:13:56 ID:LQBStzfJ0
ちなみにこのスレからの依頼
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161621239/l50


3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 01:15:53 ID:UKrUMjzB0



で、結局始皇帝の実の父親は誰なんだい?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 01:36:08 ID:tel6/8ib0
>>3
ペルシャ系の帰化人。

と言うのは最近のガセネタ。

5 :だあだあ! ◆kTLLDQQ39Y :2006/11/03(金) 04:06:56 ID:UypO0tWR0
「しこしこ始皇帝」いか厳禁

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 06:44:56 ID:cOcJ+WB80

真っ先に立ちそうな気がするが今までなかったんだな
政には長生きして扶蘇に継がせて欲しかった

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:48:33 ID:AWoqIPyu0
始皇帝は晩年には自らを買いかぶりすぎたし、つまらない人間に騙されたりしたからなぁ。
中国統一まではよかった。


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:53:06 ID:fAfpe4fL0
ロウアイってどの位スゴイんだろう?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:40:10 ID:D1sg34l30
車を引くことができるぐらいのスゴイものを持っていたらしいな

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:05:15 ID:HbSCKrE20
扶蘇が二世皇帝になっていたら名君になっただろうなあ。
秦はさらに強大な帝国になり、400年ぐらいは続いたと思う。

>>4
呂不韋は漢民族じゃなかったの?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:23:02 ID:OKgsZ1910
ロウアイはチンチンで車を引いたんじゃない。
勃起したチンチンに車輪をはめ込んで、持ち上げられたんだ。

車軸の穴にぴったりはまるほどの巨根で、持続力もあったんだよ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 20:11:26 ID:l9N8qjd9O
ヤンジャンのキングダムって始皇帝の少年時代?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 23:42:19 ID:OIBoELB20
>>10
さすがに400年は難しいと思う。
中国のわりと成功した王朝でも、200年ぐらいが多いし。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:56:09 ID:nKAL+rlO0
400年は無理でももうちょっと続いたかもね
李斯がどっか行かされて法律が少しはゆるくなったと思われ

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 01:05:28 ID:8OmkSwDMO
>>12
モチロンソウヨ

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 12:31:47 ID:6rppw3wnO
>>13-14
思えば中国統一後、秦は15年くらいで滅びてるんだよな
ユーラシアの西では同じ位の間、ローマとハンニバルが殴り合ってた事考えたらかなり短い

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:12:22 ID:0Gi+g5aF0
中国の王朝の平均持続年数はどれぐらい?
200年クラスが一番多いのかな。

>>7
政は政治・外交・軍略に長けた天才的な統治者であったと思う。
だが晩年にケチがついたな。宦官なんかを全面的に信用して依存しきったり
中国史上に名を残す詐欺師、徐福に引っかかったり。老いが彼を駄目にした。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:46:32 ID:h0NliOOy0
一番長く続いたのは漢かな?前漢後漢あわせて400年。
宋王朝は北宋南宋合わせて300年。
唐も明も300年。
清は250年。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 16:16:27 ID:6rppw3wnO
>>18
逆に統一王朝で短いのは新の15年と隋の30年、西晋も呉滅亡から西晋滅亡までだと35年か
あ、あと則天武后の周が15年になるのか

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 18:28:35 ID:h0NliOOy0
漢が長く続いたのは、秦のよい部分をそのまま引き継いだからだ。
劉邦は阿房宮にあった全国の戸籍を、大切に保存した。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:15:15 ID:lbZjwsjF0
秦を踏み台に

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:24:19 ID:TVy6wzwK0
隋、短けえ!隋といえば日本ではけっこう影響を受けた大国というか唐に次ぐメジャーな国だよね。
漢民族の統一王朝では300年ぐらいが多いところかな。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:18:50 ID:RU/DPKTX0
日本は凄いよね。皇室は2000年続いている。
やっぱり島国で異民族の侵入が無いのが大きいのだろう。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:30:24 ID:fzxDbKBF0
だーれも取って代わろうとしないもんなぁ

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:20:19 ID:/9sy0TKv0
中国五大愚朝

秦、新、晋、隋、順

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:03:48 ID:pO33wQbQ0
順朝がすぐに潰れたことを、漢民族はものすごく悔しがっている。
満州族に取って代わられ、風俗を押し付けられたから。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:35:48 ID:5JIBRMye0
秦は、天下統一前に数百年も続いているので、
必ずしも短命王朝と言えるかどうか。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 03:46:41 ID:qdPNkRhh0
統一してないのを含めると、
王朝の平均寿命はものすごく短くなるね。

平均30年てとこかな。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 19:59:51 ID:xlysfc4D0
おいっ、誰かえーせーの話してやれ。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:59:07 ID:UDTGLnUJ0
仲父殿の子供なの?

