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■■■五代群雄伝■■■

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 20:08:44 ID:8pcgF4QA0
後晋の場合、桑維翰と肩を並べられる人材がいなかったような気がします。
王朝に対する帰属意識、ないしは忠誠心の高さも含めて。
どうやって王朝を強くしていくか、そのグランドデザインを描ける逸材が
残念ながらいなかった、と(景延弘は論外…)。
個人的に、桑維翰は契丹という外圧を利用して、皇帝権の確立と節度使の
権限奪取を進めていたんではないかと思うわけですが。

五代会要などを読むと、後唐時代より後晋時代の方が中華王朝としての
体裁を整えているように見えます。
例えば、後唐時代には律暦礼楽の制定まで手をつけていないんですけど、
後晋時代になると一応全部制定されてるんですよね。
暦を作って正朔を奉じさせることと、皇帝の権威を示す指標となる、
中央の儀式の代表である礼楽の両方を整えられたというのは、後晋の
集権化がある程度の実をあげていた、ということなのかな…などと
考えていたりします。
この時代の専門家の方には怒られそうですが(すいません)。
しかし、中国史全体を通してみても、景延弘は駄目な臣下として
トップクラスじゃないでしょうかね?
桑維翰のやったことを全てひっくり返した結果が国の滅亡…。

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