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■■■五代群雄伝■■■

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 18:07:49 ID:BQn2WhTT0
前から探してた逸話の元がみつかった。
《五代史補》『世宗誅高平敗将』にある一文。
これは、柴栄が即位した後周の政局不安を突いて、北漢の劉崇が攻め込んで来たので
澤州高平の平野で迎え撃った戦いの、伝説的な部分が記されている。
史上に名高い「高平の戦い」は、歴史意義的に見て、織田信長の「桶狭間の戦い」に匹敵する、
まぁいわば柴栄がブレイクする原因となった戦い。

侵入する北漢軍は、後周の北辺防衛を担う潞州軍を蹴散らし、潞州城を攻囲した。
潞州の節度使・李筠から、救援の要請が届くと、柴栄は親征を決意する。
そのとき、朝廷では皇帝親征に反対する、宿老の馮道と柴栄との間に有名なやりとりが繰り広げられた。

柴栄「劉崇めはわが国の服喪と、朕が即位したばかりというので、これを好機と見、
    みずから軍を率いてくるに違いない。朕が親征せぬわけにはいかぬ」
馮道「しかし主上みずから危険を冒して、万一のことがあればなんとしますか
    断固、親征はみとめられません」
柴栄「往古、唐の太宗は戦いには必ず陣頭指揮をした。朕もどうして安易の道をゆこうか」
馮道「しかし、主上が唐太宗となられるか、臣にはわかりませぬ!」
柴栄「…劉崇軍は寄せ集めだ。我が軍が劉崇を撃ち破るのは、
    山が卵を押しつぶすに等しいのだ!」
馮道「しかし、主上がよく山となられるか、臣にはわかりませぬ!」

朝廷が、ダイヤモンドダストに見舞われたくらい凍りついたに違いないこのやりとり。

禁衛軍を出撃させた柴栄は、そのうちの第三軍に身を置き、8日という速さで澤州に着陣した。
しかし各州の援軍はまだそこまで到達してはいない。柴栄本陣は手薄だった。
潞州を攻める劉崇は、劉崇は一気に決着を付けるべく、
潞州を後回しにし澤州に向って進軍した。

劉崇は契丹にも援軍を要請しており、都合4万の攻撃軍を率いていた。
柴栄の本陣では数で負けているが(兵数の記録はない)、もし劉崇らが後退すれば、
二度と捕捉する機会はないのではないかと考え、劣勢ながらも戦端を開く必要があった。
劉崇にしてみれば大いなるチャンスなので、士気は旺盛だった。
「周軍を見るに陣容が薄い。契丹の援軍は必要ないな。これは我が軍だけでも撃ち破るの
はたやすかろう。そうすれば契丹もわれに一目を置き、今後やりやすくなるではないか」
ちょうどこの頃、今まで吹いていた北東風が南風に変わり、劉崇軍の方に向って吹き付けた。
劉崇幕下には、それをもって自重すべしとの声もあったが、劉崇の意思はかわらなかった。

相対する両軍の陣容は、左・中・右の構えをとっており、正面からの激突となった。
劉崇軍の左軍を率いた張元徽は、北漢きっての名将で、禁衛軍の総帥であり、
今回の侵攻軍の先鋒大将をまかされ、潞州の李筠を破った猛将でもあった。
その張元徽の猛攻の前に、後周軍右軍を率いる、禁軍大将の樊愛能と何徽が
恐怖に駆られて敵前逃亡を開始した。半数は彼らと共に逃げ、半数は敵軍に降伏し
後周右軍は壊滅したのだった。

右軍の潰走により、契丹軍がやってきて後周軍は敗れ、皆降伏したという流言が流れ、
後周軍は全軍崩壊の危機に立たされた。
随従していた文官の魏仁浦は、この危機を立て直すには皇帝自ら陣頭指揮する他ない
と進言した。柴栄もそれを是とし、最前線に乗り出したのだった。

ここからが伝説の部分で…
柴栄は真っ赤になって怒り、50騎を率いて、まっすぐに劉崇の本陣へと馬を躍らせ乗り入れた。
劉崇は勝利を確信して酒を飲み、余裕をみせていた。
そこへ柴栄が50騎とともに現れ、敵本陣で大暴れしてついにこれを破った。

という、単騎(50騎だけどね)乗り入れの記述。
そこだけ読むと、桶狭間そのものなんだけどね…


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