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:53:49 ID:XeTiTTr80
当時から、噂はあったんだろうか?

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 07:31:33 ID:z9z9jecV0
史記が書かれたころは噂されていたんだから、当時も当然噂されていたであろう。


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:40:33 ID:3D0T0NdV0
秦で、「どこの馬の骨とも知れぬ者を王に戴けるか」って反抗する者はいなかったのか?

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:12:22 ID:nVStaVOD0
政の父が人質から戻れて、王位についた事も奇跡的かと。
呂不韋の努力(賄賂?)の賜物ですかね。

政の父って異人?

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:20:38 ID:Nx+wTDMK0
政の母親は男狂いだったのかな。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:32:58 ID:Tde6/hAs0
秦を滅ぼしたのは始皇帝ではないよ。子の胡亥。
始皇帝は宦官に騙されたりして駄目な所もあったが
総合的に考えたら100点満点中95点位の凄い人だと思う。

つーか歴史上で初めて統一国家を創造and皇帝に即位したのは凄すぎる。
始皇帝が統一国家を作らねば、
中国は一つと言う概念すらできずにヨーロッパの如く多極化が進んでいたと思う。
始皇帝が毛沢東や明太祖より偉大なのは統一国家創造という概念すらない時期に
初めて統一国家を作り上げた事。
後の皇帝は始皇帝の猿真似に過ぎない。
始皇帝は中国史はおろか全アジア、全世界に勝る英傑です。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:22:31 ID:8uFtoKzo0
始皇帝の遺勅が握りつぶされてなければねぇ・・・

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:58:19 ID:GWBV55svO
>>36
どうだろう?
世界初の帝国はアケメネス朝ペルシャだし、ヨーロッパも時代は下がるがローマがあった
いまオリエントや環地中海世界がどうなってるかはご存知の通りだ
中華地帯が統一されていた期間が長いのを始皇帝が「統一」した事だけに求めるのは問題だろう

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 17:13:43 ID:esqCZ+Ru0
始皇帝は好きな人物だが、やっぱり晩年の仙術かぶれが痛いなあ。
まああの時代の人だから当たり前なんだが、前半生からは
飛びきり合理的な人物に見えるからつい期待してしまう。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:48:46 ID:sYm9Q2vo0
>>38
そりゃ、ローマやペルシャは始皇帝のような「統一政策」は行わなかったからなあ。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 03:37:17 ID:2mD79BmXO
>>40
そりゃ状況が違いすぎる
周も秦も楚もそのアイデンティティとなる神話は同じだったのに対して
オリエントは各種様々な宗教が入り乱れていた場所だ
ぶっちゃけると統一難度で言ったら中華は当時からその辺に比べたらだいぶ下がるよ
(始皇帝はツメの部分をやればよかったとも言える)

まあそういう見方をしないんであれば、
始皇帝はダレイオスやアウグストゥスのようなバランス感覚が無かったので
帝国ごと吹っ飛んでしまったが、逆にその後の王朝の助けになったって感じになる

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:43:30 ID:yQpFrdGM0
>>41
いや、それも「神話の統合」が行われたから、現在からするとそう感じるだけ。
例えば伏儀や女カが南方の神話だということはすでに証明されているし、皇帝や
神農も西方渡来が確認されている。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:57:40 ID:2mD79BmXO
>>42
しかし、楚辞の天間では楚の神話は語られず、中原の事が語られていたりする
これなんかをみても、中原とは民族を異にした楚でも、
戦国時代末期には神話なんかでも中原化されてたのではないだろうか
まあ秦が統一した民族の神話の統合が、統一前の事なのか後の事なのかはよく分からないから触れられないが

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 17:48:41 ID:O3qqndAa0
あんなバカでかい土地が二千年以上まとまるなんて、それだけの素地がなけりゃあね。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 20:14:35 ID:2mD79BmXO
>>44
まあ他にも
・宗教に比較的情熱を持っていなかった
・近隣地域に匹敵する文明圏がなかった
・表意文字の漢字の使用により口語が通じなくても行政が出来た
辺りがざっと考えつくけどね
で、始皇帝の業績の内最も偉大なのは漢字の統一ということになると思う
これは間違いなくその後の各帝国の統一維持に大きく貢献してるよ
(正直、他に始皇帝の統一事業の内ダレイオスがやっていないことが思いつかない、ってのもあるが)

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:27:15 ID:YBw/bV9U0
始皇帝の成果は、まんまと劉邦の手に落ちた。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:24:00 ID:n6HmCdud0
母親がああで、父親がああで、
やっぱり少年時代は精神的に荒れていたんだろうか?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 19:32:59 ID:EVzNM2oI0
ロウアイのチンポを見てしまったら更に荒んだと思うよ。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:46:15 ID:aaiedbSK0
親の教育に問題があった、というのも大きいが、人質生活でいじめにあっていたのも大きい。

そのために全国統一した後、人質時代いじめた人間を皆殺しにしたとか。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:12:11 ID:npk1lAni0
でも、少年時代に養った冷酷さが、
天下統一の原動力になったかもね。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:35:30 ID:q31u62jc0
>>49
人質時代に過ごした村(?)だかを
消滅させたんだっけ?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 00:27:56 ID:mUeE9TNJ0
>>51
趙の都邯鄲で人質生活を送っていた。冷たい待遇を受けたこともあったようで、
後に王となって趙を攻め邯鄲を落とした際、母親の家と仇怨がある連中をことごとく穴埋めにした。

なお邯鄲の破壊はこのときではなく、秦末動乱の際に章カンにより破壊されている。


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 18:59:02 ID:JnC1Cke90
始皇帝って親征してないよね?
なんかそれなのに、武ばったイメージを持ってしまう。


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:28:35 ID:AhXEa1XlO
>>46
劉邦は事実上の始皇帝の後継者とも言えるんだからあまり無碍に扱うのも考え物だけどね
もし項羽が勝ってその方針で中華世界を治めたら、
始皇帝の功績が奪われるどころかすべて無駄に成ってたかも知れないし

>>53
武帝なんかもそんなイメージだね
ああいう自分の軍事能力を出さないで征服業を成すっていうのは凄いことだと思うが

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 16:55:35 ID:CdgR+hDi0
漢が繁栄したのは、秦の遺産を上手く受け継いだからだな。

56 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/12/05(火) 23:15:10 ID:62aVJzpf0
みんな詳しいなぁ

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:21:29 ID:rZrj24N/O
始皇帝は子供の頃から経済学を学んでいたのかな?

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:29:48 ID:wT6Gv2/zO
しかしエイ政という人は懐が広いんだか狭いんだか…

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:50:20 ID:v1qdtGQGO
徐福について

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:52:55 ID:SbBVSCJQ0
>>57
帝王教育は受けたんだろうけど、当時の経済への認識ってどうだったんだろう。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:02:17 ID:KViIa30iO
呂不韋がいたから任せっきりだったとか…。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:27:22 ID:09cmozbWO
餅は餅屋だよね。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:41:31 ID:3TnlxDLSO
母親のことはやはり憎んでいたのかな?


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 23:58:32 ID:3QpLgdr00
複雑な心情だっただろうね。
憎しみは呂不韋に集中したと思う。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 23:44:18 ID:CS65zHF00
秦って結局戦国の六ヶ国を滅ぼす過程で数百万の兵士を
殺しまくったから、恨みを買いすぎたからでしょう。
数万の首を挙げただの、数十万を生き埋めにしただの・・

呂不韋とかの話、恨みや反感を持つ遺族とかが、秦や政王の
正統性を壊すために尾びれを付けたスキャンダルで、その話は
当時から出生のことはまことしやかな言われていたらしいしね。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 23:43:46 ID:vx7wTb160
それに、役人とかはやっぱり秦人中心で、旧六国の地域を支配する時にも、
威張りまくっただろうから、それで恨みを買っただろうね。

秦崩壊、楚漢戦争の過程で、旧六国地域じゃ秦人が報復の襲撃を受けただろうと思う。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 22:47:58 ID:30vl0HJL0
そんな役人も始皇帝が死んで反乱が多くなると
自己保身のために秦を裏切ったりするので

民衆や落ち武者は天を仰ぎ大儀の意味について
問うのであった・・・・

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 22:18:33 ID:m2gMnqEW0
昔NHKスペシャルでやった始皇帝特集がまた見たい。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 23:52:30 ID:1ZpCS/pH0
漢は上手い具合に始皇帝の遺産を継承したね。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 01:35:03 ID:x1RbvUlz0
漢の場合、秦が苦労の末に統一した成果をそのまま受け継げた上、
かつ統一に伴う人々からの恨みは全て秦が引き受けてくれた格好だからね。


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 15:40:46 ID:uOw3Xu9i0
中国統一を成し遂げたのは始皇帝の秦ではあるけど、
それは基本的には秦の長年の政策の延長線上であって、
統一の功績を全て始皇帝個人に帰すのは無理がある。


72 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2007/02/14(水) 00:24:57 ID:GPCZ8RGO0
あげ

73 :真剣師:2007/02/17(土) 12:42:45 ID:eXRN3jjH0
秦が崩壊した原因はいろいろあるとは思いますが、私なんかは始皇帝が
統一事業を推し進めるのを急ぎ過ぎたのも一因と思ってます。
もっとも緩やかに進めたとしても、滅ぼされた他の6国の生き残りの反発は
免れないでしょうけど。
ただ、言葉も文化も違う広大な土地を統一したのは凄いと思います。
秦・漢ともに。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/20(火) 23:43:52 ID:RgHqYmkc0
でも急速に進めたからこそ一気呵成に統一を達成できたという気もするな。
ゆっくり進めると、かえって統一は上手くいかなかったんじゃないかな。
統一に伴う旧六国の反発さえ上手く対応できれば、
それなりの長期政権になったんじゃないかな。
事実、漢はあれだけ長く続いたんだし。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 08:52:02 ID:xODL9FJq0
始皇帝万歳!
史記などを読んでいるとこの人の哀しみ、弱さが見えてくるようで辛い
自分自身の生い立ちと重なる部分があってよくわかるところもある

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 22:37:35 ID:He9LQvdh0
始皇帝と呂后が同時代の人物であるをわかっていない人は意外に多い。
黒柳徹子なんかがいい例。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 23:07:50 ID:He9LQvdh0
【塩野七海が語る】
第10巻で書きましたけど、世界の東と西で、ほぼ同時期、紀元前3世紀に
万里の長城とローマ街道がつくられました。技術的には似たようなもの
だったんです。違ったのは、それを縦にしたか、横にしたか。縦にして
城壁にすれば、侵入から守ることはもちろん、蛮族から自分たちを切り離す
こともできる。しかしローマ人はなぜ横にして、自由に行き来できる道路
をつくったのか……。つまり、そこからパクス・ロマーナが開かれました。
しかし、パクス・チャイニーズは実現しましたか?

   ↑
高校の教科書にも書かれている「始皇帝の軍用路整備」「漢王朝」を無視なさる
とはさすがは塩野様です本当にありがとうございました。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 23:55:08 ID:THGhnWx10
塩野先生は、東洋史に関しては無知だ、って自分で認めていたから、
まあ、あまり責めるのもちょっと可哀想。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 22:25:16 ID:QqhT+slP0
ま、ローマ人の物語とかは、素晴らしいからな。
あまり墓穴を掘るような言動は慎んで欲しい。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/12(月) 00:24:42 ID:bNFNmLNG0
>>77
>しかし、パクス・チャイニーズは実現しましたか?

つ「後漢の平和」

高校世界史で、ローマ帝国の同時代史として習った記憶がありますが、
今の学説では否定されてるんですかね?
検索しても雑談しか出てこないし…

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 23:20:14 ID:AfLa1Gt70
東洋史、西洋史、どちらも片方に入れ込み過ぎると、
もう片方が見えなくなるんだな。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 04:27:34 ID:ioxCXLEQ0
>>54
実は劉氏と秦とのつきあいはかなり古いのであった。

と左伝学者みたいなこといってみよう

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:22:52 ID:m6ZS4eDy0
呂不韋って簒奪する気はなかったのかな?


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 11:45:41 ID:wBn102JW0
おとなしく臣下がついてくるとは思えん
政と争って勝てるとも
後見人として権力振るう方がはるかに得策

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 15:56:36 ID:5P8CspCm0
始皇帝日記
【前219】超高の笑い声で起床。まだ眠い。顔を洗わせる。歯をみがかせる。朕は皇帝だ。
【前219】朝食のかわりに不老長寿の仙薬をのみくだす。効果が無い。イヤになる。
「蓬莱山に行ってまいります」徐福の言葉だ。おそいんだよ。早くしないと死んじゃうだろ。
「気をつけて!」うるせぇんだよこの玉ナシが。
【前219】ダルい巡幸出発。道の脇は野次馬でひしめいている殺すぞ、って呟いたら部下
がホントに殺してた。('A`)。
【前219】「大丈夫まさにかくの如し」野次馬の中、劉邦がつぶやいている。朕にどうしろって
いうんだよ。
【前219】今日は泰山だ。封禅のやり方がわからない。焚書坑儒決定だな。
【前219】超高がニヤニヤしている。
【前218】巡幸終了。
【前218】次の巡幸出発。
【前218】頭が痛い。不老長寿の座薬を詰めるが効かない。朕はもう寝る。
【前218】枕もとで二人が謀議。超高の笑い声に李斯が動揺しているようだ。 誰でも玉無
しには引く。
【前218】張良に襲われる。やばい。鉄槌が温涼車に命中だ。影武者のだが。
【前218】「陛下〜、大丈夫〜?」超高だ。タイミングが良すぎる。どこに行っていたんだ?
【前215】「新しい影武者よ〜!」さようなら、影武者127号、こんにちは影武者128号。
超高がニヤニヤしている。
【前215】巡幸終了。次は何時にしよう。
【前213】とりあえず焚書断行。
【前212】「王侯将相いずくんぞ種あらんや!」ただの叛乱だ。
「彼、取って代わるべし!!」叛乱には飽き飽きしている。
【前210】人生終了。超高「大丈夫?」格好だけだな。
【前210】徐福が来た。「陛下!蓬莱山に行くには資金が足りません!」遅すぎる。帰れ。
うだつの上がらない奴だ。
【前210】帰路。車の中は生魚でいっぱいだ。超高がニヤニヤしてこっちを見ている。
カモフラージュか? 遺詔は?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 17:12:11 ID:60YrqYEpO
>>78
本当に無知と自覚してるならわざわざ秦を引き合いに出して墓穴を掘ることはないよな
ようは謙遜してるように見せるために無知って公言してみただけ
言動と行動が一致してないことに対して責めるのは酷でもなんでもないと思う

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 23:24:14 ID:ti+zFovJ0
>>83-84
簒奪するにしても一代じゃ無理だっただろうな。
段階的に秦王から権力を剥ぎ取っていくべきだろうけど、
その秦王が実は息子なのだからややこしい。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 13:01:49 ID:Y1f/iZRn0
昨日TVで殷やってたが、あの暴虐といわれる始皇帝でさえ、
人形埋めたんだよな…と思った
時代も文化も違うんだから、比べてどうこういったって仕方
ないんだが

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 22:46:33 ID:B/sbqid20
>>87
簒奪した上で、また息子たる秦王に王位を譲る?
あほらしい作業になるなw

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 21:17:47 ID:RAGgYFv90
焚書坑儒はなかった

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 16:47:22 ID:s3mM2GFM0
あぼうきゅうにいた五千人の美女が気になる
あぼう宮は高さ130mって、なんかで見たけどホントにそんなにあったのか
疑問。


92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 14:21:31 ID:IOJlttGI0
秦の王室って趙の王室と同族だから氏は趙だよね?
ってことは趙高って秦の王族なのかな?

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 19:35:49 ID:Jaf/m7WR0
エイじゃないの?

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 20:20:23 ID:tsgt4IfV0
>>91
劉邦に一時接収された後、項羽に献上されたと思われ>五千人の美女
その際に戦利品として楚の諸将に分配されたか
或いは秦の血統を絶やす為に虐殺したとか色々考えられる。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 21:24:07 ID:1hLeDDGu0
始皇帝は絶大な力を握り、その象徴として阿房宮とかが強調されるけど、
国力、経済力なら後の時代の統一安定期の皇帝の方がずっと上だよね。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 18:22:37 ID:U4Hvz+aE0
>>93
エイは姓で 氏と違う 後世では混同されてるけどね
例えば 太公望は 姓は姜で 氏は呂 

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 16:27:04 ID:499YDnsY0
一番長いのは周で、800年。確かに実質西周までともいえるが、
王朝として一番長いのは事実だ。
 思えば、この前法政大のある中国人の教授と井沢元彦との対談があったが、
あの趙という人は中国の王朝って一番短い「元」でさえ90年持てたから
今の共産党はまだ大丈夫云々言ったが、これは明らかに可笑しいだろう。
たとえ武則天や王莽を入れなくても、秦や隋など一杯あるだろう。

趙ってかなり恥ずかしい間違いをしたが、一応専門は政治学。
それより井沢ってしばしば中国の歴史に口出ししたり、日本のトンでも歴史本を
書いたりしているが、趙の発言を認めたのも呆れた。
この人って本を大量生産しているが、
もうちょっと充電してから出直せって言いたいものだ。


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:58:11 ID:cabs0bHz0
>>88
殷の時代も下ってくると、だんだん殉葬とか生け贄なんかが
非人道的だ、という雰囲気になってきて、殉葬者を減らした
りする、なんて記録が見られるようになって、周や春秋戦国
になってくると、はっきり非道な行為と認識されるようになってきた
ようだね。
紂王なんかは案外古風な人だったのかもね。

そういやあ、秦では穆公が死んだとき、177人も殉死して、
そのせいで国勢が衰えたというけど、なんというか、凄い話だよね。
春秋戦国の頃のエピソードでは、秦が「蛮夷の国」みたいに言われてること
あるけど、確かにちょっと他の国とは違うよね。


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:19:07 ID:2lrDzGs20
秦は商怏の法が布かれるまで、風俗という点で明らかに中原諸国とは違うわけで。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:47:27 ID:xtnIw74H0
中原から見た場合、秦と楚はどっちの方が野蛮視されていたんだろうね。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 00:37:06 ID:i6tFyh3Y0
楚は王を自称してなかったっけ?
中原の枠外にある存在だから、秦の方がマシじゃないかな

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 22:44:51 ID:3f42Iw280
楚と秦は早い段階、春秋時代に既に強国となり、中原を脅かす勢いがあったけど、
その後一時停滞したね。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 22:15:01 ID:kUh6hsY90
晋が分裂することがなければ、秦や楚以上に強大になったかな?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 22:44:09 ID:QHbJdUeM0
どの時点で、強大かで答えは変わるだろ。
三晋分裂直前の国力で晋候が絶対君主として君臨していたならば、その時点で秦、楚より強大だろ。
その後はどういう人材が晋に仕えたかで妄想するしかない。
ま、人に聞いてどうこうって話題でないのは確かだな。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 07:35:35 ID:+Tlh0AtW0
斉みたいに、一人にのっとられたらどうなっただろうな

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 15:39:10 ID:8iyeZtBb0
智氏が上手いことやれば、って感じか

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 22:11:44 ID:3EGqbRT20
始皇帝陵、地下に巨大建築物=30メートルの「高楼」−中国

7月2日22時0分配信 時事通信

【北京2日時事】中国陝西省西安市郊外にある秦の始皇帝(紀元前259年〜同210年)陵の地下に、土を打ち固めて
造った高さ30メートルの巨大な建築物が存在することが考古研究チームの調査で明らかになった。中国紙・北京日報
が2日報じた。
 同紙によると、この「高楼」は下へ行くほど広くなる形で、9層の階段式となった4面の壁を持つ。陝西省考古研究院
の段清波研究員は「常人には考えもつかない建造物で、中国古代の墳墓史上、前例がない」としている。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070702-00000165-jij-int

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 23:54:02 ID:+2z9mIWX0
始皇帝って、始皇帝陵とか、阿房宮とか、
その力の大きさが強調されやすいけど、
人口や生産力を考えたら、
後世の皇帝の方が大きな力を持っていたはずだよね。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 00:26:30 ID:S+qaPKgS0
当時の生産性であれだけのものを作り上げたからこそ凄いんだろ。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 06:00:13 ID:DH2tkv2p0
歴代中国の皇帝は偉大イメージだが
中国によって捏造されてるんだろうと思いきや、
始皇帝も捏造では隠し切れないシナ人の習性をもってたんですねー

なにも、儒学者を生き埋めにしなくても

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 22:00:12 ID:sKRvrqOZ0
>>108
だから贅沢、浪費と後世の学者からはさんざん口を極めて罵られた。
中華民国以降に再評価されるようになるまでは暴君の代表的存在だったし。
なんかオリエント的なんだよな〜

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 17:33:09 ID:+ts3r1vC0
>なんかオリエント的なんだよな〜
儒教が国学化される前の唯一の統一王朝だから、
いわゆる一般的に抱かれる中華帝国のイメージとは一線を画しているのかね?

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 08:55:36 ID:5YZjLQHH0
でも中華帝国の原型には違いないと思う。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 16:10:03 ID:ToOeICBS0
 2007年8月31日、陝西省西安市の始皇帝陵について、兵馬俑博物館の
曹ウェイ(ザオ・ウェイ)副館長は「遺跡の現状を長期的に維持するため、
当面いかなる発掘計画もない」と言明した。皇帝陵の地下には巨大地下
宮殿などの存在がすでに確認されているが、発掘による全容解明は
持ち越しとなりそうだ。

 2002年、中国政府はまだ謎の多い始皇帝陵について、遠隔探査技術
などを利用した調査を実施。その結果、巨大な地下宮殿と墓室の存在が
確認された。しかし、本格的な発掘を始めれば遺跡の現状維持は難しく、
ダメージを与えることにもなりかねない。そこで将来、技術的な条件が
整うのを待って発掘するとの方針が固まった。

 その時期について曹副館長は「少なくとも私が生きている間には
(発掘は)ないだろう」と、かなり先になるとの見通しを示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070901-00000017-rcdc-cn

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 12:44:37 ID:xl+VC9hB0
大英博物館で兵馬俑展が始まる!約120点を展示―ロンドン

  2007年9月13日、イギリス・ロンドンの大英博物館で中国秦代兵馬俑展が開催された。

 今月11日、大英博物館で中国秦代兵馬俑展の開幕式が行われ、13日から一般に向け正式公開された。秦の
始皇帝の兵馬俑や楽俑のほか、秦代の青レンガや瓦当など、陝西省西安市の「秦始皇兵馬俑博物館」から2000
年以上前の中国文物が約120点展示される。

 同展は中英の文化交流の一つとして、来年の4月6日まで開催される。兵馬俑展は1967年3月から海外出展を
始めて30年間、世界30か国以上で開催されてきた。
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g11299.html

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 18:41:57 ID:FB1j12mF0
>>114
いつまで待たせりゃ良いんだよう。
こういうのは、いつまで経ったって技術的な条件が整うことなんてあり得ない。
完璧を期してばかりだと、どんなプロジェクトも進展しないよ。
先送りばっかしてる内に永遠に先送りすることになるぞ。
発掘期限を決めるべき。期限を切ったら技術も進むもの。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 18:54:19 ID:9WyxaZz60
そのうちに内戦が起こって「条件を整える必要さえなくなる」に一票

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 19:04:34 ID:ijJ23HLS0
>>116
とは言うものの、飛鳥古墳の惨状を見てこれこそ先見の明だと思う。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 20:31:14 ID:yYGosoQF0
俺が生きているうちには発掘してもらいたい。
あまり長く放置すると、気候変動か何か突発的な自然現象で破壊されてしまうかもしれないし。
陝西はそこそこ地震もあり。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 07:38:06 ID:TAGDI+Q70
発掘しないで置くのは保存には最適かもしれないが、
全く腐朽しないわけではない(地球上にあるものは全て腐朽しつつある)。
ジワジワと痛んでいっているわけで、発掘が遅れると結局は人目に触れぬ
まま鉱物に還元されてしまうことになるが。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 08:30:07 ID:R1cyqMnb0
自分の欲望だけで文化保存を考えない墓荒らしが大量発生してるな

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 10:12:34 ID:gvGfeaJM0
史書に「白起は伊ケツで韓、魏の連合軍24万人を斬首。」とか、
   「魏ゼンは魏を攻め、斬首4万」とか、
   「白起は魏将茫ボウを敗走させ、斬首13万。また、2万を河中に沈めて殺した」
とかいう記述がよくあるけど、こういう「斬首」とか「河中に沈める」とかいうのは
戦闘中に討ち取った敵兵なの?それとも戦闘後に処刑したの?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 14:32:47 ID:4l3LBCEe0
始皇帝陵の注目度自体は来年間違いなく上がるな。
映画の舞台になるし。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 22:25:02 ID:Gu8SREP20
他の皇帝も暗殺されそうになった事はあるんだろうけど
始皇帝の場合荊軻と高漸離、張良とか暗殺の
エピソードがちゃんと残ってるのって貴重だよね

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 09:21:57 ID:vkaR7JB50
 中国陝西省西安市郊外にある秦の始皇帝陵近くで古代の大型の墓が
見つかり、考古学者らは秦朝(紀元前221−同206年)最後の王、子嬰
の墓ではないかとみて調査している。新華社などが29日までに伝えた。

 墓は始皇帝陵を取り囲む外城の北西約500メートル付近で2003年に
見つかり、南北109メートル、東西26メートル、深さ15メートル余り。
規模や造り方、陪葬坑などの状況から、子嬰が埋葬された可能性がある
という。

 中国紙、北京日報によると、歴史書などでは子嬰は第2代皇帝、胡亥の
兄の子とされる。秦王に即位して間もなく、漢朝を打ち立てた劉邦に投降
したが、その後殺害され、どこに埋葬されたか不明だったという。

ソース(イザ!・共同通信) http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/87448

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 01:14:30 ID:+U6F4ubE0
始皇帝って結局、子孫は一人も残らなかったのかな?
一人ぐらい逃れた子や孫がいても

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 01:19:41 ID:J5MuDNZS0
怪しい話だが、日本にも大勢いそうだなw
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 00:00:08 ID:XTclBA8A0
>127
はたはのはたあげの羽田孜は
秦の傍流、秦氏の流れといっていたぞ。



129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 13:19:21 ID:cYowA56I0
姫若子さんも秦氏の子孫を自称してたんだっけ

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 23:46:46 ID:hIQykCx/0
中国で「秦」という姓は珍しくないからな。

有名人だと、秦檜、なんてのもいるし。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 08:07:27 ID:CYBJtDUV0
>>130
話がズレすぎなんだが・・・

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 13:41:19 ID:r+NB3Eyy0
★複製展示が発覚し、中止 独ハンブルクの兵馬俑展

中国の秦の始皇帝の兵馬俑(へいばよう)を展示しているとの触れ込みだったドイツ北部の展示会が
14日までに中止された。ドイツの業者が複製を納入していたことが発覚したためだ。

先月末から始まったハンブルクでの兵馬俑展では、8体の兵士と2体の馬などが展示され、約1万人が
来場した。しかし、関係者から「本物」ではないとの指摘が寄せられ、警察も捜査を開始。結局、独東部
の展示業者が独メディアに対し、中国から入手した複製であることを認めた。博物館側は来場者への
払い戻しを直ちに始めた。

独国内の専門家は今回の事態について、「ドイツの美術史上、最大の犯罪」と強く批判。中国の兵馬俑
管轄部局も「人々を欺く行為」と業者への提訴も辞さない構えだ。(ベルリン 黒沢潤)

(MSN産経 2007.12.14 21:02)
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/071214/asi0712142102004-n1.htm

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 14:26:24 ID:HedRd+QD0
兵馬俑は現場で見てこそ意義がある。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 19:54:53 ID:Gxyq0vK+0
 2007年12月24日、陝西省西安市の陝西歴史博物館が約8か月に及ぶ改修を終え、リニューアルオープンした。新た
な文物が陳列されるなど、開館以来16年間で最大規模の改修になったという。新華社が伝えた。

 改修に伴い、多くの貴重な文物が新たに陳列されることとなったが、特に話題をよんでいるのが「緑面跪射俑」。1999
年に発掘されたもので、膝をついた姿勢で弓を構えている人形だが、制作当時に塗られた色が比較的きれいに残ってい
た。興味深いのがなぜか顔の色が薄緑に塗られていたこと。兵馬俑の兵士のなかで唯一だという。

 薄緑の顔はどのような意味を持っているのか、専門家の間でも議論となったが、いまだ定説は出ていない。一部では
「職人のいたずらではないか」との意見もあるほど。リニューアルした陝西歴史博物館を訪れた折にはぜひこの新たな
古代の謎に注目して欲しい。
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g13996.html

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 13:36:58 ID:acv3dMx20
>陝西歴史博物館

やっぱり秦漢や唐に関する展示物が充実?

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 21:32:59 ID:cgMbRejy0
終皇帝という言い方はあまり聞かない。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 22:45:16 ID:M+hsUpPQ0
ラストエンペラーならそこそこ聞く

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 22:16:12 ID:r0PaIZXn0
終末皇帝って言われてなかったか?

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 17:33:33 ID:LiIlubzh0
最終皇帝なら良く言う俺はロマサガ2スキー

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 00:30:45 ID:n/Wjlg3k0
ラストエンペラーと聞いてもコオロギしか思い出せない

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 02:51:52 ID:P8juMIjw0
中国大陸全土を直轄領とし、ベトナムや匈奴を討ち、誰にも遠慮することなく絶大な力を奮った独裁者
始皇帝として即位した後は謀反も一揆も起きなかった
始皇帝の法は中国大陸隅々に届き、人夫は全土から集結した

始皇帝はまさか自分が死んで3年後に滅びるとは夢にも思わなかっただろう

142 :キョンシーたん:2008/02/26(火) 05:40:01 ID:eCo3EiRS0
>>137
溥儀ですか?<ラストエンペラー

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 08:15:24 ID:mpUfRlcBO
ドラマでは末代皇帝だな。

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